「任務…!?」
「オレが何の為に来たか知ってるだろうが」
目を瞠るわたし達に、クロス元帥は淡々と口を開いた。
その言葉に、わたし達は顔を見合わせる。
「! アクマの…生成工場の破壊…!」
「この方舟に生成工場があるんですか!?」
「部屋はまだ残っている。生成工場へ開けろ、ティム」
「ティム…!?」
クロス元帥の頭の上に居たティムキャンピーが、羽根を動かした。
瞬間、わたし達の周囲の空気が変化する。
「!?」
それは、本当に一瞬のことだった。
瞬きをした一瞬に、周囲の景色が切り替わる。
――まだほとんど崩壊していない床と、一面に広がる死体の海。
「えっ…こ、ここは…」
「なんだこれ、死体…!?」
「この部屋…『生成工場』の番人共だ」
番人…。
AKUMAじゃない。だって死体が残っている。
なら、これは…何?
「生成工場!? ここが?」
「! アレンくん、! うしろっ」
リナリーの声に促され、わたしとアレンは背後を振り返る。
そこにあったのは、巨大な卵形の『何か』だった。
「そのでかい玉が伯爵が造ったアクマの魔導式ボディの『卵』だ。
ブッ壊してぇんだが結界が張られてて解除(はが)すのに時間が足りん」
これが…AKUMAの、卵。
ここでAKUMAが生み出され、多くの悲劇を生んで…――、
「…ッ」
見上げたその《卵》から伝わる脈動音に、ぞくりと寒気がはしった。
――まただ。また、右手が疼くように痛む。
「…息づいてる? まさか…っ」
「これ…まさか、生きて…」
「――上を見ろ」
促されて見上げれば、《卵》の上方が少しずつ消えていっていた。
まるで崩れていくかのように。
「ここが方舟転送の最後の部屋だ。
卵が転送され消えた瞬間、オレ達もろとも方舟は消滅する」
クロス元帥がそう告げた瞬間、部屋に衝撃がはしった。
ついさっきまでほとんど崩れていなかった床が、端から崩れ始めている…!
ふたりでリナリーを支えるようにしてわたし達は慌てて立ち上がり、クロス元帥を見上げる。
「どっ、どうするんですか師匠!?」
「ちっ…止めるしかねェだろ」
「え?」
止める――か。
《奏者》は方舟を操れるはず。なら、崩壊を止めることも…。
だけど、だったらどうして、この瞬間までクロス元帥は何もしなかった?
アレンに手伝わせることって、なんだ…?
「要は『卵』を奪えばいい。
方舟を起動させてこの転送を止めれば、『卵』は新しい方舟に届かない」
「こんな得体の知れない舟、どうやって?」
「元帥…何か知ってるんですか? 方舟を動かせる方法を…?」
「オレじゃない。お前がやるんだ、アレン」
「!!?」
――――アレンが、方舟を動かす?
「待ってください元帥! 《奏者》はあなたじゃないんですか!?」
「――、不用意な発言は慎め。…それがお前の為だ。わかるな」
「…それ、は」
――この人は、いったい、どこまで『わかっている』んだろう。
リナリーやアレンの反応からして、今の会話は日本語で交わされたと見るべきだろうか。
この人は『知っている』のか。わたしが、この《世界》の存在じゃないことを――?
