「…ん…?」

不意に、机上の書類から手を離し、青年は傍らの太刀に目を向けた。
銀色に鈍く輝くそれは、青年にとって己の半身にも等しい存在だった。
数多の戦場を共に駆けた、大切な相棒。
それが今、確かに異変を察知していた。

「…どうした、《零式》。何を察知した…?」

大振りな見た目に反して軽い太刀を手にとり、青年は呟く。
その表情に、特別な動きはない。
カチリと柄が鳴ったのと同時に、執務室のドアが開かれた。

「団長、報告が――――、って。どうしたの、手塚?」
「…不二か。いや…《零式》がな…」
「不調なの?召喚獣も体調崩すのかな」
「……そんなわけがないだろう」

不二の見当違いな一言に、手塚は渋面を作る。
そのわずかな表情の変化を見ると、途端に不二は場違いなほどにっこりと微笑んだ。

「うん、冗談」
「……不二」
「また眉間に皺が寄ってるよ?」
笑いながら、不二は皺の寄った手塚の眉間を、軽く指で弾く。
さらに眉間の皺が深くなった。

「元からこういう顔だ」
「そう?だったらもっと柔軟をつけた方が良いね」
「…不二、おまえ何か用があったんじゃないのか」

溜め息混じりに手塚がそう返すと、不二は小さく笑った。

「ああ、気になる卦が出てね。その報告に」
「そういうことは先に言え。…気になる卦とは?」
「うん…要約すると、この国に災いと、それを払う者が現れる…」

聞いた瞬間、手塚は険しい表情で立ち上がった。

「…災い、だと?」

低く呟かれた言葉。
不二の表情からは柔和な笑みは消えている。

「…確かか」
「占いは本業じゃないから、なんとも言えないな。
…気になるなら、由美子姉さんに改めて占ってもらった方が良いかもね」
「…そうだな」
「でも悲観することもないよ。災いと共に、それを払う者も現れる」
「…どちらも《ヒト》であったなら?
 判別がつかん場合、自ら災厄を抱き込むことになるぞ」
「手塚、それは推測でしかないだろ?
 そんなことを言ったら、青国は鎖国するしかなくなるよ」
「…頭の痛い問題だな…」

頭痛を抑えるかのように、手塚は深く息を吐く。
国の為に心を砕く彼は、気負い過ぎだと皆が言う。
しかしそれが、彼が彼たる所以だと思うからこそ、幼い頃から共に歩んできた不二は微笑うしかない。

「手塚、君ひとりが気負うことはない。…そのために僕達がいる」
「…不二」
「もうすぐ新入団試験も始まるしね。頼りになるニューフェイスがいるかもしれないよ?」
「…そうだな」
「思い出すね。僕達の入団試験の時のこと。今年はどんな逸材が現れるか楽しみだよ」
「ああ…」

他愛のない会話で気が紛れたのか、手塚の肩に入っていた余計な力が抜けた。不二はただ、微笑む。
その瞬間、慌ただしく扉が開かれた。
駆け込んで来たのは、穏和そうな青年だ。…相当慌てていたが。

「手塚ッ!…じゃなかった団長ッ!」
「今度は大石か。どうした?」
「緊急事態だ! 桜乃姫が」
「姫がどうした。今日は陛下の命で、城下へ視察に行かれたはずだが」
「その視察中に従騎士とはぐれて、迷子になっているらしい!」
「「………」」

思わず、手塚と不二は顔を見合わせた。
同時に浮かんだのは、それぞれ溜め息と苦笑だ。

「…またか」
「相変わらず…方向音痴だね、我らがお姫様は」

桜乃姫は、青国女王,竜崎スミレの孫娘だ。
真面目で勤勉、奥ゆかしく責任感が強い。…しかし、どこか抜けていて、とんでもない方向音痴でもある。
本人に悪気はないのだろうが、城下に視察に行くたびに迷子になるのだ。

