失われたのは、魂の欠片。
心。
翼。
左眼。
そして――左腕。
すべてが《わたし》で、すべてが《わたし》の《子供達》。
取り戻さなくては。
そうしないと戻れない。
せっかく扉が開いたのに、戻れずにただ、時を無下に過ごすだけ。
…回収しなくては、いけない。
でも、今の《器》はもう限界。
ならば、そう…
――新しい《器》に、《回収》すればいい。
「……で? 引き受けちゃったわけ、それ?」
一先ず杏と別れた3人は、巡察から戻ってすぐに呼び出された。
しかし、目の前にいるのは手塚ではない。ましてや大石でもなかった。
…なぜか、不二である。
「…なんで不二先輩が知ってんの」
「わたしが知るわけないじゃない」
桃城を盾にするようにして、後ろの方でとリョーマはこそこそと言い合う。
そんなふたりに、不二は普段通りの笑顔で言い放った。
「越前、。うるさい」
笑顔の上に、口調は朗らかだ。
……怒るより怖かった。
「「…はい…」」
素直に返事を返して、ふたりはおとなしく引き下がる。
そして、ふたり仲良く一歩、後ずさった。桃城ひとりが取り残される。
「騎士は傭兵でも、冒険者でもない。
軽々しく一般人の依頼を受けるのは、本来の任務に支障を来す――」
「で、でも不二先ぱ」
「――と、手塚や大石なら、一応言うだろうね」
「え」
予想外の一言に、桃城はピタリと動きを止めた。不二はにこりと微笑む。
「うん、面倒くさいじゃない、任務任務って」
「い、いや、あの、不二先輩…?」
「ああ、大丈夫大丈夫。
手塚を言いくるめられれば、そのくらいやらせてもらえるよ」
言いくるめる。
…団長を??
「…不二先輩…恐るべし…」
「…あのひと、アレでなんで団長とか副団長とかやってないんだろう…」
「それはね、面倒くさいから」
再び耳打ちし合うとリョーマに視線を向け、不二はにこにこしながらさらりと返した。
まさか聞かれているとは思わなかったふたりは、ビクッと肩を揺らす。
「き、聞いてたんすか…」
「しかも面倒くさいから、って…」
「ああいう仕事はさぁ、手塚とか大石とか、ああいう真面目な堅物がやるべきなんだよ」
あくまでも穏やかに微笑みながら、ぱたぱたと手を振る。
かなり適当なその言い分に、リョーマは思わずぼそりと呟いた。
「…つまり不二先輩は、不真面目で柔らかいんすね」
「越前。はっきり言い過ぎると悪口に聞こえるから、自粛するように」
「…はーい」
視線をそらしつつ、リョーマは生返事を返す。
…いや、色んな意味でさすがは《人界の魔王》だ。
「じゃあ、桃。話を整理しようか。
橘杏さん…だっけ? の、お兄さんが3週間前に行方不明になった。間違いない?」
「確かにそう聞いたっすよ。…でも不二先輩、なんでソレ知ってるん」
「で、そのお兄さんは、魔獣退治の為に青国北方《ガーデン》の山奥…に、行ったきり戻って来ないと?」
「いや、あの…なんで知ってるんですか! まだ報告もなにもしてないっすよ!?」
慌てる桃城に、しかし不二はあくまで笑顔だ。
しかも質が悪いことに、悪戯めいた微笑だった。
「ホラ、よく言うじゃない。蛇の道は蛇?」
「無茶ですよその理屈」
「まぁ気にしないで。…さて、じゃあ早速行こうか。準備して」
「「「え」」」
今度こそ、達は固まった。
…いま、なんて言ったこの人は。
「あ…あのぉ…不二先輩? 任務外ですよ…?」
「でも、君達は行くんだろう?」
見透かすような視線を向け、不二は微笑う。
「止めはしないけどね、さすがに君達だけで行かせるわけにはいかないんだ。
手塚に怒られちゃうし…なにより、僕自身がそれをしたくない。わかるよね」
「大丈夫っすよ、先輩! 俺がついて」
「桃。君はその過信がいけない。…この間も、それで足を怪我しただろう?」
「うぐっ…」
言われた桃城は、バツが悪そうに視線をそらす。
…おそらく、よくあることなのだろう。
「それにね。…僕が一緒だと、何かと便利だよ?」
「便利…って」
「まぁ見てて」
笑顔で言うと、不二はひょいっと窓から身を乗り出した。
ちょうど、外では自主訓練中の河村と海堂がいる。珍しい組み合わせだ。
「あ、タカさん。あと海堂。暇でしょ、一緒に行かない?」
失礼な誘い方である。
しかしふたりは慣れているのか、河村は苦笑し、海堂は撫然としながら返す。
「暇って…」
「…そう言い切る訳はどうなんすか、先輩…」
問われて、不二は軽く小首を傾げながら微笑んだ。
「…見た感じ?」
相当失礼だった。
「…………」
「ふ、不二…」
「冗談だよ。ほら、タカさんは《ガーデン》出身だろ? 道案内を頼みたいんだ」
「あ、うん。なるほどね、そういうことか」
快く引き受ける河村から達に視線を移すと、不二は胡散臭いほど穏やかに微笑う。
「ほら、案内人ゲット」
「…ゲット、って…」
唖然とするの横で、「結局海堂先輩はいじめられただけ?」とリョーマが呟いた。
