その瞬間を、わたしはきっと一生忘れないんだと思う。



交わした言葉は、正直あまり覚えていない。
多分、お互いに意味の無い言葉を口にしていただけだった。


ただ、覚えているのは『熱』。
繋がること。
そして、ひとつに溶け合うこと。


昔どこかの誰かが、
〝惚れるのは状態であり、愛するのは行為である〟
なんていう格言を残してるけど、その通りだと思った。

心には直に触れられないから、肌を重ねる。
それが『愛する』という『行為』。
なるほど、確かにしっくりくる。
だけどヒネクレ者のわたしには、あれがそんな綺麗な行為だとは思えなかった。

それは世界で最も美しく、同時にもっとも醜いもの。もっと本能的な何か。
獣じみた感情が、確かにわたしの中にもあった。


そのせい、だろうか。
より深く繋げたはずなのに、その距離が遠い。

触れ合うことでわたしは気づく。
違和感の正体。
まるでそれは、掛け違えたボタンのようなズレ。



わたし達はまた、すれ違ったままだ。



それでもわたし達は互いに執着するし、それを互いに理解している。
すれ違ってしまうのは、互いに譲れない何かがあるからだ。

わかっているから、わたしは繋ぎ止めようと足掻く。
わかっているから、彼はわたしを突き放す。


知っていたくせに、どうして絡めた指を解いてしまったのか。
この身体に刻まれた、眼に見えない証は――消えないというのに。



ああ、
――《愚かな道化(オーギュスト)》は、わたしだ。



File38 解かれた指




「……」

目を開けると、天井が見えた。
ここ数日で見慣れたそれは、わたしが借りていた部屋のもの。
薄暗い部屋は、地下にあるせいで窓が無い。
天然の光を取り入れられない部屋にずっといたから、思う。

…ああ、太陽が見たいなぁ、なんて。

無駄に詩的になってしまうのは、わたしが昨日までのわたしと、少し違うからだろうか。

「…おはよう、

すぐ近くで、『アレン』がそう言って微笑んだ。
ゆっくりと瞬きをして、わたしはその笑顔を見つめる。

「お腹空いたでしょ。何か貰って来ようか?」

そう言って頭を撫でる手に、わたしはゆっくりと自分の手を重ねた。
その体勢のまま、わたしは呟く。

「…いいよ」
「え?」
「もう、いいよ…そんなことしなくていいよ…フォー」
「……」

わたしの言葉に、『アレン』が視線を落とす。
ヴン…と、映像にノイズが入るような感覚がして、目の前の『アレン』は、フォーの姿に変わった。

「…だから言ったんだよ。には一目で見抜かれるって」

視線を落としたまま、フォーが呟いた。
ああ、やっぱり、彼女はどこまでも優しい。

「…ごめんね、実体化するのも辛いのに、そんなことさせて」
「…おまえが謝ることじゃねェだろ」
「うん。でも、ごめんね」
「…

フォーが、どこか痛そうな表情でわたしを見る。
…そんなに酷い顔をしてるだろうか、今のわたしは。

「どのくらい、経った?」
「…3時間程度」
「そっか…じゃあ、いつもわたしが起きる時間だね。おはよう、フォー」

にっこりと微笑んで、わたしは小さく首を傾げた。
そんなわたしを、フォーは辛そうに顔を歪めながら見る。

「…おまえは、怒って良いんだぞ?」
「うん?」
「そんな顔で、微笑わなくて良いんだ」
「……」

そんな顔って、どんな顔だろう。
情けない顔? ああ、それは思い当たるフシがある。

「怒って良いんだ。泣いて良いんだ、
 許容して、諦めて、無理に微笑わなくて良いんだよ、おまえは!」

悲鳴に近い声で言って、フォーが小さな身体を目一杯使ってわたしを抱き締めた。
優しいなぁ、とわたしは苦笑した。
だって、わたしよりずっと傷ついた顔をしてるんだもの。

「…頼むから、そんな顔で微笑うな…ッ」
「フォー」
「ごめんな。あたしがあの場に居たら、こんなことさせなかった」
「フォーのせいじゃないよ」
「あ、でもな、バカバクはちゃんと叱っといたから!」
「あはは、バクさん可哀相、とばっちりだ」

飛び蹴りされるバクさんの姿が容易に想像出来て、わたしは苦笑を洩らす。
いや、バクさんのせいでもないんだけどなぁ。

「だけど、わかってやれ。ウォーカーはおまえが大事なだけなんだ」
「うん、わかってる」
「だからって我慢することねェからな! 帰って来たらぶん殴るくらいに怒って良いんだぞ!」
「ううん、待てない」

変わらない笑顔で返したわたしの一言に、フォーがきょとんと目を瞬かせた。
私は表情を崩さないで、そんなフォーを眺めている。

「…は?」
「帰って来るまで? 待てるわけないじゃない」

抱きついているフォーの身体を隣に退けて、わたしは寝台から降りた。
下半身が気怠い。それが余計にわたしを苛つかせる。
……しかし、抱いた女を翌日の朝に殴るってどういう扱いだあのクソガキ。

「今すぐ追い掛けてぶん殴らないと、気が済まないわ」

拳をギリギリと握り締めながら、わたしは笑顔で言い放った。
――許容? 諦め? ハッ、誰が!?
わたしは、ものすごく、今までに無いほど怒ってんだよ!!

