『…ここが江戸の入り口でありんす、姫御前』
辿り着いたその場所から、わたしは不意に空を見上げる。
――崩れる、ジグソーパズルのような、空。
そこに浮かぶ物体に、わたしは視線を縫い止められた。
「…ッ! あれは…方舟…!?」
『…あの方角…アクマが集結していた辺りでありんす…』
「…くッ…」
間に合わなかった…?
もう、アレン達は方舟の中だっていうの!?
「…戦闘の音がする…」
『エクソシストとアクマが闘っているのでありんしょう』
ツバキの言葉に、わたしは小さく頷いた。
「行かなきゃ…ッ」
『…姫御前…あちきはここまでが限界でありんす』
駆け出そうとしたわたしは、そんな言葉に足を止めた。
振り返ると、ツバキは額に脂汗を浮かべながら蹲っている。
『最後まで一緒に行けありんせんことが、心残りでありんすが…』
「ツバキ!」
『さ…あちきが姫御前やお仲間を襲い出す前に、姫御前の手で壊してくんなまし』
「…ッ」
咄嗟に、わたしはツバキに抱きついた。
わたしが傍にいればいるほど、ツバキは殺人衝動を抑えられなくなるのだ、わかってる。
それでもわたしは、そうすることを止められなかった。
「…ツバキ…ごめんね、ごめんね、ツバキ…ッ!」
『…泣いてはいけんせん、姫御前。あちきはアクマでありんす』
わたしの頭をぽんと軽く撫でて、ツバキはわたしから一歩、距離を取った。
その額に浮かんだペンタクルはどんどん濃くなっていって、徐々に人の原型を崩し始めていた。
『…綺麗な名前、ありがたいことでありんす。とても…嬉しゅうございんした。
短き間でありんしたが、姫御前と旅が出来て楽しかったでありんす』
「――発、動」
わたしの背に、漆黒の羽根が具現する。
それはわたしの意志のままに腕へと集結し、小刀程度の大きさの刃になった。
ぐっと、わたしはそれを握り締める。
それは酷く軽いのに、確かな存在感があった。
「…哀れな、アクマに…魂の救済を――ッ」
叫びながら、わたしはその刃を振り下ろした。
確かな手ごたえと共に、刃がツバキの身体に埋まる。
――感じる。
イノセンスがダークマターを侵し、破壊している感触。
『…ありがとうございんす、姫御前…これでやっと、自由になれんす』
ツバキが、微笑んだ。
痛いはずなのに、どこまでも穏やかな微笑で、わたしを見ている。
『…本当に、自由に…――』
泣くな。
泣いちゃ駄目だ。
鎖で繋がれた魂を、葬送するんだ。
だからこれは、救済。
泣くのはおかしい。それは冒涜だ。
ようやく救われる彼女の為に、哀しくて泣くなんておかしい!
「…重い、なぁ…ッ」
『死』という事実が、重い。
たったひとりで背負った『死』が、こんなにも重い。
その重みに押し潰されそうになりながら、わたしは立ち上がる。
――泣くことすら、今は偽善だ。
ざくりと、土を踏む音が聞こえる。
AKUMAの気配ではない。わたしはそのまま振り返った。
視線の先にいたのは、大柄な男。
団服を纏う彼を、わたしは『知っていた』。
「…あなたは…ティエドール部隊の、ノイズ=マリ?」
「! では、そちらはもしや、クロス部隊の=か?」
「ええ」
頷き、わたしはようやく会えた同胞に安堵する。
とりあえず、迷子にならなくて済みそうだ。
「会えて嬉しいわ。どうしてここに?」
「アクマのノイズに混じり、人間の《音》が聞こえて様子を見に来た。
しかし、何故ここに? 本部の元帥とヘブラスカの警護に付いたと聞いていたが…」
「またそんな勝手なことを…」
アレンだな。コムイさんと口裏合わせでもしたのか…。
しかも防護能力しか持っていないと思われてるわたしには、違和感のない任務内容だし。
「…許可は得ています。現状の報告を」
「ああ。しかし、移動した方が良さそうだな」
