「テメェが、あの手塚の後継者とか言われてる越後屋か。
銀華の連中とは俺が先に遊ぼうと思ってたのによ」
「知らないよそんなの。
…、こいつ知ってるの?」
話を振られ、は小さく頷いた。
「…阿久津仁…自由を掲げる山吹共和国の軍に属し、その並外れた戦闘能力は他国にもその名を知ら示す…」
「詳しいじゃねぇか。
まあ…知ってたところで役に立つ話じゃねぇだろうが、な!」
「――ッ!? Protect this place!!」
阿久津が動くとほぼ同時に、リョーマは達を背後に押しやって、利腕を前に突き出した。
利き手の五指の爪が込められた魔力によって輝き、魔力の盾が具現する。
しかし、二度三度と攻撃を受けた盾は、魔力が固定し切れず霧散した。
「…く…ッ!!」
それでもリョーマはその場を動かない。
叩き落とせるものは剣で防ぎ、残りは自身の身で受ける。
「…っ…ッ」
攻撃を受けきったリョーマは、その場に膝を着いた。
満身創痍、という言葉がこれほど合う状況はないだろう。
滴る血が、傷の深さを物語る。
「…ッ!!」
「リョ…リョーマ様…ッ」
蒼白な顔で言葉を失う桜乃達が反面教師になった。
いち早く立ち直ったは、慌ててリョーマの体を支える。
「リョ、リョーマっ!?」
「…悪…俺、防護系の術苦手…」
ゆるりと視線を移し、リョーマは小さく呟いた。
「馬鹿、ならなんで前に出るのよ!」
「…傷に響くから怒鳴らないでよ、馬鹿…」
「馬鹿はアンタよ! 朋ちゃん、ちょっとリョーマを看てて!」
「え? あ、…うん…」
朋香にリョーマを任せ、は立ち上がった。
そして、真っ向から阿久津と対峙する。
「近づかないで! …これ以上何かしたら許さない!!」
「あ? おまえ、誰に指図してんの?」
邪魔だと言わんばかりに見下ろされ、は返事の代わりに剣を抜いた。
そして、刃身に二本の指を添え、挑むように阿久津を見据えて口を開く。
「――扉よ扉、その閉ざされし門を開け…!」
「ちょっ…、それはマズイって…ッ!」
怒りに任せた召喚の波動に、リョーマはを止めようと身を乗り出す。
だが、決して浅くはない傷のせいで、思うように動けない。
「…ほう…」
跳ね上がるの魔力を肌で感じ取ったのか、興味深そうに阿久津は目を細めた。
そして、何かを取り出し、の足元へ投げつける。
「…ッ!?」
地に投げつけられたモノ――大粒の紅玉から、魔法陣が発生する。
「…魔術封じ…ッ?!
くっ――《解呪》!!」
は僅かに目を瞠り、投げつけられた紅玉に剣を突き立てた。
魔法陣が霧散したことをが確認した瞬間、の眼前に阿久津の姿が迫る。
「頭の出来は良いみてぇだが、ツメが甘いな」
「……ッ」
「ッ!!!」
一瞬で喉元に大振りのナイフを突きつけられたは、思わず硬直する。
微かに、阿久津は嗤った。
「――あせんなよ。今日はほんの挨拶がわりだ」
「……」
「それに――迎えが来たようだしな」
「え…?」
促され、視線を移す。
その先に、見慣れた姿を見付けて、は軽く目を瞠った。
「…河村先輩…?」
あまりに帰りが遅くて、様子を見に来てくれたのだろうが。
そこに立ち尽くしていたのは、軽装の河村だった。
だが、彼が呟いた言葉こそに、達は驚く。
「…亜久津…」
「――久しぶりじゃねーの、河村。《武闘(モンク)院》以来か」
「なんで、おまえがここに…――!? 越前、その怪我は…!」
満身創痍のリョーマを視界に捉え、河村は目を瞠る。
そして、信じられないものを見るかのように阿久津を振り返った。
「まさか阿久津…おまえ…!」
「動くんじゃねーよ、河村」
河村を眼光と言葉だけで制し、阿久津は静かにナイフを引いた。
足の力が抜けて、はその場にへたり込む。
「やめとけよ。院で一度でも俺に勝ったことがあるんか?
あ?」
「……ッ」
言われた言葉に、河村はきつく唇を噛んだ。
握り締めた拳が、微かに震える。
「っ…!」
不意に。
朋香の手を振り切り、リョーマは立ち上がった。
浅い呼吸と、血の気のない蒼白な顔。持ち上げた指先すら、白く見える。
ただ、その瞳だけが強く輝いて――。
「…Answer my mind the spirit in the dark!!」
「!!」
リョーマの鋭い詠唱とともに、阿久津の頬が浅く切り裂かれる。
古代語によって発動した、闇色の刃。微かに、阿久津は目を瞠る。
「…自己紹介…まだだったよね」
滴る血を気にもせず、リョーマは魔術発動の構えのまま、笑みさえ浮かべて見せた。
「――青国青騎士団、団長直属第一部隊所属、越前リョーマ。よろしく」
血を失った蒼白な顔で、なお挑発的に笑むその姿。
一瞬目を瞠ってから、阿久津は嗤い出した。
「最高じゃねーの、このチビ騎士サマは。…山吹まで来りゃ遊んでやるよ」
それだけ言い捨て、阿久津はリョーマに背を向け、の横をすり抜けて行く。
その背を見送った直後、リョーマの体が傾いだ。
「あ…ッ」
慌てて、は立ち上がり、リョーマに駆け寄った。
血の気の失せた、青白い顔。
意識はあるようだが、目を開ける気力すら残っていないようだった。
「リョーマ! リョーマ!!」
「リョーマくん!」
「リョーマ様、しっかりしてーっ」
半泣きで騒ぐ少女3人を落ち着かせるように、それぞれの肩が優しく叩かれた。
「下手に動かさない方が良い。応急処置をして、不二に看て貰おう」
「河村先輩…」
穏やかで優しいその声音に、達は落ち着きを取り戻す。
小さく頷き、河村はに指示を告げた。
「、治療を手伝ってくれ。運ぶのは俺が…」
「は、はいっ」
慌てて頷き、しかし河村の指示に従って慎重に、は包帯や薬を使って応急処置を施す。
気休めに過ぎない処置であることは、自身がよくわかっていた。
だが、自らに治癒術の心得がないことを、今更悔やんでも仕方がない。
自分に出来るだけのことをしよう。そう心に決めて、は処置に没頭する。
――自分の腕が震えているという事実に、気付かない振りをして。
青騎士団宿舎のロビー。
そこに、部隊長クラスのメンバーが集まっていた。
「………」
難しい顔でしばらくリョーマの傷を診ていた不二が、小さく息を吐いた。
そして、傷に右手を軽く当て、静かに呪文を唱える。
「A spirit of wisdom,only a few should divide time...」
静かな詠唱に呼応するように、リョーマの負った傷が癒されていく。
完璧に治りきる前に、不二はリョーマから手を離す。
そして、取り出した包帯や薬でてきぱきと治療を施していった。
「…はい、終わったよ。
まったく…急所はうまく避けてるとは言え、酷い傷じゃない」
「…どもっス」
「誰にやられたの」
「転んだだけっス」
しれっとして返したリョーマの頬を、不二は無言で摘んだ。
…場違いな笑顔で。
「…えーちぜーん?」
「いででででッ?! 転んだんっスよ!」
「嘘付くんじゃないの。痛いでしょ」
「っていうか今は頬の方が痛いっス!!」
涙目で怒鳴るリョーマを見ながら、はふと思う。
(…リョーマ。血が滴るような傷で耐えきって、なんで頬抓られて涙目なの…?)
