周囲を見回した瞬間、視界に映り込んだのは、
滅茶苦茶に破壊された部屋と、ぼろぼろの姿で倒れ込んでいるアレンくん達の姿だった。

3人より遠くに、瓦礫に体を預けるように項垂れているの姿もある。

「……」

――許さない。
私の大切な家族を、…大好きなみんなを、傷つけた。
他の誰が許したって、私は絶対に許さない。


軽く床を蹴って、空を舞う。
そして、アレンくんを捕らえたレベル4の腕に降りた。

――よくもホームをメチャクチャにしたわね」

瞬間、レベル4は私から距離をとった。
私は、動かないアレンくんを庇うように彼の前に立つ。

『あらてか』

――撃ち込んでくる。

レベル4の腕が突き出された瞬間、私はアレンくんを抱えて床を蹴った。
――跳べ、《黒い靴(ダーク・ブーツ)》。あいつの攻撃が届かない場所まで。

「アレン…ッ、リナリ…!
 まともに喰らった…!」
『いや、あたってない――そこだ』

周囲の音が、遠くなった。

「!?」
「え…」
「あんな、上まで…!?」
言われて初めて、私は眼下を見下ろす。
思っていた以上に、下が遠い…。

「ユウ、見えた…?」
「……見えなかった…」

呆然と見上げてくるふたりの言葉があまりに場違いで、思わず状況を忘れそうになった。

「うっぷ…リナリー…」

今まで反応の無かったアレンくんが私を呼ぶ声に、我に返る。
視線を向けた瞬間、目の前のアレンくんの顔色は、真っ青だった。

「速すぎ…」
「ごっ、ごめんっ! やだ、吐きそう?」

おかしいな。こんなに高く跳ぶつもりなかったのに。
久しぶりで感覚鈍った…?

「! なに…これ…?」

靴の踵に付いているこれは…蝶?
ただの飾りとは思えない。これは何…?

「!!」

呑気に考えごとをしている余裕は、ないらしい。
レベル4の追撃をかわしながら、きつく唇を噛んだ。

「…っ」
「リナリー…僕は大丈夫だから、離して。
 道化帯(クラウンベルト)をのばせば落ちないから…。それから…」

ぽつりと呟くように言われた、言葉。
辛そうに歪められた表情の理由は、きっと怪我だけじゃない。

「みんなを、全然守れなくて、ごめん…」
「……」

――とアレンくんは、こういうところがよく似てる。

護れなかったのは、私だって同じなのに。
…ううん、私は、みんなに護られながら泣いていただけだ。

そんな私に、どうしてもアレンくんも謝るんだろう。
どうして、ひとりで背負うのだろう――

「私も、ごめん…来るのが遅すぎて」

泣きそうになって、だけどやっぱり私が泣くのは卑怯だと思えて、涙を飲み込む。
アレンくんから手を離して、私はレベル4へと振り返る。






「あいつを、止めよう」



File15 血誓の毒




『ギギギギギギギ』
「…っ!」

振り降ろされた退魔の剣。
それを素手で止めきったレベル4は、にたりと嗤った。

『ふ。ざんねんでした』
「どうかな?」
『!』

場違いにも笑みを浮かべたアレンくんにレベル4が言葉を返す前に、私は《神ノ道化(クラウン・クラウン)》の柄へと降りた。

高く空を舞い、《黒い靴(ダーク・ブーツ)》に重みを込めて。
今までのアクマなら、この一撃で間違いなく破壊出来る。
ならばさすがのレベル4とて、余裕とはいかないはずだ。

