――《世界》とはなんて小さいのだろうかと、思う。
思えば、僕の《世界》は常に僕以外の《誰か》を中心に廻っていた。
始まりは覚えていない。
物心ついた頃には、マナが。
マナを失ってからは、師匠が。
そして今は、が《世界》の中心で。
なのにどうして、いつも僕は《世界》を守れないのだろう…。
――気づいていないわけじゃない。
いつからか、の笑顔に無理が混じり始めたこと。
世渡りの為の、嘘の笑顔ではなく。
ただ何かに耐える、自分を誤魔化す為の。
わかっていたのに。
気づいていたくせに。
なのに、何も出来なかった。
あの痛々しい笑顔を張り付けさせたのは、僕自身だと知っているくせに。
よく怒るし、笑う。
すぐに照れるし、楽しい時は目をキラキラさせてて。
…だけど、苦痛や嘆きの涙だけは、見せないひとだった。
とても強いひとなのだと、思う。
でもその強さは、強過ぎる感受性の裏側だ。
こことは異なる《世界》から、たったひとりでやって来て。
戦う途を選んだ、その決意の裏側には――いったい、どれ程の苦痛と嘆きを抱えていたのだろう。
どんな思いで、この《世界》で生きる途を選択したのだろう――。
「………」
緩慢な動きで持ち上げた左手は、人のそれとは似て非なるもの。
この人ではない証である左腕は、この身の戒め。
守れるなら、それで良いと思っていた。
この醜い左腕でも、守れるなら構わなかった。
ああ、でも。
気付いてしまった。
護ると決めた。誓った。だけど。
だけど、誰よりも彼女を追いつめ、傷つけ、害していたのは――――僕自身だ。
「……」
…居るわけ無いのに、なんで部屋に来てるんだわたしは。
アレンの部屋の前で、わたしは深く息を吐いた。
――会えばなんとかなると思った?
そんな勇気も無いくせに。…馬鹿だ。
「――アレン=ウォーカーなら、自室で療養中ですよ」
「!」
いきなり背後から掛けられた声に、本気で驚いて呼吸が止まり掛けた。
恐る恐る振り返ると、そこにいたのはにこりとも笑わない鉄仮面な監視役。
「…リ、リンク…?」
「はい」
まったく表情一つ変えずに、リンクは頷いた。
そして、そのテンションのままで口を開く。
「アレン=ウォーカーに会いに来たのではないのですか?」
「……わたしとアレンを会わせて良いわけ?」
「動けず寝ている人間に何が出来るんですか」
言われた言葉に、一瞬、わたしはきょとんと目を瞠った。
その意味を理解した瞬間、妙な脱力感に襲われる。
「…職務怠慢だなー…」
「失礼な。私は無駄な事が嫌いなだけです」
いやいや。
そこで無駄だと思ったら、アレンの監視自体が無駄じゃないか。
「――見舞いなら手短に。一応重傷人です、起こさないようにお願いします」
「……わかってるわよ」
「結構です。…では、少し席を外します」
軽く会釈を返して、そのままリンクは暗い廊下の向こうに消えた。
…リンクにまで気を遣わせるって、今のわたしはいったいどれだけ酷い顔してるんだろうか。
「……アレンの顔見たら、一旦部屋に戻ろう」
リナリーに会いに行っても気を遣わせそうな気がする。
幸か不幸かアレンはまだ寝ているようだし、さっと顔見て帰れば気付かれない。はずだ。
「…お邪魔しまーす…」
意を決して、ドアを開ける。
個人部屋備え付きの、シンプルなベッド。
その上に、真白の包帯が痛々しい姿で、アレンは眠っていた。
「……」
聞いた話では、寄生型のエクソシストでなければとっくに死んでいたそうだ。
それはわたしも同じだろうが。それでも、外傷の点で言えばはるかにアレンの怪我の方が酷い。
「…アレン」
無防備な寝顔は、年相応の少年そのもの。
例え今だけであっても、安心して眠っていられる彼の姿が、わたしの感情に波を立てる。
…この、渦巻くような感情はなんだろう。
生きていてくれて嬉しいのか、傷ついた彼を癒してあげられなくて悔しいのか。
「……」
右手を、見下ろす。
あれだけのレベル4との攻防戦でも、剥がれ落ちることなく形を保った、傷痕を隠すグローブ。
思えばこの傷が出来た頃から、わたしの治癒能力は上手く作用しなくなっていた。
――否。
気付かなかっただけで、既に方舟に入った頃から――わたしは内側から、変わっていっていたのかもしれない。
羽根の形状が変わり、盾の形状が変わり、刃は剣の形を成し、治癒の力は衰えていった。
それは、《成長》と呼ぶにはあまりにも乱暴。
まるでごっそりと中身を入れ替えられたような、そんな変化――否、《変貌》。
近づけたはずだった。
