――神様、なんてものは信じちゃいないが。
この瞬間だけは、居もしない神様に感謝しても良いと、思った。

。無事か」
「…セン、セ…」
「あー? なんだ、こいつらボロボロじゃねぇか」
「師匠…」

それぞれの師を見上げ、わたし達は呟く。
目の前に立つのは、わたし達にとって絶対の存在。
それは、《力》そのものの具現。

「…。お前、肩外れてるぞ」

僅かに目を瞠りながら言われた言葉に、わたしは忘れていた痛みを思い出す。

「えっ…ど、通りで痛いと思っ…」
、その身体じゃやっぱり無理ですよ。君だけでも《方舟》で脱出を…」
「バカ言わないでよ…」

わたしを気遣うアレンの言葉は相変わらずで、優しさに喜ぶより先に呆れる。
それはクロス元帥も同じだったのか、彼は目を眇めた。

「…テメェは相変わらずだな、アレン」
「はい?」
「うるせぇ。5秒で良いからが舌噛まねェようになんか噛ませてろ」
「え?」
「黙って言うこと聞け」
「「…ハイ…」」

一方的に言い渡された言葉に、しかしわたし達に反抗するような無駄な気力はない。

。痛ェのは一瞬だから耐えろよ」
「へ…?」
「ま、処女喪失に比べりゃ大したことねぇだろ」
「ちょっ、いきなりなんてこと言っ…」

言うに事欠いてなんですか、セクハラですか!!
言い返そうと口を開いた瞬間、続く言葉は衝撃に吹き飛んだ。




とんでもない痛みを伴う、衝撃に。







「痛ーーーーーーーーーーーーぁッ!?」



File09 破滅への序曲




、大丈夫!?」
「い、いたた…」
「師匠! いきなり何すんですかッ」

思わず蹲るわたしを気遣いながら、アレンはキッとクロス元帥を睨む。
対するクロス元帥は余裕だ。欠伸混じりに、気のない返事を返してきた。

「あーーーー? 治してやってんだろ。ありがたがれよ」
「お前はやり方が荒っぽい。私の可愛い弟子に手荒な真似はするな」
「おいおい、いつの間にそんなに仲良くなったんだクラウド?」

でも止めないんですよね先生…。
うぅ…痛かった…。

?」
「へ、平気。動く」
「良かった…」

心底安堵したように言われて、何か居心地が悪くなった。
他人の目がある、っていうのもあるが…何より、あれだけ偉そうに啖呵切った手前、何かばつが悪い。
まぁでも、確かに痛かったけれど腕は動くようになった。
――――まだ、戦える。

「漫才は後にしろよ、クロス」
「オレかよ」
「ま、オレには関係ないがな」

どこか楽しそうに笑いながら、ソカロ元帥が動く。
嬉々として、彼はAKUMAの群の中へと躍り出た。

――――なぶれ、《神狂い(マドネス)》」

ソカロ元帥の腕を伝い、肩に付けられていたリングが外れる。
それは、リングという型の縛りを解除されて大振りの刃となった。

巨大な刃は、その大きさからは想像もつかないような軽やかな動きで回る。
そして、レベル3の巨体を次々に引き裂いていった。

「ハメ、外していいんだよなぁ?」

嗤いながらそう言って、ソカロ元帥は被っていたものをはぎ取る。
兜かと思っていたけど、何か布っぽいような…不思議な材質のそれを。
――その瞬間、彼が纏う空気が大きく変化した。

