「んー…そろそろ来るね、アレン」
不意に、何の脈略も無く告げられたロードの言葉に、ティキは顔を上げた。
それが意味することは、ただひとつだ。
「…双子は?」
「よくわかんない」
「また相打ちか…」
スキンに続き、ジャスデロとデビットも。
決して仲が良かったわけではないが、『家族』である以上、哀しくないわけがない。
イノセンスというものは、実に厄介な存在だと、ティキは小さく息を吐いた。
「…まぁ、来るって言うならもてなさなきゃな」
「そーだねぇ」
頷きながらも、ロードはその場を動こうとはしなかった。
彼女の隣には、人形のように虚ろな瞳をした少女が、身動きひとつせずに座っている。
「…お前、ホントに姫さん好きな」
「うん。寝てるけどね」
「あー…まぁ、確かに、寝てるよな…」
《夢》に囚われている状態を指して、「寝ている」のかどうかは微妙なところだが。
「お人形になっちゃったを前にしたら…アレンはどんな顔するかなぁ」
「なに、お前。それが楽しみなの?」
「モチロン。それだけじゃないけどねぇ」
そう答えたロードは、それはもう楽しそうだった。
だが、次に飛び出してきた一言は、酷く辛辣だ。
「絶望に染まっていく顔が早く見たいなぁ。
アクマを自爆させただけで怒るんだもん、のことになったらきっと凄いよぉ?」
無邪気さと酷薄さを内包した、矛盾を孕んだ微笑。
幼さの中にある、明確な冷酷さの垣間見える表情。
ノア一族の中で、敢えて敵に回したくない存在を挙げるとしたら、筆頭はこの少女だろう。
「…あ。面白いこと思いついちゃった」
「何する気か知らんけど、姫さんに害がないようにな」
「わかってるってばぁ。ティッキーはに過保護過ぎ。自分だって苛めたくせにぃ」
「人聞きの悪いこと言うなよ。オレは女子供には紳士よ?」
――最も、『敵』に容赦をする気は毛頭無いが。
そんな言葉を飲み込んで、ティキは立ち上がった。
微かな反応すら示さない、『生きた人形』を――どこか物悲しい気分で眺めながら。
――先の見えない道というのは、人の心を弱らせるには効果的だと、思う。
アレンくんに手を引かれながら、私はそんなことを考えていた。
暗闇の中に浮かぶ、白い螺旋階段。
もうどれだけの長さを歩いてきたのか、実感が無い。
「大丈夫さ? リナリー」
「足、痛むんじゃないですか?」
気遣ってくれるふたりに、私は微笑った。
心配を掛けるのは嫌だったし、実際、だいぶ足の調子は良い。
「大丈夫、歩ける。
って言っても、アレンくんの手に引かれてるから、えらそうに言えないんだけど」
「いえいえ。全然構いませんよ」
こう言うとき、アレンくんとはよく似ていると、思う。
嫌な顔ひとつしないで、私を気遣って、助けてくれるところとか。
「コムイとにバレたら大目玉さ。
ティムキャンピーがどっか行ってて良かったな~、アレン」
「はは…どこ行ったんでしょうね~、ティムキャンピー」
「……」
ラビとふたり、普段通りの言い合いをするアレンくんの姿が、どこか眩しい。
――アレンくん。戻って来てから、なんだか強くなったね。
私は…自分がこんなに弱いと思ってなかった。
イノセンスが扱えなくて、不安で…怖くて。
「リナリ…?」
…私、さっき最低なことを考えた。
私は…さっき、最低なことを…、
――最低の「未来」を………
(ダメ…ッ)
そのイメージを、最悪の未来の幻影を振り払う。
そんなこと、考えちゃダメ。
心まで戦えなくなるのはダメ!!
でないと…闇につけ入られる。
信じなきゃ、もっと。
もっと…
「強く…頑張らなきゃ」
――あの時。
闇に囚われかけた私を、が救い上げてくれたように。
彼女のように、強く。背筋を伸ばして、凛とした瞳を前に向けて。
「「『がんばる』?」」
「(あっ、口に出しちゃった!)」
慌てて口を噤んでも、もう遅い。
アレンくん達の視線が、一斉に集まってくる。
「やっぱり足、無理してるでしょリナリー!