『……っ!!』

――もっと高く。
もっと。もっと速く。
もっと加速して威力を強く。

一撃でダメなら二撃。
それでダメなら何度でも。

疲労と怪我で、体は重いはず。
だけど、私の体は軽やかに空を舞い、踊るように動く。

――やっぱりこの《黒い靴(ダーク・ブーツ)》、以前のものと違う。
私が操作しなくても、勝手に私の想いに応えてくる。
装備型の感覚と全然違う。

『 は な せ ! 』

今までの残酷なまでの無邪気さは消え、レベル4は怒号に近い声を上げた。
渾身の力を込めて、刃を押し返そうと藻掻く。

「離すかッ」
『はなせこのぉ!!』

ダメだ。このままでは押し負ける。
もう一撃を加えようと脚に力を込めた瞬間、レベル4の動きが止まった。

「!?」

何かに気づいたように、アレンくんが視線を巡らせる。
その瞬間、室内に響いた声。

――撤退は中止だ、コムイよ」

この声…まさか…?
振り返った視界に映るのは、鮮やかな赤。

「このビールッ腹野郎が。実験サンプルにしてやる」


――その声は、絶望の中に見出された希望だった。


+++


「クロス元帥…!? 本当に…」
「他に誰に見える」

返されたあまりな彼らしい言葉に、コムイは言葉を失う。
彼が生きているなら、第五研究室にいた他のみんなも…、そんな希望が過ぎった瞬間だった。

『…ちょ…室…長…』
「!」

微かに入った通信に、鼓動が脈打つ。
震える手で通信用のマイクに指を添え、コムイは口を開いた。

「リーバー…? リーバー班長か!?」
『すみません…今、意識が戻って…
 自分達は、第五研究室の下、瓦礫と炎の中に…詳しい位置は、わかりませんが…』

案外しっかりした声が、返ってきた。

『ミランダの…《時間停止(タイム・アウト)》の中にいます…
 《抱擁ノ庭(メーカー・オブ・エデン)》も視認できます…みんなまだ、生きてます…』

――『生きている』と。その言葉に、涙がこぼれそうになった。

『頼みます…消火を…』
「わかった、すぐに消す! もう少し頑張るんだ」

自らの負った怪我すら忘れて、コムイは駆け出した。
エレベーターが壊れた今、移動手段は自らの足だけ。だがそんなことは些細なことだ。

「ミランダの消耗を少しでも抑えられるよう、
 出来るだけ体を寄せ合って《時間停止(タイム・アウト)》の範囲を小さくするんだ」

そこまで指示を出して、コムイは立ち止まった

「クロス元帥」
「なんだ」
「私は上に戻ります。アレン、リナリーと目標の破壊――頼めますか」
「言われるまでもない」

常と変わらぬ、不遜な態度。
だがこの満ち溢れる自信に、絶対の信頼を寄せられる安堵感もまた、事実。

「行っていいぜ、『室長』」

彼に任せておけば、問題ない。
そんな安堵感に息を吐き、コムイは階下にいる神田とラビに視線を向けた。

「神田くん! ラビ、大丈夫か!?」
「もぉ動けねェ~」

「すまない、武器のないキミ達を戦わせて…」
「はぁ? テメェに謝られる筋合いはねェ。アクマと戦んのが俺の仕事だ」
「ユウってばマジ男前…」

コムイの謝罪の言葉に、神田は普段通りの素っ気ない返事を返す。
ふたりそれぞれの反応から、命に関わる程の怪我ではないと判断してコムイは安堵の息を吐いた。

「兄さん!? 研究室に生きてる人がいるの…!?」
「そうなんですか、コムイさん!?」
「アレン、リナリー…」
必死なふたりの問いに、コムイは微笑い、頷いた。

「…ああ!」


――その瞬間。
絶望と自らの無力さに傷つき、悲鳴を上げ続けていた心が…救われたのだと、信じた。


+++


――炎の海に沈んだ、みんなが生きている。
その事実に、意志に関係なく涙が溢れた。


護れなかった命。
護れるはずだった命。
この手から零れ落ちてしまったものは、決して少なくはない。軽くもない。だけど、

それでも、少しだけ。