刺すような殺気は、隠されもしない。
空気を伝って、AKUMAへの殺意とその為に力を行使することへの愉悦を、感じ取る。
ぞわりと、肌が粟立った。

「来いやああああああッ!!!!」

一瞬、脳裏にある言葉が過ぎった。
――戦闘狂。
…ソカロ元帥って、いったい元は何やってた人なんですか…怖いんですけど…。

「…怖…」
、僕達もいきますよ」
「う、うん」

促されて、わたしは立ち上がる。
すぐにアレンは、身動きが取れないブックマンを護るリーバーさん達の元へ走った。

その後に続こうとして、わたしは自分の手を見下ろす。
握り締めているのは、漆黒の刃を持つ大剣。
ただ一度、《方舟》の中で発動した、アレンの持つ退魔の剣に酷似したそれ。
イノセンスなのだろうが――あまりにも、戦闘に向かないわたしには不釣り合いな形だった。

『元帥共が来たっ』
『殺せッ』
『殺せッ』

レベル3達が、融合する。
巨体となった彼らが、抵抗する術を持たない研究員達に迫った。

「《楽園ノ彫刻(メーカー・オブ・エデン)――《抱擁ノ庭》!!」

わたしが飛び出すより早く、ティエドール元帥のイノセンスが発動した。
フロア全体を覆うかのような、それ。
結界的な能力なのか――AKUMAの力の一切を、遮断しているように見えた。

「…凄い…」

わたしの盾とは、比べるまでもない。
なんて、強力な力の波動――――

「悪いが研究員達は任せるぞ、フロワ」
「構わないよ。この程度なら3人でお釣りがくる」

驚いて足を止めたわたしとは対照的に、元帥達の会話には余裕すらあった。
彼らはまるで普段通りに、軽口を叩き合う。

「そこの不良の腕がさびてなければね」
「フム」
「そりゃオレのことか?」

…やっぱ仲悪いんだろうか、クロス元帥とティエドール元帥って。
あー…合わなそうだもんなー、このふたり…師弟揃って仲悪いんですかナニコレ。

「…。お前はフロワの援護を」
「あ…」

余計なことを考えていたわたしに、クロス元帥のそんな指示が飛んだ。
一瞬、わたしは返事をすることに躊躇する。

「はい…」

結局は上手く言葉が出てこなくて、頷くしかなかった。
対AKUMA武器を手に足を踏み出すクロス元帥とクラウド元帥を見送り、わたしは視線を巡らせる。
AKUMAの群の中、舞うように剣を振るう――白い道化の姿を、目で追っていた。


「はい?」
「いっておいで」

ティエドール元帥の言葉の真意がわからず、わたしはきょとんと目を瞠った。
そんなわたしに、彼は僅かに目を細め――虚空を舞う白を、視線で示す。

「君は、彼と共に在る為に戦うのだろう?」
「…はい!」

その言葉の意味に、一拍遅れて気付いて、わたしは微笑った。
小さく会釈を返して、わたしは漆黒の羽根を広げて床を蹴る。
AKUMAの巨体をかわし、背後にリーバーさん達を庇って闘うアレンのもとへと、降り立った。

「アレン!」
…」

一瞬驚いたように目を瞠って、だけどアレンは次の瞬間には苦笑を浮かべた。

――援護を。暴れて良いですか?」
「存分に」
「はい」

頷いて、アレンは飛び出していく。
背後を気にせずに闘えると、そう言われたようで。
…わたしを、信頼してくれているのだと。そう感じられて、この状況下でなお、わたしは微笑った。

「……」

大きく、息を吸い込む。
彼の信頼に、応えなければ。
わたしの《世界》を、みんなを護るために。

「護れ――《天蓋黒盾》!!」

ダン――ッ、と。
重い音を立てて、漆黒の剣を床に突き立てる。
床に突き立てた漆黒の刃を伝い、守護の天蓋は周囲を包む。
それはもはや、盾というよりは結界に近かった。

「…く…ッ」

剣を伝い、わたしの中の何か――陳腐な言い方をすれば、気力というか精神力と言うか、
そうだな…体を動かすエネルギー?
そんなものが、すべて流れ出ていくような感覚が、した。