どうでもいい疑問だが、一度気になるとそれなりに考えてしまう事柄である。
がそんなどうでもいいことを延々と考えていると、河村がやんわりと不二を止めていた。
「ま、まァまァ…不二、怪我人なんだからもう少し優しく…」
「…もう。タカさんは甘いよ?」
「ははは…」
苦笑する河村に毒気を抜かれたのか、不二はスッと手を離した。
やっと解放されたリョーマは、素早く不二から距離を取って、の隣に移動する。
「…お疲れ」
「…助けろよ」
恨めしげに横目で見られ、はササッと視線を逸らした。
そして、わざとらしく笑いながら口を開く。
「良かったね、治って!」
「アリガトウ。…目ェ泳いでるよ」
「こ、細かいこと気にすると大きくなれないよ!」
「…おい…」
の返事に、リョーマの表情がやや引きつる。
だが、もまさか下らないことを考えていたなどと言えるわけもない。
「…ねぇ。なんか失礼なこと考えてない?」
「いや別に失礼なことはッ」
「………失礼じゃないことは考えてたわけ?」
「そ、そ、そんなことないですはいッ」
「挙動不審」
「なにおう!?」
あっさり挑発に引っかかるに、リョーマは小馬鹿にしたように嗤った。
ますます眦を吊り上げるを眺めながら、大石は呆れたように肩をすくめる。
「いつまでやってるんだ、あのふたり」
「しっかし…相当キレた奴っスね、その山吹共和国の亜久津ってヤツ。
そりゃあ姫や侍女がいたとは言え、もいて、越前だって魔術も使えんのに」
「山吹かー…千石んトコだね。あの妙な軍人国」
何か嫌な思い出でもあるのか、そう言って菊丸が溜め息を吐いた。
その言葉を受けるようにして、乾が軽く《眼鏡》を押し上げる。
「山吹共和国は、自由を理想として掲げる国だ。
現国王――いや、軍務総帥,伴田幹也が王政を破棄。共和制を取り込んだ国でもある」
その話は、も聞いたことがある。
王様自ら王政を破棄なんて凄いなぁ、くらいにしか思っていなかったが。
「…とはいえ、「軍人の子は軍人」という昔ながらの制度は、まだ打ち壊せないようだけどね。
共和制を謳いながらも、やはり民衆の軍人人気は高い…ほぼ軍事国家と言って間違いはないだろう」
「…軍人の子は…軍人…?」
「ああ。山吹共和国に生まれ、軍属の親を持つ子供は皆、軍人になるんだよ。
どんなに自由を掲げたとしても…軍人がいなければ、国を護れないからね…」
哀しいことだけど、と。
どこかやるせないような笑みを浮かべる乾に、は頷くしかなかった。
「…難しい問題だな。俺達のように、望んで軍属に入る人間には理解しきれないことだろう」
「団長…はい。そう、ですね…」
哀しい、と。
そう思うのは傲慢だろうか。
自ら望み、軍属に入る人間と。望まなくとも入らざるを得ない人間の差。
戦える者が闘うことの何が悪いのか、と思わなくもない。
だが――あの、亜久津はどう考え、軍に属しているのだろうかと、不意には気になった。
「…なぁ、乾」
「うん? なんだい、河村」
しばらく黙っていた河村が、静かに切り出した。
全員の注目が、集まる。
「…例の〝滅びの前兆〟…山吹共和国に影響がある、って可能性…ないかな」
「河村、…亜久津という軍人が、その支配に置かれていると見ているのか」
「…亜久津は、俺の幼馴染みなんだ。
確かに、昔からお世辞にも素行が良いとは言えなかったけど…あんなことをする奴じゃなくて」
根は、決して悪いヤツじゃないんだよ、と。
俯きがちにそう語る河村は、どこか寂しげだった。
幼馴染みと言った。幼い頃は仲の良い友人だったのかも知れない。
いや、きっと、今でもそう思っている。だからこそ辛いのだろう。
「…山吹か…可能性はあるな…」
「……手塚。俺に行かせてくれないか」
静かに視線を上げ、手塚を正面から見据えながら、河村はそう切り出した。
しばしの沈黙が流れ、やがて、手塚が小さく頷く。
「――良いだろう。では、指揮は大石に任せる。河村、他に必要な人材は」
「そうだね…いや、手塚に任せるよ」
「…そうか。では…」
「あ、僕行きたい」
ぐるりと周囲を見回した手塚に、そう言って不二がいつもの微笑を向けた。
が、対する手塚が返したのは渋面だ。
「おまえは留守番だ、不二」
「えー」
「つい数週間前に国際問題を起こしかけたのを忘れたか?」
「けち」
「おまえな…」
あんまりな不二の態度に、手塚はうっそりと額に手をやった。
それに、手塚が許可しないとわかっていて言ったような節が、ある。不二の場合は。
「あ、大石が行くなら俺も行くー」
「んじゃ、タカさんの副官としちゃあ行かないわけにゃいかねっすね!」
「俺は行けないから…じゃあ、ブレーンとして」
「ええッ!? 乾先輩の代わりなんて務まりませんよぉ!」
「大丈夫。おまえなら出来る」
「なんですかその自信!」
緊張感、皆無。
相手が《魔王》かもしれないというのに、なんという脳天気さだろうか
まるで遠足に行くかのような気の抜けた会話に、手塚は溜め息すら吐けずに頭を抱えた。
「…団長。俺も行くっス」
小さく挙手して、リョーマが低く告げた。
痛々しい包帯の巻かれた腕を、その場にいた全員が注目して目を瞠った。
当然、応えた手塚の表情は厳しい。
「…駄目だ。おまえは怪我人だ」
「行くっス。転んだだけだし」
「越前」
「ひとりじゃ行かせられないし。それに…」
そこで言葉を切ると、リョーマはきつく拳を握り締めた。
――腕に巻かれた真新しい包帯を、睨みつけながら。
そんなリョーマを見て桃城は、思わず、といった様子で吹き出した。
そしてやや乱暴に、リョーマの頭をガシガシと撫でる。
「駄目っすね。こいつ、自分でカタつけてやるって顔してますよ!!」
「…頼むからトラブルはやめてくれ…」
ぐったりとしながら呟いた大石は、頭を抱えて溜め息を吐いた。
「…ってワケで、俺も行きますから」
「し、しかしなぁ…山吹共和国は山岳地帯だ、怪我人に無理をさせるのは…」
大石は一応、そう難色を示してみせるのだが、リョーマの意思は相当に固い。
助けを求めるように手塚を見れば、小さく頷かれた。
曰く、おまえに任せる。
…大石は本気で泣きたくなった。
