暗闇の中に、響く足音。
淡く輝く魔玉が、先を照らす。
何もない空間。先の見えない道。
その中で、不二は足を止めた。
「…越前との気配が消えた…か。
無事に逃げたか、それとも…」
そこまで考えて、不二は笑う。
自らの考えがはずれだと、確信しているかのように。
「有り得ないね。あのふたりなら」
。稀なる召喚士にして、とんでもない魔力的嗅覚の持ち主。
越前リョーマ。鋭い剣技と類稀な魔力、過敏な感覚の持ち主。
幼いとはいえ、あのふたりを上回る者と言うなら…
まさしく、それはどの国でも軍の上層部に在籍する実力者くらいだろう。
心配はない。あるとするなら…
「が、お人好し過ぎるところかな…
越前が一緒なら大丈夫だとは思うけど」
だから、と。
そう呟いてから、不二はスッと顔を上げた。
そして、緩やかに右手を前にかざし、場違いな微笑みを浮かべる。
「だから、あんまり心配はしてないんだよ。――裕太」
ブン…ッ、と、鈍く響く、空気のぶれる音。
そして不二の前に現れるのは、強固な硝子の壁と――その向こう側に立つ、ひとりの青年。
「元気そうだね。聖ルドルフでの生活には、もう慣れた?」
「…兄貴」
声は届く。
しかし、そこには確かな隔たりがあった。
強固な魔術方式を編んだ、硝子の壁も――そして、心にも。
「最近は手紙も来なくなって、母さんや姉さんも寂しがってた。
僕も、今日は久しぶりに会えると楽しみにしてたのに…」
「…うそつけ。…白々しい! 卑怯者め、観月さんから聞いた!」
押し殺したような声。
握りしめた拳が、震えている。
「…そうまでして…「天才」でいたいのかよ…
魔族に魂を売ってまで…あんなガキ騙してまで…!」
「…裕太…?」
「――そっちがその気ならいーぜ。
あの手塚さんが目を掛けるという騎士…相手にとって不足はない」
その眼差しにあるのは、確かな怒りだった。
しかし、不二は何も応えない。
「俺は全身全霊を賭けてそいつを倒す! そして、兄貴も例外じゃない!!」
そう言い放ち、言うべきことは言ったとばかりに、裕太は不二に背を向けた。
その背に、不二はただ、静かに声をかける。
「僕は別として…そう簡単にいくルーキーじゃないよ、裕太」
その言葉に、裕太は一瞬、振り返る。
「やってみないと、わかんねーよ…」
そう言い残し、今度こそ、裕太の気配は空間から消えた。
短く瞠目し、そして、不二はスッと瞳を開く。
「――観月…か」
堅く呟いた声が、闇色の空間に溶けて、――消えた。
「……頭痛い」
目が覚めて開口一番、は侮然とそう呟いた。
恐らくは、強制転移魔術の影響だろう。ガンガンと響く痛みに、苛々する。
「………ひとの膝の上に頭乗せながら言う台詞? それ」
呆れたような響きを含んで降って来た声に、はゆるりと顔を上げた。
目の前にある、端正な顔。
…軽く驚いた。
「…お…おはよう?」
「おはよ。呑気だね」
気が動転して妙な返事を返したに、リョーマは呆れを隠そうともせず返す。
「…………」
「なに。まだ寝てんの?」
「…何がどうしてどうなってリョーマの膝を枕にしてわたしが寝てるわけ…?」
「…疑問はそこ? …ってなんかズレてるよね…」
溜め息を吐き、リョーマは軽く額に手をやった。
呆れている割には、に膝を貸したままでいてくれるのは優しさだろうか。
「…強制的に転移させられたのは、わかるよね?」
「うん」
「転移魔術の腕なら俺の方が上だよ。だけ引っ掴んで転移し直した」
また滅茶苦茶なことをさらりと言う。
「強制の上に強制を重ねたから、相当負担掛ってるかと思ったけど…、
その調子だと大したことなさそうだね」
「…頭、痛い」
恨みがましく言うに、リョーマは軽く口の端を持ち上げて笑った。
「その程度で済んだんだから安いもんでしょ?」
「…いーけどさー…」
まあ、確かに。分断されるよりはましではあるが。
「…もっと優しさ持ちなよ」
「充分優しくしてるけど?」
「ソウデスカ」
つまりこれ以上は無駄ってことか。理不尽だなぁ。
そんなことを考えながら、はなんとか身を起こした。
頭痛以外には、体に異常はない。
「…なに、もう平気なの?」
「うん。頭痛いけど動けるよ」
「そう。…」
頷いてから、ふとリョーマは考え込む。
そして、不意にの頭を軽く撫でた。
「…無理しないでよ。は人間なんだから」
「…え」
予想外の行動に、は思わず目を瞠った。
そんなの反応に、リョーマはムッと顔をしかめる。
「…なに、その反応…」
「あ。いや、ごめん、びっくりした」
「……別に、いいけど」
そうは言いつつも、リョーマは不機嫌そうに目を眇めた。
…それが照れ隠しに見えるのは、の気のせいではないだろう。
「で、これからどうしよう? また先輩達と分断されたし」
「まあ、放っておいても死ぬようなヤワじゃないでしょ、先輩達は。…それに、あの観月ってひと…」
「…うん。なんかおかしかった」
がそう返すと、リョーマは小さく頷いた。
「肉体も魂も間違いなく人間なのに、転移・縛呪の空間魔術を使ってた。…杏さんと同じだね」
「…縛呪? 拘束術じゃなく?」
「巧妙に隠してたけど、方式が弄られてた。
立派に空間魔術だよ、もとの魔術を加工しててもね」
なるほど、とは頷く。
どのような魔術であれ、根底は同じ。
魔術を構成する方式を少し変えるだけで、他の魔術へと変質する。
