「…フォー。隙を見てアレンの所へ戻って」
「な…ッ?!」

AKUMAを見据えながらわたしが言った言葉に、フォーが目を瞠った。

「馬鹿かテメェは! あたしが何の為にここに居ると…ッ」
「フォー」

怒鳴る声を遮ると、フォーは口を噤んだ。
…フォーは優しい。ちゃんと言葉に耳を傾けてくれる
心を、砕いてくれる。――護りたいと願うのは、当然のことだ。

――バクさんが、泣くよ」
「…泣かねェよ。バクは全部覚悟の上だ」
「それでも、泣くよ。フォーが居なくなったら、みんなが泣く」

…だって、『知ってる』もの。
どんなに彼女が、バクさん達に愛されているのかを。

「幸い、伯爵達はわたしを無傷でご所望らしくてね。
 時間稼ぎにはもってこいの囮だと思わない?」
「おまえ、何言って…――まさか」

フォーの表情が強張る。
わたしはただ、それに微笑って見せた。

スッと、わたしは顔を上げる。
視線をまっすぐにAKUMAに向けて、告げた。

――アクマ。聞きなさい」
『?』
「アレンのことは諦めて。代わりに、わたしが無抵抗で一緒に行ってあげる」
ッ!!」

フォーの怒鳴り声を、わたしは無視した。
イノセンスを発動出来ない以上、わたしにこのAKUMAは倒せない。
それでもここに来たのは、切り札があるからだ。
――そう。『伯爵がわたしを無傷で手に入れたがっている』という、切り札が。

「どうせ放って置いても、ダークマターで分解されたアレンはすぐに死ぬわ。
 だったら放って置いて、わたしだけ連れ帰った方があんたも楽でしょう?」

これは、賭けだ。
AKUMAがどう判断するかによって、《物語》が変わる。

アレンは――無駄だろうな。
きっとどういう形であれ、彼は日本へ向かうだろう。

それが彼の意思である以上、わたしには何も出来ないだろうから。
…そう、何も。

『…良いだろう。さあ、行こうか《姫君》』

そう告げて、AKUMAが手を差し伸べてきた。
――ああ、これで…せめて、フォーだけでも助けられる。
あんな傷を負わなくて済む。






大切な誰かが傷つくのは、もう嫌だ。



File35 『壊(アイ)してあげる』




一歩、わたしはAKUMAの方へ足を踏み出す。
その瞬間、わたしの腕を、フォーが掴んだ。

「待て…ッ…行くな、ッ!!」

わたしは応えるように振り返った。
アレンの姿で、苗字で呼ばれるのは違和感あるなぁ。
そんなことを呑気に思いながら、わたしは笑う。

「…ごめんね、フォー」
「ごめんじゃねェだろ! おまえ何考えてんだ!!」
「大丈夫。わたしは殺されたりしないから」
「ンな確証ねェだろ! やせ我慢すんな! 怖くないわけねェだろ!?」

怖くない、と。
言い返しかけて、わたしは頭を振った。

「…うん。怖い。凄く怖い」

無理矢理笑顔を作って、わたしはフォーと向き合う。
怖いさ。だってこの先は、わたしが知らない《展開》。
『知っている』この《物語》だって充分怖いのに、知らない《物語》が怖くないはずがない。

「でも、ね…わたしは、我が儘で自分勝手なの。
 神様なんて要らない。世界なんて、本当はどうでも良い。
 わたしは、わたしの目に映る大事な人達さえ、護れたらそれで良いの」

本当に怖いのは、目の前で見知った誰かが傷つくこと。
そして、それを見て何も出来ない自分が居ることが、怖くて堪らない。

「フォーも、わたしの大事な人のひとりなんだよ」
「……おま、え…」
「その顔でその呼び方やめてよ。って呼んで」
「……
「うん」

ああ、やっぱりそっちの方がしっくりくるな。
こっち来てから、苗字で呼ばれたことなんてほとんどなかったから。

「…ごめん、辛いことを頼むね。
 ――アレンに、「ごめんね」って伝えておいて」

告げた瞬間、フォーの表情が強張った。
怒ってるかな。怒るよね、当たり前だ。
だけどフォーがしたことだって、わたしと大差ないじゃない。

「それじゃあ――わたし、行くね」

フォーに背を向けて、わたしは前に進む。
方舟の前に立つAKUMAが、恭しくその機械の腕を差し出す。

――これじゃあわたし、エクソシストっていうよりノアだな。

この手を取れば、何かが変わってしまう気がする。
だけどこれ以外に、大切なものを護る方法が思いつかない。
放っておけば《物語》は進むだろう。だけど、それじゃあダメだ。