本人達に聞こえなかったのは不幸中の幸いだ。
「うーん、実は任務外で出歩くの、久しぶりなんだよねぇ…」
『はぁ!?』
「うん。不謹慎だけどちょっと楽しみ」
「楽しみ、って…ひとの命がかかってるですけど…」
「わかってるよ? …でもさ、変な話だよね」
呆れたように返す桃城に、不意に不二は、スッと目を眇めた。
「え? 変…ですか?」
「うん。…その橘さんは、魔術師なんだろう?」
「そう言ってましたね」
「…兄想いの妹が、どうして魔獣退治について行かなかったのかな?」
「え…」
一瞬、その場の空気が凍りついた。
いち早く衝撃から立ち直った桃城は、困惑気味に口を開く。
「何言ってんすか不二先輩! それこそ不幸中の幸いっすよ!?」
「うん、そうだね。…でもね、桃」
一旦言葉を切ると、不二は窓枠に肩を預けた。
視線の先は北方――《ガーデン》の方角だ。
「昔から、《ガーデン》は魔獣が多く発生する土地だ。
隣国,《不動峰》との国境もあるし、騎士団も派遣されている。
…はい、。僕の言いたい事がわかるかい」
「えっ…ええと…えーっと…あ…!」
いきなり振られたは、慌てながらも頭の中で話を整理する。
そして、ハッと目を瞠ると、呟いた。
「実害ある強力な魔獣が現れたら…騎士団に報告があるはず…?」
「正解」
内容にそぐわぬ微笑で頷き、不二は軽く小首を傾げた。
「さて、おかしいね? そんな報告は来てないんだよ。
…派遣騎士が全滅したとしても、住人は生存してるはずだよねぇ…」
もし住民もろとも全滅していたら、旅人や行商人が噂するはずだし。
さらりと怖いことを言って、視線をゆるりと巡らせる。
少し考えてから、桃城は口を開いた。
「罠だ…とでも、言うんですか?」
「酷い事を言うようだけど、可能性は低くない」
何が、とは不二は言わなかった。しかし、その場にいた全員が理解している。
青国は、もともと近隣諸国から侵略される可能性が高いと言われている。
つまり――橘杏が、間者である可能性だ。
「もちろん、真実である可能性がないわけでもない。
ただリスクを考えると…出来れば、上層部だけで処理したい。手塚はそう考える。
さて問題です。『上層部』って誰のこと?」
「…ええと…」
「…俺達…ですか?」
「ピンポーン。今日は冴えてるね、桃」
小さく微笑い、不二は窓枠から離れた。
そして、壁に貼られた、騎士達の一覧名簿にトン…と手をつく。
「部下の手助けはないよ。人海戦術は使えない。
今動かせるのは、このメンバーのみ。それでも行くかい?」
+++
「ここから《ガーデン》に入るよ。
魔獣じゃなくても、獣には充分注意してくれ」
河村の先導に、一行は各々の仕草で同意を示した。
「…で、結局全員で来ちゃうんだもんなぁ」
山道を歩きながら、言葉とは裏腹に、不二はにこにこしながら呟いた。
…真意の読みにくいひとだ。達後輩組は、心底そう思う。
「…俺達に不戦敗や敵前逃亡は有り得ないっすから」
「なるほどね。頼りになるなァ、海堂は」
「い、いえ…」
傍目からはわからないが、照れているらしい。
曖昧に言葉を濁す海堂に、不二は笑みを深くした。
「…いやしっかし…大所帯になっちまったな」
「そうね…でも心強いわ。ありがとう、桃城くん」
桃城の隣を歩く杏は、そう言って微笑んだ。
どこか品の良さを伺わせる、仕草。綺麗なひとだな、とは思う。
「……」
「ん? どしたの、リョーマ?」
ふとは、ジッと杏を見据えているリョーマに気付いて声をかける。
「…別に」
視線を杏から外さず、リョーマは気のない返事を返した。
「なによ、さっきからじーっと杏さんのこと見つめちゃって。さては惚れたわね?」
「…………馬鹿じゃないの?」
思いきり溜めてから、呆れたようにリョーマはそう返した。
「なんでバカなのよ!!」
「声が大きい。…あのね、おまえ、俺が魔族だってこと忘れてない?」
声のトーンを落として、リョーマは不機嫌そうに言う。
「忘れてないわよ?」
「じゃあ理解示してよ。…なんで俺が、人間にそんな感情持つの」
「……」
「だいたい、魔族と人間の恋愛の先にあるもの、理解してる?
俺を召喚しただけで殺されかけたの、忘れたの?」
「それは…」
「くだらないこと考えるのやめて、ちゃんと現実見なよ。
あのひと、さっきからずっと……」
言いかけた瞬間、ハッとリョーマは勢い良く顔を上げた。
遅れて感じる、ほんの僅かな空気の揺らめき。
「な…なに? なんなの!?」
暴悪なまでの魔力の波動。
揺らぐ視界。
歪む景色。
身構えた瞬間には、もう遅い。
「…ッ…空間魔術…!」
微かに、息を飲む気配。
それが誰の声かが気付いた瞬間には、強い衝動に、体を地へ押し付けられるような感覚に襲われる。
耐えきれず膝を屈した瞬間、の周囲の景色は変化していた。
――確かに傍にいたはずの、皆の姿がない。
「…ッ分断された!?