――全てを、奪い尽くされるような、感覚。
イノセンスに寄生されるというのは、こういうことなのか。

寄生型と呼ばれながら、アレンとは違ってわたしにはその特性が酷く薄かった。
シンクロ率の高いエクソシストは、皆こうなのだろうか。
ならば今までわたしは、いったい何とシンクロしていたと言うのだ。

「…ああ、」

――こんなモノに寄生されていたら、長くは保たない…。

剣の柄を両手で握り締めながら、そんな言葉が脳裏を過ぎった。
体から力が抜けないように、必死に唇を噛んでその感覚に耐える。

諸刃の剣。
言い得て妙だ。
この剣は守護の力を増幅させたが、その分わたし自身の消耗は激しい。

「くっ…ダメ、だ…集中しろ…ッ」

――お願い、イノセンス。
わたしはエクソシストではないかもしれない。
イノセンスの適合者では、ないかもしれない。

だけど今は、その力が必要だ。
――わたしの護りたい《世界》の為に!

!」
「リーバー班長! 結界装置(タリズマン)はあとどれくらい保ちますか!?」
「恐らくそう保たない…有り合わせの部品で作ったんだ、ここまで保ったのが奇跡だよ」
「わかりました。…わたしの後ろから動かないでください」

キッ、とわたしはAKUMAを睨めつける。
瞬間、盾に触れたAKUMAの腕が焼き切れて地に落ちた。

「盾に触れたアクマが…!」
…おまえの盾は、確かアクマを倒す能力は…」
「……」

――わたしの盾は、AKUMAを倒せはしない。そのはずだった。
それは、この剣の形を取ったことと関係があるのか。
《進化》《変化》――いや、《変貌》とでも言うべきか?
わたしは――いったいどうしてしまったと言うのだろう?

「いや、…そうか…能力が変化したと、コムイ室長が言っていたな…」
――来ます。わたしが防いでいる間に、ブックマンを降ろしてあげてください」
「あ、ああ」

振り返ることも出来ず、ただ事務的な堅い言葉しか、返せなかった。
背後で聞こえる喧噪が、少しだけ遠くに聞こえる。


――盾によって焼き切られていくAKUMAの死骸を見下ろしながら。
わたしは、きつく剣の柄を握り締めた。


+++


――死骸の海。死臭。
それは、ある意味では変わらない地獄絵図だろう。
それでも、命の危機は脱したのだ。

桁外れの力を有した、4人の元帥によって。

「司令部へ。こちら第五研究室、ノイズ=マリです。アクマ全機、活動を停止しました」
「無線通じますか?」
「《方舟》のような強い磁場にも耐えられる、バク支部長開発の最新型だそうだから、多分…
 こちら第五研究室。司令部?」

マリとミランダさんか…。
なんだか意外な組み合わせだった。
ああでも、穏やかで忍耐強い彼なら、ミランダさんもそんなに緊張しないかもしれないなぁ。

そんなことを思って、思わず笑う。…なんだ、余裕じゃんわたし。

『こちら司令部。大丈夫、聴こえてるよ。内部の状況を報告してくれ』
「科学班数十名が重症です。アクマの残骸から大量の死臭が吹き出して、視界と音が遮られてます」
『すぐに空調を強める。敵の《方舟》は?』
「現在ふたつ。どちらも閉じる気配はありません」

少し遠くから、そんな音をわたしの耳は拾い上げていた。
恐らく、耳に付けたバクさん特製の無線機が、音を拾い上げている。
…これは盗聴になるんだろうか。いやいや、そんなわけないよね…。

!!」
「アレン…」

声と同時に、翻る白が視界に入る。

「みんな無事ですか!? 、怪我は!」
「いや、わたしより一般人の皆様を心配しようよアレン…」
「馬鹿言わないでください。君を心配して何が悪い」
「…あ、いや。そういう意味でなく」

