肩にはしる裂傷の痛みは、既に感覚が麻痺していて何も感じない。
体全体に残る疲労も、酷く認識が曖昧だ。
ならば何故今、自分は走っているのか。

その答えが、それだけが今、自分を突き動かしている。

『コムイだ。撤退は中止。…各班、次の指示に直ちに取りかかって欲しい』

無線越しに、コムイは内心に渦巻く様々な感情を殺して、冷静な指示を出す。
自らの価値を知る彼にとって、自らの感情は無視しても良いものだ。

『これから第五研究室及び本部内の負傷者救助を行う』

それは、形は違えども彼の妹と同じ献身。
彼自身が気が付いているのかは、彼自身にも分からないだろう、ごく自然なもの。
だが恐らくは、気付かない方が楽なのだ。そんな感情は。



『レベル4は撃破された。――長い朝は、終わったよ』






――今はただ、長き朝の終わりを告げるその言葉が救いとなるのだから。



File16 長い朝の終わり




「…自覚したら痛くなってきたー…たすけてー…」

全身が痛みを訴えているけど、特に脇腹が痛い。
そりゃ、ついさっきまで血が止まらなかったのだから仕方ないけども。

「あ、あのな…お前冗談でもなんでもなく死に掛けたんだぞ!? 呑気過ぎさ!!」
「…泣きながら言われてもなー…」
「うるさいさバカ!! オレらの涙を返せ!!」

酷い暴言です。バカって。

「いやでも貴重なもんが見れましたよ? 神田が泣いたんだよわたし凄くね?」
「黙れそのまま死んでろバカ女」
「ひどーい…」

まったく可愛い奴らです。暴言だらけだけど。

「酷いのはよ! 本当に…あなたを失うかと思って…ッ」
「…あー…ごめんね、リナリー…脚は大丈夫? むしろ頭から流血してない?」
「~~~ッ!! 人の心配より自分の心配しなさい!」
「ご、ごめんなさい…」

お、怒られた…リナリーに怒られた…なんかショック。

「……なんでリナリーに怒られた時だけしょげるんさ」
「リナリーに嫌われたら生きていけない」
「……アレン。なんとか言ってやれこのバカに」
「……僕もうそんな気力無いです……」

普段なら真っ先に文句を言うはずのアレンは、そう呟くように言ってくたりと倒れ込んできた。

「アレン? え、何??」
「ごめん、もう無理…」
「はい!?」

それだけ言うと、アレンは動かなくなった。
意識はあるけど、…これはよっぽど無理してたんだな…

達は…みんなのところへ…僕のことは、良いから…」
「でも、」
「じゃあ…」

躊躇うわたしに、アレンは微笑う。
動けない程、怪我が酷いはずなのに。

「ドクターを呼んできて、ください。重傷人ですから、僕」
「アレン…」

どうして、無理に微笑ってまでこんなことを言うのか、わかってしまった。
わかってしまうから、返す言葉を見つけられない。

「…リナリ…、を」
「うん、わかってる…わかってるわ、アレンくん。だから待ってて…」
「はい…お願いします」

立ち尽くすわたしの手を、リナリーが握り締めた。
はっと我に返って、わたしは顔を上げる。

「行きましょう、
「う、うん…」

強い彼女の口調に、反射的にわたしは頷いた。


+++


上は、怪我人で溢れ返っていた。
達と分かれて、私は人波を縫って歩き回る。
こんなに酷い状況だ、医療班の人手が足りるかどうか…。

「誰か…ドクター、いませんか! アレンくんが動かないの!」
「どこですか!」
「だいぶ下の階なの…っ! 急い…」

声を上げた瞬間、ぐらりと視界が揺らいだ。
立っていられなくなって、その場に座り込む。

「大丈夫ですか!? キミも顔が真っ青じゃないか!」
「その血…頭を打ってるんじゃない?」
「な、なんでもな…ただの貧血…」

体中が、重い…
これは、発動の代償? 無理なシンクロをしたからかしら…。

ぼんやりと考えていると、脚を覆う《黒い靴(ダーク・ブーツ)》がその姿を変えた。

「!? 赤い…輪になった…発動が解けたの…?」

まじまじと、足首のそれを見下ろす。
なんだか寄生型と様子が違う…。
装備型じゃない…でも、これは寄生型なのかしら…?