その言葉と共に、がさりと茂みが音を立てる。
――この気配。AKUMAだ。
「3…4体?」
「――日本は既に、アクマの巣。
ここに居ては危険だ、皆の元へ戻る。付いてきてくれ」
「了解――」
マリが駆け出し、わたしは羽根を広げて追いかける。
今はただ、先のことだけを考えよう。
わたしは、振り返れない。
+++
「ちゃん…!!」
わたしを出迎えたのは、真っ青な顔色をしたミランダさんだった。
涙目でわたしに駆け寄り、震える腕で抱き締められる。
「ミランダさん…お久しぶりです」
「ああ、良かった…! アレンくんと一緒じゃなかったから、私、心配で…ッ」
「あー…アレンね、はいはい」
アレンの名前を聞いた瞬間、沈静化していた怒りが込み上げてきた。
自然と低くなる声に、ミランダさんが怯えたようにわたしを呼ぶ。
「…あ、あの、ちゃん…?」
「で、ミランダさん。そのクソガキどこですか」
わたしはそのまま、笑顔で切り返した。
ミランダさんが硬直して動かなくなる。
…なんだろう。怯えられてる気がするんですけど。
「――嬢。戻られたか」
静かな声と共に、ブックマンが進み出てきた。
懐かしいその姿に、わたしは頷く。
「ブックマン。お久しぶりです」
「うむ…無事で何よりだ」
その背後から、見慣れないおじさんが現れる。
金の装飾を施された団服。その容姿。…実物を見るのは、初めてだ。
「ティエドール元帥ですね。
…お初にお目に掛かります、クロス部隊所属,=です」
「ああ、堅苦しいのは無しでいいよ。それどころじゃないしね」
そう言うと、ティエドール元帥はブックマンと顔を見合わせ、小さく頷く。
ブックマンが、わたしの方に向き直った。
「…嬢。心して聞かれよ」
「はい」
「――1時間ほど前、アレン達が消えた。恐らく狙いはリナ嬢だ」
静かなその言葉に、震えがはしる。
それでもわたしは、毅然と頷いた。
「――リナリーのイノセンスに、ハートの可能性があるんですね」
「…気づいておったか…食えぬのう、おぬしは」
気付いたんじゃない。『知っていた』だけだ。
わたしにしかわからない、その微妙な差異――だけど一緒に居ないと役に立たない!
「…消えたのはアレン、リナ嬢、ラビ、アレイスター、神田。そして水夫のチャオジーだ。
そして、おそらくその行方は――――」
「――方舟」
わたしは、空に浮かぶそれを仰いだ。
ズレたルービックキューブのような、物体。
――方舟。
あの中で今、死闘が繰り広げられている――!
「…あそこに…みんなが…」
「――どうされるつもりだ、嬢」
「方舟に向かいます」
静かに返したわたしに、ブックマンの表情が険しいものになる。
「確かに、嬢のイノセンスなら近づくことは出来よう。しかし、入ることなど叶わぬぞ」
「それでも、わたしは――ッ」
『――来られるよぉ、だけならね』
突然響いた声に、わたしは反射的に振り返った。
この、声。そして、その姿。
どこか透けたような色をした、ノアの少女――ロードが、そこにいた。
「…ロー…ド…?」
『ハロー、。久しぶりぃ』
ひらひらと、ロードは親しげに手を振ってくる。
その表情は上機嫌の笑顔だった。
『来てくれると思ってたよぉ?
うんうん、随分《覚醒》に近づいてるね。嬉しいなぁ』
「…ロード。どういうこと? あんた、方舟の中にいるはずでしょう!?」
『あー、やっぱ『知ってる』のかぁ。居なかったから知らないのかと思ってたのに、残念』
言葉とは裏腹に、まったく残念そうじゃない口調で言って、ロードは軽く小首を傾げる。
『コレは本体じゃないよ。本体は別のトコロ』
「あー…」
そんな芸当も出来るのか。
なんかもう…ノアってなんでもありだなぁ…。
「…アレン達は無事でしょうね?」
『んー? ナーイショ♪』
このクソガキ!
