「やっほー、あ・く・つっ」
視界に映り込んだ、オレンジ色の鮮やかな色彩。
見慣れた色――そして、聞き慣れたその軽薄な口調に、阿久津は顔をしかめた。
「…千石か。気色悪ィ声出すんじゃねぇ」
「うっわ、言うに事欠いて気色悪いかー。酷いなぁ」
「…………用がねぇなら行くぞ」
追い払ったところで立ち去らないことを充分理解している阿久津は、言い捨てて歩き出す。
普段なら「待ってー」などと困っているのか楽しんでいるのかわからない、気の抜けた口調で呼び止められるはずだった。
だが、千石は阿久津を追いかけることはなく、しかしその背に言葉を投げる。
「――なぁ、亜久津。噂の青国騎士団ルーキー、どうだった?」
「……」
足を止め、阿久津はゆっくりと振り返った。
その瞳に、明らかな殺気が混じる。
「…なんだ? てめぇ、ジジイの差し金で俺を監視でもしてんのか」
「監視されるようなことしてるのかい?」
「……」
さらりと返された言葉に、亜久津の瞳に籠もる殺気が膨らむ。
それに臆することなく、千石は軽い調子で笑った。
「凄まない、凄まない!
そんなこわーい顔してると、幸運も女の子も逃げちゃうぞ~?」
その様子は、彼の常のもの。
では、先ほどのらしくない行動はなんだったのか――、
そこまで無意識に考え、亜久津は振り払うように頭を振った。
――そうだ、いつだって目の前のこの男は、読めない行動や言動で相手を翻弄する。
気にすることはない。いつもの気紛れでしかないだろう。
「俺がどこで何をしようが俺の勝手だ。俺に指図すんな」
凄味を利かせた、低い声音。
普通の精神なら、もう二の句は次げまい。そんな威圧感。
それでも、千石がまったく堪えないことなど、亜久津は充分に知っている。
だからこれは、徹底した拒絶の意思表示だった。
「あっ。ちょっと、行っちゃうの??
亜久津はホントにノリ悪いなぁ!」
言い捨てて去っていく亜久津の背に、千石はそんな言葉を投げかける。
だが、亜久津の後ろ姿が視界から消えた瞬間、その瞳に怜悧な光が、宿る。
「…俺の勝手だ、ねぇ…。
――そういうワケにもいかないんだよ、亜久津。残念ながらね」
――山吹共和国《リョク》。
首都《オウカ》より離れた山岳地帯、青国との国境沿いに位置する村。
その村より幾分離れた場所に立つ砦に、多種多様な戦士達が各々の任務についていた。
自由を掲げる山吹共和国が所有する、最強の軍団。
南健太郎を師団長とする少数先鋭,山吹共和国特務師団である。
特務師団、という名の通り、彼らは通常の軍とは少し違う。
ごく特殊な任務を担う者――中でも南班は、『戦争屋』などと影で呼ばれている師団だった。
「千石さん。南師団長から物資の方、届いてますよ」
特務師団南班の野営地。
砦の高台から国境を眺めていた千石に、そんな声が掛かった。
ゆるりと振り返ると、眼を補助する魔術利器《サングラス》をかけた、色黒の青年がいる。
室町十次。特務師団南班では、千石に次ぐ剣技の使い手として少年時代から重宝されてきた戦士だ。
千石より少し年下であり、特務師団に入団したのはかなり後になる。先輩後輩の間柄だった。
「ああ、もう届いたんだ? 予想より1日早かったなぁ。
さっすが南、迅速かつ堅実なサポートっぷり! 地味だけど」
「地味は余計ですよ。ちなみに、本人は物資より遅れてますけど」
「大方、自分が抜けた後の指示とか処理とかで奔走してるんでしょ。
さすが我等が師団長…と、言いたいところだけど…そういうところがホント、地味なんだよなー…」
