長い、長い廊下を、アレン達は歩いていた。
果てが見えないほどに、代わり映えのない景色。
この方舟という空間は、時間の感覚を奪う目的を持って作られているのではないだろうか。
「長ェさ、この廊下~~~。いつになったら次の扉があんだぁ?」
「ッスね」
早々に飽きたのか、げんなりとラビが呟けば、チャオジーも素直に応じた。
他愛のない会話に花を咲かせる彼らの後ろで、不意にアレンが背後を振り返った。
「! どうしたである? アレン」
「なんか今、うしろから音がしたような…」
「音? どんな?」
「何かが割れるような音で…」
アレンの言葉が終わる前に、亀裂の入るような音が響いた。
「…す」
「ん?」
思わず、下を見下ろした瞬間だった。
衝撃音と共に、床が割れ、陥没し始めたのだ。
「「「「「わああ、何!?」」」」」
五人の悲鳴が、いっそ清々しいほど綺麗にハモった。
慌てる彼らに構うことなく、廊下は徐々に崩壊していく。
「「「「「床がっ、崩れて来たぁあ!!!」」」」」
加速する崩壊の中、アレン達は必死に走り出した。
「…? 今、声が聞こえた…?」
ぐるりと周囲を見回す。
とりあえず、視界に映る場所に人影はない。
だけどここは、ある意味において多重空間だ。
この壁の向こうに、アレン達が居る可能性だって、ゼロではない。
「アレン達…かな?」
だとしたら、早く合流しなければ。
その為には、闇雲に歩いてもダメだ。
「……」
一旦、わたしは足を止めた。
そして、意識をイノセンスに集中する。
アレンのイノセンスなら、粒子状になったときに『直に』触れている。
多少離れていても、気配を感知出来るはずだ。
なにより――わたしのイノセンスは、アレンのそれに連動する。
それが意味することなんて知らない。
そんなことは考えない。
ただ、わたしは――使えるものは使うだけだ。
「……」
――『聴こえた』。
ここから南の方向だ。間違いなく。
「…アレン…」
無意識に、名前を呼んでいた。
…なんだか、ほんの数時間なのに、随分長い間会ってない様な気がする。
一緒に過ごしたのは、一年にも満たない期間。
だけどその間のほとんどの時間を、アレンと一緒に過ごして来たんだ。
1年くらい前に、この《世界》に来て。
あの頃は、こんな風になるなんて思っていなかった。
ここはもう、《物語の世界》なんかじゃない。
わたしが生きる、確かな《現実》だ。
だから。
生きて、ここを出る。
みんなで一緒に、本部(ホーム)に帰る。
――誰ひとり、欠けることなく。皆で、一緒に。
「…まずはアレンをぶん殴らなきゃいけないのよ。
それで、次にリナリーを抱き締めて、頭を撫でてあげなくちゃ」
ああ、ラビも頭撫でてやらないとダメかな。
クロウリーには、笑顔で「ただいま」って言わないとね。
神田にも…後で、「遅い!」って…文句を言ってやらないと。
帰ったら、コムイさんとか泣くかなぁ。
それとも笑顔で出迎えてくれるのかな…。
「…はっ…はは…ッ」
――なんでだよ。
なんで、こんなにも――現実味が沸かないんだよ。
信じるって決めたじゃないか。
みんなと一緒に、誰一人欠けずに、ここを出る。
その為にわたしは、ここへ来た。
使えるすべての力を使って、道を切り開く。
前を見ろ。希望を捨てるな。
この先に、どんな《物語》が待っていても――。
「…わたしは、前に、進まないと」
たくさんの約束を、果たす為に。
『――いらっしゃ~い、。遅かったね?』
「!?」
耳の奥で聴こえた、覚えのある声。
弾かれたように顔を上げると、不意に、狭い廊下の壁から腕が伸びてきた。
「いっ!?」
な、なにこれ。ホラーだ。紛うことなきホラーだよ!?
