『よう、ウォーカー。ヒマなのか?』
響いた足音に反応したのか、扉の向こうからフォーがそんな一言を投げかけた。
それを受けて、アレンは扉を見上げながら立ち止まる。
「調子はどう? フォー」
『この中で休めばもとに戻るさ…ちょっと時間がかかるのが退屈だけどな』
フォーを構成していた守り神のシステムの破損は、のイノセンスでも完全には修復されなかった。
なので彼女は、しばらくの間はこの扉の内側で療養しなくてはならない。
期間はわからないが、とりあえず実体化出来るまでには一晩掛かるとのことだった。
『ここで変人エクソシストを見送ってやらぁ』
「ひどいな。僕のどこが変人ですか」
『はは…バーカ。
…ウォーカー、お前さ…人間もアクマも好きなんて、大概奇天烈だぜ?』
呆れたように言われた言葉に、一瞬、アレンはきょとんと目を瞬く。
だが次の瞬間には、その表情は笑顔に変わった。
「ははっ!」
その屈託のない笑顔に、フォーはどこか複雑な感情を抱いていた。
だが、姿を実体化出来ない彼女のその変化に、アレンが気付くことはない。
『……』
言いかけた言葉を、フォーは寸でで飲み込んだ。
彼女が感じた、違和感――コレは、本人が気付かなければ意味がない。
『寝るぞ。疲れた…。
お前みたいな奴、とっとと戦場に行っちまえ』
どこか素っ気ない言葉に孕まれていたのは、複雑な感情。
それはほんの少しの淋しさと、多くを背負い過ぎたふたりの子供への、哀しみ。
『…お前みたいな奴…』
それっきり、フォーは言葉が続かずに沈黙した。
そんな彼女が身を休める扉に向けて、アレンは微笑い、左腕を差し出す。
「行ってくるよ」
「…半日待機ってどういうことですか」
やっぱりな、と。
目の前で思いっきり顔をしかめたアレンに、わたしは深く息を吐いた。
「今そんなこと言ってる場合じゃないでしょう?!」
「うっわ、出たよ無謀発言。だからイヤなんだ、こういう役割」
「何心底嫌そうな顔してんですか!」
眦を吊り上げるアレンに、わたしは頭を抱えたくなる。
無理。ホントに無理。これを止めておけ? 無茶な注文だよ!
放っておけば方舟に特攻掛けそうな勢いのアレンに、わたしは目を眇めた。
コムイさんもバクさんも、なんでもアレンのことはわたしに押しつけるんだから…ッ!
「ダメだよ! バクさんからもコムイさんからも、散々言われてるんだからね!
とにかく、結果が出ない限りは最低半日は待機! 休めるときに休むの!」
「…でも!」
「でも、じゃない!」
叱りつけると、アレンは椅子を蹴って立ち上がった。
バンッと強くテーブルに手を着いて、アレンが怒鳴り返してくる。
「はみんなが心配じゃないんですか!?」
「…心配してないように見えるの?」
落ち着かせるように、逆にわたしは冷静に返す。
ここで怒鳴り返すとただの喧嘩になるのは目に見えてるし、そんな事態はお互いに望んでいない。
「…ごめん」
「いいよ。…別に」
ばつが悪そうにして座り直すアレンに、わたしはホッと胸を撫で下ろした。
アレンは普段は一見物静かな少年だけど、年相応に直情的なところがある。
「…でも、お願いだから、ひとりで突っ走らないで」
「…はい」
神妙に頷くアレン。
…ちょっと素直過ぎて気持ち悪い。
「………もっとゴネるかと思ったのに」
「なんですか。子供扱いしないで下さいよ」
子供じゃないか。
そう返せば怒るのは目に見えてるので、わたしは曖昧に笑った。
そんなわたしの態度に敏感に何かを感じ取ったのか、アレンはムッと顔を顰める。
「…子供だと思ってます?」
「自覚あるの?」
「……それって割と直球な肯定ですよね…」
そう呟くと、アレンはがっくりと肩を落とした。
あはは、こういうところはあんま変わってないや。
「ごめんねー、そういうつもりもあるっちゃあるけどー」
「あるんですかッ!!」
腕を伸ばして頭を撫でてやると、アレンは苦い表情を作る。
その反応を面白がっていると、不意に頭を撫でていた手を逆に掴まれた。
静かに立ち上がって、手首を掴んだまま、アレンが身を乗り出す。
――ゆっくりと、唇が重なった。
+++
「…っ…は…」
呼吸を奪うような口付けの合間に、微かに零れる吐息に思考を奪われそうになる。
弱い抵抗。
細くて小さな身体。
掴んだ手首が酷く華奢で頼りなくて。
壊してしまいそうだと、思った。
「…ッ!」
一瞬、脳裏に過ぎったのは、幼い頃の記憶。
――深く愛した養父を『壊した』、あの時の感覚だった。
慌てて、僕はの身体を引き離す。