――――リョーマ! リョーマ、いる!?」
「いるよ」
の声に呼応するように、リョーマはどこからか唐突に現れた。
体に纏う魔力の残滓。
高速移動(ヘイスト)で駆けつけたらしい。
「一瞬、空間が歪んだね。咄嗟におまえの魔力を辿って良かったよ」
「…先輩達とは、引き離されたね」
「まぁ、大丈夫でしょ。殺しても死なないだろーし」
「あのねぇ…」
一応は渋面を作るが、確かにそう簡単に死ぬ様な人達じゃないだろう。
「…先輩達は良いけど。杏さんがひとりきりだったら…」
が言った瞬間、パキリ…と、枝を踏み折る小さな音が響いた。
スッと、反射的にふたりはそれぞれの武器を構える。
「…さんに…越前くん…?」
茂みから現れたのは、明るい髪の少女。
――橘杏だった。
「杏さん!? 良かった、杏さんも無事だったんですね!」
「…びっくりした」
「え?」
スッと、リョーマは杏に駆け寄ろうとしたを、手で制した。
庇うように前に立ち、杏をジッと見据える。
「…リョーマ…?」
「馬鹿。気付かないの? …このひとは」
言いかけたリョーマの言葉を遮るように、杏の周囲に風が発生した。
自然のものなどではない――感じるのは魔力の残滓。
「全部分断したつもりだったのに…
どうしてあなた達、一緒にいるの?」
持ち上げた指に風をまとわりつかせながら、杏は首を傾げて、言う。
に衝撃を与えるには、十分過ぎる一言だった。
「なんっ…杏さんが、わたしたちを分断したの!?」
「ええ、そうよ? 深司くんの力を貸して貰ってね」
杏がそう返して微笑むと同時に、ふわりと音もなく、ひとりの青年が現れた。
サラ…ッと流れる夜色の髪。あまり変化の見えない瞳は、いっそ神秘性すら感じてしまう。
だが、それ以上に――
「…リョーマ…あの人、」
「ん。…空間を渡って来たね。人間にしか見えないけど…亜種かな」
ふたりの会話を聞いた杏は、楽しそうに微笑った。
そして、とんでもない一言を口にする。
「この伊武深司くんは、召喚士(サモナー)よ」
「な…ッ…召喚士(サモナー)?! そんな…あの人のこと、わたし知らない…!」
物心ついたときから召喚士(サモナー)学院にいたは、困惑気味に呟いた。
杏は、微かに嗤う。
「深司くんの能力は超一級品…
青国の不二さんにも匹敵する魔術センスの持ち主よ――」
「…誉めても何も出ないけどね」
ぼそりと呟き、伊武はリーチはないが大振りの剣を引き抜いた。
刀身が、まるで研かれた鏡のように陽光に煌めく。
「わたしが魔術師なのは知っているでしょう?」
嗤う彼女の指には、喚び出された風が、荒ぶる波のように揺らぐ。
「さあ…あなた達は、わたしに達に勝てるかしら?」
+++
一方、その頃――
「…うーん…やられたね…まさか空間魔術の使い手がいたとは…」
風を詠みながら、不二は小さく息を吐く。
空間魔術――『時』に関わる特殊魔術だ。
大抵の魔術に対応出来る不二ですら、神の領域とも呼ばれる空間魔術には対処しきれない。
「…さすがに…少し困った、かな?」
ス…ッと目を眇め、そう呟く。
しかし次の瞬間、いつもの表情に戻って振り返った。
「不二」
「タカさん…どうだった?」
何事もなかったかのように、不二は河村を見上げた。
対する河村は、ゆるく頭を振る。
「ダメだね。この周辺には誰も…」
「そう…海堂と桃は、まぁなんとかなるとしても…」
「うん。問題は越前とだね」
小さく不二は頷き、困ったように微笑んだ。
「抜かったね…傍にいれば守ってあげられるからって、油断した」
「ふたりが一緒にいれば、まだ良いんだけどね…」
「魔力を辿ろうにも、これだけ引っかき回された後だとねぇ…
ダミーに引っかけられたら時間の無駄だし。海堂か桃が一緒に居てくれれば安心なんだけど」
そう都合よくいくわけもないのは、不二自身がよくわかっている。
魔術が発動した際、隣にいた河村の防護だけで手一杯だったのだ。
完全に分断されなかっただけでも運が良い。
それに――――
「――襲撃者も、黙って見過ごしてはくれないようだし…ね?」
バッと、不二と河村は背中合わせになって、各々の武器を構えた。
温厚な河村の表情は戦士のそれとなり、不二はその怜利な瞳を開く。
「…ふたり…だね。数は少ないけど、気を抜かないで」
「グレイト! オレに任せろ!」
「うん、頼りにしてるよ」
にこりと微笑み、不二は前方に視線を向けた。
「そこにいるのはわかっている。
…出てきたらどう? こっちはふたりしかいないんだから」
静かな不二の声に応えるように、茂みから漆黒の鎧に身を包んだ男がふたり、進み出る。
「そのエンブレムは…隣国の不動峰、だね?」
「――いかにも。俺は不動峰国軍人,石田鉄」
「同じく、桜井雅也」
堅い表情と態度で、現れた二人の軍人は剣を引き抜いた。
「あんたたちに恨みはないが…我が国のため、ここで死んで貰う」
「…なるほどね」
眼前で引き抜かれた2本の剣。
油断なくそれを見据え、不二は小さく嗤った。
――眇められた瞳は、どこか楽しげに。
「うん、こういうのは久々だね」
「燃えるぜバーニング!! オラオラいくぜフジコちゃん!」
「了解。タカさんの剣技を見るのも久しぶりだなぁ」
今にも眼前の敵へ突っ込んで行きそうな河村の言葉に、不二はいつもの調子で微笑む。
そして、ス…ッと音もなく剣を引き抜いた。
「――断ち切るよ、不動峰。
僕達に挑んだ愚行を後悔するといい」
+++
「…さすがに《場》に掛けられた魔術は無効化出来なかったか…どこだ、ここは」
ゆるりと周囲を見回し、海堂は誰にともなく呟いた。
「先輩達と桃城はいい。が…あのふたり、無事だと良いんだが」
言葉少なに、海堂はふたりの後輩の安否を気遣う。
もっとも、魔術を操る能力を持たない海堂には、どちらにせよ何も出来ないのだが。
「……誰だ!?」
近付いてくるひとの気配を感じとり、海堂は鋭く誰何の声を上げた。