白く華奢な、少女の腕。
それが迷うことなく、わたしの腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってナニコレ!? 何の真似!?」
軽く混乱するわたしに構わず、それはわたしの腕を掴んだまま、壁の方へと引っ張って行く。
見た目に反した強い力。振り払うことも出来ない。
「いーーーやーーーッ!?」
悲鳴を上げるわたしの様子にはお構いなしか。
ぶつかる、と思った瞬間、意識がフェードアウトする。
…もう何が起きても驚かないと思ってたけど。
さすがに、これはないでしょ…、と思ったあたりで、完全に意識が切れた。
+++
「……?」
どれくらい経っただろうか。
人の気配を感じて、重い目蓋をゆっくりと持ち上げる。
目を開けた先は、見知らぬ場所だった。
薄暗い部屋。赤みを帯びたランプの光。
ゆっくりと視線を巡らせると、すぐ傍にヒトが居た。
視界に入ったのは、ふたり。
その片割れと、目が合った。
「おや? お目覚め?」
「……!!?」
徐々に意識がはっきりしてくると、わたしは大きく目を瞠る。
そこにいたのは、長身の若い男と小柄な幼い少女。
その場に硬直するわたしに、少女の方が腕を伸ばしてきた。
「おはよぉ、。元気にしてたぁ?」
「…ロ、ロード…ティキ…ッ?!」
少女――ロードに抱きつかれ、ようやくわたしはそれだけ口にする。
まさか、先にこっちと再会することになるとは予想外だ。
ロードにぶら下がられたまま呆然とするわたしに、ティキが小さく嗤う。
「嬉しいね。名前で呼んでくれるんだ?」
「…「ビン底」と呼んで欲しかったらそう呼ぶわよ。それとも「孤児の流れ者」さん?」
「あれ? なんかオレ、滅茶苦茶嫌われてない?」
「好かれてると思ってたの?」
冗談じゃない。
そりゃあ、漫画として見ていた時は、割と好きなキャラクターだったさ。
だけどここが《現実》となった以上、彼はわたしの敵だ。
なにより――アレンを傷つけた相手だ。愛想を振りまく理由も無い。
「そうツンケンしないで欲しいね。可愛い顔が台無しだ」
「アリガトウ。…悪いけど、あんたに振りまく愛想は無いの」
「これは手厳しい」
肩を竦めるティキの仕草に、苛々する。
わたしのことなんて、小娘がひとりで粋がってるようにしか、思っていないのだろう。
それか、我が儘を言う子供を見守るような?
…ふざけるな。
「やーい。ティッキー、フラれてやんのー」
「…あんたも引っ付かないでちょうだい、ロード」
「やぁだよ~」
しっかりホールドされてる腕を外したいのだけど、ロードは聞く耳持たないらしい。
一向に離れる気配はなく、猫がじゃれつくように引っ付いたままだ。
…もういい加減面倒くさくなって、わたしは彼女を引き剥がすのを諦めた。
「…この度はご招待頂きましてアリガトウゴザイマシタ。
再会早々悪いんだけど、わたし、アレンのトコに行かなきゃいけないんだけど?」
「そんなに急がなくても、ここで待ってればそのうち来るよぉ?」
「そうそう。――お仲間犠牲にして来ればすぐ、ね」
「――ッ!!」
言われた言葉に、カッと頭に血が上るような感覚を覚えた。
ギリ…ッ、と唇を噛み、視線を上げる。
「――アレン達は誰も、犠牲になんてしない」
「そう思うのはお姫さんの勝手だよ。だが現実はきちんと受け入れた方が良い」
癪に障る言い方。癪に障る笑い方。
…ダメだ。こいつとは、多分、根本的に合わない。
「なんて言ったっけ、あの剣士のおにーさん。…カンダ、だったかな?」
「――ッ!!」
自分の表情が、険しくなったのを感じた。
きつく拳を握り締め、目の前の男をきつく睨めつける。
「そう怖い顔をしなさんなって。
折角の機会だ、お姫さんもオレらに訊きたいことがあるんだろう?」
親切めかした言い方が腹立たしい。
だけど、ティキの言うことには、確かに一理あった。
「…そうね。まず、その《姫》ってのは何?」
「敬意を込めた愛称、かな」
「それじゃ説明になってない」
「ごもっとも。…ああ、でもその説明をする前に、こっちから一個良い?」
「なによ」
「――いつまでエクソシストごっこを続ける気だ?」
一瞬。
何の冗談かと、思った。
だけどティキの表情にはどこか困惑が見てとれて、それが冗談ではないとわかる。
「正直ね、オレらも驚いてるワケよ。
なんで君が、エクソシストの真似事なんかやってるのか」
「…何を言ってるの。わたしはエクソシストよ」
――イノセンス、発動。
意識を集中すれば、すぐに黒水晶の羽根が、具現する。
これこそが、わたしがエクソシストである動かぬ証拠だ。
「――この羽根が、何よりの証でしょう?」
「…ま、普通はな」
「に限って言うなら、そんなモノは何の証にもならないよぉ?」
「は?」
今まで黙っていたロードが、不意に口を開いた。
そして、わたしの左手を取る。
「だって、は《聖痕》も持ってるはずだもん」
「は…?」
《聖痕》――ノアの、証?
