――どこかでわたしは、願っていたのかもしれない。
戦場に戻ることなく、
AKUMAともノアとも、千年伯爵とも接点を持たず、
ただ、彼と平穏に過ごす日常というものを。
ああ、なんて愚かで浅ましい。
そんな願い、叶うわけもないのに!
だけど、願ってしまう。
誰も傷付かない世界を、願ってしまう。
その願いは、酷く残酷だ。
ほんの一瞬だけでも、願ってしまった。
――――彼の左腕が戻らなければいいと。
支部の中は、混乱状態に陥っていた。
そりゃそうだ。エクソシストの居ない支部に、AKUMAが侵入。
どうやって冷静になれと言うのか。
「マジでヤベェぞこりゃ! どうするんスか、バク支部長っ」
アレンを背負った李佳の声にも、不安や焦りが混じる。
彼に背負われたアレンは一向に覚醒する兆しがない。
「それに、ウォーカーも色素が薄いままっスよ!」
「かなり分解されたようだな…くそ!」
同じようにフォーを背負ったバクさんが、苦い表情で舌打ちする。
そしてさすがは科学者。今のアレンの状態を的確に推測し、どこか冷静に告げた。
「衝撃を与えないように注意するんだ。今のウォーカーの身体は、個々の物質の構造がゆるくなっている。
おそらく、些細な衝撃でも彼は…分子レベルに崩壊するぞ!」
言われた瞬間、李佳を始め科学班見習い三人組の表情が凍りついた。
「……っ!!」
「気を付けてね!」
「李佳にウォーカーの命が!!」
緊張がこっちにまで伝わってきます…。
大丈夫だとは『知っている』けど、うん、…心配になってきた。
「バク様!」
「ウォン!」
人の流れに逆らう形で、ウォンさんが駆け寄ってきた。
「北地区の支部員は、すべてこちらに避難しました。
さんが早々にアクマを察知して下さったおかげで、予定より早いくらいですな」
「そうか、よし! 例のものは?」
「準備整っております」
ウォンさんに頷き返し、バクさんは背負ったフォーを見る。
フォーはかなり消耗しているようで、自分で動くことすら難しいように見える…。
「フォー。フォー、頼む! お前が頼りだ」
「はっ…わかってらぁ、バク…」
苦しげに、それでも笑って、フォーが応える。
バクさんがフォーを降ろし、わたし達を背後に庇うようにして今来た通路に向け、手を突き出した。
「し、支部長、何する気っスか!?」
「この通路を塞いで、奴の居る北地区を隔離する!」
「え?」
「曾じじの血を引くボクらチャン家は、この支部の守り神の力を操作出来るのだ」
血によって浮かび上がった、バクさんの手のひらの紋様が光を放った。
炎にも似たそれは、イノセンスのそれとは別物の『力』だ。
「離れていろ。――〝招喚〟!」
力在る声に応えるように、床が振動した。
瞬間、天を衝く勢いで飛び出してきたのは、紋様の刻まれた岩石。
「!?」
「岩石が生えてきたー! 支部長スッゲーーー!!」
驚く面々の中、苦い表情のバクさんが、後ろを振り向かずに声を掛ける。
座り込んでいる、フォーに。
「フォー!」
「よっしゃ」
ふらりと、フォーが立ち上がる。
小さな身体は、痛々しいほど力を失っていた。
「ウォーカー」
力無く腕を伸ばして、フォーは軽くアレンの前髪を撫でた。
微かに身じろぎして、アレンがうっすらと瞳を開ける。
「しっかりしろよ。お前、見た目より全然根性あるから大丈夫だよ。
お前には、もついてるしな……」
そう言うと、フォーはちらりとわたしに視線を向けた。
思わず、わたしは両手を握り締めて緩く頭を振る。
「ばぁか。お前がそんなんでどうすんだ、」
そう言って、フォーはわたしに苦笑を向けた。
無理だ。この状況で笑顔なんて返せない。
「……」
言葉を失うわたしに微笑んで、フォーはもう一度アレンの方を向き直った。
ヴン…ッ、と彼女の姿が映像のようにブレて、その姿はアレンと寸分違わぬ形を取る。
「きっと発動できらぁ。がんばんな」
「フォ…っ!? 何…を…!?」
アレンが目を瞠る。
フォーはただ微笑って、応えない。
「やめろ、まさか…ッ」
「エクソシストじゃない一介の守り神じゃ、あいつを倒せねェだろうけど」
「やめろ、フォー!」
「なんとか時間稼ぐから、逃げろよ!」
そう告げて、笑顔でフォーは閉じていく岩をすり抜けて外へ飛び出した。
この先を知るわたしは――どうすれば、良い?
