※恋愛要素は皆無です。ほんのりホラー仕様になります。
神様のお仕事
03 式鬼・続




おや、珍しい。
食堂で加々知先輩と白澤先輩を発見した私は、そんな感想を抱いた。
大抵、加々知先輩が本を読んでいて白澤先輩が女の子と喋っているか、
加々知先輩がグロッキーで白澤先輩が本を読みながら横目で見ているか、
一番頻度が多いのは口喧嘩してるかなのだが、
今日は顔を寄せ合って何か相談でもしている雰囲気だ。

「………で、先日の………」
「うん、………あの子、もしかしたら………」
「………ではない、と?」
「確証はまだないけど、………」

うん、何喋ってるかさすがに聞き取れないな。
盗み聞きする趣味もないし、今日は珍しく平和なようなので、
自分から声を掛けてみることにした。

「こんにちは、加々知先輩、白澤先輩」
「「!!」」

声を掛けた瞬間、ふたりはハッと我に返ったように振り返った。
…え、なにその反応。普段ならこっちが気付く前に気付く人達なのに。

「…あ、ああ、ちゃんか。びっくりした」
「…すみません、話に集中し過ぎたようです。こんにちは、さん」
「あ、驚かせてすみません。珍しいですね、レポートか何かの相談でも?」

勘の鋭い人達なのに、珍しいこともあったもんだ。
私はふたりとは学部も学年も違うのでよくわからないけど、
割とよく討論みたいなのはしてるから、きっと今日もそれだったんだろう。うん。

「いえ、そういうわけでは…まあこちらの話です」
「うん、ちゃんは気にしなくて良いよ。そっちこそ声掛けてくるの珍しいね?」

あ、やっぱりそういう認識ですか。

「用はないんですが。お二人が平和そうだったので、物珍しくて」
「どういう…」
「…ちょいちょい思ってたけど、ちゃん、割といい性格だよね…」

よく言われます。
そんな特筆すべき程ではございませんが。

「相席良いですか?」
「ええ、もちろん」
「そういえばこの前は大変だったね、身体はなんともない?」

この前……ああ、例の式鬼の件か。
確かにここ最近稀に見る不思議体験だったけど、特に身体に変調はない。と思う。

「はい、大丈夫そうです。
 で、この前の…ええと、式鬼?って結局どんなものだったんですか?」

確か、例の本は加々知先輩が持ち帰ったはずだ。
きっとお祓いの為に、お寺とか神社に持って行ったと思ってるのだけど。

「ああ…あれはね、喚ばせる為の呪具だね。
 本のタイトルは意味ないよ、多分音だけ関連させたんだろうね」
「…喚ぶ為、ではなく? 喚ばせるのが目的ですか?」
「そう。喚ばせて、食べる為の…まあ、所謂撒き餌かな」

食べ…る?
え、食べる? 何が何を?

「あ、喚んだ当人を食べるんじゃなくてね。喚ばれた怪異を食べるんだよ」
「…怪異を…食べる? 何が…?」

あの本に『おまじない』を仕掛けた『何か』が、怪異を食べる、ってこと…?
なんで食べるんだろう。そもそも食べる、って食事するという意味なのか違うのか。

「………白澤さん、喋り過ぎです。さんが混乱してます」
「…あ。……ええと、ごめん。
 いや、気にしなくて良いよ、召喚されてないし。ちゃんにはなんの害もないから」
「??」

気にしなくて良い、と言われても。
かなり気になるというか、一番大事な部分だと思うのですが。

「………」
さん。好奇心旺盛なのは悪いことではありませんが、
 知らなくて済むならそれが一番良いということもあるんですよ」
「それはそうですが、余計に気になります。
 あれです、心霊特集を毛布被りながら観る感覚です!」
「本当に良くも悪くも素直ですね、貴方」

呆れたようにため息を吐く加々知先輩に、私は苦笑を返した。
良くも悪くも。確かに、その自覚はある。

「…確証が得られたら、ちゃんとちゃんにも教えるよ」
「何の確証…って、あれ。もしかして処分してないんですか、あの本」

そしてまさか、お祓いは白澤先輩がしたとかそういう話なんですか。

「調べられる部分は調べて、処分しましたよ。景気良く燃えました」
「燃やしたの!?」
「ああいった呪具の類は、燃やすのが一番手っ取り早いです。
 いちいち祓っていては労力が掛かり過ぎですからね」

