「なんか新しいパンケーキ専門店が出来たらしい」
「三軒茶屋の? VoiVoiだっけ」
「そう、それ。行く?」
「奢りかな」
「良いよ」
「即答とか。そんなに行きたいのかよ。いつ行く?」
「三軒茶屋遠いしな。次の休みかな。任務あったっけ?」
「ふたりとも今のところ予定無い」
「じゃあちょうど良いな」
トントン拍子に進んでいく会話。
お互いの予定を把握しているのもなんだが、その予定が無ければ行くのは当然と恐らく互いに思っているのもなんだ。
「…なに当たり前のようにデートの約束してるんだアイツら…」
「あれ、無自覚みたいだよ」
「マジかよ。なんかだんだん腹立って来たな」
周囲が反応に困るので、いっそのこと、さっさとくっついて欲しい。
「ん? ふたりも行く?」
視線を感じたのか、と五条はほぼ同時にふたりに視線を向けた。
四人で行こうと言っても普通に喜んで出掛けはするだろうが、夏油も硝子もそこまで野暮ではない。
「馬に蹴られたくないから遠慮しておくよ」
「同じく。…それよりちょっと聞きたいんだけど、誰か歌姫先輩と直近で連絡取った奴いる?」
硝子の質問に、五条と夏油は不思議そうに首を傾げた。
「ねぇな」
「ないね」
「まあ、オマエらふたりにはあんまり期待してなかった。は?」
「二日前だったか三日前だったかに、次の任務の話をちょっとしたきりかな。どうしたの?」
「歌姫先輩と連絡がつかないんだよね」
表情を翳らせる硝子に、三人は思わず顔を見合わせた。
任務で電話に出られないのは、珍しいことではない。マメな歌姫から折り返しの連絡がないのは珍しいが、それだけ長丁場の任務である可能性もある。
「任務中じゃないの?」
「任務に出たのは二日前なんだよ。都内の任務で出張でもないし、さすがにおかしいと思って」
都内の任務で、二日も連絡が取れないのは、確かにおかしい。
一日で祓いきれない量の呪霊が湧いていたとしても、応援を呼べば良い話だ。
「歌姫弱いからなー」
「言うほど弱くねェよ…お前、ほんと失礼だな…」
「呪霊の術式かなんかで、どこかに閉じ込められて出れなくなってるんじゃない? 泣いてそう」
「そういう呪霊がいたら面白いね。ちょっと欲しいな」
「何に使う気だよ」
全然心配していない。
これはこれで、信頼の証と取って良いのだろうか。…いや、違うな、とは即座に考え直す。そんな良い話みたいになるわけがない。
「このクズ共は…。確か、今回は冥さんと一緒の任務だったよね?」
「そうそう」
「は? それはおかしいだろ」
「…そうだね。冥さんが居て、そんなに時間がかかるはずがない」
「オマエら歌姫先輩に謝れ」
冥冥の名前が出た途端、急に真面目な表情になったので、信頼とかではなく、やはり単に心配していなかっただけらしい。
「先生に確認してみる?」
「そうだね…もし何かあったなら連絡が、」
会話を遮るようなタイミングで、教室の戸が開いた。普段より幾分荒っぽい所作で入って来たのは夜蛾で、表情にはどこか緊迫感の色がある。
「夜蛾先生」
「全員揃っているな」
いつになく真剣な表情の夜蛾に、達は居住まいを直して話を聞く体勢になった。
「二日前から任務に就いている冥と歌姫と連絡が取れない。悟、傑、そして硝子。ふたりの救出および呪霊の対処任務依頼が来た。すぐに出て欲しい」
言われた瞬間、三人は言葉も無くほぼ同時に席を立った。
「…私は?」
「冥ほどの術師に何かあったとあれば、救出に向かう悟達にも危険が及ぶ可能性はある。オマエ達の中では、『壊すこと』に関してはが一番秀でている、もしもに備えて残ってもらいたい」
「なるほど。わかりました」
呪霊が『閉じ込めること』に特化した結界を保有する場合、確かに『壊せる』術師を中に入れるべきではない。
はその体質故に、物理的にも霊的にも『壊すこと』に関しては得意分野だ。
「…って結界の類とかも壊せるの?」
「アイツ、本当に何でも壊すぞ。蹴りで」
「蹴りで」
「そんな、窓ガラスじゃないんだから…」
窓ガラスを割った覚えはない。
