長い、長い廊下を、アレン達は歩いていた。
果てが見えないほどに、代わり映えのない景色。
この方舟という空間は、時間の感覚を奪う目的を持って作られているのではないだろうか。

「長ェさ、この廊下~~~。いつになったら次の扉があんだぁ?」
「ッスね」

早々に飽きたのか、げんなりとラビが呟けば、チャオジーも素直に応じた。
他愛のない会話に花を咲かせる彼らの後ろで、不意にアレンが背後を振り返った。

「! どうしたである? アレン」
「なんか今、うしろから音がしたような…」
「音? どんな?」
「何かが割れるような音で…」

アレンの言葉が終わる前に、亀裂の入るような音が響いた。

「…す」
「ん?」

思わず、下を見下ろした瞬間だった。
衝撃音と共に、床が割れ、陥没し始めたのだ。


「「「「「わああ、何!?」」」」」


五人の悲鳴が、いっそ清々しいほど綺麗にハモった。
慌てる彼らに構うことなく、廊下は徐々に崩壊していく。

「「「「「床がっ、崩れて来たぁあ!!!」」」」」




加速する崩壊の中、アレン達は必死に走り出した。



File42 荊に抱かれて眠れ




「…? 今、声が聞こえた…?」

ぐるりと周囲を見回す。
とりあえず、視界に映る場所に人影はない。
だけどここは、ある意味において多重空間だ。
この壁の向こうに、アレン達が居る可能性だって、ゼロではない。

「アレン達…かな?」

だとしたら、早く合流しなければ。
その為には、闇雲に歩いてもダメだ。

「……」

一旦、わたしは足を止めた。
そして、意識をイノセンスに集中する。

アレンのイノセンスなら、粒子状になったときに『直に』触れている。
多少離れていても、気配を感知出来るはずだ。
なにより――わたしのイノセンスは、アレンのそれに連動する。

それが意味することなんて知らない。
そんなことは考えない。
ただ、わたしは――使えるものは使うだけだ。

「……」

――『聴こえた』。
ここから南の方向だ。間違いなく。

「…アレン…」

無意識に、名前を呼んでいた。
…なんだか、ほんの数時間なのに、随分長い間会ってない様な気がする。
一緒に過ごしたのは、一年にも満たない期間。
だけどその間のほとんどの時間を、アレンと一緒に過ごして来たんだ。

1年くらい前に、この《世界》に来て。
あの頃は、こんな風になるなんて思っていなかった。

ここはもう、《物語の世界》なんかじゃない。
わたしが生きる、確かな《現実》だ。

だから。
生きて、ここを出る。
みんなで一緒に、本部(ホーム)に帰る。
――誰ひとり、欠けることなく。皆で、一緒に。

「…まずはアレンをぶん殴らなきゃいけないのよ。
 それで、次にリナリーを抱き締めて、頭を撫でてあげなくちゃ」

ああ、ラビも頭撫でてやらないとダメかな。
クロウリーには、笑顔で「ただいま」って言わないとね。
神田にも…後で、「遅い!」って…文句を言ってやらないと。

帰ったら、コムイさんとか泣くかなぁ。
それとも笑顔で出迎えてくれるのかな…。

「…はっ…はは…ッ」

――なんでだよ。
なんで、こんなにも――現実味が沸かないんだよ。

信じるって決めたじゃないか。
みんなと一緒に、誰一人欠けずに、ここを出る。
その為にわたしは、ここへ来た。

使えるすべての力を使って、道を切り開く。
前を見ろ。希望を捨てるな。
この先に、どんな《物語》が待っていても――

「…わたしは、前に、進まないと」

たくさんの約束を、果たす為に。

――いらっしゃ~い、。遅かったね?』
「!?」

耳の奥で聴こえた、覚えのある声。
弾かれたように顔を上げると、不意に、狭い廊下の壁から腕が伸びてきた。

「いっ!?」

な、なにこれ。ホラーだ。紛うことなきホラーだよ!?