加々知先輩は、本当にアグレッシブというか、物理的な人なのだなと改めて理解した。
尽く色んなものを裏切ってくれるなぁ、この人。

「それに関しては、僕も同意だね。下手に祓うより燃やした方が安全だよ。
 …とは言っても、ちゃんはやらないように。ただ燃やせば良いわけでもないからね?」
「はーい。変なもの見つけたら先輩達に預けます」
「それ以前にあまり不用意に触れて欲しくもないのですが」

それはちょっとお約束出来ない話です。好奇心的な問題で。

「…良いですか、さん。囮役をお願いしているとは言え、
 我々も無闇に怪異に突っ込んで行って早死にして欲しくはないんです。仕事が増えますし」
「私だって死にたくはないですよー…って、え? 仕事??」
「失礼、こちらの話です。とにかく、好奇心も程々に」

私は視えるだけで祓い屋とかではないし、その辺りは祓えるらしい白澤先輩や、
物理攻撃出来る加々知先輩の指示には従いますけども。
…ふたりが一緒に居ない時に遭遇したら、どうしよう?

「守護が厚い、って言っても、完全に守ってくれてるわけじゃないみたいだしねぇ」
「そうですね。過信は出来ません。
 とはいえ、先日の件が偶然ではなかった場合…さんの協力は不可欠。
 申し訳ありませんが、危ないからもういいです、とは言えないのです」
「いや、今更もういいやとか言われたらそっちの方が困ります。気になるじゃないですか」

特に、先輩達の探し物とか。
いったい何を探しているのか。
先日の本はそのひとつだと思ってたけど、燃やしたとか言うし。

「…とりあえず、ひとりで怪異に首突っ込むのはやめようね?」
「はーい」
「良い返事過ぎていまいち信用出来ないんですが」
「いやいや、そんな。私だって命は惜しいですし。」
「危なっかしいなぁ、ちゃんは…………あれ。あの子…」
「なんですか、またナンパですか」
「人と会話しながらとか器用ですね」
「違う。ほらあの子、あのテラス席でぐったりしてる子だよ、わかる?」

言われて視線を向けると、女の子がひとり、テラス席で顔を伏せて座っていた。
…………人間ですよ? 空気重いけど。

「…微かに、怨気が纏わり付いてますね」
「え」
「本人が憑かれてるとかじゃないみたいだね。
 身近な人間が憑かれてるのか、住んでる家にでも憑いてるのか…」

そんなことまでわかるのか、この人達。
それとも、なんとなく「あの人空気が重いな」っていう感覚がそれなのかな。

「ちょっと聞いてみようか」
「え。白澤先輩!?」
「3人で行くと物々しいから、取り敢えず僕だけで。女の子のことなら任せてよ」
「はいはい」
「え? ええ??」

行ってしまった…。
大丈夫かなぁ、逆に警戒されないかな、白澤先輩は良くも悪くも軽いから…。

「落ち着きなさい。あの馬鹿は殺しても死にませんから、女性に殴られても問題ありません」
「いや、そういう心配はしてないんですけど」

普段、加々知先輩に殴られても平気そうだから女性に殴られるくらい大したことないだろうし。

「まあ、本人が豪語する通り女性の扱いには長けてますから、大丈夫でしょう」
「…白澤先輩ってよく刺されませんよね」
「あの人に本気になる女性は少数ですから。稀に修羅場になりますけど」
「ロクデナシですねぇ」
「まったくです」
「誰がロクデナシだよ。ちゃんまで酷いな」

あ、聞かれてた。
いつの間にか戻ってきた白澤先輩が、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
先程の女の子をちゃんと連れて来てるあたり、抜け目ない。

「おや、お早いお戻りで」
「悪いかよ。あ、彼女は築島優香ちゃんね。
 ちょっと問題抱えてるらしいから聞いてあげようよ」

ノリが軽いなぁ…。
対して、築島さんは困惑した表情で私達を見回してから、小さく頭を下げた。

「築島です。商学部の二回生です」
「私は文学部一回生のといいます」
「…法学部三回生の加々知です。
 立ち話もなんですし、どうぞお座り下さい」

淡々と席を進める加々知先輩に、築島先輩はこくりと頷いた。
白澤先輩と築島先輩が席に着いたところで、加々知先輩は相変わらず無表情のまま話を切り出す。

「それで、抱えている問題と言うのは…?」
「…はい。私の弟のことなのですが…最近、様子がおかしいんです」

様子がおかしい?