そもそも、壊すことに関しては五条とはほぼ互角だろう。
「どこかの不良みたいな扱い方やめてもらえませんかね。そもそも壊すことに関して、五条には言われたくないよ」
「俺のは術式だし。生身で何でも壊すオマエと一緒にするなよ」
「私だって生身じゃねェし。呪力だし」
側から聞いている夏油と硝子からしてみれば、どっちもどっちである。
「…大分類だと、悟とは同じなんだな…」
「…事態は一刻を争う。遊んでいないですぐに出てくれ」
そう言いながら、夜蛾は言い合う五条との間に入って二人を引き離した。
+++
『退屈は人を殺せる』。そんな言葉を言ったのは誰だったか。正確にはもっと長くて違う言葉だったようにも思うが、印象としてはこの短い言葉が記憶に残っている。
まさしくその通りで、もしもの時のためと言えば聞こえは良いが、にとっては待ち時間とは単なる退屈な時間でしかない。何をして良いのかわからず、どこか息苦しい。
思えば、高専に来てからひとりになる時間は極端に少なく、いつも誰かしらが一緒にいるのが当たり前だった。そのせいで暇の潰し方を若干忘れているらしい。
暇を持て余して休憩スペースでだらだらしていると、そこに硝子が現れた。
「おかえり、硝子ー!」
「ただいま~。…なに、そんなに寂しかったの?」
いつも通りの、どこかアンニュイでマイペースな彼女の様子に安心して、はほっと胸を撫で下ろす。
「その様子だと、大事にはならなかったみたいだね」
「うん。空間遮断っていうの? そういう術式持った呪霊だったみたい。五条が建物壊して、夏油が呪霊取り込んでおしまい。いつもの感じ」
「あー。空間遮断…内と外で時間ズレてた系だったんだ」
「うん、だから歌姫先輩も冥さんも無事だったよ。私の出番は無し」
想定より、遥かに楽に終わったようだ。
歌姫達が無事で、硝子の出番がなかったことは何よりだった。
「何事もなくて良かったよ。学生って言っても五条も夏油も一級術師だからね、そこに硝子までセットで派遣されるとなるとさすがに最悪の事態も想定したわ…」
「まぁね…ほんと、擦り傷ひとつなくて良かったよ」
「お疲れさまでした。コーヒー飲む?」
「飲む」
労いとして自販機の缶コーヒーを差し出すに、お礼を返して硝子はそれを受け取る。
一応高校生である彼女らの、いつもの光景だった。最近はそこに後輩も加わることが増えてきている。
「…ブラックって苦くない?」
「苦いよ。私、甘いの好きじゃないからね」
「なんかブラック飲めるの格好良いな。…それで、硝子はなんでここに居たの? 私を探しに来たの?」
ふらっと現れたのは硝子だけだった。
ということは、教室にいなかった自分を探しに来たのか――と考えていたの憶測は、あっさりと否定される。
「いや? 迎えに来ないと帰れない子供じゃあるまいし。ただ五条と夏油が喧嘩始めたから避難してきたら、たまたまがいただけ」
「放置しないで止めてよ…」
迎えに来てくれたわけではないのも少し寂しいが、更に聞き捨てならない理由だった。
げんなりと肩を落とすに、硝子はパタパタと手を振る。
「アイツらを物理で止められんの夜蛾先生とくらいだよ。私は巻き込まれたくない」
「いや、まあ…それはそうね…」
硝子が止めても止まるとは思うが、勢い余って硝子が怪我をする可能性はゼロではない。
そして僅かでも可能性がある以上、硝子は危ない橋は渡らない。実に合理的な思考である。
「で。五条はなにやらかしたの」
「アイツほんとに信用ないな…。歌姫先輩助けに行ったときに、帷下ろすの忘れたまま建物ぶっ壊した」
「バカじゃん」
「で、その流れで「術師は非術師を守るべき」っていう夏油と、「そういうのめんどくせー」な五条が喧嘩をね」
「またかよ」
同じ流れで喧嘩するの、何度目だ。
が転入してくる前からそんな感じだったらしいので、が認識するより遥かに多いのだろう。
「あいつら仲良いくせに、喧嘩するとき激しいよね」
「が言うの、それ」
「え」
「アンタと五条の喧嘩も激しいよ。が相手だと、アイツあんまり反撃しないけど」
