――謎に包まれた人物だと、ずっと思っていた。
その存在感だけが一人歩きをしている、ある意味伝説系の。



「…うそ…」


纏っていたコートを脱ぎ捨て、瓦礫の上に降り立ったその姿。
つか会うことはあるだろうと、確かに思っていた。
だけど、まさかこんな形で会うことになるなんて。

――クロス=マリアン。
アレンの師である、異端の元帥。
ある意味では、千年伯爵よりも謎が多いかもしれない、そんな存在。
それが、《物語》として彼を知るわたしが持った印象だった。

こうして直に対面して、改めて思う。
なんて絶対的な、存在感を持つ人だろう――

「あ」

ドサッ、と荷物のように瓦礫の上に落とされたアレンを見て、
わたしは慌てて、ふたりの元へ向かって飛んだ。



File49 《聖母ノ柩(グレイヴ・オブ・マリア)




「師匠…」

ほとんど無意識に、アレンが呟いた。
その視線の先に居るのは、風に赤い髪を流すひとりのエクソシスト。
――クロス元帥。その頭の上には、ティムキャンピーが当然のように乗っていた。

「ティ、ティム、おまえまで…」
「アレンっ」
「あ、…ぅわッ!?」

呆けたように視線を向けてきたアレンに、わたしは駆け寄った。
思わず抱きついたわたしに、アレンの反応は非常に鈍い。かなり混乱してるらしい。

「大丈夫!? あんたいっつも無茶やって…ッ」
「い、いや、あの…今はそんなこと言ってる場合じゃ…」

わたしを抱き留めながら、アレンが視線を上げた。
それを受けたクロス元帥が、ジロリとアレンを見下ろす。

「!」

思わず身構えたアレンから視線を移し、クロス元帥は別の場所を見た。
――アレンの、《神ノ道化(クラウン・クラウン)》を。

「やっとまともな発動ができるようになったみたいだな」
「えっ…?」

クロス元帥の言葉に、アレンは僅かに目を瞠った。
意味深なその一言に、わたしもアレンから離れて、まじまじとクロス元帥を見上げる。

「それにしてもボロボロだな…。ホラ…」
「へ?」

…え?
クロス元帥が。
あのクロス元帥が。
アレンに手を差し伸べた!?

驚いたわたし以上に、アレン自身が驚いていた。
顔色を変えて、まじまじと差し出された手を凝視している。
が、我に返ったのか弾かれたように顔を上げた。

「…あっ、は、はいっ。すみませ………ん?」

言葉の途中で、クロス元帥はアレンの服を引っ掴んだ。
そしてそのまま持ち上げると、思いっきり腕を振り上げる。

「うわぁぁぁ!!」
「ア、アレンーーーっ!?」

渾身の力で、アレンはリナリー達の方へ投げ飛ばされた。
…向こうでリナリーとチャオジーの悲鳴が上がってます。
いきなり弟子を有無を言わせず投げ飛ばすクロス元帥も何だけど…
…あの距離を投げ飛ばされて無事なアレンも、凄いと思う。

「汚ねェんだよ、馬鹿弟子がッ」

……え。
ええええっ、汚いって…いや、確かに傷だらけだし埃まみれだし綺麗ではないけど…!

わたしが目を白黒させていると、クロス元帥はジロリとラビの方に視線を向けた。
鋭い視線を受けたラビが、ビクッと肩を揺らす。

「…オラ、貴様もあっちいけ。
 美しいもんは傍にいてやるが、汚ねェのは(女以外)オレに近づくな…」
「酷い言われようさ…」

…今、なんか心の声が聞こえたような。
気のせい。…うん、気のせいってことにしておこう…。

アレン達の方へ移動していくラビを見送りながら、わたしは小さく息を吐く。
くだらない思考を追い出していると、ザッとコートの翻る音が至近距離で聞こえる。
視線を上げると、真っ直ぐにクロス元帥がわたしを見下ろしていた。

――お前がか。《双黒の使徒》…いや、《イヴの娘》だな」
「…え…」
「立て」

わたしの手を掴むと、クロス元帥は強引にわたしを引っ張り上げて立ち上がらせた。
そして、無理矢理わたしの顎を掴んで上向かせる。

「あ、あの…?」
――この中でよく生き残った。《創造主》側の存在、ってのは眉唾じゃなさそうだな。
 …今後も、お前にはまだ役目がある。誰が死のうが傷付こうが、何を犠牲にしてもお前は生き残れ」
「な、」
「下がっていろ。…馬鹿弟子を頼む、あれにはまだ死なれちゃ困るからな」