――わたしはもう、この《世界》に生きているのだから。

だからわたしは、彼を護る為に生きて、彼を護る為に闘おう。
それがわたしの我が儘。わたしが、わたしの為に行う行為。

それに、ノア側に行くことで得られる何かがあるかもしれない。
それがみんな助けになるかもしれない。
だから、行く。

わたしがわたしの為に、伯爵の元へ行く。
なのに――腕を、掴まれた。

「…え…」

後ろに、グイッと引っ張られる。
入れ替わるようにフォーが前に出て、AKUMAに刃を向けた。

「…ッ! なんでッ!?」

AKUMAの腕の一振りで、フォーが吹き飛ばされる。
その身体が石柱に激突して、フォーの表情が苦痛に歪んだ。

「なんでもクソもあるか、この馬鹿エクソシスト…ッ!」

歯を食いしばって、フォーが立ち上がる。
彼女の武器である両腕は、まだ失われていない。

「テメェは自分勝手だ! ウォーカーと同じだよ、ああ、似た者同士だッ!!」
「な…ッ」

わたしとアレンが似たもの同士!?
いやいや! それ絶対有り得ないから!

「護らせてくれない? 拒絶されてる? 何も話してくれない? 当たり前だ!
 テメェらはお互いにそうやって、言いたいことも全部飲み込んじまうからすれ違ってんだよ!!」

言われた言葉に、思わずぐっと唇を噛んだ。
フォーは再び刃を構え、AKUMAに向かっていく。

「おまえもウォーカーも勝手なんだよ!
 護りたいなんて、対等の相手に言う言葉じゃねェ!」
「フォー…」
「他人の為に自分を切り売りすりゃ満足か! そんなの自己満足以外のなんでもねェんだよ!
 そんな形で『護られた』奴の気持ちを、おまえは考えたことがあるのか!」

――ああ、と。
わたしは思わず手で顔を覆った。
わかってる、つもりだった。自己満足だってことも、護られた側の気持ちも。

だってしょうがないじゃないか。
わたしは――いつだって、自分とアレンが同等の位置に居ないことを知っていた。
思えば最初から…アレンはわたしに『戦わせて』くれなかったのだから。

それでも、護りたかった。
この身、この力の全てを、賭けて。

『ごちゃごちゃとうるさいね。《姫君》の決意をムダにするかい、アレン=ウォーカー?』
「…黙れ。そいつを連れていかせるかッ!」

フォーが、ボロボロの身体でAKUMAと対峙する。
AKUMAはエクソシストにしか倒せない。
いくらフォーが強くても、彼女にAKUMAは倒せない!

「ダメ、フォー! やめてぇぇぇぇぇ――――――ッ!!」

伸ばした腕が、届かない。
わたしの目の前で――フォーの身体が、水に沈んだ。


+++


AKUMAが、ボロボロになったフォーを見下ろしていた。
イノセンスの使えないわたしなんて、盾にすらなれない。

フォーとAKUMAの速度に、全然追いつけなかった。
わたしの凡人以下の脚力では、コレが限界?

『つまらない時間だった。
 こんなクズに、ノア様は何の用があったのか。ノアの方舟まで使って』

水の中に、わたしは座り込んでいた。
水の抵抗のせいで、普段以上に移動に体力を消耗する。

自覚する。思い知る。
ああ、わたしは――無力だ。

『アレン=ウォーカー。何なんだい、お前は?』
「…ただの、ガキだよ…」

フォーが笑って、そう答えた。
その答えが気に入らなかったのか、AKUMAが腕を向けた。

『あっそ。じゃ、壊れな』

酷薄な台詞と共に、放たれた糸。
それが、フォーの額を貫いた。

「フォー…ッ!」
「あぁあああああッ!!!!」

フォーの口から悲鳴が上がる。
わたしは、ぐっと手に力を込めた。

――発動するなら、今しかないだろう。
何も出来ないよりは、気が狂うほどの痛みを味わう方が、ましだ――ッ!

『!!!』

意識をイノセンスに集中させかけた瞬間、AKUMAの上に何かが降ってきた。

――アレン。

強い視線は、ただAKUMAだけを射抜く。
AKUMAが大きく腕を振ると、アレンは軽い動きで瓦礫の上に着地した。

「…ウォーカー…」

フォーが、唖然としながら呟く。
AKUMAの視線が、アレンに向いた。

『……何なんだい、お前は?』
――エクソシストです」

真っ直ぐにAKUMAを射抜く視線。
スコープ状に変形した、左眼。

――わたしは、唇を噛んで目を閉じた。
あの状態の左眼を見ると、嫌でも思い知らされる。

アレンの生きる理由はAKUMAであって、他の何でもないということを。

『ハハーン、そういうコトねぇ』

力尽きて擬態を解いたフォーと、瓦礫の上に立つアレンをAKUMAは交互に眺める。
わたしは、ゆっくりと顔を上げた。

「ウォ…カ…」
「フォー。…バクさんが泣いてたよ」

その、言葉に。
フォーの目から、涙が一筋、零れた。


「…アレン」

名前を呼ぶ声が、酷く優しくて泣きそうになった。

「勝手をしたお仕置きは、あとでたっぷりしますよ。それまで大人しくしててくださいね」

お仕置きってなんだよ。
よっぽどそんな憎まれ口を叩いてやろうかと思ったけど、意に反して浮かんだのは苦笑だった。

「…はい」

苦笑して、そう返事を返して。
――視界が、霞んだ。

バシャリ、と水音を立ててわたしの身体が沈む。
…冷たい。
思ったよりも、気を張っていたらしい。…情けないなぁ。

――で。お前は強いワケ?』

AKUMAが、アレンの方を振り返った。
――AKUMAの背後に、魂が見える。
歪められた魂。既にヒトであった面影すらもない、黒い靄のような姿。
…ズキリと、目の奥が痛んだ。


――愛ジテグレ

止メデ

コイヅヲ止メデ

ココダヨ

ダズゲデ

見エルンデショ?

