――例えば。

《世界》と彼を天秤に掛ければ、わたしは間違いなく彼を選ぶだろう。
それは、どうして?

好きだから。
誰よりも大切だから。
わたしがこの《世界》で生きる《理由》だから。

今までは、無条件にそれを信じていられた。
だけど、今は。

――もしも、そう思うようにプログラムされていたとしたら?

そもそも、千年伯爵がわたしをこの《世界》に呼んだのだとしたら、どうしてわたしは教団側に居るの?
それこそが、偶然ではなく必然であった証なのだとしたら…?

…わからない。
わからない。何よりも、自分自身がわからない。

大切なだけなのに。
何よりも、誰よりも愛しいと思うのに。
ただ、一緒に居たいだけなのに。
それなのに…


消えない疑念。
消せない違和感。
一度広がった波紋は、果てしなく広がり続けていく。





――――わたしはこのまま、《わたし》を信じて良いのだろうか?



File17 ワタシの涙




「………なにやってんだ、おまえは」

妙な場所で気配を感じると思ったら、こいつかよ…。
衣服はボロボロだし、髪も肌も血塗れ。
その姿でうずくまっているのだから、ゴミ袋かボロ雑巾のようだ。
…言ったら怒るだろうが。

「おい、。起きろ」
「寝てませんよー…」

喋る気力はあるらしい。
しかし顔を上げる気力は無いらしく、はうずくまったままだ。

「治療は?」
「大丈夫ー…」
「何が大丈夫だこの半死人。とりあえず治療受けて着替えて来い」
「…わたし強い子だからー…」
「どこが強ェんだよ怪我人が。おまえ話聞いて無いだろ」

呆れて返せば、は一瞬言葉を止めた。
そして、無言で自分の隣を平手で叩く。…座れ、という意思表示らしい。

「…また落ち込んでんのか」
「直球ですね神田さん」
「回りくどく言っても仕方ねぇだろ。…で、なんだ」

一瞬、横に並ぶの体が強ばる。
…まあ、無理もない。今回の惨状は、にはきつかっただろう。
被害はエクソシスト、探索部隊に留まらず、科学班に及んだ。
元帥を除けば、恐らく万全に近い状態で戦えたのはこいつくらいだったのだ。
…性格上、責任を感じているだろう。

「…自分に」
「え?」
「自分に出来る精一杯を、やったんだろ」
「…うん」
「なら、今はそれ以上を求めるな」

こいつはなんでも出来るような、器用な奴じゃない。
博愛主義でもないくせに、非情にもなりきれない。
ただ、それを隠すことだけは上手くて。

「辛いなら、何も考えるな。…今くらいなら、許されるだろ」

それが、の望む言葉だったかどうかは、わからない。
それでも、俯いたままでは小さく笑った。

「……神田さんは甘くないなぁ」
「当たり前だ。甘やかされたいなら他を当たれ」
「ううん、いい。ちょっと気力回復した」

そう言って顔を上げたの表情は、常と変わらない。
いや、いっそ普段より強気なくらいだ。…こういう時のこいつは、大抵無理をしている。

「…ごめん、神田も辛いのにね」
「俺にそんな感情はない」
「いうと思った。…でも、ごめん」

それは、何に対しての謝罪なのか。
――違う、と。
頭の片隅で、何かのシグナルが響く。

「…わたし、行って来る」
「どこへ」
「アレンとリナリーの様子見に」
「……」
「あのふたりは優しいから。…きっと、傷ついて、心から血を流してる」

――ああ、やっぱり、そうか。
違和感の正体に気付いて、一瞬瞑目する。

若干強がった風もあるが、声音は普段通り。
なのに違和感を覚えたのは何故か――そう、今までの会話の中でこいつは一度も、俺の目を見てない。

「…今のわたしには、傷を治すことは出来ないけど…
 それでもせめて、心に負った傷を、少しでも…軽く、してあげられたら…」
――

故意に視線を逸らし、まるで自分に言い聞かせるように語る言葉。
その言葉は重く、だが同時に普段のこいつのそれに比べれば薄っぺらく思えた。
――自分を偽りながら語られる言葉には、何の意味もない。

「おまえが、リナリーやモヤシを大事に思ってんのは知ってる」
「神田とラビもだよ」
「それはあのふたりに向けてるもんと意味合いが違うだろ」
「……」
「なぁ、

黙り込むのは、自覚があるからなのか。
の引いた一線。それに気づけるくらいには、俺はこいつの本質を知っている。

「あいつらの為に、おまえが心を砕くのは良い。それはおまえの自由だ。
 …あいつらは甘いし、ガキだ。おまえが支えになろうとしてるのを、俺は止めない。だが、」

強く、俯きがちのを見据える。
気高さと強さに彩られたエクソシストはそこにはなく、ただ感情を押し隠すただの女がいるだけだ。

「だったら、おまえの涙はどこへいけばいい」
「神田…?」
「おまえは、誰にだったら弱音を吐いて、誰の前なら泣ける?
 リナリーやモヤシの前では笑って、俺やラビの前では強がって、おまえの中の嘆きや苦痛はどこへいく?」

そんなことはない、と。
言いかけたその言葉を遮り、強く言い放つ。

「…俺は、たまにモヤシよりおまえの方が見ていて腹が立つ」


嘆きも苦しみもすべて隠し、言い訳のように「自分は一番年上だから」と語るこいつは嫌いだ。
こいつはわかってない。
俺も、リナリーも、ラビもモヤシも。この教団でこいつに関わり、こいつの本質を知っている奴等の願いを。