呆れたように目を細める硝子に、はふと考える。
…確かに、物理的な喧嘩はする。するが、………振り返ってみると、その場合、物を壊す率はの方が上だった。
「………ゴメンナサイ」
「うん、素直でよろしい。まあその場合悪いのは9割五条だし、アイツはアンタとじゃれたいだけだからご愁傷様だけど」
「じゃれ…仔猫かよ」
「じゃあは猫じゃらしだね」
「えぇー…」
つまりそれは、オモチャにされているだけという意味なのか。若干、納得いかない。
「…そろそろ沈静化したんじゃない? 戻ろっか」
「まだ喧嘩してたらが止めてよ」
「えー…ハイ…」
面倒くさいなァ、と思いながらと硝子は連れ立って教室へと戻る。
教室の戸の前で少し様子を伺うが、中は静かだった。ふたりの気配はある。
思い切って戸を開けると、ちょうど席を立ったふたりと目が合った。
教室内に居た時点で喧嘩の心配はなかったが、これから外で一戦交える雰囲気でもない。
「あ、良かった。喧嘩してない」
「面倒なことにならなくて済んだね」
「人の顔見るなりそれかよ」
「喧嘩なんてしてないよ」
と硝子は顔を見合わせた。
そのセリフはいまいち信用出来ないが、取り敢えず落ち着いてはいるようなので問題なさそうだ。
「なに、出掛けるの?」
「これから護衛任務。なんか天元様からのご指名らしくてさ」
「…天元様って、あの天元様? 高専の結界の? 直接術師を指名して任務にあたらせることもある、って聞いてたけど本当だったんだ」
遠目からすら見かけたことのない存在なので、まず実在していたことに驚きだ。
「天元様の星漿体である女の子が、呪詛師達に命を狙われているらしくてね」
「俺らはソイツを高専に連れて来て、天元様のところに無事送り届けるのが任務だってさ」
「かなり責任重大では? それがなんでお前ら指名で来たの?」
「そりゃ、俺たちが最強だからでしょ」
「いや、そういう小学生みたいな話はいいから」
「なんだよその冷めた目は」
実力が伴っているので否定もしないが、最強と自称するのは感性が小学生並である。
「…この感性小学生に要人の護衛とか、かなりリスキーだと思うんだよねぇ…」
「まあ、言いたいことはわかるよ。先生も荷が重いと言っていたしね。だが、きっと私達でなければならない理由があるんだろう。術式の関係かな」
「術式、ねぇ…」
呪詛師によって命を狙われている要人の護衛任務。確かに、ふたりの術式は護衛任務にも向いてはいるだろう。だが、性格的に向いているかと聞かれるとやはり首を傾げてしまう。そもそも学生に任せる仕事ではない。
「オマエらだけで大丈夫なの? 護衛対象、女の子なんでしょ?」
「大丈夫だろ。たかが護衛任務だし」
「軽く考えてると足元掬われるよ? 護衛対象が、一年の頃のみたいだったらどうすんの?」
「…それは面倒くせぇな」
「オイ」
「大人しく護衛させてくれなさそうだね」
「ねぇ、ちょっと。お前ら」
話を振った硝子も酷いが、普通にマイナスの表現で答えるふたりも酷い。
「星漿体っていっても中身は非術師のがきんちょだろ? …まあ、ヘタに怯えて泣き喚かれると、連れて来るの大変そうだけど」
「誘拐犯みたいな言い方すんな」
「悟。相手は多感な中学生だよ。みたいに打たれ強くないんだ、普段みたいな言動は抑えてくれ。本当に泣かれでもしたら困るだろ」
「面倒くせぇな…」
「さっきから私を基準にするのはやめろ。もういいよ、さっさと行けよ」
「はいはい」
冗談か本気かもわからないことを言いながら、コンビニに行く程度の軽さで五条と夏油は教室を出て行った。
それを見送ったと硝子の胸には、一抹の不安が燻り続ける。
「…暴れてくるだけの任務なら心配無いだろうけど、アイツらが人の護衛ねぇ…」
「大丈夫かな。優等生です、みたいな面(ツラ)してるけど夏油も割と適当だし」
「…まあ…問題起こしつつも、結果的にはこなして来るのがアイツらだしね…」
今回も大丈夫だろう、と。そう結論付けて、頷き合う。
