――さっきは見事に流された感があるけれど。
僕には、病室で休んでいる時間が非常に惜しい。
師匠とに、話を聞かなければ。
探し回ってもふたりとも見当たらないのが難点だ。
…下手をすると、また婦長さんに掴まる。あれは怖かった。
「あれ? アレンくん?」
後ろから声を掛けられて、一瞬びくっと肩を竦めてしまった。
冷静に考えれば、その声は聞き慣れた少女のものだ。
振り返ると、松葉杖をついたリナリーと、彼女に付き添うミランダさんが居た。
この方向は食堂か。ふたりとも疲労が激しかったから、少し眠ってだいぶ体力は回復したらしい。
「リナリー、ミランダさん」
「もう怪我の方は大丈夫?」
「…え、ええ。多分」
思わず目を逸らしてしまった僕に、リナリーから咎めるような視線が飛んできた。
…痛い。視線が痛い。
「…抜け出して来たんでしょ。さっきから訊いたわ」
「に会ったんですか!?」
思わず、僕はリナリーに詰め寄った。
そうだ、なんで気付かなかったんだろう!
リナリー達の病室に行けば、はすぐ捕まったはずなのに。
「今どこにいるかわかります!? あ、病室ですか!?」
「お、落ち着いてアレンくん」
「ちゃんなら、自分のお部屋だと思うわ。病室にはお見舞いに来てくれただけなの」
「は?」
ミランダさんの言葉に、僕は思わずきょとんと目を瞠ってしまった。
その反応をどう受け取ったのか、ミランダさんは心配そうに小さく息を吐く。
「ちゃんの怪我は少し特殊な治療が必要で、室長さんが私達とは別の治療室へ連れていったの。
でも、さっき会ったときは全然元気が無くて…」
「は自室で休んで良いって言われたらしくて、さっき部屋に戻ったはずよ」
「…え?」
特別な、治療。
は僕らの中では、まだ怪我の具合はましな方だった。
さっき会ったときも、怪我の方は全然大丈夫そうだったし。
なら、どうして、特別な治療が必要なのか。
――――――脳裏に、血を流す彼女の右手が、浮かんだ。
「…あんた、何やってんのよ…」
わたしの部屋の前で座り込んでいるアレンに、わたしはため息混じりに訊ねた。
どこ探しても居ないと思ったら、まさかここに居るとは。
…予想外だ。方向音痴のアレンが、ちゃんとわたしの部屋に辿り着くなんて。
「…婦長が怒ってたよ。捕獲したと思ったらまた逃げられた!って」
「…うん…ごめん」
「そう思うなら病室戻んなさい。わたしも体力気力使い果たしてて、怪我治してあげられないんだから」
とはいえ、わたしも人のことは言えないのだが。
でもまあ、わたしは病室に寝泊まりしなきゃいけないほどの大怪我というわけでもない。
なにより、寄生型のわたしは、装備型に比べれば傷の治りは早いのだから問題ない…はずだ。
「…、は?」
「え?」
「君は、ここで寝るの?」
「そりゃ、自分の部屋だし…」
アレンがドアの前に陣取ってる限り、中には入れませんが。
「は病室に戻らなくて良いんですか…?」
「…わたしは、そんなに酷い怪我じゃないから」
「嘘だ」
おい、嘘と言い切るのはどうだよ。
あまりにもきっぱりと断言されて、わたしは顔を引きつらせた。
「…リナリーとミランダさんから聞きました。
コムイさんがは怪我が酷いから特別な治療を受けていると、言っていたって」
「それは…」
…しまった。いつの間にリナリー達と接触してたんだ。
内心冷や汗を掻きつつ、わたしは頭をフルに回転させて、必死に言葉を探す。
「…わたし自身の怪我じゃないよ。それはイノセンスのこと」
「……」
「打撲が数カ所と、脚を捻挫しただけ。みんなに比べれば軽傷でしょ?」
「…右手は?」
「……ッ!」
静かに問い掛けられた言葉に、わたしは反射的に右手を庇うように抱き込む。
そんなわたしを見つめるアレンの表情は、苛立ちと哀しみの混じる複雑なものだった。
「…、右手見せて」
「やだ」
「見せて」
「嫌だってば…ッ」
伸ばされた手を反射的に振り払ってから、わたしは我に返る。
こんな態度を取れば、逆に心配される。傷つけてしまう。
