カンッ…と。
微かな音が、響いた。
音もなく降り立つその気配に、ゆっくりと振り返る。
――そこに居たのは、虚ろな硝子の瞳をした…
「ラ…ラビ…?」
冷え切った視線に、ぞわりと背筋に冷たいものがはしる。
ラビであることは間違いないのに、この胃の奥を冷やすような違和感はなんだ…?
「――アレン。悲しいお知らせが届いたよぉ」
抑揚のない声が、淡々と響いた。
「『ラビ』のココロが今、死んじゃったみたい」
冷たく告げられた言葉に、顔から血の気が引いたのがわかった。
腕の中の、身じろぎひとつしないを思わず見下ろす。
彼女の双黒は、虚ろなまま。
間に合わなかった、のだろうか――いや、そんなはずはない…ッ!
「さぁ、リナリーと人間を助けたかったら『それ』を殺さなきゃね。アレン」
「なっ…」
酷薄な微笑と共に告げられたそれに、呼応するように。
――ラビが、僕に向かって足を踏み出した。
「ラビッッ?」
呼びかけには応えず、ラビはスピードを加速させて突っ込んでくる。
咄嗟に腕の中のを抱き込み、《神ノ道化(クラウン・クラウン)》の刀身を盾のように前に突き出した。
重い一撃に耐えきれず、そのまま後方へ吹っ飛ばされる。
「ぐぁっ」
うそだ…ラビが僕に、僕達に本気で攻撃してくるなんて。
剣を地に突き立て、なんとか起き上がる。
瞬間、目の前に現れる、黒水晶の盾。
「……」
「……ッ」
――脳裏に、ティキ=ミックの言葉が浮かぶ。
「『人形』は、目の前にある『何か』に反応して、動くだけだ」
の瞳はまだ、虚ろなまま。
なら今、彼女は『ラビ』に反応して『発動』しただけだ。
「……」
「…、ダメだ…の盾じゃ、生身のラビが怪我を…ッ」
手を掴んで、無理矢理腕を降ろさせる。
は本能で動いてるだけだ。止めるのは難しい。
「ッ!」
上からの気配に気付き、咄嗟にの体を突き飛ばした。
今のは、意識が無い分普段よりも反応が早い。
すぐに受け身をとって体勢を立て直した彼女の姿に、安堵の息を吐く。
瞬間、上方からの攻撃がきた。
重い一撃が叩き込まれて、噎せた。
喉の痛みに、自分が血を吐いたことを認識する。
「く…」
顔の横すれすれを打つ、鋭く重い攻撃。
そこには一切の容赦はなく、演技である可能性は費える。
ラビに何かが取り憑いてるとしか思えない。
「…っ」
ぐっと、《神ノ道化(クラウン・クラウン)》の柄を握り直す。
――だとすれば、この剣で祓えるはずだ。
たのむっ、そうであってくれっ――
渾身の力を込めて、その刀身をラビの体に突き立てた。
一瞬だけ、ラビの動きが止まり――瞬間、前髪を掴まれ後頭部を地に叩きつけられる。
「殺さずの退魔の剣じゃ効かないよー?
ラビは『心』を失っただけで魔が憑いたわけじゃないだからね?
攻撃するならッ! 爪の左手にしなきゃ、アレン!!」
喜悦を含むロードの声が、響く。
周囲を取り囲む鋭利な蝋燭が、ミリ刻みに動き始めた。
「さあ、早く! 爪の武器に変えないと殺すよ?」
「!」
――殺す、とは。リナリーとチャオジーのことか…ッ!
「……ッ」
選べない。
選べるわけが、ない――!
「卑怯よ、ロード…っ」
リナリーの悲痛な声が、聴こえる。
彼女を守ると、と約束した。だけど、でも…ッ!
「武器を変えて、アレン! それともリナリーの悲鳴が聴きたい?」
答えるより早く、ラビの重い一撃が襲いかかってくる。
的確に『殺すこと』を目的とした、攻撃。
僕が《神ノ道化(クラウン・クラウン)》に守られていなければ、動くことも出来なかったに違いない。
…ダメだ。
こんなことはダメだ。
仲間と闘う、殺し合う、なんて…そんなこと、出来ない…!