それだけ言うと、クロス元帥はわたしから手を離し、トンッと背中を押した。
反射的に、わたしは振り返る。

「…あの」
「話は後だ。良いから行け」
「……はい」

釈然としないが…今は、そんなことを言っている場合じゃなさそうだ。
小さく頷き、わたしは羽根を広げて瓦礫を蹴った。


ふわりと、みんなが集まっている場所へ降り立つ。
地に足を着けた瞬間、ぐいっと腕を引っ張られた。アレンに。

。師匠と何の話を?」
「え…?」

言われた言葉の意味がよくわからず、わたしはきょとんと目を瞠った。

「あれ、どこの言葉ですか?」
「え…あれ…?」
「日本語じゃない? 元帥は日本語も出来るのね」
「あ…ええと…」

…に、日本語…だったんだ…?
わたしの耳にはすべての言語が日本語に聞こえるから、全然気付きませんでした…。

…ええと、つまり。
あの会話は、アレン達に聞かれちゃまずい内容だ――って、こと?

「…うん。馬鹿弟子を頼む、って」
「………………なんでに言うんだろう、ソレ」

複雑そうな表情で、アレンが首を傾げた。
…うん。嘘は言ってない。略はしたけど嘘は付いてない。
……………うん、やましいことは何も無いです。嘘付いてないもん。

「…?」
「なんか変だぞ、お前。どうしたんさ」
「はっ。まさか師匠に何かされましたか!?」
「されてないされてない!」

勢い良く詰め寄られて、わたしは必死に首を左右に振った。
ちょ、アレンの目が本気なんですけど! 怖い!

「落ち着けー、落ち着こうー。ね?」
「師匠に触られたら妊娠しますよ!?」
「マジで!?」
「そんなわけないでしょう。もアレンくんも、こんな時にふざけてないで」

う。リナリーに怒られた。
思わず顔を見合わせて、誤魔化すようにわたしとアレンはへらりと笑った。
そして、ティキと対峙するクロス元帥の方へ視線を向ける。


視線を向ければ、クロス元帥があの大きな箱を引きずっていた。
…あれはやっぱり、イノセンスなんだよね…装備型? 無駄にでかい…。

「ノアの一族ね…。
 こんな崩壊寸前の船でまだ騒いでっからどうしたのかと思いきや…正気を失ってるな、お前」
『エ…グソ…ジス…ド…』
「ノアにのまれたか…一族の名が泣くぜ?」

そう返して、クロス元帥は微かに嗤った。
あの人は――何を、どこまで知っているんだろう?
わたし達が息を呑んでその展開を見つめる中、クロス元帥は箱に巻き付く鎖を外し始めた。

「《(オン)》」

一音。
その音が刻まれた瞬間、脈打つ鼓動が耳の奥に響いた。
…何? これ…イノセンスの《声》…?

「《a(アバタ)》《u(ウラ)》《m(マサラカト)――《導式解印(オン・ガタル)》!!」

二音、三音、と音が刻まれていくたびに、その《声》が強くなっていく。
箱に巻き付いた鎖が弾け飛び、その周囲に幾つもの文字が浮かび上がった。

「《聖母ノ柩(グレイヴ・オブ・マリア)》限定――――解除!!」

その、瞬間。
眩い光に包まれた箱の蓋が、開いた。

中から現れたのは、蝶をモチーフにしたリボンで目を隠した、女性。
人形…? いや、違う…。
まじまじとそれを見つめていると、その口から零れ出たのは、《唄》だった。

――《聖母ノ加護(マグダラ・カーテン)》!!」

その唄声に乗って、強いイノセンスの気配が周囲に充満していく。
思わず目を瞠るわたしの横で、ラビが口を開いた。

「これ…賛美歌…?」
「! 《聖母ノ加護(マグダラ・カーテン)》だ」

ポツリとアレンが呟く。
それに反応して、ラビが視線をアレンに移した。

「なに?」
「しー」
「へ?」

静かに、と。
目で促したアレンに従って、わたし達は口を噤む。
瞬間、わたし達を囲むようにして、何かの力が働いたのを肌で感じた。

『!!?』

不意に、クロス元帥と対峙しているティキが、周囲を見回し始める。
それは、まるで先程まであったものを捜すかのような、不自然な動きだった。

「ガキ共にはご退席してもらったぜ」

静かに告げながら、クロス元帥が一歩、前に踏み出す。

「いいだろ、別に。なぁ?」
『ギアアア!!』

にやりと、口角を持ち上げてクロス元帥が嗤った瞬間だった。
悲鳴に近い奇声を上げながら、ティキがクロス元帥に向かって飛ぶ。
――まるで、わたし達のことなど目に入っていないかのように。