「…ッ!?」
その瞬間、《卵》の消失速度が加速した。
息を飲むわたし達の前に、クロス元帥が進み出る。
「《
(オン)》《a(アバタ)》《u(ウラ)》《m(マサラカト)》…効けよ…!」
《聖母ノ柩(グレイヴ・オブ・マリア)》の鎖を解いた時と同じ詠唱…。
イノセンスとは違う力の波動が、肌を刺すような感覚が、した。
「《縛(バル)》!!!」
消失しつつある《卵》の表面に、梵字が浮かび上がる。
それが《卵》をぐるりと囲んだ瞬間、加速していた消失速度が急に落ちた。
だけど、止まったわけじゃない…。
「術で転送を邪魔して、若干だが進行を遅らせる…
お前が舟を動かせ、アレン! 急げ、もう消滅の時間だ」
「は? 待ってください何言ってるか全然分かりません、師匠!!」
我に返って怒鳴るアレンに、ティムキャンピーが近づいてきた。
しかも結構な速度で。ぶつかるぞ、これ。
「とっておきの部屋を開ける。ティムに従え」
「!」
「そうすりゃ分かる」
「どうして僕が…っ」
一方的な言葉にアレンが言い返しかけた瞬間。
ティムキャンピーを中心に生まれた空間の歪みに、アレンが吸い込まれた。
「アレンっ!」
「アレンくんっ!!!」
本当に、それは一瞬の出来事。
例えて言うなら…そう、方舟に入った時の、あの陣に…似てる。
「お前にしかできんからだ…馬鹿弟子」
呟くようにそう言って、クロス元帥は視線をわたしに向ける。
そして、予想外の一言を、実にあっさりと言い放った。
「…。お前も行け」
「は?」
「良いから行け。ふたりも面倒見れん」
「ちょっ…!」
抗議の声を上げる前に、クロス元帥はわたしの肩を押して空間の歪みに押しやった。
…いや、突き飛ばしたと言った方が正確かもしれない。
「――アレンを頼むぞ、」
最後に聞こえたのは、そんなクロス元帥の一言だった。
「!?」
目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは真っ白な部屋だった。
ソファと椅子と、ピアノという、不自然な家具が乱雑に置かれた、部屋。
どこまでも静かで、崩壊の兆しのない――見覚えのない、一種異様な空間だった。
「ここは…っ、…師匠…リナリー? !?」
きょろきょろと辺りを見回しても、3人の姿はどこにもない。
僕だけが、ここに移動させられたのか…?
「…いったい…?」
呟いた瞬間、上方に何か気配を感じて反射的に上を見上げた。
……え。何か落ちて…く、る…?
「ぅぐッ?!」
「きゃあッ!? ご、ごめんアレン!!」
勢い良く落ちてきたものに潰され、圧迫感に息が止まり掛けた。
僕の上で悲鳴を上げたその声はのもので、目を開けると目の前に彼女の姿がある。
「…重いんですけど…」
「何その反応」
焦ったような表情から一転、不機嫌そうに顔をしかめて、は平手で僕の頭を張り飛ばした。
…いきなり人を踏みつけておいて、なんで叩くんだろう。
理不尽だなぁと思いつつ、上に乗ったままのを横に退けて、ソファから立ち上がった。
が現れた以外は何の変化も無く、部屋は相変わらず不気味なほど静かだ。
「方舟の中なのか…?」
「…なんか…変な感じがする…」
そう呟いた彼女に視線を向けて、その顔色を見た瞬間、思わず目を瞠った。
若干ではあるが、顔色が悪い。吐き気を抑えるように口元を手で覆う所作に、困惑する。
「…?」
「…大丈夫、ちょっと頭が重いだけ」
とても大丈夫そうには見えない。
もともと、は戦いには向いていない人間だ。
怪我もしているし、体力も限界に近い。何より、精神的にもかなり負担が掛かっているはずだ。
――僕は、彼女に甘え過ぎていたのかもしれない。
は強いから、年上だから、…不安な時、いつでもこの手を握っていてくれたから。
だけど、なら僕は、が不安なときに、ちゃんと傍に居て…手を、握ってあげていただろうか。
「…、」
酷く小さく、頼りなく見える彼女の肩に触れた瞬間だった。
『――ココハ千年公モ知ラナイ……』
――知らない声が、部屋の中に響いた。
弾かれたように、が顔を上げる。
咄嗟に彼女の肩を抱いて引き寄せ、声のした方向を振り返った。
『「14番目」ノ秘密部屋…』
「お前は…!」
鏡に映った、黒い影。
その姿には見覚えがあった。
イノセンスが破壊され、アジア支部で目覚める直前に見た夢…、
――――リナリーが泣いてたあの夢で見た…。
『オレノ「鍵」…オレノ…』
「? カギ…?」
鏡の中の影が指さしたのは、鏡に映ったピアノだった。
ゆっくりと視線を、ピアノの方へと向ける。
「え…?」
「ティムキャンピ…?」
ピアノの、楽譜を置く場所にティムキャンピーが鎮座していた。
まるでそこが、自分の指定席だと言わんばかりに羽根を動かしながら。
『オレノティムキャンピー』
――なんだって?