そんなもの、エクソシストであるわたしが持っているわけがない。
「馬鹿なこと言わないで! わたしが、ノアだって言うの!?」
「別にぃ? がノアだとは言ってないけどもぉ」
「でも、姫さんがエクソシストでもないことは確かだぜ?」
「わけわかんない。だったら、わたしの中にある《イノセンス》はどう説明する気!?」
わたしは寄生型の適合者。
この身体の中には、イノセンスが根を張って存在している。
これはわたしの手足。身体の一部。
わたしがエクソシストではないと言うのなら、これの説明はどうするんだ。
「……」
挑むように睨み付けるわたしを、手の掛かる子供を見るようにロードは目を眇めた。
「…。のイノセンスは、本当にのモノ?」
「なに…言ってるの?」
「ねぇ、《創造主の世界》から来た《イヴの娘》。
ソレには、本当は別の適合者が居るんじゃない――?」
…
……
………なんだ、それ。
「まぁ、確かに今の状態を指して言うなら、はエクソシストだね」
目を瞠ったまま硬直するわたしの頬に両手を添えて、ロードは嗤う。
慈愛する感じさせる笑みを浮かべて。言い含めるような声音で。
「でも、はニセモノなんだよ」
「…ニセモノ…?」
「だっては、本当はここに存在するべきモノじゃないから」
時間が凍りつくような錯覚を、覚えた。
――わかっていたつもりだった。だけど忘れていた。
ここは今、確かにわたしにとっての《現実》。
だけど、わたしは…《》は、本来この《世界》に属する存在では、ない。
そうだ。
よく考えればわかることじゃないか。
どうして、《わたし》に《イノセンス》が適合した?
イノセンスには、すべてに適合者が存在する。
なら、この《世界》におけるイレギュラーのわたしに、どうして――。
「……」
わたしの身体に宿るこの《力》は、本当にイノセンスなのか。
わたしは、は――本当に、エクソシスト?
「――故に、は《ハート》以外のすべてのイノセンスに適合する存在。
そして、千年公以外のすべてのノアの能力を《写せる》存在。
はエクソシスト。はノア。は《ハート》と《奏者》の対存在」
ロードの言葉は続く。
歌うような軽やかさで、告げる。
――そう、だ。
おかしいじゃないか。
イノセンスより力を与えられたわたしが――どうして、ロードの能力を写せた?
「は《創造主》と同じ力を秘めたモノ。
《創造》の力を持つモノ――この《世界》を、内側から創り変えるモノ」
「…わたし、が…?」
創造――《世界》を創るモノ。
確かに、わたしは文字で、絵で、《世界》を創り出すことが可能だ。
だけどそれは、わたしに限ったことじゃない。
現に――この《世界》を創ったひとがいる。他にもたくさんの創造者が。
「――だからこそ、僕達ノアにはが必要なんだよ。
新たな《世界》を《創造》する為に。新たな《ノア》を生み出す為に」
――どうして《それ》が、《わたし》なの。
「……」
「ちょっと一気に詰め込み過ぎたかな。まッ、理解は追々していけば良いさ」
わたしの沈黙をどう解釈したのか、ティキが苦笑を浮かべる。
「こっちとしては、君を無傷で保護出来れば今はそれで充分だ」
「……」
――『保護』、か。
彼らは、わたしが最初から彼らの側の存在だと、言う。
わたしがノア――いや、恐らくは千年伯爵によって、この《世界》に呼ばれたのは事実なのだろう。
なら、最初に会ったのが彼らだったら。
――わたしは、どんな道を選択していただろうか。
答えはない。
想像もつかない。
だけど、確かなものがひとつだけ…ある。
「――《複写開始(トレース・オン)》」
自分でも不気味なほど静かに、告げる。
脳裏に浮かぶイメージのままに、それは形を成した。
「…ふぅん…ロードのロウソク、ね」
「ありゃ。写されちゃった」
「ただし中身はイノセンスの力の圧縮、と。上手く使いこなしてるな」
そんな評価は要らない。
戦う力を行使することに、賛美なんて要らない。
「…ここであんた達を倒せば、何の障害も無くここから出られるね」
「それが答えか、姫君?」
「そうよ」
――そう。そうだ。
ただひとつの、確かなもの。
それは神の意思などではなく。
