「…で。やっぱり起きて来ねぇし」
時計の針が午前8時を指した頃。
ラビの予想通り、は起きてこない。
結局起こしに来ることになったラビは、思わず溜め息を吐いた。
「ー! 起きろー!!」
ドアをノックしてから、ラビは中に向かってそう呼びかける。
ある程度予想の範囲内だったが、反応はなかった。
試しにラビはドアノブを回してみる。
――回った。
「うっわ、この馬鹿また鍵掛けてねぇし!
無用心もここまでくるとただのボケさー…」
仮にも女、しかもそれなりに警戒心を持って然るべき年頃なのだから、もう少し自覚を持って欲しい。
なんでそんな当然のことを切に願わなければならないのかと、ラビは頭を抱えたくなった。
「入るぞ、ー」
若干躊躇いがちに部屋に入ると、は無防備に眠りこけていた。
少しクセのある黒髪に縁取られた容は、どこか大人びた印象を与える。
正直に言えば、ラビから見ても彼女の寝顔は「可愛い」よりも「綺麗」と言う方が適切だと、思う。
「…って、落ち着けオレ。相手はだぞ、何血迷ったこと思ってるんさ。
あー…ったく、昨日ラグラスが変なこと言うからだ…」
頭を振って、邪念を追い出す。
軽く深呼吸してから、ラビは眠りこけるの肩を揺すった。
「ほら、起きろって! 仕事だぞ仕事!」
「…あとごふんー…」
「ベタな寝言言ってねぇで起きろっ」
「やぁだー…」
「変な声出すなーッ!!」
妙に艶のある声を出されて動揺し、ラビは思いっきり怒鳴った。
さすがにその大声には、も反応を示す。
「…ん? …あれ、ラビ…何やってんの…」
「…おまえってホントにさぁ…」
薄く目を開けて、酷く不審そうにはラビを見上げた。
普通、朝起きて目の前に男が居たら、もっと慌てるだろう。まだ寝ぼけているのかもしれない。
「ホラ、惰眠を貪りたい気持ちはわかるけどお仕事さ」
「はぁーい…」
「って言ってるそばから寝るなよ!」
返事を返しつつ、またこてんと頭を枕に戻すを、ラビは反射的に引き起こした。
無理矢理起こされたは、眉間に皺を寄せて小さく唸る。
「おきてる、おきてる…」
「嘘だ! なんでも良いからしっかり起きろ!
おまえ寝起き悪いさ!」
「失礼なッ」
いきなり、カッとはその黒い双瞳を開けた。
唐突な覚醒に、ラビはぎょっと目を瞠る。
「……悪口には反応するんだ……」
「わたしのセンサーがやり返せと反応すんのよ。
じゃ、着替えるからラビは出てけー」
いきなり覚醒したかと思ったら、起き上がったはラビに向かって手を振った。
言い分は理解できなくもないが、あまりにも理不尽な扱いである。
「…おまえホント、たまにムカつくな。殴って良い?」
「やなこったー」
ハッ、と息で笑って、は大き猫のように伸びをする。
とりあえず二度寝の心配はないだろうと判断し、ラビは言われたとおりに部屋の外へ出る。
「二度寝すんなよ。食堂で待ってるさ」
「はーい」
扉に手を掛けた状態で振り返り、念を押すように言ったラビに、は笑顔で手を振った。
…この後、が1時間ほど二度寝したのは、さすがのラビにも誤算だったのだが。
「アラニス様、お願いします! 私の子供をお助けください!」
「私の妻をお助けください、病が妻を奪ったのです!」
祈るように、涙ながらに語られる言葉。
それに穏やかな声が返る。
「落ち着いてください、皆様。
大丈夫、主が私に与えられた御力は平等に皆様に福音をもたらしましょう」
人々の中心に居るのは、年若い少女。
恐らく、歳は16・7歳。穏やかで、どこか人離れした雰囲気は、確かにある。
だけど、わたしから言わせれば――
「…胡散くさ…」
「、顔が露骨に嫌そうさ」
「あんたもね…」
お互いに顔を見合わせて、わたし達は苦く笑った。
…ダメなんだよ。宗教とか、ああいうのちょっと苦手なんだ、わたし…。
「派手なデモンストレーション…自分から有名になりたがってる、って感じだね」
「だな。善意の施しにしちゃあ、やることが派手過ぎるさ」
「…どう見る?」
「アクマかどうか、ってのはわかんねぇ。は?」
「…少なくとも、わたし達以外のイノセンスの《声》は聴こえない」
耳を澄ませても、聞こえるのはわたし達が既に持っているイノセンスの鼓動だけ。
つまり、この近くに未発見のイノセンスなんてないってことだ。
「…不発?」
「いや、まだわかんねぇぞ。アクマである可能性は捨てきれない」
「死者を生き返らせることが、ダークマターの能力…?」
「可能性はあるさ。ただ、行動の意味がわからない」
難しい表情で言われた言葉に、わたしも頷く。
もしもAKUMAなら、どうしてもその行動が今までのAKUMAと一致しないのだ。
「人間を殺して進化するアクマが、人間を生き返らせているんだもんね…」
「ああ…普通の人間に出来る芸当じゃねぇのは確かなんだけどな」
