「…ラウちゃんってばイノセンスなの? 小さいのに大変だねぇ…」
『キッ』

目の前にちょこんと座る小猿――ラウ・シーミンが、わたしに応えるように小さく鳴いて首を傾げた。
…可愛いな、オイ。
わたしが小動物に弱いと知っての狼藉か。いや落ち着けわたし、狼藉ってなんだ。

「…お前達が仲良くなるのは構わんが…これでは訓練にならんぞ、。ラウ・シーミン」
「あ」

呆れたように言われて、わたしとラウ・シーミンは同時に顔を上げた。

「まったく…大層な啖呵を切ったかと思えば、呑気なものだ…。確かに大物かもしれんな、お前は」
「…せんせー…それ、誉めてないですよねー…」
「ああ。呆れている」
「酷ッ!?」

即答かよ!?
なんだか元帥って、みんながみんな歯に衣を着せない物言いをするような気がする…何故…。

「だが、柔軟なことは短所ではない」

そう言うと、クラウド元帥は寄生型対アクマ獣であるラウ・シーミンを操る鞭を構えた。

――始めるぞ」

静かに告げられた言葉に、わたしは小さく頷いて立ち上がる。

怪我はまだ完治していない。
万全とは言いがたい体で、進化したこのイノセンスを使いこなせるか自信はない。
だけど多分、今…元帥を除いて、一番動けるのはわたしだ。
痛いのも苦しいのも嫌だけど、耐えられないわけがない。


――顔を真っ青にして、怯えたようにわたしの手を握り締めたリナリーの姿が、アレンの姿が頭から離れない。
だから…



――みんなを護れるなら、
泣くことすら許されない苦しみにも、
身を切り裂くような痛みにも、




きっと耐えられると…思った。



File06 それぞれが背負う鎖




「………なんだよ」

不機嫌、と言うよりは困惑気味に、神田は隣に座る少女に言葉を投げた。

「別に。たまには神田と座禅してみようかなって思って」
「………」

平静を装うリナリーの言葉に、神田は微かに息を吐く。

「……ルベリエか。昔からおまえ、アイツが来ると俺の所に逃げてくるからな」
「うっ…」

神田の言葉に、平静を装っていたリナリーの表情が崩れた。
肩を落とし、ぽつりと彼女は力無く呟く。

「…みんなに心配されるの嫌なんだもん。
 それに今、すごく忙しそうだし…」
が居るだろ。あいつなら喜んで出迎えてくれるぞ多分」
「だっ、駄目よ! そ、そりゃあ…私もちょっ思っちゃったけど…
 でもやっぱり、にこれ以上負担は掛けられないわ!! それに…」

慌てたように言い募る彼女の言葉に、神田は黙ったまま耳を傾ける。

「…神田は小さい頃から一緒で、何も聞かないでくれるから気が楽なの」

神田の沈黙は拒絶ではない。
幼い頃から共に教団で過ごしてきたリナリーは、それをよく知っている。
だからこそ、彼の何も言わない優しさは心にのし掛かる錘を軽くしてくれるのだ。

「…って。やっぱり私、逃げてるよね…」

結局行き着く答えが同じであることに、リナリーは肩を落として表情を曇らせた。
途端に重くなる空気に、さすがの神田も表情を引きつらせた。…この状況では座禅に集中出来ない。

「こんなんじゃダメだって思ってるのよ!
 強くならなきゃ、って。でもね! でも…っ…う~~~~…」
「………」

いい加減苛々し始めている神田だったが、今のリナリーにそれをぶつけるほど大人げないことはしない。
これは、普段強がるリナリーの本音の一部だ。
アレンやラビ、リーバー達にすら、これはそうそう見せない姿だろう。
慰めや励ましの言葉を期待しての発言でないことは、神田にもわかる。
だが、神田が何かしら言わなければ、リナリーは延々と考え込むのがオチだ。
だから、神田はふと考える。もしも、ならば彼女になんと言葉を掛けるだろうか――と。