「わかった、俺が行こう」
「え? 団長自ら行かなくても、僕らが行くよ?」
「いや。こう度々では騎士達も困る。
 先ほどの不二の占いも気になるしな。久々に城下を見て回るのも悪くはあるまい」

颯爽と青のマントを翻し、手塚は扉に向かう。その背に、大石が声をかけた。

「手塚。姫の従騎士はどうする?」
「…姫ご自身の自業自得とはいえ、姫を見失ったのはその従騎士だからな」

微かに彼が笑ったように見えたのは、ふたりの錯覚ではないだろう。

――訓練所廻りを20周だ。走らせておけ」
「了解。相変わらず厳しいな、手塚」
「それでこそ手塚、だからね」
「ははッ、違いない」

笑うふたりに、手塚が向けるのは穏やかな表情。
それは幼い頃から共に歩んで来た、このふたりにしか見せない顔だった。



File02 最強の騎士




「ホァラッ」

謎の鳴き声を発する毛玉と、それと戯れている王子様。
ムカつくほど生意気な笑みか。
眠そうにぼけっとしてるか。
はたまた不機嫌そうに顔をしかめているかしか表情を見せないリョーマが、子供らしい笑顔を浮かべている。


――なんだアレ。
の頭の中は一瞬真っ白になった。


「…ん? 、準備終わったの?」

立ち尽くすに気付いたリョーマが、毛玉を膝の上に乗せたまま振り返る。
向けられる表情の違いに、今見たものはやっぱり錯覚なんじゃなかろうかと思った。
…現実逃避でしかないのは、自身がよく自覚しているのだが。

「…なに、そのタヌキ」
「タヌキじゃないよ。どう見たって猫でしょ」
「いやタヌキだろ。…そもそも鳴き声変だし」
「ホァラ?」
「ほら、変じゃないって言ってる」
「いや通訳しなくていいから」

動物の通訳が出来るっていうのも、召喚者の素要か。魔族ってわからない。
そうは思いつつも、の視線はころころ動く毛玉に釘付けだった。

「うぅ…でも可愛いよぅ」
「ホァラ~」
「変な鳴き声もかわいいぃぃッ」
「あ」

思わず駆け寄って手を伸ばすと、毛玉…もとい、猫はの方に近寄った。そして、興味深そうにの膝に乗る。
少なからず愛猫の行動にリョーマは驚いたが、猫にしか目がいっていないは気付いていない。

「ふわふわ~、ホント可愛い~っ」
「ちょっと、落ち着きなよ…わかったから」

呆れたようにそう言うと、リョーマはの肩を叩く。
我に返ったは、猫を抱いたまま視線をリョーマに戻した。

「でもさ、この子どこから連れてきたの?」
「どこって…俺の猫だし」
「は?」
「召喚獣って知ってる?」
「知ってるわよ、青国では有名な召喚獣がいるもの…って、じゃあこの子、召喚獣なの?!」
「まあね。…母さんが喚んだ奴だけど」
「……」
「……」

思わず顔を見合わせるふたり。
おもむろに、はわざとらしい溜め息をついた。

「…なんだ、見直して損した」
「どういう意味だよヘボ召喚士」
「だッ…誰がヘボ召喚士よ!」
「おまえ」
「そのヘボに召喚されてあまつさえ契約したのはどこの誰…って」

ふと違和感を感じ、は言葉を止めた。
…いま、「おまえ」って言った?

「うるさいな、不可抗力でしょ。…なに?」
「…あの、いま…」
「はっきり言いなよ」
「…やっぱいい」
「あっそ」

さして興味もないのか、素気ない一言で会話終了。
…言及されない方が良いに決っているが、これはこれで複雑だ。

「…ねぇ、そろそろ行くけど…その子、連れてく気?」
「なにか不都合、ある?」
「あのね。こっから先は、滅多に魔術使わないで行くわよ? 召喚士って希有だから、色々面倒だしね。
 こんなご時世だし、危険は山のようにあるんだから…その子小さいし、危ないよ」