静寂の中に響く、パキリ…と、枝を踏み折る音。
警戒体勢をとる海堂の前に、細身の青年が現れた。
漆黒の鎧に身を包んでいるが、どちらかと言えば軽装だろう。
「…誰だ、てめぇ…」
「――青国の海堂…だろ?」
海堂の問いには応えず、青年はそう聞き返した。
そして、緩く唇の端を持ち上げて嗤う。
「…あ。マムシ、って方が通りが良いか?」
「なんだと、貴様…!」
とっさに、海堂は曲刀を引き抜き、ブンッと大きく薙いだ。
「…ッ! へぇ…結構スイングはぇーじゃん」
「……随分、脚に自信があるようじゃねぇか」
速い、と称しながらもあっさり避けた男に、海堂は舌打ちする。
「…名乗れ。何者だてめぇ」
「――不動峰の神尾アキラ」
短く応えると、青年――神尾は、タンッと軽く地を蹴った。
「悪いが、こっちも国の為なんでな。沈んでもらうぜ」
「…誰にもの言ってやがる」
「ふっ…この神速の音術士,神尾について来られるか?」
音術士、という耳慣れない言葉に、海堂は僅かに顔をしかめた。
「――上等だ。来やがれ!」
「もちろん。――リズムに乗るぜ!!」
そう言い返し、神尾が目にも留まらぬ速さで駆け出す。
海堂は、引き抜いた曲刀を構えて迎え撃つ体勢を取った。
+++
「まさか、青国が誇る天才,不二さんが出てくるなんて、計算外だったわ」
「……ッ!!」
杏の手によって自在に操られた風が、刃となってとリョーマに襲い掛った。
縦横無人に襲い掛るそれに、ふたりは足場を分断される。
「くッ…――!!」
「だ、大丈夫…」
リョーマの声に片手を上げて応え、は杏を見据える。
詠唱は愚か剣を抜く暇すらなく、ただ神経を研ぎ澄ました。
《風》のような自然を介する魔術は、魔力の気配が酷薄だ。
神経を研ぎ澄ましていなくては、その軌道を読むことなど不可能。
それは、避けることもが不可能だということを示している。
「如何に強豪,青騎士団とは言え、個別だったら倒すのは不可能じゃない…
ね? だからもう諦めて、越前くん、さん」
「…残念ながら、そこまで潔くないんで!」
一瞬の瞬間に、は細剣を引き抜いた。
「…リョーマ、そっち任せた!」
「おまえもね。ヘボんないでよ」
「そっちこそ!」
タンッ、とふたり同時に地を蹴って駆け出す。
それぞれが杏と伊武に向かい、自らの武器を振り上げた。
「風よ、我が腕となりて…っ」
「遅いわ。風よ、刃となりて我が意に従え!」
一音早く、杏の魔術が形成される。
襲い掛る風刃が、の眼前に迫った。
「…ッ…幻盾の蒼!!」
慌てて攻撃術をキャンセルし、は簡易結界を展開させる。
突き刺さるような風の刃が、軌道をそらして、周辺に舞う葉を切り裂いた。
「…すごい魔力ね、さん。でも、防護だけでどこまで保つかしら?」
「……ッ」
ザンッと細剣を振り、はきつく唇を噛んだ。
「――攻撃させてくれないなら、すべて防ぎきるまでよ!」
「頼もしいわね。じゃあ試してみましょうか!」
杏の右腕に、再び風がまとわりつく。
防護魔術の詠唱をしながら、は駆け出した。
「ただの人間にしちゃあやるよね。空間魔術を使いこなすなんてさ」
「キミも小さいのによくついて来るね」
大きく両用剣を振り、リョーマは前に踏み出す。
リョーマの剣と伊武のナイフが激しくぶつかり合った。
「アンタ、亜種? それとも混血児?」
「…うるさいなぁ…よく喋るね、キミ」
「暇なんだよね」
挑発的に嗤いながら、リョーマは剣を横に薙ぐ。
右側からくるそれを寸でで避け、伊武はジロリとリョーマを睨めつけた。
「…キミさぁ。まだ何か隠してるでしょ?」
重なった刃を強く振り払い、伊武は頬にかかる髪を掻き上げた。
鋭い瞳が、探るようにリョーマを見据える。
「なんか違和感があるんだよな」
「…当ったり」
スッと、リョーマは右手に持っていた両手剣を、左手に持ち直した。
そして、剣先をピッと伊武に突きつけ、不遜なまでに嗤う。
「じゃあそろそろ小手調べはやめて、本気出そうか。お互いに!!」
「…左利き…? ハンデのつもりかな…ムカつくよなぁ…ぶっ倒そ…」
苛立たしげに呟き、伊武はス…ッと刃身を軽く引いた。
そして逆手に持ち直し、再び打ち掛る。
激しい打ち合いが続いた。
不意に、伊武がぼそりと呟く。
「…簡単にはいかせない…」
「…ッ!?」
ビクッと、一瞬リョーマの腕が止まる。
慌てて後方に下がり、攻撃をかわしたリョーマは、いぶかしげに自身の腕を見下ろした。
「…リョーマ…?」
「余所見してていいの、さん?」
「ッ! ぅ…く…ッ」
遅い掛る風刃を避けるか凌のぐかを繰り返すは、余所見をしている余裕すらない。
その間にも、リョーマと伊武の打ち合いは続いていた。
「…ッ! また…ッ」
「…無駄だよ。キミの腕は動かない…」
「――にゃろう!」
一瞬動きが止まった腕を庇うように、リョーマは全身を使って腕を振り抜く。
――その、瞬間だった。
「……ッ!?」
動かない腕は、握力をも失わせるのか。
リョーマの手から、剣が滑り落ちた。
遅れて、伊武のナイフが振り下ろされ――鮮血が、散る。
「…ッ!」
「ッ…我が意に従え数多の炎よ! 全てを焼き尽す刃となれ!!」
とっさに、は左手を伊武の方へ向けて突き出し、炎の魔術を放った。
――右手で発動させた、防護壁はそのままに。
「なッ…!?」
振り下ろしたナイフを引く間もなく、伊武は炎から逃れようと大きく跳んだ。
「…え…まさか、ふたつの魔術を…?」
呆然と呟き、杏は思わず攻撃の手を止める。
彼女の横をすり抜け、は駆け出した。
「リョーマッ!!」
「…ッ…馬鹿、戦闘に集中しろ…!」
慌てて駆け寄るを、リョーマは手で押し止めた。
「で、でも…あんた、その目…!」
ざっくりと切れた左瞼から、おびただしい血が流れる。
決して軽い傷ではなかった。
の表情が引きつる様を見て、リョーマは軽く手を振って見せる。
「眼球までいってない。派手に血が出てるだけだよ」
「でも痛いでしょ!?」