だが、空間魔術は失われた秘術だ。
古代語を正確に理解し把握している者でなければ、魔術は正しく発動しない。
「…《滅びの前兆》って…もしかして、」
「…《魔王》」
リョーマの言葉に、は息を飲んだ。
《魔王》――《異界の稀人》。時折この世界に現れる、魔族の王。
それが本当に魔族の王なのかどうか、人々は知らない。
ただ、一般的な魔族を遥かに凌駕する力を持つその存在を、人々は《魔王》と呼び、恐れた。
《魔王》とて様々なケースがある。
自らの意思で異界より現れた者。
迷い込んでしまい帰れなくなった者。
そして――召喚士によって、召喚された者。
だからこそ召喚士は全てが院に属し、その魔技の全てを監視・管理されている。
…魔族を呼び出してしまった者を、いち早く処分する為だ。
魔族を倒すよりは、召喚者を殺す方が容易い…それが理由である。
「《魔王》…《魔王》ね…喚び出されたものかな…どう思う??」
「さあ…ただ、随分やり方が遠回りだよね。
まるで、自分は動けないから代わりに動かせる駒を作っているような…」
そこで言葉を切ると、とリョーマは顔を見合わせた。
「…もしかして…封じられた、《魔王》?」
「俺もそれ、考えてた。
過去に顕現し、封じられた《魔王》が、復活する…そんなところが妥当かな?」
「…割と世界存亡レベルの危機だと思うんだけど…他に言い方ないわけ…?」
「って言っても。俺だって魔王族だし」
「あ」
言われて、は小さく手を打った。
忘れ気味だが、リョーマは魔族の王子様だ。
「……おまえさ。なんで自分が青騎士団に居るか覚えてる?」
「お、覚えてる! 覚えてるよ王子様っ?」
「…忘れてたね…。が言うと気持ち悪いから、王子とか呼ばないでくれない?」
「き、気持ち悪いってなにさ!?」
暗に、素直に名前で呼べと言えない照れ隠しなのだが、が気付くはずもない。
「そんなことはどうでも良いか。じゃあ、そろそろ行」
不意に言葉を切ると、リョーマは勢い良く振り返った。
そして、警戒するように周囲を見る。
「リョーマ…?」
「――出てきたら? こっちは別に逃げも隠れもしないけど」
リョーマの言葉に、は弾かれたように身構えた。
気配を断って近付いてくる者など、少なくとも味方ではない。
「気付いたか――魔族」
「…ッ!」
現れた青年の言葉に、は大きく目を瞠る。
(気付かれた!? いつ!? 先輩達にだって気付かれていないのに…!)
不意に、焦るの肩を、リョーマが強く掴んだ。
「リョー…マ…?」
「落ち着いて。どうせあっちにだって確信なんかない。カマかけてるだけだ」
小声でそう言うと、リョーマはを庇うように前に立った。ちょうど青年と対峙する形になる。
「…随分と一方的なご挨拶だね。あんた誰?」
「…聖ルドルフ神聖国教皇,赤澤吉郎直属部隊所属、神官戦士,不二裕太」
「!」
名乗りを上げた青年――裕太の名に、は息を飲む。
「…リョーマ…あのひと、不二先輩の…」
「弟…ね。良かった、あの化け物レベルに比べれば全然」
「…リョーマ、それ、多分かなり失礼」
言いたいことはわかるが、どうも不二の強さは血筋とか無関係な気がする。
リョーマとてそれはわかっているだろうに、つくづく性格が悪い。
「ご丁寧にどうも。
なんかこっちのことは知ってるみたいだけど、一応自己紹介しとこうか?」
一見丸腰、完全無防備な姿のまま、リョーマは裕太の前に進み出た。
いぶかしげに見やる裕太に、リョーマが返すのは笑み。
「青国青騎士団、団長直属第一部隊所属,越前リョーマ。…ねぇ、」
無防備に歩み寄りながら、喋るリョーマは笑みを絶やさない。
…もっとも、笑みの種類は、黒いと言うかなんと言うか。
「あんた、不二先輩の弟なんだって?」
「!!」
「どっちの方が強いのかな。あー楽しみ楽しみ」
「~~~ッ!!」
明らかな挑発である。
裕太の拳がぷるぷると小刻みに震えた。
「…リョーマ…」
思わず、は頭痛を抑えるようにうっそりと額に手をやった。
わざとだ。絶対わざとだ。
怒らせてどうするつもりなんだ。
…実際、頭痛がしてきた。
「じゃあ、。下がってて」
「リョ、リョーマ!?」
「俺ひとりで充分だよ」
それだけ言うと、リョーマはバッと利腕を前に突き出した。
そして、にやりと嗤う。
「…Come on,my servant!!」
淡い光共に顕現する、一振りの抜き身の剣。
小柄な手に握られる、確かな存在感。
「――抜いたな。容赦はしないぞ、魔族!」
「…お手柔らかに、神官戦士さん?」
互いの刃身に、互いの姿が映り込む。
瞬時に立ち昇る闘気に、は思わず身震いした。
+++
「術式・一の式! 我が指に灯れ、《炎(かぎろい)》!」
五指の先に灯る炎を、菊丸は対峙する相手に投げつけた。
そして、それが相手に届く前に次の術式に掛る。
「術式・三の式! 我が意に応えよ、《風刃》!」
一瞬のうちに編まれる術式。そして、身軽かつ俊足のステップ。
加えて、《千里眼》にも等しい《魔眼》。
菊丸の動きは予想外ばかりで、その動きは相手を翻弄する。
しかし、対峙する相手――赤澤吉郎は、それを剣の一閃で断ち切る。
「…なるほど。《アズマ》の強豪に名を連ねるだけはあるな、菊丸英二!」
「こっちはまさか教皇自ら出張って来るなんて思わなかったよッ!