「怪我人、って言っても…もうほぼ完治してるし、任務に支障はないよ。
…万が一と言うこともある。越前とは、極力一緒に行動させるべきじゃないかな」
不意に、不二がそんなことを口にした。
思わず、とリョーマは顔を見合わせる。
「不二? いったい何を」
不思議そうに問い返した大石に、不二は穏やかに微笑んだ。
そして、軽く首を傾げて、なんでもないことのように、言う。
「効率の問題だよ。まあ、僕が行けないのがすごく残念なんだけど」
「…なんでそんなに行きたがるんですか不二先輩…」
別に行きたくないとは言わないが、いつも強制的に遠征班に加えられているは、呆れたように呟いた。
しかしなにより、笑顔と共に返された不二の言葉に、は驚かされる。
「だって、傍にいなくちゃ君を護ってあげられないじゃない?」
「え…」
「ね?」
「…えっと…え…? え??」
柔らかな微笑で告げられた、なんだか告白めいた言葉に、はあたふたと狼狽える。
からかわれているのか、それとも本気で言っているのか。には判断がつかない。
「……」
不意に、耳まで赤く染めてあたふたしているの腕が、後ろに軽く引かれた。
反射的にが振り返るより先に、ずいっとリョーマが前に出る。
そして、挑むように不二を睨め上げながら言った。
「……俺がいるから、別に不二先輩が居なくても大丈夫っスよ」
「は?」
リョーマらしからぬ言葉に、は思わず目を瞠った。
「には俺がついてるから。不二先輩はおとなしく留守番してて下さい」
…これは不意打ちだ。
軽く混乱して、は頭がぐるぐるしてきた。
(…おかしい。なにか、…取り合われてるような、錯覚が…)
錯覚でもなんでもないのだが、はしきりに首を傾げる。
その横で、不二とリョーマの会話は続いていた。
「へぇ…言うね、越前」
「別に…思ったこと言っただけっス」
目の笑っていない笑顔と、不遜な笑顔。
…周囲の人間の胃にくるような組み合わせだった。
「…なぁ、あれ、ナニ」
「…どう見ても三角関係っすね…」
「ひとりの女を巡って~、ってヤツ? うわー俺初めて見るよー」
「…モテモテだな、」
「呑気なこと言わないで下さい」
遠巻きに見ていた菊丸、桃城、乾の勝手な言いように、は即答で突っ込んだ。
河村は困ったように苦笑しているし、海堂はくだらないと言わんばかりに黙っている。
大石に至っては諦めたような表情で事態を見守っていた。
「…とりあえず、一応の方針は決まったな」
ひとり、場の空気を物ともせずに手塚が告げると、
笑顔で睨み合っていたリョーマと不二がゆっくりと視線を手塚に向ける。
「…団長」
「手塚…」
「「少しは場の空気を読んでくれない?」」
睨み合っていた割に、綺麗にハモる声。
呆れたようにふたりに突っ込まれ、訝しげに手塚は眉根を寄せる。
…
……
………相当、天然かもしれない。
とリョーマは共通の思いに駆られたが、本人に届くわけもない。
手塚は真顔のまま、軽く椅子を引いて席を立った。
「…あとは勝手にやっていろ。本日はこれで解散とする。
…大石、あとは任せるぞ」
「え? あ、ああ。…手塚、どこか具合が?」
思わず零れた、という大石の言葉に、全員が手塚に注目した。
一斉に視線を浴びて、手塚は眉間に皺を寄せながら憮然として言う。
「…なんのことだ」
「いや…思い違いなら、良いんだ」
「…俺は執務室に戻る。何かあったら呼んでくれ」
それだけ告げると、早々に手塚はロビーを出ていった。
何か気を削がれたのか、不二とリョーマの言い合いも止まる。
そんな中でひとり、心配そうに手塚の背を見送っていた大石に、はおずおずと声を掛ける。
「…大石副団長」
「うん? なんだい、」
「団長って、どこか具合悪いんですか??」
「え?」
一瞬、大石は目を瞠った。
そして、狼狽えるような表情を一瞬見せてから、小さく頭を振る。
「いや…そんなことはないよ、そう本人も言ってるし。
ただ、最近忙しいし、手塚は無意識に根を詰め過ぎる奴だからね…」
「そうですね…疲れが溜まってたり、寝不足だったりするかもしれないですね」
「ああ…ちゃんと休んでくれていれば、良いんだけどね…」
そう呟いた大石の表情は、やはり冴えない。
その後に続くように、菊丸も小さく唸る。
「んー…確かに、手塚って普通に無茶するもんなぁ。
激務に加えて、毎日の自己鍛錬も怠らない。要領悪くて不器用だし」
要領が良くて器用な菊丸が言うと、うんうん、と全員が頷いた。
…ちょっと、この光景を見て渋面を作る手塚の顔が浮かんだだった。
じゃあ、お言葉に甘えて体を休ませよう、と話がまとまった時。
不意に、何かを思いついたように不二が言った。
「あ。…越前、越前」
「…なんすか、不二先輩…。
犬呼ぶみたいに人の名前連呼しないでくださいよ」
「えー。おチビは犬じゃなくて猫だと思うなー」
「あはは、それ、英二に言われたらおしまいだね」
「…………あの。用がないなら部屋戻っていいっスか」
「ダメ」
即答だった。
何か理不尽なものを感じつつ、リョーマは渋々聞き返す。
「…で、なんすか?」
「うん。…ねぇ、越前。暇なら手合わせ、付き合わない?」
「は?」
普段通りの微笑で、なんでもないことのように言われた一言。
思わず、リョーマは驚いて目を瞠った。それは周囲の面々も同じ。
しかし不二当人は、そんなことはお構いなしに微笑うのみだ。
「暇だよね?」
「言い切るのはどうなんすか失礼な。…まぁ、構わないっスけど」
そう応えると、リョーマはロビーの隅に纏められている演習用の木刀を取った。
その際に呟いた言葉は、短いが喜悦を含むそれ。
「…今度は兄貴の方ね…」
その言葉が聞こえていたのか、否か。
不二の表情は相変わらずの微笑で、感情は読み取れない。
「不二先輩…」
木刀を握ったリョーマが、不二を振り返る。
浮かべるのは、不遜な微笑。
そして、ピッと木刀の剣先を不二に突きつけ、宣言する。
「――倒しちゃってもいーんすよね?」
+++
青騎士団訓練所。
木刀での試合形式の「手合わせ」は始まった。
ここまでの打ち合い、ほぼ互角と言って良い。
しかし、それが互いの腹の探り合いだということくらい、その場にいる全員が理解している。
