――違和感は、常にどこかで感じていたのかもしれない。

ごく自然に教団に溶け込み、エクソシストの中でも抜きん出た特殊技能を持つ少女。
親兄弟も不明なら、どんな経緯で教団へやって来たのかも、そもそも出身地が日本なのかどうかすらわからない。

当たり前のように僕らの中に居て、いつもみんなの支えになっていた。
多分、本人に自覚なんてないのだろうけれど。

だからきっと、彼女に惹かれたのは必然だった。
簡単に周囲に溶け込みながら、どこか《世界》に溶け込めていない存在。
彼女はいったい「何」なのかと、そう思ったのは一度や二度じゃない。

その答えがどうだろうと、彼女が彼女であることに変わりはない。
そんなことは今更だし、リナリーを初めとするみんなもそう思っているはずだ。

それでも、気づいてしまった違和感は、無視するには大き過ぎた。

自分自身に感じる疑念。
それを知る師匠と、彼女の不思議な言動。
が告げた《奏者》とは何か。
彼女は僕がそれだと言い、そして「あり得ない」と呟いた。
師匠ほど詳しく知っているわけじゃないだろう。
だけどは、何かを確実に知っている。




――ただ、それを彼女に訊く勇気は、今の僕には無いだけで。



File02 零れ落ちた幸福




「…〝そして坊やは――…〟」

目の前に浮かぶ、円状の《楽譜》。
それを目で追うだけで、旋律が頭の中に流れてくる――


――そして 坊やは 眠りについた

息衝く 灰の中の炎 ひとつ ふたつと
浮かぶ ふくらみ 愛しい横顔
大地に 垂るる 幾千の夢
銀の瞳のゆらぐ夜に 生まれおちた輝くおまえ
幾億の年月が いくつ祈りを 土へ還しても
ワタシは 祈り続ける
どうか この子に 愛を
つないだ 手に キスを



――これって子守唄だよな、ティム」

問い掛けを投げると、ティムは楽譜を閉じた。
それでもまだ、頭の中に残る旋律は幻聴のように響いている。

「この詩を読むと、頭の中で曲になって聴こえてくるんだ」

僕の頭の中に、誰か居るようなそんな感じで。

「……」

気を紛らわすように、持ち込んだ食べ物に手を伸ばす。
だけどそれを口に運ぶと、胸焼けのような気持ち悪さが込み上げてきた。

「…気持ち悪い…」

思わず呟いて、今まで食べ続けていたことに気づく。…そりゃ、胸焼けもするはずだ。

「……僕は…」

僕の食べ残しを、ティムが一心不乱に食い散らかしている。
それを横目に、僕は自分の膝の上に顔を埋めた。

「ちゃんと、自分で道を選んで歩いてるんだよな…?」

その問いに、ティムが答えられないことなんてわかっていた。
だけど、訊かずにはいられなかったのも、本音だ。

マナを壊してしまったことを悔い、その償いとしてアクマを壊すことを誓った。
師匠の弟子となり、エクソシストとして生きて戦うことを、誓った。
《仲間》と共に戦う道を、選んだ。

彼女と――と一緒に生きる《未来》を、選んだんだ。

今のこの道が…誰かに決められたものなんかじゃ――

「そんなんじゃないよな、ティム…?」

言葉に出していなければ、不安に押し潰されそうだ。

「どうしてだよ…『楽譜』に、描かれてる文字……」

――誰にも、言えない。
この《楽譜》の、文字は。

「僕とマナが、昔ふたりで造った文字なんだ」

言えない。
言えるわけがない。
マナの思い出はこの胸の中にだけ、仕舞っておくと決めたもの。

「ずっと忘れてた…。
 僕とマナだけが、読める文字……子供遊びの暗号だよ」

寒い冬の日。
雪の上に描いた、ふたりだけしか知らない文字。

大切な、思い出の欠片。

「……ッ」

もう、思い出の中にしかないマナの面影。
あれから4年が経って、僕は独りではなくなった。
それでも僕の中に残るマナの記憶は暖かく、だけど真綿の呪縛となって僕を苛み続けてきた。
それを一時でも忘れさせてくれたのは、の存在だった。

――ずっと忘れてた。
とくだらないことで喧嘩して、他愛のないことで笑い合って、
それが『日常』になっていたから、忘れかけていた。

マナの代わりが欲しいとは思わない。
を代わりのように感じたことだってない。
だけど、同じものを与えてくれた存在であることに、変わりはない。

自分でも無自覚に、彼女の存在に依存していた。
護る、なんてただの自己満足で…護られていたのは、僕の方だ。
今だって、に傍に居て欲しい。
声が聞きたい。触れていたい。
だけど、それではいけないんだと、思ったんだ。
彼女に依存することは、彼女に負担を掛けることになる。
真っ青な顔色で倒れたを前にして、何も出来なかった。
すぐに普段通りに振る舞っていたから、表立って心配した素振りは見せなかったけれど…。