「神田」
「…俺を頼れとは言わねェよ。
 だが、おまえがひとりで背負い込むのは気に入らねぇ」

――誰が、こいつに無理をして欲しいなんて願うものか。
一方的に支えになって欲しいなんて、リナリーもモヤシも思っているわけがない。
勝手に思い込んで突っ走って、勝手に落ち込んで自分を追い込んでいるのはこいつ自身だ。腹が立つ。

「ははっ…」

くしゃりと前髪を指で乱暴に梳り、は苦く笑った。
泣きそうな声で。

「…あんた、漢前過ぎ。いい男だなぁ…」
「今更気付いたのか?」
「ばーか、らしくないよ」

笑い飛ばそうとして、失敗したのか。
途中でか細く途切れた言葉の代わりに、は俯く。
きつく唇を噛み締める、泣く一歩手前の反応。
反射的に差し出した手を、は縋るようにきつく握り返してきた。

「…少しだけ、…今だけ」
「…ああ」
「すぐにいつものわたしに戻るから。今だけ…ッ」
「わかってる…」

――俺は、卑怯だな。
こいつの選んだ道なら、たとえどんなものでも、見守ろうと思った。その心に偽りはない。

決して俺のものにはならない女。
だが、それでも良かった。
自由で奔放、我が儘で身勝手。
だけど誰よりも真っ直ぐで、すべてから目を逸らさない、気高さがある。

その全てに抱いたのは、憧憬と愛おしさ。
だから――どんな形でも良いから、こいつの《特別》になりたいと、どこかで思っていた。

これは、エゴだ。
所詮はの為という言い訳の上に成り立つ自己満足。
気高さに、自由さに惹かれた。なのにどこかで、みっともなく泣き喚く弱いこいつこそを愛しいと思った。


――いいや。みっともないのは、きっと俺自身だ。
誰にも吐けないでいた本音を吐かせて、そんな自分の立ち位置に優越感を感じる、浅ましい感情。


今だけ。…そう、今だけだ。
すぐに、こんな感情は消える。
だから今だけは――この仄暗い感情に、沈んでも良いだろうか。


+++


未だ混乱冷めやらぬ中。
執務に没頭する中で、コムイはふと手を止めた。

「…ねー、リーバーくん?」
「はいはい、なんですか室長。一応怪我人なんですから今日はもう休んで下さいよ」
「いや、それキミもだよね?」

ついさっきまで、担架で運ばれていた怪我人だ。
治療が終わって早々に手伝いに駆けつけるのだから、まったく苦労人だとコムイも思う。
思っていても手伝って貰っているのだから、あまり強くは言えないが。

「…あのさぁ」
「はい?」
「誰かを愛しいと思った時、その対象が家族じゃなかったら、それは恋と言えるだろうか」
「ぶっ!?」

そのまま体勢を崩し、リーバーは書類の山に沈む。
傷の痛む体でなんとか這い出てきた彼に、コムイは心外そうに首を傾げた。

「…え、何その反応。失礼だよ?」
「いきなりわけわからんこと言わないで下さいよ!?」
「酷いなぁ。…まぁ、ボクもよくわかってないんだけどね」

まるで理解不能の事象に陥ったかのように、コムイはどこか他人事のように呟く。
手慰みのように、崩れた書類の山を直しながら機械類を操作しながら。

「…リナリーが教団に連れて行かれたときから、延々と科学の勉強をしてきたよ」
「はぁ」
「とにかく必死だったんだ。リナリーを取り戻そうと、必死だった。
 …ボクの行動理念は今だって変わっていないと思う、本質的な意味では。だけど…」

――だけど、あの瞬間。
唯一自分の感情を揺さぶるのは最愛の妹だけなのだと、そう思っていたのに。

「…どうしてかな。必死に涙を我慢するあの子が、」

我慢する必要なんて、きっとなかったのに。
必死に耐えるその姿が、強がって浮かべた笑顔が、酷く痛々しくて。

「…抱き締めたいと、思ったんだ」

それは、リナリーへ向けた感情とは違うのか。
その対象が血縁者ではないのだから、違うのかも知れない。
――もしも、それを『恋』と呼ぶのなら。

「…戦場等の緊迫した場面で落ちる恋には、心の誤認が多いそうですよ」
「うっわ、言うに事欠いてソレ? リーバーくん酷い」
「でも、…室長はそう思えた方が、楽でしょう」
「……」

…それを計るには、コムイは年月を重ね過ぎたと言えなくも無い。
学問に没頭し続けた年月と、最愛の妹の身を案じ続けたその年月は、知らぬ間に彼の《平凡》すらも奪っていた。

「あんたはこれ以上抱え込まない方が身のためですよ」
「…そう、だね」

――そう、もし、これが『恋』なのだとしたら。
そんなものは心の誤認なのだと、そう思えた方がどんなに楽だろう。
所詮この《世界》で生きる限り、《平凡》なんて望めない。…少なくとも、上に立つ者としては。

「あの子は優しくて、痛々しくて、…眩しくて、直視出来ない。ボクには」

だからその『光』は、他の誰かの道標でなければ、ならない。
小さな体で、それでも精一杯の虚勢と悲痛なまでの優しい願いで、戦い続ける彼女。
彼女の、彼女達の選んだその道の行き着く先が、どんな形であれ幸福で在れば良いと――


――ただ、それだけを。
…傲慢なその願いだけが、叶うのなら。










――その為なら、神様に祈ることにも躊躇なんてしないのに、ね…」






交錯する想いと、傲慢な願いと。



To be continued?

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