…少しだけ、救われたと思っても良いだろうか。

『ギギギギギ、い の せ ん す』
「なに…っ!?」

突然、《神ノ道化(クラウン・クラウン)》を押し返すレベル4の力が強くなった。

『きらいきらいきらい! いのせんすだいきらいぃぃぃっ』
「!! コイツ…まだ動けるのか!?」

まるで先程までの様が演技であったかのように、レベル4は渾身の力で藻掻く。

「!! ぐっ」
『がぁあぁあああっ!!!!』

勢い良く弾き飛ばされ、壁に激突する。
間髪入れず投げつけられた《神ノ道化(クラウン・クラウン)》の刃が、顔の真横に突き刺さった。

「!!」
『は…はぁ、は…ははは、は、は、はは、は』

――まずい、と。
目の前で嗤うレベル4の姿に、次に来るであろう攻撃を回避する余裕がないことを、本能が悟る。

『あまいね。このぼくが、このくらいでこわされるわけないでしょうッ』
――いいや。お前はブッ壊れんだよ」
「「!?」」

顔の横に突き刺さった《神ノ道化(クラウン・クラウン)》が、ぎしりと軋む。
見上げれば、師匠が刃を足場に立ち、レベル4を見下ろしていた。

「理由を教えてやろうか」

放たれた弾丸が、真っ直ぐにレベル4へと向かう。

『ぎ、ぎぎ、ぎぎ、ぎっ』

苦悶の表情を浮かべていたレベル4が、それでもなお、嗤う。

『ふ…っ、あまく…みられたものですね…っ――――こんなもの!!』
「見えたのは一発だけか?」

どこまでも不遜に、師匠はそう言って《断罪者(ジャッジメント)》を傾けた。
パラパラと零れ落ちた弾倉は、――5つ。

『…うそ』

呆然と呟いたレベル4の体に、変化が生じた。
イノセンスの弾丸を直に受けたのだ。
如何にレベル4とはいえ、ダークマターより生まれたアクマに耐えられるわけがない。

『…っ!!!? おげっ? おもおっ、おっ』
「おっとそうだ、理由だったな」

徐々に形を崩していくレベル4を見据えながら、師匠は常と変わらない態度で口を開いた。

「一発は教団の連中の分ってことにしてやろう。一応な。
 オレだってそこまでひどい人間じゃない」

…どの口がそれを言うのか。
ふと思ってしまったが、次に飛び出してきた言葉に、僕は自分がまだまだ甘かったと痛感する。

「で、残りはオレの服を台無しにした分だ」


……
………服の分の方が多いってどういう感性ですかちょっと。しかも滅多に見ない笑顔だし。

「はーっはっはっはっはっ」
「「………」」

さすがに、リナリーも目が点になっていた。
…どこまでも本気っぽくて嫌だなぁこの人…この状況でもこれか。

「「!!」」

一瞬気が逸れた瞬間、醜く形を歪ませたレベル4が、動いた。

『おおおおおおおおっ』

自身の不利を認識して逃げにはしったか、あるいは最期の瞬間まで破壊し続けるつもりなのか。
レベル4は脇目も振らず上空へと向かう。

「上に逃れるつもりだっ! シャッターを閉めろ! ヘブラスカ!」
『ダメだ、間に合わな…』
「《道化ノ帯(クラウンベルト)》!!」

――これ以上、好きにさせるわけにはいかない。
動いたのはほとんど無意識だった。
体の端々が、認識力を超えた痛みに軋む。

『!!!』
「行かっ、せる、か!!」

腕と足に力を込めて、《道化ノ帯(クラウン・ベルト)》で絡めとったレベル4の巨体を引き戻す。

「お前はここで破壊する!!」
『うごおおおっ!!』

いったい、どこにこれだけの力が残っているのか。
腕が痺れて、力が抜けそうになった。
だけど、ここで押し負けるわけにはいかない…!

『!!』
「ほら、ガンバれガンバれ」

上空から聞こえた声に、レベル4の動きが一瞬止まった。

「来いよ。たぁっっぷり遊んでやるぜぇ」

――師匠が無事だった時点で、元帥達が無事だろうとは思っていた。
まったく、元帥達はまさしく桁外れだ。あの炎の中でほぼ無傷だなんて!