もう一度、鏡の中の影に視線を戻す。
『「アレン」「ティムキャンピー」。フタツガ「奏者ノ資格」』
腕の中で、が息を飲む気配がした。
「『ソウシャ』…? なんのことだ。
ティムキャンピーは師匠のものだ、お前のじゃない。何者だ、お前…!」
偶然か…?
あの時の夢で、僕の行く手を阻んだ影とそっくりだ。嫌な感じがする…っ!!
「…ソウシャ…《奏者》…?」
一切の動きを止めて影を見つめていたが、小さく呟いた。
「…アレンが…《奏者》…!? 嘘だ、そんなわけない…ッ」
「…? 君は何か知って…」
の過剰な反応に、問いかけの言葉を口にした瞬間だった。
耳元の無線機から、雑音に近い機械音が響く。
『馬っっ鹿弟子ぃぃぃッ!!!』
「!!」
機械音に首を傾げる間もなく、耳元で大声量の師匠の怒鳴り声が響く。
これだけの至近距離で怒鳴られれば、頭に響くのは当然だ。
鼓膜に痛みを感じて、耳を押さえながら思わず蹲ってしまったのは、ある意味仕方ないと思う。
「ア、アレン…大丈夫?」
「………っ、~~~耳がッ…」
『とっとと転送を止めろオラァ!!』
容赦無いな本当に!!
続いて響く怒鳴り声に、耳の奥に再び痛みがはしる。
「し…っ、しょ…」
『!! お前も何をしてる!
何の為について行かせたと思ってんだ、ちゃんとその馬鹿の手綱握って上手く操縦しろッ!!』
「は!? 手綱って。操縦って。ええッ!?」
「いきなり何を言い出すんですか師匠ッ!!」
狼狽えるを手で宥めつつ、無線機の向こうに怒鳴り返す。
だけど返ってきた答えは、一方的な言葉だった。
『部屋に行けたのか!?』
『アレンくん、、大丈夫!? 聞こえる?』
続いて聞こえてきた声に、思わずと顔を見合わせる。
「リナリ? あっ、はい大丈夫です。…ってかなんかふたりの声近くないですか…、
…はっ。師匠!! リナリーに触らないで下さい!!」
『あ~ん?
お前、こっちが今どんだけの床面積で頑張ってると思ってんだオイ。抱っこくらいでピーピー…』
『気にしなくていいから!! アレンくん!』
いや、気にするなと言われても師匠だし。
言い返し掛けた僕の耳元で、というより無線機に向かって、がとんでもないことを口にした。
「リナリー! 貞操は無事ー!?」
「…人の耳元でなんてこと言うんですか、…」
『!! こんな時に悪ノリするのはやめてッ!』
「…ハイ。ゴメンナサイ…」
リナリーに珍しく怒鳴られて、さすがに堪えたのかは素直に引いた。
…の弱点って確実にリナリーだと思う。色んな意味で。
『お前ら揃いも揃ってオレを何だと思ってるんだ。特に。お前後で覚えてろ』
「え、なんでわたしだけ!?」
…
……
………師匠。になにする気ですかちょっと。
『そんなことより…そこにピアノはないか!?』
「えっ。はい、ありますが…」
『それが舟を動かす「心臓」になる』
何故、師匠がそんなことを知っているのか。
そんな疑問は、次の一言で跡形もなく吹っ飛んだ。
『弾け!』
言われた言葉に、一瞬、返す言葉を失う。
…今、当然のようになんて言った。
「…あの…?」
「アレンってピアノ弾けたの?」
首を傾げながらが訊ねてくるけれど、僕はゆっくりと首を左右に振った。
……弾けるわけ無いだろう。そもそも学校にすら通っていない僕に、音楽の心得なんてあるわけがない。
「…僕、ピアノは生まれてこのかた一度も…ピエロの時、笛吹いたくらいしか…」
『ティムが楽譜をもってる』
「って、ちょっと!! 聞いて!! 楽譜の読み方なんて知りませんッッ!!」
弾けないって言ってんのに、何をしれっと言いやがるんですかこの人は!!