聴コエルンデショ?

コンナ姿ニナッテシマッタケレド

愛シテグレ!

愛シテグレ!!

オ前ハボグラノ為ニ在ルンダロウ!!!




強い感情の波が、押し寄せてきた。
その衝撃に、わたしは思わず息を詰める。
対して、アレンは――どこまでも穏やかに、微笑んでいた。



――そうだよ」


何の躊躇いもなく言われた言葉に、泣きたくなった。
――哀しくて。


+++


――アクマのために戦って、アクマのために生きよう。



それが僕の生きる糧になる。
そう決めて歩いた道だったはずだ。
なのに。




なのに、僕は…




視界の端には、水に沈むフォーを抱き上げたバクさんの姿が映った。
そこから少し離れたところで、が水に浸かったまま動かない。

どこか奇妙な感覚で、僕はそれを見ていた。
――失くしたと、思っていた。大事なものはすべて。
なのに…


――!」

ピシリと、身体に亀裂の入るような音がした。
痛みはない。衝撃と感覚だけが来る。

『バカだね。そんな身体で戦おうとするなんて』

AKUMAの糸が、僕の身体を貫く感触が、した。
痛みがない。身体を壊す衝撃だけが、全身を支配する。

「!! ウォーカ…」

遠くで、バクさんの声がした。
それを朧気に聴きながら、水の中に堕ちる。
水の中へ沈む僕に、AKUMAはダークマターの力を注ぎ込んできた。
――壊れる、と。感覚が悲鳴を上げる。

「ぁああああぁあああああああああああっ!!!」

何も見えなくなった。
自分の声と、周囲の音だけが残る。
――これは、《死》か。それとも別の何かなのか。

「……っ!!」

遠くで、バクさんが息を呑む気配を感じた。
ああ、ごめんなさい。
あれだけ大口叩いて出てきて、目の前でこんな失態はさすがに情けない。

「やめんか貴様ぁー!!」

バクさんの怒声が響く。
見えないから、何が起こっているのかよくわからない。
ただ、何かの破壊音が、聞こえた。

『バァーカ! こんなものがアクマに効くワケないだろ』

遠くに聞こえる。
全ての音が。

「バクッ!」

悲痛な声も。

「あ…」
『消えてろ、屑!』

怒声も。

「ウォーカ…」

――僕を呼ぶ、声も。


「ぁあぁあぁあああッ!!」





――アクマの為に戦って、アクマの為に生きよう。

そう、決めた。

僕の大切なものは、アクマだけなんだ。


――なのに僕は、それを見失いかけた。
見失うくらい…大切になっていた。




「イノセンスよ…」



腕を伸ばす感覚が、あった。
――僕は死んでいない。壊れてなんていない。

だから、頼む、イノセンス――




――すべてを護る力を、与えてくれ。




+++


――疑惑が、確信に変わった瞬間だった。


聞こえる。
イノセンスの鼓動――《声》。


感覚が、戻ってくる。
今まで沈黙を保っていたその《声》が、わたしに語りかけてくる。


「……」

わたしは、目を開けて立ち上がった。
そして足を踏み出し、《声》のする方へと進む。

――左はアクマの為に」

――左に破壊の力を。

「右はヒトの為に」

――右に守る力を。

「どちらも僕で、どちらも大切…」

――どちらも『あなた』の為に生まれた『力』。

「だからお前に応えよう」

――だから、その『望み』を叶えよう。



ヴン…ッと、空気がぶれる。
世界が割れる。
徐々にそれが戻ってくる――


AKUMAの元に、辿り着いた。
先程まで鉛のように重かった身体が、嘘のように軽い。


スッと、わたしは腕を伸ばす。
アレンのイノセンスと、わたしのイノセンスの《声》が――重なった。

――イノセンス、発動」

わたしの声に呼応するように、わたしのイノセンスが翼を広げる。
同時に――アレンのイノセンスが、動いた。

「ヒトと」
「…アクマを」








「「――救済せよ」」







呟いた声が重なる。
漆黒の翼を携えたわたしと、
白銀に輝くアレンのイノセンス。
まるで対のように、向かい合ってそこに立つ。

「…さぁ、」
「おいで」

わたしとアレンは、それぞれAKUMAを挟んで向かい合い、互いに手を伸ばした。
――――――AKUMAに、向けて。









「「壊(アイ)してあげる」」






狂おしく殺めて、終わり無き命を。



To be continued?

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