『シンクロ率が10%をきっている』

脚を看ていたヘブラスカが、はっきりとそう告げた。
その数値は、一歩間違えば死に繋がる程に低い。

「なんだって?」
『一度…私の体内に戻した方が良い…原型に戻すぞ…』

――ブーツが溶けた!?

私の脚から離れたそれは、ヘブラスカの手の中で液体状に変形した。
恐る恐る自身の脚を見下ろすと、奇妙な模様は徐々に薄まって消えていく。

「足…模様が消えた…」
「よかった。痛みはないかい、リナリー?」

安堵した声で訊ねてくる兄さんに、私は頷く。
痛みはない。むしろ抱えていた重みすらも、取り除かれたように感じるほどだ。

「どういうことかね、ヘブラスカ。彼女は適合者ではなくなったのか?」
『そうでは…ない…』

ルベリエ長官の言葉に、ヘブラスカは静かに否定の言葉を告げた。

『ただ…アレン=ウォーカー、のイノセンスにもあったように、
 今…イノセンスが今までにない現象を起こし始めている…何か意志のようなものを感じるのだ』

その言葉に、私はアレンくんとのイノセンスを思い出す。
異なる形に変化した、ふたりのイノセンスの形状。
そう――あれは、変化ではなく『進化』だった。

『まるで…悲しみの力を糧にアクマが進化するように…
 イノセンスも、適合者の強い想いに反応して…まるで…』
「! 『進化』…イノセンスが進化し始めていると…?」

その会話を、どこか実感の沸かないままに聞く。
私のイノセンスも…ふたりのそれと同じように、変化するのだろうか。
何かの意志を持って。…私達を、戦場へと駆り立てるように。

「進化…だって…!?」
『かもしれん…。
 だが強い力はその代価も大きくなる…寄生型のようにな…』
「え?」

聞き慣れない言葉に、私は僅かに目を瞠る。
それを聞き落とすことなく、ヘブラスカは私の疑問の答えを告げた。

『リナリー…装備型と違い、強いイノセンスの力を持つ寄生型が…とても稀少だと言われる理由…』

ヘブラスカの言葉の端々に、重い空気を感じ取る。
聞いてはいけない、と――私の中で、何かが警告を発していた。

――それは彼らが体内で強力なイノセンスの力に侵され続ける為に、
 肉体の寿命が通常より早く訪れ、そう長く生きられないからだ』


――今、なんて…?


脳裏に過ぎるのは、クロウリーと、アレンくんと――の、こと。
…寄生型の適合者が、長く、生きられない…?

「…兄さ…ん。本当?」

ゆっくりと兄さんの方へ視線を戻すけれど、兄さんは答えてはくれなかった。
ただ、何か痛みに耐えるように、きつく目を閉じて――――

だから、気付いてしまった。
ああ、本当なんだ――と。

どこか朧気な気分で、感じ取る。
決して大袈裟な話じゃない。私が知らなかった、事実――…。

「ヘブラスカ。リナリーは寄生型になるというのかね?」
『まだ…わからない…』

重く呟くヘブラスカの言葉が、ズシリと響く。

『だが…次にシンクロする時は…覚悟は…必要だと思う…』

――覚悟、と。
その言葉が、頭の中をぐるぐると回る。


だけど私は、実感なんて少しも沸いてこなかった。
私が、寄生型になるとか。
…寄生型の適合者が、長く生きられないとか…そんなことは、全然実感が沸かなくて。
ただ――