思わず、わたし達は考え込む。
答えが出てこないのは百も承知だが、何かの糸口くらいは掴めるかも知れないし。
「――そちらのお方」
不意に。
音もなく近寄ってきたその声に、わたし達はバッと振り返った。
――そこに微笑を浮かべて立っていたのは、件の『生き神』、アラニス。
「…え」
「何か用さ?」
「赤毛のお方。…死相が出ておりますわ。お気をつけくださいませ」
「…死相?」
訝しげに顔をしかめたラビに、アラニスは笑うだけで答えない。
そして彼女の視線は、次にわたしに向いた。
「黒髪のお嬢様。もしお連れ様が亡くなったら、
私が蘇生してさしあげますから、そのときはおいでくださいませ」
「………」
思わず言葉を失うわたしに、彼女は穏やかに微笑む。
言葉と笑顔が合っていない。
…なんだ、この、違和感。
「私の名はアラニス。…ごきげんよう、黒髪のお嬢様」
言いたいことだけ言うと、彼女――アラニスは、軽く会釈をして輪の中に戻っていく。
…………なんだったんだ、あれは。
「…なにあれ突然失礼じゃない!?」
「死相ねぇ…」
「なんであんたは呑気なのよッ」
「なんで、って…信じてんの、あんなの?」
「は?」
首を傾げるわたしに、ラビは微かに笑う。
その視線は、未だ人波に揉まれているアラニスに向けられていた。
「デモンストレーションの一種だろ。
死ぬ人間をあらかじめ決めといて、何か細工するつもりさ」
「じゃ、じゃあラビ死んじゃうの!?」
思わずラビの服を掴むと、ラビはきょとんと目を瞬かせる。
だけどそれも一瞬で、すぐにどこかからかうような表情で笑った。
「ん? なに、心配してくれんの? ってば可愛いなー」
「茶化さないでよ。心配するのは当然でしょうが!」
ぐしゃぐしゃっと乱暴に頭を撫でてくる手を払って、わたしは顔をしかめる。
「本当にうっかり死にそうだしっ」
「…なんかいっそおまえにトドメ刺されそうで怖ェさ」
「なんで!?」
心配してるのに、なんだその扱い! 酷い!
もういい。心配なんてしてやんない、こんな奴ッ。
「拗ねるなよ、死なないって。逆にこれは好都合さ」
「へ?」
首を傾げるわたしに、ラビは小さく頷く。
そして、立ち去っていくアラニスの背を睨み付けた。
「あの娘――アラニスの蘇生能力のカラクリ、解明する良い機会さ。
確かに団服脱いで接触した甲斐あったな。思ったよりスムーズに進みそうだぜ、」
「……」
どこか不遜な笑みを浮かべるラビの横顔を、わたしはまじまじと見た。
視線に気付いたラビが、きょとんと目を瞠る。
「…あんた真面目な顔してると結構格好良く見えるね」
「……なんでいちいちの言動には棘が混じるのか、小1時間ほど問い詰めたいんだけど」
「誉めたのに」
「どこがさ」
おまえはいつも一言多いんだよ、と。
ラビは思いっきり呆れたように、溜め息を吐いた。
+++
「来るとしたら今日だろうなーって思うんだけどさ」
その日の深夜。
わたしとラビは、宿から少し離れた広場に居た。
噴水の傍にいるせいか、ちょっと肌寒い。
「…本当にブックマン達に何も言わなくて良かったの?」
「あー、いーのいーの。メンドクサイから」
「面倒くさい?」
首を傾げると、ラビは苦い表情で笑った。
そして、小さく息を吐く。
「…じじいにゃ叱られるし、ラグラスには笑われるんさ。絶対」
「……ああ、殺す宣言受けたことを?」
「そー。理不尽なんさ、あのふたりは」
嫌だね、性格悪い奴って。
そんなことをしみじみ呟きながら、ラビはゆるりとわたしに視線を移した。
「…で、なんではここに居るんだろうな?」
「ん? だって心配だし」
「良いから部屋戻んなさい」
「をいこら、心配してるのになんて言い草だ」
ムッと顔をしかめるわたしに、ラビは盛大にため息を吐いた。
そして、もうだんだん慣れつつあるけど、くしゃくしゃと頭を撫でられる。
「オレらはおまえの護衛よ? おまえを危険に晒してどうするよ」
「なによ。わたしだってエクソシストよ?」
「駆け出しが何言ってんのさー」
「……」
いつものように、ラビはへらりと笑う。
反射的に拳を握り締めて、わたしはラビの頭を思いっきり殴りつけた。
…う。手が痛い。
「痛ッ!?」
「ムカつくわね、馬鹿兎」
「なにいきなり!? 酷!?」
殴られた箇所を押さえながら、ラビが抗議の声を上げた。
それに対して、わたしは鼻で笑う。
「わたしはお姫様じゃないっつーの」
「…まぁ、こんな凶暴なお姫様はいねぇさ」
「やかましい」
例えが悪かったか。
聞きようによっては非常に失礼な一言に、わたしは目を眇めた。
「あんたの笑顔がムカつくわ」
「…なにさ、いきなり…」
「ヘラヘラ笑ってりゃ、とりあえず騙されてくれると思ってない?