「……俺は、お前は強い女だと思うがな」

ぶっきらぼうに告げられた言葉に、リナリーはハッと顔を上げた。
それは計らずしも、がリナリーに告げた言葉と同じものだ。
その言葉に含まれているのは、絶対の信頼。
滅多に他者を誉めたり認めたりする言葉を口にしない神田が告げる言葉としては、破格の一言だ。

「…神田」

以前から思っていたことではあったが――
神田とは、感性的な面において実はとてもよく似ているとリナリーは思う。
一見すれば正反対とも見える彼らは、その真っ直ぐな気高さがよく似ている。
だからこそ、や神田の真っ直ぐな言葉は、今のリナリーにとってとても大きい。

「黙って座禅やれよ。やらねェなら出てけ」
「…うん!」

ぶっきらぼうに告げられた言葉に、その裏側の優しさに、リナリーは僅かに表情に笑みを戻す。
その瞬間、彼女の周囲に浮遊する無線ゴーレムが、通信音を響かせた。

『リナリー=リー。至急、ヘブラスカの間へ。
 ルベリエ長官と室長がお呼びです』
「!」

無線ゴーレムから聞こえたその指示に、リナリーの表情が再び強ばる。
そして彼女は、まるで無意識に動いているかのように、ふらりと立ち上がった。

「…リナリー」
「…大丈夫」

力強くではなかったが、それでもはっきりと、リナリーは告げる。
まるで、自分に言い聞かせるように。




「私は、大丈夫――




+++


鏡に映るその姿を凝視しながら、僕は半ば無意識に頷いていた。
…そう。鏡に映る僕の背後に映り込む、黒い影。


「………」


…だんだん慣れてきた…!!

どうやら僕にしか見えてないとか、はじめは色んなイミでショックだったけど、だんだん慣れてきた。
落ち着いて考えればね、うん! 特に話し掛けてこないし! アクマの魂みたいなもんだよ。

「うん、問題ナイ!」
『…』
「は?」
「おはよ~~~」

僕の横で訝しげな表情を浮かべ、胡散臭いものでも見るような視線を投げてくるのは、自称監視役。
そしてその奇妙な空気をものともせず、寝ぼけ眼のラビが顔を出す。

「アレン、お前目の下クマじゃん。
 まだこのホクロふたつに質問攻めにされてんのか?」
「ホク…ッ、失礼だなキミ!」
「ああ。ダメですよそんなんじゃ」

憤慨するリンクに、僕は寝不足で閉じそうになる目を擦りながら返した。
ラビは自分が呼びやすいように勝手にあだ名を付ける傾向がある。…僕も初対面で『もやし』呼ばわりされたし。
神田だけでも腹立たしいのに、ラビにまで言われる筋合いはない。
…そう言えばも言ってたような。いや、あれは呼ぶと言うより単なる貶し言葉か…。
………だからなんでと神田は変なところで仲良いんだ。喧嘩ばっかりしてるくせに。
……いや、今言っても仕方ないけど。

「リンク。ラビは子供だからあだ名が好きなんです。嫌ならもっと強く言わないと」
「…」
「あははー。アレン、お前さ、最近オレが年上っての忘れてねェ?」


……
………ああ。そういえば年上だっけ。
もそうだけど、下手な子供より子供みたいなところがあるから失念しがちだ。

「そんなことありません」
「ぜってぇ目線が上からになってきてますって」

さすがに、鋭い。余計なところが。
そんな風に思うくらいには、僕もまだまだ子供なんだろうけれど。

「なーんだ。ヘコんでるかと思ってたけど案外ケロッとしてんじゃん」
「なにがなーんだですか。…まあね、」

一旦言葉を切って、ティムキャンピーが差し出してきたタオルを受け取る。
――変わらない日常。なのに変わってしまった現状。わからないことばかりで、気が狂いそうだ。だけど、