――アレン=ウォーカーはどこですか?」
「え…」

掛けられた声に、我に返って顔を上げた。
あまり見慣れない、服装。監査官の制服。
アレンくんの監視役だ。確か、名前は――


+++


――瞼が重くて、目が開かない。
自分で思った以上に、体を酷使し過ぎた。五感の全てが鈍っている。

だから、近づいてくる足音が誰のものかすら、わからなかった。

? リナリ…?」

戻って来るとしたら、あのふたりが妥当だろう。
僕のことは良い、って言ったのに。

「僕のことはいいから…はやく…科学班のみんなのところへ…きみは…」

ふたりは、優しいから。
教団のみんなを家族のように思っていて、みんなが大好きで、…だから。

「僕より…教団生活が長いから…きっと…だから…はやく…」
――リナリー=リーなら行かせましたよ。嬢は見掛けていませんが」

――あれ?
予想を大きく外して、全然違う声が返ってきた。

「………ダレ?」
「ハワード=リンクです」

そんな淀みのない返答とほぼ同時に、動かない体が担ぎ上げられた。

「ちんく…?」

…呂律が回ってない。
これがやラビなら笑うんだろうけど、リンクは至極真面目だった。

「医療班が手一杯だそうなので、私がキミを運びます」
「……、アリガトウ…」
「仕事です」

素っ気ない…。
でも今は、下手に優しくされるよりその方が良かった。

「リーバーさん達は…?」
「全員無事でした。人間の方は」

――ドクン、と。
大きく、鼓動が脈打った。

「守化縷(スカル)にされた方は助からないそうです。
 すでに何体か死んで砂になってます」
「……ッ」

わかっていた。
だってこの目で見たじゃないか。




わかっていたんだ。
助けられないことは、もう。
なのに…、


――なのに、涙が止まらなかった。


+++


――よく考えれば。
この《世界》に来てから、こうしてひとりになることは少なかったと思う。

いや、もしかしたら無かったかもしれない。
常に誰かが傍に居た。

ひとりで居る時間も、嫌いじゃなかった。
学校が終わった後。
家族団欒が終わった後。
ひとりで居る時間は、わたしにとって空想世界に思いを馳せる貴重な時間で。

――だけど、今はどうだろう?

最初に浮かぶ感情は寂しい、だ。
常に誰かと一緒に居るのか普通になった。
大好きな人達が増えて、みんなと一緒に居るのは楽しくて…

――だからこそ、今はひとりが良い。

――……」

荘厳な礼拝堂にひとり、佇みながら十字架を見上げる。
懺悔に来るほど信心深くはないし、そもそも神様なんてものが居るとも思っちゃいない。
ここにいるのは、ただの自己満足だ。

…矛盾してる。
ひとりで居たくないくせに。

「…また、ここに…たくさんの柩が、並ぶ…」

懺悔なんかじゃない。
悔しいと思う。悲しいとも思う。
だけど、涙が出ない。

「…死にかけてまでわたしが守れたものって、なんだったんだろ…
 わたし…守りたかったものを、守れたのかな…」

…わたしは、リナリーやアレンとは違う。
悔しいのも哀しいのも、きっと今この瞬間だけで。

これは、時間と共に風化する感情。
きっとわたしは、彼らがこの教団で普通に生活していたことすら、忘れてしまうだろう。

例えば、千人を助けるために百人を犠牲にする戦い方。
それが大義、正義だとしても、わたしには出来ない。
いやむしろ…『ひとり』を助ける為に、千人を犠牲にする。してしまう。