「ちょ…っ…待て、! さすがにそれは無茶だろ!?」

顔色を変えたフォーが、困惑というよりはむしろ狼狽の浮かぶ表情で言った。
無茶だ? どこがですか。至極真っ当、正当な行動だよ!

「わたし、やられたら倍返しが基本なの」
「それは賛成だ。…って、そっちの話じゃねェよ!
 怒って良いとは言ったが、追い掛けて良いとは一言も言ってねェぞ!?」
「フォー」

畳んで置いてあった団服を手に取り、袖を通す。
真新しい団服はまだ着慣れていないせいか、普段着の感覚にはまだ遠い。

「訂正する。わたしとアレンはやっぱり似た者同士みたい」

髪を払って、振り返る。
思いっきり顔を引きつらせているフォーに、わたしは口角を持ち上げて笑った。

「わたしはわたしの意思で行動する、誰からの束縛も受けない。
 アレンがわたしを置いていったのがアレンの勝手なら、わたしも勝手に追いかける」
「バカ、無理に決まってんだろ!
 あの方舟だって続けて使って良い物なのか、危険が無いのかどうかもまだわかってな」
「知るか、そんなこと」
ッ!!!」

眦を吊り上げるフォーの言い分はわかる。だけどわたしも引く気はない。
…わたしが『知っている』この先の《物語》は、方舟突入から神田とスキン=ボリックの戦いの勝敗まで。
先が見えない《物語》ほど、恐ろしいものはない。
わたしが知らないところで、みんなが傷付くのは嫌だ。

「誰の許可も要らない。勝手に使うわ」
「だからダメだって言ってんだろーが!
 方舟は研究中だ、周囲の支部員吹っ飛ばして行く気かテメェは!!」
「……そう。だったら、」

我が儘で申し訳ないとは、思うけど。
それでも譲るわけにはいかないから、わたしはただ、笑って言い放つ。

「飛んでいくから、別に良い」




今度こそ、フォーは絶句した。




+++


『まったく…アレンくんがあんな暴挙に出るとは、さすがに思わなかったよ…』
「その言葉はそっくり返すぞ、コムイ」

受話器を挟んで、室長と支部長は同時に溜め息を吐いた。
方舟の解析は遅々として進まず、現状の把握も出来ない彼らもまた、結構ストレスが溜まっていた。

『で、方舟の方は無事に通過出来たみたい。
 江戸に入った時点で通信が切れたんだろうね』
「そうか…無事に、というとおかしいかもしれんが、辿り着けたのだな」
『問題はその後なんだけど、ねぇ…』

なにせ、鎖国状態の日本に入ったら通信が出来ない。
バクの作った無線機はまだ試作段階で、日本国でも使えるのかどうかはわからないのだ。

それに加えて、3時間前の出来事である。
始終普段通りの振る舞いを見せていたアレンだったが、あれは相当切羽詰まっているとふたりは感じていた。

『…ちょっとね、ふたりを組ませたのを後悔したよ』
「…ウォーカーとか」
『うん。…まさか、あんなにアレンくんが追い詰められてるとは思わなかった』

元から危うい子ではあったけれど、と。
沈んだ声で言うコムイに、バクは返す言葉が見つからない。

ちゃんの真っ直ぐさは、彼に良い影響を与えてくれると思っていたんだけどね…』
「良い影響も悪い影響も与えるのが、人間というものだよコムイ」

それは正しく心理だろう。
大切なものを作らないことで強さを手にした少年には、ただひとりの『特別』を作ることは酷だったに違いない。
恐ろしいほどの純粋さでAKUMAをも愛する彼には、秤を傾ける少女の存在が重過ぎるのだ。

今まで危ういバランスで保たれていた均衡を崩す、唯一の誰かを愛するという行為。
大切な人を壊してしまった過去を持つアレンには、気ばかりが焦って最悪の選択をしてしまうのだろう。
唯一の救いは、という少女が、彼を深く理解していることなのだろうが…。