実に楽しそうにそう言うと、千石と室町は顔を見合わせて笑った。
地味だなんだと貶しているようにも聞こえるが、
ふたりにとって師団長である南は、十二分に尊敬出来る上司であり仲間である。
他国でも「堅実なる名将」と評価され、《堅者》に異名で知られている。…本人が地味なことは、否めないが。
「あと、帝国領で妙な動きが」
「帝国…氷帝か。跡部くんのところだね。なに?」
「…侵入者の介入を許したようですよ」
「氷帝が!?」
思わず、といった風に千石は立ち上がった。
普段の彼らしからぬ反応ではあるが、それも無理はない。
氷帝帝国――《アズマ》の北方に位置するその大国は、数多の優秀な騎士を抱えた《剣の国》だった。
戦士の層は厚く、国民の半数が軍属などと言われるほどに、大陸一の軍事力を誇る。
皇帝直属の中でもで尖鋭中の尖鋭,正騎士団のちからは、部隊長ひとりが一個小隊に匹敵するとまで言われている。
当然、守りが堅く侵略しようと思う国すら既にない、と目されるほどだった。
「どこの命知らずだ…氷帝に喧嘩売るなんて」
「まったくです。なんでも、あの尖鋭騎士隊隊長の宍戸さんが敗れたとか」
室町に告げられたその名に、千石は聞き覚えがあった。
宍戸亮。魔術は扱えないものの、自らの剣だけで正騎士団部隊長の座を射止めた剣士である。
剣技・体術はもちろんのこと、何よりそのプライドの高さと不屈の精神が、敵に回すと厄介だと千石は思っていた。
「へぇ…面白いじゃん、どこの国?」
「不動峰っスよ。あの『北東の黒い軍団』、と呼ばれる」
「ああ、あの…小国の軍人とは思えない良い働きだなぁ」
プライドの高さも一級品、と揶揄される氷帝の一角が敗れた。
しかも相手は、知名度では彼らに相当劣る小国の軍人。
あの実力主義の氷帝がどう出るか…なかなか楽しめそうだ、と千石は小さく笑った。
「…あと、」
「うん?」
「……亜久津先輩のことなんですが」
先程とは打って変わって、室町の表情が冴えない。
またあの問題児が何かやらかしたか、と千石は苦笑した。
「亜久津がまた何かした??」
「普段通りですよ。それが問題なんです」
「あー…俺達はもう慣れたから構わないんだけど、ねぇ…」
納得した、とばかりに千石は頷いた。その表情は苦笑であり、少し困ったような色も含んでいる。
阿久津仁は山吹共和国特務師団にとって、あらゆる意味で《異端》だった。
彼は軍務総帥,伴田幹也の護衛兵部隊の兵団長,阿久津優紀の一人息子である。
その驚異的な身体能力と卓越した戦闘センスは、確かに、特務師団に相応しい人材と言える。
だがその性格は、大小かかわらず規律のある軍に属する人間としては、不適切だった。
「阿久津先輩が転属されてきてから、生きた心地のしない隊員も多いです。
確かに稀有な能力の持ち主ではありますが、総帥は何故、あんな問題児をこの隊に…」
「うん」
ため息交じりに言われた言葉に、千石は小さく頷く。
そして目を眇め、軽く唇の端を持ち上げて、笑った。
「いーんじゃない? …強いし」
「千石さん…そういう問題では…」
「俺は別に嫌いじゃないけどね。まぁ…」
そこで言葉を切ると、千石は一切の表情を消した。
否、表情自体は笑みのままなのだ。
ただ、その瞳には一切の感情がなかった。
「余計な事さえしなきゃ、いいんじゃない?」
そう返した声音の、その響きは底冷えのするような冷たさ。
ぞくりと妙な悪寒を感じて、室町は目を瞠る。
「…千石さん…?」
「はい、その話はとりあえず保留!
