――誰かの声が聞こえたような気がして、ゆっくりと振り返った。
もちろん、振り返ったところで、背後に誰かがいるわけがない。
だってここは、船の上だ。
「………」
「どうした、ラビ」
だけど、とても大切な声だったような気がしたのだ。
そう、大切な、誰かの声――、
「ラビ。ラビ!」
誰だろう。
記憶に霞が掛かったように曖昧になっていて、よく、思い出せない――。
「…『ディック』」
「あ?」
呼ばれて振り返ると、瞬間、思いっきり殴られた。
「いってぇ~っ!! 何すんさ、じじぃ!
「だまれ、アホ。何をボケーッとしとるか!」
そう怒鳴りつけると、ぐいっと胸ぐらを掴まれた。
そして、そのまま詰め寄られた。
「お前は今『ラビ』だろうが!!」
「わっ、やめてアップきつい! あ、前の記録地の名前で振り返っちゃった?」
「馬鹿モンが!!」
頭ごなしに叱りつけられ、思わず肩を竦める。
…やれ、この師は本当に短気だ。
「ったく…集中しろ! 次の記録地は今までみたいに甘くないぞ」
…
……
………次の、記録地?
いや、言葉の意味はわかる。
わかるが…記憶に、無い。
「……次の記録地って……?」
「ヴァチカン直属対アクマ軍事機関、黒の教団だ」
――言われた言葉に、妙な違和感を覚えた。
「我らはそこで、これからエクソシストとなって、
歴史の闇に隠蔽されるであろう人と悪魔の大戦を記録する」
「………」
――耳鳴りが、した。
ここは…どこだ?
ちがう。オレはアレン達とノアの方舟にいて。
夢世界を持つロードに、精神だけ連れてこられたと…ここは現実世界じゃない!
ここは…これは、ロードが見せている夢だ!!
「どうした、『ラビ』?
忙しい奴だ、黙って座ってられんのか」
――おいおい、何の冗談だよ、これ…!
一寸違わず、記憶通りのじじいだ。
小言のタイミングも何もかも、違和感ひとつない。
「オレの記憶を読みやがったな…よく、出来てら…ッ」
ジッと、目の前に立つ「それ」を睨め付ける。
よく出来ている。出来てはいるが――所詮、幻だ!
「惑わされねぇぞ…オレは戻る…ッ」
言い放った、瞬間だった。
『――「戻る」? どこへ?』
その声は、腹立たしいほど冷静で。
視線を巡らせれば、いつからそこに居たのか――「オレ」が、酷薄な微笑を浮かべて座っていた。
『「ラビ」が記録している、登場人物達のところへか?』
「…出やがったな」
『「ラビ」。お前がどこへ行けるって言うんさ?』
嘲るような笑みと共に言われた言葉に、苛立ちを覚えた。
何が哀しくて、自分自身に嘲られなければいけないのか。
『ブックマンの跡継ぎとして――、
どこにも心を移さず生きてきたお前に、戻る場所なんてあるわけないだろ?』
――五月蠅い。
そんなこと、わかってるんさ。
『お前の「場所」、お前の心はこの世界のどこにも無い』
――やめろ。自分のことは、自分がよくわかってる。
今更、そんなことを――改めて言われなくてもわかってる…!
