――リナリーが出ていった後。
部屋はまるで太陽が消えた世界のような、そんな空気に満ちていた。

「おかしいわよ…」
「婦長…」
「こんなのおかしい…」

普段の気丈さの欠片も見えないほど、力無く崩れ落ちた婦長が、嗚咽混じりに呟く言葉。
反射的に外へ飛び出しそうになって、そんな自身の行動に自問する。

「……」

追いかけるつもりか…?
これは…ブックマン後継者としてか…それとも…

「…ど、して…?」
「! …」

力無く項垂れていたが、譫言のように呟いた。

「…あの子が…リナリーが、何をしたの…?
 ただ、適合者だっただけだよ…なのに、どうして…」

その声音は、悲しみより怒りに近い、だが怒りよりは静かな音。

「どうして…「教団の為に」なんて、あの子が命を懸けなきゃいけないの…?」

静かな、声音。
それは逆に、矛先を見失った怒りに聞こえた。

「…それを、誰かが強制する権利なんて…あるわけないよ…ッ」

うな垂れていたの手に、力がこもる。
指先が白くなる程に強く握り締められた手。
滲む赤が、元々の怪我のせいか爪によって傷ついたのか、判別がつかなかった。

「…悔しい…悔しいよッ…なんでわたしはこんなに弱いの…ッ
 どうしてこんなにも無力なの! なんで…ッ」

血を吐くような、悲鳴にも近い感情。

「ほんの少しの大切な人達すら、護れないの…ッ」

零れる涙を拭うことすら、せずに。
悲痛な叫びが、静寂に包まれた室内に響く。

「…
「辛いよ。苦しいよ。でもね、なによりも悔しいよ…ッ!
 わたしがもっと強ければ護れた? そうかもしれない。でも、だけど…ッ、それ以上に…許せないッ!!」

聞きたくないと、思った。
これ以上は、の口から聞きたくない。
だがそれは、『ラビ』としての意志なのだ。
ブックマン後継者としてではなく。

ただ、嫌だった。
悲しいとも言う。
彼女の口からは、聞きたくない。それは…

「わたしは生まれて初めて、人を殺したいと思った…ッ」


――強い、負の言葉。


「……っ、くっそ…」

どうして、とか。
なんでこんなことに、とか。
零れ落ちそうになる言葉を、苦い思いで飲み込む。

――今だけ。この一瞬だけだ。

そう言い訳のように自分に言い聞かせて、足を踏み出した。

「! ラビ!?」
「…悪い、婦長。を頼む」
「ラビ!!!」

婦長の悲鳴に近い声を背に、部屋から飛び出す。






――これはきっと、リナリーの為でもの為でもない。
自分の、為だ。



そう、自分に言い聞かせた。



File12 純粋なる殺意




『3番ゲートの間、中央出口封鎖!』

――こんな日が来ることを、いったい誰が予想しただろう。

『各班、室長の指示通り避難を開始せよ』

――いいや、予想ぐらいはあったかもしれない。
ただ、来なければ良いと思い…そう信じていただけだ。

「行ってください、室長! ヘブラスカの所へ! イノセンスを!!!」

ギリ…ッ、とコムイはきつく唇を噛む。
結界装置は、どんなに出力を上げてもAKUMAを破壊することは出来ない。
そして、ここに残りAKUMAを抑えている彼らの先は、もはや決まってしまっている。

それでもコムイは、室長としてこの選択をせざるを得ないのだ。
エレベーターの上に降り、パネルを操作する。
降下ボタンを押そうとした瞬間、微かな音にコムイは振り返った。

「!」

振り返れば、当然のような顔でエレベーターに乗り込んでいる神田と、
その後に続こうとしているチャオジーの姿があった。

「コラ! キミ達は避難!」
「できるか」
「かっ、神田先輩が行くならオレも…!!」
「乗ったら処罰するよ!」
「う゛っ」

さすがに入団したてのチャオジーにとっては、教団最高権力者の『処罰』は怯ませる効力くらいあったようだ。
しかしそんなものに神田が怯むはずもないことは、何より付き合いの長いコムイは理解している。