背後からなんとも微妙な視線が飛んできていて、居たたまれないのですが。
だけど、アレンはこの手のことはまったく気にしないらしい。頼むから気にしろ。

「大丈夫ですか?」

微妙な空気を気にも留めず、アレンは科学班の皆に声を掛けた。

「前が見えない…」
「口に何か当てて息をせい。このガスは体に毒じゃ」

そんなブックマンの言葉を聞きながら、ふと我に返る。
そうだ。ぼんやりしてる場合じゃない。

「すぐに怪我を治します」
「あ、ああ…すまないな、

手近にいた科学班のひとりの手を取って、わたしはいつものように指先に意識を集中させる。

「……え?」

疲れてるんだろうか。
上手く発動出来ない…?
もう一度、指先に意識を集中させる。
イメージを連結させる。羽根と、盾と、傷を癒すイメージとを組み合わせていく。
1年近く使ってきた能力なのだ。例え疲労していたとしても、少し…そう、止血くらいは。

だけどどんなに意識を集中させようが、わたしの指先に治癒の盾が発動することは、なかった。

「…は、発動、しない…? どうして!!」

持っていたものが急に無くなってしまうのは、とても恐ろしいことだと、思った。

確かに、渇望した時期もあった。
闘う力が欲しい、と。
だけど、でも!

、落ち着いて!
 君の疲労はそのままイノセンスに影響します、一時的に発動出来ないだけですよ!」
「でも、でも、だけど!」

アレンの言葉に、わたしは必死に頭を左右に振った。
違う。そんなのじゃない。
巻き戻しの街の時だって、すぐ気を失ってしまったけど発動は出来た。
《方舟》の中でだって、治癒速度こそ遅かったけれど、発動出来ていたじゃないか。
なのに今は、その発動の手応えさえ感じられない。どうして…!

さん、落ち着いて下さい」
「大丈夫、もうアクマは居ないんです。医療班に治療して貰えばすぐ治りますよ」
「…でも、でもわたし、こんなことくらいしか役に立てないのに…!」

攻撃火力は低い。
盾だって、みんなを護り切れない。
傷を癒す能力を失ったら、無力なわたしに何が出来るの…!

「馬鹿言うな、。おまえは頑張ってくれただろう」
「リーバー班長…」
「悪いな…何も、してやれなくて。……ありがとう。頑張ってくれて」
「……ッ」

優しく頭を撫でてくれたリーバーさんの仕草に、言葉に、わたしは泣きそうになった。

「…。君は戦う為に生きてるんじゃないんでしょう?」

握り締めた拳に傷だらけの手を重ねて、アレンが諭すように穏やかに、問う。

「うん…」
「君の手は、確かに君が護りたいものを護ったんですよ」
「…うん…」

わたしは頷くことしか、出来なかった。

――確かに、わたしの力は誰かを護れただろう。少しでも。
だけど、すっきりしない。
何かが、おかしい。
ボタンを掛け違えたような、違和感を感じてる――

「!」
「アレン?」

不意に、アレンが身を強ばらせて振り返った。
しばらく周囲を見回した後、声量を落としてわたしに耳打ちする。

「…
「うん?」
「左目が、微弱だけど反応してる…まだどこかに、アクマの生き残りがいるかもしれない」
「え…」

さすがに、周囲を見回したところでAKUMAの気配なんてわからない。
アレンですら朧気にしか感じられないAKUMAの存在を、わたしに感知しろというのは無理な話だ。
緊張した面持ちで頷くアレンに、わたしもまた頷き返す。

「リーバーさん達は、ガスの届かない上の階へ退避を」
「いや…オレはいい。みんなは上がってろ」
「班長」
「リーバーさん!?」

驚くわたし達に対して、リーバーさんはどこまでも本気だった。
その気持ちは、痛いほどにわかる。でも。

「改造された部下達が奥のゲートに連れて行かれたんだ。
 まだ…いるかもしれない。止めないと…ッ」

ゆるりと、わたしは視線を逸らした。
でも――多分もう、手遅れだ。
そんな言葉しか出てこないような気がして、きつく唇を噛み締めた。


+++


――ひとまずの危機は去ったのだと、僅かな安堵が胸に去来する。
それでも、敵側の《方舟》が残っている以上、まだ油断は許されない。
一瞬だけ、コムイは瞑目する。
それは失われた命への弔いか、それとも、愛する妹を戦場に出さずに済んだことへの、身勝手な安堵か。