は親切で言ったことなのだが、リョーマは呆れたように目を眇めた。

「…あのさ、《マスター》さん。俺が魔族だって忘れてない?」
「え? 忘れやしないわよ」
「じゃあさ、俺がただの猫を連れてくると思う?」
「??」
「面白いもの見せてあげるよ。…おいで、カルピン」
「ホァラ」

カルピン、と呼ばれた猫が、の膝の上からリョーマの方へ飛び移った。
腕の中に戻った愛猫に、リョーマは簡単な印を切る。
――瞬間、リョーマの手に一降りの剣が出現する。

「…どう? これで文句無いでしょ?」
「え、あ、え…ね、猫…剣…あれ…?!」

混乱するに不遜な笑みを返すと、カルピンを猫に戻したリョーマは、サラリと言い放つ。

「あのね。この程度のことで騒ぎすぎだよ」
「普通騒ぐわッ!!」
「…おまえにも出来るはずだけどね。条件さえ揃えば」
「……えッ?」
「なんでもない」

短くそれだけ言うと、リョーマはが持って来た荷物を手に取り、上体だけ振り返る。

「じゃ、行くよ。追っ手がくると面倒でしょ?」
「あ、うん…」

慌てても立ち上がる。
道を知るが行き先を示すと、ふとリョーマが疑問を口にする。

「で、どこに行くんだっけ」
「青国の首都――《ガクエン》よ」
「《ガクエン》?」
「そッ。《ガクエン》は女王陛下のお膝元、商業も盛んな城下街よ。
 今は相当の数の人間が集まってるから、隠れ蓑になるわ」
「なんで? 祭でもあるわけ?」

不思議そうに首を傾げるリョーマに、は緩く頭を振る。

「流れの傭兵達が多いのよ」
「戦争でも始めんの?」
「物騒なこと言わないの! …まァ、近いものはあるけど…」
「どっちだよ」
「…あのね、青国には、強豪と名高い騎士団があるの」
「ふぅん?」

強豪、という言葉にリョーマが小さく反応した。
だがは気付かず、話を続ける。

「そりゃもう、強いわよ? 騎士団内で月に一回行われる練習試合で勝ち上がった者に、部隊長の資格が与えられる。
 そうやってしのぎを削って磨かれていく確かな実力…部隊長クラスは、魔術にも優れているらしいわ」
「へぇ? 魔導騎士、ね」
「中でも団長の手塚国光様は、強いなんてもんじゃないのよ。大陸でも1,2を争う最強の騎士。
 ――おまけに、無敗と詠われるの召喚獣を従えているらしいの」
「…召喚獣? 召喚士なの?」
「少なくとも、召喚士学院に籍を置いていた記録はないわ。
 出身地がわからないらしいから、他国か他の大陸から来たのかもね」

大抵の疑問に、はさらりと答える。
それもまた、かなりの記憶力だとリョーマは感心したが、口にするはずもない。

「今、彼と互角に戦えるのなんて…大陸屈指の巨大国家,立海大のトップと、氷帝の跡部将軍くらいじゃないかな」
「そいつらも強いんだ? 面白い大陸だね、…倒し甲斐ありそうな奴らが多い」
「は?」

隣を歩くリョーマが心なしか楽しそうなのは、の錯覚ではないだろう。

「手始めは青国かな。せっかく向かうなら、楽しませてもらわないとね」
「へ?」
「どいつが一番強いかな。楽しみ楽しみ」
「おおいッ!?」

楽しそうにとんでもないことを言い出すリョーマに、は思わず声を上げた。
が、リョーマは相変わらずの不遜な笑みを向けるだけだ。

「ねぇ、早く行こうよ」
「…あんたね…本気?」
「当然。相手が誰だって勝つよ」
「うっわ…言い切った…」
「ところでさ、結局、なんで流れの傭兵が青国に多く集まるわけ?」
「あ。…うん、今丁度、新入団者の試験を行う時期だから」
「傭兵が騎士に? あんまり聞かないね、そういうの」
「そうだね。でも腕試しには丁度良いんじゃない、試験試合――相手が全部、部隊長クラスだか」
「へぇ。丁度良いじゃん」
「ら…って! まさか、リョーマ!?」
「新入団者試験、ってことは一般人が受けられるんでしょ。丁度良いね。出る」
「出る、じゃないッ!」