『何者にも心を許さず、ただ傍観してきた者達の――それが相応しい罰だよ』
「…へっ。そんなこと、わかってら」
『どうだか』
「お前は人と悪魔の内で心を毒されておる」
嘲るように嗤う『オレ』と、淡々と語るじじいが不快だった。
――まるで、オレが『ニセモノ』であるかのような、奇妙な違和感。
「昔のお前の隻眼は、そんな弱い光を灯してはいなかった」
その言葉を、聴きながら。
船の横を流れていく黒い箱が、視界の端に映った。
――その棺に横たわる少女の姿は、何の悪夢だ。
「!!! リナ…!?」
まるでそれは、『死体』だった。
静かに瞳を閉じ、微動だにしない、よく見知った少女の姿。
躊躇いはなかった。
水に飛び込み、棺の中から少女を抱き起こす。
「リナリ…っ」
『――どうした、「ラビ」?』
冷淡な声に、反射的に振り返った。
視界に広がった異様な光景に、思わず息を飲む。
一面にあった水が無くなり、
――数多の棺が、水の代わりに現れていたのだから――。
『そんなの、ただの歴史の一部に過ぎないだろ?』
「…………」
――重い瞼を、半ば無理矢理持ち上げる。
だいぶ無茶をした自覚は、あった。
正直、しんどい。精神だけのはずのこの《世界》で、この疲労感は何だ。
「…これが『代償』なら、ロードの能力なんか今後絶対使わない…」
軽く頭を振って、わたしは立ち上がった。
使いたくはないが、あと一回――ラビのところへ道を繋げなければならない。
「――《複写開始(トレース・オン)》…」
具現化する扉に、わたしは手を伸ばす。
もう、いくつも失敗作を重ねてきた。
時間もなければ、余裕もない――今度こそ、一度で機能して…!
「《複写終了(トレース・アウト)》――さあ、道を、開けなさい…!!」
強い意志を持って、わたしは目の前に現れた《複製品(レプリカ)》を押し開けた。
――その先から、誰かの話し声が、聞こえる。
+++
――これは、《幻》だ…。
目の前の光景は、あまりにも凄惨だった。
まるでゾンビの集団のような、しかしよく見知った顔が並んでいる。
中には、既に死んだ人間まで――なんて光景だろうか。人の古傷を抉りやがって。
「そうだ、幻だ。
我らが記す歴史の形――『人間』という名の紙上のインク」
耳に届く声は、まるで呪文のようにオレを呼ぶ声。
――幻覚。幻聴だ。だから無視しろ。これは現実ではない。
「インクは書き手に語りかけはせん。
お前はインクを引く度に、いちいち心を痛めるのか?」
「ち…幻でも五月蠅ェな、じじい」
「はは…わしはお前の記憶から成り立っとるからな。
だが、五月蠅いと感じるのはお前がこの者共をインクと思っとらんからだ」
――心音が、五月蠅い。
「我ら一族の『役目』とは何か? 『ラビ』」
「やめろよ」
微動だにしないリナリーの体を抱え、苦く告げる。
――わかってる。わかってるから。
『ブックマン』となることの意味も。その為の在り方も。
わかってるから――だから、言うな…!
「何を捨ててでも、そのひとつの為に…
世界の柩の外で生き続けるが、我らブックマンであろうが」
無情に言い放たれた言葉に、歯を食いしばる。
耳を塞ぐことは許されない、それが『事実』。
わかってる。
わかってる。
この身に流れる『ブックマン』の血が、告げる。
この『運命』を許容したのはオレ自身さ。わかってる。
…わかってるんだ、そんなことは!!
『ラ…ラビ』
「!」
腕の中のリナリーが、微かに身じろぎした。
ハッと、彼女に視線を落とす。
『わ、わた…しは、まだ…』
リナリーの手に握られているものに、顔から血の気が引いた。
――オレに向けられている、『それ』は。
『せかいのなかにイる…?』
「!!!」
――抜き身のナイフが、何の躊躇いもなく振り下ろされた。
寸ででそれをかわすが、額に巻いたバンダナが千切れて落ちた。
「……っ」
『ラビ…』
ゆらりと、『リナリー』が立ち上がった。
鋭利な光を――ナイフを、握り締めて。
『ラビィ…どうしてぇ…?』
涙を流しながら、呟く彼女に呼応するように、『それら』は這い寄ってきた。
胃の奥に、冷たいものが落ちる。
『わたしたちを捨てるの…? 仲間じゃないっていうの…?』
幻だ。
これは『ニセモノ』の『リナリー』。
わかってる。
わかってはいるが――その姿で、声で、告げられた言葉が、胸を抉る。
『わたしたちは紙の上のインクなんかじゃないッ!!!』
鋭い叫びと同時に、『それら』が一斉に飛びかかってくる。
なんて、数。
それも、声も姿も寸分違わず、今まで出逢ってきた皆の姿――!!