おぶる!!」
「ち、ちがうの考え事! 教団に帰ったらすぐに鍛錬し直さなきゃって…ッ」
「うへぇッ、リナリーなに真面目なこと考えてんさぁ!!」
咄嗟に返した言葉に、ラビが反応した。
それはもう嫌そうな表情をしながら。
「オレ、寝る! 寝ますよそんなん!! クタクタだもん!!!」
「ね、寝ても良いよ別に」
「誰か毛布掛けといてさ!」
毛布も掛けないで寝るつもりなのかしら…?
そのときになったら、毛布くらいは掛けてあげよう。
そう思った矢先に飛び出してきた言葉は、はっきり言って失礼だと思う。
「ダメだなリナリー。もっと色気あること言わんと恋人できねェさ!」
「失礼ですよラビ!!」
「ラビに関係ないでしょ!! いいの、私にはがいるからッ!」
「いで!!」
「え。リナリー、今のさりげなく問題発言じゃないですか!?」
ラビを蹴飛ばしたアレンくんが、我に返ったように私の方を見る。
…そんなに慌てなくても、他意は無いのだけど。
でも面白そうだから、放っておこう。
「いってぇ…。か…ッ、関係は…ねェけどさ…」
「? ラビ?」
「ア、アレンは帰ったら何すんさ?」
「食べます」
無理矢理話を逸らしたラビに、答えたアレンくんは真顔だった。
思わず、私達は一切の動きを止める。
「ジェリーさんのありとあらゆる料理を全ッッッ部!!!」
「(ああ、やっぱり…)」
「(た、大変…ッ)」
食堂が大惨事になる光景が、難なく脳裏に浮かんだ。
…本当に、食糧庫を喰い尽くしかねない。
同じことを考えたらしいラビと、顔を見合わせて思わず笑った。
「食糧庫食い潰しそうさ、アレン。…そのまんま勢いでまで食うなよ?」
「なっ、ちょッ、変なこと言わないでくださいよラビッ!
女性の前でそういうネタ振るのやめてくださいって、前から言ってるじゃないですかッ!!」
「えー、どんなネター?」
「ラビッ!!」
眦を吊り上げてラビに詰め寄るアレンくんに、私は苦笑する。
やっぱり、こういうとき――がいないのは、寂しい。
頼りきりになるわけではないけれど。
がいてくれれば、もっと気を強く持っていられそうな――そんな気がした。
+++
「で? 真面目な話、に手ェ出したりしてねェよな、アレン?」
いきなり何を言い出すんだこの人は。
普段ならサラリと答えてしまっても良いが、今回はそういうわけにもいかない。
「ちょ…ッ、だからリナリーの前でそういう話しないでくださいよ! 怒られるじゃないですか!!」
「怒られるようなことしたんか」
「い、いや、あの」
「怪しい! これ以上ないほどアヤシイ!」
「怪しくないですいい加減にしてくださいッ」
怒鳴りつけると、ラビはスッと目を眇めた。
…これ以上ないほど、何かを企んでいる表情で。
「リナリーーーー、アレンがにいかがわしいことを」
「うわあああっ! ラビちょっと黙ってくださいッ!!」
「もがっ」
「アレンくん。それ、締まってるよ」
慌ててラビの口を塞ぐと、リナリーが妙に冷静に突っ込んでくる。
言われて見ると、咄嗟に口を塞ぐ際に首を絞めたらしい。
「あ、すみません」
「げほげほっ! おま、「すみません」じゃねェさ! 殺す気かッ」
「ラビが悪いんじゃないですか」
文句を言われる筋合いは無い。
のことになると余裕がなくなるのは、自分でも自覚はしてる。
でもそれをラビにからかわれるのは、やっぱり癪だ。
「ぶっ…あはっ、はははは…ハッ」
いきなり上がった笑い声に視線を上げれば、チャオジーが楽しそうに笑っていた。
僕達の視線に気づいて、彼は慌てて居住まいを直す。
「す、すいませんッス。なんか今、エクソシスト様達見てたら、オレらと同じ普通の人みたいで…」
そんな、狼狽えなくても。
彼は決して、『普通ではない』僕達を化け物扱いはしないけれど、それでもどこか一線を引いていたんだろう。
それは仕方の無いことだし、理解しろとは思わない。
闘う力を持たないチャオジーにとっては、それこそ現実味の無い世界だろうから。