「…盗んだバイクで走り出す的な?」
さん、チョイスが古いです。貴方、歳幾つですか」
「いえ、弟は15歳ではなく19歳で」
「優香ちゃんも乗らなくて良いから」

築島先輩は、なんだかノリの良い人だった。
…うん、茶化してゴメンナサイ。

「弟さんの様子がおかしい、という話ですが、いったいどのような?
 まさか本当にさんの言うような感じではないですよね」
「はい、むしろその程度の方がある意味マシというか。
 …私の弟は良く言えば社交的、悪く言えば軽い性格だったのですが、」
「つまり白澤先輩みたいな感じですね?」
ちゃん、君ホントそろそろ黙ろう? 話進まない」

叱られました。
でも自分でも否定しない辺り、自覚あるのかしら。

「…取り敢えずそんな性格の弟ですので、友人も男女問わず多く…
 でも、ここ半年程から、だんだんと外で遊ぶ回数が減り、遂には引き篭もりに」
「失恋でもしたんじゃないですか」
「私もそう考えました。半年前に会った時は、新しい彼女が出来た、今度は本気になんだと言ってましたから」
「…本人の姉を前にして言うこっちゃないと思いますが、ロクデナシの匂いがしますね」
「そうですね、そこの豚と同類の気配がします」
「オイ、豚ってお前。白も澤も残ってないだろーが」

怒るのそこで良いんですか、白澤先輩。
…ん? そう言えば、白澤先輩が加々知先輩以外に怒ったところ、見たことないような。

「…いえ、まあ一般的に見てロクデナシなんですけども」
「実の姉すらその評価…」
「そんな弟が、嬉しそうにお付き合いの報告をしてきたのは初めてで。
 その彼女に振られてしまったのかと思ってました。でも…」

そこで言葉を切ると、築島先輩は沈痛な面持ちで俯く。
ロクデナシとか言ってるけど、姉弟仲は普通に良いんだなぁ。

「…弟はアパートで一人暮らしなんですが、その、引きこもっている上におかしなことを言うんです」
「おかしなこと…」
「はい。何か悩みがあるなら聞くし、せめて部屋の掃除くらいはしに行くと何度も言ってるんですが…
 「姉ちゃんは来るな、あいつに見つかったら姉ちゃんまで酷い目に遭う」って…意味わからないですよね…?
 弟をアパートの外に出そうとしてもダメなんです。一歩でも出たら見つかる、とか。何から隠れているのか…」
「「「…………」」」

思わず、私達三人は顔を見合わせた。
いや、それ…ストーカー的なアレなんじゃないかと。
もしくは、オカルト的な何か?
…でも、普通に考えれば別れ話で拗れてストーカー化した彼女さんから逃げてるようにしか。

「…弟さんの彼女ちゃんとは、連絡取れないの?」
「私、その子の名前も知らないんです。
 弟の友人達に聞いても、元カノに該当する女の子が多過ぎて…」

…絵に描いたようなロクデナシである。

「その元カノネットワーク使えばどうかな?」
「それ、嫌なネットワークですね…」
「…いえ、それよりまず、弟さんの住むアパートに行ってみましょう。
 何故、そこに引き籠っていれば安全だと認識しているのか気になります」

…確かに。
話の流れ的にはその彼女さんから逃げ回ってるんだと思う。
なのに住処を変えるでもなく、実家に戻るでもなくそのアパートに引き籠る理由ってなんだ。

「築島さん、弟さんのアパートにお邪魔しても大丈夫でしょうか」
「え? ええ、弟はアパートに居ますから、大丈夫だと…」
「…今から向かっても?」
「あ、はい…今日はもう、講義ありませんから…」
「結構です。さんは?」
「サボります!」

意気揚々と、私は即答した。
ここで同行しないとか、気になって講義なんか耳に入るわけがない。

「…即答だね」
「…単位大丈夫なんですか?」
「まだまだ余裕です!」
「………ああ、要領の良いタイプなんですね、さんは。まあ良いですけど」

真面目だけど、ある程度心の広い加々知先輩はため息交じりにそう言った。


+++


夕方というにはまだ早い、そんな時間帯である。
案内されたのは、特に「如何にも出そう」なんて雰囲気の欠片も無い、普通のアパートだった。

「ええと、こちらです。
 このアパートの一階の、角部屋が弟の部屋になります」

…ふと思うんだけど、初対面の人間にここまで話す築島先輩っていったい。
よっぽど弟さんが心配なんだろうけど、無防備な気もする。

「…よっぽど切羽詰まってたんでしょうね、見ず知らずの人間にこんな話するなんて」
「ある意味、見ず知らずの人間だからじゃない? 親しい人には余計に言い辛いんじゃないかなぁ」