困惑したような表情で、が僕を見た。
「アレン…?」
「…ごめん。このままだと、本当に自制出来そうにないですから」
「……」
無理矢理微笑って、の手首から手を離した。
その動作のひとつひとつを見つめながら、が小さく呟く。
「…そう」
その表情に微かに、怒りにも似た感情が浮かんでいるのが、見て取れた。
が唐突な僕の行動に腹を立てるのはいつものことで、その度に反省をするけれどどうしても直らない。
「…それで。アレンはどうしたいの」
「え?」
不自然なほど静かな問いかけの意味がわからず、聞き返す。
それに応えず、の華奢な指が頬に触れてきた。
濡れた黒い瞳が、真っ直ぐに僕を見上げる。
「あの、」
不意に引っ張られて、体勢を崩した。
少し前屈みになった僕の唇に、のそれが触れる。
掠めるような口付けではなく、言葉を奪う口付けだった。
「…?」
「…ねぇ。覚えてる? 会ったばっかりの時にさ、アレンは言ったよね。
わたしには遠慮も配慮も必要最低限しかしないって」
いきなり、何の話をし出すのか。
もちろん記憶にはあるけれど、それこそそんな会話はもう時効だろう。
「いや、言いましたけど…あの時と今とじゃ、僕達の関係は全然違うじゃないですか」
「そうかもしれない。でもね、」
ぐいっと、が僕の服の襟を強く掴んだ。
そして、挑むような目つきと口調で、言い放つ。
「それでも、わたしはわたしよ。…この、エセフェミニスト!」
「……」
揺れない瞳。
強く、見据えてくる視線。
「――わたしは、壊れたりなんかしない」
いつも、は真っ直ぐに僕を見る。
その強さに、そして時々見せる脆さに、どうしようもなく惹かれてきた。
――こんなにも綺麗なヒトを、僕は他に知らない。
「…すみません」
腕を伸ばして、頬にそっと触れる。
射抜くような、強い、瞳。
凛としたその眼差しが、抑えられない感情を掻き立てる。
「――君を、抱きたい」
――彼女のたおやかな強さが、僕を『壊す』。
.
.
.
「……」
腕の中で寝息を立てる彼女の髪を、そっと梳く。
滑らかに流れる黒。初めて会ったときより少し伸びたな、と思う。
――思えば初めから、だけは『特別』だった。
真っ直ぐで直情的で、でも不器用で優しい少女。
誰よりも強く、時に酷く脆く。
決してどんなことからも逃げない、その気高い姿に強く惹かれた。
「…」
小さく呟くように、彼女の名前を呼んだ。
安心しきった様子で眠る彼女の姿に、泣きたいような、複雑な気持ちが降りてくる。
僕と真っ向から向き合い、同情も憐憫も持たずに奇怪な腕や目の傷に触れてきたのは、が初めてだった。
何度傷つけたかわからない。
それでもその度に、は僕を赦してくれる。
いつしかその優しさに甘え、彼女が傍に居ることが当たり前になっていた。
「…大切なものは…昔失くしたはずだった…
もう二度とあんな思いをしたくないから、大切なものなんて作らないと決めていた、のに」
――なのにこんなにも、大切になっていた。
リナリーもラビも、とりあえず神田も、今まで関わってきた教団のみんなも大事だ。
だけど、はその中でも『特別』で…他の何を犠牲にしてでも、護りたいと強く思う。
犠牲の上に成り立つ救いなんて意味がないと、思っていたのに。
それを口にした僕がこんなことを思うのは、酷く滑稽だ。
「…。…」
何度も名前を呼んで、華奢な身体を抱き締める。
ほんの少し、この左腕に力を込めれば壊れてしまう、か弱い身体。
「…好き、です。愛しています。君だけを、ずっと」
眠る彼女に囁く言葉に、どれだけの意味があるだろう。
言葉をどれだけ並べ立てても、自分の本心がそこにあるのかよくわからない。
彼女への強い執着はある。それは自覚している。
それと同時に、酷く醜い感情もあって。それを抑えきれない自分に憤りを感じた。
それでも、傷付かないように、傷つけられないように、全てを賭けて護ろうと誓った。
…それだけが、僕に出来る、精一杯の愛情表現だと思っていた。
だけど、どこかで。
――『彼女を壊してしまいたい』と衝動的に思う自分が、背筋が凍るほど怖かった。
+++
――翌日。
早朝から、わたし達は方舟の前に居た。
それぞれに新しい団服に身を包み、アレンとふたりで、方舟を見上げる。
まだコムイさんからの連絡は来ていない。だけど、気になってここに来てしまった。
…いや、正確にはうっかり早起きしてしまったんだ、わたしが。
…………なんとなく夜中に目が覚めて、アレンの顔が至近距離にあったら二度寝なんて出来ないじゃないか。