怒鳴り返すと、雑音混じりの通信で更に非道な選択肢を突きつけてくる。
『借金増えんのとどっちがいい』
「それと二択かいっ!! どっちも無理です!!!」
むしろどっち選んでも借金は増え続けてそうなんですけどそこのところどうなんですか!
…いや、今はそんなことはどうでも良…くはないけど、とりあえず置いておこう。
混乱する僕の隣で、が口を挟んだ。
「あ、あの! 元帥、わたしが弾きます!」
「、ピアノ弾けるんですか?」
「が、学校で習った程度だけど…楽譜があればなんとか」
『――駄目だ。お前が弾いても意味がねぇ』
何故、と。
訊いたところで答えてはくれないのだろうが、思わずにはいられない。
僕でなければいけない理由は、なんだ…?
『弾け、アレン。そうすれば舟は、お前の意のままに…』
師匠の言葉が終わる前に、ブツッ…と通信が途切れた。
「! 師匠!?」
呼びかけても、返事はなくノイズだけが響く。
これも崩壊の影響なのか。もう時間がない…!
『「アレン」ガ弾ク』
「!」
今まで黙り込んでいた影が、静かな口調でそう告げた。
「どっ、どうして僕なんだ…!?」
『「アレン」ノ、――――楽譜ダカラ』
その声に呼応するように、ティムキャンピーが口を開く。
吐き出された映像は、奇妙な記号の羅列が描く円だった。
まるで、魔法陣のような――形状の。
「!!? これが…楽譜!?」
――目の前に現れたのは、円上に描かれた記号の羅列だった。
+++
奇妙な、円上の模様――にしか、見えなかった。
これが楽譜…? 確かにこんなもの、わたしじゃ読めない…。
「…《奏者》…演奏者…ってこと? このピアノが《鍵》…。
どうして、アレンが…《奏者》の資格を譲られたのは、クロス元帥じゃないの…?」
「…?」
「………」
…ティキ=ミックが、アレンを殺しに来た理由。
彼のターゲットにクロス元帥も入っていたということは、アレンもまた《奏者》の候補ということ…。
――クロス元帥じゃなかった。
《奏者》の資格を持つのは――アレンなんだ。
「…アレン!」
「は、はい」
「弾いて」
「え?」
かなり唐突に聞こえたのだろう。
きょとんと目を瞬かせながら、アレンは唖然とわたしを見つめ返してきた。
「弾いて。多分、アレンにしか出来ない」
「あ、あの…? いったい何が…」
「――みんなを助けられるのは、アレンしかいない」
「え…?」
――わかってる。これが、わたしの憶測の域を超えていないことくらいは。
だけど、アレンが《奏者》で…この方舟を、操ることが出来るとしたら。
「弾いて。わたしの予想が正しければ…――この《方舟》は、『再生(リセット)』される」
「………!」
わたしの言葉に、アレンが大きく目を瞠った。
わたしは小さく頷き、言葉を続ける。
「いい? 壊れたもの全てが元の形に再生されるわ。
――ラビもチャオジーも、クロウリーも…神田も。助けられる」
「そんな、ことが…!?」
「出来る」
本当は確信なんかない。
だけど、この崩壊現象を転送――『ダウンロード』という言葉を使う意味。
インターネット上のデータを、自分のパソコンにダウンロードすることを考える。
そのダウンロードを、途中で止めるとどうなる?