そういうもんかしら。
今後お付き合いがないだろうと考えれば、まったくの他人の方が良いのかなぁ。
うん、よくわからないな、その心理。

私がそんなことを考えて首を傾げている間に、築島先輩は弟さんに電話をかけていたようだ。
ドアの向こうに人の気配がしたと思ったら、チェーンロックを掛けたまま、数センチだけドアが開いた。
隙間からこちらを伺い見ているのは、私とそう歳の変わらない男の子だ。
……あのね、隙間から見るのやめて欲しい。なんか怖い。

「翔吾、大丈夫? あのね、お姉ちゃんじゃ頼りないかと思って、今日は、」
「姉ちゃん…なんで来たんだよ、来るなって言った…っ」
「失礼」

弟さん――翔吾君の言葉が終わる前に、加々知先輩がガツッと数センチ開いたドアに手を掛けた。
そして、これがまた信じられないことなのですが。
………そのまま、チェーンロックが掛ったドアをこじ開けた。

「こじ開けた!? 鉄製のドアですよ!?」
「あいつホント大味だな…」

そんな評価で終わるの、アレ!?
さすがに築島先輩も翔吾君も唖然となったけれど、いち早く翔吾君は立ち直った。

「だ、誰だよあんた!?」
「お姉さんと同じ大学の生徒です。
 翔吾さんと言いましたね、貴方…女性の恨みを買いましたか?」
「!?」

淡々とした加々知先輩の言葉に、翔吾君はぎくりと身を強張らせた。
警戒した面持ちで、キッと視線を築島先輩へ向ける。

「…姉ちゃん、この人達なんだよ!?」
「え、ええとね、お祓いとか霊視とか出来るらしくてね、」
「そんな胡散臭いの連れて来るな!」

ああ、うん…そうだね、その説明は胡散臭いね…。
なんて言って築島先輩を連れて来たんだろうかと少し疑問ではあったけど、そんな説明してたのか白澤先輩…。

「ちょっとごめんね、部屋見せて」
「あ、ちょっ…」

翔吾君の制止の声もまったく意に介さず、白澤先輩と加々知先輩は部屋に入って行った。
慌てて、翔吾君も後を追いかけていく。
残された私と築島先輩は思わず顔を見合わせる。
…とはいえ、この場に置いて行かれても困るので、私達も後を追うことにした。


――そして。
決して広くは無いアパートの部屋で、私達はその光景を目撃することになる。

「……これはこれは。
 お札びっしりの部屋とはね、しかも書き方が滅茶苦茶だ」

苦笑する白澤先輩の言う通り、部屋の壁にはびっしりと御札が貼られていた。
こういう光景、ホラー漫画やドラマくらいでしかお目に掛れないものだと思っていたけど…

「なにこれ怖い…」
「しょ、翔吾…あんた、いったい…」

築島先輩は弟の部屋がこんななってるんだから、ショックも大きいようだ。
…というか、この光景は身内云々差っ引いても、普通は逃げ出したくなるでしょうね。
さすがの私も、寒気がした。

「なんてことしてくれるんだよ!
 俺以外の奴がここに入ったら札の効果がなくなって、あいつが…真由が…っ」
「真由って…半年前に言ってた、彼女?」
「ああ、そうだよ! 3ヶ月前に別れたんだよ、その後もずっと付きまとって来て…
 1ヶ月前くらいからは、時間問わず現れて、なんか気味の悪いこと言いながら追いかけてくるし…っ」

時間問わず現れるストーカー…アグレッシブだな、彼女さん。
予想通りに別れ話の拗れた末のいざこざだったようです。
…でもこの御札は予想外。なんで御札。しかも壁一面。