「ヘブラスカの所には今、俺の六幻もあるんだ。
 取ってこれませんでしたじゃシャレにならん」

そんなものは建前だ。
長く教団に在籍する神田にとって、イノセンスの保護はもちろん、《室長》の重要性はよくわかっているのだろうから。

「結界もそうもたねェ。いざって時は俺が盾になる」
「馬鹿を言うな! そんなことでキミの寿命を無駄には…」

言いかけて、コムイはぐっと言葉を飲み込んだ。
対する神田は、ただ静かにコムイを見つめ返す。

「……っ」
「……」

ほんの僅かな沈黙。
神田は目を眇め、口の端を持ち上げて笑った。

「じゃあ、せいぜい俺の迷惑にならないよう逃げ切るんだな」

その言葉に込められた感情がわからない程、コムイはまだ冷静さを失ってはいない。
返す言葉を探すコムイの耳に、ヘブラスカからの通信が届いたのは、その瞬間だった。

『急げ…コムイ! 私の内のイノセンスを回収しろ』

一瞬の瞑目の後、コムイは了承の応えを返す。
だがその言葉は、続くヘブラスカの声に遮られた。

『それに…ルベリエがリナリーを連れて来る…っ』
「……っ」

それが意味する事は、ただひとつだ。
ちらりと視線を送れば、神田の鋭い視線とぶつかる。

――時間はもはや、残されていなかった。

「降下!」

迷いを断ち切るように、コムイは降下ボタンを叩きつけた。

「頼みます、室長…!」

徐々に降下していくエレベーターは、託された希望と、

『ふふ…あそんであげましょう、「しつちょう」。
 じゅうびょうだけあげます』

迫り来る絶望の声に見送られ、逃げ場の無い地下へと加速していった。


+++


「…さん」

ラビの言葉が効いたのだろうか。
先程よりしっかりした婦長の声に、わたしはゆるりと顔を上げた。

「傷の手当をしましょう。何もしないよりいくらか楽になります」
「…婦長…」

――ああ、そういえばわたしは、怪我をしていたんだっけ。

自覚らしい自覚も沸かないまでにも、動かそうとした体には痛みがはしる。
…否。この痛みは、体にはしる傷ではない。きっと。

「…わたし…ラビに酷いこと言っちゃったかな…」

言葉にすると、もやもやと胸中に漂っていた罪の意識を自覚させられる。

「…ラビだって、今は闘えなくて辛いなのに。
 ……わたし、酷いこと言っちゃったよね……」

…きっと。
わたしの吐き出した言葉は、ラビを責めてた。

《ブックマン後継者》にとっては、大した意味もない言葉だったろう。だけど。
《ラビ》にとっては、残酷な刃にも等しい言葉だった。…きっと。

さん。完璧な人間なんて居ないんですよ」

そう諭すように言いながら、婦長がわたしの腕をとった。

「あなた達みたいに若い世代は特にね。
 それともあなたは、自分は完璧だと思っているのかしら?」
「そんなこと…!」

言い返そうと声を上げたわたしを、婦長は手で制した。
反射的に、わたしは口を噤む。

「頑張るな、なんて言えないのよね。私達には。
 でも、頑張り過ぎてもいけないわ。…わかっているんでしょう?」

わたしは、答えられずに俯いた。

…わかってる。
わたしに出来ることなんてそんなに多くは無くて、頑張ったところで最終的には皆の足を引っ張るだけなのだ。

それでも、何かしたかった。
頑張ることしか、わたしが出来ることはなかったから。

みんなを護る為なら、耐えられた。
体に負った傷は、いつか癒える。だから。

「辛かったら、辛いと言って良いの。
 あなたもリナリーも、まだ子供なのだから」

治療してくれる婦長の手は温かくて、優しくて…泣きそうに、なる。
だけど唇を噛んで、それに耐えた。


まだだ。
まだ、泣かない。

わたしにだって、まだ出来ることが残ってる。

だから、泣かない。
泣くのは――すべて終わってからだ。


+++


「…ッ」

腕に巻かれた包帯のきつさに、霞みかけていた意識が戻ってくる。
研究室内は下からの炎の熱気で酷く熱い。

その熱気のせいか、朧気だった意識が痛みで覚醒した。