「バクさん、やめさせてください! 僕が行きます!!」
歯を食いしばって、バクさんが俯く。
アレンの悲鳴に近い声が、姿が見えなくなっていくフォーに向けられる。
――ああ、もう。
「僕が行くから…フォー!!」
もう、その声はフォーには届かない。
「やめろおぉおぉおおおおおッ!!!」
押さえつけられ、行く手を阻まれたアレンには、フォーを追うことは出来ない。
だけど、アレンは逃げてくれないから。…この結末を、わたしは知っているから。
――だから、もう一度。
わたしは《未来》までの《経過》を変えてみよう。
.
.
.
『おや、戻ってきたんだ?
追いかけようかと思ってたのにつまらない』
そう言って、AKUMAは嗤った。
AKUMAの目には、フォーが擬態したアレンはそのまま、アレンとして映っているのだろう。
『アレン=ウォーカー!』
AKUMAの呼ぶ名に、自らの擬態の完璧さを確信したのだろう。
微かに、フォーは笑った。
「…バイバーイ、バク…」
――その一言に込められた決死の覚悟を、わたしだけが聞く。
幼い少女の姿をしていても、彼女は数百年の時をこの支部と共に生きた戦士なのだ。
だけど、それと同時に…この支部に暮らすすべての人の、家族。
…だからわたしは、それを護る。その為に、わたしに出来ることがある。
『おや。《姫君》も連れて来てくれたのかい。助かるよ』
「な…ッ?!」
…もう見つかったか。
小さく息を吐いて、わたしは瓦礫の中から這い出る。
わたしを見上げるフォーの表情は、アレンの姿なのに、全然わたしにはアレンに見えなかった。
「!?」
「…違うでしょぉ、『アレン』」
わたしは微笑って、フォーの隣に降り立った。
驚愕に目を瞠る彼女に、わたしは穏やかな気持ちで告げる。
「『』、だよ?」
「…ッ…この、馬鹿…ッ!」
わかってるよ。
わたしは馬鹿だ。でも馬鹿は馬鹿なりに、ちゃんと考えてるよ。
「…誰も…犠牲になんて、させない」
――それが、わたしの決意。わたしの示す《未来》。
世界を護ろうなんて思わない。世界中の全てを救おうなんて思わない。
「――わたしと遊びましょう、レベル3?」
ただわたしは、自分の目に映る、大切な全てを護るためにここに立つ。
+++
ドン…ッ、と。
たった今閉じられた扉へ、僕はバクさんの胸ぐらを掴んで押しつけた。
対するバクさんは、無理矢理冷静さを保ったような表情。…気に入らない。
「やめろ、ウォーカー」
「開けてください、バクさん!!」
バクさんは首を左右に振った。
カッ、と目の前が赤くなるような錯覚を覚える。
「ここを開けてください!!」
「ダメだ」
「フォーを見殺しにする気ですか!!!」
「ウォーカー、落ち着け!」
李佳とウォンさんが、ふたり掛かりで止めに入る。
それを振り払おうと藻掻くと、不意に背後で蝋花さんが口を開いた。
「…あ、あの…」
「なんだ蝋花! 今取り込み中…」
「――さんが、居ません…!」
叫ぶように告げられた言葉に、全員が言葉を失った。
――どうして気付かなかったんだ。が居なくなっていることに。
「まさか…フォーと一緒に行ったのか!? あ、あのじゃじゃ馬娘…!」
「――ッ!! バクさん! 早くここを開けてください!
フォーは結界をこじ開けられてかなり消耗していたし、もイノセンスを使えないんでしょう!?」
はフォーと仲が良かった。追いかけて行ったって不思議じゃない。どうしてもっと気を配ってやれなかったんだ。
それに、ノアはを殺さず手元に欲しがっている。
それは自身も知っているはずだ――なら、彼女の考えていることなんて手に取るようにわかる!