まぁなんとかなるでしょ。なんてったって山吹は自由な国だからねー」
そう快活に告げた時には、千石の様子は見慣れたそれに戻っていた。
「それじゃあ見回りに行ってくるよ」、と。
常の様で言って、鼻歌交じりに去っていく千石の後姿を見送りながら、室町は小さく息を吐いた。
気のせいだ。
彼が気まぐれで、何を考えているか読ませないのは、いつものこと。
何もおかしくない。そう、なにも。
だから感じた違和感は、気のせいだ。
そう自分に言い聞かせて、室町も千石の後を追った。
見回りと称してサボる上司を、逆に見張ってやるために。
+++
――青国首都《ガクエン》。騎士団詰め所の一角、騎士団寮。
旅装束に着替えながら、リョーマはとても複雑そうな表情をしていた。
目の前の相棒を見ながら。
「…おまえ、女捨て過ぎだろ…その歳でそれってどうなの」
「は?」
てきぱきと旅装束に着替えを終えたは、複雑そうな表情をしたリョーマを振り返った。
今ふたりは、どこから見ても旅人もとい冒険者という職業を持つ者の、一般的な軽装姿だ。
だが幼さも手伝って、単なる子供に見えなくもない。
それはそれで都合が良いか、と思い始めているふたりなので、そう抵抗はないのだが。
「なに、いきなり。失礼な」
「自覚がないってのはどうかと思う」
「だから何がよ」
「……」
本気で首を傾げているに、リョーマは小さくため息を吐いた。
15歳の少女が、平然と、同世代の男の前で着替えるか普通。
もの凄くそこが納得のいかないリョーマだったが、言うのもなんなので言葉には出さない。
それがには余計に腹立たしいのだが、そこはお互い様でもあった。
首を傾げると、呆れたような表情のリョーマが無言で睨み合っていると、不意に扉が開かれた。
バンッと音を立てて、かなり豪快に。
「越前、。準備は出来たか? そろそろ出るぞ」
現れた相手自体は、別段珍しくはない。
ただ、さすがにノックもなしに豪快に扉を開けられれば、誰だって驚く。
一瞬、ふたりは言葉を失った。
「…桃先輩」
「…ノックくらいしてください…」
ふたりに非難の眼差しで見られ、しかし桃城はそれを笑い飛ばす。
それはもう、豪快に。
「越前と同じ部屋で着替えてンだから、今更だろ?」
「リョーマと先輩は別ですッ」
「…ねぇ。それどういう意味…」
そうだろうな、とは薄々思っていたが、実際言葉にされると腹が立つ。
心持ち低い声で呟かれたリョーマの言葉に、はきょとんと首を傾げた。
その、本気で何もわかっていないの反応に、リョーマは深くため息を吐く。
「ハイハイ、悪かったよ。で、準備は良いな?」
問われ、リョーマとは互いに顔を見合わせた。
そして、小さく頷き合い、桃城に視線を戻す。
「…はい」
「いけます」
「よし。――行くぞ」
促され、ふたりは桃城に続いて部屋を出る。
瞬間、不意には足を止めた。
「…?」
違和感を感じたのは、ほんの一瞬。
だがそれは、確かな一瞬だった。
「?」
「あ…うん、なんでもない」
緩く頭を振って、は苦笑する。
気のせい、だろう。
そう自分に言い聞かせて、はふたりに続いて部屋を後にした。
+++
「国境は越えられると思うか?」
「どうかな…山吹は本来、自由を掲げるだけに関所は緩い。しかし…」
「…《滅びの前兆》の支配を受けている可能性がある今…すんなりは通してもらえないかもしれないな」
国境沿いの小さな村。
その村にある宿屋の食堂で、達遠征組は顔を突き合わせていた。
「でもそのために冒険者を装うわけでしょ」
「そうは言うけどね、越前。俺達の半数は、顔を知られている可能性があるんだよ?」
「まあまあ、考えたってしょうがないっすよ、河村先輩! ここは俺が…」
何か案でもあるのか、桃城がそう言いながら席を立った瞬間だった。
「我々に任せてくれないか?」
背後から聞こえた、精悍な男の声。
反射的に振り返ったは、現れた意外な人物に目を瞠った。
「橘さん!?」
――橘吉平。
隣国,不動峰国の左将軍。
先立っての一件で一度顔を合わせたが、こうして間近で見るのは初めてだった。
驚く達に、橘が伴ってきた少女が笑いながら口を開く。
「お久しぶりね」
「杏さんも…どうして…」
「しばらくぶりだな、青国の。元気そうでなによりだ」
「不動峰の将軍が、何故ここに…?」
言葉を失う面々の中、いち早く立ち直った河村が尋ねると、橘は苦笑を浮かべた。
「なに、手塚におまえ達の手助けを頼まれてな。
確かに国境関所破りはお手のものだが…やれやれ、おまえたちの団長は、ひとを使うのが上手いな」
手塚が頼んだ、という事実にも驚いたが、それ以上に彼の口にした言葉は達の予想をはるかに越えていた。