徐々に戻ってくる感覚の中で、《方舟》の向こう側――教団内へと侵攻したレベル4の姿が、眼裏に蘇る。

「…あいつを、止めなきゃ…みんなが…」

が、たったひとりであいつの後を追った。
…無茶だ。いくらが防護に特化したイノセンスの適合者でも、レベル4から教団全部を護るなんて。

加えて、あの怪我だ。
ただでさえ体力もない上に、自分の傷を治すことの出来ないが、あの怪我で動き回ればどうなるか。

「…僕、が…行かなきゃ…」

きっと、は平気で無茶をする。断言出来てしまう。
がどれだけ、リナリー達を大切に思っているかが、よくわかるから。

「…痛…ッ」

すぐにでも行かなきゃいけないのに。
彼女が無茶をする前に、側に…!


――なのにどうして、体が動かないんだ!!


「その傷では立つことすら無理です」
「…っ」

きつく、拳を握り締めた。
動けないことは、自分自身がよくわかってる。
わかってるけど、でも!

「…クラウン…クラウン…発動…ッ」

祈るような気持ちで、己のイノセンスに意識を集中させる。

「アレン=ウォーカー! 無茶だ、動けるわけが…」

ああ、多分、こんな無茶なことをしたら…また、怒られるんだろうな。

――だったら、怒られに行こう。
怒って泣いて、そして最後には笑って許してくれるだろうから。

「…《神ノ道化(クラウン・クラウン)》…僕の体を動かせ…傷は無視して構わない…っ!」
「ウォーカー!」

大丈夫。
死んでも良いなんて思ってない。もうそんなことは考えない。

「死にません。…約束したから」

だけど。
初めて彼女が口にした、「護って」という言葉は無視出来ない。したくない!

「…彼女が…がこの《世界》で生きる《理由》を…護る」

傍らのティムに頷き、僕は《ゲート》へ足を踏み出した。
体を苛む痛みは酷い。
目の前が真っ赤だ。だけど意識を失わない限り、まだ立っていられる。

リンクがまだ何か言っているけれど、聞こえない振りをして《ゲート》を潜った。

左眼に意識を集中させれば、レベル4が今どこにいるかが、わかる。


「…あっちにあるのは、エレベーター…行き先は、ヘブラスカの間か…!」

自分では動かせない体。
だけど動けと強く念じれば、身に纏う《神ノ道化(クラウン・クラウン)》が、この身を動かしてくれる。

まだ、戦える。
限界なんて超えてやる。
護ると決めた、その心のままに。


――さあ、行こう《神ノ道化(クラウン・クラウン)》。
彼女と、彼女が生きる《世界》を護りに。


+++


「…応急処置だから…とても万全とは言い難いけれど」
「ううん…充分です。ありがとう、婦長」

体に負った傷の痛みより、今は胸の奥を苛む痛みの方が大きい。
だから、今は止血さえ出来れば充分だ。
…傷の痛みで意識を失わずに済むのなら、痛みが残っていた方が良い。

「…さん。私はね…時々、この仕事が嫌になるの」
「婦長?」
「この仕事は私の誇りです。
 でもね…時々とても哀しくなる。怪我をした時にしか、手を差し伸べられない」
「……」

返す言葉を失って、わたしはただ婦長を見つめ返した。
…その言葉に、覚えがあったから。

「…少し前の、あなたの口癖だったわね」
「婦長…」

――そうだ。
闘う《ちから》を持たなかったわたしは、そんな自分を嘆いていた。

誰かが怪我をして、初めて役に立つ能力なんて何も無いのと同じだと。

だけど今は、何よりその《ちから》が欲しかった。
皆を助けられるあの《ちから》が――失われた今になって、こんなにも…

「……」

――それでも、わたしの願いは決まっていた。
わたしが望む世界の為に、成すべきことは。

「…行くつもりなのでしょう」

静かな問い掛けに、わたしは頷く。

「ごめんなさい…」
「そんな体で無茶はやめなさい…なんて、止めたって聞かないわよね、どうせ。
 素直なリナリーですら私の言うことなんて聞かないのだもの、跳ねっ返りのあなたが聞くわけないわ」
「ははー…跳ねっ返りは酷いなー…」