術式・一の式、改! 我が腕に灯れ、《炎(かぎろい)》!」
先程より勢いを増した炎が、菊丸の両腕に灯る。
「術式・七の式! 疾風の如く駆けろ、《加速》!!
もう一個! 術式・八の式! その一撃は岩の如く成れ、《重化》!!!」
ふたつの補助の術式を編み込まれ、腕に灯る炎が荒れ狂う。
その腕を、菊丸は勢い良く振り下ろした。
「せーのっ…《菊丸ビーム》!!」
「ッ!!」
今までと比べ物にならない程の力に、赤澤は身構える。
突き刺すような、鋭い炎。
辛うじて避けたものの、余波が浅く肌を裂く。
「《魔術士(メイガス)》か…さすがは青国。騎士の層が厚い」
「…なんか誉められてる気がしないなー…」
「誉めてるぞ? 強豪の冠名も頷ける。だが、」
そこで言葉を切ると、赤澤は小さく剣を鳴らした。
浮かぶ笑みに滲むのは余裕。
それを見て、菊丸はムッと顔をしかめた。
「青国が強豪と呼ばれるのも今日までだ!
我が聖ルドルフがその歴史を打ち砕く!!」
「やれるものならねッ」
即答で返すと、菊丸は再び詠唱に入った。
短縮型の詠唱は、菊丸だからこそ正確に発動できる。
その《魔眼》の補助がある限りは。
「術式・九の式! その刃はすべてを砕く、《砕刃》!!」
「甘いな!」
大きく振られた剣が、再び魔術を断ち切る。
その剣を、菊丸は《魔眼》を用いて観察した。
「…《祝福剣》…?」
「ほう…わかるのか」
菊丸の呟いた言葉に、赤澤は満足そうに頷いた。
《祝福剣》――読んで字の如く、と言おうか。
神の祝福を受けた剣で、その刃は魔術をも切り裂くとされる。
俗に、《魔術を殺す剣》と呼ばれるものだ。
「《魔眼》持ちというのは本当らしいな…さすが観月、情報に穴がない」
「…随分こっちのこと調べてるみたいじゃんか」
「当然だろう? …俺にはこの聖ルドルフを護る義務がある」
そう言い切る赤澤の目には、なんの思惑も野望も感じられない。
敬虔な使徒――乾の言葉に間違いはなかった。ならば。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 俺達は聖ルドルフに攻め入る気なんかないよ!」
「ならば何故、青国の尖鋭と言われる貴様らがこの国を非公式で訪れた!」
ビッ…と剣先を突きつけられ、菊丸はハッと息を飲んだ。
非公式で訪れたことが裏目に出た。否――策にまんまとはめられたのだ。
「待ってってば! ひとの話は聞いてよ!」
「黙れ! 話すことなどない!」
そう怒鳴り、赤澤は再び剣を構える。
その隙のない――揺れることのないその構えに、菊丸は小さく舌打ちした。
「…この…ッ…術式・六の式! 来たれ天空の裁きよ…《雷光》!」
「無駄だ!」
その瞬間、赤澤の剣先が妙な動きをした。
その剣先を凝視していた菊丸は、視界の揺らぎを感じて顔をしかめる。
「うッ…く…!?」
「やはりその《魔眼》…貴様の生命線か。相手が俺でなければ負けなかっただろうな。
運がない…いや、観月のシナリオ通りというところか」
「…な、…に…を」
呻くように問い、菊丸は目を開けた。
否、――開けた、つもりだった。
「…え?」
視えない。
視界は闇に塞がれ、光がない。
触感は残っている。だが、視覚だけが。
「我が剣先は《魔眼殺し》と呼ばれている――視る力を逆手にとった技だ。
せいぜい数時間麻痺させる程度だが…充分だろう」
言われた瞬間、菊丸は自らの敗北を悟った。
赤澤の剣技は確かなものだ。如何に素早く身のこなしが軽い菊丸とは言え、目を殺されては勝ち目はない。
「…俺…負けたの、か…」
「そうだ。如何に優秀な使い手とは言え、目を殺された貴様に勝ち目はない」
スッと、赤澤は剣を振り上げた。
その気配を感じ、菊丸は唇を噛む。
「おまえが敵で残念だ…これも神の御意思か」
「く…ッ」
死を覚悟した、その瞬間だった。
「――英二ッ!!」
戦友の声に、菊丸はハッと目を瞠る。
そして、見えない視線を声の方向へ向けた。
「…不…二…?」
「英二、しっかりしてッ」
「…ごめ…俺、…負けちゃった…」