「――、部屋の鍵を開けて下さい。中で話しましょう」
不安が、顔に出てしまったのだろうか。
諭すような優しい声音で言われ、わたしはただ頷くくらいしか出来なかった。
+++
約半年ぶりに戻って来た部屋は、それでも懐かしさを感じさせてくれた。
まだわたしが、好奇心だけを糧にエクソシストなり――この《世界》で与えられた力の意味を、必死に探していた頃。
ここはこの《世界》で唯一、わたしを《孤独》にさせる空間だった。
この場所で、わたしの隣にはアレンが居る。
それがなんだか不思議だった。
「そういえば、の部屋に入るのは初めてですね」
アレンの声に、わたしは思考の波から引き戻される。
「そうだっけ…?」
「はい。教団に居た期間自体は短いですし、その頃はと仲悪かったですしね、僕」
「ああ、なるほど」
確かに、言われてみればそうかもしれない。
互いに第一印象は最悪、その後もなんだかんだで喧嘩ばかりしてきた。
たかだか半年程度前のことなのに、酷く昔のことみたいだ。
「…あの頃は、こんな風になるなんて思ってなかった」
「それは僕達のこと?」
「それもある。…だけど、もっと根本的なことかな」
――わたしは、否…わたし達は、この短い時間のうちに、変わってしまった。
「わたしには大した力なんか無くて、ただ好奇心だけでエクソシストになった…」
多分一生、忘れないだろうと思う。
初めての任務で感じた無力感。
庇われ、護られて、目の前で誰かが傷つくやるせなさ。
《物語》が《現実》となったことへの、恐怖。
「それでも、助けてもらえるのも誉められるのも嬉しかったから、誰かを護れるエクソシストになりたかった。
この《世界》の、在るべき《形》を守ること。それが自分の《役目》だと、思ってた…」
なんて傲慢な考え。
神様にでもなったつもりだったのか。
確かにわたしは《特殊》だった。だけど、それだけだ。
決して万能無敵の主人公なんかじゃない。
ただ異世界から迷い込んだだけの、無力な人間でしかなかったのに。
「…アレン。わたし、何なのかな…」
自分自身の手を見下ろす。
なんの変哲もない、普通の手。だけど右手の甲にあるのは――、
「このイノセンスは…わたしが持って居ても良いのかな…」
「、何を言い出すんですか。君はイノセンスに選ばれた適合者です。だからそれは、君の物だ。そうでしょう?」
アレンの至極当然な物言いに、わたしは力なく笑う。
違う、違う――わたしは、気づかない振りをしてきただけだ。
ロードに言われて気づいた。気づいてしまった。
イノセンスはそれぞれに適合者を持つ、神の欠片。
ならば何故、それがこの《世界》における《イレギュラー》であるわたしに、適合した?
既にそこからして、この《世界》は綻び始めていたのだ。
わたしという《異物》の存在によって、少しずつ。
――だからこそわたしは、アレンには…アレン達にだけは、言わなければいけない。
「…これでも、そう思う?」
決して外してはいけない――その言いつけを、わたしは自ら破った。
右手の傷を隠すグローブを外して、右手をアレンに差し出す。
否定されるのは怖い。
嫌われるのも、見捨てられるのも、考えただけで恐ろしい。
それでも期待はあった。アレンなら。アレン達なら――と。
「…この、傷…!」
「うん…似てる、よね。《聖痕》に…」
無意識に震える声。
早鐘のように脈打つ鼓動がうるさい。
アレンの顔がまともに見れなくて、俯いたまま動けない。
「コムイさんは、なんて…?」
「わからない、って。しばらくこのグローブを外さないようにって言われたの。
クロス元帥が術式を編み込んだから、教団のセキュリティには引っかからないだろう、って」
「師匠が…?」
そう呟いて、アレンは厳しい表情で考え込む。
「師匠なら何か知っているはずです。…が」
そこで言葉を切ったアレンに、わたしは小さく頷いた。
教団に戻ってきてすぐに医務室へと連れていかれたわたし達は、誰一人としてクロス元帥を見ていない。