あの日失った、イノセンスの力を取り戻した瞬間から。
なのに、――今はこんなにも、アレンとの距離が遠い。
「…わたし、は」
――望んでは、いけなかったのかもしれない。
力を、――戦う力を、求めてはいけなかったのかもしれない。
護る力だけで満足していれば、わたしは変わらずに済んだのかもしれない。
そうしていれば、わたしはアレンに、みんなに護られ、赦され、ただの少女で居られたのかもしれない。
だけど、そうだったとしても。
きっとその選択をすれば、わたしは気が狂うほどの自責の念に押し潰されていただろう。
後ろに庇われ、目の前でわたしを護るために傷つく彼らの姿を前に。
――もしも、なんて。
あり得ない。
受け入れるしかない。
この、現状を。
定められた《想い》によって、わたしとアレンが繋がれていたのだとしても。
「…誰……?」
「あ」
相当長い時間、そこに突っ立っていたのかもしれない。
眠たげに目をこすりながら、アレンが重い瞼を持ち上げた。
「お、起こしちゃった? ごめんね…」
「……?」
慌てて、わたしは言葉を紡ぐ。
挙動不審のわたしを、アレンは不思議そうに見上げてきた。
その視線に耐えきれず、曖昧な笑顔を張り付けたまま、わたしは彼に背を向ける。
「何かお腹に入れた方が良いよね。わたし、ちょっと医務室行って来」
「」
歩き出そうとした瞬間、右腕を掴まれた。
つんのめるように、わたしはその場に立ち止まる。
「…どうして、泣いてるの…?」
「――――ッ」
一瞬、呼吸が止まった。
泣いてない。泣いてなんかいない。
だけど、そう――傷口から血が噴き出すような、嫌な感覚が、した。
「…泣いてないよ」
「嘘。泣いてる」
言い切って、アレンはわたしの手を掴んだまま身じろぎした。
起き上がろうとしているのがわかって、慌ててわたしは振り返る。
「アレン! ダメだよ、傷に障るから寝てて…ッ」
「」
強い声音で名前を呼ばれて、びくりとわたしは動きを止める。
真っ直ぐな、射抜くような視線。
すべてを見透かすような、透明で強い――銀灰色の、瞳。
「…泣いて、良いから」
「は…」
「の真っ直ぐで揺らがない強さは、好きだけど。
そんな君に見合うだけの人間になりたいと、いつも思うけど。だけど」
わたしの腕を掴むアレンの手に、僅かに力が籠もる。
――アレンの方が泣きそうだと、思った。
「…だけど僕は、本当は君が、傷つきやすくて泣き虫で…
どうしようもなく脆い、どこにでもいる普通の女の子だってことも、知ってるよ…」
「…アレン…」
「ごめん。…きっと僕は、君に甘えて、君を追いつめてた」
そんなことはない。
神田の言う通りなんだ。わたしは勝手に突っ走って、勝手に追いつめられて落ち込んで。
そこにアレンのせいだとかそんな感情は無くて。だから、アレンの前では強い自分で在ろうと、して…
「僕の前で、意地を張ったりしなくて良いから。
…違う…、僕だけには、全部さらけ出して。君の強さも、弱さも、全部」
傷が痛むはずなのに、それでもアレンは強い力でわたしの腕を引いた。
引く力は強かったのに、抱き締めてくる腕は酷く優しい。
「大丈夫。僕はちゃんとここに居る。
君の目の前に。君の手が届く場所に。…君をすぐに抱き締められる場所に、居る」
アレンが言葉を発する度に、胸の奥がじくじくと痛んだ。
苦しくて、息が詰まりそうだ。――まるで、泣く一歩手前のような。
「エクソシストとか、異世界の人間だとか、…年上だとか。
もうそんなのどうでも良いから。…ただ、君は強がりで泣き虫な一人の女の子で…」
指先が、震える。
言葉が発せられない。
震える指が、無意識にアレンの服を握り締めていた。
「――僕にとって、誰よりも大切な人なんだ」
「……ッ」
――その瞬間。
穏やかな笑顔で「例え定められた恋でも、誰かに決められた愛でも、良かった」と。
そう告げた夢の中の彼女の想いが、わかった。わかってしまった。
その『想い』を最後まで貫き通せば、それが『真実』なのだ。
共に在る瞬間が幸せだと、愛しいのだと、そう思えればそれは『悲劇』ではなく。
それこそが得難い唯一の『幸福』なのだと。
「…は、…ははっ…」
力が抜けて、そのままアレンに寄り掛かるように膝を折った。
完全に忘れていた怪我の痛みまで戻ってきて、痛くて涙が出てくる。
――ああ、でも、今はさっきより格段に気分が良い。
「?」
「…も、勘弁してよ…馬鹿アレン…」
「誰が馬鹿ですか。馬鹿なのはだ」
「…うっさい、そんなのわかってるよ…」
ああ、馬鹿だ。本当にこいつは馬鹿だ!