駆け寄って来た不二に、そう呟き、菊丸は意識を失った。
気力切れ、だろう。
魔術の連発に加え、赤澤の技によって視覚を奪われた菊丸には、この場を乗り切る力は残っていなかった。
「ほう…《人界の魔王》不二周助か…!」
「…《魔眼殺し》赤澤吉郎教皇…だね。まさか教皇自ら現れるなんて…」
気を失った菊丸をその場に静かに降ろし、不二は小さく息を吐く。
「――どうやらあの参謀は、僕を敵に回したいみたいだね…」
ゆらり、と不二は立ち上がった。
スッと開かれた青の双瞳には、剣呑な光が浮かぶ。
「手塚の手前、国際問題は起こさないようにしようと思ってたけど――いいよ、受けて立とう」
そう静かに告げて、不二は剣を抜いた。
瞬時に立ち上った静かな闘気に、赤澤は嗤う。
「どうやら…天才の技が見られそうだな…」
「悪いけど、そちらがその気なら容赦しないから」
スッと、不二は剣を正眼に構える。
普段の温厚な様はない。そこにはただ、鋭い瞳の騎士が居た。
忠告か、それとも詠唱を発する為か。不二が口を開き掛けた、瞬間だった。
「させませんッ!!」
「っ!? 金田?!」
突如、転移の魔術で現れた青年。
金田、と呼ばれたその神官戦士は、不二から赤澤を護るように前に立つ。
「教皇、お迎えに上がりました! さあ、今のうちに!」
「勝負を挑まれて、逃げろというのか!?」
「馬鹿なことを言わないで下さい! あなたは教皇なんですよ?!」
「く…っ」
言われ、赤澤はぐっと言葉を飲み込んだ。
戦士としての赤澤は、勝負を捨てることなどしたくはない。
しかし、彼は教皇だ。この国を背負い、護る義務を持つ者。
「――不二! 勝負は…預けるぞ!!」
苦々しげにそう言って、赤澤は金田とともに消えた。
転移魔術。…恐らくは、あらかじめ観月が仕掛けていたものなのだろう。
「…あとは裕太と…――観月、か」
スッと目を眇め、不二は低くそう呟いた。
+++
「…。乾先輩から何か聞いてる?」
振り返りもせずに言われ、は一瞬、首を傾げた。
次にそれが相手の「情報」を聞いているとわかり、ぽんっと手を打つ。
「不二裕太さん。不二先輩の弟さんだけど、魔術特化型ではないみたい。
徹底的に左利きの戦士相手の訓練を積んだ、通称《左殺し》…」
「ふぅん。対団長用、ってのはそういうワケね」
「通常より早く、相手を捉えて振るう神速の剣技、《ライジングショット》が特技よ。
乾先輩のデータから読みとると…多分、今現在のリョーマのスピードと――互角」
「へぇ?」
の言葉に、リョーマはどこか楽しそうに嗤った。
闘いを楽しむ彼にとって、それはこの上もない娯楽に聞こえたのかもしれない。
「いいね。じゃあ、お手並み拝見といこうかな。
――High speed movement!!」
言うが早いか、リョーマは駆け出していた。
黒髪を風に流し、笑みすら浮かべて駆ける神速の剣士。
だが、どう見ても…
「…悪役面だって…ソレ…」
闘いを前にした緊張感が飛んで、はその場に座り込んだ。
もちろん、いつでもサポートに回れるようにしているに越したことはないのだが。
「…邪魔したら怒るよなぁ…」
そんなわけで、傍観決定。
何か妙な影響ばかり貰っているような気がしなくもない、だった。
「なるほど…確かに、スピードは人間離れしてるな…!」
「!」
鋭い踏み込みを受け止められ、リョーマは目を瞠った。
が、次の瞬間――彼の口元に浮かんだのは、笑み。
「貴様…試したな。俺のライジングがどの程度の力かを…!!」
「…さぁね? 次、行くよ!」
仕切り直しと言わんばかりに、リョーマは後方に大きく飛んだ。
そして再び、剣を打ち込む。
「同じ事を何度も…!」
「そういうことは、受けてから言えば」
そう告げた瞬間、リョーマの剣先は裕太の頬を浅く切り裂いていた。
その戻り、スイング、全てのスピードは半端ではない。
魔術による補助を差し引いてもなお、余りある程だ。
「く…ッ」
「なーんだ…まだまだだね」
間合いを取り、リョーマは再び剣を構え直す。
その口元に浮かぶ、挑発的な微笑。