…わたしが歩んできた、1年と言う時間。
仮に、わたしがエクソシストではなかったとしても。
それでも、今日この日まで過ごした時間は存在する。
――初めてこの《世界》に来たとき。
わたしは軽い気持ちで、エクソシストになることを了承した。
そして初任務で、戦いを甘く見ていた自分を知って。
――エクソシストとして、みんなを護ろうと。そう誓った。
「――わたしは…は、エクソシストよ。
それがわたしの誇り。わたしの誓い。…誰にも、汚させないわ」
世界なんて知らない。
わたしが護りたいのはそんなものじゃない。
護りたいものは、ただ。
――アレンが居て、わたしが居て。みんなと微笑い合える《世界》だ。
「…あーあ、そんなもんに誇りなんて持たなくて良いのに」
呆れたようにそう言いながら、ティキがため息を吐いた。
かと思えば、面白がるように口角を持ち上げ、にやりと嗤う。
「まァ、そういうのも嫌いじゃないよ。
むしろ好きだね、あんたみたいな真っ直ぐな女はさ」
「……」
言われた言葉に、目を眇める。
実の無い好意の言葉ほど、貰って嬉しくないものはないな。
「ツレないね。愛を囁いてる間くらい、オレに集中して欲しいもんだ」
「そんなふざけた愛なんて御免被るわ」
空っぽな愛の言葉なんて、わたしには響かない。
逆に、殺意にも似た感情しか、沸き上がってこない。
…そうだね。別に、あなた達が憎いわけじゃないよ。
だけど、受け入れるわけにはいかない。
それはわたしのエクソシストとしての誇りであり――、
「ティッキぃ、無駄無駄ァ。もうなんか、ブチキレてるもん」
――共に生きると決めた、大切な人達との約束だ。
「…《複写終了(トレース・アウト)》。――消してあげる。わたしの、前から」
複写したロードのロウソクが、わたしの背後に構えられた。
この鋭利な道具は、いつでも彼らを貫ける。
ティキの『万物を選択する』能力も加えたら、確実に壊せるだろうか。
…やってやる。なんだって。
ひとりでも、戦ってやる。
道が開けるのなら――どんなことでも。
「ノアふたりを前にしてその余裕かぁ。すごーい、成長したねぇ」
嬉しそうに笑って、ロードは無防備にわたしの前に立つ。
まるで撃ってこいとでも言わんばかりに、両腕を広げて。
「…ッ!!」
スッと、わたしは反射的に腕を振り下ろした。
ロウソクが、わたしの前に立つロードに向かって一斉に撃ち込まれる。
「――でも、どんな攻撃もボクには届かないよぉ?」
「!?」
――直撃だったはずだ。
ロードの身体にはロウソクが突き刺さったはずだ。
いや…。
もしかして、幻覚だったのかも…?
ロードは空間を操る能力者。
生み出された夢の世界の、支配者。
《奏者》の資格を持つ《ノア一族の長子》。
その名の意味することは――わたしの想像なんて、遥かに超えているんじゃないか。
「じゃあ、次は僕の番だね」
楽しそうに笑って、ロードは小さく首を傾げた。
+++
豪奢に誂えられた椅子に、少女は座っていた。
光を写さない空虚な瞳を、床に向けて。
まるで人形のような少女を満足そうに見やり、ロードはその華奢な手の甲に口付けを落とした。
それはまるで、何かの儀式のような、仕草だ。
「――おやすみ、お姫様」
「…おいおい、ロード。姫さんをあんま壊してくれるなよ?
千年公に怒られんのオレだから」
「だーいじょーぶだよぉ。ボクだってが大好きだもん」
ため息混じりに言われたティキの言葉に、ロードはただ、微笑う。
これだけ至近距離で会話をしていても、聖女の呼び名を持つ少女は、微動だにしない。
「…は優しいから。大事な大事な『仲間』が居なくなっちゃったら、心が壊れちゃうもんね。
だから、壊れないようにボクの《夢の世界》で守ってあげる…」
――《夢の世界》に囚われた少女は、その時が来るまで目覚めることはない。
「――オヤスミ、僕らの《姫君》。
僕の《夢》の中で、すべてが終わるのをゆっくり待っててね?」
荊の檻に囚われて眠るは、暁の姫君。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。