殉血の枷
15.少女




――日輪が道中を張らなくなってから、2年が経った。
当然のように、番付で私は一位を飾り続けたが、日輪の人気が衰えたわけでもない。

変わらず声が掛れば私は親父様の元へ行くが、あの日以来、日輪には会っていない。
噂では彼女の禿――月詠といったか。その娘が百華に入ったとか、そんな話を聞いた。
私はその間にふたりの新造を一人立ちさせ、最後の一人である乙葉の養育中である。
目の前で三味線をかき鳴らすその妹女郎は、今年17歳になる。
もう一人立ちまでそう日は無い。成長したものだ。
…が、耳に届く旋律に、私はぴたりと手を止めた。

「違う違う! 何回同じ場所でトチるんだいお前は!
 確かにその曲は難しいが、指を誤魔化して気づかれないと思ってんのか!」
「ご、ごめん姐さん…」
「もう一回頭から! 次トチったら飯抜きだよ!」
「は、はいっ」

真面目で素直なのは良いが、どうしてこう、そそっかしいのか。
新造出しから面倒を見てやっているが、乙葉はどうにもあと一歩でドジを踏む。
器量、芸事、どれをとっても三浦屋の看板足り得る妓なのだが。
…もうすぐ一本立ちするというのに、色んな意味で変わらない娘である。

「…いつもこんな感じだったっけ?」
「乙葉ちゃんの初見世が近いので、姐さんが一段と厳しくしていんす」
「あー、なるほどねー」

背後で交わされる呑気な会話に、私はため息を吐き出して、胡乱な視線を投げた。

「…………で。見世の始まる刻限前になんで居るんだいあんたは」
「えー?」
「おはぐろどぶに捨てるぞこのガキ」
「あはは、番付一位の太夫とは思えない形相。
 夜になったら客として来るから良いじゃない、どうせ誰も気にしてないし」
「…あんたねぇ」

怒る気も失せる…。
合いも変わらず、呑気で何考えてるのかよくわからない奴である。
2年経っても、下手な女より上等の器量は変わらず、青い瞳に宿る暗い色も変わりはしない。
…多少、出会った頃より表情は豊かになったが。

「乙葉の気が散るから、奥でそよぎとかなでと遊んで来い。邪魔だ」
「酷いなぁ」
「やかましいわ。見世の始まる刻限前に居座っとる奴を客とは言わん、寄生虫と呼ぶ」
「2年経ってもだね。まあ、いいや。行こうか、ふたりとも」
「「あーい」」
「乙葉もガンバレ」
「えっ。…あ、うん…」

と、周囲に気遣うセリフを吐ける程度には、世渡り慣れしたようである。
…吉原で世渡り慣れもどうかと思うが、外でのこいつは私には知りようがない。

「ま、あれはどうでもいい…さて。いいかい、乙葉。あんたはうちの秘蔵っ妓だ。
 あんたは見目も良いし、芸事の筋も良い。次にの名跡を継ぐのはあんただよ」
「姐さん…」
「だが美しいだけじゃあ、大見世のお職は務まらんし、必ず身請けしてもらえるとも限らん。
 だからあんたには厳しく三味の稽古をやらせてるんだ」
「年季明け後も、ひとりで生きていけるように…」
「そう。三味の師匠なら食うには困らんだろ?
 三浦屋のような大見世ならともかく、中見世や小見世じゃあ新造は三味線習いに余所へ通うのが通例だ」

それに、元三浦屋の花魁となれば、それだけで他と差が付く。
現役時代に三味が上手い、と評判になっていればなおさらだ。
そういう意味では、乙葉は問題ないだろう。三味の腕前だけなら、だが。

「それと、あんたの初見世の相手だが」
「あ、あの、姐さん」
「ん?」

今まで素直に言われたことに相槌を打っていた乙葉が、珍しく私の話を遮る。
珍しいこともあるもんだ、と視線で促すと、一瞬躊躇ってから、意を決したように口を開いた。

「わ、わっちの初見世の、相手っ…か、神威様じゃダメでありんすか!?」
「………は?」

思わず、目を瞬かせてしまった。
…なんだって? 何かとんでもないことを言われたような。

「神威様がわっちなんて気にも留めてないのは、充分わかっていんす。
 姐さんの馴染みさんがたくさん、わっちの水揚げを申し入れてくれているのも…でも…」
「…乙葉」

パンッ、と。
乾いた音と共に、乙葉の体が畳に投げ出された。
手加減はしたが、それでも私は純血の夜兎。
白い頬は赤く腫れていることだろう。…こりゃあ、今日は座敷に出せねぇな。

「…半人前の新造が、姐女郎の馴染みに岡惚れかい。馬鹿をお言いでないよ」
「ね、姐さ…」
「…あれはあんたの手に負える男じゃありんせん。
 抱えの新造の初客は、姐女郎が決める。そんな我が儘が通ると思いでないよ」