関所破り、と。彼は確かにそう言ったのだ。
「ま、待ってくれ橘将軍! 不用意に事を荒立てるのは本意では…」
「悠長にしていると、山吹に入国するのに相当掛かるぞ」
大石の言葉を遮り、橘はきっぱりと言い切った。
その言葉に青国の面々は目を瞠る。
「…どういうことっすか??」
「山吹の特務師団を知っているか?」
静かに告げられたその言葉に反応したのは、だった。
乾から受けた指導の中で、何度か耳にした覚えがある。
山吹共和国独自の部隊編成であり、はっきり言って、敵対したくない存在だった。
「山吹特務師団南班…のこと、ですか?」
「ああ、そうだ」
半信半疑で聞き返したに、しかし橘ははっきりと頷いた。
思わず口元を手で覆い絶句するの服の裾を、リョーマが軽く引く。
「特務師団…って、なに?」
「山吹共和国が所有する、最強の軍団…。
通常の軍事ではなく、特殊な任務に就くことが多い少数尖鋭部隊って言われてるわ」
そう。特務師団はいくつかの班に分かれているが、それぞれが一個部隊と言うには所属人数が少ない。
だが、数ではない。その個々の実力は、一人で何十人分にも相当すると言われている。
長い歴史を掲げ、幼い頃より軍人教育を受けてきた彼らは、騎士道とは無縁の戦いの中に居る存在だ。
「…中でも、堅実なる名将と謳われる《堅者》南健太郎を師団長とする、南班は通称『戦争屋』。
所属戦士も、千の武器を操る《トリックスター》千石清純、《怪童》阿久津仁を筆頭に、かなりの手練揃いだとか」
阿久津の実力は、既に目の当たりにしている。
恐ろしいまでの戦闘能力。恐らく、彼は獣人族の血を引いているのだろう。
でなければ、あの強さは反則だ。それに、噂に名高い南や千石の存在も気に掛かる。
「そう。その山吹特務師団南班が、国境沿いの村に集結している。
今日中には師団長である南も合流するらしい。…まるで『戦争』でも始めるかのようだな」
『!!』
橘の言葉に、達は息を呑んだ。
『戦争屋』と称される一団が、先立って国境沿いに集結。
その先にあるのは、青国だ。
もしもその目的が、侵略であったなら――――?
「…やっぱり…〝滅びの前兆〟の影響なのか…」
「河村先輩…」
辛そうに俯く河村に、を掛ける言葉を必死に探すが、何も浮かばない。
河村と阿久津がどのような幼少時代を過ごし、どのような友情を交わしてきたのか、にはわからない。
だからこそ、不用意な言葉を吐くことは出来なかった。
「……。――って、痛ッ!?」
思わず表情を沈ませたの頬を、いきなりリョーマが抓んだ。
唐突に攻撃されたは、その手を咄嗟に振り払って、キッとリョーマを睨む。
「何すんのよ痛いじゃないッ」
「ブサイクな顔してたから」
「……喧嘩売ってる?」
「悪いけどそんなに安くないよ」
言うに事欠いてそれか。
思わず拳を握り締めるに、リョーマは常と変わらない口調で、告げた。
「『馬鹿の考え休むに似てる』」
「は?」
「がどうこう言える話じゃないんだから、思いつめても仕方ないんじゃない?」
「……」
見抜かれていたことに、は絶句した。
なんでこういうときだけ鋭いんだろうかと、ばつの悪い思いをする。
「…おまえがそういう顔してると、河村先輩が逆に心配すると思うよ」
「え」
「笑ってろ、とは言わないけど。せめて普段通りにしてなよね」
ぶっきらぼうに告げられた言葉の意味を、は考える。
もしかして、これは――
「…励ましてくれてんの?」
「ばっ…馬鹿じゃないの? 誰が!?」
「ありがと、リョーマ」
「だから違…ッ」
素直さの欠片も無い言動の割に、リョーマは表情に出やすい。
それを目の当たりにして、は少し嬉しくなって、笑った。
そんなふたりの様子を、会話は聞こえなかったとは思うが、周囲の面々は微笑ましい気分で眺めていた。
だが、呑気に最年少者の微笑ましい言い合いを眺めている場合でもない。
橘は再度、大石の方に向き直った。
「…先日、正式に我が不動峰を同盟国とすると、青国の女王陛下から申し出があった。
青国の危機は、不動峰の危機にも繋がる。協力させてくれないか?」
そう告げた橘の後ろで、杏もまた強い意思を持つ瞳を真摯に向けて、頷いた。
事が事だけに、協力の申し出はありがたい。
だが、下手をすれば国際問題だ。背負わせるには、リスクが大き過ぎる。
「でもさ、そっちの方がかなり危険じゃない?? 将軍自ら手勢を率いて関所破りなんて…。
こっちは最悪、「一部の軍人が勝手にやりました」って言えば国同士の争いにはならないわけだし…」
「なに、士道には反するが、名乗りを上げねば済む話だろう?