「いくら考えてもわからないことに、いつまでもヘコんでたってしょうがないし?」
「……」
「小僧…」

――どこか痛ましいものを見るような、ラビとブックマンの視線に、僕が返したのは笑み。

痛みはない。
誰かに憎まれたり恨まれたり、疑われたとしても構わない。

ほんの少しの大切な人達が信じてくれているのなら、それで良い。

の言葉を思い出して、思わず笑った。
後悔させてやる、と。
与えられた望まぬ境遇を決して許容しない彼女の姿は、やっぱり眩しいような誇らしいような、そんな気持ちにさせられる。

彼女の真っ直ぐさに見合う強さが、欲しい。

射抜くような真っ直ぐな視線も、揺れることのない強い言葉も、真正面から受け止められるように。
だから、今会えないことには耐えようと思う。
向けられた悪意にも、ちゃんと立ち向かう。

彼女のように、強く。
なんでもないことのように。

「それに師匠の借金よりヘコむことなんてありませんしね!」
「…」
「そっか…」
「小僧…」
「…とか言いつつ、と引き離されてヘコんでんじゃねーの?」
「………そう。それなんですよね………」

からかうようなラビの言葉に、それと気づきつつも乗ってみる。
…まあ、実際…強がったところで、全く辛くないわけでは決してないのも、事実だ。

「……」

ちらりと、相変わらず堅い表情のリンクを見る。
そして、少しわざとらしいくらいにため息を吐き出した。

「…何が哀しくて、隣に男が寝てるような朝を迎えなければならないんでしょうか。
 つい数日前までは、隣にが居るのが当たり前の日々だったのに…いい加減ヘコみます」
「……うん、まぁ、あれだ。オレが悪かった。聞かなかったことにするさ」
「禁断症状が出そうですよ。ストレスですよ。イライラするんですよ」
「アレンさん。黒いオーラが出てますヨ」
「…ラビ、なんとかしてください」
「なんとかって…お前、それただの欲求不満じゃあ…」
「………わかっているならッ!!」

呆れたように…というより若干嫌そうに視線を泳がせたラビの腕を、僕はガシッと掴んだ。

――一肌脱いで下さいよ」
「はい?」

たじろぐラビに、僕は半ば攻撃に近い勢いで抱きついた。
…う。まだ若干身長が足りない。

「ラビーーーーッ!!」
「うわーーーっ!?
 待て待て早まるなアレン! オレは男だーーーッ!!」

何も本気で悲鳴を上げなくても良いと思う。ひとをなんだと思ってるんだ。

小さく息を吐いてから、僕はラビから体を離して彼の両肩を軽く叩いた。

「……ああ、程良く萎えました。もう少し耐えられそうです」
「お前ね…もうちょっと言い方あるだろ」

周りが変な目で見てんぞ、とラビは実に嫌そうに言った。
別に僕だって好きで抱きついたわけじゃないけど。言うなら、嫌がらせと言う名の八つ当たりだ。

「…っつーか、オレらもここ数日には会ってねぇぞ?」
「え?」
「教団内に居るのはわかってんだけど。多分、クラウド元帥と一緒じゃねぇの?」
「……そう、ですか」

では、がここ数日をどう過ごしているかは、訊ける範囲の人間は誰も知らないのか。
僕と師匠の噂話は多少耳に入るものの、の話はまったく聞かない。
やはり、彼女の存在は極秘機密なのかもしれない。二重の意味で。

「…ま、まあそう凹むなって! なんか元気の塊っしょ?
 絶対アレンよか全然元気にしてるって! きっと元帥にしごかれて機嫌悪くやさぐれてるんさ!」
「それもどうかと…」

そう返しつつも、ラビが例に挙げた光景は、簡単に想像がついた。

…ああ、会いたいなぁと、思ってしまうくらいには、リアルに。

「…あの、ラビ」
「ん?」
「後で構わないので、その…の様子を見てきてくれませんか?
 僕が無理に近づくと、色々問題が…コムイさん達にも迷惑掛かりますし」
「………」