「あああぁあぁッ!!!」

残る力のすべてを込めて、《道化ノ帯(クラウン・ベルト)》を引く。
確かな手応えに、腕に更に力を込めた。

『ちくしょう…くやしいなぁ』

力尽きたように、レベル4の体がゆっくりと落ちてくる。

『でも、いっぱいころしてやったよ、はくしゃくさま…』

――ああ、そうだ。
こんなの『勝利』なんかじゃない。
…僕達はただ、『生き残った』だけだ。

「……ッ」

酷い痛みに、目の前が真っ赤に染まる錯覚。

限界なんて、とっくに超えている。
遠退きかけた意識を、歯を食いしばって繋ぎ止めた。

まだ、ひとつだけ。
ひとつだけ、気になることがある。
ずっと、そのことが気になって仕方なかった。


レベル4の驚異は消えた。
なのに素直に喜べないのは、失われた命への懺悔だけではない。

どうして、と。
胃の奥が冷えるような、嫌な感覚を覚えていた。



――の気配が、どこにもない。


+++


破壊されたレベル4の体が、崩れて落ちた。
もはやイノセンスに侵された体は動きはしない。
頭部だけで動くこととて不可能。――長い悪夢は、ようやく終わったのだ。

「は…ザマミロ」
「…たく」

頭部だけになって床を転がるレベル4に、ラビと神田はようやく詰めていた息を吐いた。

『くくく…』

クロスの足下で、辛うじて意識を残したレベル4が嗤う。

『くはははははッ。いいきにならないでくださいね、ぼくていどをはかいしたぐらいで』

それは負け惜しみなのか、否か。
場にはしる緊張が、その答えを物語っていた。

『おまえたちなんていつでもほろぼせるっ! かつのは、われわれなのだ!!』
「ぶぇっくしょいッ」

わざとらしいくしゃみと同時に、レベル4の頭部は《断罪者(ジャッジメント)》の弾丸に射抜かれ、砕け散る。

「おっと。サンプルにするつもりだったのに」

皮肉げに嗤いながら、残念そうにクロスは《断罪者(ジャッジメント)》をホルスターへ収めた。
――それが、悪夢閉幕の合図。

「…な、ユウ」
「あ?」

しばらく黙り込んでいたラビが不意に口を開き、それに対して神田は気怠るげに顔を上げた。

「いや…の奴、血、止まったかなって…」
「!」

呟かれた言葉に、神田は表情を強ばらせて立ち上がった。

「…あいつ、どこ行った?」
「動いてないなら、さっき居たところっしょ…」
「…行くぞ」

短く告げて歩き出す神田に、ラビは苦笑しながら立ち上がる。

体中痛むし、頭もまともに働かない。
そんな自身の状態に気づかない振りをして、ふたりはと別れた場所へ戻ってきた。


瓦礫に背を預け、項垂れる少女の姿を見つけ、ふたりは安堵の息を吐く。

「あ。いたいた。ー!」

だが、ラビの呼びかけに対しては反応を返さなかった。
…あれだけの怪我だ。意識を失っていても無理はない。

「おい、! しっかりしろ、もう終わったぞッ」

華奢な肩を掴んで、僅かに揺する。
しかしそれでも、彼女の意識が覚醒する兆しはない。
よほど酷い怪我なのかと顔をしかめたラビの眼前で、の頭が力無く落ちた。

「……?」
「おい、ラビ。どうした」

訝しむ神田には応えず、ラビはの口元へ手を翳した。

「……」
「ラビ?」
「……て、ねぇ……」
「あ?」

呆然と呟いたラビの言葉が聞き取れず、神田は首を傾げる。
そんな彼に、ラビは蒼白な顔色で再度、呟いた。

「…が…息、してねぇ…」
「!!!」

呆然としているラビを押し退け、神田はの両肩を掴む。

「命根性の汚ねェ奴が真っ先に倒れんじゃねぇよ! 起きろ、!!」
! 目ェ開けろよ! 頼むから…ッ」

だが、どんなに呼びかけても、僅かにも彼女は動かない。
まるで、人形そのもののように。

「おい、何してる」

不意に掛けられた声に、ふたりはほぼ同時に振り返る。
視線の先に立つのは、クロスとリナリー。
瞬時に何が起こったか悟ったのか、ふたりの表情が凍り付いた。

「元帥! の呼吸が、止ま…ッ」
「ッ…退け!」

神田とラビを押し退け、クロスはの左手首を取った。

「…大丈夫だ、まだ脈はある…ッ」
「でもどんどん弱まってる! 早く処置しないと…ッ」

――せめてこの場に、時間を操るミランダが居れば。
誰もが思っても、口には出来なかった。

…ッ、お願い目を開けて!
 もうこんな思いをさせないで、って言ったじゃない…約束してくれたじゃない…ッ」

体温を失い始めているの体を、リナリーは必死に暖めようと抱き締める。

伝わる鼓動が、酷く弱々しい。
辛うじて生きている状態だ。このままでは――

「…やだ…いや…こんなの、やだ…ッ」
「リナリー、まだ動けるか? すぐ上に運べばドクターが診てくれるッ」
――動かすのは無理だ。…血が止まってねぇ」