世界から音も色も無くなってしまったような、
――――そんな感覚だけが、残っていた。



File07 本部、襲撃




「……おい、

不意に、神田が苦い表情でわたしを呼んだ。
イノセンスの刃を降ろして首を傾げるわたしに、神田は僅かに困惑の滲ませながら口を開く。

「なんだ、その闘い方は」
「え? 何かおかしかった?」

そりゃあ、神田に比べれば全然ダメかもしれないけど…。
これでも真剣なんだけどなぁ。なかなか上手くいかないもんだ。

「…俺はおまえに、避けることを第一に考えろと言わなかったか?
 何自分から打ち込んで来てやがる」
「だって、」

今度はわたしが目を瞠る番だった。

「避けるだけじゃ、敵は倒せないでしょ?」
「……おまえ、……」

何を当たり前なことを、と。
逆に聞き返したわたしを、神田は一瞬、唖然とした表情で見る。
かと思ったら、ため息を吐きながら木刀を放り投げた。

「……やめた」
「へ?」
「おまえの相手すんのはやめると言ったんだ」
「なんで?!」

なに、いきなり! 何か気に障るようなことしたか?!
憮然とするわたしに、神田が返したのは静かに諭すような言葉だった。

「…何を焦ってやがる。らしくねぇ」
「焦ってなんか…」
「無自覚か。…いや、おまえはそこまで馬鹿じゃねぇだろ」

そこで言葉を切ると、神田は真っ直ぐにわたしを見る。

「元帥に何言われたか知らねぇが…おまえ、こんな闘い方してたら死ぬぞ」

居心地が悪くなるほどの、強い視線と言葉。
わたしはただ、それに対して笑うしかなかった。

「何言ってんの。わたしが命根性汚いのは知ってるでしょ?」
「ああ」
「命掛けの無茶なんかしないよ。っていうか怖くて出来ないし」
「……」

笑い飛ばすわたしに、神田はいつものような呆れたような視線を向けてはこなかった。
揺らがない視線が、痛い。

「……おまえ、ここ数日の睡眠時間言ってみろ」
「あ、大丈夫大丈夫。わたしイノセンスの形状が変わってから発動時間も延び」
「誤魔化す頭があるなら目の下の隈くらいなんとかしろ」
「え、嘘!? 隠したのに! …あ」

勢いで言い返して、わたしは見事に引っかけられたことに気づいた。
さすがに今度は、神田の表情にも呆れたような色が浮かぶ。

「……全然頭回ってねぇだろ、おまえ」
「神田に言われると無性に腹立つなぁ…」

考えるよりまず動く奴に言われると、悔しさ倍増ですよちょっと。

「…何を焦ってるんだ、おまえは」
「……」
「元帥に何を言われた?
 だいたい、おまえが今更元帥に弟子入りすること事態が妙だ」
「妙って。酷い暴言ですね神田さん…まるでわたしが何か悪いかのように…」

そりゃ確かにさ、今更感はあるけどさ…。
変なところで勘が鋭くて嫌だなぁ、もう…。

「…別に、隠し事するなとか言ってるわけじゃねぇだろうが。…心配してんだよ、これでも」
「……」

心配…か。
神田の口から出てくるにしては、破格の一言ではないだろうか。
………なんか恥ずかしい。

「……アレンが素直なのと神田が優しいのはキモチワルイです」
「もういい。おまえは勝手に野垂れ死んでろ」
「ああっいきなり辛辣?!」

ふざけたわたしも確かに悪いけどさ、野垂れ死ねは酷くないですか!?
挙げ句の果てにはため息なんて吐きやがるし! 酷い!

「…ったく…なんだってこんな馬鹿に…」
「今バカって言った? 言ったよね? さんの耳は誤魔化せないよ!」
「おまえウゼぇ」
「なんだとー!?」

言うに事欠いてウザい!?
女の子相手に使う言葉かそれが!

「……」
「…なんで頭撫でんのよ」

憤慨するわたしに何を思ったのか、神田はくしゃりとわたしの頭を撫でた。
…なんだよ、いきなり。

「別に。…おまえは馬鹿な方が良い」
「失礼な?!」
「おまえに真面目な顔は似合わねぇよ。出来ないことにまで手ェ出そうとするな。
 言ったろ、おまえは不器用で馬鹿だから、真っ直ぐ走ることくらいしか取り柄がない」


……
………だからさ。なんでこう、一言多いのかなこいつは。

「…貶されてるような気がするんですが…」

一応言ってみたけど、思いっきり聞こえない振りをされました。
…やっぱ貶してたのかコノヤロウ。

「とりあえず少し休め。
 いくら寄生型が頑丈に出来てても、まだ完治したわけじゃねぇんだろ?」
「……」

思わず、わたしは返す言葉を失って口を噤んだ。

…確かに。
みんなの手前、元気に振る舞ってはいたけれど、わたしの体調も万全ではない。
いくら寄生型のエクソシストと言っても、所詮は人間だ。
幸い骨折とか健が切れるとか、そういう怪我ではないとはいえ…
日常生活には支障はないが、それでも完治するには、2・3週間はかかるだろう。

