その瞬間を、わたしはきっと一生忘れないんだと思う。
交わした言葉は、正直あまり覚えていない。
多分、お互いに意味の無い言葉を口にしていただけだった。
ただ、覚えているのは『熱』。
繋がること。
そして、ひとつに溶け合うこと。
昔どこかの誰かが、
〝惚れるのは状態であり、愛するのは行為である〟
なんていう格言を残してるけど、その通りだと思った。
心には直に触れられないから、肌を重ねる。
それが『愛する』という『行為』。
なるほど、確かにしっくりくる。
だけどヒネクレ者のわたしには、あれがそんな綺麗な行為だとは思えなかった。
それは世界で最も美しく、同時にもっとも醜いもの。もっと本能的な何か。
獣じみた感情が、確かにわたしの中にもあった。
そのせい、だろうか。
より深く繋げたはずなのに、その距離が遠い。
触れ合うことでわたしは気づく。
違和感の正体。
まるでそれは、掛け違えたボタンのようなズレ。
わたし達はまた、すれ違ったままだ。
それでもわたし達は互いに執着するし、それを互いに理解している。
すれ違ってしまうのは、互いに譲れない何かがあるからだ。
わかっているから、わたしは繋ぎ止めようと足掻く。
わかっているから、彼はわたしを突き放す。
知っていたくせに、どうして絡めた指を解いてしまったのか。
この身体に刻まれた、眼に見えない証は――消えないというのに。
ああ、
――《愚かな道化(オーギュスト)》は、わたしだ。
「……」
目を開けると、天井が見えた。
ここ数日で見慣れたそれは、わたしが借りていた部屋のもの。
薄暗い部屋は、地下にあるせいで窓が無い。
天然の光を取り入れられない部屋にずっといたから、思う。
…ああ、太陽が見たいなぁ、なんて。
無駄に詩的になってしまうのは、わたしが昨日までのわたしと、少し違うからだろうか。
「…おはよう、」
すぐ近くで、『アレン』がそう言って微笑んだ。
ゆっくりと瞬きをして、わたしはその笑顔を見つめる。
「お腹空いたでしょ。何か貰って来ようか?」
そう言って頭を撫でる手に、わたしはゆっくりと自分の手を重ねた。
その体勢のまま、わたしは呟く。
「…いいよ」
「え?」
「もう、いいよ…そんなことしなくていいよ…フォー」
「……」
わたしの言葉に、『アレン』が視線を落とす。
ヴン…と、映像にノイズが入るような感覚がして、目の前の『アレン』は、フォーの姿に変わった。
「…だから言ったんだよ。には一目で見抜かれるって」
視線を落としたまま、フォーが呟いた。
ああ、やっぱり、彼女はどこまでも優しい。
「…ごめんね、実体化するのも辛いのに、そんなことさせて」
「…おまえが謝ることじゃねェだろ」
「うん。でも、ごめんね」
「…」
フォーが、どこか痛そうな表情でわたしを見る。
…そんなに酷い顔をしてるだろうか、今のわたしは。
「どのくらい、経った?」
「…3時間程度」
「そっか…じゃあ、いつもわたしが起きる時間だね。おはよう、フォー」
にっこりと微笑んで、わたしは小さく首を傾げた。
そんなわたしを、フォーは辛そうに顔を歪めながら見る。
「…おまえは、怒って良いんだぞ?」
「うん?」
「そんな顔で、微笑わなくて良いんだ」
「……」
そんな顔って、どんな顔だろう。
情けない顔? ああ、それは思い当たるフシがある。
「怒って良いんだ。泣いて良いんだ、。
許容して、諦めて、無理に微笑わなくて良いんだよ、おまえは!」
悲鳴に近い声で言って、フォーが小さな身体を目一杯使ってわたしを抱き締めた。
優しいなぁ、とわたしは苦笑した。
だって、わたしよりずっと傷ついた顔をしてるんだもの。
「…頼むから、そんな顔で微笑うな…ッ」
「フォー」
「ごめんな。あたしがあの場に居たら、こんなことさせなかった」
「フォーのせいじゃないよ」
「あ、でもな、バカバクはちゃんと叱っといたから!」
「あはは、バクさん可哀相、とばっちりだ」
飛び蹴りされるバクさんの姿が容易に想像出来て、わたしは苦笑を洩らす。
いや、バクさんのせいでもないんだけどなぁ。
「だけど、わかってやれ。ウォーカーはおまえが大事なだけなんだ」
「うん、わかってる」
「だからって我慢することねェからな! 帰って来たらぶん殴るくらいに怒って良いんだぞ!」
「ううん、待てない」
変わらない笑顔で返したわたしの一言に、フォーがきょとんと目を瞬かせた。
私は表情を崩さないで、そんなフォーを眺めている。
「…は?」
「帰って来るまで? 待てるわけないじゃない」
抱きついているフォーの身体を隣に退けて、わたしは寝台から降りた。
下半身が気怠い。それが余計にわたしを苛つかせる。
……しかし、抱いた女を翌日の朝に殴るってどういう扱いだあのクソガキ。
「今すぐ追い掛けてぶん殴らないと、気が済まないわ」
拳をギリギリと握り締めながら、わたしは笑顔で言い放った。
――許容? 諦め? ハッ、誰が!?