少なくともわたしは、そんな胡散臭い笑顔じゃ騙されない」
――そう。
時々、こいつの笑顔が気に食わない瞬間がある。
誤魔化すときに使う笑顔。真実を語らずに曖昧に流す、世渡りのスキル。
「わたしが頼り無いのはわかってる。攻撃系のイノセンスじゃないもの、戦力外でしょうよ。
でもね、…それでもわたしは今、エクソシストなの」
「…」
「頼れ、なんて言わない。でも、せめて認めてよ」
認めろ、なんて。なんて傲慢な一言だろうかと、思う。
わたしだって、痛いのも苦しいのも、怖いのも嫌だ。
だけど、わたしの代わりに傷付く誰かが居るのは嫌で、それに『気付かなかった』振りをするのは、もっと嫌だ。
『護られること』を、当たり前にしたくなかった。
この一ヶ月、わたしはわたしに出来る限りのことをしたと、思っている。
――だから、今度こそ、…一緒に。
「…あの、さ」
「我が儘だってわかってる。だけど、認めて。わたしは、」
「…オレが認めたからって、なんだって言うんさ?」
「え?」
一瞬、ラビの声が固くなったのを、感じた。
わたしを見るラビの表情は、どこか自嘲気味な微笑。
「。オレは嘘吐きなんだよ。そんな奴に、何を認めて欲しいんさ?」
「……」
――知ってるさ、そんなこと。
彼の『ブックマン後継者』という立場から、それは仕方のないことだ。
それに、嘘のない人間なんて存在しない。
ラビがわたしと関わりを持つきっかけは、きっと『記録』の為。
でも、だからなんだっていうのか。
今、こうしてわざわざ自分は嘘吐きだから、と告げる、彼の本質は『嘘』じゃない。
「…だったら、わたしはあんたの嘘を許容する」
「は?」
「だから、わたしの我が儘を認めて」
我ながら、滅茶苦茶なことを言っている自覚があった。
ラビが大きく目を瞠り、わたしを半ば呆然と見つめている。
「…、は」
ラビが口を開いた瞬間、だった。
微かに耳の奥に聞こえた異音に、わたし達は同時にその方向を見る。
ギシギシと軋む、歯車の音。
月を背に、歯車の音を響かせながらソレはそこに居た。
『――こんばんは、人間諸君』
異様な出で立ちのソレは、女の声で語った。
その背後に、ボール型のAKUMAを引き連れながら。
「…ッ…アク、マ…?!」
『そこの赤毛の君。今宵の生け贄は君に決まった』
その言葉に、わたし達は目を瞠った。
生け贄、と。AKUMAは言った。
そして今日、「死相が出ている」と告げたのは――、
「ははっ…ビンゴさ」
予想通りに行き過ぎて怖いね、と。
皮肉っぽく笑って、ラビが槌を取り出す。
「…。いけるか」
「うん。頑張る」
「よく言った」
――イノセンス、発動。
わたしの背には漆黒の羽根が具現し、ラビの槌は彼の声に従ってその大きさを変える。
巨大化した槌を構え、ラビはどこか不遜な微笑を浮かべる。
「それじゃ――暴れますか」
嘘吐き兎と我が儘少女
To be continued?
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