例え見た目少年でも、リョーマは魔族だ。
いくら魔力が制限されているとはいえ、その並外れの身体能力で闘えば…注目を集めるのは必死。
どう見ても12,3の少年が、まかり間違って上位の騎士を倒すようなことがあったら――

「頼むから目立つことしないでぇぇぇッ!!」
「やだ。出る」

即答だった。
一瞬は言葉を失いかけたが、そこはなんとか踏み止まる。

「やだ、じゃないわよソレこそわたしが嫌よ!!」
も出れば。剣、使えるんでしょ」

目聡い。
荷物に紛れて持ってきていた剣を見つけられたらしい。

「…そりゃあ、多少は使えるけど。
 でも強豪集団と渡り合うほどの技なんか持ってないわよ、わたしは召喚士なんだからッ」
「俺は噂の団長サンと闘えればそれでいいけどね」
「リョーマッ!!」

不遜な物言いに危険を感じ、は思わず声を荒げる。

付き合いは短いが、はリョーマの性格を把握しつつあった。
飽くなき闘争心。そう言えば聞えは良いかもしれないが、とどのつまりは喧嘩っ早い。
しかも負けず嫌いだ。クールな物言いとは裏腹に、なかなか感情的だと思う。

「いい? おとなしくしてるのッ! わたしたちは逃亡者だってことを忘れないで!」
「だから、追って来られないように片付けちゃえば良かったのに」
「却下。なんでそう喧嘩っ早いかな」
「やられる前にやる、やられたらやり返す。当然でしょ?」
「それは賛成だけど時と場合を考えろ」
「…面倒くさ」
「リョーマッ!!」