わたしは、ものすごく、今までに無いほど怒ってんだよ!!
「ちょ…っ…待て、! さすがにそれは無茶だろ!?」
顔色を変えたフォーが、困惑というよりはむしろ狼狽の浮かぶ表情で言った。
無茶だ? どこがですか。至極真っ当、正当な行動だよ!
「わたし、やられたら倍返しが基本なの」
「それは賛成だ。…って、そっちの話じゃねェよ!
怒って良いとは言ったが、追い掛けて良いとは一言も言ってねェぞ!?」
「フォー」
畳んで置いてあった団服を手に取り、袖を通す。
真新しい団服はまだ着慣れていないせいか、普段着の感覚にはまだ遠い。
「訂正する。わたしとアレンはやっぱり似た者同士みたい」
髪を払って、振り返る。
思いっきり顔を引きつらせているフォーに、わたしは口角を持ち上げて笑った。
「わたしはわたしの意思で行動する、誰からの束縛も受けない。
アレンがわたしを置いていったのがアレンの勝手なら、わたしも勝手に追いかける」
「バカ、無理に決まってんだろ!
あの方舟だって続けて使って良い物なのか、危険が無いのかどうかもまだわかってな」
「知るか、そんなこと」
「ッ!!!」
眦を吊り上げるフォーの言い分はわかる。だけどわたしも引く気はない。
…わたしが『知っている』この先の《物語》は、方舟突入から神田とスキン=ボリックの戦いの勝敗まで。
先が見えない《物語》ほど、恐ろしいものはない。
わたしが知らないところで、みんなが傷付くのは嫌だ。
「誰の許可も要らない。勝手に使うわ」
「だからダメだって言ってんだろーが!
方舟は研究中だ、周囲の支部員吹っ飛ばして行く気かテメェは!!」
「……そう。だったら、」
我が儘で申し訳ないとは、思うけど。
それでも譲るわけにはいかないから、わたしはただ、笑って言い放つ。
「飛んでいくから、別に良い」
今度こそ、フォーは絶句した。
+++
『まったく…アレンくんがあんな暴挙に出るとは、さすがに思わなかったよ…』
「その言葉はそっくり返すぞ、コムイ」
受話器を挟んで、室長と支部長は同時に溜め息を吐いた。
方舟の解析は遅々として進まず、現状の把握も出来ない彼らもまた、結構ストレスが溜まっていた。
『で、方舟の方は無事に通過出来たみたい。
江戸に入った時点で通信が切れたんだろうね』
「そうか…無事に、というとおかしいかもしれんが、辿り着けたのだな」
『問題はその後なんだけど、ねぇ…』
なにせ、鎖国状態の日本に入ったら通信が出来ない。
バクの作った無線機はまだ試作段階で、日本国でも使えるのかどうかはわからないのだ。
それに加えて、3時間前の出来事である。
始終普段通りの振る舞いを見せていたアレンだったが、あれは相当切羽詰まっているとふたりは感じていた。
『…ちょっとね、ふたりを組ませたのを後悔したよ』
「…ウォーカーとか」
『うん。…まさか、あんなにアレンくんが追い詰められてるとは思わなかった』
元から危うい子ではあったけれど、と。
沈んだ声で言うコムイに、バクは返す言葉が見つからない。
『ちゃんの真っ直ぐさは、彼に良い影響を与えてくれると思っていたんだけどね…』
「良い影響も悪い影響も与えるのが、人間というものだよコムイ」
それは正しく心理だろう。
大切なものを作らないことで強さを手にした少年には、ただひとりの『特別』を作ることは酷だったに違いない。
恐ろしいほどの純粋さでAKUMAをも愛する彼には、秤を傾ける少女の存在が重過ぎるのだ。
今まで危ういバランスで保たれていた均衡を崩す、唯一の誰かを愛するという行為。
大切な人を壊してしまった過去を持つアレンには、気ばかりが焦って最悪の選択をしてしまうのだろう。
唯一の救いは、という少女が、彼を深く理解していることなのだろうが…。
『…ちゃんはどうしてる?』
「部屋で眠っている。フォーに看させているから、起きていきなり錯乱することはないだろう」
ああ、と納得がいったようにコムイは相槌を打った。
アジア支部のセキュリティ,《守り神》であるフォーの擬態能力は、コムイもよく知るところだ。
「…フォーの擬態、いつまで騙せると思う?」
『あー…多分、無理じゃないかな』
苦笑混じりに、コムイは即答した。
無理、というのは「騙せない」ということに他ならない。