でもそれ以上に、わたし自身が輪を掛けた馬鹿だと思う。
こんなにも簡単なことだったのに。
ただ、言葉にすれば――それだけで良かったのに。
「…馬鹿」
「だから、なんで僕が馬鹿なの」
「知らない。馬鹿なもんは馬鹿だ」
「あのね…うっかり本気で死にかけた馬鹿に言われたくないよ」
「うっわ腹立つ。なにこいつ殴りたい」
ぐだぐだの言い合いをしてから、はたとわたし達は顔を見合わせた。
「「…………」」
見つめ合うこと、数秒。
次の瞬間、わたし達は同時に吹き出した。
「…ははっ…いつものアレンだ…」
「君もいつものですね」
それは多分、長く忘れていた感覚だった。
アレンらしいアレン。
わたしらしいわたし。
一番大事なことなのに、ずっとずっと、忘れていた。
忘れていたことにすら、気付かないくらいに。
わたし達は、今回の件でたくさん、たくさん傷ついた。
気付きたくなかったことに気付いて、思い通りにいかない事態に苦しんで、
――――護れなかったことに、傷ついた。
決められたことだったかもしれない。
出逢うことも、惹かれたことも、離れられないことも、すべて。
でももう、そんなことはどうでも良くなった。
求められることを、嬉しいと思った。
傷ついた果てに手を伸ばした相手がお互いだったことに、心の底から安堵した。
「…怪我が、治ったら」
「うん…?」
「話をしよう。言えなかったことも、言いそびれたことも、
――今まで目を背けて来たことも、全部」
きっと、この先に何があっても。
わたしは、今日この瞬間を、忘れないだろう。
何に迷うことがあっても、揺れることがあっても――この時交わした言葉を、ずっとずっと覚えてる。
「僕達はきっと、お互いを護りたい一心で…、
お互いを、本当の意味で理解しようとしていなかったんだと、思う」
「うん…」
「だから、話をしよう。
もう一度、最初から始めよう。お互いを、知るところから」
それはまるで、間違えてしまった道を軌道修正するように。
ただ言葉にするだけで、取り返せないはずの過去を未来に変えていける。
やっぱりアレンは狡い。
いつだって最初に間違いに気付くのはアレンで、わたしってば格好付かないじゃないか。
「…リンクはどうすんのよ?」
「黙らせますよ」
「うわー…言い切った…」
ほんの少し悔しくて、憎まれ口を叩いてみてもあっさり流された。
ああ、もう――敵わないなぁ…。
「「はじめまして」、からやり直す?」
「それ戻り過ぎ。…でも、それでも良いのかもしれないね」
そう言って微笑うアレンの表情は自然で、初めて会った頃の嘘はどこにもなかった。
わたし達は変わった。だけど、すべてが悪い方向に変わったわけじゃない。
出逢ったのも、惹かれたのも、すべては決められたことだったかもしれない。
だけど、選んだのはわたし達自身だ。
そう信じる限り――それだけが、わたし達の『真実』なのだから。
つないだ手に、キスを。
To be continued?
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