「痛くない」
「なに意地張ってんのよ!」
「張ってない」
あくまでも淡々とそう返し、リョーマは袖口でグイッと血を拭った。
「…やれるよ」
「……あんたってホント、バカ。痛いでしょうに」
「悪い? …痛くないってば」
「…ううん」
諦めたように小さく息を吐き、は微笑う。
そして、スッと真剣な表情を作った。
「……わかった。リョーマ、時間を稼いで」
「ん」
「…10分よ。10分以上かかるなら、見捨てて構わない」
「…」
「無理はしないこと。お願いね」
ジッと見つめたままで言うに、リョーマは唇の端を吊り上げて嗤った。
「…了解。使われてやるから、ヘマしないでよ?」
「当然! わたしを誰だと思ってんの? あんたの《マスター》様よ?」
対するも笑みで応え、利き手に持った細剣を構える。
「…あ、そうだ。」
「ん? …ひゃ…っ!?」
不意に腕を引かれ、は反射的に振り返った。
そのまま、ぐいっと髪を引かれてよろめく。
倒れ込んだ瞬間に、掠めるように唇に何かが触れた。
「ッ?!」
触れてきたものが何か理解した瞬間、は唖然と目の前の相手を見る。
が、リョーマは別段顔色も変えず、軽く自身の左眼に触れ、ひとりで納得したように頷いた。
「…やっば触れるだけじゃ、止血程度か。まあ、10分くらいは保つかな」
「なっ…なっ…なにす…ッ…リョーマッ!!」
「魔力戻してもらっただけだよ。騒ぎ過ぎ」
「~~~~ッ!!」
悪びれもしないその態度に、は顔を真っ赤にしながら眦を吊り上げる。
耳まで赤くしながら、バンッと思いきりリョーマの背を叩いた。
「いてッ!?」
「早く行けこのバカ王子!!」
「…なに怒ってんの?」
「うるさい!」
本気で不思議そうに首を傾げるリョーマに、はイライラしながら唇を手で覆う。
…落ち着け。あんなの気にしてる場合じゃない。
自分にそう言い聞かせながら、は細剣を縦に構え、スッと人指し指と中指を揃えて刀身に沿える。
「――…扉よ扉、その閉ざされし門を開け」
一気に高まる、魔力。
その余波を受けて、の髪や服が風に揺らぐ。
それを感じ取った杏が、慌てたように伊武に向かって叫んだ。
「…あれはマズイわ…深司くん!」
「させるか…!」
「おっと。アンタの相手は俺だよ」
を守るように立ち、リョーマは再び剣先を伊武に突きつける。
鬱陶しそうに、伊武が顔をしかめた。
「…そう。大人しくしてれば目だけで済んだのに」
「こんなトコで負けるつもりないんで。これからだって負けないけど」
不遜に言い放ち、リョーマは突きつけていた剣先をずらした。
それを合図に、ふたりは同時に剣を繰り出す。
「我が望むは異界の者。我が呼び声に応えよ…」
リョーマと伊武が打ち合う、その至近距離で、は無防備に瞳を閉じた。
しかし、襲い掛る風刃はない。ナイフの剣先も。
混戦状態の今、杏は魔術を打てないでいた。伊武のナイフはリョーマに阻まれて届かない。
「くッ…集え、風の粒子よ! 我が意に従いて人型を成せ!!」
焦ったような声音で発せられた力有る言葉。
杏の言葉に従うように、周囲の風が人型を取って実体化する。
ゴーレム、と言えば通りが良いだろうか。
やはり並の魔術師ではない。視界の端に迫る風のゴーレムに、は詠唱を続けながらハッと身構える。
「――Hades darkness,change with the edge which takes a false life!!」
伊武と打ち合っていたリョーマが、スッとゴーレムとの間に入り、魔術を発動させる。
リョーマの突き出された右手から発せられた漆黒の刃が、ゴーレムを切り刻んだ。
「……」
「…我が名は〝異界に愛されし娘〟。その名を感知し、呼応せよ」
詠唱を途切れさせることはなく、とリョーマは視線で頷き、それぞれにやるべきことに集中する。
間髪入れずに駆け出したリョーマは、迫る伊武の刃身を剣で薙ぎ払った。
「やーな技だよね、その上下の回転! 一時的に腕が麻痺するんだよね…でも、」
油断なく間合いを取り、リョーマは小さく嗤う。
「弱点ふたつ、見ーっけ!」
そう言うと、スッと右手に大振りのナイフを持った。
もちろん、左手に持った両手剣はそのままに。
「二刀流相手に試したことある?」
「ッ! 二刀流…!? 馬鹿な、片目が見えてない状態で…ッ」
少なからず動揺を表情に出し、それでも本能的なものなのか、伊武は反射的にナイフを振るう。
その攻撃を、リョーマは右手に持ったナイフで防ぎ、左手に持つ剣を振るう。
攻守を交互に繰り出すその動きに、リョーマの腕が麻痺することはなかった。
「これが弱点その1!」
「ムカツク奴…! なら両腕とも麻痺させてやる!」
伊武は、ムキになってナイフを振るい始めた。
鋭さと重さを上げた剣先。しかし、リョーマは涼しい表情ですべてを防ぎきる。
「すべての生物、数多の精霊、神威の写し身、魔性の化身! 我求むるはその魂!」
その闘いの後ろで、の詠唱も加速していった。
完成しつつある魔術の布陣は、周囲の空気をも変化させていく。
一方のリョーマと伊武の闘いは、一方的なものになりつつあった。
「打てないよねぇ、回転の掛かった剣筋なんて。攻撃と防護と同時にやられたらさ!」
「く…ッ!?」
「残念でした」
キィン…ッ、と。
高い音を立てて、弾かれた剣が宙を舞う。
ドス…ッと小さく鈍い音を立てながら、刀身が地面に突き刺さった。
「――俺達の勝ち」
小さく嗤い、リョーマそう宣言したのとほぼ同時に、の詠唱が最後の一音を刻む。
「起動せよ、呼び覚ませ、獣の瞳…そのちから、我は赦そう解き放て!!」
爆発的に吹き上げた魔力。
その魔力に応えるように、それまで闘いの空気を嫌って姿を消していた野鳥達がの周辺に現れた。
――と同じ、赤い瞳をした野鳥達が。
「サ…召喚士(サモナー)…!? まさか!」
「集え、野鳥に宿りし神の弓手達! 我が心のままに!」