『ちゃんは、結構観察眼が鋭いからね。お馬鹿なことばっかりやってるけど、頭も悪くない。
彼女がエクソシストじゃなかったら、科学班に欲しいくらいだよ』
どこまで本気なのか、そう言ってコムイは笑った。
だが、次に呟かれた言葉の方が本音なのだろうと、バクは思う。
『それに…アレンくんのことなら、すぐに見抜いてしまうだろうし、ね』
「そう…だな。彼女はそういう子だ」
誰よりもアレン=ウォーカーという少年を理解し、その心が抱える闇すら受け止めようとする、少女。
それもまた、純粋で恐ろしい程の愛情だった。
思えばという少女は、不思議な存在だとバクは思う。
決して目立つような容姿ではないし、一見すればどこにでもいるような平凡な少女。
そうかと思えば、自然と周囲を惹きつける何かを持っている。
自然と、ひとの心に入り込んでくる、存在感。
それこそが彼女の持つ希有な能力なのではないだろうか。イノセンスや、その《声》を聴く耳よりも。
「バク! おい、バクッ!!」
「フォー。どうした、血相変えて」
思考に埋没し掛けたバクは、慌てた様子で駆け込んできたフォーに驚いて目を瞠る。
彼女は相当焦っているらしく、ばたばたと両腕を振り回していた。
「あいつを止めろ!」
「あいつ?」
「だよ、! あのじゃじゃ馬娘!
方舟使わせねェっつったら、飛んで行くから良いって外に飛び出して行ったんだ!!」
「な…っ」
ぎょっと目を瞠って、バクは思わず立ち上がった。
片手に握ったままの受話器から、コムイの呑気な声が響く。
『あー…似た者同士だねぇ、アレンくんとちゃん』
「呑気に感心してる場合かッ!!
ウォン! すぐにを連れ戻せ! 彼女に万が一のことがあったら、ウォーカーに顔向けできん!」
「はっ!」
「あたしも行くぜ!」
ウォンとフォーが部屋を飛び出して行くのを見送りながら、バクは溜め息を吐く。
…頭痛がしたのは、寝不足のせいではないだろう、決して。
「…フォーの回復の為に一部解除したセキュリティの隙を衝いたか…まったく、なんてじゃじゃ馬娘だ」
『いやー…ごめんねぇ、バクちゃん。うちの子達が迷惑かけてー』
「バクちゃんと呼ぶな。…一旦切るぞ、を回収してくる」
『うん。…でも多分、あの子も言うこと聞かないと思うよ』
苦笑混じりに言われた言葉に、深く頷いてしまうバクだった。
+++
「…っと」
港まで辿り着いて、わたしはそこに着地した。
あの日の惨劇など、まったく見受けられないが――確かにここに、舟があった。
方角は間違いない。
舟で5日は掛かる行程だけど、この羽根ならそこまで掛かるまい。
全神経を飛ぶことに集中させれば。いや、音速くらい超えてやる。
『そちら様』
いざ飛び立とうとした瞬間、声を掛けられた。
いや、正確には自分が呼ばれているのかどうかすら、よくわからないんだけど。
おもわずきょろきょろと辺りを見回す。
周囲には人が居ない。…じゃあ、やっぱりわたし?
『そちら様。黒い羽根をお持ちの御方』
「え。わ、わたし?」
黒い羽根、なんて間違いなくわたしじゃん!
恐る恐る振り返ると、そこには女の人が立っていた。
ぬばたまのような黒髪。豪奢な着物。その顔立ちは、日本人だ。
なんでこんなところに、あんな格好で…と疑問に感じる前に、わたしはハッと身構える。
その額には、ペンタクルが刻まれていた。
――AKUMA!!
臨戦態勢を取るわたしに、AKUMAは優雅な所作で頭を下げた。
困惑するわたしに、AKUMAは再び口を開く。
『そちら様は、様でありんすな』
「は?」
なんだこの喋り方。
一瞬呆けてしまってから、ふと思い出す。
もしかしてこれ…江戸時代の遊郭で使われてた、ありんす言葉じゃない…??
「…間違いなく、日本製のアクマ…伯爵の遣いね?」
『それは誤解でありんす』
ゆるりと頭を左右に振って、AKUMAは微笑った。
艶やかな微笑を湛えたAKUMAは、もう一度深々と綺麗な礼をする。
『アクマはアクマでも、あちきは改造アクマ。
あちきは元帥のひとり,クロス=マリアンの遣いでありんす』
こんな展開聞いてない。
To be continued?
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