「………なんか余計に落ち込んできた」

こういう時に、思い知らされる。

「……僕って、子供だ……」

咄嗟に言葉なんか出てこないし、自分のことで手一杯で。
ここまで来てようやく、如何に自分が護られ、庇われ、赦されていたかを自覚した。

それでもの存在を求めることは、僕の本能に近しい感情だ。
これは僕の我が儘だろうけれど…ほんの少しでも良いから、彼女がこの《世界》に溶け込んでくれることを、願った。

「…」

ティムが、僕を慰めるようにふわりと頭の上に乗る。
それに応えようと、顔を上げた瞬間――《方舟》全体が、何かを察知してざわめくような感覚が、した。

――! 誰か、《方舟》に入ってきた…?」

《方船》は今、許可がなければ勝手に使用出来ない。コムイさんだろうか。
反射的に、僕は椅子から立ち上がった。


+++


「…食堂にも居ない、部屋にも居ない、庭にも居ない…
 談話室にも修練場にも居ないし、司令室にも書庫にも居ない!! つまりっ」
「………普通、そこまで回る前に思いつかねぇか?《方舟》の中」
「神田だって何も言わなかったでしょうが!?」

呆れたように言われて、わたしは思わず怒鳴り返した。
…自分でも察しが悪い自覚はある。どうにも頭が回ってない。

「…ったく、手間掛けさせやがって、あのモヤシ」
「まったくもって同意する、それ」

神田が思わずであろう呟いた愚痴に、わたしは深く頷いた。
とは言え、下手に教団内のどこかに隠れられるよりは、探し出すのは実は楽なのだ。

「…アレーン! 居るんでしょ? 道を繋げて!」

立ち止まって声を張り上げると、しばらくして、目の前に扉が現れる。
そこから、慌てたようにティムキャンピーを伴ったアレンが飛び出して来た。

ッ!! …と、神田?」

わたしの後ろに気怠るげに立つ神田の姿を見つけて、アレンは立ち止まった。

「…あの、なんでと神田がふたりでここに来るんですか?」
「え、ダメだった?」
「いや、ダメって言うか…」

複雑な表情をするアレンに、わたしはわけがわからず首を傾げる。
後方で、神田が面倒くさそうにため息を吐いた。

「…安心しろ、単なる成り行きだ。男の嫉妬は醜いぜ、モヤシ」
「だ、誰が誰に嫉妬ですか!? 寝言言わないで下さいッ」
「あー、はいはい、お願いだから喧嘩しないでねー…」

神田の言葉とアレンの反応とに、ようやく合点がいったわたしは、とりあえずふたりの間に割って入る。
まったく、この怪我人どもは無駄な体力を使いたがって困ったものです。

「神田はアレンを捜すのを手伝ってくれたんだよ。大人しく病室に居ないアレンが悪い」
「うっ…………ごめんなさい」
「…素直で気持ち悪い」

あっさり謝られた違和感に思わず呟くと、アレンは軽く目を眇めてため息を吐いた。

「………ああ、予想通りの反応をありがとう。非常にらしくて安心しました、今」
「どういう意味ですか」

今のがわたしらしいってどういう意味だ。
だいたい、らしくない態度のアレンが悪いんじゃないか。素直過ぎてアレンじゃないみたいだよ。

「…さて、とりあえずアレンが見つかったのでー…」
「「?」」

小さく咳払いをしてから、わたしは左右それぞれの腕でふたりの腕を掴んだ。
きょとんと目を瞬かせるふたりに、わたしはこれ以上はないほどにっこりと微笑んでやる。

「……病室に戻りましょうか、怪我人ズ」
「「は!?」」

まったく同じ反応だった。
いっそ妬ける程の息の合い具合に、わたしはあきれ半分のため息を吐く。

「怪我人のくせに、なんでちゃんと治療を受けないかねこの馬鹿共はッ!
 さー、キリキリ歩きなさい! 婦長に引き渡してやる」
「ちょ、待っ…!?」
「お、おい! 、離せッ!!」
「却下」

困惑気味の抵抗を一言で斬り捨てて、わたしはふたりを引きずるように歩き出した。
…ああ、こいつらふたりを抱えて歩くのは、重い。

「……あんたら、わたしの立場が一応治療師(ヒーラー)だってわかってる?」

一応、ポジション的にはそのはずなんですが。
言った瞬間、ふたりは抵抗をやめてわたしを見た。胡乱げに。

「…そうだったか? 勘違いだろ」
「…どっちかって言うと逞し系ですよね。方舟の中で暴れ回ったのはどこの誰ですか?」
「よーくわかった、じゃあお望み通りのさんになってあげましょう」

