「おはようございます、阿伏兎さん」
一晩経って劇的な変化があるわけもないだろうが。
どこまでも静かな…というよりは抑揚の無い様子で、そう告げては頭を下げた。
宇宙のど真ん中に居る彼らには、時間の感覚は割と曖昧だ。
だが、一応置かれた時計の示す時間は、早朝と呼べる時間である。
「…おはよう。早ェな」
まったく、この娘は不器用なまでに真面目なのか、ただ感覚がズレているだけなのか。
基本的にマイペースな上司とその秘書官を見慣れているせいかもしれないが。
「そう、ですか? 睡眠は4時間取れば事足ります。
本日7時間の睡眠を取りましたので、寝過ごしたくらいかと」
「いや、まぁ間違ってねぇけどな…ロボットか、お前さんは」
「一応、生物です」
「………そこで真面目に返されても困るんだが」
「………申し訳ありません」
素直に謝ってから、ふとは不思議そうに首を傾げた。
「わたしに早いと仰いますが、阿伏兎さんは既に仕事をなさってますよね…?」
「俺も寝てて良いなら寝てるんだけどよ、昨日団ちょ、…っと、
提督サマが秘書官殿を連れて行ったまま戻ってこなかっただろ?」
「はい」
「おかげで仕事が溜まってるんだわ」
「…それは、…ご苦労様です」
奴隷種族と揶揄され、自身もそれを認めてはいるがは案外、率直な物言いをする。
それは彼女の生来の性格であり、
落ち着き先がここでなければ生きていくのに苦労したに違いない。
恐らく、今の言葉はそんなの精一杯の気遣いが籠った一言だった。
その不器用な気遣いに、阿伏兎は苦笑を返す。
「お前さんの暴君主は今日は昼まで寝てるぞ、多分。
主に倣って寝てろとは言わねぇが、楽にしてろ」
「はぁ…」
一瞬、困惑したような表情をして、は頷いた。
「…………」
「…………」
奇妙な間に、書類に向きかけた阿伏兎の意識は引き戻された。
視線を上げると、所在なさげに突っ立っているの姿。
「………なんで直立不動で突っ立ってるんだ?」
「………申し訳ありません。あの、何をしていいのかわからないのです。
わたしは客人ではないのですから、働かせて頂かないと落ち着かなくて…」
殊勝な言葉である。
マイペースな上司とその秘書官に爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいに。
「…暴君夫婦に見習わせたいね、そりゃ」
「何かお仕事を頂けませんか。とりあえず、お昼時まででも」
「あー…」
何か仕事を、と言われても。
は春雨がいったいどういう組織なのか、恐らく半分も理解してはいない。
加えて、医学方面や余計な知識は叩き込まれているだろうが、それ以外となると怪しい。
いや、そもそも、秘書官の地位をお飾りにしない能力を持つの方が、規格外なのだ。
「…とりあえず、茶でも淹れてくれ」
「わかりました」
結局、下女同然の仕事しか思い浮かばなかった。
だがはそれに素直に応じ、執務室の隅に設けられた給仕用の簡易台所へと向かう。
何か珍しい物を見るような気持ちで、阿伏兎はそんな彼女を視線で追った。
給仕に慣れてはいないようだが、生来、器用なのだろう。
特に危なげなく給仕をこなす素直な姿に、微笑ましさすら覚えた。
「阿伏兎さん? どうかされましたか?」
「いや。…お前さんは素直だな」
「そうですか…?」
不思議そうに首を傾げる様子に笑いながら、阿伏兎は差し出された茶を受け取る。
それを一旦机上に置いてから、彼は処理の終わった書類を彼女に差し出した。
「そこにある箱に入れておいてくれ。処理済みって書いてあるだろ」
「あ、はい。この箱ですね」
そんな雑用を不満なくこなすの働きは、阿伏兎の仕事量を減らすことはなかったが。
だが和やかな気分のままに、時間は過ぎていく。
――そして、昼時を少し過ぎた頃。
さすがに、ふたりは困惑気味に顔を見合わせた。
「……起きてこねぇな」
「……起きていらっしゃいませんね」
いつもなら、空腹を訴えて起きてくる上司の姿はない。
仕事をしないのは常のことなのでもはや気にしないが、食事をとらないのは珍しい。
「…飯も食わねぇでいつまで寝てるんだか…」
「お食事は大切ですね。では、起こして参ります」
「は? いやいや、ちょっと待て」
当たり前のように言って部屋を出ようとするを、阿伏兎は引き止めた。
どうせ気紛れか何か、下らない理由でしかないのだ。わざわざ関わる必要はない。
「そこまで世話してやらなくて良いぞ?