思わず笑みを引きつらせ、わたしは嫌味を込めて告げる。
「…で? 親切に招待状でも持ってきてくれたわけ?」
『そうだねぇ。そろそろ教えてあげる時期がきたみたい』
くす、と小さくロードは嗤った。
『――おいで、。方舟で待ってるよ』
「って。どうやって行けってのよ!!」
『なに言ってるのぉ? なら簡単に来られるでしょぉ?』
スッと、ロードが腕を伸ばす。
小さな手が、わたしの両頬を包んだ。
『君の持つ《力》に意識を重ねて。《声》が聴こえるなら、出来るでしょ?』
「…《声》…イノセンスのこと…?」
問い返すわたしに、ロードは嗤う。
『僕の《能力》は、前に『見た』よね?』
囁くような声。
頭が、ズキリと痛んだ。
『それなら、は方舟への道を『創れる』はず』
ぞわりと、総毛立った。
身体が震える。全身から血の気が引くような感覚に襲われる。
「いかん! ッ!」
「来ないで!」
駆け寄ってこようとするみんなに、わたしは鋭く言い放つ。
ぴたりと、動きが止まった。
「――大丈夫」
無理に微笑って、わたしはそれだけを告げた。
頭が痛い。目が霞む。
思考だけが生きている、そんな感覚を覚えた。
『さあ――目醒めて。僕達の《姫君》』
ドクン、と。
鼓動が脈打つ。
耳の奥で、《声》が響いた。
《――願え。我が力を》
ドクンッ、と。
耳の奥に響く脈動の音が大きくなった。
「…ッ」
スッと、腕を持ち上げる。
ほぼ無意識のその動きに、呼応するようにわたしの中で何かがざわめいた。
「――発動…ッ」
――臨界点、突破。
「…《黒龍(コクリュウ)》」
キン…ッ、と。
微かに背後から響く、鉱石の触れ合うような音。
初期の頃から比べて肥大化した羽根は、まるで水晶のような輝きを纏う。
――否、それは黒水晶だ。
『はっ…あはははははははははッ!!』
突然、ロードが笑い出した。
まるでそれは、滑稽な道化を笑うように。
『あくまで、エクソシストであることを望むの?
。
まぁ、どっちでも良いか。元々ノアではないし、ただの人間でもエクソシストでも一緒だよ』
「…何を、言ってるの?」
ロードはわたしの問いには答えない。
ただ嗤って、わたしの顔を覗き込んできた。
『――やり方は前に『見せてる』。
その黒水晶の羽根を使ってここまでおいで、』
ふわりと、ロードがわたしから離れた。
その表情に、どこか穏やかにも見える微笑を浮かべて。
『僕達ノアは、君を歓迎するよ――!』
甲高い笑い声を残して、ロードの姿はノイズの入った映像のように歪む。
そしてそのまま、霧散した。
――幻覚、か?
「臨界者…」
「こんな異例の形での誕生は、聞いたことが無い…」
ブックマンとティエドール元帥の声が、遠くに聞こえる。
…臨界者? 臨界者って、なに…?
「」
ティエドール元帥が、わたしの前に立つ。
始終穏やかだった双眸に、鋭い色が浮かんでいた。
「臨界点の突破――イノセンスとのシンクロ率が100%を越える現象。
これは、元帥となる唯一にして絶対の『資格』だ」
「…元帥…?」
この《世界》における、イレギュラーのわたしが?
無理に決まってるし。なんだそれ。
「ケビン=イエーガーが死に、元帥の欠番は一席。
君は、新たにそこに座る資格を得た。この意味がわかるかね」
「…ごめんなさい。そんなこと、わたしにはどうでも良いんです」
そう返して、わたしは頭を下げた。
よくわからないけど、そんなことはどうでも良い。今は、ただ――
「ただ、みんなと教団(ホーム)に帰りたい。それだけですから」
わたしの言葉に、ティエドール元帥は目を細めた。
読めない人だなぁ、と思う。だけど、わたしはわたしの意志を曲げる気はない。
「…ブックマン。みんなが消えた地点はどこですか」
「あ、ああ…そこに描かれた陣の上だ」
示された場所に向かい、わたしはその場に片膝を着いた。
そして、陣の上に手を翳す。
「――《複写開始(トレース・オン)》」
イメージする。
そこへ至る為の道順。
それはパズルのピースを填めていくような、感覚。
――『やり方』は、前に『見てる』。
思い出せ。
ピースを填めるように。鎖を繋ぐように。
「…《複写終了(トレース・アウト)》。――起動しろ!」
ピシッ…と。
耳に響く、異音。
淡い光を放ち始めた陣を、わたしは呆然と見つめる。
…なんだ、この力。
「……」
思わず、自分の手を見下ろした。
わたし、今、何をした――?
「…嬢…これは、いったい」
「ブックマン…」
「能力の複写…? いや、この現象は…」
ジッと、ブックマンがわたしを見据える。
まるでそれは、観察するかのようだ。
もう一度、わたしは輝く陣を見る。
陣は機能を再開させた。これを使えば、方舟の中に入れる…?
一歩踏み出したわたしの腕を、誰かが掴んだ。
振り返ると、ミランダさんが震える手でわたしの腕を掴んでる。
「ちゃん、ダメ…危険だわ!」
「…ごめんね、ミランダさん。でも、ちゃんとみんなと戻ってくるから…」
やんわりと、わたしは彼女の手を外した。
そしていずれも劣らぬ、驚愕の表情でわたしを見る彼らに、微笑う。
「――勝手でごめんなさい。わたし、行きます」
少女の覚醒と、その身に秘められた謎。
To be continued?
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