――ほんの数日後に、その見通しが甘かったと思い知らされることになることなど、夢にも思わずに。
+++
――任務なのに沖縄でバカンスとか良いなァ、なんて世間話を電話でしたのは、つい昨日のことだった。
補助として送り出された一年の七海と灰原から、これから戻ると連絡を受けたのは本当についさっきだ。
他の学年の教員から、校内で重傷を負った夏油が発見され、運び込まれたと聞いては思考を放棄して走り出した。
本能的に、医務室よりも反転術式の使い手である硝子を探し回る。
ようやく見つけた彼女は、ちょうど寮に帰るところだった。彼女が寮の玄関に到達した瞬間に追いついたは、反射的に硝子の腕を掴んだ。
「ぅわ!?」
「硝子!」
「びっくりした、か…アンタこんな時間まで校内にいたの?」
が必死に探していた理由などわかっているはずなのに、硝子はどこまでもいつも通りだ。
「そんな事良いから! 夏油が怪我したって!?」
「大丈夫、治した。それより五条が、」
「五条が!?」
食い気味に重ねて来るの額を、硝子は指先で軽く弾いた。
「落ち着け。怪我して運び込まれたとかじゃないよ、ちょっと行方不明になってるだけだから」
「それ落ち着くの無理では!? 硝子も動揺してない!?」
「私は冷静だよ。五条のことは、夏油が探しに行ってる。多分心当たりがあるんでしょ」
「……」
「だから、大丈夫。まで動揺してどうする、アンタは冷静でいてよ。アイツらがバカやったら、叱るのがアンタの役目でしょ」
「…うん」
返した声が、僅かに震える。
落ち着け、と自分に言い聞かせれば言い聞かせるほどに、握り締めた指先の震えが止まらない。
そんなを見兼ねて、硝子は腕を伸ばした。抱き寄せ、落ち着かせるように背を軽く叩く。
「…バカだね、は。アンタのそれは、本当にただの友達を心配する表情(かお)なの?」
「……夏油の心配だってしてるよ」
「知ってる。でも私、別に五条って名指しして無いよ」
「………五条の話してたじゃん」
もごもごと音に成りきらないの言い訳を、硝子は否定はしない。ただ、呆れたように笑うだけだった。
「…このタイミングで言う言葉じゃないとは思うけど、今しかないとも思うから、言うよ? …呪術師は、いつ死んだっておかしくない職業なんだよ、」
淡々としたその言葉に、僅かにの肩が跳ねた。
「私は戦いに向いてないから、危険な任務には出ない。五条も夏油も、も、強いからそうそう怪我すらしない。…でも、それでも、『いつか』は来るかもしれない。いくら強くても、所詮は人間だよ。不死身じゃない」
自身にしろ他人にしろ、『死』に近い仕事だという認識は、にもある。
人の形をした呪霊を祓うのは平気だ。相手が人間だったとしても、自分を殺しに来る相手であればは躊躇わないし、きっと大して心も動かない。
例外があるとすれば。恩師、仲の良い先輩、可愛い後輩、たった四人きりの同期――彼らの死には、心を揺さぶられるだろう。
命の価値に差は無いというのは、所詮は偽善だ。個人の価値観の中では、明確に差はある。そして硝子が言いたいことは、さらに一歩、踏み込んだ話だ。
「私は、後悔して泣き喚くアンタたちなんて、見たくないよ」
「……」
後悔せずに生きるのは難しい。
後悔しないように、執着を捨てて生きるのはさらに難しい。
硝子に「それは友達を心配する表情(かお)なのか」と聞かれた時に、「何言ってるの?」と疑問が浮かばなかった時点で、の中である程度答えは出ている。
ただ、その感情に名前をつけることが出来ない。名付けてしまえば、とても陳腐で、つまらないモノに自分が変わってしまう気がした。何か、酷く息苦しい。
「…オマエら、なに玄関先で抱き合ってんの?」
息苦しさに目を閉じたは、背後から掛けられた声に弾かれたように目を開けて顔を上げた。
振り返った先には、今まさに案じていたふたりの姿。
「五条! 夏油!」
「おかえり。無事だったね」
血と砂埃とで汚れ、制服もボロボロになっている。顔色も良くない。まさに満身創痍だ。
そんなふたりの姿を見るのは初めてで、は誰よりも動揺して狼狽える。