「ティキにオレらが見えねェのか!?」
――《聖母ノ加護(マグダラ・カーテン)》。
 師匠の対アクマ武器の能力で、敵の脳から視覚に幻術を掛けてガードする技です」

術系統の、イノセンス?
意外だった。クロス元帥はもっとこう、攻撃的な対アクマ武器を使うと思っていたから。

「あの人形が対アクマ武器なの? 生きてるみたい」
「……。あれは人形じゃなく、人の屍ですよ」

まじまじと、リナリーがクロス元帥の傍らに在る女性の姿をした『それ』を見る。
その言葉を聞いた瞬間、若干苦い表情でアレンが口を開いた。
一言で言われた事の異常さに、わたし達は大きく目を瞠る。

「し、屍? 死体!?」
「おい、それって…禁術じゃ…」
――師匠は魔術で、寄生型イノセンスの女性の屍を『異例に』所持してるんです。
 マリアは師匠の命令だけをきく。そして――――

その言葉に促されるように、わたしは再びクロス元帥の方へ視線を戻した。
彼の手に握られているものは――大型の拳銃。それは決して、普通の拳銃などでは、無かった。

「師匠自身がもつ、装備型対アクマ銃《断罪者(ジャッジメント)》!!」

引き金が引かれる。
瞬間、その拳銃からイノセンスの膨大な《声》が響いた。
思わず、わたしは反射的に自分の耳を塞ぐ。

なんて、強い。
こんなの、わたし達のイノセンスなんかとは比べものにもならない――

「《聖母ノ柩(グレイヴ・オブ・マリア)》と《断罪者(ジャッジメント)》。
 師匠はふたつの対アクマ武器をもつエクソシストなんです」

その弾丸は――ティキを、何の障害も無く撃ち抜いた。
なんて圧倒的な力。なんだ、このイノセンスの《声》…こんな、強い…。

「…反則キャラだなー…」
「…ええ、まったくです」
「ああいう隠しキャラ的な反則キャラはだね、格ゲー界において邪道と呼ばれて…」
。何言ってるのかわかりません」

速攻でツッコミが入りました。
ああ、もう…なんて言えば伝わるんだ、これ。
ぞくぞくと、妙な寒気が体中を巡る。
耳を塞いでも聴こえる。強い、強過ぎるイノセンスの《声》。

――でも、そういう反則キャラはやっぱり、強いよ」
…?」
「…見て」

スッと、わたしは腕を上げた。
示した先では、一方的に撃ち出される弾丸に翻弄される、ティキの姿。

わたし達が手も足も出なかった、あの存在を。
クロス元帥は――イノセンスの力を持って、圧倒している。

「い…一方的…」
「オレらがどんなに攻撃しても、ビクともしなかったティキがあんな銃弾で…」
「……」

複雑そうな表情で、アレンが左腕を大剣から腕の形へと戻す。
わたしの握っていた漆黒の剣も、それと同時に霧散した。
…ああ、やっぱりわたしとアレンのイノセンスは、連動しているのか。

「ちょっとヘコむな…力の差がここまでハッキリされちまうと。ノアも、クロス元帥も」

ポツリと、ラビが呟いた。
それは独り言に近い響きで、誰も返事を返さず、ただ耳だけを傾ける。

「オレらはまだまだ、弱い」

その一言は、真理を突いていただろう。
元帥とは――一介のエクソシストと元帥との間には、これだけの力の差があったのだ。
それはまるで、大人と子供程にも差がある。
これは、多分――コムイさんですら、測り切れていない、絶対の差だ…。

「「「「「!!?」」」」」

俯くわたし達を嘲笑うかのように、周囲の床が陥没し始めた。
――マズイ。ここも、崩壊が始まった…!

「そろそろか…」
「崩壊の時刻…っ」

わたし達は、反射的に立ち上がる。
このままでは――全員、方舟と一緒に消滅する…!

