殉血の枷
14.日輪




様! そこは仕置き部屋です、お待ちを…!」
「黙りんす。日輪の情けない面を拝みに来ただけじゃ、通しなんし」
様!!」

追いかけてくる女の言葉は気にせず、私は歩いていた。
かつては自分も住んでいた場所だ、何がどこにあるかは、ある程度覚えている。
さて、仕置き部屋というが、ここは折檻部屋じゃなかったか?
私自身が放り込まれたことは一度もなかったが、しょっちゅう放り込まれていた女が居た。

――そう。昔と寸分違わず同じ目をした、この女。

――相変わらずだね、日輪。
 何回仕置き部屋に放り込まれたら気が済むんだい、あんた」

脚に包帯を巻かれた、痛々しい姿ながら。
項垂れるでもなく、毅然としたその女は、私の顔を見て眼を瞠った。

「……夕月?」

…ああ、そういえば。
この見世に居た頃は、そんな名前で呼ばれていたっけか。
そう仲良くしていた覚えもないのだが、よく覚えてるもんだ。

「…知らねぇよ、そんな名前。私ゃ三浦屋のだ」
「ああ、今は三浦屋の名跡を名乗ってるだったっけね」
「その状態で呑気に昔話たぁ、器がでけぇのかホントに馬鹿なのか悩ましいよ。
 他人のガキ抱えて逃げるなんざ、馬鹿な真似したね」
「…知ってんのかい」
「知ってるとも。あんたと違って、私ゃ親父様の「お気に入り」だからね」
「…そうだねぇ」

――私は、たぶん。日輪が嫌いなのだろう。
なにも彼女が、常に番付の一位だからとかではなく。
彼女が、男達のみならず他の遊女達にも慕われているからではなく。
彼女の存在自体が。…その在り方が、気に食わないのだ。

陽の光の届かぬこの地下で、ひとり、太陽のように輝くこの女が。
あの男が、歪な執着を抱くこの太陽が――気に食わないのだ。

「…あんた、逃げ切れると思ってたのかい?」
「まさか。…あの子を外に出せたら、それで良かったさ」
「死ぬつもりだったのか。…なら、あんたが面倒見てた禿達はどうするつもりだった」
「…それは」
「世話焼き、お人好しも結構だが。…てめぇは考えなしだ。吉原の太陽が聞いて呆れる」

他人の子供を抱いて、逃げて。
子供を逃がすことが出来たなら、それで良いと。
本気で言っているであろうこの女の、この目が嫌いだ。

子供を見逃す代わりに、自分からここに繋がれに戻ってきたか。
…脚の包帯。腱を切られたな。
そこまでして、この女は何を得たのだろうか。

「せいぜい死ぬまで座敷に繋がれて、見世物にされるがいい。
 好き勝手飛び回ってたツケが回って来たんだ。…ホントに、馬鹿なことしたよ、あんたは」
「…

見下ろす私を真っ直ぐに見上げて、日輪は口を開く。
酷く静かなその声音は、居心地が悪くなるほどだ。

「あんた、私が嫌いなんだね」
「…ああ、嫌いだね。
 あんたが居なけりゃ、私がいっち売れっ妓だ。当たり前だろ」
「そんな俗っぽいこと、あんたは考えちゃいないだろ?」
「……」
「私の禿にね。月詠、って娘がいるんだ。
 あんたとおんなじ、月の名前の娘。…もうすぐ新造出しの年頃なんだけどさ」
「…その時期に手前は何やってんだい」
「あんたの目は、昔のあの娘にそっくりなんだよ」
「……」
「ねぇ、

煩わしい、と。
明確な嫌悪を抱くのは、この女が最初で最後かもしれない。
何故、ここまで嫌悪するのか、自分でもわからないくらいだ。

「あんたは、昔から決して鳳仙に逆らわない。
 いつも昏い目で、だけどその目はまだ死んじゃいない」
「……」
「あんた、いったいここで、何を思って生きてるんだい?」
「…そんなもん、あんたにゃ一生、理解出来ねぇだろうよ。
 ――気が削がれた。まったく、少しはしおらしくしてるかと思えば、相変わらずたぁね。
 その脚じゃあ、まともな仕事は出来んだろう。せいぜい格子の内側で客引きパンダやってろ」

一度落ちれば終わらぬ地獄。
その地獄で、何を思って生きるのかなどと――訊いてくるのは、この女以外居ないだろう。
この女はいったい、強いのか、ただの馬鹿なのか。…どうしてこいつは、こうも私を苛立たせるのだ。

「年季明けも、身請けも、足抜けも出来ないままで、――そこで腐って死んでいけ」
「……ねぇ、。…夕月」

背を向けた私に、変わらず静かな声音で、日輪は語る。

「護りたいもん護る為なら、私ゃここで――腐って死んでいくことを、喜んで選ぶよ」
「………〝夕月〟なんて名前の新造はもう居ねぇよ、日輪太夫。何度も言わせんな」
「そうだったね、…太夫。
 あんたは私を嫌ってるんだろうけど、私はあんたのこと嫌いじゃないよ」
「…そういう手練手管は客相手にやりな」
「はははっ、酷いねぇ。嘘じゃない、本当さ」

子を奪われ、脚を奪われ、繋がれておきながら。
日輪は昔と変わらずに、笑う。腹立たしい程に。

「あんたの弾く三味の音と唄声が、私は子供の頃からずっと好きだったよ。
 あれだけの音、あんたにしか出せやしない。あんたの姐さまより、私の姐さまよりずっと上手い。
 自分もあんな風に弾けたら良いのにって、妬いたくらいにね。あんたが見世替えして寂しく思ったよ」
「……日輪太夫ともあろうもんが、他の太夫を羨ましがるんじゃないよ」

――こういうところが、嫌いなのだ。この女。
壊すことしか知らない私の、奏でる音を好きだと臆面もなく言う女。
廓に飛び交う言葉はすべて嘘。騙し騙されるがこの吉原。
だから信じやしない。
誰からも慕われる女が、ただ一人、自分を嫌う女に投げた言葉なんて。


――そう、いえば。


生まれた子供は、男だろうか。女だろうか。
父親も母親も知らぬその子は…いつか、母親を求めるだろうか。
そしてその母がもう亡いと知った時――復讐しようとするだろうか。この、吉原に。

「…くだらねぇ」

そんなこと、私が考えることじゃない。
…〝何を思って生きてるか〟だって? そんなの私が知りてぇよ。
あの男を殺す為に、ここに来た。
その為だけに、殺意だけを抱いて、ここで生きてきた。
護りたいもの? そんなもんの為に、意地張ったって意味はない。
そんなもん、作ったら終いだ。――拳が鈍って、あの男を殺せなくなる。
弱みを作るなんて、馬鹿だろう。それが為に鎖で繋がれ、飼い殺されるなんて愚かしい。


あの男の首を取る為に、すべての感情を捨ててここまできたのだ。
これ以上堕ちる場所などありはしない。



気高い太陽には、わかるまい。
太陽の陰で輝く月の名は、とうに捨てた。



――ここにはただ、地の底で咆哮を上げる獣が居るだけだ。









To be continued?

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