もう一度が怒鳴ると、リョーマは気のない仕草でパタパタと手を振った。

「わかったよ、出来る限りは自粛する」
「……そうして。ホントに」
「必死だね」
「当たり前だッ」
「ホァラ」

主人の援護のためか、はたまた怒鳴るを慰めるためか。
カルピンがの膝元に擦り寄ってくる。

「う…カルピン、それ卑怯…」
「へぇ…随分なつかれたじゃん。珍しい」
「そうなの?」

思わず聞き返すに、リョーマはカルピンに向けたものと同種の笑顔を向けてくる。
馬鹿にしたようなものでも、余裕の笑みでもない。
――柔らかな、優しい笑み。

「……」

思わず見惚れて、は頬を染める。
照れ臭くなって視線をそらしかけた瞬間、

「まあね。さすがにヘボでも召喚士、だね」
「…あんた一言余計なのよッ」

…見惚れたのも照れ臭くなったのも、絶対に気の迷いだ。
そう自分に言い聞かせるだった。


+++


「はぅ~…」

彼女は困っていた。
それはもう、盛大に。

「おい、この服高いんだぞ! どうしてくれんだよ!?」
「ご、ごめんなさい…」
「ごめんで済めばなぁ、騎士団は要らねぇんだよ!」

程度の低い、小者である。
しかし彼女にとっては、充分脅威だった。

「弁償代、払えよ。今すぐにだ!」
「そ、そんな…今すぐなんて…」

涙目で縮こまるこの少女。
いわずもがな、従騎士とはぐれてしまった迷子のプリンセス・桜乃である。

「ひとの服を汚しておいて払えねぇってのか? ああ!?」
「あ、あ…ぅ…」

あまりの相手の剣幕に、桜乃は声も出せない。
思わず目を瞑った瞬間だった。

「あー、ねぇねぇ。そこのおさげの子ー」
「…え?」

わたし? と桜乃が半信半疑で振り返る。
そこには赤い瞳の鮮やかな少女と、彼女の少し後ろに立つ秀麗な顔立ちの少年がいた。
――とリョーマである。

「ちょっと道聞きたいんだけど、良いかなぁ?  あ、大丈夫! 時間は取らせないからッ」
「…。おまえ、怪し過ぎ」
「なんでよどこがッ!?」
「あ、あの…」

いきなり現れ、まったく空気を読んでいないふたりに、桜乃も男も一瞬言葉を失った。

が、なんとか男の方が先に我に返る。
馬鹿にされたと思ったのか、無防備に背を向けているに手を伸ばした。

「おいッ」
――!」

伸ばされた男の手を、リョーマが素早く払い落とした。
幼い外見に似合わぬ鋭い瞳が、男を射るように見据える。

「…ちょっと、汚い手でコイツに触らないでくれる? これでも一応、俺の《マスター》なんだよね」
「なッ…このガキ…!」
「アンタの方がよっぽどガキだよ。背丈があれば大人のつもり?」
「なんだと!?」
「いるよね。弱いくせによく吠える奴」
「こ、この…! もう我慢ならねぇ、オレが礼儀ってもんを教えてやるッ」

そう怒鳴ると、男は腰に佩いた剣の柄に手を掛けた。
桜乃は思わず悲鳴を上げたが、とリョーマは平然としている。

「…礼儀、ねぇ…」

いや、リョーマに至っては、明らかに面白がっていた。

――いーよ。ちょうど退屈してたんだ」

口元に浮かぶ、不遜な余裕の笑み。
ふてぶてしい態度で、リョーマは男が手を掛けている剣を顎でしゃくる。

「…ホラ、抜きなよ。飾りじゃないだろ、腰にぶら下げてるソレ?」
「…泣いて謝っても許してやらねぇぞ、ガキが」
「あんま大きいこと言うと、負けたとき言い訳できないよ?
「ほざけ!」

勢いのままに、男は剣を抜き放った。
それを見ても、リョーマの余裕は崩れない。
――丸腰であるにも関わらず、だ。

「…リョーマ」
「なに、《マスター》さん?」

後ろから、はリョーマの肩に乗るカルピンを抱き上げた。
そして、代わりだとでも言うように、自分の細剣をリョーマに差し出す。

「魔術は禁止。あとは存分にどーぞッ」
「りょーかい。そうこなくっちゃね」

から受け取った細剣を鞘から抜かずに、リョーマはその剣先を男に向けた。
――右手で。

「ハンデをあげるよ。怪我したくないでしょ?」
「なにがハンデだ…口の減らないガキだぜ!」
「先に抜いたのはそっちだよ。泣いても知らないからね」

あくまでも、リョーマは不遜な態度を崩さない。
しかし、一見すれば大人と子供だ。
桜乃の顔色が青くなった。

「あ、あのッ…」
「大丈夫、大丈夫。
 リョーマがあんなのに負けるはずないし、いざとなったらわたしが出るから」
「ええッ?!」
「…の助けが必要な程、弱くないよ」
「そんなこと言ってると助けないわよ!」
「別にいいけど?」
「むっかつくッ! 可愛くない! ねぇ、カルピン?」
「ホァラ?」
「…人の猫、懐柔しないでよ」

小さく息を吐くと、リョーマは静かに剣を構えた。
細剣は突きに適応し、切ることや凪払うことには向いていない。
しかし、リョーマの構えは細剣を扱う型ではなかった。
――剣の道を志す者ならわかるだろう、片手あるいは両用剣の構えだ。

「…さッ、始めるよ」

軽く唇の端を持ち上げ、リョーマはどこか凶悪な笑みを浮かべた。

あー。あれは、実はストレス溜ってたな。

物騒な微笑を湛え、遊ぶ気満々の様子を、は空気で感じとる。

「…まッ、か弱い女の子相手に大人げない言い掛かりつけるような奴だし。良い薬よね」
「え…え?」
「大丈夫!あいつチビだけど強いよ。少なくともあの三下よりは」
「誰が三下だッ」
「…。おまえ、あとで覚えてろよ」