「!」
ガッ、とラビの肩に腕を回す。
抱きつくように肩を掴んで、必死に言葉を紡いだ。
「ラビ…僕の…こえ…きこえませんか……?」
ラビからの反応はない。
欠片も動揺を示さない。
「ここで…リナリーとチャオジーを護れるのは僕らだけだって、クロウリーが言ってたでしょう…」
必死に、必死に言葉を探して。
上手く伝えられないそれを歯痒く思いながら。
「戦えよッッ」
強く響く、ロードの声。
まるで絶対の命令権を持つ支配者のような、強い声。
「神田は、戦う…かな」
ダメだ。こんな言葉じゃダメだ。
伝わらない。魂に響かない。
静かに、微動だにしないままだったラビが、動いた。
鋭い拳が繰り出され、グシャッ…と、嫌な音が響く。
「……リナリーが……っ」
胸ぐらを掴まれ、持ち上げられて。
気管に入り込んだ血が、呼吸を奪う。
「仲間を…僕らを世界より大事に想ってくれるリナリーが…泣いてしまいますよ…っ」
まともな呼吸が出来ない。
それでも必死に、言葉を発する。
何か、何でも良いから、彼の魂に響く言葉が、あれば――ッ!
「リナリ…を、泣かせたら…に、嫌われる、でしょう…ッ!?」
『――オレは、ナカマじゃナい…』
抑揚もない声音で告げられた言葉に、頭の中が真っ白になった。
「やめてぇぇえぇぇッ!!!!」
リナリーの泣き声が、響く。
彼女の悲鳴と、ラビの一言が、頭の中をぐるぐると回り始める。
――どうして、と。
そんな言葉しか、もう…出て、来ない。
+++
「……ッ」
耳の奥に聞こえた外の《世界》の音に、顔をしかめた。
痛みを感じるほどの、《声》。軋むようなイノセンスの《音》。
『――聴こえてるんだろ、「」』
…いけしゃあしゃあと、よく言う。
『「リナリー」の悲鳴が』
聴こえてるか、だって?
『「アレン」の絶望の声が』
――聴かせてるんでしょう。わたしが、絶望するように。
『――「ラビ」が「アレン」を破壊する、音が?』
「…る、さい…」
『諦めろよ。そんな「死体」を後生大事に抱き締めてないで、「オレ」に堕ちろ、「」』
冷たく囁かれる言葉が、胃に冷たいものを落とす。
腕に力を込める。ここは精神の世界だ、抱き締めた体が冷たく感じるのは錯覚だ。
『…この《世界》で、真綿の呪縛に縛られて――《現実》から消えろ、「=」』
「……消えないよ」
ラビの体を抱き締めながら、わたしは口を開いた。
自分でも驚くほどに、静かな口調で。
「わたしは絶望しない」
『この《世界》で負った傷には、おまえの治癒の力は作用しない』
「知ってるわ。何回も試してるもの」
『なら、なんで足掻く?』
「絶望していないからよ」
――今、この《世界》はわたしの知らない世界。
不安はある。余裕なんてない。だけど。
「わたしは、みんなを信じてる。
自分自身を信じてる。――この程度の痛みが何だ。こんなことで絶望して堪るか!」
色んなものを、ここまで乗り越えてきた。
アレンと、みんなと、一緒に――ここまで来たんだ。
こんなところで諦めて堪るか。
絶望なんてするものか。
――共に生きると、決めた。
それは、この世界においては『共に闘うこと』。
何も武器を持って闘うだけが、それとは限らない。
「――あんたこそ聴こえないの、『ラビ』?