「……なんかリナリーに続いて神田にも頭が上がらなくなっていくなー…なんだよ、年下のくせに…」

でもきっと、言わないだけで――アレンもラビも、わたしの怪我の程度はわかってるんだろうな。
はっきり言ってくれちゃうのは、リナリーと神田なんだけどさ。

「おまえが精神的に俺よりガキなだけだろ」
「いい加減一言多いわこの前髪バッツン男児が!?」

リナリーに比べると、ホントにこいつは一言多いけどな! 台無しだよバカ!

「…ったく…わかった、わかったよ…
 珍しく優しい神田さんに従いますよ、休むさ休むとも!」
「なんだその言い方。ムカつく奴だな」
「こっちもムカついたからお互い様です。
 …あ。そうだ、リナリーはどこだろー…」

ふと、ここ数日顔を見ていないリナリーのことを思い出す。
あの子は強いけれど、過ぎる程に優しい子だ。
あの中央庁の奴らが来てから、きっとひとりで辛いのを我慢してる。

「…休めつってんのに、じっとしてられねぇのか」
「や、だってリナリー元気ないから気になってッ」

そんな、呆れきったように言わなくても!
…むしろなんで考えてることがわかったんだろう。

「いい加減過保護過ぎるだろおまえは。
 放っておけとは言わねぇが、構い過ぎるのもリナリーの為にはならないぞ」

ため息混じりに言われた言葉に、わたしは思わず目を瞬かせる。

「………神田って」
「あ?」
「なんだかんだで面倒見良いよね。誰に対しても」
「…………………………寝言は寝て言えッ!!」

思いっきり怒鳴られたけど、わたしは思わず笑った。
照れ隠しだってバレバレだ。口は悪いし愛想もないけど、良い奴なんだよなぁ、神田って。

「…何ニヤけてんだよ気色悪ィな」
「あははー今の神田の暴言だったら微笑ましい気分で許してあげるー」
「……なんかおまえムカつくな……」

言い返す適当な言葉が見つからなかったのか、神田は渋面を作り、ようやくそれだけ口にした。
まあ、神田がわたしに口で勝とうなんて10年早いよね。

――――ッ!?」

呑気に笑っていた瞬間、唐突にぞわりと悪寒がはしった。

胃の奥を冷やすような、不快感。
血が沸騰するような高揚感。

――何、これ。気持ち悪い…!

