――謎に包まれた人物だと、ずっと思っていた。
その存在感だけが一人歩きをしている、ある意味伝説系の。
「…うそ…」
纏っていたコートを脱ぎ捨て、瓦礫の上に降り立ったその姿。
つか会うことはあるだろうと、確かに思っていた。
だけど、まさかこんな形で会うことになるなんて。
――クロス=マリアン。
アレンの師である、異端の元帥。
ある意味では、千年伯爵よりも謎が多いかもしれない、そんな存在。
それが、《物語》として彼を知るわたしが持った印象だった。
こうして直に対面して、改めて思う。
なんて絶対的な、存在感を持つ人だろう――。
「あ」
ドサッ、と荷物のように瓦礫の上に落とされたアレンを見て、
わたしは慌てて、ふたりの元へ向かって飛んだ。
「師匠…」
ほとんど無意識に、アレンが呟いた。
その視線の先に居るのは、風に赤い髪を流すひとりのエクソシスト。
――クロス元帥。その頭の上には、ティムキャンピーが当然のように乗っていた。
「ティ、ティム、おまえまで…」
「アレンっ」
「あ、…ぅわッ!?」
呆けたように視線を向けてきたアレンに、わたしは駆け寄った。
思わず抱きついたわたしに、アレンの反応は非常に鈍い。かなり混乱してるらしい。
「大丈夫!? あんたいっつも無茶やって…ッ」
「い、いや、あの…今はそんなこと言ってる場合じゃ…」
わたしを抱き留めながら、アレンが視線を上げた。
それを受けたクロス元帥が、ジロリとアレンを見下ろす。
「!」
思わず身構えたアレンから視線を移し、クロス元帥は別の場所を見た。
――アレンの、《神ノ道化(クラウン・クラウン)》を。
「やっとまともな発動ができるようになったみたいだな」
「えっ…?」
クロス元帥の言葉に、アレンは僅かに目を瞠った。
意味深なその一言に、わたしもアレンから離れて、まじまじとクロス元帥を見上げる。
「それにしてもボロボロだな…。ホラ…」
「へ?」
…え?
クロス元帥が。
あのクロス元帥が。
アレンに手を差し伸べた!?
驚いたわたし以上に、アレン自身が驚いていた。
顔色を変えて、まじまじと差し出された手を凝視している。
が、我に返ったのか弾かれたように顔を上げた。
「…あっ、は、はいっ。すみませ………ん?」
言葉の途中で、クロス元帥はアレンの服を引っ掴んだ。
そしてそのまま持ち上げると、思いっきり腕を振り上げる。
「うわぁぁぁ!!」
「ア、アレンーーーっ!?」
渾身の力で、アレンはリナリー達の方へ投げ飛ばされた。
…向こうでリナリーとチャオジーの悲鳴が上がってます。
いきなり弟子を有無を言わせず投げ飛ばすクロス元帥も何だけど…
…あの距離を投げ飛ばされて無事なアレンも、凄いと思う。
「汚ねェんだよ、馬鹿弟子がッ」
……え。
ええええっ、汚いって…いや、確かに傷だらけだし埃まみれだし綺麗ではないけど…!
わたしが目を白黒させていると、クロス元帥はジロリとラビの方に視線を向けた。
鋭い視線を受けたラビが、ビクッと肩を揺らす。
「…オラ、貴様もあっちいけ。
美しいもんは傍にいてやるが、汚ねェのは(女以外)オレに近づくな…」
「酷い言われようさ…」
…今、なんか心の声が聞こえたような。
気のせい。…うん、気のせいってことにしておこう…。
アレン達の方へ移動していくラビを見送りながら、わたしは小さく息を吐く。
くだらない思考を追い出していると、ザッとコートの翻る音が至近距離で聞こえる。
視線を上げると、真っ直ぐにクロス元帥がわたしを見下ろしていた。
「――お前がか。《双黒の使徒》…いや、《イヴの娘》だな」
「…え…」
「立て」
わたしの手を掴むと、クロス元帥は強引にわたしを引っ張り上げて立ち上がらせた。
そして、無理矢理わたしの顎を掴んで上向かせる。
「あ、あの…?」
「――この中でよく生き残った。《創造主》側の存在、ってのは眉唾じゃなさそうだな。
…今後も、お前にはまだ役目がある。誰が死のうが傷付こうが、何を犠牲にしてもお前は生き残れ」
「な、」
「下がっていろ。…馬鹿弟子を頼む、あれにはまだ死なれちゃ困るからな」
それだけ言うと、クロス元帥はわたしから手を離し、トンッと背中を押した。
反射的に、わたしは振り返る。
「…あの」
「話は後だ。良いから行け」
「……はい」
釈然としないが…今は、そんなことを言っている場合じゃなさそうだ。
小さく頷き、わたしは羽根を広げて瓦礫を蹴った。
ふわりと、みんなが集まっている場所へ降り立つ。
地に足を着けた瞬間、ぐいっと腕を引っ張られた。アレンに。
「。師匠と何の話を?」
「え…?」
言われた言葉の意味がよくわからず、わたしはきょとんと目を瞠った。
「あれ、どこの言葉ですか?」
「え…あれ…?」
「日本語じゃない? 元帥は日本語も出来るのね」
「あ…ええと…」
…に、日本語…だったんだ…?