白く華奢な、少女の腕。
それが迷うことなく、わたしの腕を掴んだ。

「ちょ、ちょっと待ってナニコレ!? 何の真似!?」

軽く混乱するわたしに構わず、それはわたしの腕を掴んだまま、壁の方へと引っ張って行く。
見た目に反した強い力。振り払うことも出来ない。

「いーーーやーーーッ!?」

悲鳴を上げるわたしの様子にはお構いなしか。
ぶつかる、と思った瞬間、意識がフェードアウトする。




…もう何が起きても驚かないと思ってたけど。
さすがに、これはないでしょ…、と思ったあたりで、完全に意識が切れた。


+++


「……?」

どれくらい経っただろうか。
人の気配を感じて、重い目蓋をゆっくりと持ち上げる。

目を開けた先は、見知らぬ場所だった。
薄暗い部屋。赤みを帯びたランプの光。
ゆっくりと視線を巡らせると、すぐ傍にヒトが居た。
視界に入ったのは、ふたり。
その片割れと、目が合った。

「おや? お目覚め?」
「……!!?」

徐々に意識がはっきりしてくると、わたしは大きく目を瞠る。
そこにいたのは、長身の若い男と小柄な幼い少女。
その場に硬直するわたしに、少女の方が腕を伸ばしてきた。

「おはよぉ、。元気にしてたぁ?」
「…ロ、ロード…ティキ…ッ?!」

少女――ロードに抱きつかれ、ようやくわたしはそれだけ口にする。
まさか、先にこっちと再会することになるとは予想外だ。
ロードにぶら下がられたまま呆然とするわたしに、ティキが小さく嗤う。

「嬉しいね。名前で呼んでくれるんだ?」
「…「ビン底」と呼んで欲しかったらそう呼ぶわよ。それとも「孤児の流れ者」さん?」
「あれ? なんかオレ、滅茶苦茶嫌われてない?」
「好かれてると思ってたの?」

冗談じゃない。
そりゃあ、漫画として見ていた時は、割と好きなキャラクターだったさ。
だけどここが《現実》となった以上、彼はわたしの敵だ。
なにより――アレンを傷つけた相手だ。愛想を振りまく理由も無い。

「そうツンケンしないで欲しいね。可愛い顔が台無しだ」
「アリガトウ。…悪いけど、あんたに振りまく愛想は無いの」
「これは手厳しい」

肩を竦めるティキの仕草に、苛々する。
わたしのことなんて、小娘がひとりで粋がってるようにしか、思っていないのだろう。
それか、我が儘を言う子供を見守るような? …ふざけるな。

「やーい。ティッキー、フラれてやんのー」
「…あんたも引っ付かないでちょうだい、ロード」
「やぁだよ~」

しっかりホールドされてる腕を外したいのだけど、ロードは聞く耳持たないらしい。
一向に離れる気配はなく、猫がじゃれつくように引っ付いたままだ。
…もういい加減面倒くさくなって、わたしは彼女を引き剥がすのを諦めた。

「…この度はご招待頂きましてアリガトウゴザイマシタ。
 再会早々悪いんだけど、わたし、アレンのトコに行かなきゃいけないんだけど?」
「そんなに急がなくても、ここで待ってればそのうち来るよぉ?」
「そうそう。――お仲間犠牲にして来ればすぐ、ね」
――ッ!!」

言われた言葉に、カッと頭に血が上るような感覚を覚えた。
ギリ…ッ、と唇を噛み、視線を上げる。

――アレン達は誰も、犠牲になんてしない」
「そう思うのはお姫さんの勝手だよ。だが現実はきちんと受け入れた方が良い」

癪に障る言い方。癪に障る笑い方。
…ダメだ。こいつとは、多分、根本的に合わない。

「なんて言ったっけ、あの剣士のおにーさん。…カンダ、だったかな?」
――ッ!!」

自分の表情が、険しくなったのを感じた。
きつく拳を握り締め、目の前の男をきつく睨めつける。

「そう怖い顔をしなさんなって。
 折角の機会だ、お姫さんもオレらに訊きたいことがあるんだろう?」

親切めかした言い方が腹立たしい。
だけど、ティキの言うことには、確かに一理あった。

「…そうね。まず、その《姫》ってのは何?」
「敬意を込めた愛称、かな」
「それじゃ説明になってない」
「ごもっとも。…ああ、でもその説明をする前に、こっちから一個良い?」
「なによ」
――いつまでエクソシストごっこを続ける気だ?」