「どうした、?」
「…いや、今…何か」

気のせいだろうかと、わたしは言葉を濁す。
だけど次の瞬間、更に吐き気すら覚えるような急激な寒気がはしった。

「何、この感覚…ッ」

ぞわりと、全身が総毛立つ。
足下から何かせり上がってくるような、不快感。

「………ッ」
!?」

思わず、わたしは修練場を飛び出した。
神田の制止の声に、足を止めることもなく。

ズキズキと、疼くような痛みが右手に響き続けている。
それだけで、わたしは気付きたくもない事実を自覚せざるを得なかった。







千年伯爵に準ずる存在――――ノアが、近くにいる。






+++


――瞬間、それは突然の嵐のように訪れた。


「!!!」

左眼が、瞬時にスコープ状に変化する。
呼吸をするように容易く、それを察知して疼きだしたのだ。

それを認識するより先に、僕は駆け出した。
痛みを訴える程に、騒ぎだす左眼。
この疼き方は尋常じゃない――

「アレン!?」
「アクマだ!!」

ラビに怒鳴り返すと、食堂に緊張がはしった。
だけどそれを気遣う余裕はない。

「さっきリーバーさんがいた研究室から、すごい数の反応がする!!」

――教団内にAKUMAが居る。
それだけでも一大事だが、反応はリーバーさん達がいる研究室から…しかもこの数は両手でも全然足りない。

眼の奥が痛い。
目の前が赤く染まるような錯覚。
胃の奥が冷たい。
呼吸をすることすらもどかしい―――


転がるように、先程の研究室へ辿り着く。
不気味に静まり返ったその部屋は、何か黒い壁のようなもので出入り口を塞がれていた。

「!!?」
「研究室の入り口が…」
「塞がってる…!」

壁と表現するには、やや強引かもしれない。
しかしその異様なモノは、壁と表現するしかなかった。

「なんだ、この黒い壁はッ」
「この!」

ラビが立て掛けられていたバリケードを、壁に向かって叩きつけた。
だけど、壁には傷すらつかない。

「! ビクともしねェ」
「どいて、ラビ!」

どう考えても、特殊な結界か何かだ。単純な物理攻撃は効かないだろう。
ならば、イノセンスなら――

「《天針(ヘヴンズ・コンパス)》」
「《破滅ノ爪(エッジ・エンド)》!」

ブックマンと同時に、壁に向かってイノセンスによる攻撃を叩きつける。
大抵のものなら壊せるはずだ――

「どうだ…ッ」

衝撃の余波が晴れた瞬間、僕達は愕然とした。

「!!」
「ダメだっ、キズひとつついてねぇッ」

イノセンスの攻撃で、掠り傷ひとつつかない…!?
いったい何で出来てるんだ!?

「中の音がまったく聞こえない。
 奴等の狙いは生成工場の『卵』か!」

壁に耳を当て、さすがのリンクも声に焦りを滲ませた。

「リーバーさんが…科学班のみんながこの中にいるんだ…ッ」

疼く左眼が、AKUMAが増え続けていることを訴えていた。
このままでは、エクソシストではないリーバーさん達が――

「くそっ、こじ開けてやる!」
「待て、ウォーカー!」

リンクの制止の声に驚いて、視線を向けた。

「こっちに!」
「!?」

リンクが示した方向。
それは―――


+++


それは直感にも似た感覚なのかもしれない。
イノセンスの《声》を聴くのとは、全然感覚が違う。

「確か…こっちの方から…」

指先から少しずつ凍り付いていくような、酷く不快な感覚。
心臓の音がうるさい。全身を巡る不快な警告音が、頭痛を併発させる。

どんどん痛みが酷くなる。
――――近い!

「!!」

角を曲がった瞬間、走ってきた誰かにぶつかりそうになって慌てて足を止める。
視界に入るのは、鮮やかな赤。

!?」
「ラビ…!」

わたしと同じくらい驚いた表情で、大きく目を瞠って立ち止まった相手はラビだ。
慌てた様子のラビを見て、わたしは自分の感じた『何か』が、勘違いではなことを確信する。
ラビの走ってきた方へ視線を移すと、そこには真っ黒に塗り潰されたかのような壁がある。
――なんだ、あれ。気持ち悪い、この感覚…!!

「お前、なんでここに…」
「ラビ! 何があったの!? この黒い壁は…ッ」

わたしは、半ば縋るようにラビの服を掴んだ。
胃の奥が冷たい。全身の血が凍り付いたように寒気がする。
この黒い壁。――ここは確か、科学班の研究室の一室。
この壁からは嫌な感じしかしない。頭の中で、最悪の状況が弾き出される。

「…中にアクマが居るらしい。
 アレンとじじいが方舟を使って中に入るって…」
「…アクマ…!?」
「コムイ達に知らせてから、オレも行く。
 、お前はリナリー達を…」
「…あ、そ…う、だよね…リナリー達を、護らないと…」

――そうだ。
今はリナリーも、クロウリーも、…神田もラビも、闘えない。
チャオジーも無理だろう。彼のイノセンスはまだ未加工だ。
攻撃火力の低いわたしは、この教団に居るみんなを護らないと。
わたしにはそれしか出来ないから。だからわたしが、護ら…ないと…。

――本当に?