「…出来ない」
「バクさん!」
「キミは…エクソシストは我ら唯一の希望なのだ。
エクソシストがひとり死ぬことが…どれほどこの戦争に影響することだと思う?」
その言葉は。
――まるで、血を吐くように重い。
…エクソシスト。
『世界』を護る為に、AKUMAを壊す為に存在する、神の使徒。
だけど、それを護るために傷付くひとが居てはダメだ。意味がない。
「フォーは仕方ない」
「そんな…」
「…も…敵の手に落ちることにはなるが、今までを考えると、殺されることはないだろう…。
彼女達のことを想うなら、ウォーカー…今は耐えて、前に進むんだ」
俯き、僕と目を合わせずに言うバクさんの言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているようだった。
僕は掴んでいた胸ぐらを離して、目を眇める。
「…冷静なフリしちゃって。ホントは腸煮えくり返ってるんじゃないですか」
一番辛いのは、バクさんだろう。
上に立つ者として、苦渋の選択を迫られ、決断したのは彼だ。
「ジンマシン出てますよ。あと涙も」
「へ…? あ、いや、これは…」
「バクさんの気持ちはわかりました」
あたふたしているバクさんを押し退けて、僕は閉じられた扉に右手を着いた。
「自分で開けます」
「「「「「えっ!?」」」」」
バクさんを始め、全員の声が重なった。
「自分で開けて、前に進みます!!
バクさんがここを開けられないなら僕が開けます。僕がひとりで開けて行けば文句ないでしょ!!」
「文句だと…?」
言い放った僕に、半ば呆然としながら、バクさんが絞り出すように呟いた。
瞬間、次の台詞は怒声に近いものになる。
「大アリだ馬鹿者!! ウォン、李佳、押さえろ!!」
「失礼します、ウォーカー殿!!」
「どわっ!? なんでですかバクさん!!」
またもふたり掛かりで押さえつけられて、僕は思わず舌打ちした。
ああ、もう。こんなことしてる場合じゃないのに…!
「があっち行っちゃったんですよ!? 僕以外の誰が彼女を護るんですか!
バクさんだってホントはフォーを助けたいんでしょ!!
その証拠にジンマシンだっていっぱい…」
「ジンマシンはほっとけ!!」
わかりやすい事象を引き起こしておいて何を言う。
蕁麻疹と涙が何よりの証拠じゃないか。
「キミの身体はダークマターの攻撃で分子に分解されかかってるのだぞ?
戦うどころか僕が殴るだけでもキミの身体は崩壊してしまうかもしれないんだ!
そんなキミを行かせるバカがどこにいる!!
命令を聞け、エクソシスト!!!」
「……」
…
……
………命令を聞け、だって?
「いいんですか、バクさん?」
「?」
目を眇めた僕に、バクさんは訝しげに眉根を寄せた。
「…リナリーを盗撮してたこと、コムイさんにバラしますよ」
「!!!」
ぼそりと呟くように言うと、あからさまにバクさんの表情が変わった。
…後ろめたいことではあるのか。そしてやっぱり盗撮なんだ、あれ。
「なっ…!?」
「フッ…タダでは済みませんよ、きっと!! 命の保証もできかねますが」
「ウォウォウォウォーカー!! ボクをゆする気か!!
そんな子だったのかっ!!」
ええ、そうですとも。
目的の為には手段なんて選んでいられません。
「ムダですよ。僕は退きません!!」
「~~~っ」
言葉を失って口を空回りさせるバクさんに、僕は畳みかけるように口を開く。
「条件は僕もも同じはずです!」
「馬鹿かキミは! は最低限、命の保証はされている!
しかしキミは…」
「連れて行かれた先で、がどんな目に遭うかわからないじゃないですか!」
伯爵がを欲する理由だって、よくわからないんだ。
最初は、の持つ『イノセンスの《声》を聴く力』が理由だと思っていた。
だけど、多分――違う。そんな単純な理由じゃない。
なんらかの目的を持って、彼らはを欲しがっている。
には、きっと彼女自身が知らない『何か』が隠されている。
そして、それこそが伯爵がを付け狙う理由。
「…それに、僕は僕以外の誰かがに触るのは許せません」
「は?」
「はっきり言って、仲間でもたまにムカつきます」
「は…?」
「折角想いが通じ合ったのに、ノアなんぞにかっ攫われて堪るもんですか!!」
「いや、あの、ウォーカー…? こんな時にキミは何を言って…」
困惑の視線が四方から向けられる。
…いけない。勢い余って変なことまで口走った。
軽く息を吸ってから、僕はもう一度顔を上げる。
「…はじめて会った時、あなたは僕に戦場に戻る気があるかと訊いた。僕は『YES』と答えたはずです」
「そっ、それはキミがエクソシストとして戦えるようになったらの話だ!