苦笑するわたしの手を、婦長が強く握る。
痛みを感じないぎりぎりの強さで。

「ちゃんと帰って来なさい。生きている限り、傷はやがて癒えるのだから」
「はい」

そっと婦長の手を外して、わたしは立ち上がる。
この程度の痛みがなんだ。
大切な誰かを失うくらいなら、耐えられる。

「…いってきます」

鏡がないからわからない。
だけど多分、わたしは上手に微笑えていたはずだ。
そう信じて、重く感じる扉に手を掛けた。


+++


「い、今の音…」
「上から…」

降下を続けるエレベーターの上から、不安と恐怖とを孕んだ声が、聞こえる。

「…来た」

負の方向へと冷えていく空気の中。
ただひとり、鋭い視線を虚空へと向け、静かに吐き出された強い声。

――その瞬間、視界を横切った白い影。

「……」

剣の柄を握り締め、虚空へと飛び出した。

「行かせるかぁぁぁぁぁッ!」

悲鳴にも近しい、怒号。
よくこんな声を出す力が残っていたものだと、自分に感心した。

『!』

大きく剣を薙ぐと、レベル4は剣閃を避けてエレベーターから距離を取る。

『あれ? きみ、まだうごけたの?』
「ええ。丈夫なのが取り柄なもので」

小首を傾げるレベル4を見据えながら、払ったばかりの剣を構え直す。
――降下を続けるエレベーターの上に、降り立って。

「!」
「アレンくん!?」

駆け寄って来るコムイさんの方へは振り返らず、小さく頷くことで返事を返す。

「よく無事で…、ッ! その傷は!?」
「……」

言われて、きつく唇を噛んだ。
剣を握る右手から、血が滴り落ちている。
…派手に動き過ぎた。傷が開いたか…。

「…時間を稼ぎます。行って下さい」
「アレンくん!?」

――この傷では、一緒に行っても役に立てないかもしれない。なら、

――行って下さい、コムイさん! リナリーのところへ!!」
「でも、その怪我では…!」
「行って」

稼ぐ時間は、多分、ほんの少しで良い。
――1分でも、良いんだ。

「リナリーに今、必要なのは誰でもない。…あなただ」
「……」

沈黙は、了解の意と受け取って良いんだろう。
コムイさんにとっては辛い選択だ。だけど多分、これで良い。

「神田」
「あ?」
「…コムイさんを、お願い」
「誰に向かって口利いて…」

不機嫌そうに返し掛けて、ハッと神田は目を瞠った。
そして、その表情のままで呟く。

「…おまえ…………?」

…なんでわかるんだか。エスパーかこいつ。
その問いには答えず、精一杯の強がりでアレンは――その姿を映したわたしは、微笑う。

「保って3分…さあ、早く!!」
「…わかった」

そうだ。あんたはこういうとき、絶対躊躇わない。
『仲間』を――『わたし』を優先したり、しない。
今、この場にいたのが神田で良かったと、思った。

――死ぬなよ」
「言われなくても」

言ったでしょう。
わたしの死は、誰にも背負わせないと。


誰かの為になんて、死んで堪るか。
わたしは、わたしの為だけに生きる。それで良い。


その延長線上に、アレン達が居ても――それは、彼らの為じゃなくわたし自身の為だ。


『おはなしはおわりましたか、えくそしすと?』
「…ええ」


すべてはわたしの意思。
闘うことも。
誰かを助けたいと願う心も。
みんなを護りたいという思いもすべて。
…その為なら、どんなちからでも受け入れよう。











――おいで、レベル4。遊んでやるよ」











――さあ、始めよう。
わたし達の望む《世界》の為に。






たとえそれが、忌むべきチカラであっても。



To be continued?

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