わたしに出来ることは、それだけ?
護る力がわたしにあるのなら。
――なら、わたしは…この中に入るべきじゃないのか。

誰よりも、先に。

「……」
? 何やってんだ、早く来いよ!」
「…ごめん」

小さく告げて、私は黒い壁の前に立った。
足下からせり上がってくる、不快感。
体の震えは止まらない。
中にはAKUMAだけじゃない。ノアがいる。

――だけど。

――《複写開始(トレース・オン)》」

意識を、イノセンスに集中させる。
背後で響く、羽音。

イメージを構成する。
空間を渡る、その扉を。

それは、カチリ、カチリと連結していく鎖のように。
パズルのピースのように。

「…《複写終了(トレース・アウト)――扉よ、起動しろ…!!」

突き出した右手の先に、それは現出した。
空間を渡る道。――〝夢〟のノア,ロード=キャメロットの扉。
だけどそれは、贋作故なのか、ロードのものより色素が薄い。

「…ロードの、扉…!? なんでこんなものがここに!?」
「……」
「あいつ、まさか生きてんのか!? じゃあアクマを連れてきたのは…」

ラビの言葉に、わたしは自嘲気味の笑みを浮かべた。
――ああ、わたしのこの、ノアの能力写す力は異質だ。それを思い知らされる。

スッと、わたしは創り出したばかりの扉に触れた。
暖かみも冷たさもない、それ。
触れられる幻。
だけど、確かに実在するモノ。

「何やってんだ、迂闊に近づくな!!」
「…ごめんね、ラビ」

後戻りは許されない。
それを、わたしは自分自身に許すわけにはいかない。

!?」
「リナリーを、コムイさん達を…みんなを、お願い」

わたしはエクソシストだから。
この《世界》で生きていくと決めたから。

その為には、この《世界》で生きていく《理由》が必要で。
みんなが、――アレンが居なかったら、わたしがここに居る《理由》が無くなる。

必死に《理由》を探して、それを守る為に戦って、闘って――
そして残るのは、ほんの少しの後悔と、繰り返される言い訳。

その矛盾に気付いてしまったけれど。
――わたしは、それに気付かなかった振りを続けていくしかない。

平凡に生きていくだけなら要らなかった、《理由》。
力なんて要らなかった。だけど力が無いと何も出来ない。
呑気に生きていければそれで良かった。だけどそれには代償が多過ぎる。

矛盾してる。
わたしの存在は矛盾だらけだ。

偉そうに年上ぶって。
自分のことを棚に上げて、みんなの背を押して。
――だけど気が付けば、わたしはひとりで取り残されている。

アレンは、わたしを強いと言った。
いつも前を見据えて、どんどん先に行くと。

でも、多分それは少し違う。
わたしはただ、先を見据えて――同じ場所で足踏みしていただけだ。

――馬鹿はわたしだ。
 痛いのも苦しいのも嫌で、臆病で、ただ調子の良い言葉で逃げ続けてきただけなくせに」

それでも――願ったのだ。
この《世界》で生きたいと。
みんなと、アレンと一緒に居たいと。

格好付けたって、わたしは所詮張りぼて。
この能力と同じ。
アレンに依存しているのは、わたしの方だ――――

「護りたいのは、わたしの勝手。ただの自己満足。
 そんなことはとっくにわかってるつもりだった…でも、」

護りたかったんじゃない。
――護られたかったんだ。

アレンを、みんなを護る事で、わたしの心は護られていた。
誰かのために何かが出来る自分。
そんな自分になりたかった。無力なままの自分が嫌だった。

恐怖に身を竦ませ、無様に震えて。
今だってほんの少し、この扉を開くことを躊躇してる。

自分を犠牲にして、誰かを助けること。
それは出逢った頃のアレンと同じ。
わたしが、決して取るまいと心に決めていた、行為。
矛盾してる。――だけどわたしは、この矛盾を続けていくんだろう。