その言葉は、あまりにも冷静に聞こえた。
この状況でどうして、と。
そう憤る反面で、助けられないのだとどこかで理解出来てしまうのが、辛い。

「そんな…」
「…どうしようもないってのかよ」

自らの死を覚悟する以上の、絶望。
それが胸中を支配する静寂の中で、その音は妙に大きく響いた。
瓦礫を蹴り、その場に立つ足音が。

「! アレン!?」

視界の端に映った白い色彩に、最初に気付いたのはラビだった。
表情を落とした真白の道化は、床に血の痕を作りながらふらりと歩を進めてくる。

「アレンくん…ッ、君は動かないで! 酷い怪我なのよ、もう無理は…ッ」
「…がこんな無理をしたのに、僕が立ち止まって良いわけがない」

無機質なまでに、静かな声音。
何の躊躇いもなく、アレンはリナリーの腕からの体を取り上げた。

普段の彼なら、決して取らない行動だろう。
一見すれば恐ろしいほど冷静な所作。
だがリナリーへの気遣いを忘れてしまう程に、アレンは冷静さを失っていた。
――否。それは、正気を失っているとも、言えるのかもしれない。

「…

徐々に体温を失っていく、体。
血の気を失った白い頬に、黒い髪が無造作に流れる。
――それは、あまりにも普段の彼女の姿とはかけ離れたものだった。

「ごめん…僕はいつも、君を護れない…ッ」

その悲痛な叫びに、リナリーは涙を流す。
ラビはきつく目を閉じ、神田は視線を逸らした。
ただひとりクロスだけは、そんな彼らの姿を、静かに見つめている。

「…ごめん、身勝手でごめん…ッ
 こんなこと、僕が願うのは都合が良過ぎるのかもしれない、でも…ッ」

どうしてこんなことに、と。
そう思うことすら、アレンにとっては《罪》だった。
護ると決めた、その誓いを守れなかった自らを責めて。
繰り返す謝罪の言葉になど、意味がないことを知りながら、それでも繰り返さずにはいられない。

「戻ってきて…ッ、君を失うくらいなら、いっそ死んだ方がましだ…ッ」



その、瞬間。
微かに、閉ざされた瞼が――動いた。



+++


今、確かに聞こえた。
音にならない、その声が。

――貴女を、呼んでいるようですね』


――わたしを、望む声が聞こえた。


『お行きなさい。それを望むのなら』

…前に、《方舟》でアレンやリナリーが必死にラビを呼んだ時。
あの時、わたしは思ったんだ。

わたしの名前も呼んでくれないかなぁ、って。
そうしたら、もっと頑張れるのに――って…。

「…もし、ここで死んだら…どうなるの」
『さぁ? 知りたいのなら、彼らに応えずリタイアしてはどうかしら。
 …ただひとつ言えるのは、「ここでの死は《資格》を放棄すること」だけ』

――死ぬってどういうことなのか、本当はまだよくわからない。
ただ、二度と会えなくなるということだけが、わかる。
わたしが死んだら、どうなるだろう。

リナリーは、きっと泣く。
誰よりも優しいあの子は、深く傷つくだろう。自分を責めるかもしれない。

ラビも、多分泣くな。
格好付けてるくせに、本当は涙もろくて精神的に脆いところがあるから。

神田は…まぁ、泣かないだろうなぁ。
だけど、きっとあいつは背負うだろう。感情を全部、抑え込んで。

アレンは――


――泣く、だろうか。
それとも怒るだろうか。
どっちでも、きっと――消えない傷を、心に抱えることになるだろう。

実の両親に捨てられて。
愛した養父と死に別れ。
わたしがこの《世界》から消えてしまう可能性に、本気で怯えていた彼は。

「…ない」
『なに?』
「死ねない」

死ねない。
まだ、死ねない。

たくさんの約束を、した。

「わたし、戻るわ。わたしの居場所はあそこにある」

大好きなみんなの為にわたしが出来るのは、それだけだから。
…ううん、違う。そんな立派なものじゃなくて。
ただ、わたしが。わたし自身が。
みんなと――アレンと一緒に、居たいだけ。それだけだ。

――あなたが居ても居なくても、《世界》は変わらないのに?』

そんなことは知ってる。
結局、わたしが居ても居なくても、この《世界》は変わらない。
だけどそれで良い。わたしはただ、みんなとこの《世界》で生きていく。

「でも、それでもわたしは…この《世界》で生きてるわ」
『……そう』

そう呟いて、彼女は小さく頷いた。
まるでわたしの答えを予測していたかのような、そんな様子で。

『…既に《継承》は成った。
 受け入れるも拒絶するも、貴女の自由』

――その言葉の意味することは、彼女の語った《役目》のことか。
だとしたら…わたしは、どうするのだろう。
定められた《運命》。決められた《途》。
交わった途は、やがて滅びへと向かうのか。それとも――