一瞬きょとんとしてから、ラビは苦笑して頷いた。

「…しょーがねぇなぁ、一肌脱いでやっか。
 なんでライバルに塩送ってやらんといけないのかわからんけど?」
「ラビじゃライバルになってませんが」
「をい」
「冗談です。…ごめん、ラビ。頼みます」

頭を下げると、平手で軽く頭を叩かれた。
思わず顔を上げると、ラビはどこか悪戯を思いついた子供のような顔で笑う。
だから僕も、笑みを返した。重い空気を振り払うように。

「ん?」
「あれ?」

不意に、ラビが何かを見つけたのか声を上げた。
つられるように視線を向けた先には、科学班の人達が忙しそうに立ち回る部屋。
ドアは開け放たれ、工事現場のような看板が立てかけてある。

「なんだなんだ?」
「『科学班以外立入禁止』?」
「おー、おはようさん」

立て看板を覗き込む僕達に、そう声を掛けてきたのはリーバーさんだ。
挨拶を返しつつ視線を室内に向けた瞬間、僕達は中に鎮座するものに目をみはった。

「!! あれは…生成工場の卵!?」

そう。間違うはずもない。
AKUMAを生み出す、卵。
方舟の核。
脈打つ鼓動のように活動を続けるそれが、再び目の前に鎮座していた。

「方舟から持ってきたんですか?」
「調べんの?」
「まぁな。アクマの情報を得られるまたとないシロモノだ。アクマ改造とか」

改造アクマ――か。
ブックマンの話では、師匠しか知らない――AKUMAを伯爵の支配下から解放する方法。
詳しい話はわからないが、教団側も知らない未知の領域だ。
それにAKUMAのことを知ることは、今後の戦いに役立つだろう。

「それより早くオレの槌も直してくれよー」
「そうしてやりたいのは山々なんだがなー…。
 過労で倒れてく奴が多くて人手不足でさ。これ終わったらすぐやるから」

そう言って力無く笑うリーバーさんの顔。
…リーバーさん、僕より目のクマひどいよ…。

「待ったげようよ、ラビ…」

なんだか居たたまれない気分になって、僕はそっとラビの服を引っ張った。
…この状態でこれ以上リーバーさんを働かせるのは、ちょっと良心の呵責を感じるのは、僕だけだろうか…。


+++


「お、いたいた。
 おーい、ー!」
「ッ!!」

背後の気配に、わたしはとっさにイノセンスを発動させた。
漆黒の刃が、クセの無い赤毛を数本散らす――って、ラビじゃないか。

「ぃおわっ!? な、何するんさイキナリ!?」
「あ、ごめん。先生かと思ってつい」

常に気を抜くな、と。
いつ抜き打ちで訓練を始めるかわからないわたしの師匠が言うものだから、とっさに迎撃体制に入ってしまった。

でも先生とラビを間違うなんてあんまりだよなぁ。疲れてるんだろうか、わたし。

自問自答するわたしに、ラビは胡乱気に目を眇めた。
そして、不思議そうに首を傾げる。

「センセイ?」
「うん、クラウド元帥」
「あー」

ようやく納得した、というようにラビは頷いた。
わたしがクラウド元帥に弟子入りしたことは、エクソシストの皆には伝えられた。一部の科学班の面々にも。

――根回しは、確かに完璧だった。あれ以来、わたしに中央庁の人間が接触してくることはなかったのだから。
…アレンとクロス元帥には、相変わらず会えないけど。
とはいえ、ラビやリナリー、神田達ともまともに顔を合わせていないわけですが。

「オレはまた、てっきりまたユウと鍛錬してて警戒心が上がってるのかと」
「ああ、なるほど…そういや最近見てないな」
「…いや、まあ確かにユウも見かけねぇけど、行方不明具合ならお前も良い勝負さ」