「…どうみる?」
ノートを片手に、不意に乾がそう尋ねた。
と、ハラハラと見守る大石、無言で見据える海堂を除く全員が即答する。
「不二」
「不二」
「不二」
「越前」
ひとり、異なる答えを出した桃城に注目が集まった。
視線を一斉に受け、桃城はにやりと笑う。
「本当は俺がやりたい相手っすよ。
どこまであの不二先輩に喰らいつけるのか…」
楽しそうにそう呟くと、桃城は再びリョーマと不二に視線を戻す。
他の面々も同じ思いなのか、桃城に倣った。
そんなやりとりとはお構いなしに、リョーマと不二の打ち合いは激しさを増していく。
スピードとパワーでリョーマが打ち込む。
対し、不二は卓越した技術でその剣先を捌いてリョーマを足止めする。
「さすが、やるじゃん…!!」
「お褒めに与り光栄だよ」
「やーな性格…!」
そう応えながらも、リョーマの表情には喜悦が浮かぶ。
闘いを楽しむ、笑み。
不二を相手にしてなお、余裕すら見せるその表情。
「――でも。攻め、あるのみ!」
「!」
どんな攻撃にも構わず打って出てくる強気の剣筋に、不二もまた笑った。
それは、普段の柔和な微笑とは若干異なる。
――リョーマと同じ、喜悦の含まれた、笑みだ。
「はどうみる?」
「難しいこと聞かないでくださいよ…
不二先輩にしろリョーマにしろ、一度も実力出し切ってないじゃないですか」
「冷静だね」
そう言って笑う乾に、は苦笑返した。
「そりゃあ…今だって、腹の探り合いですし」
から見ても、リョーマ・不二両者の実力は未知数。
底の見えない不二と、無限の変化を見せるリョーマ――現存のデータなぞ、役に立たないに等しい。
「確かにね。どちらが先に仕掛けるか…」
仕掛けるなら、多分、リョーマが先だ。
勘にも等しいそれを、は口にする気はなかった。
ただ、ふたりの打ち合いを見る。高い技術を持つふたりの、まるで演舞のようなその試合を。
「確かに、デタラメなスピードだね…反則的に戻りが早い。
それを可能にしているのは――」
リョーマの、小柄な外見に似合わぬ重い一撃を軽くいなし、不二はリョーマを見据える。
その口元には笑み。その青い瞳に浮かぶのは、何かの期待を孕む色。
(――古代語で操る、桁外れの効力を持つ補助魔術。
そして、持って生まれた驚異的な身体能力――、か)
言葉にしなかったその憶測を、が聞いていたらさぞ慌てたことだろう。
だが、それは音にならなかった言葉。不二だけが胸の内に抱える、後輩への疑念。
――否、疑念と言うよりは、好意的なものかもしれない。
「ちぇっ。今の決め技だったのに。サラッと返すんだもんなぁ」
交差する木刀を外し、リョーマは大きく後ろに飛んで間合いをとる。
言葉とは裏腹に、その表情や声は楽しそうだった。
そして図らずしも、ふたりはまったく同じ言葉を口にする。
「「おもしろい」」
まったく同種の笑みを浮かべ、ふたりは再び間合いを詰めた。
闘志に燃える、二色の瞳。
「『三種の秘技(トリプルカウンター)』、受けてみるかい?」
「『ドライブB』で崩してやる!!」
交わされた宣言。
それを合図にしたように、リョーマのスピードが上がる。
「そろそろ、スピードが上がってきましたね…」
「…ああ。越前の動きが変わった」
「やはり、先に攻めたのは越前か」
手に汗握る、とはこのことかも知れない。
白熱する闘いに、達は見入っていた。
そんなギャラリーの異様な緊張の中、リョーマの動きが変化する。
「…! あの動き…!」
見覚えのある動きに、は小さく声を上げた。
不意に、不二の視界からリョーマの姿が消える。
次の瞬間、リョーマは不二の懐に懐に飛び込んでいた。
ごく短距離の転移――裕太との闘いで見せたものと同じ技だ。
「ドライブB!」
本来なら、あっさり切り伏せられる間合い。
だが、リョーマの剣先は予測不可能な動きを見せる。
「…くっ…なんて急激な変化…ッ!」
木刀をずらし、姿勢を低くすることで不二は辛うじて武器を弾き飛ばされるのを防ぐ。
そして、持ち直した木刀を横薙ぎに振った。
その動きは予測していたのか、リョーマは大きく後ろに飛び、再び地を蹴る。
「おチビはえーっ!!」
人一倍動体視力の良い菊丸が、リョーマの動きを追い切って歓声を上げた。
リョーマの瞬間的な移動速度は、彼自身の脚力だけによるものではないのを、は知っている。
ごく短距離の転移魔術。その軌道すら視える菊丸の《眼》は、やはりとんでもない能力だ。
人が持つには違和感のあるその能力の高さに、は妙な引っかかりを憶えて首を傾げた。
…そう。まるで、魔族クラス――。
「決める…!」
グッと、リョーマは大きく木刀を振り上げた。
絶対の間合い。避けることは不可能。
それはまさしく、一撃必殺の剣閃。
次で決まる、がそう確信した瞬間だった。
「ダメだ、越前。スマッシュは…」
呟かれた言葉に、は振り返る。
視線は不二とリョーマの闘いから外さず、無意識にか呟いたのは、桃城だ。
「桃城先輩?」
「不二先輩のアレは…」
桃城がそれを言葉にする直前。
微かな風の気配に、は目を瞠った。
魔術的な風の気配。しかし、詠唱は疎か魔術発動の気配すら感じない。
そして――響く、剣戟。無機質な木刀の転がる音。
「…スマッシュを、完全に無効化させる」
今、いったい何が起こったのか。
試合をするふたりを呆然と見つめるの目に映るのは、同じように呆然と自信の手を見下ろすリョーマ。
――弾き落とされたのは、リョーマの木刀だった。
「『三種の秘技』のひとつ――『羆落とし』」
逆手に持った木刀を軽く振って、不二は静かに微笑った。
言われた瞬間、ハッとリョーマは目を瞠り、転がる木刀を拾い直した。
――そう。まだ、試合は終わっていない。
「な…なんですか、あの技…」
「不二があの技を出すとはね…それだけ本気って事か」
ノートにメモを取りながら、乾が感心したように呟いた。
説明を求めるの視線に促され、小さく頷く。
「『羆落とし』――不二が独自に編み出した、驚異的な威力を持つカウンター技のひとつだ。
身体の遠心力を使ってパワーをコントロールし、スマッシュの威力を吸収して無効化する…」
遠心力?