放っておけば適当に起きて適当に食うだろ。マイペースだからあいつら」
「ですがそれでは、立場有る方々の生活としては自堕落過ぎます」
「いや、いちいちごもっともなんだけどよ」
確かに、組織のトップとその秘書官が仕事もせずぐうたらしているのは、よろしくない。
よろしくはないが、今更でもある。
神威が書類仕事をしないのは団長になった当初からであったし、
それでも、が来てからは少しは生活態度は改善されているのである。
そのが一緒に居てなお、この状況だ。理由など聞かずともわかる。
…上司とその恋人の情事を覗き見る趣味はさらさらないし、むしろ関わりたくはない。
それが阿伏兎をはじめとするすべての船員の共通の認識である。
だがしかし、は真面目だった。
「いくら上司、主であっても、甘やかし過ぎは本人の為にも良くありません」
言い切って、は部屋を出て行った。
迷いのないその行動力に、阿伏兎は深くため息を吐き出す。
……素直で真面目なのは彼女の美点であり、最大の欠点だ。きっと。
+++
「…で、わざわざ起こしに来たと?」
「はい。時間感覚の薄い宇宙とは言え、あまりに自堕落が過ぎます」
「なんて言うか…ってメンドクサイ女だネ」
「それは、光栄です」
「褒めてないんだけど。…なんでそんな蔑んだ目で見るの?」
「…とりあえずお召し物はちゃんと着た方が良いですよ」
否定とも肯定とも取れる物言いで、は半眼で神威を見やる。
表面上すら、主を敬う気持ちは無いらしい。
いっそ清々しい程の不敬さに、神威は思わず笑う。
だがその反応は、余計にを呆れさせただけだった。
「阿伏兎さんは早朝からお仕事なさってますよ。
上司である神威様がだらだらしてるのはどうなのですか」
「んー? は阿伏兎が気に入ったの? オッサン趣味?」
「…なんでそうなるんですか。
話を逸らさないでください。あと服を着て下さい」
「人を露出狂みたいに言わないでよ」
「僭越ながら申し上げます。…鏡をご覧ください」
「真顔で酷い事言うね」
遠慮の欠片も無いを面白そうに見やると、神威は服の袖に腕を通した。
神威自身はあまり気にしていないようだが、一応、は彼と同世代の若い娘である。
その前で堂々と半裸で居られる精神構造は如何なものか。
は自分が所謂「普通の娘」ではない自覚があったが、
それでも神威がおかしいというか、あらゆるものに無頓着過ぎであることはわかる。
「まあいいや。ちょうどいい、部屋に食事の手配してよ」
「…お食事は、お部屋でとられるのですか?」
「普段は違うけど。がまだ動けないみたいだからさ」
「ご病気ですか。お怪我ですか」
「あはは、違う違う。ちょっと昨日頑張り過ぎただけ…痛っ」
笑いながら言いかけた神威の言葉は、後方から飛んできた何かによって遮られる。
床に落ちたものに、は視線を向けた。…本。結構厚めだ。
いかに頑丈な夜兎とは言え、これが後頭部に当たれば痛かろう。
は、躊躇いなく本を投げつけたであろう主へと、視線を移した。
「かーむーいー…ッ」
「あり? 動けるようになった?」
「やかましい。余計なこと言うな」
部屋の奥から、不機嫌そうな様子でが顔を出した。
疲労の色が見え隠れするその顔色から、体調はあまり良くないようだ。
「おはようございます、様。お加減が悪いのですか?」
「あー…うん、おはよう…大丈夫、心配しないで…」
「?」
疲れたように返して、パタパタとは手を振った。
首を傾げるに構わず、神威との会話は続く。
「食事どうする?」
「あー、聞こえてた。
…あんたが食う量を運ぶのも片づけるのも大変だろ、食堂行くよ」
「それはいいけど、動けるの?」
「動きたくないからお前が運べ」
「……構わないけど……まだ機嫌悪いの?」
「悪くは無い。良くも無い」
「それ多分悪いと思う」
「うるさいさっさと運べ」
「はいはい」
横柄なの言葉に、神威はどこか楽しげだ。
このふたりの力関係はよくわからないな、とは目を眇めた。
「…………………………」
当たり前のようにを抱えて部屋から出てきた神威に、は微妙な表情をした。
そんな彼女の反応に、神威は笑いながら応える。
「いつものことだよ」
「…いつものこと、ですか」
…もう、自分の常識でこのふたりを推し量るのはやめよう。
一晩と半日でそう悟り、はため息を吐き出した。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。