やはり背が低いことを気にしていたらしい。
本来より縮んだのならなおさらだろう。

――審判は要らないよね、おにーさん?」
「あ?」
「良いこと教えてあげるよ」

スッと、緩やかな動作でリョーマは細剣を振った。
ほんの僅かな空気のぶれ。
次の瞬間には、男の髪が数本、宙を舞い落ちる。

――喧嘩に王道はないってね。どっかのクソオヤジが言ってた。俺も同感」
「てめ…オレの髪を!!」
「暑苦しいんだよね、その頭」

軽く鼻で笑うと、リョーマは片手に構えた細剣に顔を寄せる。

――すぐ、スッキリさせてあげるよ」

そう言って嗤う表情は、どう見ても『正義の味方』なんかじゃなかった。

うん、だってあいつ、魔族の王子様だもん。

今更思い出して、は少しだけ男に同情した。
あくまで、少しだけ。


+++


勝敗など楽しみにするだけ無駄だった。
当のリョーマも、やや不満顔。曰く、「つまらない」。

「あーあ…コレならを相手にした方がまだマシだね」
「…そこでわたしを引き合いに出すのは色々間違ってる気がするのですがそこのとこどうよ王子様」

一応召喚士。一応あんたの《マスター》様。そんでもって一応女の子。
嫌そうに視線で訴えるに、リョーマは軽く笑っただけだった。
…わかっていて、言ってるようだ。性格悪い。

「…おいッ…これで終わりだなんて言ってねぇだろ!?」
「は?…まだやんの?」
「当たり前だ! てめぇ、恥かかせやがって…!!」
「アンタが恥かくような腕前で剣なんか握ってるからでしょ?」
「黙れ!!」

ああ、なんだかとっても大人げない。
隙さえあらば刺す気満々の殺気が。

「…まぁ、そんな剥き出しの殺気じゃあ、」
「…まだまだ、だよね」
「…うん、そだね…」

はぁ…。
とリョーマは、思わず顔を見合わせて盛大にため息をついた。

「おまえら馬鹿にしやがって! 今度は本気で…!」
「…諦めの悪い男ね。何度やっても、リョーマには勝てないよ」

頭痛を抑えるように額に手を当てながら、は言い放った。
当然、男は怒りの形相でを睨み付ける。

「なんだと!?」
「…いーよ、別に」
「でもリョーマ、あんた確か」
「いいってば」

の言葉を遮ると、リョーマは剣を左手に持ち換えた。
男の表情が、はっと強張る。

「…だから、言ってるじゃない。勝てないって。だって――

不思議そうに首を傾げる桜乃に、は悪戯めいた笑みを向けた。
そして、視線をリョーマに戻し、軽く笑う。

「…あいつ、左利きよ?」

が言った瞬間、リョーマの鋭い剣閃が男の剣を弾き飛ばした。


+++



「あ、あの…助けてくれてありがとう。わたし、竜崎桜乃と言います」

育ちの良さを感じさせる仕草で、桜乃は丁寧にお辞儀する。

「わたしは。こっちはリョーマだよ」
ちゃんに、…リョーマくん…」

口の中で数回反芻すると、桜乃は「うん、覚えた」と言って微笑む。

あー、普通に女の子だわー。育ちも良さそうなお嬢さんねー。

と、はどっかのオバさんみたいなことを思った。

「わたしたち、冒険者って奴でさ。あ、そうそう、騎士団の入団試験ってどこでやってるの?」
「えっ…ふたりとも、あれに出るの??」
「…あー…まぁ、リョーマがね」

曖昧に濁すに、眠そうな表情でぼんやりしていたリョーマが、ぼそりと呟いた。

「なに、。おまえ出ないの? …根性なし」
「なんですって!?」
「ああああのっ、喧嘩しないで…」

の怒鳴り声に驚いた桜乃が、慌てて割って入る。
が、リョーマはあくまでマイペースだ。

――で。入団試験の会場、どっち」
「あっ、はいッ…ええと…街の南側に騎士団寮があって…」
――姫!」

場所の説明を始めた桜乃の声を遮るようなタイミングで、鋭い声が響いた。
弾かれたように桜乃が振り返る。
当然、とリョーマもそちらに視線を向けた。
――その先には、深蒼のマントを身につけた、長身の騎士。