ラビの心臓は動いてる。この鼓動が、聴こえない?」
わたしがどんなに無力なのかなんて、充分わかってる。
だからせめて、心だけは。誰よりも、強く。
「そう簡単にくたばるほど、わたしも、わたしの『仲間』も弱くないわ」
+++
「今のその子に何言ったってムダだよ、アレン。だって仲間じゃないもん。
ブックマンはただの傍観者。記録の為にあんた達の中に入り込んだだけ。それがその子の本心なんだよッッ」
嗤いながら言われたロードの言葉なんて、まともに頭に入ってこない。
ラビの口から告げられた言葉が、頭の中をぐるぐると巡る。
『お前らを仲間だと思ったことは一度もない』
――もし。もしも、仮にそれが本心だったとしても。
それでも、彼女を…を想うその心は、本物だったはずだ…ッ
『「オレ」は、ブックマン次期後継者。それ以外何者でもない』
「ラビ…ッ」
槌を構えたラビの表情は、完璧なまでの無表情だった。
その視線の冷たさに、ギリッ…と歯を食いしばる。
どうすれば――どうすれば、良い?
どうすればラビを正気に戻せる…!?
『劫火灰燼――《火判》ッッ』
容赦なく繰り出された炎に、焼かれる気は毛頭ない。
防ぎ切れば、活路を見出せるはずだ。
どんな状況でも、絶望して堪るか…ッ!
「《神ノ道化(クラウン・クラウン)》…ッ」
力を込めて、《神ノ道化(クラウン・クラウン)》を構える。
迫り来る炎に向かって、それを振り下ろした。
「はぁあぁあぁっっ!」
イノセンスによる炎は、浄化の炎。
凶つ力ではない。《神ノ道化(クラウン・クラウン)》で断てる力じゃない。
それでも、防ぐことさえ出来れば――!
「!!」
ふたつに割かれたっ…!
炎の竜は切り裂いたところから分裂し、二重の脅威となって吹き荒れる。
「ぐっ」
退魔能力の、剣の《神ノ道化(クラウン・クラウン)》じゃ、イノセンスの力に対しては無力だ。
ラビの攻撃を受けるには、爪の《神ノ道化(クラウン・クラウン)》にしないと…
「ッ」
背後に現れたラビを振り返り、その考えを即座に否定した。
ダメだ…爪の《神ノ道化(クラウン・クラウン)》は、ラビ自身も傷つけてしまう!!
「ッそんなことできない! ラビ!!」
『……』
応える声はなく、返されたのは冷えた視線。
槌を構え、それを容赦なく振り下ろす。
『――《天判》』
「うああぁあああああぁあッ!!」
直に食らった電撃に、体が耐えきれずにその場に転がった。
意識は――まだある。《神ノ道化(クラウン・クラウン)》の発動も解けていない。
「……っ、ラビッ! ラビ、お願いもうやめて!!
目を覚ましてっ」
リナリーの悲痛な声が、響く。
ああ、立ち上がらなければ。
そう思うのに、上手く体が動かせない。
「ムダだっていってるでしょ、リナリー。『ラビ』の心は死んだんだって」
その声が合図にでもなっていたかのように、ラビが静かに近づいて来た。
手に握る槌が、イノセンス発動の光を帯びて僕に向けられる。
『――劫火…灰燼…』
「…ラ、ビ…」
ぐっと、右手に握る《神ノ道化(クラウン・クラウン)》の柄を握り直した。
チャンスは一度。
持ち上げた《神ノ道化(クラウン・クラウン)》を、ラビの体に突き刺す。
「!」
イチかバチか…!
ラビはロードの能力でこんな状態になったなら…
「ロード!! お前を止めれば…っっ」
渾身の力を込めて、ラビの体を死角に、ロードに向けて《神ノ道化(クラウン・クラウン)》を投げつける。
狙いは外れることなく、ロードの体に刃が沈んだ。
「うっ」
『ロートたまッ!!!』
人形のように転がったロードに、レロが悲鳴を上げる。
これで、きっとラビも元に…、
「くっ…くくくくく…残念でしたぁ~~~」
「!」
ガッ、と無造作に柄を握り、ロードが起き上がった。
余裕の笑みを崩さないままに。
「巻き戻しの街で僕に攻撃が効かないの忘れちゃったのぉ?