それを、愛情だとは言わない。
そんな押しつけがましい愛情なんて、語りたくない。

――今はただ、進む。
立ち止まりたくない。余計なことは考えない。
わたしにとっての《世界》を、《みんな》を護る。今はそれだけで良い。

――わたし、行くね」

振り返らずに、わたしは告げる。
扉が、それを待っていたかのように開かれた。

「おいっ、!? ――――ッ」



悲鳴にも似た、わたしを呼ぶ声。
――――それに胸を痛めながらも、嬉しくて泣きたくなっているわたしは、やっぱり矛盾してる。



+++


「………ッ!!」

その凄惨な光景に、わたしは言葉を発することすら出来ずに立ち尽くした。

「…アクマ…こんなに…!?」

その数は、中国で遭遇したそれと同じくらいか。
否、それがすべてレベル3である以上、倍以上と考えても良い。

抵抗すら出来ない、科学班のみんなが死に体となって並べられていた。
漂う血臭。
聴こえるのは、悲痛な呻き声と、死を哀願する弱々しい声。


胃の奥が冷えるような感覚が、した。
指先が冷たい。
動けない。
声も出せない。

「……ッ」

ギリ…ッ、と強く唇を噛んだ。
僅かに滲む血の味に、わたしはようやく感覚を取り戻す。
ダメだ。何をしに来たんだ、わたしは。

――みんなを、助けるために来たんじゃないのか。

「…やめろ…ッ」

握り締めた手が震えるのは、恐怖か怒りか。
どちらでも良い。今この瞬間に、それが力となるのなら。

――やめろ!! これ以上の勝手は許さない!!!」

その空間に、わたしの声は思った以上に響いた。
一瞬静まり返った部屋の中央へ、わたしは羽根を広げて降り立つ。

「! …!?」
!?」

わたしの姿を見つけた科学班のみんなが、驚愕と安堵とを滲ませてわたしを呼ぶ。

「おや? 研究員じゃない者が…如何しましょう、ノア様」
――いい。あの娘には手を出すな」

ノア、と。
耳に届いたその言葉に、わたしは視線を向けた。

そこに立つのは、長身の女。
浅黒い肌と、額には聖痕。
まるで感情などないかのように、わたしを見下ろす――威圧的な、姿。

――ノアね。初めて見る顔だわ」
「お初にお目に掛かります、《姫君》。
 ――私は〝色〟のノア,ルル=ベル…お見知り置きを」
「…ルル=ベル…」

口調だけは丁寧に。
だけど、彼女はロードやティキとは違った。

わたしへは友好的な態度を崩さなかったふたりとは、違う。
注がれる視線は、殺気にも近しい鋭さだ。

――目的は『卵』?」

その視線の鋭さに、気圧されてなるものかと、わたしはルル=ベルを睨めつけた。

「ええ」
「なら、もう目的は果たしたでしょう。アクマを連れて帰って!」
「《姫君》」

哀れみも、嘆きも、嘲りすらもなく。
まるで猫を「猫」と呼ぶように、ルル=ベルはわたしを見つめたまま、淡々と告げた。

「我らノアは、イノセンスとそれに従う者を許すわけにはいかない」
「…そう。そうだったね」

話してわかるような相手では、無いのだと。
悟った瞬間に、わたしは右手をきつく握り締めた。

「なら、力ずくで帰って貰う!
 これ以上好き勝手はさせない…ここは、わたし達の家(ホーム)なのよ!!」
「…どうぞ、ご自由に。ひとりでどこまで出来るのか、限界を知りなさい」