――どちらにせよ。
力加減を知らぬ若い夜兎の相手を、乙葉のような普通の娘がするのは無理だ。
今まで私が面倒見てきた新造で、水揚げ前なのはもうこの乙葉だけだが、
その分一番可愛がって面倒をみていたのは、私自身にも自覚はある。
その手塩にかけて育てた妹女郎を、むざむざ死なせるわけにはいかない。

「……わっちは、姐さんみたいにはなれんせん」

ぽつりと、小さく、乙葉が呟いた。
そして、ぐっと拳を握り締めたかと思うと、勢いよく立ち上がった。

「…初めての相手くらい…好きな男と、と思うのは…何も我が儘なことじゃありんせん…っ」
「乙葉っ!! お待ち!!」

そのまま座敷を駆け出していく乙葉に声を掛けるが、当然、止まるわけもなく。
遠ざかる足音を聞きながら、私は思わず頭を抱えてしまった。どうしてこうなった。

「…よりによって、厄介なのに惚れやがってあの妓は…」

…さて、これはさすがに予想外だ。
乙葉が、ほとんど飯食うか遊びに来ていた神威を慕うようになるなど、予想もしちゃいなかった。
が、よく考えれば、あの子は同世代の男なんぞ見慣れない、廓育ちの禿立ちである。
親父様絡みのいわくつきの客とはいえ、表面上は愛想の良い同世代の男。
さらには、若い娘の好みそうなあの外見だ。予想出来なかった私の落ち度と言わざるを得ない。

乙葉は呑気な性格だし、おっとりしていて逆に心配するくらいだった。
素直で反抗期も起こさなかったような子だったのだが…まったく、色恋とは恐ろしい。

「…思うだけなら我が儘じゃねぇが、口に出したら我が儘だろうが。
 あんなんで一人立ちした後、やっていけるのかねぇ、乙葉の奴…」

――遊女が恋などしたところで、苦しいだ。
惚れても地獄。惚れられても地獄。
恋に命を懸けて、命を落とす女、心を壊す女など今までにも掃いて捨てる程にいた。
女に成れぬならせめて母にと思っても、それすら叶わない。
『選べる立場』にある太夫ですら、それだけは儘ならない。

…そもそも、だ。
間夫どころか帯すら解かぬ姐女郎を見てきて、何故、ああもまともな感性に育ったか。

「なに、喧嘩? 物凄い音が聞こえたけど」
「…神威」

元凶が、呑気な顔で来やがった。
本人には与り知らないことだろうが、若干の苛立ちを覚える。…ぶつけはしないが。

「…初見世が近くてヒス起こしただけさ。
 私の新造にしちゃ、乙葉は真っ当な感性だからね」
「そうだね、に育てられたら凶暴になりそうなのに大人しいし」
「あんたは私をなんだと思ってんだい」
「化け物」
「殺すぞ」
「ホラ、怖い怖い」

誰が、化け物だ。こいつにだけは言われたくない。
楽しそうに笑う神威の頭を、乱暴に撫でる。
私は長身な方だからまだ手は届くが、会った頃よりだいぶ背が伸びた。
そのうちあっさり追い抜かれるだろう。…の、割に中身は相変わらずだが。

「…図体ばっかでかくなって全然中身変わらねぇなあんたは」
「痛いって。首もげる」
「さすがの私でも、片手で首は捩じ切れねーよ」
「…それ、両手使えば出来るって言ってる?」
「言ってる」
「それで、化け物じゃないって?」
「いくら純血の夜兎でも、男に比べりゃ女は腕力で劣る。
 今は無理だろうが、あんただってあと2、3年もすりゃ簡単に出来るんじゃねーか」
「いや、出来るか出来ないかで言えば出来るんだろうけど、……別に首捩じ切りたいとか言ってないよね俺は」
「あれ? 違ったのかい」
「…ってやっぱ夜兎だなーって思う、すごく」
「そりゃどーも」

花も月も蝶も、私には似合わない。
私の本質は獣だ。目の前の同胞と同じように。

「だってあんた、私のこと殺したいんだろ?」
「え? 俺はに死んで欲しくないよ?」
「…は?」

今日は、ことごとく予想外の言葉に遭遇する日らしい。
不思議そうに返された言葉こそに、私は思わず眼を瞠る。
だが、私のそんな反応にも相手はお構いなしに身勝手だった。

「さて、鳳仙の旦那に呼ばれてたの忘れてた。
 昼見世の邪魔しちゃ悪いし、俺はそろそろ行くよ。また夜にね、
「あ、ちょ…!」

どいつもこいつも、こっちの話なんざ聞いちゃいねぇ。
窓から出ていくという行儀の悪さを発揮するその背を見送って、苦笑した。

「…「また夜に」って…意味わかってんのか、あいつは?」









To be continued?

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