たとえ『退魔』の剣でも貫く『もの』が違う!」
ずるり、と《神ノ道化(クラウン・クラウン)》が引き抜かれる。
ロードの体には傷ひとつない。
「僕はね、僕であって僕じゃないんだよ。
僕の『正体』を知らない奴に僕は殺せない!!」
「そ、そんな…」
「どうして僕の言うこときかないのさ、アレン」
哀れむような声音で、ロードは言葉を紡ぐ。
『《火…》』
「……っ」
眼前に迫るラビの槌。
顔から血の気が引く。剣を握り締めた指先が冷たい。
「いくらアレンでも、人の心はどうしようも出来ないよ」
僕を見下ろすラビの視線の冷たさに、ぞっとした。
ロードの発する残酷な言葉が、耳に突き刺さる。
「あきらめなよ!!」
ダンッ、とロードが《神ノ道化(クラウン・クラウン)》を地に突き立てた。
瞬間、炎の竜――《火判》が、目の前を包み込む。
「アレンくんッッ! アレンくんッ!」
炎の向こうで、リナリーの声が聞こえる。
仲間を誰よりも想う彼女が、この光景に正気を保てるのか、酷く心配だった。
「ラビ、やめてッ! 炎を止めてーーーーーーーーッッ」
リナリーの悲鳴にも、ラビはまったく反応しないのか。
周囲を取り囲む炎は徐々に勢いを増し、目の前がゆらりと揺らぐ。
――だけど、何かが、おかしい。
「!?」
火判に飲まれたのに、熱くない。
これは、この炎は僕を燃やしてない…っ
「!!!」
まさか…。
ハッと、顔を上げる。
槌を握り締めたラビを見上げると、彼自身も戸惑ったような表情をしていた。
『!!! ナ…ンダ…? 体ガ…ッ』
戸惑ったように目を瞠ったラビが、ぎこちない動きで槌を握り直した。
『!? 体ガ…カッテニ、動…ク。コレ…ハ!?』
ぐぐぐ…、と槌が動く。
向きを変えた槌を握り締め、ラビはハッと何かに気づいたように息を呑んだ。
『!! 「ラビ」、マサカ…ッ』
+++
「そのまさかだ、コンニャロ…暴走しやがって、このタコ…あ~、最悪…」
ザバッ…と水音を立てて、ラビが身を起こした。
水気を吸った髪の先から、水が滴り落ちる。
「ラビ…ッ」
「…悪ィ、…怖い思い、させたな」
そう言って微笑うと、ラビは腕を伸ばして、わたしの頭を撫でた。
普段は腹立たしい、その子供をあやすような仕草に――今は、心底安堵する。
『お前…正気か…!?』
「正気…? おまえが言うのかよ」
苦く嗤い、ラビはズッ…と何かを自分の体から引き出した。
――赤く、不吉な色に染まった、一振りのナイフを。
「へへ…危ねェ危ねェ。ココロの死ってのは、正気を失うってことだろ?」
引き抜かれたナイフから、鮮血が散った。
『ラビ』の顔から血の気が引いていったのが、見て取れる。
わたしだって同じだ。目の前が真っ赤で、目の奥が痛い。
…ああ、もう。
この、バカ兎…。
なんて、無茶を――ッ!