「神の使徒様なんていうから、もっと人と違うこと考えてる人達かと思ったッス。
冗談言って笑ったりとか……、恐怖とか……? そういうの……、ぜんぜん…無いのかと……ッ」
笑顔で喋っているけれど、チャオジーの手は小刻みに震えていた。
怖いはずだ。だって彼は、『普通』の人間なのだから。
「あとひとつ…この先に待っているものを乗り越えれば、きっとホームに帰れますよ」
震える手を、握り締める。
ひとりではないと、そういう意味を込めて。
「不安な時は、楽しいことを考えるんです。元気が出ます。…大丈夫」
コムイさんの受け売りだけど。
だけど効果は絶大だからと、そう告げた言葉に、チャオジーは涙目で頷いた。
闘う力を持たない彼には、この状況は相当なストレスになっているだろう。
――早く、ここから出なければ。
『か~~~~~ッ! こんなときに呑気レロねぇお前らッ。
そんな叶いもしないこと考えたってもうムダだって、まだわからないレロか?』
「そんなことないよ、レロ」
今まで黙っていたレロの言葉に、反射的に言葉を返した。
無駄なことなんて、何一つ無い。
それを教えてくれた、たくさんの人がいる。
「僕が教団(ホーム)で一番にしたいことは、みんなでコムイさんに「ただいま」を言うことです」
――そう、『みんな』で。
僕達を案じてくれているすべての人に、その言葉を。
「ああ、でもその前に、迎えに行かなきゃいけない人が居ましたね」
「あ…のこと?」
「はい」
誰よりもまず、彼女に「ただいま」と。
きっとは物凄く怒ってるから、ちゃんと謝らなくちゃいけない。
「きっとぶん殴られるぞー、アレン」
「はは…覚悟は出来てます…」
きっと痛いだろうなぁ、と思う。
どんな傷よりも――いつも、彼女から与えられる痛みが、何よりも痛い。
「――たくさんの約束を、したから」
――共に生きると、約束をした。
だから、生きて帰る。の元へ。みんなと一緒に。
「どんなに望みが薄くたって。
…何も確かなものが無くったって――僕は、絶ッ対諦めない」
言い切ったその言葉が不思議だったのか、レロは言葉を失った。
それに対して、僕はにっこりと微笑んで見せる。
『(…なんでここまで言い切れるレロ…)』
レロが何か言いたそうな顔をしていたけれど、既に目の前に次の部屋が迫っていた。
――ここを乗り越えれば、出口はすぐだ。
神田とクロウリーはまだ追いついてこない。
だけど、とりあえずリナリーとチャオジー、ラビの3人だけでも、ここから出せれば。
「アッレーーーーンっ
」
「???!」
部屋に足を踏み入れた瞬間、小柄な人影が駆け寄って来て、そのまま飛びつかれた。
小柄なそれは、見知った少女だ。
「ロード…ッ」
「キャホォ~~
」
目を瞠る僕に、ロードは猫のようにじゃれついてきた。
ちょっと待って。妙に顔の距離が近…い?
「『!!!』」
え。
ちょ、
…………なに? 今の?
「んな…っ!!?」
『ローとたまぁーーーッッ!!!』
「あ、レロぉ~~
」
『エクソシストとちゅーなんてしちゃダメレロ!!』
…
……
………ああ、もう、認識しないようにしてたのに何てこと言うんだあのカボチャ。
「……」
「アレン? おい、アレン!!」
あああ、揺らさないでくださいラビ、頭痛いです…。
軽く現実逃避しながら、とりあえず口元を拭った。
…あれ、なんだろう。嫌がらせ?
紛うことなく嫌がらせだ、絶対そうだ。
「ロード。なに、お前…?
少年のこと、そんなに好きだったの?」
部屋の奥から、そんな声が聞こえた。
視線を向けた先には、これもまた見知った顔がある。
「千年公以外とちゅーしてるとこ、はじめて見たぞ」
「ティッキーにはしなぁ~い」
レロを振り回しながら、ロードはティキ=ミックの方へ駆け寄っていく。
緊張感の欠片も無い出迎えだった。どっちも。
「「「「………………」」」」
…
……
………が居なくて良かった。本当に良かった。
「何してんの、座って。待ってる間腹減ってさ、一緒にどう?
