――例えば。
《世界》と彼を天秤に掛ければ、わたしは間違いなく彼を選ぶだろう。
それは、どうして?
好きだから。
誰よりも大切だから。
わたしがこの《世界》で生きる《理由》だから。
今までは、無条件にそれを信じていられた。
だけど、今は。
――もしも、そう思うようにプログラムされていたとしたら?
そもそも、千年伯爵がわたしをこの《世界》に呼んだのだとしたら、どうしてわたしは教団側に居るの?
それこそが、偶然ではなく必然であった証なのだとしたら…?
…わからない。
わからない。何よりも、自分自身がわからない。
大切なだけなのに。
何よりも、誰よりも愛しいと思うのに。
ただ、一緒に居たいだけなのに。
それなのに…
消えない疑念。
消せない違和感。
一度広がった波紋は、果てしなく広がり続けていく。
――――わたしはこのまま、《わたし》を信じて良いのだろうか?
「………なにやってんだ、おまえは」
妙な場所で気配を感じると思ったら、こいつかよ…。
衣服はボロボロだし、髪も肌も血塗れ。
その姿でうずくまっているのだから、ゴミ袋かボロ雑巾のようだ。
…言ったら怒るだろうが。
「おい、。起きろ」
「寝てませんよー…」
喋る気力はあるらしい。
しかし顔を上げる気力は無いらしく、はうずくまったままだ。
「治療は?」
「大丈夫ー…」
「何が大丈夫だこの半死人。とりあえず治療受けて着替えて来い」
「…わたし強い子だからー…」
「どこが強ェんだよ怪我人が。おまえ話聞いて無いだろ」
呆れて返せば、は一瞬言葉を止めた。
そして、無言で自分の隣を平手で叩く。…座れ、という意思表示らしい。
「…また落ち込んでんのか」
「直球ですね神田さん」
「回りくどく言っても仕方ねぇだろ。…で、なんだ」
一瞬、横に並ぶの体が強ばる。
…まあ、無理もない。今回の惨状は、にはきつかっただろう。
被害はエクソシスト、探索部隊に留まらず、科学班に及んだ。
元帥を除けば、恐らく万全に近い状態で戦えたのはこいつくらいだったのだ。
…性格上、責任を感じているだろう。
「…自分に」
「え?」
「自分に出来る精一杯を、やったんだろ」
「…うん」
「なら、今はそれ以上を求めるな」
こいつはなんでも出来るような、器用な奴じゃない。
博愛主義でもないくせに、非情にもなりきれない。
ただ、それを隠すことだけは上手くて。
「辛いなら、何も考えるな。…今くらいなら、許されるだろ」
それが、の望む言葉だったかどうかは、わからない。
それでも、俯いたままでは小さく笑った。
「……神田さんは甘くないなぁ」
「当たり前だ。甘やかされたいなら他を当たれ」
「ううん、いい。ちょっと気力回復した」
そう言って顔を上げたの表情は、常と変わらない。
いや、いっそ普段より強気なくらいだ。…こういう時のこいつは、大抵無理をしている。
「…ごめん、神田も辛いのにね」
「俺にそんな感情はない」
「いうと思った。…でも、ごめん」
それは、何に対しての謝罪なのか。
――違う、と。
頭の片隅で、何かのシグナルが響く。
「…わたし、行って来る」
「どこへ」
「アレンとリナリーの様子見に」
「……」
「あのふたりは優しいから。…きっと、傷ついて、心から血を流してる」
――ああ、やっぱり、そうか。
違和感の正体に気付いて、一瞬瞑目する。
若干強がった風もあるが、声音は普段通り。
なのに違和感を覚えたのは何故か――そう、今までの会話の中でこいつは一度も、俺の目を見てない。
「…今のわたしには、傷を治すことは出来ないけど…
それでもせめて、心に負った傷を、少しでも…軽く、してあげられたら…」
「――」
故意に視線を逸らし、まるで自分に言い聞かせるように語る言葉。
その言葉は重く、だが同時に普段のこいつのそれに比べれば薄っぺらく思えた。
――自分を偽りながら語られる言葉には、何の意味もない。
「おまえが、リナリーやモヤシを大事に思ってんのは知ってる」
「神田とラビもだよ」
「それはあのふたりに向けてるもんと意味合いが違うだろ」
「……」
「なぁ、」
黙り込むのは、自覚があるからなのか。
の引いた一線。それに気づけるくらいには、俺はこいつの本質を知っている。
「あいつらの為に、おまえが心を砕くのは良い。それはおまえの自由だ。
…あいつらは甘いし、ガキだ。おまえが支えになろうとしてるのを、俺は止めない。だが、」
強く、俯きがちのを見据える。
気高さと強さに彩られたエクソシストはそこにはなく、ただ感情を押し隠すただの女がいるだけだ。
「だったら、おまえの涙はどこへいけばいい」
「神田…?」
「おまえは、誰にだったら弱音を吐いて、誰の前なら泣ける?