「……」

――わたしと、ノア達と、どう違うんだ。
エクソシストを殺したいという本能を持つ彼ら。
人間なんて死んでも良いと、嗤いながら言えるノア達。
だけど彼らは、互いを《家族》と呼び、慕い合い、慈しむ。

今のわたしと、彼らに何の違いがあるの。
…そう。確かに、彼らもまた《心》を持つわたしと同じ《人間》なんだ。


「…〝例え定められた恋でも、誰かに決められた愛でも、良かった〟――か」


――《クロニカ》と名乗ったあの夢の中の人の話が、頭から離れてくれない。
ただの夢として片づけるには、あまりにもリアルで、だけど存在自体がノンリアルな彼女。

彼女の語る、彼女が《仲間》と呼んだ存在は恐らく、ノアだ。
わたしはたまたま教団側にいるだけで、彼女はたまたまノア側に居た。
きっと、それだけの差しか、ない。…彼女はわたしと《同じ》なんだと、思う。

異世界から喚ばれた者の《役割》。
決められた誰かと結ばれ、子を成すこと。

もしもそれが、彼女だけでなく、わたしにも課せられていたとしたら?

アレンはノアじゃないけれど、《14番目》が遺した《奏者》だ。
なら…


――――この想いもまた、定められた紛い物なのだろうか?


「……最悪だ、わたし」

呟いて、重くため息を吐きながらその場に蹲った。
…最悪だ。最低だ。
よりによって、自分自身のアレンへの感情を疑ってる。
今更、何を迷う。
揺れないと決めた。誓ったのに。

「今更、なんで」

…怪我のせいだ。
怪我してるときとか、病気のときって弱気になるじゃないか。
そう、それだ。今は弱気になってるだけ。
命を懸けても良いと思う、この想いが紛いものなんかであってたまるもんか。

「…あー…もう、」
ちゃん?」
「ぅえ!?」

いきなり背後から声を掛けられ、わたしは反射的に振り返った。
振り返った先に居たのは、腕を吊る白い包帯が痛々しいコムイさんだ。

「コ、コムイさん…?」

なんでこんなところに。
いや、それを言うならわたしもだけど。

「声が聞こえると思ったら…こんなところで、ひとりで何を?」

…なるほど。こんな時にこんな場所から物音が聞こえれば、確認に来るよね…。
室長自ら、っていうのが困ったものだけど。

「酷い怪我じゃないか。
 ちゃんも、ちゃんと治療を受けないと…」


……
………死に掛けた人間が言われるセリフじゃないよなこれ。

言われると、意識から逸れていた傷が痛み出す。
だけど、わたしは寄生型で傷の治りは常人より早い。
だったら今は、科学班のみんなが優先的に治療を受けるべきだ。

「あ、え、だ、大丈夫ですよ! ほら、今は医療班手一杯だし!」
「またそういうことを…」

呆れたように息を吐いて、コムイさんはくしゃりとわたしの頭を撫でた。

ちゃん…もう、良いんだよ」
「…」
「もう、長い朝は終わった。…頑張らなくて良いんだよ」
「…コムイ、さん」

――頑張らなくても良い、と。
優しく告げられたその言葉に、縋り付いて泣きたくなった。
だけどその瞬間に視界に入るのは、真新しい包帯の白。

…ダメだ。この人だけは。
――これ以上、この人の背に背負わせるわけには。

――大丈夫です、コムイさん」

大丈夫。
泣きたいのはこの一瞬だけ。
怪我のせいで弱気になっているだけ。
だから、大丈夫だ。



「わたし、強い子ですから!」



泣かないと決めた。
自分の為にはもう泣かない。
強く在りたい。早く大人にならなければいけなかった、わたしの大切なみんなの為にも。
自惚れてるわけじゃない。
わたしひとりの存在が、どれだけの役に立つかなんてわからない。
それでも、ほんの少しでも良い。彼らの支えに、なれるなら。





それはきっと、わたし自身も救われるのだろうから。






信じさせて。…せめて、この想いだけは。



To be continued?

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