「ボロボロじゃない、大丈夫なの!?」
「外見だけだよ、中身は平気」
「そんなわけ――」
言い掛けたの言葉は、意図せず途中で途切れる。
不意にふらりと傾いだ五条の体を、は慌てて支えた。体格差のせいで支えたと言うよりのし掛かられた、という方が状況としては正しいかもしれない。
「…五条!?」
「…へーき。ちょっと疲れただけ」
返ってきた声音はしっかりしていて、確かに命に関わるような何かは無いらしい。
疲労だけであるなら、休めば回復する。ほっと胸を撫で下ろしただったが、そうなると今度は少し腹が立ってきた。重い。
「…。悟を頼むよ」
「え。夏油? お前も顔色酷い、……あれ。行っちゃった」
よほど疲れていたのか、普段なら苦笑しながら五条を回収していく夏油は、重い足取りで自室に戻ってしまう。
困惑しながら、は隣に立つ硝子に視線を向けた。
「どうしよう、硝子」
「知らん。無事なら良いでしょ、食って寝れば元気になる」
「硝子さんなかなか厳しい」
それでも、心配はしていたのだろう。
ふたりの無事な姿を確認して少しだけ表情を和らげた硝子は、普段通りに肩の力を抜いて「あとはに任せるー」と軽く手を振って行ってしまった。
残されたのは、と彼女に寄り掛かっている五条。
「…五条。重てェ」
「疲れてんだよ。労われ」
「だったらもうちょっと弱ってるアピールしろよ。可愛くねェな」
くっつかれているので動かしにくい腕をなんとか持ち上げて、肩の上、顔の真横に置かれた五条の頭を子供をあやすように軽く撫でた。
「眠いの? お腹空いたの?」
「オマエは俺を何だと思ってんの…」
「言ってくれないと、どうして欲しいのかわかんねェよ」
の言葉に数秒、五条は沈黙する。
なにかして欲しいことがあるから、こんな行動をとったのだろう。そう思いながら言葉を待つからは、彼の表情は見えない。
「…別に、何もしなくて良い」
ようやく返ってきた言葉は、要求を訴える言葉ではなかった。
目を瞬かせるに対して、五条はポツリと、小さく呟く。
「の側は、落ち着く」
「…そう」
言葉の真意は定かではないが、離れる気がない、ということは理解した。
しかし体格差によるこの重みに耐えるのは、なかなかに辛い。五条自身もこの体勢はきついだろう。
そもそも、玄関でこのまま固まったいたら他の生徒の邪魔になる。
「取り敢えず、私の肩と脚が限界なので共有スペースに移動してもらえないかね」
「うん」
「…素直」
「素直で悪いかよ」
「別にー」
ようやく顔を上げた五条は、少し体を離して、そのまま当たり前のようにの手を取る。
そんなつもりは無かったが、まるで逃げられないように繋がれたような、そんな感覚を覚えた。
+++
「…………さん、なにしてるんですか」
掛けられた声にが視線を向けると、一年生二人組が困惑した表情で立っていた。
「おー。七海、灰原。おかえり」
あくまで普段通りの反応を返すだったが、ふたりの視線はと、彼女の膝の上を占拠する五条とに交互に向けられる。
「五条さん、寝てるんですか?」
「うん」
「珍しい。他人が近づいたら跳ね起きそうなのに」
「こいつは野生動物かよ」
そう返しはしたが、言いたいことはわかる。
微かな物音でも拾い上げて起きてしまうような、深い眠りとは無縁なイメージは、確かにある。
「さんはなんで枕にされてるんですか?」
「なんでだろ…」
「…どのくらいそうしているんですか」
「1時間…くらい?」
「「………」」
かくん、と首を傾げるに、七海と灰原は互いに顔を見合わせた。そして、頷き合う。
「俺、飲み物買ってきますね!」
「食べ物もあった方が良いですよね」
「え。ありがとう。お前らの中で私はあと何時間ここにいる前提なんだ…?」
の疑問に答えてくれる者は無い。
数分後、戻ってきたふたりから水と食料を受け取ったは、また五条とふたりで取り残された。
これだけ周囲で人が喋っていても起きないなんて、本人の申告通りよほど疲れているのだろうか。
暇だなァ、などと思いながらは欠伸を噛み殺した。
.