そんな馬鹿な。神田こそレアキャラだろ。
最も、ラビはアレンにくっついていてくれたのだろうから、わたしと顔を合わせなかったのも無理はない。

「なに、ずっと修練場に居たん?」
「うん。ご飯の時と寝る時以外は」
「……なんかますますユウみたいになってんだけど」


……
………うん、まぁ、わたしにもその自覚はある。

「…お前、大丈夫か?」
「ん? 何が?」
「何が、って…」

妙に深刻な表情のラビに、わたしは軽く首を傾げて聞き返す。
返されたのは、戸惑いを多分に含んだ複雑な表情と、ため息だ。

「…無理してんじゃねぇかと思ってさ。体力無いくせに根性だけはあるし」
「それ明らかに誉めてないよねラビさん」

体力無い、は余計ですよまったくもう。
これでも、こっちに来たばかりの頃に比べたら格段に体力は付いたと思う。
もちろん、元からへなちょこなわたしに、多少体力がついたところで大した戦力にはならない。
そう――もっと、強く。頑張らないと。

「わたしは大丈夫だよ。
 それよりみんなの方が心配だな。ラビも怪我の具合はどうなの?」
「オレは別に…」

何故か、ラビの反応が鈍い。
歯切れの悪い言葉と、困惑の色を滲ませた視線。
少しだけ考え込む素振りを見せて、ラビはどこか痛みに耐えるような表情で、口を開いた。

「…なぁ。お前さ、最近リナリーに似てきた」
「え、何。今度はリナリー? それ喜んで良いの??」


ラビの声の調子が、変わった。
痛みに耐えるような表情と、苦みを孕んだ声音。

「今のお前、なんか嫌だ」
「…ラビさんや、さすがのわたしも泣きますよ?」

吐き出された言葉に、わたしは思わず顔をひきつらせた。
なんか嫌だ、って酷くない? わたしを全否定ですか。地味に傷つくんですけど…。

「…お前さ…なんか、前より危うくなってるさ」
「失礼な! ひとを危険物みたいに!」
「真面目に聞けよ」

強い口調で言われて、わたしは口を噤む。
なんか…ラビ、怒ってる…?

「…わかってんだよ。今、戦えるエクソシストは少ない。
 のイノセンスは防護と治癒だ、その上攻撃力も上がれば、大きな戦力になる。
 …そんなことはわかってる。だけど、」

そこで言葉を切って、ラビは数回、口を空回らせた。
口の達者なラビの言葉の歯切れが悪くなるのは、それが彼の本音だからだ。
それがわかるから、わたしは黙って続く言葉を待つ。

だけど、ラビは軽く頭を振って口を閉じた。

「…悪ィ。今の忘れてくれ」
「ラビ」
「良いから」
「……」

何が、良いんだ。
イラッときて、わたしは両手を持ち上げる。

「うりゃっ」
「あたッ?!」

思いっきり、わたしは両手でラビの両頬を叩いた。
パンッ、と小気味良い音が響く。

「馬鹿兎」
「なにイキナリ!?」
「どうせ次期《ブックマン》として、感情に流されちゃいけない…
 …とか考えたんでしょ。ホントにあんたは、全っっっ然、成長しないわね」

呆れ半分の視線を投げると、やはり図星だったのかラビは言葉を詰まらせた。

「ラビ。あんたが人間である以上、感情は消えないわ」
「……」
「わたしね、最初はあんたの上辺だけ愛想が良いところとか、本音を誤魔化す笑い方とか、嫌いだった。
 それでもわたしがそれを指摘しなかったのは、あんたが《ブックマン》だから。…今は、少しだけ後悔してる」

これは、酷く傲慢な考え方だ。その自覚はある。
それはラビから、《ブックマン》という生き方を取り上げることを意味する。
だからわたしは、中途半端な感情で「物語を変えてはいけない」と、踏み込むことを避けた。
もちろんラビの境遇の全てをわたしが知っているわけではないし、踏み込んだところで何かが変わったのかどうかはわからない。

だけど、わたしは伝えたかった。
ラビもまた、わたしの大切な《世界》のひとつだから。
例え傲慢で愚かな言葉だとわかっていても。

「…良いじゃない。長い歴史の中で、風変わりな《ブックマン》が居ても」
「は…」
「感情を殺した《ブックマン》の他に、感情的で酷く人間くさい、《ラビ》としての顔があっても良いじゃない」