わたしの耳にはすべての言語が日本語に聞こえるから、全然気付きませんでした…。
…ええと、つまり。
あの会話は、アレン達に聞かれちゃまずい内容だ――って、こと?
「…うん。馬鹿弟子を頼む、って」
「………………なんでに言うんだろう、ソレ」
複雑そうな表情で、アレンが首を傾げた。
…うん。嘘は言ってない。略はしたけど嘘は付いてない。
……………うん、やましいことは何も無いです。嘘付いてないもん。
「…?」
「なんか変だぞ、お前。どうしたんさ」
「はっ。まさか師匠に何かされましたか!?」
「されてないされてない!」
勢い良く詰め寄られて、わたしは必死に首を左右に振った。
ちょ、アレンの目が本気なんですけど!
怖い!
「落ち着けー、落ち着こうー。ね?」
「師匠に触られたら妊娠しますよ!?」
「マジで!?」
「そんなわけないでしょう。もアレンくんも、こんな時にふざけてないで」
う。リナリーに怒られた。
思わず顔を見合わせて、誤魔化すようにわたしとアレンはへらりと笑った。
そして、ティキと対峙するクロス元帥の方へ視線を向ける。
視線を向ければ、クロス元帥があの大きな箱を引きずっていた。
…あれはやっぱり、イノセンスなんだよね…装備型?
無駄にでかい…。
「ノアの一族ね…。
こんな崩壊寸前の船でまだ騒いでっからどうしたのかと思いきや…正気を失ってるな、お前」
『エ…グソ…ジス…ド…』
「ノアにのまれたか…一族の名が泣くぜ?」
そう返して、クロス元帥は微かに嗤った。
あの人は――何を、どこまで知っているんだろう?
わたし達が息を呑んでその展開を見つめる中、クロス元帥は箱に巻き付く鎖を外し始めた。
「《
(オン)》」
一音。
その音が刻まれた瞬間、脈打つ鼓動が耳の奥に響いた。
…何? これ…イノセンスの《声》…?
「《a(アバタ)》《u(ウラ)》《m(マサラカト)》――《導式解印(オン・ガタル)》!!」
二音、三音、と音が刻まれていくたびに、その《声》が強くなっていく。
箱に巻き付いた鎖が弾け飛び、その周囲に幾つもの文字が浮かび上がった。
「《聖母ノ柩(グレイヴ・オブ・マリア)》限定――――解除!!」
その、瞬間。
眩い光に包まれた箱の蓋が、開いた。
中から現れたのは、蝶をモチーフにしたリボンで目を隠した、女性。
人形…? いや、違う…。
まじまじとそれを見つめていると、その口から零れ出たのは、《唄》だった。
「――《聖母ノ加護(マグダラ・カーテン)》!!」
その唄声に乗って、強いイノセンスの気配が周囲に充満していく。
思わず目を瞠るわたしの横で、ラビが口を開いた。
「これ…賛美歌…?」
「! 《聖母ノ加護(マグダラ・カーテン)》だ」
ポツリとアレンが呟く。
それに反応して、ラビが視線をアレンに移した。
「なに?」
「しー」
「へ?」
静かに、と。
目で促したアレンに従って、わたし達は口を噤む。
瞬間、わたし達を囲むようにして、何かの力が働いたのを肌で感じた。
『!!?』
不意に、クロス元帥と対峙しているティキが、周囲を見回し始める。
それは、まるで先程まであったものを捜すかのような、不自然な動きだった。
「ガキ共にはご退席してもらったぜ」
静かに告げながら、クロス元帥が一歩、前に踏み出す。
「いいだろ、別に。なぁ?」
『ギアアア!!』
にやりと、口角を持ち上げてクロス元帥が嗤った瞬間だった。
悲鳴に近い奇声を上げながら、ティキがクロス元帥に向かって飛ぶ。
――まるで、わたし達のことなど目に入っていないかのように。
「ティキにオレらが見えねェのか!?」
「――《聖母ノ加護(マグダラ・カーテン)》。
師匠の対アクマ武器の能力で、敵の脳から視覚に幻術を掛けてガードする技です」
術系統の、イノセンス?