「状況はわかった。マリはそのままミランダから離れず警護してくれ。
 クロス元帥、聴こえますか?」
『何だ』

相変わらず情の欠片も無いかのような、淡泊な返答。
だが今は、彼のその冷静さは頼りになる。
そしてそれは、他の元帥とて同じだろう。

「今からミランダの発動を止めて、《卵》の時間を戻します。
 その瞬間に《卵》を破壊できますか?」
「まちたまえ室長」

意を決して指令を出すコムイの言葉を、背後で通信を聞いていたルベリエが遮った。
常と変わらぬ――否、常以上に険しい表情で。

「《卵》を破壊? 何を言ってるんですかな。あれにどれだけの価値があると…」
「すでに《卵》は敵の《方舟》に渡ってしまっています。
 《刻盤(タイムレコード)》は時間を一時的に戻すだけで、時間自体を消すことは出来ないんです」

最後まで言わせず、コムイは強い口調で言い返した。
その表情には、決して曲げることのない強い意志が、ある。

「破壊するしかありません。でなければ伯爵の元に戻ってしまう」

ほんの一瞬。
コムイとルベリエは、睨み合う。

どのような犠牲を払ってでも、伯爵を止めることを願うルベリエ。
対するコムイは、犠牲を最小限に抑えることに重点を置いている。

行き着く目的が同じであれ、それは互いに相容れない感情だ。

――破壊します」

――そして、コムイの言もまた正しいのだと、ルベリエは理解している。
だからこそ、迷い無く言い放ったコムイに、彼は返事を返さず退いた。



カツン、と。
司令室を出ていく足音が、高く響いた。

――リンク監査官」
「はっ」

まるでそこに居るのが当然であるかのように、ルベリエは腹心の部下に呼びかける。
返答は即座に返り、彼の眼前には部下として礼を取るリンクの姿が、在った。

「コッソリ『仕事』を頼みたい」

どこまでも淡々と告げる、言葉。
それを受けるリンクもまた、表情一つ変えない。



「体は鈍っていませんね?」



+++


時を止めた《卵》の前に、クロス達は再び集まっていた。
時間が停止しているせいか、《卵》からは脈打つ鼓動は聴こえない。

「こいつはダークマターの塊だ。
 一撃で壊すには俺とクラウドとソカロ、三人でかかるしかないが、それで行けるか保証はできんぞ」
『なんとか頼みます』
「仕方ない」

コムイの言葉に面倒くさそうに頷いて、クロスは不安げな面もちで佇むミランダを振り返った。

「いつでもいいぞ、ミランダ」
「は、はい」

小さく深呼吸をして、ミランダは《刻盤(タイムレコード)》を掲げる。
――その瞬間に、ソレは起こった。

「!?」

足下からせり上がってきたソレに気付いた瞬間にはもう遅い。
目を瞠るミランダを嘲笑うかのように、ソレは一瞬で彼女を包み込んだ。

――水。液体。
それは意志を持ってミランダを拘束し、その呼吸を奪う。

「水? ミランダ!」

伸ばされたマリの腕が届く前に、ミランダの体はソレに完全に飲み込まれた。
うねるように宙へと浮かび上がる、意志有る水。

「《聖人ノ詩編(ノエル・オルガノン)》!!」

マリが弦を伸ばすも、液体であるソレはあっさりと弦をかわしていく。
その内部に、ミランダを捕らえたままに。

「くそっ、液体じゃ捕らえられないっ」
「なんだあれは、生物か?」
「《色》のノアだな。あれはあらゆる万物に変身できるぞ」

僅かに、クロスが舌打ちする。
果たして彼の言葉は、当たっていた。


やがてソレはミランダを取り込んだまま、形を変える。
人にも似た形をとったソレは、女の声で告げた。


『厄介な能力の女ね…発動を止めろ!』