「――《天蓋黒盾》!!」
「ッ!?」
身構えたオレの前に、凛とした声と同時に巨大な盾が現れた。
それは黒い水晶で出来た、盾。
そして、それを支えているのは――ひとりの少女だ。
「…はっ…悪趣味、な…ッ」
彼女は激しく息をつき、吐き捨てるように言い放った。
華奢な肩口を滑る、ぬばたまの黒。
その背に在るのは、確かな存在感を持つ――漆黒の、翼。
「…!?」
「言っておくけど、わたしは本物だからッ」
速攻で返された言葉は、ああ、間違いなく彼女だ。
だが、どうして、がこんなところに――?
「お、まえ…なんで…?」
「――今、わたしの《ココロ》はロードの《内》にある」
「!」
「無理矢理《道》を繋げて来たの。…ごめん。多分わたし、あんまり保たないと思う」
額に脂汗を浮かべながら、それでも彼女の表情は――笑み。
その強い眼差しを、受け止めて思う。
――ああ。こんな女、他には居ない。絶対に。
「一緒に、ここから出よう。ラビ!」
「……」
片手で盾を支えながら、はもう片方の手を差し伸べてくる。
思い出すのは、「一緒に落ちてやる」と告げた、あの時の彼女の姿。
「――ッ!」
「ッ!!」
見知った姿をした『それら』が、一斉に襲いかかってきた。
さすがに、も痛みに耐えるような表情を浮かべた。
それでも、彼女の張る盾は何者をも通さない。
――幻だ! これは…幻だ!!
棺の上に落ちたナイフを、掴む。
今のオレにはイノセンスがない。
だが、ここで殺されてやるわけには、いかない。
彼女を――を、護らなければ。
「生き抜く術は叩き込んである。――薙ぎ払え、『ラビ』」
じじいの姿を模した幻影の声が、酷い痛みをもたらす。
いや、そんなことは言っていられない。
顔色の悪いの肩を掴んで、後ろに下がらせる。
立っているのもやっとのこの状態で、しかも精神だけのこの《世界》で、よくイノセンスを持ち込んだもんさ。
…ホント、頭が下がるよ。おまえには。
「…ッ、ここから離れろ! おまえじゃ無理さ!!」
「なっ、ラビ!?」
「――オレが、行く…ッ」
は強い。
きっと、オレなんかよりもずっと。
だけど同時に、誰よりも脆いということも、オレは知ってる。
ニセモノだとわかっていても、彼女に『仲間』を手に掛けさせるわけには、いかない。
オレが『それ』を、許すわけにはいかないんさ。
傷を隠して微笑うようなことを、に背負わせるわけには、いかねェんさ!!
「ラビ! ラビッ!?」
――ここでは視覚は惑わされるだけだ。
目を棄てて、冷静さを保て!!
『ぎゃああッ』
『何をっ』
『何をするんだ、ラビィィ!!』
くそ…っ、耳も…
聴くな、無視しろ!!
『どうしてだラビィィ!!』
無視してこの場から離れろ!!
的確に『武器』を振るいながら、『それら』を薙ぎ払って行く。
すべてを閉ざし、拒絶し、聴かないように視ないように――!
「――あなた方が、『ブックマン』の血筋の方ですね」
ズキリと、頭が痛みを訴えた。
脳裏に響く声は、聞き覚えのある言葉。
「ようこそ、黒の教団へ。科学班室長のコムイ=リーです」
――ッ、過去の、記憶が…っ
.
.
.