――そう、『何も起こらない』。
インターネット上のデータは消えない。
パソコンの中にはデータが現れない。
ダウンロードを実行する前と――『変わらない』。
「だから…弾いて」
「…、でも」
躊躇うアレンの手を、わたしは強く握った。
じっと視線を合わせて、ゆっくりと言い含めるように、告げる。
「わたしが、傍にいるから」
「――はい」
一瞬の間の後、アレンは頷いた。
それに微笑い、わたしはピアノの上のティムキャンピーに視線を向ける。
「ティムキャンピー。それで良いのね?」
視線を向けると、ティムキャンピーは肯定するように羽根を揺らす。
「そっちの黒い人も」
『……』
壁に映るその影は、小さく頷いたように見えた。
私はアレンの手を掴んで、鍵盤の上に指を乗せさせる。
「アレン、この楽譜は普通の楽譜じゃない。『楽譜』としては『読めない』」
「ええ…こんな円上の楽譜なんて聞いたこともない」
「多分、資格を持つ者にしか読めないモノ。ティムは、この楽譜の保管庫の役割を担っている。
…よく見て、アレン。多分、これは…このピアノを弾く為だけに存在する」
「………」
じっと楽譜を見据えたまま、アレンが頷く。
焦る気持ちは、わたしにもある。だけどここで、選択を間違うわけにはいかない。
「落ち着いて。よくこの楽譜を見て…」
「はい……――ッ!?」
返事を返してきたアレンが、不意に楽譜を見据えたまま硬直した。
そして、恐る恐る、と言った所作で、楽譜に手を伸ばす。
「そんな…」
「…アレン?」
「この紋章…」
アレンが触れたのは、楽譜の中央に記されたマークだった。
…紋章? 確かに、言われて見れば何か意味深だ。
「――ちがう。まさか…」
「どうしたの、アレ…ン…」
呆然と呟くアレンに視線を向けて、わたしは言葉を失った。
――左目が…AKUMAもいないのに、左目が変化してる…!?
「ちがう…っ、この文字が、どうしてここに…っ」
指で円上の記号をなぞりながら、譫言のように繰り返される、言葉。
――どうして、左目が変化してるんだ…?
「…! まさか、」
わたしは、鏡の方へ視線を向ける。
鏡の向こうには、アレンは映っていない。
代わりに、影が同じようにピアノの前に立っていた。
…まさか。
まさか、あの、影は――『14番目』の、正体は…。
「…マナ…?」
確信のない呟きは、幸い、アレンには届いていないようだった。
『――ソレハ唄』
…唄?
この楽譜の曲には、歌詞がついてるってこと…?
『旋律ハ…――「アレン」ノ、内…』
影が告げた、瞬間だった。
呆然と楽譜を見つめていたアレンが、唐突に鍵盤を押した。
「!!? 手が動く!?」
ただ鍵盤を押しただけじゃない。
それはちゃんと、旋律になっていた。
「アレン…?」
「ひ、弾ける? どうして…っ!」
――それが、《奏者》なんだろうか。
ピアノを楽器として弾くのではなく、方舟を操作する《鍵》として使用する。
だから、本人のスキルなんて関係なく…?
「この詩につく曲なのか!?
読むと…メロディが勝手に頭の中に流れてくる…!」
「え。こ、これ文字なの!?」
これが文字? こんなの、見たこと無い!
どうして、アレンはこれが読めるんだ…!?
「メロディ…? ちがう!
僕の頭の中で歌うのは誰だッ!!?」
頭の中で、歌う『誰か』…?