「まさかまた逃げたんじゃあ…」
「さ、さすがに教団まで来てそれはないよ…コムイさんが絶対逃がさないだろうし」
…絶対と言い切れない辺りが、なんともクロス元帥らしいんだけど。
「…とりあえず、の傷のことは後で師匠に訊いてみましょう。
君は元々、伯爵やノアに狙われていた…方舟の中で、何か細工をされた可能性が高いです」
確かに、そう考えるのが妥当なんだと、思う。
だけど違和感がある。まるでこの傷は、初めからあったかのように錯覚してしまう、違和感が。
「それとは別に、君に訊きたいことがあります」
「うん? 何?」
「――《奏者》って、なんですか?」
一瞬、わたしは呼吸を止めた。
自分のことで手一杯だった。
そう…そうだ。アレンは『14番目のノア』によって資格を与えられた、異例の《奏者》。
だけどそんなことは、わたしだって今まで知らなかった。
《奏者》という言葉すら知らないアレンにとって、不安も疑問も多々あるに違いない。
「方舟を操れる者――あのピアノを弾ける者を指す言葉だとは、なんとなくわかります。
でも、はどこでそれを? 師匠と日本語で会話をしていた時に、何か…」
「…それ、は」
――ああ、もう限界…か。
これ以上はぐらかすのは、もう無理だろう。
いや…ノア側がわたしの素性を知っている以上、いつかは話さなければいけないとは、思っていた。
「…? 僕には、話せないことですか…?」
その問いに、わたしはただゆっくりと頭を振った。
話したところで、誰も信じないだろう。そう思っていた。
だけど、アレンなら。リナリー達なら…――、
「…アレン。
長い、長い《物語》を…聞いてくれる?」
信じてもらえなくても構わない。
笑い飛ばされても良い。
最悪、怒られても仕方ない。
わたしは、ここに来るまでに起こったすべてを、ゆっくりと語り始めた。
+++
――長い、そして未だ終わらない《物語》を語り終え、わたしは小さく息を吐いた。
…ただ、ここがわたしの世界の「漫画の世界」だとはさすがに言わなかったけど。
「…ええと、つまり…は《創造主》、と言うことですか…?」
「違う。この《世界》の《創造主》と、同じ世界に属してる、ってだけ」
「《創造主》側の存在……………《天使》?」
「いや、生まれた世界が違うだけの人間だからっ」
天使て。真顔で言う台詞かそれは。
困惑顔のくせに、変なところでおかしいことを言い出すのはやめてください。
「…歴史から何から異なる世界から来た異邦人だよ…」
「そうですよね。が天使とか。冗談にしてもひどい」
「ひどいのはあんただ!! …そもそも、わたしはどうして自分がこの《世界》に来たのかすら、わからない。
教団に来たのも、エクソシストになったのも偶然だし…」
「偶然教団の門前に出て、偶然イノセンスに適合した? そんなわけないですよ」
言い切られた。
…いや、まぁ、わたしもさすがに偶然にしては出来過ぎかなぁとは、思うけど。
「…江戸に入り、伯爵に会ったとき…」
「え?」
「伯爵が言っていた。
を連れてきたのは自分だ、と」
「!」
今更、驚くことでもなかった。
予想はしていた。伯爵がわたしを無傷で手元に置きたがっている以上は。
「伯爵はを、なんらかの目的をもってこの《世界》に招いた…
だけど君は、偶然か何かの意志によってか、伯爵のもとじゃなく教団へ辿り着いたんだ…」
この《世界》の外側の存在であるわたしに、どうやって伯爵が介入をしたのか。
仮に伯爵の介入があったとして、伯爵以外の何の力が働けば――わたしは、黒の教団に辿り着けたのだろう。
「…きっと偶然なんかじゃない。偶然にしては、あまりにも出来過ぎです」
「…じゃあ、わたしは…?」
言葉に出してみると、なんとも滑稽じゃないか。
この《世界》を《物語》と呼んでいたわたし自身が、自分が何者なのかを知らないなんて。
「ノアでもエクソシストでもなく…わたしは、」
「――は、ですよ」
言い掛けた言葉は、そんな一言で遮られた。