いや、それだけじゃない。
明らかな魔術的な風の気配。しかし魔術発動は確認できず。
不二は、少し特殊な魔術の扱い方をする。それは、理屈では考えられないのではないだろうか――。
「そして、至近距離に迫る相手が対応出来ないような後方に、武器を弾き落とす」
割と早く反応出来た越前はさすがだけどね、と。
そう付け足した乾の言葉に、の意識は引き戻される。
「そ、そんな神業…可能なんですか?」
「…だから、不二は天才なんだよ」
少しの沈黙の後、《眼鏡》を軽く押し上げながら、乾が呟く。
つまり、それは――普通の人間では不可能、なのではないだろうか。
原理はほぼ、乾が説明したとおりなのかもしれない。だが――
――あの、魔術的な風の気配を。どう、説明したら良い?
だが、その『天才』も、いつまでも余裕というわけではないようだった。
一瞬。そう、ほんの一瞬――不二の表情から、笑みが消える。
(しかし…あの『ドライブB』、予想以上に凄い。これといった攻略法が見つからない…。
越前の体力が、怪我の治療で消耗していたからなんとか防げたけど…)
じっと、不二はリョーマを見据える。
入団から、数ヶ月。
しかし入団当時の能力など、遥かに凌駕している、驚異的な成長スピード。
一瞬の油断も、もはや許されない――。
「…何見てんっスか」
「別に?」
不二の視線に気付いて、リョーマがやや不機嫌そうに問う。
その問いに答えた不二は、既に普段通りの柔和な微笑を浮かべていた。
「……」
仕切直すように、リョーマは軽く木刀を振る。
それを合図に、試合は再開した。
構わず強気に打って出るリョーマ。
対する不二もまた、軽くかわし、いなし、繰り出される一撃を《羆落とし》で返す。
「ふーん…」
はじき返された木刀を拾い直し、リョーマは不二を見据える。
くるくると手で木刀を回しながら、何かを確認するように。
「…スマッシュを完全無効化できるんだ?」
そう問う声音は、むしろ楽しそうだった。
こんなにも楽しそうに闘うリョーマを、とて見たことはない。
「余計やる気出してるし…」
「あいつがショック受けるタマかよ」
「うんにゃ、むしろ逆。ありゃワクワクして破る気満々って顔だよ」
緊迫した空気を、己の劣勢をも物ともしないリョーマの姿勢に、桃城と菊丸も笑う。
その会話のせいではないだろうが、不二もまた、微笑んだ。
「…いいよ。じゃあ、破ってみる?」
その返事と同時に、再びリョーマは走り出す。
まるで風のように速く、軽く。しかし、打ち込む剣は重く。
繰り返される、激しい攻防。
ふたりの体力は底なしなのだろうかと、の心配事は変な方向に向く。
「そろそろいくよ…!」
そう呟くと、眼前に迫るリョーマの前で、不二は構えを解いた。
一見、無防備に映る姿。しかしその瞳は、口元は、挑発的に笑む。
「あ!? 構えを…解いた!?」
「…不二からの挑戦状、だな」
固唾を呑んで見守る、その視線の中で。
キッと、リョーマの眦が吊り上がる。
「にゃろう…!」
グッと、木刀を握る手に力がこもる。
そして、走りながら器用に木刀の持ち方を変えた。
「あ…あの構え…」
「ん? 越前のスマッシュの構えが変わった…?」
乾の疑問に、はリョーマを見つめたまま答えた。
その間にも、リョーマの一撃は不二に向かって繰り出される。
「不動峰の伊武さんと戦った時の構えです。
回転を加えた剣筋で、少し重い感じの…ええと…」
「ああ、大丈夫。だいたいわかるよ。
…なるほど、なかなか考えたね…だが、不二に通用するかな」
結果は――百聞は一見に如かず、だ。
コトン…と、木刀の落ちる乾いた音が、響いた。
「…うっそ…」
「さすが不二…一筋縄ではいかないね」
目を瞠るの隣で、乾もまた、口調とは裏腹に驚愕を滲ませた表情だ。
それは、他の面々も同様だ。
ただひとり――技を返された、リョーマ自身を除いては。
「……」
浅い呼吸を繰り返しながら、リョーマはぐいっと伝う汗を拭う。
そして、笑みすら浮かべて、不二を睨め付けた。
「――絶対に破ってやる」
リョーマのきつい視線は不二を射抜く。
遊ばれている、ということはリョーマも薄々気付き始めている。
武器を弾かれた瞬間に踏み込まれれば、不二の速度なら確実にリョーマを仕留められるはずだ。
しかしそれをしない、ということは――不二は本気ではない、ということになる。
だが、本気ではないとはいえ、その技術――半端では、無い。
(このひと…強い! というより…うまい)
ならば、本気になった不二の力はどれだけのものなのか。
それは、手塚との試合では感じられなかった感覚――スリル、とでも言えばいいだろうか。
手の内を見せない、天才。その隠された実力を引き出してみたい――そう、リョーマの闘志に火がつく。
「ふぅ…やっぱり、君は油断出来ないや」
対する不二もまた、笑顔こそ崩さないものの、口調の端々に探るような様子が滲む。
それは、不二がリョーマの実力を相当高い位置に認めた、ということに他ならない。
「裕太や海堂…乾までやられる訳だね。一瞬の気の抜きさえ君の前では見せられない。
あっという間に命取りになりそうだよ。でも――、」
そこで言葉を切ると、不二は笑った。
彼らしくない、唇の端を軽く持ち上げて笑う、挑発的な笑みで。
「僕に勝つのは、まだ早いよ?」
その言葉は、余裕の表れか。
対するリョーマの表情が強張る。
きつい眼光で不二を見据え、再び打って出た。