イノセンスが復活していない今のキミは、ただの人間なんだぞ!」
「ちがう!!」
怒鳴り返してから、気付く。
――そう。そうだ。違う。そうじゃない。
「ちがう…僕は…」
カタカタと、身体が震えた。
恐怖じゃない。怒りじゃない。これは――
「さっき…アクマに遭ったとき、今まで凍っていたんじゃないかと思うくらい全身の血が騒いだ」
――これは、悦楽にも似た、喜悦だ。
「今まで止まってたんじゃないかと思うくらい、鼓動がドクドクと聴こえてきて、」
脈打つ鼓動の音が聞こえる。
AKUMAに遭った瞬間から、身体の奥で何かがざわめき、音を立てた。
「どんどん熱く巡ってくる血が、心地良かった…」
「ウォーカー? 何を言って…」
「わかったんです」
――気付きたくなかったのかもしれない。
護ると誓った、それとまったく別のところで――僕は彼らを壊すことを、渇望していた。
「あなたが前に、僕を存在自体が対アクマ武器だと譬えたのは、当たってるかもしれない」
そう。僕は『武器』だ。
左腕を失い、もしかしたら――普通の『人』になれるかもしれないと、どこかで思ってしまった。
それでも、消えない。決して満たされない。何よりも、僕の心が望んでいたのは――
「僕の心がずっと望んでしかたなかったのは、アクマだったんだ」
僕を見るバクさんの表情が固まった。
…そう。それがきっと、普通の反応だ。
そして――僕には、もうなれない立場だった。『普通』なんて。
「僕はもう、人間じゃない。エクソシストです。
…戦場に戻らせてください。アクマの元に――」
呟いた瞬間、背後から何かの気配がした。
――この、懐かしい気配。『帰ってきた』と、脳裏にそんな言葉が過ぎった。
「!!!?」
李佳とウォンさんが、背後から迫るそれに目を瞠った。
瞬間、衝撃と共に眩い光が当たりを包む。
「うわぁっ!」
「!?」
「きゃあっ!」
「ウォン! 李佳!」
蝋花さんの悲鳴が響いた。
だけどそれも、僕にはどこか遠くに聞こえる。
「大丈夫っス! ビックリした」
「あれ? ウォーカー殿は…」
光が晴れた時。
僕は、扉の前に立っていた。
イノセンスの存在を感じる。
まだ左腕の形を成していないけれど、それは確かに、僕と共に在った。
「――行きます。ありがとう、バクさん」
「……ウォ…」
言いかけた言葉を飲み込んで、バクさんが俯く気配を背後に感じた。
次の瞬間、静かに、絞り出すように呟かれた、声。
「――〝封神〟」
声に応えて、扉が開かれた。
僕は一歩、前に足を踏み出す。
――ごめんなさい。ありがとう。
声にならない言葉を、胸の内に抱えながら、僕は前に進む。
.
.
.
「存在自体が、対アクマ武器…」
何気なく言った言葉だった。
それは例えであり、深い意味などどこにもない。
だが、彼にとっては違ったのだ。
恐ろしいほど純粋に、彼はAKUMAを壊すことだけを望んでいた。
「たった15歳で、アクマに魅入られていたなんて…」
普通の少年のように笑い、怒り、ただひとりの少女を護ろうとしていた、彼は。
それでも――AKUMAを壊すことを選び、その為に今、神の欠片を連れて戦場に戻る。
――少女を、護るためではなく。《世界》を護るために。
「…そんなつもりで、言ったのではないのだよ、ウォーカー…」
あの一言が、彼の心をどこかで破壊してしまっていたのだとしたら。
『人』としての愛情よりも、『破壊者』としての愛情を、引き出してしまっていたとしたら。
それは、なんて――罪深い言葉だっただろうか。
「すまない…」
神様なんて、要らない。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。