そしてわたしは、いつか同じ言葉を自分がアレンに向けたことを、思い出す。
「…君は僕が、そんな小さな傷痕ひとつで君を否定すると思っているんですか」
「…え、っと…」
「心外ですね。傷つきますよ?」
そう苦く微笑って、アレンはわたしの右手に触れた。
「。…は、僕の左目も左腕も、気持ち悪くないって言いましたよね」
「え? うん。それが何…」
「同じですよ。僕達も」
「…?」
「例え君がどんな存在でも。…君を否定する人は、ここには居ません」
きつくわたしの右手を握り締め、アレンは真っすぐにわたしを見た。
「…上手く言葉に出来ないのがもどかしい。
闇から僕を救い上げてくれたのはなのに、僕は苦しんでいる君に何もしてあげられない…」
――ふと、思う。
護りたいと願ったのは、わたしの勝手だ。だけど…
だけど本当は、わたしはアレンに最大限に赦され、護られていた。
強く在ろうと、顔を上げて前に進めたのも。
暗闇のような先の見えないこの《世界》で、生きようと思えたのも、すべて――。
「…こういう時に、思い知らされる。
大したことないと思ってた。たかが4年なのに。だけど思った以上に壁が高いよ…」
「アレン…?」
手を握ったまま、アレンはわたしの肩に頭を預けてくる。
まるでそれは、わたしから表情を隠すような行動だ。
「…は、弱っている姿を僕に見せようとしないから。
いつも真っ直ぐ前を見据えて、強い視線で射抜くように僕を見て…
いつも追いかけるのは僕の方で、君はどんどんひとりで前に進んで行く」
アレンの言葉を聞きながら、わたしは瞑目する。
…そんなの――、
「どんどん強くなって、僕の手をすり抜けて行ってしまう。
だから捕まえていたいのに、それをすることでに負担を掛けてしまう自分が情けなくて」
――そんなの、お互い様だ。
だってわたし達は、互いに譲れないものがあるのだから。
「…どうしたら、君を護れるんだろう。
すべての災厄から、君の心を苛むすべてから、どうしたら…?」
わたしは、緩く頭を左右に振った。
これ以上なんて望まない。
ほんの少し歪んでしまったけれど、わたしが欲しかった《世界》は、ここにある。
「…不安だよ、」
わたしの手を握るアレンの手に、力がこもる。
痛いくらいの強さ。
だけどその僅かな痛みすら、わたしにとっては手放したくない幸福だと、今なら言える。
「不安なんだ。君は強く在ろうと頑張り過ぎてるから。
君にとって僕は、手の掛かる子供でしかないのかな、って」
そこまで聞いて、話の方向性がズレてきたことにわたしは気づく。
思わず、わたしは自分の肩に頭を預けて俯いているアレンの肩を掴んで引き剥がした。
「…ちょっとちょっとアレンさん?
シリアスなシーンでこんなこと言うのもなんですけどね、あんたいったい何を言ってんの?」
「だって、は一度も僕に好きだって言ってくれてない」
…一瞬、本気で目眩を覚えた。
大真面目に何を言い出すんだ、こいつは。
「…………いや、察してよ」
「だから察してはいますよ。君は好きでもない男を受け入れられる程、器用じゃないし。
でも僕は子供だから、明確な言葉で伝えてくれないと不安で仕方ないんです。どうしてくれるんですか」
「…都合の良いときばっかり子供になりやがって」
「いい加減その口の悪さもどうにかしてください」
そこで一旦言葉を切ると、アレンは小さく息を吐いた。
…なに、その呆れたような顔。
「…良いですよ。どうせのことだから、言えって言ったら絶対意地でも言わないんでしょ?」
「なんでそう決めつけんのかな」
「じゃあ言ってくれますか」
「…………」
「ほら」
諦めたように言われて、さすがに言葉に詰まる。
自分でも大概、素直じゃないなぁとは思うさ。思うけど。
「いや、ほら。だって改めるとなんか気恥ずかしいと言いますか」
「あー、たま居ますよね。行動とか大胆な割に言葉に出来ない変な恥ずかしがり屋」
「変って何さッ」
言うに事欠いて「変」とかさ、大概こいつも失礼だと思うんだよね!