意地でも、《羆落とし》を破るつもりか。
攻め急ぐその様子は常のものとは違い、そのらしくなさには顔をしかめる。
「…リョーマ…」
無謀だ、と。
そう言って止めればいいのか。
いや、そんなことは出来ない。したところで意味がない。
「…あんなに、拘って…無茶な」
呟くとは対照的に、桃城達はそれぞれに頷いた。
「それでこそ、越前だ」と。
繰り返されるスマッシュはすべて《羆落とし》に破られ、リョーマの表情にも疲労が見え始める。
伝う汗を拭う仕草すら、どこか乱暴だ。
「…くそっ…」
苛立たしげに呟くリョーマを、不二がどこか不思議そうに見つめ返した。
その表情変化に、見守るの方が首を傾げた。
「…不二先輩…?」
何故、不二があんな表情をする。
の疑問をよそに、再びリョーマが打って出た。
懲りない、と言えば怒るだろうか。
意地になって繰り出される攻撃を、再び不二は《羆落とし》で返す。
「…やはり、越前でさえ不二には…」
乾がそう呟く、その声を遮るように。
パシッ、と。
木刀が落ちる音とは異なる音が、静寂の中に響いた。
「…今のは偶然か、それとも…」
そう呟いた、不二の視線の先。
そこには、弾き返された木刀を軽々と受け取った、リョーマの姿があった。
「落ちる前に取った!? そんな、あの不二が!!」
「あの技を失敗するなんて…!」
ざわめく一同が見守る中、そのままリョーマは走り出す。
再び構えを解く不二に、リョーマは不遜な笑みを向けた。
「――もう、わざと受けてくれなくていいっスよ!」
その言葉と共に打ち込まれる、スマッシュ。
不二の《羆落とし》がそれを返し、再び弾かれる木刀。
――だが。
まるで吸い寄せられるかのように、それはリョーマの手の中に戻っていた。
「…偶然じゃない…」
リョーマの、先ほどまで見せていた苛立ちや疲労は、今は見受けられない。
今までのその態度が、この一瞬を効果的に見せるための演技だったとしたら?
――《羆落とし》を破る、その一歩手前まで近づいた…そういうことだろうか。
「…とんでもないことするなぁ。凄いね、越前」
「どーも」
誉め言葉とも皮肉ともとれる不二の言葉に、リョーマは不遜に笑って返した。
だが、不二の牙城を崩すまでにはまだ、到達していない。
「…あんなトコ狙うか、フツー…」
「菊丸先輩…?」
「おチビちゃん、《スマッシュ》の軌道を…不二の木刀の、剣先に当てて強引にズラしてんだぜ!」
「あ…あの一瞬で?!」
菊丸の動体視力もさることながら、あの一瞬の中でそれほどの芸当を見せるリョーマも凄い。
不二のそれに並び、リョーマの技もまた、神業だった。
普通、狙って出来るものでもない。更に、疲労や焦りを演じてタイミングを計っていたとは。
あまりにも高度な試合展開に、全員が息を飲む。
漂う緊迫感。中心人物二人は、笑みさえ浮かべて睨み合う。
――しかし、その瞬間だった。
「あ…雨…」
頬に当たる冷たい飛沫に、は空を見上げた。
訓練所は室内にもあるが、今、試合を行っているのは屋外。
徐々に強さを増していく雨に、乾が残念そうに息を吐いた。
「やれやれ…文字通り、水を差されたね」
「やっべ。本格的に濡れる前に宿舎に戻ろうぜ!」
「そうだな。風邪でも引いたら洒落にならねぇ…」
黙って観戦していた海堂が、背を預けていた壁から身を離す。
その言葉を受けて、大石が小さく頷いた。
「山吹への遠征が控えているからな…それに、」
「あー…コレ、手塚にバレたら走らされるよなー…『全員、訓練所回り50周!』って」
「英二、似てないなそれ」
「え、自信あったのに!」
菊丸が心外そうに返せば、ドッと笑いが起こる。
風邪でも引いたら一大事、と皆が宿舎に戻ろうとした瞬間、高い剣戟の音が響き渡った。
ハッと、全員が背後を振り返る。
「…って。あ、あのふたりまだ…ッ」
振り返った視線の先では、雨を物ともせずに打ち合う、不二とリョーマの姿。
その勢いは止まるどころか、激しさを増す一方だった。
「この雨の中、何考えてるの!?」
悲鳴に近い声を上げるとは対照的に、他の面々はただ、ふたりを見守るように立ち尽くす。
「決着をつけるつもりだ…」
「ちょっ、…菊丸先輩! 止めて下さいよッ」
ほとんど無意識に呟いた菊丸に、は食ってかかった。
だが、共に闘いに身を置く者――この試合を、止める者は、居ない。
「まさか逃げないよね?」
「この程度の雨ならまだ出来るよ」
雨に濡れながら、交わす言葉は短く。
だがその表情には、確かな喜悦を含む笑み。
そして、リョーマが口を開く。
木刀を握る手とは逆の手――右手の爪が、鈍く輝く。
「――Answer my mind 、」
リョーマが古代語で唱え掛けた、瞬間。
「~~~…ッ………いい加減にしなさーーーいッ!!!」
雨音を消し飛ばす勢いの裂帛の声が、響いた。
「!!」
「う…」
そのあまりの勢いに驚いたのか。
不二は思わず振り返り、リョーマは木刀を振り上げた体制で硬直した。
そんなふたりのもとへ、は少し乱暴な足取りで歩み寄る。
「ふたりとも、何か勘違いしてない!?
単なる手合わせ、しかも同じ騎士団所属! やろうと思えばいつだってやれる試合でしょ!」
相手がリョーマは疎か不二だろうがお構いなしに、は怒鳴りつける。
怒鳴られている本人達のみならず、他の面々も思わず押し黙った。
「雨を押して続行して、挙げ句滑って転んで怪我でもしてみなさい!