「あ…手塚団長…!」

桜乃が呼んだ名前に、彼方とリョーマは思わず顔を見合わせた。
まさか噂のご本人様と、早速お会い出来るとは。

「…あれが、噂の?」
「……ふーん……」

なんというか、絵になる男というものは、案外いるものだな。
隣にいるリョーマと、噂の手塚国光を交互に見やって、はそんなことを心の中で呟いた。

いや、しかし、リョーマはまだ「可愛い」の範疇だが。
この団長さんは完璧に、絵に描いたような。

そんなことを考えながら、はひとりで納得してうんうんと頷く。
それを不審そうに横目で見ながら、リョーマが口を開いた。

「…。おまえさ…今、失礼なこと考えなかった?」
「な、なんでわかった!?」
「って、考えてたわけ!?」
「え、わかったから言ったんじゃないの? カマかけたわね狡い!!」
「阿呆かッ」

ぎゃいぎゃい言い合うふたりには目もくれず、手塚は桜乃の方へ向かう。
眉間の皺を見れば、怒っているのは一目瞭然だ。

「姫! このような所にいらしたか」
「ご、ごめんなさい。また迷子になってしまって…」
「ご無事で何より。説教は城に戻ってからに致しましょう。――この者達は?」

そこまできてようやく、手塚はとリョーマに視線を移す。
が、その瞬間は、ふたりともくだらない言い合いの真っ最中だった。

「「…あ」」
「……」

は慌てて佇まいを直し、咄嗟にリョーマの後頭部を張り飛ばした。

「いてッ?!」
「やかましい」
「…おい」

理不尽な攻撃に、もともとあまりよろしくないリョーマの目つきが、更に悪くなる。
しかしは無理矢理無視を決め込んだ。ある意味、リョーマが魔族だということを忘れ去った行動だ。

そんなふたりを、手塚は不思議なものを見るように見た。
妙な空気を察したのか、桜乃が慌てて口を挟む。

「あっ。あの、おふたりはわたしを助けてくださったんです」
「助けた?」
「ええ、あの…少し、絡まれてしまって。それで」
「なるほど」

ようやく合点がいった、とばかりに手塚が頷く。
今までなんだと思われていたんだろう。
ふとは不安になった。…変な奴だと思われていた自覚はちょっぴりある。

「こちらのお方は、我が青国のプリンセス,桜乃姫だ。
 姫を助けてくれたこと、礼を言う」

衝撃告白だ。
の頭が、一瞬真っ白になる。

「…さ、桜乃ちゃん、お姫様だったんだ…?」

そう言えば今更ながら、そう呼ばれていた気がする。
困惑気味の彼方に、桜乃はなんともばつの悪そうな苦笑を返した。

「うん、そうなの…あ、でも全然気にしないでね! ちゃん、同じくらいの歳だし、」
「…姫」
「…はい。ごめんなさい…」

そりゃそうだ。
一国のお姫様がそんなにフレンドリー過ぎても困るだろう。
もちろん、彼女なりの気遣いだったのだろうが…。

「申し訳ないが、失礼する。姫の安否を心配しているお方がおられるのでな」
「あ、はい。ご苦労様で」
――待ってよ、団長サン」
「す、って…リョーマ!?」

ちょっと待てこら。おまえ今何を言おうとしてる。
そんな思いを視線に込めてが訴えると、リョーマはただ、いつもの不遜な笑みを返してくる。


……
………とりあえず口を塞ごう。

そう思ってが手を出すより先に、リョーマはさらりと言い放った。

「俺と手合わせしてくれない? 団長サン」

…や…
やりやがったーーーーぁっ!!?