…ああ、もう…わたしはなんでこいつなんか好きなんだろう…頭痛くなってきた。
「…ねぇ、」
「何よ」
「抱き締めても良い?」
「だ…ッ?!」
あんまりにも直球過ぎて、完全に言葉を失ってしまった。
必死に言葉を返そうと考えて、考えすぎて、結局出てくる言葉は素直さの欠片もない。
…思わず顔を隠すように背を向けてしまったわたしを、責められる奴なんかいない、はず。
「~~~ッ…いちいち断んなッ!」
「君はこういうの、本っ当苦手ですよね…」
笑いながら言われて、ますます言葉が出てこなくなった。
わかってて言ってるアレンは、今更だけど相当性格悪いと思う!
恥ずかしがればいいのか怒ればいいのかわからなくなって、わたしはアレンに背を向けたまま舌打ちする。
そんなわたしに苦笑しながら、アレンは後ろからわたしを抱き締めてきた。
痛みを感じない程度の、強さ。
背に掛かる僅かな重みと体温に、安堵してしまった自分が少しだけ悔しかった。
「…、聞いて」
「うん…?」
「…僕は、ずっと誰かに置いて行かれることが怖かった」
後ろから肩を抱く体温が心地よくて、わたしはアレンに寄り掛かりながら彼の言葉に耳を傾ける。
「顔も知らない両親。僕を置いて死んでしまったマナ。
…あとついでに、人をハンマーで殴って気絶させた上に置き去りにした師匠」
「なんか最後だけ方向性が違うんですけど」
トラウマになってるのか、アレ…。
まぁ、ロクでもない師匠でも、恩人だし。それなりに尊敬はしてるんだろうし。
…家族ってのは、ちょっと違うのかもしれないけれど。それに近い感情が、アレンにはあるんだろう。多分。
「…まぁ、そんなことが繰り返されればね。大切なものなんて作らないって決めてた」
わたしを抱き締める腕に、僅かに力がこもった。
――マテールの任務の時。
神田に怒鳴られ、殴られた時にアレンが言った言葉を、思い出す。
「どうせ置いて行かれるなら、それなりに仲良くして、それなりに距離を取ろうって思ってた。
…だから、君だけだったんだ。初めから…いつも、近い場所に居たのは」
…多分、わたしは知っていた。
アレンが、周囲に溶け込んでいるようで壁を作っていたこと。
それでも彼と関わることをやめなかったのは、《物語》への好奇心だった。
恋だとか、愛だとか。…そんな感情は、最初は無くて。
ただ、嘘で塗り固められた笑顔が嫌いで、腹が立って、作り物みたいなその顔を崩してやろうと、どこかで躍起になってた。
「出逢い方は最悪だったよね。だけど、ずっと君の存在が、言葉が、僕の中に残って消えなかった。
君はいつも真っ直ぐで、僕が勝手に引いた境界線なんて何食わぬ顔で飛び越えてきて…」
そう、出逢い方は最悪。自分でも想定外いいところだ。
だけどそのおかげで、わたし達は早い段階から、互いへの遠慮を捨てられた。
アレンと一緒に過ごす時間が増えて、色々な顔を知って、…少しずつ、惹かれていた。
自分でも気付かないくらい、少しずつ。
「…気が付けば、誰よりも近い場所に君が居た。
触れたいと思った。手を伸ばしたら、握り返してくれるんだって、どこかで安心してた。
君が居てくれたから、君が居るから――僕はまだ、人間で居られたんだ」
なんて哀しい言葉だろうと、わたしは泣きそうになる。
どうしてこいつは、いつもそうなんだ。
「…バカ。あんたは最初から最後まで、ずっと人間だよ」
「うん。…君が簡単にそう言ってくれるから、僕はそのままで居られたんだ」
柔らかな髪が、首筋に触れる。
わたしを抱き締めるアレンの手に自分の手を重ねて、わたしは静かに目を閉じた。
「…君が好きだよ、」
「うん、…知ってるよ」
「他のものなんてもう要らない。君が居れば、僕はこの先を生きていける」
「…うん」
返事を返しながら、思う。
――――アレンは、嘘つきだ。
彼に必要なのはAKUMAだ。わたしじゃない。そんなこと、最初からわかってた。
…だけど、それでも良い。それでも彼は、わたしを求めてくれるのだから。