任務に支障は来す、仲間に迷惑はかける、団長に長々説教されるで百害遭って一理無しッ!!」
…
……
………最後のひとつは如何なものか。
手塚が聞いていたら地味に傷つきそうなの啖呵に、思わず、リョーマと不二は顔を見合わせた。
「……」
「……」
流れる、しばしの沈黙。
そして、少し困ったように不二が普段の微笑を浮かべる。
「残念だけど…この勝負、おあずけだね」
「…ズルいっスよ。自分が優勢だったからって、これからなのに…」
そう不満そうに顔をしかめたリョーマの頬を、が摘んだ。
キッと、眦を吊り上げながら。
「うっさいッ! つべこべ言わないでとっとと宿舎に入れッ!!」
「いででッ!?」
じゃれるふたりを眺めながら、不二は穏やかに微笑った。
闘いの最中で見るふたりは、強い視線で真っ直ぐに相手を射抜き、時に余裕の笑みすら見せる。
だが、こうやってじゃれ合っている姿は無邪気で、年相応に幼い。
「~~~ッ! 痛いつってるだろこの馬鹿力ッ!!」
「なにその態度! 痛くしないと反省しないでしょ!?」
「だったら不二先輩の顔も引っ張れば!?」
「子供みたいに人のせいにしない!!」
「わけわかんないし!」
だんだんと口論の方向がズレていっているが、本人達に気付いた様子はない。
そして、恐らく気付いているであろう不二も、微笑むだけで止める気はゼロだった。
「…女版手塚がいる…理不尽なとこがソックリ」
「…いや、どっちかっていうと、陛下の子供版…」
そうこそこそと言い合う他の面々の方にも、はキッと視線を向ける。
どうやら、聞こえていたらしい。
「先輩達も! ぼけっとズブ濡れになってないで、撤収!!」
『はい…』
の怒鳴り声に追い立てられ、次々と宿舎へ戻っていく、ズブ濡れの部隊長達。
その背を見送り、ただひとり残った不二は、呟く。
「…どんなに突き放しても、あっという間に追いついてくる…」
木刀を握る自身の手を見下ろし、その手が微かに震えていることに、不二は嗤った。
それは、恐怖でも疲労でもない。武者震いとでも言うのだろうか。
こんな感覚を味わうのは、不二が『天才』と呼ばれ始めてから、久しく無かったことだ。
「――こんなスリル感、滅多に味わえないよ」
笑みすら浮かべて呟かれたその言葉は、激しさを増していく雨音に掻き消される。
ただひとり…不二本人以外には、届かない――声。
+++
「…で。なんであんな試合になったんでしたっけ?」
すっかり濡れ鼠になった面々がロビーに落ち着いた頃。
河村からタオルを受け取りながら、が尋ねると、傍にいた菊丸が首を傾げた。
「…不二がおチビに喧嘩売った??」
「え。喧嘩腰だったのは越前だけじゃないっすか??」
菊丸の疑問に桃城が応えれば、その言い様にリョーマは顔をしかめる。
「喧嘩で片づけて欲しくないんすけど…」
「…他に、なんだと?」
ぼそりと、そう低く呟いたのはだ。
そのあまりに低い呟きと、なにより完全に据わった目とに、リョーマだけでなく菊丸と桃城もたじろいだ。
「……、目が怖いんだけど……」
「そう。良かったね」
にべもない。
明らかに、怒っている。
リョーマ自身にも、そして不二にも、悪いことをしたという認識がないので、どうなだめて良いのかわからない。
そもそも、何故怒られているのかもわからないふたりである。
「……」
「……」
思わず、ふたりは顔を見合わせた。
喧嘩まがいの試合をしようとも、別段仲が悪いわけではないふたりの様子に、
は何か納得がいかない、という表情を見せる。
ますます反応に困るリョーマと不二を見て、乾が口を挟んだ。
「ああ、そうだ。?」
「はい?」
「この報告書、手塚に渡しそびれたんだ。…悪いが、届けてくれないか?」
「え。…あ、はい。わかりました」
なんの脈略もなく言われた指示に、は一瞬、きょとんと目を瞬かせる。
だが、実際に差し出された報告書を受け取らないわけにはいかない。
「すまないね。頼んだよ」
素直に受け取ったに、そう言って乾は苦笑した。
不思議そうな顔でロビーを出ていくを見送り、乾はリョーマと不二を振り返る。
「…と、気を遣ってあげたんだから感謝してくれ、越前。それと不二」
「「う…」」
言葉に詰まるふたりに、乾は呆れたように息を吐いた。
そのあからさまな反応に、リョーマと不二は嫌そうに顔をしかめる。
「やれやれ…不二も妙な行動に出るね、相変わらず」
「…乾にだけは言われたくないな…」
「…同感っス…」
ふたり揃って、失礼な物言いである。
…気持ちはわからないでもないが。
「越前はもとより、不二もが絡むと余裕がなくなるようだね」
「…つまり、おチビも不二もにラブって話?」
「いや、英二…それは何か違うんじゃあ…」
どこかピントのズレたような、鋭いような菊丸の指摘に、大石が苦笑する。
が、リョーマが思った以上の反応を返した。
「な! 誰がなんか…ッ」
「うん、そうだよ」
「!」
さらりと言った不二に、リョーマはバッと振り返った。
そのあからさまな反応に、不二は普段とは違う種類の笑みを浮かべる。
…からかうような、ほんの少しの悪意を含んだ笑みを。
「もっと素直になった方がこの先良いんじゃないかなぁ、えちぜーん?」
「ぐっ…む、むっかつく…ッ!!」
思わず拳を握り締めるリョーマに、不二は肩を震わせて笑う。
そんなに可笑しいか、と憮然とした表情で睨み付けるリョーマの頭を、菊丸が乱暴に撫でた。
「おチビ、不二を相手に口で勝とうなんてしてると、おっきくなれないにゃ」
「どういう理屈っスか、それ…」
「…つまり、おっきくなる前に…」
「英二。妙なこと吹き込まないの。本気にしちゃったらどうするの?」
本気にするほど現実味のある話なのか。
居合わせた全員がそう想ったが、口に出来る勇気がある者など居はしない。
「はいはい、この話はおしまい。
みんな濡れ鼠だし、今日はお風呂にでもゆっくり浸かって、あったかくして休もう」
「…あー…うん、そだね…」
疲れたように菊丸が頷くのを合図にしたように、ぞろぞろとロビーを後にする一同。
リョーマもそのままロビーを出ようとしたのだが、すれ違いざま、不二に軽く腕を掴まれる。
「越前」
「不二先輩…?」
「――僕は多分、君が隠してることを知ってるよ」
「!!」
言われた言葉の意味に気付き、リョーマはハッと顔を強張らせた。
失われた秘術《言霊》を操る不二が、ただの人間ではないこと――、
とりわけ、その魂が魔族寄りであることは、リョーマも先のルドルフへの遠征で確信した。
つまりそれは、リョーマの正体――魔王族であることを看破される危険性を、孕んでいる。
「今日のことで確信が持てた。
が怒ってた分気付かれなかったから、僕にとっては都合が良かったかな」
「なん…」
自身の正体がバレたとて、リョーマ自身は構わない。
確かに、この青騎士団という「場」は嫌いではないし、失わなくて済むならもちろんその方が良い。
ただそれ以上に、の立場が危うくなる――それだけが、気がかりで…。
「……」
そんな風に思っている自分に気付き、リョーマは愕然とした。
《マスター》と《従者(スクワイヤ)》は運命共同体だからか?