――その声は、確かに《色》のノア,ルル=ベルのものだった。


+++


「!」
「なんだ…!?」

負傷した科学班のみんなを運んでいたわたし達は、上空に現れたソレに視線を向けた。
――水? 液体?
人のような形をとったそれは、AKUMAではない。

ぞくりと、全身が総毛立つ。
忘れていた吐き気が戻ってきたような、酷い悪寒が背筋にはしった。


――――アレは、ノアだ。


「…アレン!」
「!」

わたしの声に、アレンは何かを見つけたように目を瞠る。
その妙な反応に、わたしも気付いた。
――ルル=ベルの体の中に見える、人影に。

「ミランダさん!」
「ノアが戻ってきたんだ…っ! オレらのことはいいから行ってくれ!」

リーバーさんの言葉に一瞬だけ躊躇して、だけどアレンは頷いた。
そして、わたしの方を振り返る。

、みんなを頼…」
「アレン」

最後まで言わせずに、わたしは強い口調で彼の名前を呼んだ。
わたしは肩を貸していた科学班の研究員をブックマンに任せ、羽根を広げる。

「飛ぶ速度だけなら、わたしの方が速い」
?」
「掴まって。――飛ぶよ」

スッと、手を差し出した。
――傷を癒せないわたしには、ここにいる必要性があまりない。
ならばせめて、一秒でも早くミランダさんを救出する手助けを。
ノアと顔を合わせるのは怖いが、ミランダさんの命には代えられない。

「……」

小さく頷いて、アレンはわたしの手を取った。
リーバーさん達に小さく頷いてから、わたしはアレンの手を握り、床を蹴った。

以前のわたしなら、アレンを抱えて飛ぶなんて無理だった。
それが理由で、《方舟》の中で神田を助けられずに置いて来てしまったくらいだ。

だけど今は、それが出来る。
わたし自身の腕力なんて、まったく関係がない。
――イノセンスが剣の形を取ったことに、何か関わりがあるのか。治癒能力を失ったことも?
わからなかったけれど、今はそんなことを言ってる場合じゃない。

「! あれは…」
「…元帥…ッ…ミランダごと、《卵》を壊すつもり!?」

眼下に見える光景に、わたし達は目を瞠る。
沈み始めた《卵》と、それに取り付くルル=ベル。囚われたミランダさん。
――――そして、そこに攻撃する、3人の元帥。

!!」
「わかってる!」

怒鳴り返して、わたしは小さく深呼吸をした。
大丈夫。出来る。――『あの能力』を使えば、必ず時間稼ぎが出来る。

「わたしに「残れ」っていうのはなしだからね、アレン」
「…言っても聞かないでしょ、どうせ」
「どうせとか言うな」

苦笑混じりにそう返して、わたしは一瞬だけ瞑目した。
この速度だと、恐らく《卵》が沈む瞬間にギリギリ間に合う。
――ならば、ミランダさんの救出は、アレンに頼るしかない。

「…アレン。何を見ても驚かないでね」
「え?」
「ミランダさんを、助けて」
――はい!」

強く、アレンがわたしの手を握り返してきた。
――ああ、きっと、アレンが傍に居てくれる限りは、わたしは平気だ。
どんな結果になっても、わたしはわたしのままで居られる。

そんなことを朧気に思いながら、わたしは沈みゆく《卵》目がけて落下する。
速度を上げて、わたし達はその中へと飛び込んだ。


+++


「ぐっ…ダメです。止められません!」
「時間がないぞ。ミランダの体を気遣って攻撃していては《卵》は破壊できない」

《卵》に弦を巻き付け、沈む速度を止めようと足掻くマリだったが、それはやはり叶わなかった。
一介のエクソシストのイノセンスが、伯爵の力の結晶とも言える《方舟》に打ち勝とうなど無理なのだ。
それを確認し、クラウドは他の元帥達へ視線を戻した。