一瞬。
何の冗談かと、思った。
だけどティキの表情にはどこか困惑が見てとれて、それが冗談ではないとわかる。

「正直ね、オレらも驚いてるワケよ。
 なんで君が、エクソシストの真似事なんかやってるのか」
「…何を言ってるの。わたしはエクソシストよ」

――イノセンス、発動。

意識を集中すれば、すぐに黒水晶の羽根が、具現する。
これこそが、わたしがエクソシストである動かぬ証拠だ。

――この羽根が、何よりの証でしょう?」
「…ま、普通はな」
に限って言うなら、そんなモノは何の証にもならないよぉ?」
「は?」

今まで黙っていたロードが、不意に口を開いた。
そして、わたしの左手を取る。

「だって、は《聖痕》も持ってるはずだもん」
「は…?」

《聖痕》――ノアの、証?
そんなもの、エクソシストであるわたしが持っているわけがない。

「馬鹿なこと言わないで! わたしが、ノアだって言うの!?」
「別にぃ? がノアだとは言ってないけどもぉ」
「でも、姫さんがエクソシストでもないことは確かだぜ?」
「わけわかんない。だったら、わたしの中にある《イノセンス》はどう説明する気!?」

わたしは寄生型の適合者。
この身体の中には、イノセンスが根を張って存在している。

これはわたしの手足。身体の一部。
わたしがエクソシストではないと言うのなら、これの説明はどうするんだ。

「……」

挑むように睨み付けるわたしを、手の掛かる子供を見るようにロードは目を眇めた。

「…のイノセンスは、本当にのモノ?」
「なに…言ってるの?」
「ねぇ、《創造主の世界》から来た《イヴの娘》。
 ソレには、本当は別の適合者が居るんじゃない――?」


……
………なんだ、それ。

「まぁ、確かに今の状態を指して言うなら、はエクソシストだね」

目を瞠ったまま硬直するわたしの頬に両手を添えて、ロードは嗤う。
慈愛する感じさせる笑みを浮かべて。言い含めるような声音で。

「でも、はニセモノなんだよ」
「…ニセモノ…?」
「だっては、本当はここに存在するべきモノじゃないから」

時間が凍りつくような錯覚を、覚えた。
――わかっていたつもりだった。だけど忘れていた。

ここは今、確かにわたしにとっての《現実》。
だけど、わたしは…《》は、本来この《世界》に属する存在では、ない。

そうだ。
よく考えればわかることじゃないか。
どうして、《わたし》に《イノセンス》が適合した?
イノセンスには、すべてに適合者が存在する。
なら、この《世界》におけるイレギュラーのわたしに、どうして――

「……」

わたしの身体に宿るこの《力》は、本当にイノセンスなのか。
わたしは、――本当に、エクソシスト?

――故に、は《ハート》以外のすべてのイノセンスに適合する存在。
 そして、千年公以外のすべてのノアの能力を《写せる》存在。
 はエクソシスト。はノア。は《ハート》と《奏者》の対存在」

ロードの言葉は続く。
歌うような軽やかさで、告げる。

――そう、だ。
おかしいじゃないか。
イノセンスより力を与えられたわたしが――どうして、ロードの能力を写せた?

は《創造主》と同じ力を秘めたモノ。
 《創造》の力を持つモノ――この《世界》を、内側から創り変えるモノ」
「…わたし、が…?」

創造――《世界》を創るモノ。
確かに、わたしは文字で、絵で、《世界》を創り出すことが可能だ。
だけどそれは、わたしに限ったことじゃない。
現に――この《世界》を創ったひとがいる。他にもたくさんの創造者が。

――だからこそ、僕達ノアにはが必要なんだよ。
 新たな《世界》を《創造》する為に。新たな《ノア》を生み出す為に」




――どうして《それ》が、《わたし》なの。




「……」
「ちょっと一気に詰め込み過ぎたかな。まッ、理解は追々していけば良いさ」

わたしの沈黙をどう解釈したのか、ティキが苦笑を浮かべる。

「こっちとしては、君を無傷で保護出来れば今はそれで充分だ」
「……」

――『保護』、か。
彼らは、わたしが最初から彼らの側の存在だと、言う。
わたしがノア――いや、恐らくは千年伯爵によって、この《世界》に呼ばれたのは事実なのだろう。