少し腹が立ったので、腕に力を込める。
瞬間、小さく悲鳴が上がった。

「ちょ、痛ッ! ッ!!」
「おい、引っ張るな!!」
「はーいはい。うるさい人達だねぇ、ティムキャンピー?」
「ティムを味方につけないでくださいよ! 僕は師匠を捜さなきゃいけな」
「黙れ怪我人」

即答で黙らせた頃には、わたし達は方舟から出て教団の廊下に居た。
そして素晴らしいタイミングで、わたしは見知った後ろ姿を発見する。

「あ。婦長さーーん」
「「げっ」」

わたしがまだこの《世界》に来たばかりの頃。
医療班の手伝いをしていたわたしは、看護婦さんや医師と面識があった。
もちろん、結構親しい部類に入る人達も少なからず居る。
婦長もまたそのひとりで、わたしにとって…そうだな、仲の良い学校の先生みたいな存在だ。

さん?」
「お久しぶりです、婦長。どうぞこの馬鹿共引き取ってください」
「「ッ!!」」

ふたりを婦長に突き出すと、アレンも神田も顔色を変えた。

「…とっっっっっても、助かりますわ。さん」
「わぁ、婦長ってば素敵な笑顔。惚れ惚れしちゃう」

背後に怒りのオーラを立ち昇らせる婦長に、わたしは逆ににっこりと微笑んで首を傾げた。
婦長はそのまま有無を言わせず、ふたりの耳を片方ずつ掴む。

「いだだだだだ! はなしてっ」
「ブッた斬るぞクソババァ!」
「病室戻れ!」

痛そう…。
引きずられていくふたりを見送るわたしの肩に、ティムキャンピーがちょこんと乗っかった。
…可愛いなぁ…和むよ、ティムキャンピー…。そしてわたしのソルトレージュは、いつになったら直るんだ。

「…婦長があんな汚い言葉を使うところを初めてみた。ねぇ、ティムキャンピー?」

笑いながら言って、わたしはティムキャンピーを軽く撫でてやる。
だけどティムキャンピーは、どこか心配そうに羽根を揺らした。

「……わたしは大丈夫だから、アレンのことをお願いね?」

苦笑混じりに告げると、ティムキャンピーは頷くように小さく体を動かした。
婦長に引きずられて行くふたりを追いかけ、飛び去っていく金色。

その姿を見送ってからもう一度、わたしはグローブに包まれた自身の右手を見下ろす。
…言えない。言えるわけがない。アレン達には、絶対に。

「……」

ぎゅっと、わたしは自身の右手を握り締める。
言えない。知られるわけにはいかない。わたしの、大切な人達には。

…わたしは、浅ましくて卑怯で、臆病で愚かだ。
アジア支部でレベル3と遭遇した時、自分から彼らの側へ行こうとしたくせに。
伯爵側へ行くことで、みんなを護れるならそれでも良いと…思ったくせに。




――なのに今は、この右手の傷痕ひとつで、《世界》が壊れることが怖くて仕方ない。




+++


――荘厳な雰囲気の漂う一室。
円卓を囲むように、コムイを始め各支部の支部長、そして四人の元帥が集まっていた。

だが、そこにある空気は、決して和やかなものではない。
室長を始め、各支部の支部長及び元帥が一堂に会する機会はそうあることではない。

――それがあるのは、緊急事態が起こったその時なのだから。

――お集まりいただけましたかな」

静まり返った部屋に、重厚な威圧感を持つ声が響く。
視線を向ければ、そこに立つのは、鋭い眼光を放つ男。
彼の纏う衣装は、見るものが見れば彼がどういう立場の人間か一目でわかる。

「どうも。中央庁特別監査役,マルコム=C=ルベリエです」

まったく表情を変えずに席に着き、彼――ルベリエは、着席している面々を一瞥する。
そして、彼に随従する青年が静かに足を止めたと同時に、ルベリエは口を開いた。

「この度の委細についてご報告いただきたい。
 今日は楽しい時間が過ごせそうですな。ビックゲストがいらっしゃる」

一点に視線を止め、ルベリエは小さく嗤う。
その視線の先に座するのは、場の雰囲気をものともせずに、太々しく脚を投げ出しているクロスだった。

「……」
「あなたを諮問する日を実に心待ちにしていましたよ。…クロス=マリアン元帥」
「どうも」





向けられた蛇のようなその視線を受け止め、クロスは不遜な笑みを浮かべた。






指の隙間から零れ落ちてゆく、掴んだはずの幸福。



To be continued?

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