「師匠ぉーーーーー!!」

リナリーを支えて立ち上がったアレンが、クロス元帥に向かって声を張り上げた。
わたしは意識をイノセンスに集中させて、黒水晶の羽根を広げた。
イチかバチか…成功する見込みは物凄く低いけど、ロードの扉を《複写(トレース)》するしかない…ッ!

「…っ…《複写開始(トレース・オン)》…!」

意識を集中させる。
足場も悪いければ、徐々に崩れていく《世界》がわたしを焦らせる。
ダメだ。集中しろ。集中するんだ…ッ!

――……え?」

不意に、紛れ込んだ異音にわたしは一切の動きを止めた。
ぞわりと、全身が総毛立つ。

「…ぅ…ッ」
!?」

酷い吐き気と眩暈に、わたしはその場に膝を着いた。
アレンとリナリーに、肩を掴まれた。だけどそれに応える余裕はない。

この気配は、なんだ。
無意識に手が震える。
気力を振り絞って顔を上げた瞬間、視界に入り込んだ影に――



――――わたしは、大きく目を瞠った。



クロス元帥が、銃口を向けた先。
そこに居る、モノ。

――これはまた」

皮肉げに、クロス元帥が苦く嗤う。
そこに、立って居るのは――

「…伯、爵…」

――一向に姿を現さなかった、千年伯爵だった。
胃の底に落ちる、冷たい何か。
体の奥から込み上げてくる、この感覚はなんだ。

以前、伯爵に遭遇したことはあったはず。
そう、アレンが教団に来る少し前のこと。
だけどその時は、こんな感覚はしなかった。

酷い吐き気。
ぐらつく視界。
――これは、なんだ。

ガタガタと、体が震える。
恐怖? いや、違う。
もっと何か――根元的なもの。

微かに息を呑む。
その瞬間、背後で轟音が響いた。

「!!」

慌てて振り返ると、ラビとチャオジーが居た場所が崩壊を始めていた。
足場を失ったふたりが、瓦礫と共に落下していく。

「ラビ! チャオジー!」
「ぉわっ」

瓦礫に呑まれていくラビが、咄嗟にチャオジーの腕を掴んだ。

「ち…ッ」

そして、上に向けて槌を構える。

「ラビ!!」

アレンがそれに向かって手を伸ばした。
そうか、《伸》で槌を伸ばして、それをアレンが掴めば…

「《伸》!!」

ぐんっ、と槌の柄が伸びる。
近づいてくるそれを、アレンが掴んだ。
――瞬間、パキンッ、と微かな音が、響く。

「「!!」」

わたし達はただ、目を瞠ることしか出来なかった。
アレンの手の中で、粉々に砕け散る、ラビの槌。

「ちぇ…ティキにやられたんがきいちまったな」

崩壊は止まらず、ラビの手から砕けた槌が欠片となって滑り落ちていく。

「限界か…くそ…」

自嘲気味に笑いながら、ラビが呟く。
瓦礫と共に――ふたりの姿は、闇の中に消えた。

「ラビ…チャオジ…」

アレンの掌から、槌の欠片が滑り落ちる。
呆然と呟く彼の横に、リナリーが力無く座り込む。

「ラビ…チャオジー…」

わたしはただ、数回、瞬きをした。
これは、なんだ。
今、何が起こった。

―――ラビと、チャオジーは?

「あ…あぁ…ッ」

その事態を認識した瞬間、わたしは心臓が凍えるような痛みを自覚する。
これは、なに。
こんなこと、あって良いわけがない。

呼吸が出来ない。
だって、だって、そんな、なんで?

ここまで来て…どうして…?

「どうして…どうして…!」

感情がついていかない。
壊れた人形のように、同じ言葉しか出てこない。

脳裏に浮かぶのは、崩壊する《世界》に呑み込まれていく神田の姿。
わたしは、また――何も、出来ずに……

「いや…もう、いや…ッ」

酷い頭痛に、わたしは顔をしかめた。
…うるさい。…うるさい。この《声》は何?

「こんなの…もう…ッ」

耳の奥に響き続ける《声》。
イノセンスの――《悲鳴》。
これが自分のものなのか、アレン達のものなのか、
それとも…ラビやチャオジーのものなのか。

そんなことはもう、どうでも良かった。
ただ、今――わたしの感情を支配するものは、痛み。



胸を引き裂くような、後悔と自責の念を孕む、痛みだ。



「もう…ッ…いやぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」




耳を塞いで、わたしは慟哭の声を――――――上げた。






お願い、神サマ。わたしの大切な《世界》を返して。



To be continued?

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