「マリの弦は鋭すぎてミランダを掴めない!」

――その言葉を、彼らは一つの結論として受け取った。

「ノアもろともデカイのを撃ち込まない限り負けだねェ?
 まああの女もエクソシストだ、覚悟は出来てるだろ。なぁ?」
「!? 元帥、何を…?」
「………」

顔色を変えるマリに、しかしクロスが返した言葉はどこまでも淡々としていた。

――《卵》破壊を優先だろうな」

その横顔から、どんな感情を汲み取ればいいのか。
悲しみなのか、そんな感情は持ち合わせていないのか、ただ非情なまでの、無表情。

「待って下さい、元帥!!」

マリの必死の声に、もはや元帥達は答えなかった。

――ラウ=シーミン、遠距離形態。《破甲砲 ラウ・ガンズ》!!」
「《断罪者(ジャッジメント)》滅罪レベル、3倍いっとくぜ」

今まで出せずにいた本気を、彼らは解き放つつもりで武器を構える。
それを敏感に感じ取り、ルル=ベルは自らの体内に捕らえたミランダを掴み出す。

『いいのか、エクソシスト。
 数少ない仲間を手に掛けてでも止めるのか? この女の能力、貴様らには貴重なものだろう』

《卵》に気を失ったミランダを張り付けにするように、叩きつける。
その真意は実にシンプルだ。だからこそ、効果もあるだろう――相手が元帥でなければ。

「ミランダを《卵》の盾にするつもりか!」
『《卵》もろとも道連れだ!!』
――ナメんなよ」

何の躊躇いもなく、元帥達のイノセンスは放たれた。
気を失い、拘束されたミランダが避けられるわけがないということを、充分に理解した上で。

「元帥ーーーーーー!!」

――瞬間。
《卵》が沈みゆくその瞬間、彼らの視界に何かが映り込んだ。
高速で落下してくる、白と黒の色彩。
それを見てクラウドは目を瞠り、クロスとソカロは僅かに嗤う。

「…ひでぇ師匠だな、オイ。飛び込んでくるとわかってて本気で撃ったろう」
「ふ…避けては撃ったさ」

完全に《卵》が沈んだ。
だがクロスは余裕の笑みさえ浮かべ、《方舟》を見下ろす。

「構わん。あれも一応は《臨界者》だ」

そう告げて嗤った彼の傍に、ティムキャンピーが近づいてくる。
金のゴーレムは、どこか心配そうに――《卵》が沈んだ場所を、見下ろしていた。


+++


「ゲートに入ったか…早く主の元へ、今なら…まだ《卵》を直せる…」

自らの形へと戻ったルル=ベルは、疲弊しきった様で呟いた。

「元帥共め…」

刺すような殺気と共に、憎しみの籠もった声で吐き捨てる。
破壊されかけたそれは、それでもまだ修復可能なのだろう。
だがその安堵も束の間に、彼女の前に真白の道化が降り立った。