『…ちゃんはどうしてる?』
「部屋で眠っている。フォーに看させているから、起きていきなり錯乱することはないだろう」

ああ、と納得がいったようにコムイは相槌を打った。
アジア支部のセキュリティ,《守り神》であるフォーの擬態能力は、コムイもよく知るところだ。

「…フォーの擬態、いつまで騙せると思う?」
『あー…多分、無理じゃないかな』

苦笑混じりに、コムイは即答した。
無理、というのは「騙せない」ということに他ならない。

ちゃんは、結構観察眼が鋭いからね。お馬鹿なことばっかりやってるけど、頭も悪くない。
 彼女がエクソシストじゃなかったら、科学班に欲しいくらいだよ』

どこまで本気なのか、そう言ってコムイは笑った。
だが、次に呟かれた言葉の方が本音なのだろうと、バクは思う。

『それに…アレンくんのことなら、すぐに見抜いてしまうだろうし、ね』
「そう…だな。彼女はそういう子だ」

誰よりもアレン=ウォーカーという少年を理解し、その心が抱える闇すら受け止めようとする、少女。
それもまた、純粋で恐ろしい程の愛情だった。

思えばという少女は、不思議な存在だとバクは思う。
決して目立つような容姿ではないし、一見すればどこにでもいるような平凡な少女。
そうかと思えば、自然と周囲を惹きつける何かを持っている。

自然と、ひとの心に入り込んでくる、存在感。
それこそが彼女の持つ希有な能力なのではないだろうか。イノセンスや、その《声》を聴く耳よりも。

「バク! おい、バクッ!!」
「フォー。どうした、血相変えて」

思考に埋没し掛けたバクは、慌てた様子で駆け込んできたフォーに驚いて目を瞠る。
彼女は相当焦っているらしく、ばたばたと両腕を振り回していた。

「あいつを止めろ!」
「あいつ?」
だよ、! あのじゃじゃ馬娘!
 方舟使わせねェっつったら、飛んで行くから良いって外に飛び出して行ったんだ!!」
「な…っ」

ぎょっと目を瞠って、バクは思わず立ち上がった。
片手に握ったままの受話器から、コムイの呑気な声が響く。

『あー…似た者同士だねぇ、アレンくんとちゃん』
「呑気に感心してる場合かッ!!
 ウォン! すぐにを連れ戻せ! 彼女に万が一のことがあったら、ウォーカーに顔向けできん!」
「はっ!」
「あたしも行くぜ!」

ウォンとフォーが部屋を飛び出して行くのを見送りながら、バクは溜め息を吐く。
…頭痛がしたのは、寝不足のせいではないだろう、決して。

「…フォーの回復の為に一部解除したセキュリティの隙を衝いたか…まったく、なんてじゃじゃ馬娘だ」
『いやー…ごめんねぇ、バクちゃん。うちの子達が迷惑かけてー』
「バクちゃんと呼ぶな。…一旦切るぞ、を回収してくる」
『うん。…でも多分、あの子も言うこと聞かないと思うよ』

苦笑混じりに言われた言葉に、深く頷いてしまうバクだった。


+++


「…っと」

港まで辿り着いて、わたしはそこに着地した。
あの日の惨劇など、まったく見受けられないが――確かにここに、舟があった。

方角は間違いない。
舟で5日は掛かる行程だけど、この羽根ならそこまで掛かるまい。
全神経を飛ぶことに集中させれば。いや、音速くらい超えてやる。

『そちら様』

いざ飛び立とうとした瞬間、声を掛けられた。
いや、正確には自分が呼ばれているのかどうかすら、よくわからないんだけど。
おもわずきょろきょろと辺りを見回す。
周囲には人が居ない。…じゃあ、やっぱりわたし?

『そちら様。黒い羽根をお持ちの御方』
「え。わ、わたし?」

黒い羽根、なんて間違いなくわたしじゃん!
恐る恐る振り返ると、そこには女の人が立っていた。
ぬばたまのような黒髪。豪奢な着物。その顔立ちは、日本人だ。
なんでこんなところに、あんな格好で…と疑問に感じる前に、わたしはハッと身構える。
その額には、ペンタクルが刻まれていた。


――AKUMA!!


臨戦態勢を取るわたしに、AKUMAは優雅な所作で頭を下げた。
困惑するわたしに、AKUMAは再び口を開く。

『そちら様は、様でありんすな』
「は?」

なんだこの喋り方。
一瞬呆けてしまってから、ふと思い出す。
もしかしてこれ…江戸時代の遊郭で使われてた、ありんす言葉じゃない…??

「…間違いなく、日本製のアクマ…伯爵の遣いね?」
『それは誤解でありんす』

ゆるりと頭を左右に振って、AKUMAは微笑った。
艶やかな微笑を湛えたAKUMAは、もう一度深々と綺麗な礼をする。






『アクマはアクマでも、あちきは改造アクマ。
 あちきは元帥のひとり,クロス=マリアンの遣いでありんす』






こんな展開聞いてない。



To be continued?

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