「もっと強い左とやったことあるよ」
「俺よりもっと強い左とやったことがあるだと…ふざけるな!!」
怒鳴り返し、裕太もまた剣を振るう。
しかし、それがリョーマを捉えることはない。
裕太の剣とて、決して遅くはない。ただ、リョーマが速すぎるのだ。
「…そうだ。こんなところでつまづいているヒマはない…
俺には、やるべきことがあるんだ」
裕太の脳裏に浮かぶのは、幼少時からの苦々しい思い出だった。
『天才・不二周助の弟』
そのレッテルは、どこまでも彼の神経を逆撫でし続けた。
「…俺の名前は俺の活躍で覚えさせてやる。これが俺の答えだ!!」
『不二弟』というレッテルを剥がす為に。
最大の壁である兄を越える為に。
裕太の闘う理由は、半分以上がそれだった。
…なんとなく、だが。
にはそれが理解出来てしまった。
恐らくは、きっと、リョーマにも。
「行くぞ、魔族! まずはおまえから、引導を渡してやる!」
「やれるものなら…――ッ!」
反応するより、先に。
リョーマの頬は浅く裂かれ、髪が数本、宙を舞った。
「リョーマ…!」
「…へぇ…」
息を飲むに対し、リョーマはむしろ冷静だった。
浅く裂かれた頬の傷を拭い、嗤う。
「その技、なんていうの?」
「…《ツイストスピンショット》――見切れるか、魔族」
「やってやろーじゃん」
不敵に嗤い、リョーマは間合いを取った。
裕太もまた、剣を構え直す。
「…おい、…ええと…だったか」
「え? わ、わたし?」
突然声を掛けられ、はきょとんと目を瞬かせた。
に掛けられた裕太の声は、対峙するリョーマへのものと比べて険がない。
「逃げろ」
「………は?」
「この魔族は俺が倒す。そうすればおまえは自由だ。逃げろ!」
「え。ええと…あの、不二さん…何か誤解を感じるんですけど…」
裕太は本気で言っているらしい。
困惑したは、そのままリョーマに視線を向けた。
「…律に縛られてるのは俺だっての…まったく…」
剣を構えたまま、リョーマは盛大に溜め息を吐く。
そして不意に、裕太をきつく見据え、口を開いた。
「アンタがなに勘違いしてんのか知らないけど。
…は逃げないよ。アンタ達に付くこともない、絶対に」
「なにを…!」
怒鳴り返そうとした裕太の言葉を、リョーマの強い声が遮った。
凛とした眼差しに、静かな闘志が映る。
「契約が生きる限り――俺はこいつの剣であり、盾。
俺の持つ全てはのもので、が持つ全ては俺のものだよ」
は気付いていない。
初めて契約を交わした時、リョーマが示した条件と今の言葉との、大きな違いを。
「だから、は渡さない。そんなの、俺が許さない」
かつて彼は、契約した際に言った。
契約が生きる限り、剣となると。
そしてその代償に、の持つ全てを自らのものとすると。
それは決して、対等な契約ではなかった。
だが、今は。
「リョーマ…」
「だいいち、こいつがいないと困る。騎士団で俺が一番下ってムカつく」
「って、そんな理由かよ」
「まぁ、冗談は置いておくけど」
スッと、リョーマは剣を両手で持つ。
強い眼差しは目の前の裕太を見据え、剣先は僅かにも揺れない。
「…ねぇ、そのツイストなんとかって奴…あんまり使わない方が良いよ」
「!?」
リョーマの言葉に、はハッと目を瞠った。
その言葉で気付いた。そう――裕太の《ツイストスピンショット》。
あんな無茶な体制で繰り出しているのだ、体に負担が掛からないわけが…無い。
だがそれでも、裕太は攻撃の手を緩めなかった。
当然と言えば、当然だったのかもしれない。
「あーあ。せっかく忠告してんのに…」
不敵な笑みを消さずに、リョーマもまた、それを迎え撃つ。
両者の間に、もはや言葉は必要なかった。
「まだまだだね」
言った瞬間、リョーマの姿が視界から消える。
ごく短距離の転移。
そして、リョーマは瞬時に裕太の懐に飛び込んでいた。
「! リョーマ、ダメ! それじゃあ逆に切り伏せられる…ッ」
あまりにも強引なその動きに、思わずは悲鳴を上げた。
いくらなんでも、互いの獲物が剣なのだ。懐に飛び込むなんて無謀すぎる!