「…でも、それでなんで御札?」
「霊とか視えるっていう友達に言われたんだよ、あいつが生霊飛ばしてきてるって!」

それ、信じちゃったんだ。
…じゃあこの御札って、その友達が書いたのかな。

「…白澤先輩、この御札って…?」
「あー…霊感はあるんだと思うよ、その友達。
 ただ祓う札の書き方は間違ってるし、辛うじて目くらまし程度の効果かな?
 こんな適当な札、一ヶ月もよく保ったね。…ほら、」

スッと、白澤先輩は壁に貼られた御札に軽く触れた。
撫でるように、軽く。なのに御札は、剥がれて床に落ちた。
そして、信じられないことに――御札が黒ずんでいく。

「……」
「ね? もう限界。相手の方が、だんだん強くなってきているんだね。
 翔吾君、だっけ? 今日、僕達がここに来て命拾いしたね」
「な…ッ」

なんでもないことのようにさらりと言われて、翔吾君は絶句した。
そりゃあ、まあ、そうだろうなぁ。
白澤先輩といい加々知先輩といい、この手の話をするとき、妙に流すというか…軽く言うというか。

「………磯良さんの逸話に似てますね、状況的に」
「違うのは、この札の作り手が凄腕の陰陽師じゃなかったところかな。
 素人の見様見真似、にしてはそれなりに効果があったのが不思議だねぇ」

何かが入れ知恵でもしたかな、と。
白澤先輩が神妙な顔で呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
今、「何か」って言った。「誰か」ではなく。
思い当たることでもあるのかな、と考えた瞬間だった。
――気温が、一気に下がったような気がした。
この感覚は、わかる。知っている。
目の奥がチリチリと痛む、あの独特の感覚。
…居る。何か居る。部屋の外に、何か、居る――

「…せ、先輩…何か居る…」
さん、築島さん。白澤さんの側から離れないようにしていてください」
「え?」
「来ますよ」

加々知先輩が言い終わる前に。
それは、窓の前に不意に現れた。





『 み ぃ つ け た 』





可愛らしい、だけど妙におぞましい、そんな響きの声だった。
青白い顔をした、肩口より少し長めの髪の女の子。
多分、私とあまり歳は変わらない。

傍にいた築島先輩と翔吾君が、ピシリと硬直した気配がした。
このふたりにも視えてる。じゃあ、彼女は人間?
…いいや、違う。有り得ない。
だって、人間だとしたら、どうやって現れた。


嬉しそうに目を細めて微笑うその笑みに、どうしてこんなにも気味の悪さを感じる?


「あ、あれ、あれ、なんです、か」
「見ての通りの怨霊ですかね。かなり大物の貫禄ですが」
「…さすがに、数ヶ月であれはない。この感じは…あの本が関わってるな」
「やはりそうでしたか。厄介な」

あの本、って。
この前に図書館で見つけた、式鬼を喚ぶアレ!?
瞬間、白澤先輩に言われた言葉を私は思い出した。

〝普通の人間はあんなモノ喚んだら保たないからさ。
 良くて昏倒、悪ければ発狂或いは取り憑かれる〟


じゃあ、つまり、彼女は――――

『やっと見つけたぁ…会いたかったわ、翔吾さぁん…ねえ、何処に行ってたの…?』

嬉しそうに、彼女は一歩一歩、どこか重そうな様子で歩を進めてきた。
もちろん、その目的は翔吾君だろう。
硬直していた翔吾君が、絞り出すように、か細い声で呟いた。

「…ま、真由…? 真由なのか…? お前、なんで…っ」

一歩、一歩。
まるで泥の中を歩くかのような速度で、彼女は近づいてくる。
ふと、妙な感覚に囚われた。
――この部屋、こんなに広かったっけ…?

『ねえ、私の何がいけないの? お願い言って、直すから。
 だから別れるなんて言わないで、お願いだから捨てないで、どうして、どうして…
 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして』

どんどんと、彼女の表情が変わっていく。
嬉しそうな、でもどこか不気味な微笑から…



『どうして無視するのよォォォォォッ!!!!!』



――まるで、鬼女のような形相へと。
先輩たちが居なければ、多分、私は悲鳴を上げていたと思う。
いや、それとも、悲鳴すら上げられずに硬直していただろうか。築島先輩のように。

「も、もう…もうやめてくれ真由、許してくれ、俺だって、もう…ッ」
『許さない…許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない…許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない』

その場に崩れ落ちた翔吾君が、彼女に対して土下座した。
いや、もはや土下座なのか床に蹲ったのかすらわからない。
だけどそれを受け入れる気は、彼女にはなさそうだった。