「……」
思い出したら恥ずかしくなってきた…。
落ち着け、落ち着くんだわたし。今はそんなこと考えてる場合じゃないよ。
「…?」
「ぅおう!?」
いきなり声を掛けられて、わたしは驚いて変な声を上げた。
…自分で言うのも哀しいけど、女の子の上げる声じゃないよね、コレ…。
「さっきから、変な顔になってますけど」
「言うに事欠いて変な顔とは何事か」
「…身体辛いなら、座ってて良いんですよ?」
…
……
………そういう気遣いはしないで頂きたい。恥ずかしい。
「無理しなくて良いですよ? 初めての時は身体辛いって聞きますし」
「……おまえこれ以上その話題続けたら本気で殺すぞ?」
「…物騒な喋り方しないでくださいよ。女の子を気遣って何が悪いんですか」
身体を気遣う優しさがあるなら、周囲の目を気にする配慮くらい持て。
早朝とは言え、研究員は徹夜で仕事してるので、ここにいる人間は結構多い。
「…アレンには羞恥心というものが欠如してると思いマス」
「失礼な。と少し違うだけです」
微妙に認めてるんじゃないか、それは。
…確信犯だ、こいつ。
思わず顔を引きつらせたわたしの頬を、いきなりアレンが軽く抓ってきた。
「いっ?!」
「ブサイクになってますよ、顔」
「なにおう!?」
「昨日は可愛かったのに」
…もう本当にこいつ殴って良いですか。
拳を握り締めたわたしの横を、何かがふわりと過ぎる。
反射的に、わたしはそっちに視線を向けた。
「……」
ひらひらと舞うティーズが、急かしているように感じた。
アレこそが、ティキの遣いだ。わたし達が方舟に乗るのを待っている。
「ウォーカー、。こっちへ来てくれ!」
バクさんの呼び声に、わたし達は振り返った。
顔を見合わせて、わたし達は頷き合ってからバクさんの方へ向かう。
「なんですか?」
「これを耳に付けてくれ」
「!?」
有無を言わせず突き出されたそれに、わたしとアレンは目を瞠った。
イヤリング? ああ、無線機か…。
「あ、ちょっと可愛い」
「何ですか? コレ」
付けてくれ、と言われたのでわたし達は素直にそれに応じる。
小さく頷き、バクさんが視線を移した先には壊れたゴーレム入りの箱。
「僕が今開発中の無線機だ。恐らく大丈夫だと思うんだが…
従来の無線ゴーレムでは、この『方舟』の中に入るための強度が足らんかったらしい」
…可哀想なゴーレム達…。
そう言えば、ソルトレージュはどうなったんだろう。
ティムキャンピーと一緒に、リナリーが回収してくれてると良いなぁ。
『聴こえるかい、アレンくーん?』
「! コムイさん!?」
ぼんやりと考えていたわたしは、そんなやりとりにハッと意識を戻した。
この声はコムイさんだ。耳に付けた無線機から聞こえてくる。
「どうしたんですか!?」
『ん? いやね、実はボクはキミ達のブレーキ役なんだ』
「え?」
きょとんとするアレンに、わたしは微妙な笑いを浮かべてしまった。
…ああ、無自覚なんだ、やっぱり…無謀だと思われていること、気付いてない…。
『こちらはそこに在るモノが、『ノアの方舟』とはまだ認識出来ないんだよ。
空間転移装置とも考えられるけど、まだ不明瞭な点が多すぎるし罠の可能性もある。
だからボクらもキミ達を通して一緒に『方舟』に入る。危険だと判断したら、すぐひき返してもらうよ』
「えーーっ!? ヤですよ、ひき返すなんて!!」
『あはははは。あー、そう言う無謀な発言するところは全然変わってないねー』
そう言って笑うコムイさんの言葉を聞きながら、わたしは引っかかっていた。
…さっき、『キミ達のブレーキ役』って言ったよね。それってわたしも含まれてんの?
「…コムイさん。わたしは無謀じゃないです」
『嘘つかない。ちゃんだって、アレンくんやリナリー達の為なら無茶も無謀も平気でするでしょ』
ぐ、とわたしは言葉に詰まる。
そりゃ、そうだけど…否定しないけど…。
『でも、キミ達はボクらの大事な仲間だ。守りたいと思うじゃないか』
穏やかな声に、わたしとアレンは思わず口を噤む。
コムイさんの口から語られたその気持ちは、わたし達が持っているものと同じだ。
『それともふたりにとってボクらは仲間じゃないのかなぁ―――?』
「……っ、わかりましたよ!!」
どこかからかうような口調で言われて、アレンが顔を真っ赤にしながら言い返す。
さすがコムイさんだよなぁ、と感心半分、わたしは苦笑した。
「あはは…やっぱコムイさんの方が一枚上手だねぇ」
『年の功だよ、年長者には敵わないでしょ?