「あの瞬間…こうでもせんと、正気を保ってらんなかったんでね」
口の端から血を滴らせながら、ラビはそれでも笑う。
――外の《世界》から、轟音が響いてきた。
+++
ドンッ、と。
渾身の力を込めて、ラビは槌を地に叩き付けた。
彼の足元に浮かび上がる、『火』の一音。
「オレの未熟さのせいさ…この落とし前はキッチリつけさせてもらう」
浮かび上がった文字が、輝きを増した。
「火加減無しだ!! ――《火判》!!!」
炎の竜が、ラビ自身を包み込んだ。
それはまるで、浄化の炎であるかのうような清廉さと暴悪さを持って荒れ狂う。
「ラビーーーーーーーーーーーー!!」
アレンの、リナリーの悲鳴が響き渡る。
それでも火判の炎は留まることを知らず、その一柱がロードの体を呑み込んだ。
『キャー! ロートたまが飲まれたレロー!!』
「レロ、ティッキーの体焼けないようにしててーっ」
炎の中を流されながら、ロードはレロに向かってそう告げる。
内心では、予想外の行動に出たラビに、呆れて良いのか感心して良いのかわからない、複雑な心境だ。
なんて奴、ブックマンのくせに自分焼いちゃうなんて――と。
それでもまだ、彼女には余裕があった。
貫かれようが燃やされようが、彼女を傷つけることは、誰にも叶わない。
「でも、僕にこんな攻撃は…」
言い掛けた言葉が、衝撃に掻き消される。
自分の胸を見下ろし、ロードは驚愕に目を瞠った。
「お前の世界…夢の中からの攻撃なら、どうさ……?」
響いてきた声は、ロードの内に囚われた――《ココロ》。
「あなどれない子ぉ~~~…夢の中の僕を…」
胸から生えてきたナイフに、口の端から血を零しながら、ロードは嗤った。
+++
『よく、僕がこれに化けてるってわかったね…』
ナイフを突き立てた『アレン』から、返って来た言葉はロードのものだった。
自分の予想が当たったことに安堵し、微かな笑みを浮かべる。
「お前は…アレンが好きみたいだからな…」
『ふふ…』
否定も肯定もせず、ロードは嗤う。
感情のわかりにくい奴だ。だが、これでこの《世界》を壊すことは、出来る。
『死ぬ気なの? ブックマン継げないよ…』
「ここまで追い込んだのは誰さ…ッ」
――これが「オレ」の、今出来るベストの選択だったんだよ。
「悪いな。さよならだ…」
呟いた言葉に、反応を返した奴がいた。
水の中に座り込んで、真っ直ぐにオレを見下ろす、ひとりの女。
「…ラビ…諦める、の…?」
「………」
違う。
諦めるわけじゃないんだ。
ただ、これしか方法が浮かばなかった。それだけで。
「…ごめんな、。でもおまえは、ちゃんとアレンのトコに戻れよ?」
「……ラビが一緒じゃなきゃ、意味がないよ」
「…」
…
……
………狡い女。
普段はこんなに可愛げなんかないくせに、こういう時ばかり、しおらしいことを言う。
…ああ、ちくしょう。気づいてしまった。
オレは。オレは、ただ。こいつが。――、が。
「じゃあ――一緒に、『消えて』くれる?」
「……バカじゃないの。こういうときはね、「一緒に生きよう」って言うのよ」
「ははっ…キビシーなぁ、は…」
渾身込めた命懸けの告白だってのに、色気の無い答え。
ああ、でも、頷かれなかったことに安堵した。拒絶されなかったことが嬉しかった。
バシャリと、水を掻く音が耳に響く。
視線を上げれば、そこには複雑な表情で立つ『オレ』が居た。
『なんでさ、「ラビ」…49番目の「オレ」…』
力の無いその声に、はどんな顔をしているんだろう。
――ああ、きっと、にはわかっていたのだ。
これは幻でもなんでもなく、オレ自身が抱えた闇のカタチだと。
『お前は「オレ」のはずなのに…
「ラビ」になる前の…48番目までの「オレ」と、どうして同じじゃないんだ』
「……」
『どうして48番目までの「オレ」と違ってく…』
呟いた『オレ』の姿が、幼い姿へ変わっていく。
――ああ、そうか。
これが、『オレ』の始まりだったのか…。
『どうして49番目の「オレ」はこんなに苦しいんだ。どうして…』
幼い声が、響く。
血を吐くような痛みを孕み。
オレは、オレの手を握る細い手を、握り返した。
『ブックマンになるのが嫌になったのか、「ラビ」!?』
この悲鳴を、聞きながら。
色々なものを、思い出す。
――気づかないふりを、きっと続けてきた。自らの中の闇に、気づかない振りを…ずっと。
『仮初めの仲間の為に戦うことを選ぶの?
人間なんて戦ばかり起こす低能な種族だ。そうでしょ。
そう割りきってないとしんどいじゃないか!