「フン。強引なんだよ!」
止めを打ち込むつもりで、裕太は剣を振り上げる。
その瞬間、リョーマは嗤った。
そして、その剣先が――あらぬ方向へ、動く。
「――ドライブB…」
カラン…と。
弾き飛ばされた裕太の剣が、乾いた音を立てた。
呆然と己の手を見つめる裕太に、リョーマは弾き飛ばされた彼の剣を拾い上げた。
「これで左殺しは封じたよ! はいっ、どーする?」
挑発的にそう告げて、剣を放り投げる。
それを受け取り、裕太はただ、信じられないものを見るようにリョーマを見た。
「…なんて奴だ…不可能をモノともしない…むしろ楽しそうに…」
「ねえ。別にアンタの兄貴だけじゃないだろ!!」
ピッと剣先を裕太に向け、リョーマは不敵に嗤う。
その表情は、純粋に、闘うことを楽しんでいるように見えた。
「強いのは」
「……」
「アンタの目標は兄貴なんだろうけど。――俺は上に行くよ」
リョーマの言葉を噛み締めるように、一瞬、裕太は静かに目を閉じる。
「…フン。上に行くなんてのは、」
そして、次に目蓋を上げた瞬間――その目に、迷いは消えていた。
「――俺に勝ってからにしろよ」
「もちろん!!」
再び、ふたりは駆け出す。
響く剣戟。
そして不意に、裕太の脳裏に、つい先刻の観月の言葉が過ぎる。
『…任務は以上です。わかりましたね』
『はい、お任せ下さい。必ず…!』
『期待しています。ああ、あともうひとつ…』
『はい』
『もしも劣勢に立たされた場合は…彼の左目を狙いなさい』
『…左目を…狙え…?』
『ボクの調査によると、彼は先日の青国と不動峰のいざこざの際…左目を負傷している。
一度体験した恐怖はそうそう取れるモンじゃない。ましてや――体は憶えているはず』
『……』
その声を払うように、裕太は頭を振った。
「――いや。おまえとは、真正面からぶつからせてもらう!」
「上等! それじゃ、決着をつけようか!」
リョーマのスピードが、上がる。
動きも剣先も、際限がないかのように。
だがそれでも、裕太は執念でそのスピードについていく。
「まだ諦めねぇ! 喰らい付いてやる!!」
その光景を、は、ただ見つめていた。
ああ、楽しそうだな、ふたりとも。
そんな言葉が、自然と脳裏に浮かぶ。
「…ああやって本気になれる相手に出逢えることが、次のステップに繋がる」
不意に聞こえた第三者の声に、は驚いて振り返った。
そこには、普段通りに柔和な微笑を湛えた不二と、少し疲労を残す菊丸の姿。
「今度僕とやるときは、更に強くなってるんじゃないかな…裕太」
「不二先輩?! 菊丸先輩も…いつの間に…」
驚くに、しかし、不二が返したのは笑みのみ。
その視線は再び、リョーマと裕太の闘いに向けられる。
「それにしても、越前…不思議な奴だね。
――是非、闘ってみたくなったよ」
「は…はぁ…で、でも不二先輩の方が強いんじゃ…ないですか」
「そう? 君がそう言ってくれるなら、追い越されないように頑張らないとね」
どこまで本気なんだろ、このひと。
場違いな笑顔に、も引きつった笑みを返した。
――そして、一際高い剣戟が響き、静寂が訪れる。
勝敗が、決した瞬間だった。
裕太の剣が弾かれ、地に転がる。
その喉元に、リョーマの剣先が突きつけられる。
――勝者は、リョーマだった。
不意に、裕太は笑った。
まるで憑き物が落ちたように。
「…負けたよ。強いな、おまえ」
「……アンタが弱いんじゃないの?」
「!! て…てめえ~ッ」
「ジョーダン、ジョーダン」
ひらひらと手を振るリョーマの表情は、笑み。
それは決して、小馬鹿にしたような挑発的なものではなかった。
「よくやったー! おチビー!!」
「…痛いっス」
駆け寄った菊丸が、ペシペシとリョーマの頭を叩く。
それを受けて、リョーマは嫌そうに顔をしかめた。
「また…とんでもない後輩持ったな――兄貴」
笑顔で言われた言葉に、不二もまた、優しく微笑む。
――が、次の瞬間、その表情は厳しいものになった。
それに少し遅れる形で、他の面々も身構える。
カツン…と、響く足音。
闇の中から現れる、白い神官服。
――不機嫌そうに眉間に皺を寄せた観月が、そこに現れた。
「――ボクの言うとおりに動かないからですよ、裕太くん」
「観月さん!」
苦々しげに告げた観月に、裕太は駆け寄る。
そして、頭を下げた。
「…すみません、観月さん。出せる力を全てかけましたが及ばず…」
「…忌々しい…」
「えっ…」
ぼそりと呟かれた言葉に、裕太は目を瞠った。
観月の瞳が、剣呑な輝きを放つ。
「…忌々しい、人在らざる存在が。
何が天才だ…君達がボクに勝つなんて不可能なんですよ」
ぎりぎり、と。
握りしめた拳に、爪が食い込む。
その痛みをものともせず、観月は、どこか歪んだ微笑を浮かべた。
「――気が変わりました。死になさい、来る《運命》の為に」
告げた、瞬間。
不二と、の間に見えない壁が出現する。
「!? ちょ…何これ…!」
「。君を殺すわけにはいきません。そこで黙って見ていて下さい」
そう告げると、観月は不二に向き直った。
呆然としている裕太を、振り返りもせずに。
「…その身を縛るは神の御手。汝、神に抗うことなかれ。受け入れよ」
「ッ!」
拘束魔術――《神聖言霊(ホーリィ・ソング)》。
再び、その魔術が不二を捕らえた。
「不二周助、君は確かに強い…でも、ボクには勝てない!