闘る前にちょっと話したいんだけど?」
「――お断りします。食事は時間があるときゆっくりしますから」
呑気に食事を始めるティキ=ミックに、答える声はどうしても剣呑さが混じる。
彼は何の躊躇いもなく、この左腕を破壊した相手。
飄々としていて掴み所はないが、これ以上ペースに乗せられるわけにはいかない。
「その時間? あとどれくらいか知りたくない?」
「外。絶景だよぉ」
言われて、反射的に窓の方へ駆け寄った。
嫌な予感がする。どうか気のせいであって欲しいと、下を見下ろした。
「!!!」
「アレンッ」
――見なければ良かったのかも、しれない。
「………………ま、」
「街が…無…ッ…」
僕達が通ってきた場所は、どこにも――無かった。
「あと1時間もないかな」
無慈悲な言葉が、耳に突き刺さる。
「残るはオレ達のいる塔のみ。
ここ以外はすべて崩壊し、消滅した」
「そんな…っ」
悲痛なリナリーの声は、途中で物音にかき消された。
まるで逃げ道を断つように、ロードが扉を閉めたのだ。
「!! 何を…!!」
「――座りなよ」
扉を施錠し、ロードが嗤う。
先程までの、無邪気な少女の顔ではない。
――無慈悲で冷酷な、ノアの長子としての、顔だった。
「座れよ、エクソシスト」
そこに含まれるものは、促す形を取った『命令』だ。
「――恐ろしいのか?」
嘲るようなその言葉に、逆に冷静さが戻る。
神田もクロウリーも、既にこの塔の中に入っているかもしれないじゃないか。
――希望は、捨てない。どんな時でも。
ティキ=ミックを睨みつけたまま、僕は対面の席に着いた。
それに続くように、リナリー達も渋々席に着く。
「やっとゆっくり話せるようになったな、少年」
どこがだ。
何を企んでいるのか見当もつかず、ただ睨みつける。
すると、ティキ=ミックは大仰にため息を吐いた。
「そんなカオすんなってー、かわいくねーな。
罠なんか仕掛けてねェよ。イカサマはしないって言ったろ?」
その言葉を信用する要素は、どこにもないけれど。
探るように彼を見据えていると、不意にロードが隣に移動してきた。
「大丈夫だよぉ、アレン♪」
『ロートたまひっついちゃだめレロー!!』
猫のようにじゃれつきながら、ロードが耳打ちしてくる。
向こうでレロが騒いでいるけど、聞く耳持たないようだ。
「出口の扉は、この塔の最上階にちゃんと用意してあるから」
「………ちゃんと外に通じてればいいんですが」
「ふふ♪」
それは肯定か、否定か。
どちらとも取れる微笑に、思わず頭を抱えたくなった。
これでは、埒が明かない。
「――話したいことってなんですか、ティキ=ミック卿。
それとも〝手癖の悪い孤児の流れもの〟さん?」
「そうツンツンするなよ、少年。
ノアをパンツ一丁にしたエクソシストなんて、少年が初だぜ? オレらって縁あると思わん?」
「別に。カードでパンツ一丁にした人なんていっぱいいますから」
「おおう、黒い発言! ホント15歳?」
――茶番だな、と。
白けた気分で目を眇めて、スッと左腕を持ち上げる。
「――このイノセンスのことですか?」
――ティキ=ミックの表情が、変わった。
「実はけっこー衝撃だったんだよね。確かに壊したハズなんだけどな」
「壊せてなかったんでしょう? ここに在るんだから」
わざと挑発するように嗤って見せれば、相手も笑みを崩さない。
腹の探り合いだ。無言の睨み合いが続く。
「おっ? イノセンスに興味出てきたぁ? ティッキー?」
「ちょっと出てきた。じゃさ、少年。
ティーズに心臓を喰われても生きてたのは、その左腕のせいなワケか?」
「!!?」
なにげない風を装ったティキ=ミックの言葉に、ラビとリナリーが顔色を変えた。
しまった、と思った時にはもう遅い。
「心臓って…ッ!? アレンくん!!」
「聞いてねェぞアレン! お前、そんな傷負ってんのか!?」
「うっ…」
だまってたのに…ッ。
なにもわざわざバラすこともないだろう。腹が立つ。
「イノセンスの一部が心臓の一部になってくれてます。問題はありませんよ」
返した瞬間、ラビの表情が僅かに強張った。
なんだろう、と疑問に思った矢先、不意にティキ=ミックの雰囲気が微かな変化を見せる。
「――ロード。そろそろ少年から離れてくんない?」
それは、闘いの合図に近しい言葉だった。
場に緊張感がはしる中、それを物ともせずにロードが不満の声を上げた。
「え~~、愛してるのにぃッ」
「あの…」
「コラコラ。エクソシストとノアの恋は実らねェぞ。乗るな」
いや、ノアとかエクソシストとか、そういう以前の問題だと思う。
「オレね。千年公の終焉のシナリオっての?