「オレ」にはブックマン一族の責任があるんだ!!』
「――割り切って、なんか…」
微かに、自分の体が揺らいでいくのを、感じた。
…ああ、この《世界》での自分の終わりが、近づいているのがわかる。
「『オレ』は…人間に失望してた。
いつまでも争い続ける人の世界…自分は違うと思っていたかった」
誰にも言えなかった、言葉。
気づかない振りを続けてきた。そうしなければ心が壊れそうだった。
だけど…。
「なぁ…お前にはわかるか…?」
だけどオレは、その『疑問』に気づいてしまった。
「ブックマンは、何の為に在るんだろう…
どうして人の世界から、戦争は消えないんだろう…」
己の在り方。
『ブックマン』とは何か?
答えの出ないその疑問を、本当は何年も抱えてきた。
『…なんで「オレ」に聞くんさ。そんなのわかんねぇよ』
「『オレ』はお前なんだろ。
48番目までのお前も、49番目の『ラビ』も一人の『オレ』だ」
…だからこれは、幻でもなんでもない。
「問うているのはお前だよ」
これはただ、何年もオレが抱き続けた――オレ自身の《闇》だ。
「変わり始めてるのはお前だったんだ。ここから出るべきは…」
その答えを知りたがっていたのは…
「――ねぇ、『ラビ』。聴こえる…?」
の静かな声が、聴こえる。
『オレ』が出られるまで、一緒に居てくれるつもりなんだろうか…。
「…リナリーの泣き声が…アレンの、声が…」
静かな、静かな、優しい声が。
まるで、子守唄のように、耳朶に馴染む。
「…あんたを呼ぶ声が、聴こえる…?」
『………』
――外の《世界》で、オレを呼ぶ声が聞こえた。
+++
よろりと、わたしは立ち上がった。
ラビの姿は無い。彼は戻っていった。
残されたのは、彼の闇と、わたし、だけ。
遠く――外の世界で、声が聞こえる。
ラビ、と。
繰り返し名前を呼び続ける、アレンとリナリーの声。
わたしのことも呼んでくれないかな。そしたらもっと頑張れそうなのに。
そんなことを考えて、あまりの馬鹿らしさに笑った。
『!』
「…ね。聴こえたでしょ…?」
『……「オレ」は、「ラビ」じゃない、よ』
「『ラビ』だよ」
腕を、伸ばした。
小さな幼い子供の、体。
こんなに小さい頃から、いや、もっと幼い頃から――彼は、深い闇を抱えて生きてきたのか。
「何度名前が変わっても、本質は同じ。
あんたは『ラビ』だよ。わたしの――」
抱き締めた小さな体が、微かに身じろぐ。
居心地悪いのかな。失礼な奴。でも…
「――わたしの、大事な人だよ」
告げた瞬間、腕の中の『ラビ』が泣きそうになった。
それを見られるのが嫌だったのか、彼は視線を落として――、
――水面に漂う、インクの落ちたトランプに、視線を留めた。
『…「お前」も、「オレ」だったな』
泣きそうな顔でそう呟いて、『ラビ』の姿が水面に消えた。
――これで、もう大丈夫。あとは…ごめん、アレン。なんとかして。わたしはもう限界です。
「出られちゃったかあ」
ポツリと呟かれた言葉は、特別何の感情も含んでいない。
ただ、強いて言うなら――天気予報が外れてがっかりした、みたいな響き。
「――わたし達の勝ち、だね。ロード」
「うん、約束だからね。…この勝負、キミ達の勝ちだよ」
――その言葉を最後に、わたしの意識は落ちた。
+++
――近くで、何か大きなものが落ちてくる音が、聞こえた。
「ロードの結界が…」
「…か、勝ったんスね、ラビさん…」
「でも…ふたりは…」
物音に遅れて聴こえてきた声。
それがリナリーとチャオジーの声だと認識した瞬間、わたしの意識は現実に引き戻された。
「ラビ…アレンくん!」
悲痛なリナリーの声に、必死に目蓋を持ち上げようとわたしは足掻く。
リナリーが泣いてる。あの子は誰かに頼るのが苦手だから、わたしが傍に行ってあげなくちゃ…。
