「…ごめん。強く掴み過ぎたね」
「あ、ぅ…」
赤く痕の付いた手首に舌を這わせられ、は慌てて視線を逸らした。
痛み以前に、人前でのその行為が酷く恥ずかしい。
無意識に身を固くするを見やり、神威は口を開く。
「」
「はい」
短く呼ばれただけで、何を要求されたのか理解したらしい。
はの手を取ると、赤く痕のついた手首に細い指を添えた。
瞬間的に痛みが引いて、は目を瞬かせる。
「…え…?」
「采女族は、手で触れた傷を癒すことが出来ます。痛みはありますか?」
「え、いや…痛くない…」
「骨に異常がなくて何よりでした。
…神威様、骨折は私には治せません。あまり手荒く扱われては…」
微かに、神威に向けられたの視線に非難の色が浮かぶ。
人形のように表情を変えない女の、その微妙な変化に、神威は嗤った。
「へぇ、いっぱしの医療員みたいな口利くね? 学も無いくせに」
「…采女族は治癒能力が大きな価値です。医療の知識だけは叩き込まれています」
「自分が無学じゃない、って言いたいの? は可愛いね、馬鹿みたい。
その能力に価値があるのは、送り先が俺だったからだよ」
「………そうですね」
淡々と答えるの表情が、また能面のように無表情になる。
ふたりの顔を交互に見てから、は顔を顰めつつ、神威のに向き直った。
「…神威。女の子苛めんな」
「え? 苛めてないけど」
「今の会話は思いっきり素なの!? おかしいよ!?」
「なんで俺が怒られるんだろう?」
まったく理解していないらしい。
心底不思議そうに首を傾げる神威に、は呆れたようにため息を吐く。
そして次に、彼女はの方へ視線を向けた。
「あと、あなた!」
「はい。です、奥様」
「…その奥様って何! 誰!!」
「…………奥様、ではないのでしょうか」
「違うよ!? 神威、あんたなんて説明したの!!」
「が勝手に思い込んでただけだよ。訂正もしなかったけど」
「確信犯じゃないの!!」
あながち間違いでもないんじゃないかなぁ、と。
笑いながら言われた言葉を、は意図的に無視した。
視線が一瞬泳いだあたり、無視しきれていない感はあったが。
「説明して! この子どうする気なの!?」
「さっきが自分で言ったでしょ?
こいつ、今日からの下女にするから。あと医療員」
「医療員がついで!? 意味わからないしッ」
「つまりがのご主人様なんだよ。
奥様が嫌なら、お嬢様でもお姫様でも好きに呼ばせたら良いんじゃない?」
「私そういう趣味ないよ!」
「こいつ、何命令しても言うこと聞くよ。そういう生き物だから。
それこそ靴舐めろとか言ったら喜んで舐めるんじゃない?」
「あんた私をどういう人間だと思ってんの! そういう趣味ないから!!」
とんでもないことを笑顔で言い放つ神威を怒鳴りつけ、
はがしっとの両肩を掴む。対するは、小さく首を傾げた。
「あんた、えっと、だっけ?
悪い事言わない、今から地球の吉原に行こう。私の知り合いに口利きする。
こんなとこに居ても良い事なんか何にもないって。ね?」
「お気遣いありがとうございます、奥様。
ですがどこに行っても所詮、私は奴隷種族。人間以下の存在ですから」
にこりとも笑わずに言われた言葉は、恐らく本心なのだろう。
常識外れな人間には慣れていたですら、顔を引きつらせた。
「なにこの子なんでこんな擦れっ枯らしなこと言うの?!
もっと自分を大事にしようよ、大丈夫だよあんた可愛いから幸せになれるよ!」
「ありがとうございます。でも、助平ジジイ共の相手をするより、
若くて綺麗な奥様にお仕えする方が幸せですよ。下女扱いなんて破格の待遇です」
「おかしい! それおかしいから! それ怒るところだから!!」
「ご命令とあれば、喜んで脚でもなんでも舐めます、奥様」
「舐めなくて良いよ!! あと奥様はやめようか!!」
ふたりして私をなんだと思ってんの!
そう怒鳴って頭を抱えるとは対照的に、神威は楽しそうに嗤う。
「…ふ…くっ…あはははっ! いや、ホントには面白いね!
その顔で馬鹿みたいなこと顔色一つ変えないで言うし、頭オカシイんじゃない?」
「自分の奥様の手首を折ろうとするような神威様には言われたくないです」
「その物言いとかさ、とは違う意味で度胸あるよね。やっぱ馬鹿なんだ?