大きく、は細剣を持つ右腕を振った。
一糸乱れぬ動きを見せ、赤い瞳の野鳥達が一成に飛び立つ。
「召喚(サモン)に憑依(シンクロ)…その上、使役(サーバント)?! なんて魔力…!」
驚愕に目を見開く杏と伊武に向かい、野鳥達が襲いかかった。
否――野鳥の体を借りた、神格の低い使役神が。
「きゃあッ!?」
「…くッ!」
野鳥の体では、大した攻撃は出来ない。
しかしこれだけの数だ。命に関わる怪我をしなくても、動きの一切を封じられてしまう。
その隙を、達が見過ごすわけもなかった。
「リョーマ!! 多分、杏さんの魔術発動媒体は――額のサークレット! アレを壊してッ」
「りょーかい…っ!」
応え、リョーマは右手に持ったナイフを奇妙なモーションで投げつけた。
ナイフは杏の額に付けられたサークレットの鎖を、彼女の顔を傷つけずに千切る。
そして、弧を描くようにしながら、リョーマの手に戻る。
ただのナイフでこの芸当…到底、人間業ではなかった。
「――結構使えるじゃん、このナイフ」
「って、ソレわたしのだし! …あんた、いつの間にそのナイフ、抜き取ったの?」
「内緒。役に立ったんだから良いんじゃない?」
「良いけどさ…」
口だけじゃなく手癖も悪いのか。王子様なのに。
思わず呆れてため息を吐き、はうっそりと額を押さえた。
…いや、今は、こんなことをしてる場合ではない
「さあ、これで勝負は決し……え? 杏さん?」
油断なく杏と伊武に視線を戻したは、その異変に目を瞠った。
先ほどまでいた野鳥達は、の戦意が逸れたことで元の野鳥へと戻っている。
しかし、だ。
「い…た、い…ッ…いた…ぁ…ッ」
頭を抱えるようにしながら、杏が搾り出すように呟いた。
鎖を千切られ地面に転がるサークレットが、鈍い光を放つ。
「あ…あ…あああああッ!!」
悲鳴を上げて、そのまま杏はその場に倒れ込んだ。
慌てて、伊武が倒れ込む彼女を支える。
しかしその表情には、動揺がはしった。
「あ…杏ちゃん…ッ!?」
とリョーマも、ふたりの元へ駆け寄る。
ぐったりと倒れ込む杏の顔色は悪く、目覚める気配はない。
「杏さん! しっかりしてくださいッ」
「。揺すると良くないよ。…大丈夫、呼吸は正常みたい」
リョーマに言われ、とりあえずは安堵に胸を撫で下ろした。
その次の瞬間、ガサリと茂みが揺らぐ。
ハッと3人が視線を向けると、漆黒の鎧を纏う数名の青年が、顔を出した。
「深司、そこにいるのか? 今の悲鳴は…――!! 杏ちゃん!?」
「神尾…桜井に、石田達も…」
伊武が呟くように、現れた青年達の名前を呼んだ。
あの漆黒の鎧は、隣国不動峰のものだっただろうか。
ふと知識を総動員させて、はそんなことを思う。
そんなとリョーマを、比較的軽装な青年――神尾がキッと睨め付けた。
「おまえら…よくも杏ちゃんを!!」
「…って。俺のことは良いわけ? 腹立つなぁ…神尾のリズムバカの杏ちゃんバカめ…」
ぼそりとぼやく伊武だったが、神尾は聞いていない。
臨戦態勢に入る不動峰の戦士達を見やり、リョーマは厄介そうに舌打ちした。
「…つまり新手…ってことだね…」
「リョーマは休んでて。もう止血も限界でしょ。大丈夫、わたしが」
「…、無理すんな。あれだけ大掛りな術を使った後で、」
「それはリョーマの方でしょ! わたしは平気っ」
「ッ」
「我が意に従え炎の粒子よ…!」
リョーマの制止の声を聞かずに、は力有る言葉を唱えた。
しかし、すべて唱え終わる前に、ぐらりと体が傾ぐ。
「あれ?」
「ちょ…ッ」
慌ててリョーマが手を伸ばすより先に、の両肩が後ろから支えられる。
振り返ると、そこに立っていたのは――、
「――無茶すんじゃねぇ。馬鹿が」
「海堂先輩…」
この2週間で見慣れた顔を見て、緊張が緩んだのか、はその場にへたり込んだ。
「よくやったな。休んでろ。…越前」
呼ばれたリョーマは、の横に立ち、無言で頷く。
それを確認して、海堂は不動峰の戦士達を――とりわけ神尾を睨めつけた。
「間に合ったようだな…リズム野郎が、今度は逃がさねぇ」
「…しつこい奴だぜ…まぁいい。決着をつけようじゃねぇか、マムシ野郎」
ス…ッと、神尾は大振りのナイフを引き抜く。身軽な彼ならではの武器だ。
「みんなはあのチビ達を頼む。ここは手ェ出すなよ…こいつは俺が」
「けっ。意気がってんじゃねぇぞリズム野郎…なんなら全員でも構わん」
「ンなこと言ってられるのも今のうちだ。リズムを上げるぜ!」
タンッと軽く地を蹴り、神尾は駆け出した。
対する海堂はゆらりと曲刀を構え、神尾を追う。
「あいつは神尾に任せよう。俺達はこっちの…!」
桜井がそう言いながら、剣を引き抜く。
しかしその剣を受ける前に、リョーマの眼前に巨大なハルバートが現れる。
――まるで、リョーマを防護するかのように。
「――海堂に遅れてらんねーな、遅れてらんねーよ!!」
そんな言葉と共に、現れたのは桃城だった。
唐突なその登場に、多少動揺しながらも、リョーマは思わず嗤う。
「…遅い、桃先輩」
「おいおい、遅いはねぇだろ? それにしてもなんだよ越前、その怪我は」
「別に。大したことないっスよ」
生意気なリョーマの言葉に笑い、桃城はハルバートを構え直した。
「さてと、『北東の黒い軍団』さんよ。俺が相手してやるぜ。暴れたんねーんでな!」
「…俺の相手っスよ、先輩」
「いーからおまえはを守ってろ、怪我人」
ニヤリと笑われ、リョーマは嫌そうに顔をしかめた。
怪我人、と言われたのが気に障ったのだろう。
「ごちゃごちゃうるさいよ…――影よ、戒めの鎖となりて標的を捕えよ…!」
「――尋ねて応えよ我が声に。女神の腕よ、護り賜え!」
鋭い衝突音と共に、伊武の魔術が無効化される。
誰よりも魔術を放った伊武が驚き、軽く目を瞠った。
「な…ッ!」
「――大事な後輩達に、これ以上手出しさせられないよね…先輩としては」
魔術が無散したその場に立つ、華奢な青年の姿。