顔色ひとつ変えず、ルル=ベルは腕を持ち上げた。
瞬間、彼女の腕はしなる鞭のような奇妙な形態へと、形を変える。

――私は他のノア程、貴女に優しくはありません」

まるで人形のように、無感動に。
そう告げた彼女のそれは、間違いなく本音だろう。

――下手をすれば、殺される。
ノア相手に初めて、その危険を感じた。

思えばおかしな話だ。
エクソシストであり、そう在りたいと願いながら…、
――わたしは本当の意味で、彼らノアに恐怖など抱いていなかった。

自覚する矛盾。
わたしの願いも決意も、嘆きすらも矛盾だらけだ。

――それでも、今は闘い、護ることだけを。

「…さっさと改造を済ませなさい」
「ははっ」
「させないと言ったでしょう!?」

まるで取るに足らない相手だとでも言うように、ルル=ベルはAKUMA――いや、奇妙な骸骨頭に指示を告げる。
反射的に怒鳴り返して、わたしは右手を突き出した。

――《複写開始(トレース・オン)》…!!」

その言葉に呼応するように、わたしの周囲に無数の鋭利なロウソクが現出する。

それをわたしは、床に並べられた科学班のみんなに群がるAKUMAと、骸骨頭達に向かって飛ばす。
鋭利なそれは彼らだけを貫き、科学班のみんなには掠りもしない。

「…ロードの『ロウソク』に、ティキ=ミックの『通過自在』…厄介な」

わたしを見下ろしていたルル=ベルが、僅かに顔をしかめた。
ロードのロウソクだけならまだしも、ティキの通過自在を防ぐ術はない

――ですが、この数のアクマと私を相手に…ひとりでどこまで保ちますか?」

一瞬にして余裕を取り戻し、ルル=ベルはわたしの眼前へと降り立った。

「ただでさえ不利な状況で、後ろに護るものをそれだけ抱えていれば身動きも取れないでしょう」
「く…ッ」
「諦めなさい、《姫君》」

――諦めろと言われて諦められるなら、そもそもわたしはこんなところには居ない。

わたしに与えられたこのちからが、例え偽りでも。
わたしが、エクソシストではなかったとしても。
盾も治癒も刃も、護る為の力。
護ることが、わたしに与えられた使命――なんて、格好つけたことはもう言わない。

抱えた矛盾なんか、気付かなかった振りをすれば良い。
《理由》に固執する自分なんて、見なかった振りをすれば良い。

後悔と言い訳を重ねて、物語のヒロインのように嘆くなんてもう嫌だ!

「…言ったはずよ。力ずくで帰って貰うと」
「愚かですね――

その瞬間が、合図だった。
わたしは再び複写(トレース)したロウソクを飛ばし、ルル=ベルは鞭のように変形した腕でそれを叩き落とす。
逆に彼女が攻撃してくれば、わたしは羽根を使って避け、盾で防いだ。

攻防はほぼ互角。
護る対象を抱え、体力もないわたしが不利だ。

――どうする。どうすれば良い。

恐らくそう時間は掛からず、《方舟》を使ってアレン達が来てくれる。
だけどそれを待っていたら、科学班のみんなに犠牲が――


「あぃっ、ああ、あっああぁあぁぁあああっ!!」


突如耳に届いた悲鳴に、わたしは振り返った。
酷く嫌な感覚がする。何かの力の、波動。

「タップ! タップ!」

ジョニーさんの悲痛な声が、聞こえた。
胃の奥に、冷たいものが落ちたような錯覚が――する。


――まさか…あれは、今悲鳴を上げているのは、タップさんなのか…!?


呆然と立ち竦むわたしの前で、徐々にその姿は変貌していった。
いつも穏やかな笑みを絶やすことのなかった、その面影はなく。
――表情など二度と浮かべることはないであろう、骸骨の頭を持つ奇怪な姿。

「…ッ」

あれ、は。
あの骸骨頭達は。

方舟の中で、『生成工場』に転がって居た死体と同じなのか――!!

「あ…あぁ…ッ」

酷い、あんな…
――戦う力を持たない人間相手に、あんな…ッ!

「余所見をしている余裕が貴女にあるのですか?」
――ッ!」

その言葉に、我に返って振り返る。
だけど――一瞬だけ、遅い。

振り返るより早く、体は床に叩きつけられる。
ガツッ、と右肩を踏みつけられ、重圧と痛みに顔をしかめた。

「い…ッ」
――主人は無傷で欲しがっていましたが…抵抗するのなら、手足の一、二本は構わないでしょう」

――こいつ、本気だ。
骨が軋む嫌な音が、まるで他人事のように耳に響く。

「手足が惜しいのなら、大人しくなさい。
 …殺しはしません。貴女はまだ、我らに必要な存在なのですから」

まだ、と。
必要なのだ、と。
その言葉に、わたしは笑い出しそうになる。

伯爵が、ノアがわたしに何をさせたいのかなんて、わからない。わかりたくもない。

わたしはエクソシスト。
誰でもない、わたし自身がそう決めた。
アレンが、リナリーが、神田が、ラビが――わたしの大切なみんなが、それを認めてくれた。
我が身可愛さに、諦めるなんて出来ない。

違う。
わたしが、諦めたくないんだ――

ああ、でもどうしたら良い?

身動きが取れない。
取れたとしても、その先は?