良いよ、気に入った。お前だったらに触っても許してあげる」
「ちょっと神威、あんたの頭がオカシイのは今に始まったことじゃないけど、
他の人まで巻き込むのはいい加減やめなさいってば!」
「妬かなくて良いよ? 俺の女はだけだ。今も昔も、これからも。
は…うーん…なんだろ。ペット?」
「ペット!? そういうことを冗談でも言うんじゃありません!! あと妬いてない!!」
真面目な顔でとんでもない発言をするのは、神威の常ではあるが。
今のはさすがに、本人の前で言うセリフじゃないだろう。
だが非難と同時に口にした子供のような抗議の言葉に、神威は楽しそうに笑う。
「妬いてただろ? 可愛いなぁ、は。…ホントに、可愛い…」
「…え。ちょ、ちょっと…ッ」
抱き寄せられ、首筋に口付けられては上擦った声を上げた。
が、スカートのスリットから入り込んだ指先に素脚を撫でられ、さすがに眼を瞠る。
「…っ、ちょ、やだっ…神威、人前で何を…!」
「気にしなくて良いよ」
「気にするよ! あんたコレ人前でやったらただの痴漢です!!」
慌てて神威の手を掴んで押し留めながら、はちらと視線をに向ける。
視線を向けられたはというと、まったく表情を動かしていない。
「…差し出がましいかとは思いますが。
これより先は、お部屋に戻られた方が良いかと」
照れるでも呆れるでもなく、は淡々とした口調で告げた。
その声音のあまりの平坦さに、は余計に居た堪れなくなる。
「ほら! ほら、言われた!!」
「…神威様はともかく、奥様…いえ、
えと…、様?のお立場があります。ご自重下さい、神威様」
「ホントに差し出がましいね、? 邪魔しないで?」
笑顔で言われた言葉に、は僅かに眉根を寄せた。
表情変化の少ない彼女にしては、明確な不快を示す感情の色。
「…わたしは、様のしもべです。そう決めたのはあなたでしょう」
「うん? 以外の言うことは聞かないって?
忠義心が強いね。まぁそういう風に教育されてるから当たり前か」
「………」
「さぁ…俺のこと、嫌いだろ?」
咎めるでもなく、かと言って冗談でもなく。
笑いながら神威が言った言葉に、よりの方が驚いた。
「……はい」
一瞬だけ躊躇うように視線を泳がせ、しかしはきっぱりと言い放つ。
「あははっ、素直だなぁ」
「…私以外で神威に逆らう女の子、初めて見た…」
「そうだね。面白いだろ? 怯えてるくせにね。主を守ろうと必死だ」
「…?」
言われて改めてはに視線を向ける。
微かに、の肩が震えていた。
その双眸に、僅かに怯えの色が見え隠れする。
「でもね、。お前は間違ってるよ?
噛み付く相手を間違えれば、お前なんかただの駄犬だ。
忠犬になりたかったら分を弁えろ。――言ってる意味、わかる?」
ぐ、とは唇を噛んだ。
采女族の娘であるは、自分が『特別』であると教えられて育ったが。
――それでも、生死を左右するのは送り先の人間なのだと、思い知らされる。
「お前が尽くす相手はだ。じゃあ、隷属するのは?」
「…………………神威様、です」
「それで良い」
満足そうに眼を眇める神威に、は非難めいた視線を送る。
「…神威…」
「苛めてないよ?」
「苛めてるようにしか見えないんだけど」
「そうかな。まあ、の気にするようなことじゃないよ」
「気にするわッ」
「優しいね? でもは俺のことだけ考えてれば良いの。
そうだ。の世話は阿伏兎に任せようか、面倒だし」
「結局は阿伏兎さんに押し付けるわけ!?
あんたが無理矢理残したんだから、あんたが面倒見なさいよ!」
「やだよ、メンドクサイ。
それにそんなことしたら、またがやきもち妬くだろ?」
「やっ、妬かないわよバカ!! 一遍死ね!!」
「ハイハイ。は相変わらず口悪いネ」
笑いながらそう言うと、神威はの体を持ち上げた。
そのまま肩に担がれ、は悲鳴を上げる。
「た、高…ッ…こら、降ろしなさい!! ちょっと神威!?」
「ハイハイ。さっさとを阿伏兎に押し付けて部屋に戻ろうか」
「押し付けるって言った!? 良いから降ろしてーっ!」
「だーめ」
暴れるを意にも介さず、ふと神威は足を止めた。
そして、唖然と突っ立っているに声を掛ける。
「もおいで。お前の面倒みてくれる奴に紹介してあげるから」
「……………はい」
色々な言葉を飲み込んで、は返事を返した。
殆ど動かない表情の中で、視線にだけ――僅かな険を浮かべながら。
To be continued?
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