なぜなら――」
スッと、観月はナイフを投げつける。――動きを封じられた不二に向けて。
「…ッ」
肌を裂く痛みに、不二は僅かに顔をしかめた。
「急所を狙えば確実ですが…それではつまらない。
絶望と共に死んでいただきましょう。さあ――どんどんいきますよ」
掲げられた観月の手から、風の魔術が発動する。
「疾く来たれ風の王よ。その刃、我は許そう解き放て」
力有る言葉と共に、無数の風刃が不二に襲いかかった。
それらは急所をわざと避け、不二の肌を切り裂いていく。
「くッ…」
その痛みに、不二は耐えている。
だが、それは本来ならば、気を失ってもおかしくない痛みの筈だ。
「不二ッ」
「や…やめてッ!! もうやめてよッ」
「くそ…ッ…卑怯者! 不二先輩を放せ! でないと…!」
リョーマが、怒りの形相で右手に魔力を込め始めた。
その瞳に浮かぶ、輝く法陣。
右手の五指の爪が、鈍い輝きを持った。
その波動は、召喚のもの。
それはこの場で、だけが感じられた感覚だった。
しかし、それを前にしてなお、観月は嗤う。
「――放さなかったらどうしますか?
君達の攻撃手段では、不二くんを巻き込むのがオチですよ」
「くッ…」
「…兄貴…」
悔しげに舌打ちし、リョーマは腕を降ろす。込められた魔力は霧散した。
不二が負ける――誰もがそんなことを危惧し始めた、その瞬間だった。
「…観月。念のために…聞いとくけど」
ポタリ…と。
だらりと下がった腕を伝い、鮮血が地に落ちる。
呟いた不二の表情は、サイドに掛かる髪に隠れて見えない。
「負担が掛かると知っていて、あの技を裕太に…わざわざ越前相手に、使わせたのか」
「――打倒兄に燃えるバカ弟は、単純で操り易かったよ」
スッと、不二は顔を上げた。その瞳が、冷え切っている。
背筋に寒気がはしるほどに、冷たい青い瞳。
そんな不二を、は見たことがなかった。
「…<砕けろ>」
不意に不二がポツリと呟いた瞬間、彼を拘束していた魔術が霧散する。
「な…ッ…なんだ、その力は…!?」
「魔術だよ」
「嘘だ! 詠唱も公式もない魔術なんてあるわけが…!」
「うるさいな」
命令系の言霊。
ただそれだけで場の魔術を操り、場違いにも不二は微笑む。
「…さぁ、続けようか」
深い蒼の瞳が、淡く輝いた。
その瞳に強い魔力を持つ、《魔術師(メイガス)》の眼光。
息を飲むほどに美しく、そして、残酷な色。
「…うっわ…不二先輩…怖…」
「…リョ、リョーマでも、怖いものが、あるんだね…」
「……あれが怖くなかったら凄過ぎるよ……」
「…手塚ですら怖れる不二だもんなー…」
とばっちりを食わないように、は達は離れた場所で好き勝手に言い合っていた。
菊丸など、呆れたように溜め息混じりだ。
「だいたいさ、あいつ、ホントに不二のこと調べられたわけ?」
「え…?」
「不二のデータってさ…」
「この…ッ…疾く来たれ風の王よ! その刃、我は許そう解き放て!!」
菊丸が呟くのと、観月の詠唱が重なった。
風の刃を生み出す、力有る言葉。
しかし、対する不二は冷めた表情のまま、告げる。
「<当たるわけないのに>」
その言霊に、風の刃は不二を避けるように地に亀裂を生んだ。
まるで見えない壁にぶつかって、軌道が逸れたかのように。
「…<動けない>」
「ッ!?」
不二が静かに告げた瞬間、観月の体は地に縫いつけられた。
まるで見えない力に押しつけられているような、不自然な体制で。
「…乾にだって、正確には、取れない」
「…なに…あれ…魔術、なの?」
「――《言霊》…このタイプの術者が、まだ存在してるなんてね…」
驚く菊丸との横で、リョーマは静かに呟いた。
声は静かだったが、その表情には僅かな動揺が見て取れる。
「貴様…ッ…拘束魔術に掛かったのはわざとだな!? ふざけやがって…っ」
「――弟が、世話になったね…」
平坦な声。
見下ろす視線は絶対零度。
思わず、だけでなくリョーマすらも息を飲んだ。
音を失った空間の中、不意に。
菊丸が声を上げた。
「――不二! イヤーカーフ…あの、赫い石! あれ、魔力の流れがおかしい!」
「! じゃあ、これが…《媒体》?」
軽く目を瞠り、不二は観月を見下ろす。
確かに、彼の右耳には赫い石の填ったイヤーカーフがあった。
「そう…それが、《媒体》…――<砕けろ>!!」
力有る声に呼応するように、観月のイヤーカーフが砕け散った。
その瞬間、ぐらりと観月の体が傾ぐ。
「観月さんッ」
「…ぅ…」
「しっかりして下さい、観月さん!! 観月さんッ」
意識を失った観月に、裕太が駆け寄った。
その瞬間、空間が時間を取り戻す。
「…元の空間に戻った…やっぱり…」
呟き、不二は膝を折った。
倒れた観月を看る裕太に視線を合わせ、静かに告げる。
「――裕太。観月をどこか寝かせられる部屋に。
赤澤教皇ともお話したいことがあるんだ」
「……わかった。案内する」