その横を抜けて、大柄な青年がの横に膝をつく。
「大丈夫かい、ふたりとも?」
「不二先輩…河村先輩…」
「頑張ったね。…あとは僕達に任せて。…あ、でもタカさんは無茶厳禁」
そう言いながら不二が示したのは、簡素な包帯を巻いた、河村の右手首。
「包帯…河村先輩、まさか怪我を…!?」
「あ、いや、大丈夫だよ。不二が診てくれたから」
「100%大丈夫だったら、無茶厳禁なんて言わないよ。
でも人手が足りないのが現状だから…、まだ動けるなら粘って援護して」
「は、はいッ」
慌てて、はこくこくっと頷いた。
それを見て、不二と河村は満足そうに微笑む。
一方、不動峰の面々は、突然現れた青国の面々に舌打ちした。
「くッ…青国が誇る天才魔導騎士,不二周助か…!」
「合流を許したか…くそッ」
「さっきはどうも。こんなに早く、再戦の機会がくるなんてね」
利き手で軽く円を描くような仕草をしながら、不二が微笑む。
魔術の発動を意味する、緩やかな風。
今まさに、その比類なき魔力の塊が放たれようとした、瞬間だった。
「――待て、そこまでだ。両者とも、引け!!」
高い馬の蹄の音が鳴り、裂帛の声が周囲に響いた。
反射的に、達青国の面々が振り返る。
「手塚!?」
「団長!!」
「この闘いは俺が預かる。両者とも、剣を降ろせ!」
良く通るその声に、不二や河村は「やれやれ」と苦笑しながら武器を降ろした。
とリョーマは、いきなりの展開についていけずに目を白黒させる。
そして、海堂と桃城は不服そうに声を上げた。
「でも、団長!」
「我が国への侵攻を企む奴等を、このままみすみす見逃すのは…!」
「桃城! 海堂!」
「は…はい」
「…すんません」
強い調子で名前を呼ばれて、ふたりはグッと言葉に詰まった。
そして、不承不承武器を降ろす。
その隙に、神尾は伊武達の元へ戻った。
しかしその表情は、苦虫を噛み潰したような渋面だ。
「はッ…総大将のお出ましかよ」
「…橘さんが一目置いてる相手だ、油断するなよ神尾」
「橘さんが出る程でもねぇよ! 俺が…」
再びいきり立つ不動峰の面々。
しかしその背に、手塚に負けずとも劣らない、裂帛の声が掛けられる。
「落ち着け、おまえ達! これ以上の私闘は許さん」
『た、橘さんッ?!』
突然現れたのは、長身の男。
伊武達と同じ漆黒の鎧を身につけているが、若干形が異なる。
「…あれは…」
「多分、不動峰の将軍だね。一年前に代替わりをしたと聞いたよ」
「不動峰の…将軍」
不動峰国は、領土も狭い小国だ。
そこの将軍、ということは――立場的には、青国騎士団長である手塚と同等、と言ったところか。
だが、この風格。威圧感。
――ただ者では、ない。
静かに見守る一同の中、手塚は足場の悪い森の中とは思えぬほど器用に馬を動かす。
そして、橘の前で馬の背から降りた。
「不動峰国左将軍,橘殿とお見受けする。…うちの団員が迷惑をかけた」
「いや、…先に仕掛けたのはこちらだ。申し訳ない」
「伝令を頂き、感謝する…件の妹君はご無事か」
「ああ…」
言われて、橘は気を失ったままの杏の横に膝をついた。
…妹?
「え…ええええッ?! 杏さんの、お兄さん!?」
「…名字で気付きなよ」
思わず叫んだは、冷静にリョーマから突っ込まれた。
とはいえ、リョーマ自身も怒濤の展開についていけずに顔をしかめている。
それは不動峰の面々や桃城・海堂、河村も同じようだ。
…不二だけは、何を考えているかわからないが。
「…気を失っているだけのようだ。外傷もない」
「そうか…何よりだ」
「ちょ…ちょっと待ってください橘さん! どういうことなんですか!?
青国に伝わる秘術を手に入れられれば、国を立て直せるって…《ガーデン》の魔物騒ぎも、すべては…!」
秘術? 国を立て直す?
疑問符を頭に浮かべる達に構うことなく、会話は勝手に進んでいく。
「…神尾。それは、杏が言ったんだな?」
「え? あ、はい…そうですけど…」
「おまえ達は、杏の指示で動いたんだな?」
「…そうです…彼女の指示は、橘さんの指示ですから…」
「…そうか…」
頭痛を抑えるように額に手を当て、橘は小さく息を吐いた。
そして、沈痛な面もちで、腕の中の妹を見下ろす。
「ここ数日、杏の様子がおかしいとは思っていた。…これは俺の責任だ」
「…橘殿。伝令を貰ったことは貰ったが、詳しい事情が読めん。説明を求めたい」
「もちろんだ。おまえ達には迷惑を掛けたからな…
しかし、そちらも怪我人が多いように見受けられる。…治療を優先させてくれ」
言われて、手塚は無言で頷いた。
その視線が、橘から後ろで事態を見守る達に向けられる。
「…河村」
「あ、うん」
「皆を頼む。先に戻ってくれ。…不二」
「うん?」
「おまえは一応、俺についてこい。
…橘殿、《ガーデン》の村で良ければ、妹君の回復を待って話を聞かせていただきたい」
手塚の提案にひとつ返事で頷き、橘は乗ってきた馬へ気を失ったままの杏を乗せた。
が、背後で物言いたげに見守る自軍のメンバーに、軽く苦笑する。
「…ああ。だが、他国の鎧があれば住民に要らぬ心配をさせるだろう。――神尾」
「は、はい!」
「おまえは俺と来い。…桜井、残るメンバーを連れて先に帰国しろ」
「はい、橘さん」
「お任せください」
各々の返事に、橘は満足したように深く頷く。
そして、未だ目を白黒させる達を残し、手塚と不二、そして橘と神尾の4人はその場を後にした。
残された面々は、なんとなく顔を見合わせる。
よくはわからないが誤解があったようだ、と慌てた調子で謝罪する石田達に、河村も慌てて応えるという場面もあった。
しかしそれは、別の話。
+++
1時間後。
青国騎士団詰め所では、リョーマの瞼を診ながら、大石が深く息を吐いた。
「…うーん…ダメだな、完全には血が止まっていない」
「…頭がクラクラするっス…」
「そりゃこれだけ血ィ流してりゃあね。うひー…いたそー」