低い声音で、許さない、と繰り返していた彼女は。
不意に、にたりと唇を歪ませて、嗤った。



『わたしと、おちて』



瞬間、翔吾君と築島先輩は悲鳴を上げた。
私も釣られて悲鳴を上げそうになったけれど、静かに呟かれた先輩達の声に引き戻される。

「…生きて外道に堕ちたか」
「あれじゃあもう、下手したら妖魔化するのも時間の問題だな…どうする?」

まったく、動揺していなかった。このふたり。
頼もしい反面、ほんのり怖くもある。本当に、何なの、このふたり。

「仕方ないですね…白澤さん。ちゃんと皆さんを護ってて下さいね」
「知道了。お前がしくじってもフォローしてやるよ」
「誰に物言ってるんですか。要らん世話です」

笑いながら言う白澤先輩と、不機嫌そうに舌打ちを返す加々知先輩と。
あんな怪異を前にしているとは思えないその軽さに、眩暈がした。
…ああ、頼もしい先輩方だこと。

「お三方は、決して視ないように。持って行かれますよ?」

なんか怖い事言った。
ちらりと見ると、真っ青な顔色をした築島姉弟が必死に頷いてる。

「…安心して。僕の後ろに居れば、彼女は君達に手出しは出来ないよ。
 ただ…後味の悪い結果に、なるかもしれないね」
「………?」

後味の、悪い結果?
どういう意味だろうかと、考えて。
ほんの一瞬。
視るなと言われていたのに、無意識に私は視線を向けてしまっていた。

開き切った瞳孔で、にたにた嗤う彼女と。
それに相対した加々知先輩を。

――目の錯覚だろうか。
加々知先輩の姿が、普段と違うものに見えた。

隣に居た築島先輩が、緊張に耐えかねたのか崩れ落ちたので、ハッと我に返る。
両目をきつく閉じて、両耳を塞ぐ築島先輩に倣って、私も目を閉じた。


『…大丈夫、君に害は及ばない。僕が護っているからね』


耳元で、そんな声が聞こえた。
…白澤先輩?
翔吾君はそれどころじゃないだろうし、加々知先輩はお祓い?中だし、
どう考えても白澤先輩以外有り得ないだろう。声も、白澤先輩のものだ。そのはずだ。
なのに、何故か。
まったく違う誰かの声のように、感じてしまった。

「………」

その後、周囲の音が消えた。
まるで耳にイヤホン突っ込まれて、大音量で音楽流されて聴覚が麻痺したような感覚だ。
異常事態の連続で、本当に麻痺していたのかもしれない。
ただ、不思議と怖いという感覚はなかった。
後になって思えば、その方が不思議だ。


――どれだけ、そんな感覚に支配されていただろう。
ふと、息苦しい程の気配が消えた。
いつの間にか聴覚も戻ってきている。
終わったのだと、直感で感じて、私はゆっくりと目を開けた。

「………終わりましたよ」
「お疲れさん。…で、あの子は?」
「…残念ながら、ほとんど持って行かれてました。恐らく、もう」
「……そっか」

その続く言葉は、容易に想像出来た。
蹲っていた翔吾君が、のろのろと顔を上げる。

「ま、待ってくれよ…真由は…真由はどうなったんだ? なあ、あれは本当に真由だったのか?」
「…真由さんとは、もうお会いすることは出来ないでしょうね。亡くなられていると考えて間違いないでしょう」

静かなそれは、酷く情の薄い、残酷な宣告だった。

「…そん、な…俺は、死んで欲しかったわけじゃ…なんで…」

恐怖に蹲るのではなく、翔吾君は力なく項垂れた。
床に染みを作る雫は、安堵のあまり零れたものではないだろう。
そこで彼が、哀しみに涙を流すのは…どうなんだろう?
そう思いはしたけれど、私は口を挟むようなことはしなかった。

「……この件は貴方ひとりの責任ではありません。
 ですが、貴方の不誠実さが招いた事態だということは、肝に命じておきなさい」

憤りも、同情も、何もない。
そんな静かな加々知先輩の言葉に、翔吾君は応えない。

「天網恢々疎にして漏らさず。
 …地獄に堕ちたくなければ、この世の行いにはくれぐれもご注意を」

項垂れて涙を流す翔吾君から視線を外して、加々知先輩はまだ反応の鈍い築島先輩へと視線を向ける。

「築島さん。翔吾さんが今後どうするかは、ご姉弟でお話された方が良いでしょう。
 私達はこれで失礼します。…ああ、札はどこぞの寺にでも持ち込んで処分して下さい、念の為」
「…は、はい…」