観月を抱き起こし、裕太はしっかりとそう頷いた。
+++
時間は少し遡る。
薄暗い部屋の中、淡く光を放つ宝玉から映し出された映像を見つめる人物がいる。
白銀の甲冑に身を包み、椅子にゆったりと座る端整な顔立ちの青年。
その背後に影のように付き従う、大柄な青年。
そして、魔術で映し出された映像を見る、ふたりの青年。
「…さすがだ、不二周助。相変わらず隙がねぇ」
不意に、笑みと共に椅子に座っている青年が口を開いた。
そして、背後の人物に振り返りもせず、言う。
「よく見とけ、樺地」
「ウス」
従順に頷く、大柄な青年――樺地宗弘に、対する青年は満足そうに笑った。
「しかし…無様だねェ、アイツ」
「あの程度の力で青国…いや、
《人界の魔王》不二周助に喧嘩売ったんだ、当然の報いだろ。…なぁ、樺地?」
「ウス」
違いない、と返し、長髪の青年は不意に淡く光を放つ宝玉を見下ろした。
いつ見ても不思議で、何度説明されても仕組みの解らない。魔術道具。
「…しかし…便利なもんだな、跡部。この遠見の魔術はよ。
誰にも気付かれずに相手を監視する…か」
「バーカ。よく観察しろよ、宍戸。
他の奴はともかく…不二はとっくに気付いてやがるぜ」
長髪の青年――宍戸亮の言葉に、青年――跡部景吾は、軽く鼻で笑う。
どこか口は悪いが、滲み出る品の良さは隠しようもない。
「気付いていながら、平気で戦いやがった…
つまり、まだ全然本気じゃねぇ――ってことだ」
どこか楽しそうにそう言った跡部の声をかき消す勢いで、扉が開かれた。
飛び込んできたのは、小柄な少年――否、青年。そして後に続く、《眼鏡》を掛けた青年だ。
「跡部! 跡部はいるか!?」
「アーン? なんだよ向日。うるせぇぞ」
「うるせぇじゃねーよ! 侵入者だ! 不動峰だかなんだかって国の奴が…!」
小柄な青年――向日岳人の言葉に、サッと場に緊張が走った。
スッと、跡部は目を眇める。
「…国境を越えて来たってのか。この時期に」
「ふざけた奴らだぜ。おい、跡部。俺に行かせろ」
ぐっと拳を握り、宍戸は言った。
許可を求めているようで、しかし、許可を出さずとも駆け出していきそうな勢いだ。
「…ふん…まァ、良いだろう。油断すんじゃねーぞ、宍戸」
「はッ。弱小国の軍人風情、暇潰しにもなりゃしねぇぜ!」
不敵に笑い、宍戸はそう返して部屋を飛び出ていった。
部下へ指示を飛ばす声――むしろ怒鳴り声が、廊下に響いている。
「…鳳」
「は、はい」
「保険だ。宍戸を追え。…嫌な予感がしやがる」
「はい、了解しました!」
元気良く返事を返し、完璧な所作で敬礼すると、長身の青年――鳳長太郎は部屋を飛び出していく。
まるで忠犬のようなその行動力に、思わず跡部は苦笑した。
「不動峰の将軍、橘桔平…どうも、どこかで聞いた覚えのある名だ…どこで…」
考え込む跡部を、背後に控えた樺地が心配そうに見守る。
それに「心配ない」と返し、跡部は《眼鏡》の青年――忍足侑士に視線を向けた。
「…青国の方、監視は続けるんか?」
「ああ。念のためな。…あのガキ、本当に魔族なのかどうか…気になる」
再び、跡部は宝玉に視線を落とした。
聖ルドルフに潜入した青国の面々は、ちょうど教皇,赤澤と会談中だ。
「…ん…?」
不意に、跡部は目を瞠る。
それは一瞬だった。
一瞬――彼は、宝玉に映し出された一行の中の少女と、目が合ったような気がしたのだ。
「…こいつ…気付いた、のか…?」
《魔眼》を持つ菊丸英二すら気付かないというのに。
魔族と目される越前リョーマすらも、気付いていないのに。
思わず、跡部は少女を凝視する。
一見、普通の少女。だが、強い瞳をしている。
思わず、跡部は考え込んだ。
ある意味では、素性が知れないのは越前リョーマだけではない。
この少女――とて、そうなのだ。
その思考を遮ったのは、扉の開く重い音だった。
「失礼します。…跡部さん」
「…日吉か。なんだ」
「――山吹共和国で、妙な動きが」
「ほう…?」
まだ幼さを残す騎士――日吉若の言葉に、跡部は視線だけで先を促す。
それを受け、日吉は宝玉を取り出した。遠見の魔術具だ。
「これを」
そこに映し出されたのは、長身の青年だった。
身に纏うのは、山吹共和国の軍属を示す、緑と茶を基本とした隊服。
「…この方向…青国、だな。次は山吹ってワケね…」
小さく、跡部は笑った。
その瞳は好戦的な色を孕み、これから起こるであろう事態を楽しんでいる。
「《トリックスター》千石…そして、《怪童》亜久津…か。
ふん。おもしろくなりそうじゃねぇか…だが、」
スッと、跡部は宝玉に手を伸ばす。
魔力の供給を絶たれた宝玉は、その映像を消し、ただの玉になった。
「――青国を…手塚を敗るのは、この俺だ」
To be continued?
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