遊び半分で参加してたんだけどさ」
言いながら、ティキ=ミックは席を立った。
吐き出された紫煙が、ゆらりと揺れる。
「やっぱ悪はそうでなくっちゃあなぁ。
うん、少年のおかげでちょっと自覚出てきた」
飄々とした態度が、徐々に鋭利なそれへと変化していく。
――視界の端で、『何か』が動いた。
「退治? 本気でやんねェとなってのがわかったわ」
リナリーの傍に、大振りの蝶を模したそれが、舞い降りた。
咄嗟に左手を、伸ばす。
「――ティキ=ミック。僕もひとつ言っときたいんですが」
席を立ち、リナリーの座る椅子の背に、爪を突き立てた。
――ティーズを、縫い止めて。
「これ以上…僕の仲間に手を掛けたら……
――僕は貴方を、殺してしまうかもしれません」
その言葉に、ティキ=ミックは嗤う。
癪に障る笑い方で。挑発するように。
「リナリー。信じてて。…アイツは、僕が行く」
テーブルの上に足を着き、長いテーブルの上を、蹴るように走る。
「少年のことは嫌いじゃないんだがな」
無駄話をする気はない。
好かれる気もない。
左腕に力を込めて、攻撃を繰り出した。
「――戦う理由をもうひとつくれてやろう、少年」
「!?」
キィンッ、と。
高く鳴る、剣戟の音。
攻撃を防がれたことよりも、
――目の前に舞う漆黒に、驚愕した。
「……」
それは大きく腕を振った。
反動で弾き飛ばされ、なんとか踏みとどまる。
華奢な肩口を滑るぬばたまの黒が、視界に焼き付いて離れない。
「な、なん、で…!?」
後方で上がる、悲鳴に近いリナリーの声。
ラビが息を呑む気配がする。
「……」
無意識に、その名前を呟いていた。
「……」
硝子玉のような瞳は、揺らがない。
何も映さない、感情のない、――双黒。
「……? どうして…ッ」
「――一応フォローしとくとな、少年。
姫さんはオレを守ってくれたワケじゃないのよ、残念ながら」
紫煙を吐きながら、ティキ=ミックは語る。淡々と。
だけど僕は、目の前にいる、虚ろな表情をしたから視線を離せない。
「『人形』は、目の前にある『何か』に反応して、動くだけだ」
「人、形…?」
「そ。心を《夢》に囚われ、感情を封じられたお人形」
「――――ッ!!」
目の前が、真っ赤に染まるような錯覚を、覚えた。
「…に、を…した…」
声が、震える。
体中の血が、沸騰するような感覚がする。
「――に、何をした…!?
どうしてがここに居る! おまえ達がッ…こんなところまで連れてきたのか!」
「それは違うよぉ」
不意に、背後からロードが口を挟む。
彼女はスッと僕の横を横切り、の手を取った。
「女の子をさぁ…甘く見過ぎだよぉ、アレーン?」
は一切の抵抗をしない。
ただ、そこに立っていた。…『人形』のように。
「は単身ここまで乗り込んで来たんだよぉ?
『仲間』が自分の知らないトコロで傷つくのが嫌だ、って」
不自然なほど静かな、硝子玉のような瞳。
感情を映さない双黒。
だけどその奥には――何か、朧気に感じる明確な意志が、ある。
「――アレンを護りたいんだ、って。ね?」
「……ッ!」
――わかっていた。
彼女は…は、いつも真っ直ぐで。
どんな状況に陥っても、決して自分の信念を曲げない。
わかっていた。
その強さに、気高い魂に、どうしようもなく惹かれたのだから。
だからきっと…
が追って来ることを、どこかでわかっていた。
わかっていた、のに。
「アレンには感謝しても良いくらいだね。
の《覚醒》はほぼ完璧。あとは仕上げを残すだけ」
嗤うロードの言葉は、まともに耳に入らない。
ただ、ロードに手を引かれて『動く』の姿が、思考を奪う。
「大事な僕らの《お姫さま》を、ここまで育ててくれてありがとぉ。
これで僕達の悲願にまた一歩近づけた。そして――」
歯を、食いしばる。
駄目だ。絶望するな。顔を上げろ。
「――アレン達の絶望にも、ね」
ロードの声を振り払うように、駆け出す。
何の感情も映さない双黒から、逃れるように。
「ラストダンスと行こうぜ、少年」
そして少年は、『護る』ことの傲慢さを知る。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。