意外だった。クロス元帥はもっとこう、攻撃的な対アクマ武器を使うと思っていたから。
「あの人形が対アクマ武器なの? 生きてるみたい」
「……。あれは人形じゃなく、人の屍ですよ」
まじまじと、リナリーがクロス元帥の傍らに在る女性の姿をした『それ』を見る。
その言葉を聞いた瞬間、若干苦い表情でアレンが口を開いた。
一言で言われた事の異常さに、わたし達は大きく目を瞠る。
「し、屍? 死体!?」
「おい、それって…禁術じゃ…」
「――師匠は魔術で、寄生型イノセンスの女性の屍を『異例に』所持してるんです。
マリアは師匠の命令だけをきく。そして――――」
その言葉に促されるように、わたしは再びクロス元帥の方へ視線を戻した。
彼の手に握られているものは――大型の拳銃。それは決して、普通の拳銃などでは、無かった。
「師匠自身がもつ、装備型対アクマ銃《断罪者(ジャッジメント)》!!」
引き金が引かれる。
瞬間、その拳銃からイノセンスの膨大な《声》が響いた。
思わず、わたしは反射的に自分の耳を塞ぐ。
なんて、強い。
こんなの、わたし達のイノセンスなんかとは比べものにもならない――!
「《聖母ノ柩(グレイヴ・オブ・マリア)》と《断罪者(ジャッジメント)》。
師匠はふたつの対アクマ武器をもつエクソシストなんです」
その弾丸は――ティキを、何の障害も無く撃ち抜いた。
なんて圧倒的な力。なんだ、このイノセンスの《声》…こんな、強い…。
「…反則キャラだなー…」
「…ええ、まったくです」
「ああいう隠しキャラ的な反則キャラはだね、格ゲー界において邪道と呼ばれて…」
「。何言ってるのかわかりません」
速攻でツッコミが入りました。
ああ、もう…なんて言えば伝わるんだ、これ。
ぞくぞくと、妙な寒気が体中を巡る。
耳を塞いでも聴こえる。強い、強過ぎるイノセンスの《声》。
「――でも、そういう反則キャラはやっぱり、強いよ」
「…?」
「…見て」
スッと、わたしは腕を上げた。
示した先では、一方的に撃ち出される弾丸に翻弄される、ティキの姿。
わたし達が手も足も出なかった、あの存在を。
クロス元帥は――イノセンスの力を持って、圧倒している。
「い…一方的…」
「オレらがどんなに攻撃しても、ビクともしなかったティキがあんな銃弾で…」
「……」
複雑そうな表情で、アレンが左腕を大剣から腕の形へと戻す。
わたしの握っていた漆黒の剣も、それと同時に霧散した。
…ああ、やっぱりわたしとアレンのイノセンスは、連動しているのか。
「ちょっとヘコむな…力の差がここまでハッキリされちまうと。ノアも、クロス元帥も」
ポツリと、ラビが呟いた。
それは独り言に近い響きで、誰も返事を返さず、ただ耳だけを傾ける。
「オレらはまだまだ、弱い」
その一言は、真理を突いていただろう。
元帥とは――一介のエクソシストと元帥との間には、これだけの力の差があったのだ。
それはまるで、大人と子供程にも差がある。
これは、多分――コムイさんですら、測り切れていない、絶対の差だ…。
「「「「「!!?」」」」」
俯くわたし達を嘲笑うかのように、周囲の床が陥没し始めた。
――マズイ。ここも、崩壊が始まった…!
「そろそろか…」
「崩壊の時刻…っ」
わたし達は、反射的に立ち上がる。
このままでは――全員、方舟と一緒に消滅する…!