俺がこの大陸に来たのは一年前だ。ましてや、不動峰は小国…俺の顔を知る者はそうそういない」
それは、確かにそうだ。
青国の面々よりは、自由に動き回れるだろう。
だが、だからと言ってこんな役目を、一国の将軍に負わせてしまって良いわけが、ない。
「まずは関所を開ける、合図と同時に駆け抜けるんだ。
…行くぞ、杏。神尾達への合図も忘れるな」
「はい、兄さん」
杏を伴い、外へ出て行く橘の姿に、達は思わず顔を見合わせた。
本来ならば、このような危険を背負わせるわけにはいかない。盟友ならば尚更に。
しかし、現状を打破するには、彼らの協力が必要であることもまた、事実だった。
「…仕方ないっすね。一刻を争う事態だ、ここは橘さんのお言葉に甘えときましょう」
「止むを得ないな…」
頷き合い、青国の面々もまた、席を立った。
既に話は、青国内々で片付けるには、事が大きくなり過ぎた――そういうことなのだろう。
「橘将軍率いる不動峰軍に続く。合図を貰ったら、速攻で関所を抜けるぞ。
これは既に、俺達だけの話ではなくなっている…失敗は許されない、心して掛かってくれ」
『はい!』
返事を返す面々に、大石は力強く頷いた。
+++
「千石さん! 千石さんッ!!」
慌てたように走ってくる後輩に、武器の手入れをしていた千石はのんびりと顔を上げた。
「んー? どしたの、室町くん」
いつでもマイペースな彼の反応には慣れているのだろう。
その態度を別段気にする風もなく――否、その余裕もなく、室町は千石に詰め寄った。
「伝令兵からです! 侵入者が…!」
「……」
その言葉だけで、何かに気づいたのか。
スッと、千石は目を眇めた。
飄々とした表情が消え、まるで獰猛な獣のような好戦的な光が、その目に宿る。
「…ふぅん…陽動、か…やってくれるね」
「よ、陽動?」
ただ「侵入者が」と告げただけの室町は、何故千石がそれを「陽動」と判断したのかわからない。
訊き返す室町に、しかし千石は、笑みさえ浮かべて応えた。
「侵入者がそんなに派手に動くわけないよ、多分そっちは陽動。
本隊は…もう中に入っちゃったかなぁ。手際良いねぇ」
さらりと言い放たれた言葉は、団を混乱させるには、充分過ぎた。
国境沿いに団を置き、これだけの手勢を揃えて置きながら、侵入を許した。
ましてやそれが、師団長不在の時ともなれば、責任は重大だ。
「そんな…どうしましょう、千石隊長ッ」
「そ、そうだ! 南師団長に指示を…」
ざわめく一同の中、千石の表情は変わらない。
余裕すら感じさせる笑みを湛えたまま、静かに告げられた言葉は、団員にとって予想外だった。
「――それじゃ、間に合わないね」
酷薄さすら感じさせる微笑を湛えたまま、千石は立ち上がった。
手入れの終わったばかりの剣を腰の鞘に戻し、ぐるりと周囲を見回す。
既に団員達は彼の元に集まり、急に立ち上がった彼に注目していた。
そんな様子を満足そうに見やると、千石はひとりの団員に視線を向ける。
「…壇くん。南に一応伝令」
「は、はいです!」
「ニ番隊・三番隊は、陽動鎮圧。四番隊はここに待機、南と合流次第陽動鎮圧へ。
それぞれは室町くん、新渡戸くんが指揮して。一番隊と五番隊は山狩り。俺が指揮する」
「せ、千石隊長! 南師団長の指示を仰がずにそんな…」
「南・東方不在の今、一番隊の隊長である俺が指揮をとるのは当然だろ?」
そう応えて、千石は笑った。
その言に何もおかしなところはない。ないのだが。
妙な違和感を覚えて、なんとなしにそれを眺めていた阿久津は目を眇めた。
だが、気のせいだろうと思い直す。
そう、いつものことだ。千石が何を考えているかわからないのは。
「全責任は俺が持つ。各自、持ち場に着け!」
『はい!』
鋭い指示の声に、団員は声を揃えて敬礼する。
それぞれの持ち場へと移動していく団員達の中、阿久津だけは、その場を動かなかった。
酷薄の微笑を浮かべる千石に、感じた違和感。
いったい何故、今更こいつに違和感なぞ抱くのか…。
妙な感覚が、消えない。
それを見極めるかのように、阿久津は千石を睨むように見据えていた。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。