――棺…葬儀中か。ざっと見、百はイッってっかな
案内された廊下を渡りながら、下を見下ろす。
よくこれだけの棺が収容出来るものだと、要らないこと考えていた。
…いや、それ以上に。
よくもまぁ、これほどの死者が出たものだ――と、呆れにも似た感情が沸き上がってきた。
生きてる方もケガ人だらけ。消毒液の匂いがプンプンすら。こりゃー…
「…『負け戦』だねぇ」
いっそ無感動に呟くと、ますます周囲の景色がくだらないものに思えてくる。
「さ、もう体に障るわ。戻りましょう、リナリー」
棺の前で泣きじゃくっていた少女が、顔を上げた。
「……」
その顔立ちを見て、思わず目を瞠る。
――こんなに幼い少女が、戦場に立つのか…と。
『ラビ』は49番目の偽名。
偽名の数だけ、戦いは観て来た。
『裏歴史』とは、語り継がれる人の歴史から除外された史実。
『誰も知らない事実を知れる』
それだけで、オレは『ブックマン』になることを受け入れた。
――だが。
「どこへ行っても戦・戦・戦。
人間がバカだってことはよく分かったさ」
「ラビ」
ため息混じりに、師は低く名を呼んでくる。
ここで過ごす間だけ、名乗る49番目の名前を。
「波風立てんようにな」
「へいへい。当分の寝屋だしね。…しかし汚ねーな、ココ」
「司令室だ」
司令室ね。
…なんでこんな汚いのか、その説明にはなってない気がするんだけど。
「いつもみたいにヘラッとして、仲良くなるさー」
『ニセモノ』の笑顔を浮かべて、オレはそう告げた。
そう、その場に馴染むことは慣れている。
いつものように笑顔を浮かべて、適当に周囲に合わせていれば良いだけだ――。
.
.
.
「やめろ…っ」
頭の中を、ぐちゃぐちゃに掻き回されたような気分だった。
それは、オレが――『ラビ』として、教団に所属した一日目の記憶。
――『ヒト』に絶望にも似た、冷めた感情を抱いていた頃の。
「…これ、は…ラビの、記憶…?」
「!! 、おまえ…視えて…ッ!?」
困惑したような声に視線を向ければ、少し離れた場所にいるが、頭を抱えて蹲っていた。
…顔色が悪い。だが、怪我をしてるようには見えない。いったい、何が――?
「…ッ!」
また、だ。
また、記憶が滑り込んで来る――。
.
.
.
「体のサイズ? 別にんなの適当でいいけど」
教団に所属して、数日。
食堂で飯を食っていたオレのところへ、科学班の面々が押し掛けてきた。
メジャーやメモ帳を片手に。
「ちゃんと体に合った団服の方が防御率が上がるんだよっ。バンダナも作ろっか?」
「それにやっぱ動きやすいしさ。アクマとの戦闘でもきっと役に立つから」
「行儀悪いぞ、ジョニー!」
テーブルの上に身を乗り出すジョニーに、リーバーが顔をしかめた。
だけど、彼らはそんなリーバーの言葉など右から左だ。
「ラビは神田みたいなロングコートは似合わねーよなー」
「ブックマンもね! あははっ」
「いいからテーブルに座るなジョニー!」
楽しそうに、ああでもないこうでもないと、団服のデザインを話し合う。
その話の対象が自分だという事実に、何か妙に違和感を感じて苦笑した、
「…目、キラキラしてない?」
「あははっ。みんな仲間になったラビを守りたいんだよ。測ろ?」
「……」
仲間、と。
笑顔で告げるリナリーの言葉に、視線を落とした。
悪魔との大戦。
今まで観た中で一番大きな戦。
兵士になって記録に入ったのは初めてだった。
「んじゃー、カッチョイーバンダナ作って」
「いいよ!」
「ジョニー、そーゆうの得意だぞ」
――こいつらもいつか、歴史から除外されてくんだろうか。
「(『エクソシスト』ねぇ。オレに希望よせてもムダだぞー)」
そんなことを考えて、小さく息を吐く。
だって、オレは『エクソシスト』じゃない。
オレは――『ブックマン』だ。
だから、オレは彼らの『仲間』ではない。
――そう、自分に言い聞かせてきた。
.
.
.