考えてる暇なんかない。
考えるな。
動け。動け――


必死に動こうともがいていた瞬間。
高い銃声が、響いた。

銃声の音でとっさにクロス元帥を思い浮かべたけれど、違う。
イノセンスの《声》が聴こえない。この部屋には、わたし以外のエクソシストは居ない。

何が起こったのかと、わたしは視線だけをなんとか動かす。
瞬間、わたしは息を呑んだ。

「なんてことしやがる…っ」

わたしは、この人のこんな表情を、初めて見た。
わたし達にとっては気の良いお兄さんで、コムイさんとはまた違う温かさがあって。

「科学班班長のリーバー=ウェンハムだ。
 デキの良い脳ミソが欲しいんならオレをやれよ」

こんなにも、彼が激情を露わにするなんて、思いもしなかった。
無力さを嘆くわたし以上に、AKUMAやノアには無力な一般人。
研究者であるリーバーさんには、それは充分以上にわかっているはずだ。なのに。

「……ッ」

同じなんだ。
この《世界》で生きる《理由》とか、固執とか、そんなものは二の次で。
ただ、失いたくないと。その思いだけで、無茶も無謀も実行出来る。

それは多分、とても愚かな行為だ。
でも――愚かであっても…。

「…リー…バー、班ちょ…」

――死なせたくない。誰も。
わたしが、護らないと…みんなを、この教団(ホーム)を…ッ

「…退、け…ッ」
――手足が惜しくないのですか、《姫君》」
「はッ…」

本当に不思議そうに訊かれて、わたしは息だけで笑う。

手足が惜しくないか?
そんなの、惜しいに決まってるだろ。だけど、

――欲しけりゃくれてやるわ、手足の一本や二本…でも、」

右腕に、力を込めた。
骨の軋む嫌な音。
酷い痛みに、目の前が赤く染まる錯覚。
でも大丈夫。耐えられる。まだ――

「…わたしの仲間は、ひとりだってくれてやるもんか――ッ」

――《理由》とか、『誰かの為に』とか、そんなのどうでも良かったのかも、しれない。

わたしは弱いから。
やりたいことなんて、きっと半分も出来てなくて。

だから心だけでも強く在りたいと願ったのに、それすらも忘れ掛けていた。
アレンは言ってくれたのに。こんな傷痕ひとつでわたしを否定したりしないって。


――――否定していたのは、わたし自身じゃないか。


「『班長』! 大歓迎だねェ。じゃあ、お前2体目だ」
「ッ!」

骸骨頭が、リーバーさんに近づく。
リーバーさんの額に押し当てられた指先から、術の発動の気配がした。

唇を噛み締め、わたしはなんとか動かせる左手に力を込める。
――どんな力でも構わない! 動け!!

「《複写(トレース)》…ッ」

腕を必死に動かして、創り出したロウソクを投げつける。
間に合うか――!?

「…退、…け――――――ッ!」

渾身の力を込めて、わたしは転がるように重圧から抜け出す。
酷い痛みに、一瞬気を失いそうになった。
…右肩、脱臼したかもしれない。

痛みに耐えながら、わたしはなんとか起き上がろうと顔を上げた。
その瞬間、聞こえた《声》に目を瞠る。
このイノセンスの気配――間違うわけがない。

リーバーさんの眼前に立つ骸骨頭に、わたしが放ったロウソクがつき刺さる。
それとほぼ同時に、真上から降ってきたそれによって、真っ二つに引き裂かれた。

――舞い降りたるは、白き道化。
わたしは安堵の息を吐くと共に、力無く笑う。

「ア、アレン…」

無意識にか呟いたリーバーさんの前に、死体となったそれが転がる。
床を抉るようにそれを縫い止めた、巨大な剣。
その剣を足場に立つ、翻る白。

「…ははっ…遅い、よ…アレンのバカ…」

神々しいまでの威厳に満ちた、その姿。
心底安堵してしまった自分が、少しだけ情けない。


だけど、多分こんな悪態なんて今のアレンには届いていない。
彼の左目に、唯一映り込むのは無数のAKUMA達。
周囲を囲むAKUMAの群を見回し、アレンは低く、しかし良く通る声で、告げた。










――――――――許さないぞ、お前達」






今、惨劇の幕は開かれる。



To be continued?

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