それで、『方舟』に入った後のことについて、いくつか注意を…』
コムイさんの説明に、わたしは耳を傾ける。
罠の可能性を考慮して、中に入ったら細かな報告を怠らないこと、とか。
慎重に、迷子にならないように進むように、とか。
そんな説明や注意事項を聞き取っていると、不意にアレンが呟いた。
「…」
「え? なに、アレン? 今取り込み中…」
呼ばれたままに顔を向けると、突然、腕を掴まれて引き寄せられた。
そのまま、強く抱き締められる。
「…ア、アレン? あの、公衆の面前でなにしてるんですか君は…??」
「…ごめん、」
「え?」
耳元で囁かれたのは、謝罪の言葉。
その意味を聞き返すより、早く――
――衝撃が、来た。
下腹部に。
「…ッ!?」
遅れて来た痛みに、視界が霞む。
崩れ掛けた身体を、アレンに縋るようにしてなんとか留めた。
「ア…レ、ン…!?」
「ごめん、」
再度呟かれた、言葉。
何が起こったのか、頭が理解することを拒否する。
目の前が霞む。
意識が、保たない――。
「――君は、連れて行けない」
意識が落ちる瞬間、そんな一言が聞こえた。
+++
腕に掛かる重みが増した。
完全に意識を失ったの身体を、抱え直す。
少し荒っぽい方法だったけど、仕方ないことだった。
「ウォ、ウォーカー!? なんてことを…!」
慌てて、バクさんが駆け寄ってくる。
を抱えたまま振り返って、僕は口を開いた。
「…バクさん。は置いて行きます。
出来れば本部に戻したいんですけど…今は無理ですよね、コムイさん?」
『ちょ、ちょっとアレンくん何したの今!?』
無線機の向こうで、慌てるコムイさんの声が聞こえた。
だけど今は、余計な説明をしている時間も惜しい。
「が伯爵側に狙われているのは、コムイさんもバクさんも知ってますよね」
「あ、ああ…」
『ちょ、いきなり何の話をし出すのかなキミは!?』
「――これ以上、を危険に晒したくないんです」
僕が静かに告げた言葉は、コムイさんとバクさんから続く言葉を奪った。
コムイさんが息を呑む気配を感じる。バクさんは目を瞠って僕を見ていた。
「…わかってます。これは僕の我が儘です。
はエクソシストだから、戦場に戻る義務と権利がある。だけど、」
強く、の肩を抱き締める。
こんなに簡単に、気を失ってしまうほど、彼女は脆くてか弱い。
「…僕がそれを許せない」
これからの戦いは、熾烈を極めていくだろう。
そんな中に、彼女を連れて行きたくなかった。
誰かが傷付くのを許容出来ない彼女は、戦場に立つことで追い詰められてしまう。
だったら、目を塞いで、耳を塞いで、感覚を塞いで――何も感じなくて済むように、傍に居なければ。
「…それに、が待っていてくれたら、戻って来れます。絶対に」
『アレンくん…それは…』
コムイさんの言いたいことはわかっている。
これは、の意志を無視した勝手な言い分だ。
に従う義務はない。だから、僕は言わなかった。
――彼女が、それを受け入れるわけがないと、わかっているから。
「ウォーカー! 駄目だ、キミ達は離れては…」
「――決めたんです」
バクさんの声を遮って、言い放つ。
それは僕の絶対の意志。
「失いたくないものは、たくさん出来たけど…その中でもは、特別だから。
絶対に、何に替えても…失いたくないから。だから、置いていきます」
突き放すことでしか、護れない。
このまま傍に居て、もし、彼女を奪われるようなことがあれば――
僕は、ごと壊してしまうかも、しれないから。
それが怖い。大切で護りたいのに、僕は彼女を壊してしまうかもしれない。
醜い、歪な感情。
こんな自分は嫌だ。彼女に知られたくない。
「…ごめん…」
そっと、閉じられた瞼に口付けを落とす。
その唇に口付ける権利さえ、きっと今の僕には無いだろうから、せめて。
「…ごめん。きっと、怒るよね。それとも…また、君は泣くのかな…。
だけど、それでも…を、失いたくない。だから…」
その一言すら、僕は身勝手だった。
「――ここで、待っていて」
愛という感情ほど、残酷で醜いものは無く。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。