ラビの欲しい言葉なんてわからない。
わたしはそれを持っていないかもしれない。
だけど伝えたいことがある。ただの自己満足だなんてことは自覚しているけれど、それでも。

「わたしにとって…わたし達にとって、ラビはラビだもの。
 …あんたがさ、どうしようもないくらい…わたしやリナリーを甘やかしてくれてるの、知ってるよ」

思えば、わたしはこの《世界》でたくさんの人に護られていたんだ。
泣きたくなるほどに。

「神田は最初から厳しかったし、リナリーはわたしを頼ってくれたから。
 その分、ラビがわたしを甘やかしてくれてたのは、ずっとわかってたよ。 
 何かあるとわたしを子供扱いして、癖みたいに頭を撫でてくれてたのは、だからでしょう?」

ラビは答えない。
ただ呆然と、わたしを見つめているだけだ。
ああ、だけど、これが答えだ。

――ねぇ、ラビ。あんたさ、気づいてたんじゃないの…?」
「何を…」
「…わたしが、あんたに――《ブックマン》に近い立場に居たこと」
「!」

苦笑混じりに告げた言葉に、ラビは目を瞠る。
なんだかんだで、嘘が下手だよなぁ、こいつは。

「…って言うか、むしろわたしが隠しきれてなかっただけかぁ…
 なんかアレンにも感づかれてたみたいだしなぁ…」
「……お前、」
「…ねぇ、ラビ。
 わたしはね、色んなことを知ってたよ」

端から聞いたら、頭弱い子だよなぁ絶対。
ラビがどこまで知っているのかは知らないけど、これだけで伝わるような気はする。

「知っていて何もしなかったし、出来ないこともあった。
 でもね、みんながわたしの大切な家族で、大事な仲間で、わたしが生きる《世界》だから…」

わたしの狡さも、愚かさも。
ラビなら理解してしまうんだろう。否定も肯定もせず。
それは「受け入れる」こととは違う。
だから、ラビは一番わたしに近い。そして正しく真逆だ。

「…わたしは《傍観者》であることを、やめた」
「……」
「ラビに同じことを強要するつもりはないよ。
 《ブックマン》であることを貫くのも、ラビの生き方のひとつだから。でも、」

黙り込むラビの思考は読めない。読む気もない。
わたしは伝えるだけ。
ラビはそれを理解するだけ。

「わたしは、わたしだけは…あの方舟でのことを忘れない。
 《ブックマン》でも《ラビ》でも、例え別の名前でも。
 あんたは、わたしの《世界》の一部なんだよ」

――それは。
一見淡泊にも思えるそれは、他の誰にも真似出来ない、歪な絆だ。

「…お前ってホント、狡い女さ」

泣きそうな顔で笑って、ラビはわたしに手を伸ばす。
躊躇いがちに伸ばされた手と、矛盾したように強く抱き締めてくる腕。

「…、悪ィ。少しだけだから」
「ラビ?」
「わかってるから。だから…今だけ、こうさせて」

縋るような、救いを求めるような、その声音に。
わたしは何も言えなくなって、口を噤む。

ラビの表情は見えない。
だけどきっと、泣きそうな顔をしているんだろうと、想像はついた。
そんなことを思って、思わず苦笑した瞬間――

「痛ッ?!」
「ぅお!?」
「今度は何さ!?」

いきなり上がった悲鳴に驚いて目を瞠ると、ラビが後頭部を押さえながら振り返る。

「……何してる、馬鹿兎」

投げつけられた言葉は、低い声で発せられた。
で、そこにあるのは相変わらず不機嫌そうな――というより僅かに怒りのオーラを纏った神田の姿。

「ユ、ユウ?」
「あ、神田。久しぶりー」

手を振ってみると、今度はギッと睨み付けられた。
…怖いんですけど、神田さん。凄まないで頂きたい。

。てめぇもなんだ、無防備にもほどがある!」
「は? いやいや、なんで神田が怒るのよ…」

っていうか、無防備ってなんですか失礼な。
常に気ィ張ってますよ。先生に言われてるからね!