「だから、…僕の前から、消えないで」
「…アレン?」
「お願いだから、…消えないで。どこにも行かないで」
どうして、アレンがそんなことを言うのか、わからなかった。
少しだけ考えて、ようやく答えに辿り着く。
――わたしが、この《世界》の存在じゃないから、だ。
大切な誰かに、置いて行かれることを常に怖れているアレンは。
…本気で、わたしが彼の前から消えるのではないかと、怖れている。きっと、ずっと前から。
「…行かないよ。消えたりなんてしない」
「うん…」
「アレンは手が掛かるから、ひとりに出来ないでしょ」
「うん…」
「わたしが傍で、面倒みてあげないと」
「…うん…」
こういうところは、可愛いなぁと思う。
素直に頷きながら、だけど決して抱き締めた腕の力を緩めてくれないアレンに、思わず苦笑した。
「…一緒に生きるって、決めたんだもの。離れてなんてやらない」
右手に現れた、傷痕。
これはきっと、わたしに――そしてアレンに、災厄を招くだろう。
だけど、わたしは決めたじゃないか。
アレンと一緒に生きると。
世界を敵に回しても――先の見えない暗闇の中でも、一緒に前に進むと。
…そうだ。
不安なんて、いつも感じてたじゃないか。
だけどアレンがいた。
彼の存在が、わたしを前に進ませてくれた。
どんな災厄も、困難も、絶望も――越えていける。
だって、わたしは、こんなにも――――
「〝…好きだから〟」
呟いた言葉を聞いて、アレンが不思議そうに首を傾げた気配が、した。
思惑通りに、日本語で発音出来たらしい。思わず、わたしは笑う。
「今、なんて言ったの?」
「意味は自分で調べて」
「…日本語は本部に文献がほとんど無いんですけど」
「神田に訊けば? 多分凄く嫌な顔すると思うけど」
「………なんか意地でも神田にだけは訊きたくない」
うん、訊かない方が良いと思う。
…というか、訊いて欲しくない。恥以外のなんでもない。
「教えてくださいよ」
「やだ」
「…ちょっと」
「こういうことはね、そう簡単に言わないものなの」
だって、ありがたみが減るでしょう、と。
笑いながら言い返すと、なんとなく言われた意味がわかったのか、アレンは不服そうに顔をしかめる。
「…人の知らない言語で言うのは狡い」
「んー? 焦らした方がありがたみが増すでしょ?」
「……のくせに焦らすんですか」
「おい。その「くせに」ってどういう意味だ」
今、絶対本気で言ったよね? 紛うことなく本音だったよね?
アレンの中のわたしのイメージっていったいどうなってんだ。
「だって、は天然的に馬鹿でしょ?」
「は!? なにそれ聞き捨てならないよ!? なんなの、みんなして人を馬鹿扱いしてッ!!」
「主に言動が馬鹿ですよ」
「なにおう!?」
あんまりな言い方に、わたしは怒りにまかせて無理な体勢のまま振り返った。
瞬間、アレンの片手がわたしの頬に添えられて、そのまま引き寄せられる。
「ちょ、…っ」
構える間もなく、噛み付くように口付けられる。
乱暴、と表現するよりは、情熱的とでも言ってやるべきか。
あまりに唐突過ぎて、一瞬呼吸を忘れた。
呼吸も、なにもかもを、奪い尽くすような激しさ。
そのくせ、希少価値の宝石でも扱うかのような、優しさ。
「…ぅ…ん…ッ」
無意識に、アレンの服の袖を掴む。
視界が潤んできて、わたしは抵抗は諦めて目を閉じた。
狡い。アレンはいつも自分勝手だ。
わたしはどんなときでも、結局はアレンを拒めない。囚われて、抗えない。
「~~~ッ!」
だんだん呼吸をするタイミングが掴めなくなってきて、わたしはアレンの腕に爪を立てた。
ようやくわたしの訴えに気付いたのか、ゆっくりとアレンの顔が離れる。
「…あ。ごめん、長過ぎた?」
「………………うるさい死んでしまえこのエセ紳士」
「どうしてそう悪態つくんですか」
自分の胸に聞け。
ひとりだけ余裕そうな顔しやがって。恥ずかしいのはわたしだけかッ!