『貴女は、既にその《資格》を有しているのだから――――



――ああ、だけど。
彼女は過去に選んだのだ。
その途の行き着く先を、知りながら。






ならばわたしも、きっと、選ぶだろう。
険しいと知りながら――この、茨の途を。






+++


「…っは、けほ…ッ」
…ッ」

溜まった空気を吐き出すように咳込むと、忘れていた痛みが戻ってきた。
体の動きが鈍いのは…なにこれ、死後硬直ってやつ? 洒落にならないな…。

ぐちゃぐちゃに頭の中をかき回されたみたいに、気持ち悪い。
ぐっ、と思い切って目を開けると、眼前にアレンの泣き顔があった。

「…ア、レン…?」
…ッ!」

ただでさえ、傷と埃とでぼろぼろなのに、泣き腫らした目が真っ赤。
せっかくの美形が台無しだ。

「…ははっ…ひっどい、顔…」
「うるさいよ…ッ」
「…うるさいは酷いなァ…」

真白の髪に、手を伸ばす。
想像以上にその動きが緩慢で、なんだかもどかしい。

「泣き虫…」
「うるさい…っ…泣かせてるのはだッ」

駄々っ子か。
だけどその自覚はあったし、感情をさらけ出す彼が愛しかった。

「うん…そう、だね。ごめんね」
「…違う…っ」

おかしいな。
全然微笑ってくれないや。
わたし、そんなに酷い顔してる?

「違う…ごめん、謝るのは僕の方だ…ッ
 君を護れなかった…! ひとりで無理させて…また、何も出来なくて…ッ」
「…アレン…」

――ひとりだったら、わたしは無理なんて出来なかった。
誰かに強制されたわけじゃない。
わたしがやりたくてやったこと。
その結果、怪我をしたり…死にかけるのは、わたし自身の責任だ。

「…泣かない、で…」

だからアレンは、…他のみんなも、わたしの存在を背負わなくて良い。

「…わたしは、ここに、居る」
「…うん…、うん…ッ」

まったく、普段は生意気なくせに今日は妙に素直だ。
熱を取り戻し始めた指先で、わたしはアレンの頭を撫でた。

「傷…治してあげられなくて…ごめんね。
 こんな体で、それでも来て、くれたんだね…」
「こんな怪我…大したことない…ッ!
 君を失うくらいなら、死んだ方がましだ…ッ」
「…ははっ…恥ずかしい奴…」

なんでこういうセリフが、素面で出てくるんだか。
苦笑しながら視線を動かすと、アレンの向こう側にリナリー達がいた。
…思いっきり見られてた。恥ずかしい。

「…リナリ…神田、ラビ…クロス元帥…」

多少照れくささを感じながら、わたしはみんなの名前を呼んだ。
瞬間、弾かれたようにそれぞれの反応が返ってくる。

っ、…ッ」
「…この、馬鹿女…ッ」
「まったくさ! 心配、させやがって…ッ」

あーあ、やっぱり泣かせちゃった。
でも涙目の神田なんてレアじゃない?
世界広しと言えど、こいつを泣かせられるのはわたしくらいじゃないだろうか。
…なんか苛めっ子みたいだな、わたし。

「…この、馬鹿が。守ると啖呵切った奴がぶっ倒れてどうする」
「ははっ…、面目ない、です…」

呆れたようにわたしを見下ろすクロス元帥は、いつもと変わらない。
だけどほんの少しだけ、その視線が穏やかに感じるのは、錯覚だろうか。

――よく頑張った。…よく、帰ってきたな」
「…はい…」

小さく頷き返して、わたしはみんなの顔を見回した。
大切で大好きな、みんな。
ボロボロに傷ついて、顔色も悪くて、おまけに泣き腫らした顔で。

だけど、みんな生きてる。
護れなかったものがたくさんあって、それは哀しくて悔しいけど。
でも、わたしが何よりも護りたかったみんなは、誰一人欠けることなく、目の前にいる。









だからわたしは、精一杯の感謝を込めて微笑った。













「…ただいま…みんな…」






共に生きると誓った、その約束が鎖となってわたしを繋ぎ止めている。



To be continued?

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