「っていうか、ユウちゃん今までどこに居たんさ?」
「ファーストネームで呼ぶな馬鹿兎。
 俺がどこで何しようが俺の勝手だろ」

突っ込むところそこかよ、ちゃん付けは良いのかよ!?
え、なに、このふたりってそんなに仲良しだっけ!?

「とか言って、どっかで修練でもしてたんじゃねーの?」
「……」

からかうようなラビの言葉に、神田は無言になった。
非常にわかりやすい反応に、わたしとラビは思わず顔を見合わせる。

「図星かよ。あんたも変わり映えしないね…」
「うるせぇよ」

否定しないあたり、やっぱりこいつは素直です。

「あ、そうだ。ならさ、ちょっと稽古つけてくれない?」
「あ? …珍しいな、おまえから言い出すなんて。槍が降ったらどうすんだよ」
「オイ」

よりによって槍かよ! せめて雪くらいにしとけよ!!
なんでこいつはこう、一言多いのかなぁいつも…ッ!

「仕方ないじゃない。先生忙しいし、相手いないと訓練出来ないし。
 リナリーもまだ脚が本調子じゃないし、ラビ相手じゃ組み手で負けそうだし」
「その流れでなんで俺に落ち着くんだよ。モヤシで良いだろ」

面倒くさそうに目を眇めた神田に、わたしも同じ様な表情を返した。と、思う。
自然と険しくなるわたしの表情に、ラビが表情を引きつらせた。

「だってアレンに近づくとリンクがウザい」
「は? 何の話だ」
「……ユウ、たまには誰かと会話しような。理由は教団中が知ってっから」

神田って…。
いや、何も言うまい。うん、こいつはそういう子です。

「…そういやラビはなんでわたしを探しに来たんだっけ?」
「あ、そうだった。
 アレンにの様子見て来てくれ、って頼まれてさー」

あいつもオレをなんだと思ってんのかねぇ、と。
冗談めかして言うラビの言葉に、多分、わたしは一瞬だけ――泣きそうな顔をしたと、思う。

「…そっか。
 わたしは大丈夫、って伝えといて。あと…ごめん、ラビにしか頼めない。…アレンをお願い」
「お前ら揃いも揃ってオレをなんだと…。
 …わかったわかった、出来る範囲でアレンの面倒は見ておくさ」

そう返して、ラビはわたしの頭をくしゃりと撫でた。
わたしはそれに、なんとか作った笑顔を返して、頷いた。

「ホント、ごめん。よろしくね。
 じゃあ、わたしそろそろ修練場に戻るよ。行こう、神田」
「…ああ」

わたしは神田を促し、返事を待たずに歩き出す。
――強く在ろうと決めた。
その為なら、苦しくても痛くても、泣きそうでも耐えようと誓った。

なのに、どうしても揺れる。
些細なことで泣きたくなる。
いつからわたしは、こんなにも弱くなってしまったんだろう――


+++


「…ユウ」

修練場へと歩き出すの後ろ姿を見送り、ラビは彼女の背を見つめたまま口を開いた。
呼び止められた神田は、常と変わらぬ表情のまま、足を止めて振り返る。

「なんだ」
のこと頼む。
 …今のあいつ、多分ひとりにしない方が良い」
「ああ。…わかってる」

ラビの言葉に、神田は小さく頷く。
短いその言葉に、ラビは安堵の息を吐く。

神田がついていれば、はとりあえずは大丈夫だ。
だから自分は、自分に出来る最善を成そう、と。

そう思い、ラビは達とは逆の方向へと踵を返す。
向かう先は食堂で、きっと多分、アレンが居るはずだ。







胸に落ちる、嫌な予感を振り払うように。
ラビは、食堂へと向かう歩調を速めた。






惨劇へのカウントダウン。



To be continued?

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