なら、最初に会ったのが彼らだったら。
――わたしは、どんな道を選択していただろうか。

答えはない。
想像もつかない。
だけど、確かなものがひとつだけ…ある。

――《複写開始(トレース・オン)》」

自分でも不気味なほど静かに、告げる。
脳裏に浮かぶイメージのままに、それは形を成した。

「…ふぅん…ロードのロウソク、ね」
「ありゃ。写されちゃった」
「ただし中身はイノセンスの力の圧縮、と。上手く使いこなしてるな」

そんな評価は要らない。
戦う力を行使することに、賛美なんて要らない。

「…ここであんた達を倒せば、何の障害も無くここから出られるね」
「それが答えか、姫君?」
「そうよ」

――そう。そうだ。
ただひとつの、確かなもの。
それは神の意思などではなく。
…わたしが歩んできた、1年と言う時間。

仮に、わたしがエクソシストではなかったとしても。
それでも、今日この日まで過ごした時間は存在する。

――初めてこの《世界》に来たとき。
わたしは軽い気持ちで、エクソシストになることを了承した。

そして初任務で、戦いを甘く見ていた自分を知って。
――エクソシストとして、みんなを護ろうと。そう誓った。

――わたしは…は、エクソシストよ。
 それがわたしの誇り。わたしの誓い。…誰にも、汚させないわ」

世界なんて知らない。
わたしが護りたいのはそんなものじゃない。

護りたいものは、ただ。
――アレンが居て、わたしが居て。みんなと微笑い合える《世界》だ。

「…あーあ、そんなもんに誇りなんて持たなくて良いのに」

呆れたようにそう言いながら、ティキがため息を吐いた。
かと思えば、面白がるように口角を持ち上げ、にやりと嗤う。

「まァ、そういうのも嫌いじゃないよ。
 むしろ好きだね、あんたみたいな真っ直ぐな女はさ」
「……」

言われた言葉に、目を眇める。
実の無い好意の言葉ほど、貰って嬉しくないものはないな。

「ツレないね。愛を囁いてる間くらい、オレに集中して欲しいもんだ」
「そんなふざけた愛なんて御免被るわ」

空っぽな愛の言葉なんて、わたしには響かない。
逆に、殺意にも似た感情しか、沸き上がってこない。

…そうだね。別に、あなた達が憎いわけじゃないよ。
だけど、受け入れるわけにはいかない。
それはわたしのエクソシストとしての誇りであり――

「ティッキぃ、無駄無駄ァ。もうなんか、ブチキレてるもん」

――共に生きると決めた、大切な人達との約束だ。

「…《複写終了(トレース・アウト)》。――消してあげる。わたしの、前から」

複写したロードのロウソクが、わたしの背後に構えられた。
この鋭利な道具は、いつでも彼らを貫ける。
ティキの『万物を選択する』能力も加えたら、確実に壊せるだろうか。

…やってやる。なんだって。
ひとりでも、戦ってやる。
道が開けるのなら――どんなことでも。

「ノアふたりを前にしてその余裕かぁ。すごーい、成長したねぇ

嬉しそうに笑って、ロードは無防備にわたしの前に立つ。
まるで撃ってこいとでも言わんばかりに、両腕を広げて。

「…ッ!!」

スッと、わたしは反射的に腕を振り下ろした。
ロウソクが、わたしの前に立つロードに向かって一斉に撃ち込まれる。

――でも、どんな攻撃もボクには届かないよぉ?」
「!?」

――直撃だったはずだ。
ロードの身体にはロウソクが突き刺さったはずだ。

いや…。
もしかして、幻覚だったのかも…?

ロードは空間を操る能力者。
生み出された夢の世界の、支配者。

《奏者》の資格を持つ《ノア一族の長子》。
その名の意味することは――わたしの想像なんて、遥かに超えているんじゃないか。

「じゃあ、次は僕の番だね」

楽しそうに笑って、ロードは小さく首を傾げた。


+++


豪奢に誂えられた椅子に、少女は座っていた。
光を写さない空虚な瞳を、床に向けて。


まるで人形のような少女を満足そうに見やり、ロードはその華奢な手の甲に口付けを落とした。
それはまるで、何かの儀式のような、仕草だ。

――おやすみ、お姫様」
「…おいおい、ロード。姫さんをあんま壊してくれるなよ? 千年公に怒られんのオレだから」
「だーいじょーぶだよぉ。ボクだってが大好きだもん」

ため息混じりに言われたティキの言葉に、ロードはただ、微笑う。
これだけ至近距離で会話をしていても、聖女の呼び名を持つ少女は、微動だにしない。

「…は優しいから。大事な大事な『仲間』が居なくなっちゃったら、心が壊れちゃうもんね。
 だから、壊れないようにボクの《夢の世界》で守ってあげる…」

――《夢の世界》に囚われた少女は、その時が来るまで目覚めることはない。











――オヤスミ、僕らの《姫君》。
 僕の《夢》の中で、すべてが終わるのをゆっくり待っててね?」






荊の檻に囚われて眠るは、暁の姫君。



To be continued?

気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。