いや、それも違う気がする。
自分でも判別の付かないその感情に、リョーマは思わず考え込んだ。
そんなリョーマの様子をどう受け取ったのか、不二が小さく苦笑する。
その笑みは、普段通りの柔和なもので――そこに悪意も計算も見受けることは出来ない。
「じゃ、ちゃんと髪乾かして寝るんだよ?」
「え? ちょっ…」
軽くリョーマの頭を小突くと、そのまま不二はロビーを出て行った。
その後ろ姿を呆然と見送りながら、リョーマは呟く。
「…《言霊》と言い…あの妙な魔術形態と言い…
不二先輩、あんたいったい…何者なわけ…?」
「おーい、越前どうした? 狐につままれたような顔して」
「…桃先輩」
後ろからトンッと肩を叩かれ、リョーマは弾かれたように振り返った。
不思議そうに見下ろしてくる桃城に、リョーマはほとんど無意識に返す。
「…青国って、面白いっスね」
「あん?」
更に首を傾げる桃城に、リョーマはどこか釈然としない表情で答えた。
その後に口にした言葉が指し示す、ふたりの青年の姿を脳裏に浮かべながら。
「同じ騎士団に、ふたりもバケモノがいるなんて」
「…バケモノ、ねぇ…」
リョーマの他人事のような言葉に、桃城は呆れたように息を吐いた。
そして、にやりと口元を歪めて、笑う。
「…3人の間違いじゃねーの?」
笑いながら言われた言葉に、リョーマはきょとんと目を瞠った。
知らぬは本人ばかり也――とは、良く出来た言葉である。
+++
一方その頃。
激しく降り続ける雨音を壁越しに聞きながら、は報告書を抱えて廊下を歩いていた。
「んもー…乾先輩って何気に人使い荒いよねー…」
体よく遠ざけられたことには気付かず、そんな文句が漏れる。
「…ところで…わたし、王城内を歩き回ってて良いんだろーか…」
の言う通り、彼女が歩く廊下は途中から王城に繋がっている。
青騎士団を始め、ある一定の地位を持つ軍人は、王城の敷地内に建てられた宿舎で生活するのが原則である。
外出は自由だが、やリョーマ、他副隊長クラスでは、城下に出る場合と王城に入る場合、団長もしくは副団長の許可が要る。
で、団長執務室と彼の私室は当然違う。騎士団長の執務室となれば、王城内に与えられているのも当然だった。
「許可…もらったことになるのかな…」
緊急時なら許されるだろうが、今回の場合はどうなのだろう。
そんな疑問を抱えつつ、目指す騎士団長執務室の前に辿り着いたは足を止めた。
少し躊躇ってから、しかし意を決してドアを叩く。
「団長、です! 報告書をお預かりしてきました!」
ここで「入れ」と返されると思っていただったが、いくら待っても返事は反って来なかった。
「…団長?」
まさかいないのだろうか、と不安になって控えめに声を掛けるが、やはり返事はない。
試しにドアノブに手を掛ける。あっさりと開いた、…と言うことは、中にはいるばずだ。
「あの、団長? 開けますよ??」
一応尋ねるが、やはり応えはない。
「失礼しまーす…――――ッ!?」
恐る恐る、はドアを開けた。
部屋の明かりは着いている。
ならどこに――、
「…え…?」
視線を巡らせた瞬間、の目に飛込んで来たのは、床に蹲る手塚の姿だった。
左腕を押さえ、痛みに耐えるように固く引き結ばれた唇。額には汗。
尋常ではないその様子に、は手塚に駆け寄った。
「団長!? 手塚団長ッ!?」
「…ぐ…、か…」
「団長!!!」
「…騒ぐな…」
手で軽く制され、は口をつぐんだ。
小さく息を吐くと、手塚は案外しっかりした様子で言う。
「…大丈夫だ。だいぶ、治まった」
「…団長…」
「すまない、心配をかけたな」
そう告げた時には、手塚は普段通りだった。
決して表に出さない、その姿に、は逆に顔をしかめる。
「…いまのは…やっぱり、体の具合が?」
「いや、病と言うわけではない。…気にする必要はない」
「でも…!」
「」
幾分強い口調で呼ばれ、反射的には言葉を飲み込む。
「今見たことは、他言無用だ。良いな」
「団長!」
「…復唱!」
鋭い一喝に、は唇を噛んだ。
だがそれでも俯くことなく、口を開く。
「…はい…今見たことは、誰にも言いません…」
「ああ、頼む。
…もう夜も遅い。報告書は後で目を通す…おまえは部屋に戻って休め」
「…はい…」
小さく頷き、一礼してから、はドアに手を掛ける。
だが、ふと思い出したように足を止め、振り返った。
「…あの、団長」
「なんだ?」
「…差し出がましいことを、言いますけど…」
躊躇いがちに、しかし強く手塚を見つめ、は口を開く。
「…ほんの少し、ですけど。団長の左腕…、
団長自身と、魔力の波長が合っていないように感じます」
「――ッ!」
手塚が、僅かではあるが目を瞠った。
その反応に、言うまでもなく彼はそれを認識しているのだ――と、は理解する。
「…おやすみ、なさい」
躊躇いがちにそれだけ告げると、は手塚を気にしつつ、部屋を出た。
後ろ手に戸を閉め切る、瞬間。
小さく。本当に小さく――呟かれた、手塚の独り言。
「…限界に近づいている、ようだな…」
何が、とか。
どういうこと、とか。
そんな疑問を抱くより、先に。
あまりに彼らしくない、どこか諦めを含むその声音に、はただ――、
――ただ、胸が、痛かった。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。