「リ、リナリーさん!」
「え? …!?」
駆け寄ってくる気配と足音を感じて、ますますわたしは目蓋に力を込めた。
ほら、早く。何してるのわたしの目蓋は。なんだか目が痛いけど、早く目を開けて――、
「! !?」
「…あ~…痛ェ…」
「!」
全身の痛みに耐えながら、わたしはゆっくりと身を起こした。
軽く頭を振って目を開けると、心配そうにわたしを覗き込むリナリーとチャオジーの顔がある。
「…あ、おはよう、リナリー…」
「おはようじゃないわよ!!」
「痛ッ!?」
パンッ、と思いっきり頬を張り飛ばされた。
ヒリヒリと響く痛みに、思わず目を白黒させる。
「リ、リナリーさん…痛いよぅ…」
「痛くしたのよ! 当たり前じゃない!!」
怒鳴り返された。
目を瞠るわたしに、リナリーが泣きながら抱きついてくる。
「心配、したんだよ…ッ」
「…うん。…ありがとう、リナリー」
前にもこんなことがあったなぁ、と。
朧気に思って、苦笑した。あの時は、わたしがリナリーをひっぱたいたんだっけ。
「…もう、こんな思いをさせないで。…」
「うん。約束するよ、リナリー」
短くなってしまったリナリーの髪を撫でながら、わたしは安心させるように微笑う。
いっぱい、いっぱい、無理をして頑張ったんだろう。
リナリーは誰かに頼ることを良しとしないから、きっと、気丈に顔を上げながら。
「…まだ、アレンくんとラビが…」
「――大丈夫」
顔を上げたリナリーに、わたしは強く頷いて見せた。
「ふたりのイノセンスは、死んでない」
リナリーの肩を借りて、わたしは立ち上がる。
凍りついた《火判》の炎が、パキパキと渇いた異音を立てた。
その音に混じって聴こえるのは、アレンとラビのイノセンスの《声》。
――そして。
一際高い異音を立てながら、炎だったものの一部が崩れ落ちた。
そこから激しく咳き込みながら現れたのは――アレンと、ラビだ。
「!!」
立ちすくみ、目に涙をいっぱいに溜めたリナリーの手を取って、わたしは駆け出した。
+++
「ぶはっ」
「ゲホゲホッ、ゲホ、お゛ぇっ!!」
「「ぐあぁぁぁ~~~ッ、息吸う゛の痛え゛~~っ」」
音になりきれていない悲鳴を上げながら、ふたりは割れた石畳の上に転がった。
しばらく喉の痛みにのた打ち回りながら、やがて力尽きて同時に大人しくなる。
「…は、はは…生きてら…」
「なんか文句あるんですかッ!!」
「ムチャすんなあ、アレンは。あはは、ダミ声」
「そっちもでしょ! そのセリフ、のし付けて返してやるバカラビッ」
「バカラ…」
咄嗟に吐き出された幼稚な暴言に、ラビは一瞬絶句する。
まさか、普段馬鹿みたいに繰り返されるアレンとの幼稚な言い合いにも似たそれを、
自分に向けてくるとは思ってもいなかったのだろうか。苦笑しつつ、ラビは小さく息を吐く。
「ゲホッ…はは…よくわかんねーよ…気付いたら火ィつけてた…」
静かな声で、ラビが呟くように告げた。
その言葉はまるで、自分自身に言っているようにも、聴こえる。
「じじーにゃおこられるだろうけど、今はすこし、気分がいい…」
「……」
憑き物が落ちたかのように、そう言って笑うラビの表情は晴れやかで。
それを横目で眺めながらアレンは、自分がラビのことを何も知らないんだな、と思う。
…ああ、でも、最初からわかっていたことが――ひとつだけ、あった。
「…なぁ、アレン」
「はい?」
「――オレ、やっぱが好きだ」
「……」
初めて、彼が自ら告げたその一言に。
アレンは小さく息を吐いて、言い返した。
「――知ってますよ、そんなこと」
出会った当初から、多分、ずっと。
『どこか』ではない、『ここ』で奏でられる詩。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。