「はぁっ…はっ…はぁ…ッ」
「ラビ…っ」
精神的な疲弊に、声がまともに出ない。
不安そうにオレを呼ぶに、何も応えてやれなかった。
「はっ…はぁ…ッ…はぁっ…」
1年――…2年と。
教団の中での時間が過ぎていく。
オレは自分の笑い顔が、ウソかホントかわからなくなってきた。
「やめろ…っ」
――じじいの言葉が、辛いと感じるようになった。
「やめろ…っ、のぞくな…っ」
「ラビ! ラビ、ダメ! 惑わされちゃダメ…ッ」
細い指が、必死にオレの服の袖を掴む。
その必死な声に、ギリギリで意識が繋ぎ止められていた。
――そうだ。
は。だけは、なんとしても守りきらなければ。
迫り来る『それら』を――見知った者の姿をした『モノ』を、薙ぎ払う。
ふらついた瞬間に、懐から何かが零れ落ちた。
――それは、一枚の、トランプ。
水に流され、漂うそれを、『誰か』が拾い上げる。
『僕の落とし物…』
いつの間にか静寂に染まった《世界》で、その声が響く。
オレにしがみついているが、ハッと身を強張らせた。
『ブックマンに黙って、ずっと持っててくれたんですね』
――そう、告げたのは。
「…」
「ア…レ、ン」
が、無意識にか呟いた、瞬間だった。
横から腕が伸びてきて、
――パンッ、と。短い音と共に、『アレン』の頭が吹き飛んだ。
「「!!!」」
『――なに、その反応?』
酷薄な笑みを孕んだその声は、紛れもなく『オレ』の声だった。
『アレン』の頭を吹っ飛ばしたその腕が、一瞬動きを止めてしまったの細い首に回される。
「――ぁ…っ!」
「…ッ」
高い水音を立てて、『アレン』の体が水に崩れ落ちる。
の華奢な体が、「オレ」の腕に囚われていた。
首に回された腕。苦しいのか、顔を歪めてがもがく。
『こんなのインクの塊じゃん、「ラビ」』
――思考が、混乱し始めていた。
何が『ホンモノ』で、何が『ニセモノ』なのか、わからない…。
『こんなもんも黙って見てられねェんじゃ、もうダメだな。お前失格だ』
冷め切った目。
冷め切った声。
自分と同じその音が、まるで今の自分とは違うモノのように、感じる。
『お前は「心」を傾け過ぎた。
さっきもそうだ。「自分」を守るより、「」を守ることを優先した』
「…ッぁあ…ぐっ…!」
苦しげに喘ぐ、の声が耳に突き刺さる。
「や…め、ろ…」
『ブックマンに「心」は要らない。なら、「」も要らない』
「…やめろ…ッ」
首が絞まっているのか、が藻掻く。
笑みすら浮かべながら、彼女を害しているのは――過去の『オレ』だ。
『――壊してしまえば、楽になれるぜ?』
「やめろッ! に触るなぁぁぁぁぁッ!!」
悲鳴にも似た怒声が、吐き出された。
その瞬間、体に突き刺さる――刃。
刃を突きつけているのは…『リナリー』と、『ユウ』と、『クロちゃん』?
…おいおい…何の冗談だよ…
――こんなもん見せられたら、が…傷ついちまうだろ…。
「ラ…ッ!」
『――「ラビ」。お前はもう、ブックマンにあらず…』
耳に響く、『オレ』の声に唇を噛む。
視界の端に、泣きそうなの顔が見えて。
――それが、脳裏に焼き付いた。
+++
『「お前」はブックマン失格だ、「ラビ」』
わたしを捕らえている『ラビ』が、酷薄な微笑を浮かべながら告げた。
『安心しろ。「お前」が死んでもブックマンは絶えない。
「オレ」こそ本当の「お前」だからな』
ラビを刺し貫く刃が、それぞれ音もなく引き抜かれる。
血を吐きながら、ラビが『ラビ』を見据えた。――光の消えかけた瞳で。
『ブックマンは「オレ」が継ぐ。
――「お前」は消えろ…「ラビ」』
その声と、ほぼ同時に。
ラビの体が、水に――落ちた。
「ラ、ビ…」
目の前で、ラビの体が傾ぐ。
水面に広がる赤に――思考が、凍りついた。
それは、明確な、『死』のイメージ――。
「…ッラビ! ラビッ! ラビィーーーーッ!!」
嫌なイメージを振り払うように、必死に名前を叫ぶ。
拘束されたわたしは、崩れ落ちた彼に駆け寄ることすら出来ない。
それでも藻掻いて、足掻いて、必死に叫び続けた。
「バカッ! 何やってんのッ!? 寝てる場合じゃないんだよ、起きてよ!!」
『――無駄だ、「」。「ラビ」は死んだ』
「…ッ死んでない!」
淡泊に告げられた言葉を、真っ向から否定した。
死んだ? バカを言うな。
死なせない。死なせるもんか。その為に、わたしはここに居るんだ!