唖然としながら頷く築島先輩に小さく頷いてから、加々知先輩は玄関に向かって行った。
思わず白澤先輩に視線を向けると、仕方なさそうに苦笑された。

「とりあえず、霊的な問題はもうないから安心して。
 ただ今回のは、予想以上に彼にはきつかっただろうし…優香ちゃんが、力になってあげてね」
「………はい」

少し間を開けて、だけどしっかりと、築島先輩は頷いた。
そんな彼女に、白澤先輩はにこりと微笑む。

「…じゃ、僕達もお暇しようか。ちゃん」
「あ、はい」

促されて、築島先輩に軽く会釈してから私達は部屋を後にした。
外に出るとすっかり日が沈んで暗くなっていて、
夜に溶け込むように待っていた加々知先輩に、一瞬ぎょっとした。心臓に悪い。

「…さすがに疲れましたね」
「お疲れー。ちゃんもきつかったでしょ、大丈夫?」
「はい…あの、翔吾君の彼女さん、どうなったんですか…」
「……うん、あの本のさ、おまじないの犠牲者なんだよね」

ゆっくりと歩き出した二人に合わせて、私も歩き出す。
…まさか、ここであの本が出てくるとは予想外だった。
私が思っていた以上に、あの「おまじない」は危険なものだったんだな…。

「何を願ったかは、だいたい想像つく。
 彼と別れたくない、彼の側にいたい、まあそんなところだろうね」

よくある痴情のもつれ、というやつなのだろうけど。
今回は運悪く、ああいった超常現象が絡んでしまったわけで。
…オカルトは好きだけど、ああいうのはなぁ…彼女さんが浮かばれない。

「運悪く喚んだ怪異に憑かれて、負の感情だけ増長させられて、
 …ほぼ喰われた。あそこまで堕ちると、もうヒトには戻れない」
「…ですから、無理矢理「送り」ました。
 あまりこういう手は使いたくなかったんですけどね…」

小さく、加々知先輩は溜息を吐き出した。
…正直、この人がどうやってあの霊を撃退したのかわからないのだけど。
無理矢理「送る」ってなんだ…霊よりよほどこの人の方が不思議。

「願いを超常の力に頼って叶えようとすると、末路は悲惨なものですよ」
「…でも、そんなものに縋らなきゃ叶わない願いだとしたら、
 縋ってしまうのが人間の性だと思うんです」
「……そうかも、しれませんね。
 人間は、業の深い生き物ですから」

考えさせられる、深い言葉だと思う。
自分は絶対に彼女さんと同じ道を選ばないか、と聞かれてもわからないし。
翔吾さんと同じような立場になる可能性なんて、それこそ無いとは言い切れないし。
例え、怪異なんかが絡んでこなかったとしても。

「…あ、そうだ。白澤先輩」
「うん?」
「加々知先輩がお祓いしてる最中に、私に声を掛けましたよね?」
「…え? ちゃん個人に??」

きょとんと、白澤先輩は眼を瞠った。
…え、何その反応。あれ、白澤先輩だったよね?

「…「大丈夫、君に害は及ばない」って。言いましたよね…?」
「いや、僕は何も言ってないと思うけど…」
「え…?」

本当に不思議そうに首を傾げているから、嘘ではないと思う。
じゃあ…あの声は、いったい誰だった?

「…あれだけ怨念振り撒いてたんです、その辺の浮幽霊でも引っ掛かったんじゃないですか?」
「うーん…そうかもね? 気にしなくて大丈夫だと思うよ」
「…そう、でしょうか」

釈然としない。
だって、確かにあの言葉は私に向けられていたのだから。
まるで親が子供をあやす様な、諭す様な、そんな声音で――

「…声の感じが、白澤先輩っぽかったんだけどなぁ…」
「えー? こんな美声の持ち主は世界広しと言えど僕だけだよ!」
「何馬鹿言ってんですか貴方は」

なんだか誤魔化されたような気もするけど、まあ、いいか。
言い合うふたりを眺めながら苦笑していると、ふと。




――視界の隅に、黒いヒラヒラした袖のようなものが、視えた気がした。










To be continued?

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