リナリーやモヤシの前では笑って、俺やラビの前では強がって、おまえの中の嘆きや苦痛はどこへいく?」
そんなことはない、と。
言いかけたその言葉を遮り、強く言い放つ。
「…俺は、たまにモヤシよりおまえの方が見ていて腹が立つ」
嘆きも苦しみもすべて隠し、言い訳のように「自分は一番年上だから」と語るこいつは嫌いだ。
こいつはわかってない。
俺も、リナリーも、ラビもモヤシも。この教団でこいつに関わり、こいつの本質を知っている奴等の願いを。
「神田」
「…俺を頼れとは言わねェよ。
だが、おまえがひとりで背負い込むのは気に入らねぇ」
――誰が、こいつに無理をして欲しいなんて願うものか。
一方的に支えになって欲しいなんて、リナリーもモヤシも思っているわけがない。
勝手に思い込んで突っ走って、勝手に落ち込んで自分を追い込んでいるのはこいつ自身だ。腹が立つ。
「ははっ…」
くしゃりと前髪を指で乱暴に梳り、は苦く笑った。
泣きそうな声で。
「…あんた、漢前過ぎ。いい男だなぁ…」
「今更気付いたのか?」
「ばーか、らしくないよ」
笑い飛ばそうとして、失敗したのか。
途中でか細く途切れた言葉の代わりに、は俯く。
きつく唇を噛み締める、泣く一歩手前の反応。
反射的に差し出した手を、は縋るようにきつく握り返してきた。
「…少しだけ、…今だけ」
「…ああ」
「すぐにいつものわたしに戻るから。今だけ…ッ」
「わかってる…」
――俺は、卑怯だな。
こいつの選んだ道なら、たとえどんなものでも、見守ろうと思った。その心に偽りはない。
決して俺のものにはならない女。
だが、それでも良かった。
自由で奔放、我が儘で身勝手。
だけど誰よりも真っ直ぐで、すべてから目を逸らさない、気高さがある。
その全てに抱いたのは、憧憬と愛おしさ。
だから――どんな形でも良いから、こいつの《特別》になりたいと、どこかで思っていた。
これは、エゴだ。
所詮はの為という言い訳の上に成り立つ自己満足。
気高さに、自由さに惹かれた。なのにどこかで、みっともなく泣き喚く弱いこいつこそを愛しいと思った。
――いいや。みっともないのは、きっと俺自身だ。
誰にも吐けないでいた本音を吐かせて、そんな自分の立ち位置に優越感を感じる、浅ましい感情。
今だけ。…そう、今だけだ。
すぐに、こんな感情は消える。
だから今だけは――この仄暗い感情に、沈んでも良いだろうか。
+++
未だ混乱冷めやらぬ中。
執務に没頭する中で、コムイはふと手を止めた。
「…ねー、リーバーくん?」
「はいはい、なんですか室長。一応怪我人なんですから今日はもう休んで下さいよ」
「いや、それキミもだよね?」
ついさっきまで、担架で運ばれていた怪我人だ。
治療が終わって早々に手伝いに駆けつけるのだから、まったく苦労人だとコムイも思う。
思っていても手伝って貰っているのだから、あまり強くは言えないが。
「…あのさぁ」
「はい?」
「誰かを愛しいと思った時、その対象が家族じゃなかったら、それは恋と言えるだろうか」
「ぶっ!?」
そのまま体勢を崩し、リーバーは書類の山に沈む。
傷の痛む体でなんとか這い出てきた彼に、コムイは心外そうに首を傾げた。
「…え、何その反応。失礼だよ?」
「いきなりわけわからんこと言わないで下さいよ!?」
「酷いなぁ。…まぁ、ボクもよくわかってないんだけどね」
まるで理解不能の事象に陥ったかのように、コムイはどこか他人事のように呟く。
手慰みのように、崩れた書類の山を直しながら機械類を操作しながら。
「…リナリーが教団に連れて行かれたときから、延々と科学の勉強をしてきたよ」
「はぁ」
「とにかく必死だったんだ。リナリーを取り戻そうと、必死だった。
…ボクの行動理念は今だって変わっていないと思う、本質的な意味では。だけど…」
――だけど、あの瞬間。
唯一自分の感情を揺さぶるのは最愛の妹だけなのだと、そう思っていたのに。
「…どうしてかな。必死に涙を我慢するあの子が、」
我慢する必要なんて、きっとなかったのに。
必死に耐えるその姿が、強がって浮かべた笑顔が、酷く痛々しくて。
「…抱き締めたいと、思ったんだ」
それは、リナリーへ向けた感情とは違うのか。
その対象が血縁者ではないのだから、違うのかも知れない。
――もしも、それを『恋』と呼ぶのなら。
「…戦場等の緊迫した場面で落ちる恋には、心の誤認が多いそうですよ」
「うっわ、言うに事欠いてソレ? リーバーくん酷い」
「でも、…室長はそう思えた方が、楽でしょう」
「……」
…それを計るには、コムイは年月を重ね過ぎたと言えなくも無い。
学問に没頭し続けた年月と、最愛の妹の身を案じ続けたその年月は、知らぬ間に彼の《平凡》すらも奪っていた。
「あんたはこれ以上抱え込まない方が身のためですよ」
「…そう、だね」
――そう、もし、これが『恋』なのだとしたら。
そんなものは心の誤認なのだと、そう思えた方がどんなに楽だろう。
所詮この《世界》で生きる限り、《平凡》なんて望めない。…少なくとも、上に立つ者としては。
「あの子は優しくて、痛々しくて、…眩しくて、直視出来ない。ボクには」
だからその『光』は、他の誰かの道標でなければ、ならない。
小さな体で、それでも精一杯の虚勢と悲痛なまでの優しい願いで、戦い続ける彼女。
彼女の、彼女達の選んだその道の行き着く先が、どんな形であれ幸福で在れば良いと――
――ただ、それだけを。
…傲慢なその願いだけが、叶うのなら。
「――その為なら、神様に祈ることにも躊躇なんてしないのに、ね…」
交錯する想いと、傲慢な願いと。
To be continued?
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