「師匠ぉーーーーー!!」
リナリーを支えて立ち上がったアレンが、クロス元帥に向かって声を張り上げた。
わたしは意識をイノセンスに集中させて、黒水晶の羽根を広げた。
イチかバチか…成功する見込みは物凄く低いけど、ロードの扉を《複写(トレース)》するしかない…ッ!
「…っ…《複写開始(トレース・オン)》…!」
意識を集中させる。
足場も悪いければ、徐々に崩れていく《世界》がわたしを焦らせる。
ダメだ。集中しろ。集中するんだ…ッ!
「――……え?」
不意に、紛れ込んだ異音にわたしは一切の動きを止めた。
ぞわりと、全身が総毛立つ。
「…ぅ…ッ」
「!?」
酷い吐き気と眩暈に、わたしはその場に膝を着いた。
アレンとリナリーに、肩を掴まれた。だけどそれに応える余裕はない。
この気配は、なんだ。
無意識に手が震える。
気力を振り絞って顔を上げた瞬間、視界に入り込んだ影に――
――――わたしは、大きく目を瞠った。
クロス元帥が、銃口を向けた先。
そこに居る、モノ。
「――これはまた」
皮肉げに、クロス元帥が苦く嗤う。
そこに、立って居るのは――、
「…伯、爵…」
――一向に姿を現さなかった、千年伯爵だった。
胃の底に落ちる、冷たい何か。
体の奥から込み上げてくる、この感覚はなんだ。
以前、伯爵に遭遇したことはあったはず。
そう、アレンが教団に来る少し前のこと。
だけどその時は、こんな感覚はしなかった。
酷い吐き気。
ぐらつく視界。
――これは、なんだ。
ガタガタと、体が震える。
恐怖? いや、違う。
もっと何か――根元的なもの。
微かに息を呑む。
その瞬間、背後で轟音が響いた。
「!!」
慌てて振り返ると、ラビとチャオジーが居た場所が崩壊を始めていた。
足場を失ったふたりが、瓦礫と共に落下していく。
「ラビ! チャオジー!」
「ぉわっ」
瓦礫に呑まれていくラビが、咄嗟にチャオジーの腕を掴んだ。
「ち…ッ」
そして、上に向けて槌を構える。
「ラビ!!」
アレンがそれに向かって手を伸ばした。
そうか、《伸》で槌を伸ばして、それをアレンが掴めば…
「《伸》!!」
ぐんっ、と槌の柄が伸びる。
近づいてくるそれを、アレンが掴んだ。
――瞬間、パキンッ、と微かな音が、響く。
「「!!」」
わたし達はただ、目を瞠ることしか出来なかった。
アレンの手の中で、粉々に砕け散る、ラビの槌。
「ちぇ…ティキにやられたんがきいちまったな」
崩壊は止まらず、ラビの手から砕けた槌が欠片となって滑り落ちていく。
「限界か…くそ…」
自嘲気味に笑いながら、ラビが呟く。
瓦礫と共に――ふたりの姿は、闇の中に消えた。
「ラビ…チャオジ…」
アレンの掌から、槌の欠片が滑り落ちる。
呆然と呟く彼の横に、リナリーが力無く座り込む。
「ラビ…チャオジー…」
わたしはただ、数回、瞬きをした。
これは、なんだ。
今、何が起こった。
―――ラビと、チャオジーは?
「あ…あぁ…ッ」
その事態を認識した瞬間、わたしは心臓が凍えるような痛みを自覚する。
これは、なに。
こんなこと、あって良いわけがない。
呼吸が出来ない。
だって、だって、そんな、なんで?
ここまで来て…どうして…?
「どうして…どうして…!」
感情がついていかない。
壊れた人形のように、同じ言葉しか出てこない。
脳裏に浮かぶのは、崩壊する《世界》に呑み込まれていく神田の姿。
わたしは、また――何も、出来ずに……
「いや…もう、いや…ッ」
酷い頭痛に、わたしは顔をしかめた。
…うるさい。…うるさい。この《声》は何?
「こんなの…もう…ッ」
耳の奥に響き続ける《声》。
イノセンスの――《悲鳴》。
これが自分のものなのか、アレン達のものなのか、
それとも…ラビやチャオジーのものなのか。
そんなことはもう、どうでも良かった。
ただ、今――わたしの感情を支配するものは、痛み。
胸を引き裂くような、後悔と自責の念を孕む、痛みだ。
「もう…ッ…いやぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
耳を塞いで、わたしは慟哭の声を――――――上げた。
お願い、神サマ。わたしの大切な《世界》を返して。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。