.
.
「…オマエらまだここに居たの?」
「あ、硝子」
うつらうつらしていたは、掛けられた声に弾かれたように視線を上げた。
「なに、その食料と水」
「七海と灰原がくれた。あいつら凄く良い子で泣けてくるわ」
「…いや、それ貰うより五条を部屋に運んでもらえば良かったんじゃないの」
「…起こすのも可哀想かなって。珍しく熟睡してるし」
七海と灰原が立ち去ってから1時間以上経過しているが、まったく起きる気配がない。
背中に目が付いてるのか、と疑うほど人の視線や気配に過敏な五条にしては、現状はかなり珍しい。
叩き起こすことも出来ず、結果、膝を提供し続けているわけだが。
「のムチムチの太ももを枕に爆睡とか何様なのかねコイツ」
「わざわざムチムチって言わなくて良くない? セクハラでは?」
硝子にそんなつもりが無いのはにもわかっているが、余分な肉が多いと言われているようで多少は傷付く。
しかし硝子の方が長身でスレンダーなのも確かなので、これ以上掘り下げるのはやめて、話題を変えることにした。
「…夏油は?」
「知らないよ。傷は治したけど疲労までは私にも治せない。コイツと同じで部屋で爆睡してるんじゃない」
別に様子を見に行ったりは、していないらしい。硝子はそういう線引きはしっかりしている。冷たいと取るかどうかは、個々人の価値観だ。
「硝子はドライだなぁ」
「はなんだかんだで五条に甘いよね~」
「うーん…そんなことないけど…」
そう答えながら、は視線を膝の上に落とした。
正直重いし、脚も痺れてきているが、これだけ熟睡されると叩き起こすのは気が引ける。無防備に寝入っている姿が少し可愛く思えてきたのは、さすがに気の迷いかもしれない。
「ホラ、こいつって何かを人に押し付けることはあっても、人に頼るのは下手じゃん?」
「そうだね」
「下手なりに頑張って甘えたのかなぁ、って思って」
「うん、それで?」
「………放っておけなくなった、というか」
「それを『甘い』って言うんだよ」
「…………」
今この状態は、甘やかしているという自覚がにも少なからずあった。
視線を逸らしたに、硝子は呆れたように息を吐く。
「私はもう部屋に戻るけど。適当に叩き起こして、アンタもちゃんと自分の部屋に戻りなよ」
「はーい」
遠回しに注意を受けて、視線を逸らしたままは返事を返した。
本当にわかっているのか、と胡乱げな視線を投げて、しかし明確に言葉にすることもなく、硝子は共有スペースを後にする。
その背を見送って、は無意味に天井を仰ぎ見る。
「…まあ、言いたいことは、わかってるんだけどさ」
硝子が言っているのは、「ただの同期生がそこまでしてやる必要ないだろう」という忠告だ。
何を心配されているのかがわからないほど、も馬鹿ではない。後悔するな、という言葉の意味も、ちゃんとわかっている。
硝子にしてはわかりやすく気を遣っているのも、理解出来ているし厚意を邪険にする気も無い。
それでも、いまはまだ考えたくないないなァ、などと往生際の悪いことを思う。
話し相手が居なくなって、は再び、うつらうつらと船を漕ぐ。
少しだけなら良いだろう、と思い切って瞼を閉じた。
+++
「あ、起きた。おはよう」
「………」
目を開けた瞬間、目の前にあった見慣れた相手の顔に、は無言で硬直した。
状況がまったく飲み込めないが、ここが共有スペースではないことはわかる。自分が転がっているのはふかふかの布団の上だが、見慣れた自分の部屋ではない。
「…何してるの?」
「目が覚めて暇だったから」
「……暇だったからって普通、人の寝顔を観察する? 何時間そうしてたの」
「…何時間だろ」
「…さすがにキモチワルイ」
「オイ。もう少し言葉を選べ」
そう言われても、意図せず寝顔を観察されていたからすれば、これでもだいぶ譲歩している。