声にならない悲鳴を上げる同様、桜乃も大きな目をきょとんと瞬かせている。
しかし、さすがに手塚だけは冷静だった。

「……悪いが、騎士が私闘を行うことは出来ん」
「そ、…そうですよね!? ごめんなさい、この子ちょっと喧嘩っ早くて」
「逃げるの? …青国が誇る強豪《青騎士団》の団長サンが?」
「リョ、リョーマ!」

一瞬、周囲の空気が冷えた。
それを敏感に肌で感じ取ったが、慌ててリョーマの腕を引く。
しかし、リョーマは手塚を見据えたまま微動だにしない。

「どうするんすか?…手合わせ、してくれるの? くれないの?」
――……良いだろう。だが、市街で私闘など以ての外」
「そッ。なら外出ても良いよ。それとも騎士サン達の訓練所とか行く?」
「……そうだな。――姫」
「は、はいッ」
「視察はまだ、騎士団寮の方までは行かれていませんね」
「え。あ、はい…ずっとこの辺りをぐるぐると…」

ソレは相当な方向音痴だ。
目と鼻の先に王城がある、こんな広場で。
思わず眼を瞬かせるに、桜乃は顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いた。

「では、視察の続きを致しましょう。従騎士不在の為、俺が随従致します」
「えっ…え、あ、は、はいッ?!」

思いがけない一言に、桜乃は混乱して、助けを求めるようにを見た。

…ごめんね、お姫様。わたしには無理です。

は視線でそう返すしかない。
少女二人のアイコンタクトなどお構いなしに、手塚とリョーマは睨み合っている。

――ついて来い」
「…はーい」

しかもリョーマは嬉しそうだ。
それはもう、新しい玩具を見つけた子供のように。

――ああ。
あの表情、見たことあるわ。

嫌なものを思い出すようにそう呟いて、は盛大にため息をつく。

――わたしに召喚されたときと同じ表情してるし…」

亡き大召喚士のお父さん。
顔も知らないお母さん。
…わたしは泣きそうです。なんで人生ってうまく運ばないんでしょう?

もはや現実逃避である。
よくわからないことを考えながら、ひっそりと涙するだった。

「…ちゃん、ちゃん! 早く行かないと置いていかれちゃうっ」
「はッ?!」

桜乃に肩を揺すられ、はハッと我に返る。

「ご、ごめん。行こうっ」
「う、うんっ」

はまた道に迷いそうな桜乃の手を取って、慌ててふたりを追いかける。
しかし、ふとは思う。

――普通、こういうのって、騎士さんの役目じゃないの??


+++


「……」

信じられないものを見た。
と、いうより、夢でも見ているのか。それならきっと悪夢だ。


その光景を一部始終見ていたは、そんな陳腐な感想しか思いつかなかった。
リョーマの身体能力は、魔族であるがゆえ人間より高い。
剣技に関しても、構えを見るだけで相当出来るとわかる。
だが、今、の目の前に広がる光景は。


肩で荒い呼吸を繰り返しながら、地に膝をつくリョーマ。
そして――呼吸ひとつ乱さぬ、深蒼のマントの青年騎士。

――勝負、あったな」
「……」

地に落ちた自身の剣を見下ろしていたリョーマの表情が、僅かに動いた。
その表情を見て、は思わず目を瞠る。
――負けたというのに、リョーマは微かに笑っていたのだ。

「…おまえはここで費える器ではないだろう」

手塚は真っ直ぐにリョーマを見下ろす。
地に膝をつけたまま、リョーマは鋭い視線で彼を見上げた。

「上がってくる気があるのなら。――我が青騎士団に入れ」

それだけ言い残すと、手塚は桜乃を伴って背を向ける。
気になるのか、何度か桜乃が振り返る。だが――――



リョーマの、静かな闘志を宿らせた瞳は――振り返らぬ〝最強の騎士〟の背を、見つめ続けていた。









To be continued?

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