…………なんかもう、どうしてくれようかこいつ。
なんだか悔しくなって、わたしはアレンを放置して寝てしまうことにした。
「…もうわたし寝るから離してー」
「じゃあ僕も寝ます」
「はいはい、おやすみ…ってあんたここで寝る気?!」
アレンの手を払ってベッドに潜り込もうとすると、なんでかアレンまでついてくるし!!
ちょ、本気か!? ホントに怪我人かこいつ!?
「何もしませんから。ね?」
狼狽えるわたしに、アレンはにっこりと微笑みながらそう言って首を傾げて見せた。
…………胡散臭い。これ以上はないほどに。
「…うっわ、信用出来ない」
「君の中で僕のイメージってどうなってんですか」
「男の「何もしない」と「いつか」は信用出来ない言葉ランク上位ですヨ」
「どんだけスレてんですか君は!!」
誰がスレてるんだ、失礼な。
これがストイックな神田とか、大人なコムイさんとかリーバーさんとかなら、その言葉を鵜呑みにしても良いかもしれない。
だけどアレンじゃ無理。だってスキンシップ過剰のアレンだよ?
アレンが満足する前に、わたしが先に羞恥で死ぬ。
「いいから、大人しく抱き枕にでもなっててください」
「アレンさん、ここはさんの部屋ですガ」
「は僕のものだから、の物は僕の物です」
「なんだそのジャイアニズム!」
さっきまでの可愛い感じはどこ行ったんですかちょっと!?
横になった体勢のまま、両脇に手を着かれて閉じこめられる。…ベッドから逃げ出せない。
「一緒に寝るくらい良いじゃないですか。恋人同士、でしょ?」
「いやいやいや! それはそうだけど当然のように言うなよ、恥ずかしいよ!
これでもわたし、年頃の女の子ですよ!? 哀しいことに男とつき合った経験皆無ですよ!?」
「知ってますよ、そんなこと。でも今日は離れたくない。…ダメ、ですか?」
「~~~ッ!!」
狡い、それ狡い!!
なにその捨てられそうな犬みたいな目! わたしが悪いみたいじゃない!?
完全に言葉を奪われたわたしは、せめてもの抵抗とばかりに思いっきり顔を逸らした。
「ほら、もう少し寄らないとベッドから落ちますよ」
「うっさい、今はアレンの顔見るのやだ!!」
「もう…変なひと」
苦笑する気配とほぼ同時に、わたしの隣に身を沈めたアレンが腕を伸ばしてきた。
そのまま胸に抱き込まれて、苦しくない程度にホールドされる。
「顔は見ませんから。これなら良いでしょ?」
「よ、余計に恥ずかしいわ馬鹿ーーーっ!」
「はいはい、暴れないで!
あのね、…嬉しいですけど、君は必要以上に意識し過ぎです。本当に何もしませんから、今日は」
「………」
今日は、って。
…ふ、不穏な一言だな…。
「緊張し過ぎですよ、。リラックス、リラックス」
「無理無理超無理なんであんた平気なのわけわかんない!」
「あんまり平気じゃないですけど、強固な理性で抑えてるんです」
「~~~ッ! 出てけ! 今すぐ出てけーーーっ!!」
「はいはい、こんな至近距離で怒鳴らないで。
照れてるは可愛いけど、これじゃあうるさくて眠れません」
どんなに悪態をついても、アレンは嬉しそうに微笑っているだけで全然堪えない。
抵抗するだけ無駄な気はするけれど、かといってこの状況で落ち着けるか!!
「――アレンッ! あんたいい加減に…ッ」
「…………大人しくしないと悪戯しますよ」
心なしか低い声で言われて、わたしは反射的に硬直した。
じょ、冗談に、聞こえ、ない…。
「何もしないって言ってるのに、そんなに警戒されたら何かしたくなるじゃないですか」
「しなくていいです大人しく寝てろこの怪我人ッ!!」
「はい。だからその為に、君も大人しく寝てください?」
思いっきり笑顔で言い渡されて、わたしは何度か唇を空回りさせてから、反論を諦めた。
…もういい。こいつに惚れたわたしが悪い。諦めよう…。
「…おやすみ、」
大人しくなったわたしの額に軽く口付けを落として、アレンはそう囁いた。
………あまりの恥ずかしさに、真夜中まで寝付けなかったのは言うまでもない。
この恋に狂わされているのは、いったいどっち?
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。