緩慢な動きで半身を起こして、大きく伸びをする。長時間座ったままでいたせいか、体が少し固い。
「ここどこ」
「俺の部屋」
「…なんで私はお前の部屋に連れ込まれてるの?」
「言い方! 共有スペースに朝までいるわけにもいかないから運んだだけだ、何もしてねぇよ!」
「何かしたとは言ってないだろ」
さすがに何かされれば起きるし、何かされるような覚えもにはない。
そもそも、寝ている相手に何かするような奴ではないという信頼もある。無ければ近づかない。
「起こせよ」
「起きなかったんだよ。寝汚ぇな」
「悪かったな。…私の部屋に放り込んでくれれば良かったのに」
「…寝てるオマエの服の中まさぐって鍵探せって?」
「言い方がイヤラシイ」
「なんでだよ、気遣っただろ!」
「まあ、そうね」
言い方はともかく、意外なところで紳士的な思考である。
よく考えれば、生まれも育ちも名家の坊々なのだから、多少口と態度が悪くても根の部分が上品なのは当然なのかもしれない。所謂『育ちが良い』というやつだ。
「…ねむ…今何時…」
「まだ明け方だ。オマエはもう少し寝てろよ」
言われるままに再びベッドに転がってから、はふと、ここが自分の部屋ではないことを思い出す。ここで普段起きる時間まで寝入るのは違わないか。
「…いや、部屋戻るよ…」
「良いから。オマエ、頭半分寝てるだろ。危なっかしいから外出るな」
「…五条は? 元気になった?」
「少しはね。…眼を使い過ぎた、まだ頭痛ぇ」
この意地っ張りが、体調不良を自己申告してくるのは珍しい。
あれだけボロボロの状態で帰ってきたのだから、相当な何かがあったのだろう。反射的に手を伸ばして、は五条の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「眼を閉じれば少しは良いんじゃない? 眠れなくても良いから眼は閉じていれば?」
「んー…うん」
「もー、はっきりしねェなァ…」
体調が悪いなら、ちゃんと体を休めるべきだ。硝子ではないが、疲労には充分な睡眠と食事が必要不可欠なのだから。
「ホラ」
「…え」
頭が半分寝ている、という五条の分析は正しい。
ろくに考えもせずに両手を広げたに、五条は目を瞬かせて硬直し、その反応を受けてもまた固まった。
「……」
「……」
暫く互いに無言のまま、見つめ合う。
ちゃんとベッドで寝た方が良い――ということを考えたのだが、幼児に添い寝する感覚で咄嗟に腕を広げてしまった。どう考えても、同世代の異性に対してやることではない。
さすがにバツが悪くなって、はのろのろと体を起こした。
「…………ごめん今のナシで。私は自分の部屋に戻る」
「………」
視線を逸らしてベッドから降りようとしたの肩を、五条が掴んで押し戻した。
「ちょ、」
講義の声は、覆い被さられた衝撃で音になりきれず霧散する。体格差のせいでほとんど潰されたような体勢になったは、絞り出すように声を上げた。
「重い!」
「来いって言ったのオマエだろ。狭いんだから大人しくしてろ」
「だから私は自分の部屋に戻るって!」
「良いから」
暴れるを宥めるように、静かにそう言いながら抱き締める。思わず、は息を詰めた。
「…もうちょっとここにいて」
「………」
まるで抱き枕だな、などと捻くれた感想を呟く程度には、も動揺していた。
距離感がバグっているのはわかっていたが、これは調子が狂う。
「……調子狂うなァ、もう……」
抵抗するのを諦めて、は体から力を抜いた。
…重い。圧迫された臓器が口から出そうな錯覚がする。隙間が欲しい。
「………本当に重いので少しずれてもらえませんかね。冗談じゃなく潰れる」
「……」
「コラ、無視すんな。どれだけ体格違うと思ってんだ、圧迫された私の内臓が悲鳴上げてんだよ」
髪を引っ張りながら抗議すると、五条は渋々と言った緩慢な動きで少しだけ身を起こした。隙間が空いたおかげで、ようやくは一息つく。