「! 貴様…アレン=ウォーカー」

ルル=ベルは大きく目を瞠り、真白の道化を見上げる。
だが、それも一瞬。
すぐにその瞳には、強い殺気が生まれた。

「ここまで追ってくるか…しかし、これ以上は許さない」
「………」

彼女の腕が、槍の形状を取った。
繰り出される鋭利なそれに、真白の道化はスッと手をかざす。
――――右手を。

――――《天蓋黒盾》」
「!!」

瞬時に形成された、黒水晶の盾。
それに阻まれ、ルル=ベルの攻撃は弾かれる。
弾かれたことよりも、自らの攻撃を弾いたその盾に、彼女は驚愕に目を瞠った。

「漆黒の盾…この能力、まさか」
「……」
「私の、能力を…ッ」

ああ、こいつも感情を露わにすることもあるんだな、と。
その表情変化を見ながら、真白の道化は――わたしは、薄く嗤った。

「…姿形を真似るだけなら、ノアもエクソシストも関係ないみたいだね…」
「《姫君》…ッ」

バレたのなら、もうこの姿をとる必要はない。
時間は稼いだ。後は――

「!?」

わたしが視線を《卵》に向けると、ルル=ベルは慌てて同じ方へ視線を移した。
わたし達の視線の先にあるのは、《卵》に張り付く白い何かだ。

「白い…塊…?」

呟く彼女の言葉を待たずに、その白い塊は動き出した。
《卵》を破壊しながら。

「貴様…っ」

それが何なのかを理解した瞬間に、ルル=ベルの表情が変わった。
――わたしに気を取られていたせいで、彼女は気付かなかったのだ。
徐々に《卵》が破壊されていたことに。

「やめろ! これ以上衝撃を与えたら…っ」

焦る彼女の声に、しかし止まるわけがない。
ミランダさんを庇いながら、アレンは最後の一撃を《卵》へと加えた。
――――瞬間、《卵》は粉々に砕け散った。

「おのれ!! アレン=ウォーカッァアァアァ!!」

悲鳴にも近い、怒号。
それを聞き終える前に、わたしはミランダさんを抱えたアレンへ手を伸ばす。
《卵》の破片を足場にして、わたしは出口へと向けて思いっきり飛び上がった。


破壊の余波のせいか、思った以上の衝撃と共にわたし達は地上へと戻る。 
宙へと浮かぶわたし達を、《卵》が沈んだ地点付近でクロス元帥が見上げていた。
その表情にはいっそ笑みすら浮かんでいて、アレンが嫌そうに舌打ちする。

「…タチが悪い…」
「信用してやってんだよ、馬鹿弟子」

いったいどの口がそれを言うんですかね、まったく。
心底嫌そうにそう呟いた声を拾ったのは、多分わたしだけだろう。思わず苦笑した。

「閉じたか」

クラウド元帥の声に視線を向ければ、先程まであった敵側の《方舟》の入り口が閉じた。
…間一髪だ。後少しでも遅ければ、戻って来られなくなるところだった…。
今更ながら、無茶やったなぁと思う。でも、とりあえずは結果オーライだ。


いつの間にか駆けつけたブックマンと、マリの元へ降り立ち、気を失ったミランダさんを預ける。
呼吸はしていたし、恐らく大丈夫だとは思うのだけど…。

「しっかりしろ、ミランダ」
「う…」
「大丈夫、意識を失っとるだけだ」

ほっと、わたし達は胸を撫で下ろした。
もうこれ以上、犠牲を出すなんて真っ平だ。

、君は大丈夫ですか?」
「大丈夫、と言いたいけど…もう無理眠いお腹空いた疲れたー…」

ぐてっとその場に潰れたわたしを抱き起こしてから、アレンは苦笑する。

「…みたいですね。少し休んでて、僕はリーバーさんの所へ…」

その言葉の途中で、アレンは一切の動きを止めた。

「!」
「…アレン…?」

視線を戻した瞬間、わたしは息を飲む。
アレンの左目が、はっきりと反応を示していた。
それを意味するのは、つまり――AKUMAの存在を感知したと、いうこと。

思わずアレンの服の裾を掴み、周囲を見回すわたしの耳に。
――――不意に、酷く耳障りなノイズが届いた。

「…ッ…え、何…何か、声…?」
「………」

甲高い、子供の笑い声のような――《音》。
ゆらりと、その方角へとアレンが振り返る。
ぞわりと肌が粟立つ嫌な感覚が、した。





徐々にせり上がってくるような、酷い寒気。
知っていた。
わたし達は、この感覚を知っていた。でも。










ソレは、こんなにもおぞましい気配だっただろうか――――






絶望の足音が、聴こえる。



To be continued?

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