まるで操られるかのようにピアノを弾くアレンを見つめながら、わたしは首を傾げた。
瞬間、耳の奥に響いたのは――歌声。
――――――そして坊やは 眠りについた……
「……ッ」
ピアノの旋律に乗るように響く、唄。
その唄が耳の奥に響いた瞬間、背後でピシリ…と小さな異音がした。
――息衝く灰の中の炎 ひとつふたつと
浮かぶふくらみ 愛しい横顔
痛い。痛い。この痛みはなんだ。
ビキビキと異音が響き、頭に鈍い痛みが響く。
――大地に垂るる 幾千の夢
銀の瞳のゆらぐ夜に 生まれ落ちた輝くおまえ
立っているのがやっとだった。
呼吸が苦しい。違う、痛い。呼吸の度にどこかで鈍痛が響く。
――幾億の年月が いくつ祈りを土へ還しても
まるでそれは、シンクロ率が一桁の時にイノセンスを発動した時のように。
――――――伯爵と、相見えた瞬間のように。
「〝ワタシは 祈り続ける…〟」
アレンが呟くようにその《詩》を口にした瞬間だった。
ビキ…ッ、と鋭い痛みが、右手にはしる。
「ぅ…ぁ…ッ…くッ…!?」
「――ッ!?」
立っていることも出来なくなって、わたしはその場に膝を着いた。
さすがに悲鳴を上げてしまったから、アレンがわたしの方を振り返る。
瞬間、じわりと右手に滲む、赤。
「どうしたんですか!? 右手から血が…ッ」
「…へ、平気…それより、ピアノ、を…」
痛みに意識が霞む。
必死に言葉を紡ごうと口開くのと、微かな電子ノイズが響いたのはほぼ同時だった。
『――方舟を操れ、アレン!! お前の望みを込めて弾けっ!!!』
クロス元帥の、声だった。
唐突に繋がった無線より、その言葉にこそアレンは驚いて狼狽える。
「のっ、望み!?」
『早くしろっ!!』
クロス元帥の声に、焦りが滲んでいる。
もう、本当に、崩壊寸前なんだ――!
『――――――望メ』
鏡の向こうの影もまた、同じ言葉を口にした。
――望め、と。
《奏者》の強い《望み》が、方舟を動かす原動力であるかのように。
「望みはっ、転…送を、方舟を…っ」
「…アレン…ッ」
焦るアレンの肩を、わたしは体を引きずるようにしながら抱き締めた。
アレンが、自分の望みを表に出すことが苦手なのは、知ってる。
それに加えて今は、時間が無い。
焦り、狼狽える彼を少しでも落ち着かせようと、わたしは彼を抱き締める腕に力を込めた。
「…ねぇ、アレン…わたし達は、何の為にここに来たの…?」
「何の、為に…?」
ゆっくりと、噛みしめるように告げた問いかけに、アレンが反応を返す。
ピアノが止まったせいか、全身にのし掛かってきた痛みが、今は引いてきた。
「…ノアを倒す為? 伯爵を倒す為? …違う、でしょ…?」
「僕、は」
――わたしを置いてでも、たったひとり、この江戸に駆けつけたのは。
ただ…みんなを、護りたかったのだと――わたしは、知ってる。
「…帰ろう、アレン。ホームへ。…みんなと、一緒に」
「――うん…ッ」
力強く頷き、アレンは楽譜を睨む。
流れ始めた旋律と、唄。
再び襲いかかる痛みに、わたしは唇を噛んで、耐える。
…大丈夫。アレンが傍にいる。耐えられる、…耐えて、みせる――!
「――消えるな、方舟ぇぇぇぇぇ!!!」
悲鳴に近い叫びと共に、最後の一音が刻まれた。
その瞬間――確かに、《世界》が変わったのを…わたしは、朧気に感じ取っていた。
『みんなが帰ってきたら』。それだけが、わたしの願いだった。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。