「ラビは死んでない! わたしが、死なせない!!
離してッ…離してよ、『ラビ』!!」
『――いちいち癪に障る女さ、お前は』
吐き捨てるように、言い捨てられた。
そのあまりの冷たい声音に、わたしは一瞬、動きを止める。
『――「」。《双黒の使徒》の予言を受けた者。
お前は「オレ」を壊す。だから…壊される前に、壊してやる』
「……ッ」
ぞわりと、寒気が背筋を駆け抜ける。
なんて冷たい目を、するんだ。
ラビと同じ顔で。同じ声で。どうして――、
『…ああ。でも、「ブックマン」としては、お前を「殺す」わけにはいかねェんさ。
なら、どうやれば壊せるかな…「壊す」なら、やっぱ《ココロ》か?』
「…ぃ…ッ!?」
バシャリ、と。
派手な水音を立てて、わたしの体は水に叩きつけられる。
突き飛ばされた――そう理解したのは、水の冷たさを感じてからだ。
『か弱いな、「」』
倒れ込んだわたしにのし掛かるように、『ラビ』が体重を掛けてくる。
わたしの知るラビより、少し幼い容。多分、過去のラビの姿を模した存在。
――それでも、力は女のわたしより強い。
『――「オレ」が怖いか、「」?』
動きを封じられ、わたしはギリ…ッと唇を噛む。
酷薄な微笑を浮かべ、酷く冷たい目でわたしを見下ろす、彼の姿が。
――ラビと同じだということに、眩暈がするほどの恐怖を覚えた。
『絶望しろ。そして、この《世界》に囚われるといい』
冷たい声。ラビと同じ声。
だけど違う。ラビじゃない。わたしが知るラビじゃない。
「…ッ」
首筋を這う舌の感触に、ぞわりと寒気がはしった。
――汚される。
精神が、犯される。
嫌だ。
こんなのは嫌だ。
…許すな。
わたしの大切なものを汚す、この《世界》を許すな!!
「…わたしに、何かするなら、したらいい。だけど」
ぴたりと、『ラビ』の動きが止まった。
わたしは、腕に、力を込める。
「――だけど、わたしは『壊れない』。
壊せるものなら壊してみなさい。わたしは足掻くわ、だって」
そこで一旦言葉を切って、わたしは息を吸い込む。
――そう、だって。わたしは、信じているから。
「ラビは、わたしを傷つけたりなんてしない!」
『…ッ』
拘束が、緩んだ。
この好機を逃しはしない。
「――離して!!!」
『ラビ』を突き飛ばして、わたしはその下から抜け出す。
そして、幻影に貫かれたラビの方へ、駆け寄る。
『――…無駄さ、「」。
どう足掻こうと、お前はここから出られない』
「……」
『お前がここから出るときは――全部失った後さ』
冷たく、わたしを見下ろす、目。
それを真っ向から睨み返し、わたしは口を開く。
「…ッ…負け、ない」
わたしは、血を流しながら浅い呼吸を繰り返すラビの体を、抱き締めた。
目の前に立つ――『ラビ』を、見据えながら。
「わたしは! わたし達は、負けない!
絶望なんてしない…ッ」
『……』
「希望は棄てない! だって、わたし達は…ひとりじゃ、ないから!!」
言い放ったわたしを、『ラビ』はただ、冷たく見下ろした。
そして、次に告げられた言葉もまた――感情のない、冷え切った音。
『――なら、視ているといいさ。
「ラビ」の手で、お前の言う全ての「希望」が潰えるその瞬間を』
さあ、踊れ 愚かなる民よ
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。