「…オマエ、小せぇもんな」
「私が小さいんじゃなくてお前がデカいの。なんなの、もう…」
「……ひとの心音聴くと落ち着くっていうじゃん?」
「お前の動悸は激しい気がするんだが不整脈? 病院行く?」
「……オマエってほんとにさぁ……」
呆れたような怒っているような、そんな声を上げて五条はゆるりと身を起こす。
両手をの顔の横に置き、見下ろしながら、苦い表情で口を開いた。
「……少しは動揺くらいしてくれない?」
「……してるぞ?」
「嘘吐け、真顔じゃねぇか」
「表情筋が死ぬほど動揺してるのかもしれない」
「ほんと調子狂うなコイツ…俺だって健全な高校生男子なんですけど?」
「知ってるよ。でも、」
「?」
「お前はそこまでバカじゃないだろ」
じっと五条を見上げながら、どこか淡々とした口調で言い放ったに、五条は僅かに目を細める。
「……出来ないと思ってる?」
「私に嫌われたくないでしょ?」
僅かに首を傾げるに一瞬言葉を詰まらせて、五条は盛大にため息を吐き出した。
「…ヤな女」
「今更気づいた?」
「いや、知ってた」
諦めたようにそう返して、再び身を沈めてくる。最初よりマシとは言え結局潰されるのか、と思ったがはそれ以上言うのはやめた。
抱きついてきている五条の頭を、軽く撫でながら口を開く。
「何があった?…って、聞いた方が良い?」
「…そういうのは、いいよ。単に俺がしくじっただけだし。得たものの方が大きかったし。でも、」
「うん」
「…天内は悪い奴じゃ無かったよ。別に良い奴でも無かったけど。少なくとも、あんな死に方をしなきゃいけない人間じゃなかった」
は少し聞いた程度だが、天内、というのが星漿体の少女であることは、辛うじて分かる。
そうか、彼女は亡くなったのか。ならば、五条はともかく、夏油の鈍い反応の理由がにも理解出来た。
「でも、俺はアイツのために怒れなかった。恨めなかった。理不尽な悪意も醜悪さも今更で、特に何も感じなかった」
感情の薄いその言葉に、は言葉は発せず、ただ黙って耳を傾ける。
「…だけど。傑は、多分、そうじゃなかった」
「…うん」
「そういう色んなものを押し殺したアイツを見て、ズレ、みたいなのを自覚した。他人なんだからまったく同じわけがないし、そんなの何もおかしいことじゃないんだけど。…アイツには、少し時間が必要だと思う」
「五条がそう感じたなら、そうなんだろうね」
一見、真面目で冷静で、大人びて見える夏油だが、彼の感性はまだ真っ当だ。
理不尽な悪意も、醜悪な欲も、目の当たりにすれば怒りや嫌悪を抑えるのに難儀する。
ああ、本当に。嫌な仕事だと思う。呪術師なんて。
「…だからかな。の側は落ち着く」
「うん?」
「だって、オマエは俺と同類だろ」
ひどく淡々とした、静かな音。
言われた言葉よりもその声音のあまりの静かさに、は口を噤んだ。
「オマエもきっと、怒らないし、恨まない」
言い切るのはどうなのか。
だが、確かに。きっと、自分は五条の言う通りの反応をするのだろうと、妙な確信がにはあった。
「…そうだね。きっと…私も、大して何も感じない」
可哀想とか、申し訳ないとか。思うのだろうけれど、背負うまでには至らず。
きっと、数年後には「そんなこともあったなぁ」なんて。その程度。
それはおかしい反応だ、とには自覚もある。
「…私たちは、どうかしてる」
ごく自然に、『私たち』と表現したに、五条はくつくつと笑う。
「…やっぱり、オマエの側は落ち着くよ」
――この日を境に彼らを取り巻く状況は変わり出す。
確かに噛み合っていたはずの四つの歯車は狂い出し、誰一人自覚しないままに、取り返しのつかない方向へと廻り始めていた。
To be continued?
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