恐い物見たさなのか、横から覗き込んでいた菊丸が顔をしかめた。
今更ながら、河村がそのおびただしい血の量に貧血を起こしかけていた。
それを介抱している桃城の姿が微笑ましい。
「瞼ともなると、治療が難しいしな…
怪我をした時間を考えれば、ちゃんと自分で歩いて帰ってきたのは奇跡的だけど」
「確かに。ここに着いた時には、それほど血が流れていなかったしね。…どんな応急処置を?」
「……」
乾に興味深げに尋ねられ、一瞬考えてから、リョーマはに向かって手招きした。
「」
「うん? どうしたの??」
素直に近寄ったの肩を、リョーマはがしっと掴んだ。
唐突な行動に、ぎょっとは目を瞠る。
「え。な、なに?」
「うん。ちゃんとすれば、治るかも。傷」
「ちゃ、ちゃんとって何? 何を!?」
「言わなきゃわかんないの?」
肩を掴んでいた左手が、スッとの頬を滑る。
妙な寒気を感じて、ぞわりとは鳥肌を立てた。
「あの、ねぇ、リョーマッ」
「黙って…」
「い、いや黙れって…ッ」
「…コラ」
「いてっ」
慌てるに構わず顔を近づけたリョーマだったが、いきなり、その後頭部は横に張り飛ばされた。
…もちろん、軽く、だが。
驚いて、はリョーマ越しに彼の後ろを見る。
そこには、相変わらずの微笑を浮かべた、旅装のままの不二が立っていた。
「ダラダラと血を流しながら女の子に迫るもんじゃないよ、越前」
「不二先輩…」
「…誰も迫ってないっスよ。っていうかいつの間に帰ってきたんっすか」
「はいはい…ほら、傷見せて」
「いてててッ?!」
後ろからリョーマの頭を掴むと、不二は無理矢理後ろを向かせた。
ちょうど仰け反るような体勢になったリョーマが、痛そうに顔をしかめる。
…絶対、目の痛みじゃなくて首の痛みだな。
なかなか豪快な不二の所作に、どころか大石達も冷や汗を掻いた。
「…ッ…先…輩ッ! 痛いッ」
「だから治してあげるって…」
「目じゃなくて、首がッ!!」
「え? …あ。ごめん」
たった今気付いたのか、不二はパッと何事もなかったかのように手を離した。
いきなり手を離されたリョーマは、バランスを崩して後方に椅子ごと転倒する。
ガツンッと、鈍い音が響いた。
「~~~ッ…ぃっ…つー…ッ」
「だ、大丈夫か越前!? こら、不二!」
「ごめんってば…大丈夫、越前…?」
「…大丈夫じゃない…ッ」
涙目で睨め上げながら、リョーマは打ち付けた後頭部をさする。
呆れたように大石がため息を付いた。
「なんでおまえはそう、天然的に不器用なんだ?」
その言葉を拾った乾が、ぼそりと呟くように言う。
「…対生き物の場合だけね」
「あれって計算なんじゃないっすか…?」
「シッ! 余計なこというと次の被害はおまえだぞ、桃!」
「ちょっと、聞こえてるよ。…もう。悪かったってば」
ふう、と小さく息を吐き、不二はリョーマの左目に軽く右手を当てた。
そして、小さく呪文を唱える。
「A spirit of wisdom,only a few should divide time.」
には、その詠唱が聞き取れない。古代魔法語のようだった。
…そう言えば、リョーマの扱う魔術もこの言語だ。ふとはそんなことを思う。
「…どう、越前? 止まっただろう?」
「…あ…ホントだ。止まった」
「完治させちゃうと、人間の持つ再生能力が落ちるから…傷の時間だけ5日後まで進めた。
無理に擦ったりしなければ、傷が開くことはないと思うよ」
さらりととんでもないことを言って、不二はにこりと微笑んだ。
軽く小首を傾げ、考え込んでから、なんとなく理解したのかリョーマが口を開く。
「ふーん…便利っスねソレ。空間魔術?」
「まさか、そんなの使えないよ。これは…そうだね、言うなれば召喚魔法」
「召喚…魔法? 先輩って、妙なこと出来るんすね」
「妙なことって。酷いなぁ…」
酷いだろうか。
少なくとも《魔法》なるものが何なのか、には理解出来ない。
魔、とつくからには魔術の一種か。かといって馴染みのない単語であることには間違いはなかった。
「でも便利ですよね。
、ソレ、教えてもらってよ」
「な…~~~~…ッ!」
「?」
「…リョーマのバカーーーーッ!!」
ガタンッ!!
と、思いっきり椅子を蹴って立ち上がり、は怒りの形相で部屋を飛び出した。
乱暴に閉められる扉を唖然と見ながら、リョーマは不思議そうに首を傾げる。
「……なんで??」
「おチビ~…」
「…おまえさぁ…あれはねぇだろ…」
「……??」
なんとも言えない表情で言われて、リョーマはますます不思議そうに首を捻った。
その後ろで、乾が何かをノートに書き込んでいる。
「天才的な剣技の持ち主も、女性の扱いには不器用…か」
「なんのデータですかソレ…」
「越前。…訓練所周りを10周だ」
「なんで!? っていうか団長、いつからいたんすか!?」
「不二と一緒に戻ってきた。…ひとをボウフラのように言うな」
ムッと眉間に皺を寄せ、手塚は心外そうに言う。
リョーマの後ろでは、不二がくすくすと笑っていた。
「まだまだだね、越前?」
「…それ、俺の台詞…」
全員に妙な反応を貰ったリョーマは、疲れたようにため息をついた。
相変わらずにこにこしている不二の笑顔が、今のリョーマには悪魔の微笑にしか見えない。
「それはとりあえず置いておくとする…。
おい、誰かを呼び戻せ。――肝心な話を、まだしていないからな」
そう言って、手塚は立ち上がった。
淀みのない足取りで窓枠まで行くと、窓硝子に手を置く。
その手の先にあるのは《ガーデン》――ひいては、不動峰国だ。
「先ほど不動峰国将軍,橘より聞いた話から、大変なことが判明した。
…不二、越前。そしては、俺と共に来て貰う」
「どこへっスか?」
「謁見の間だ」
不思議そうにリョーマが訪ねると、手塚は顔色一つ変えず、そう言った。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。