「はぁ…」
自分が吐き出した重苦しいため息に、気が滅入る。
一時休憩を言い渡され、ひとり物思うに耽っているわけだが…
――正直、ひとりでいると余計に考え込んでしまう。色々なことを。
「(ついイライラして…フォーに八つ当たりするなんて最低だな、僕のために付き合ってくれてるのに!
あの怒りっぷりじゃもう相手してもらえないかなぁ~…どうしよう、謝りに言った方が良いか…)」
…まぁ、タダでは済まないだろうが。
先程のキレっぷりもだが、ちょっとしたことで人が吹っ飛ぶほどの蹴りを放つところも恐ろしい。
そう考えると、なんて全然可愛いものだ。少なくとも彼女は暴力には出ない。…口は悪いけど。
いや、今はの話はいいんだ。なんで気が付くとそっちに思考が行っちゃうかな。
「……」
…後が怖いが、謝らないままも怖い。やっぱり謝ろう。
――でも、と思う。
もうどんなにやったところで、無駄なのかも……。
右手を見下ろす。折れた右手は順調に回復し、さんざん酷使した割には痛みももうほとんどない。
普通の、手だ。怪我もするし、色も肌と同じで、――意思に関係なく誰かを傷つけたりはしない、手。
「…僕、今までどうやって発動してたんだっけ…」
もう、醜い腕の感触も思い出せない。…何も。
意識が戻る直前に見た、ひとりきりで泣くリナリーの夢が忘れられない。
リナリーの声を聞いたあの夜、震えながら「戻らなきゃ」と呟いた、の顔が頭から離れない。
早く、早くと気は逸るのに。無情にも進展が無いまま過ぎる時間に、苛立ちだけが募る。
――先が、見えない。
「は…――真っ暗」
自嘲気味に呟いたとき、いきなり肩を叩かれた。
誰だろう、と、僕は反射的に振り返る。
「ウォーカァーさぁん」
「わあっ!!」
光に下から照らされたその姿に、思わず驚いて悲鳴を上げた。
それは壁に渡ってきたらしい…って、蝋花さんじゃないか!
「ろっ、蝋花さん? びっくりした…どうしたんですか!?
なんで壁から!?」
「や、暗いって言うから灯りを…」
そう言う彼女の手には、灯りが握られていた。
…片手で壁を伝って来たんだろうか…アジア支部の科学班って凄いな…。
「あ、いや、あれは別にそういうイミで言ったんじゃ…」
「どーぞ
」
「あ…ありがとうございます…」
差し出されたら受け取らないわけにもいかない。
灯りを受け取ると、蝋花さんは軽い身のこなしで僕の横に腰を下ろした。
「腕、大変ですね。ウォーカーさん、頑張ってるのに」
「え? いや…」
頑張ってる、なんて。
まったく進展しない状況下では、そんなこと何の意味も無い。
「情けないです。こんなところでつまずいちゃって」
「そんなことないですっ! すごく頑張ってるじゃないですか!」
「ハハ…頑張っても…何も出来なかったらイミないですよ」
「何も…?」
不思議そうに、蝋花さんが首を傾げた。
そして、静かな口調で聞き返してくる。
「何をしたいんですか?」
「え…」
「仲間が出来て。ノアが出現して。ハートが狙われて。たくさん殺されて。
咎落ちを見て。武器を失って。…愛する人を、失い掛けて」
どこか淡々と語る口調。
灯りに照らされた彼女の表情には、すべてを見透かすような何かがある。
「仲間を守りたくなった? ノアを倒さなきゃって思う?
救えなかった人達の重みを抱えて、たくさん、いっぱい、『戦わなきゃ』ですか?」
どこか普段の雰囲気とは違う、重みのある言葉。
エクソシストという同じ立場の人間では見えなかった何かが、彼女には見えているのか。
「今、あなたを突き動かしているものは、あなたの優しさでしょう?
でも、そのたくさんの優しさから生まれた、たくさんの『戦わなきゃ』というキモチで、
あなたの大切なキモチが、埋もれてしまっていませんか?」
諭すような、穏やかで優しい言葉だった。
彼女とはそう歳は変わらないと思っていたけど、間違った認識だったのだろうか。
まるでそれは――ずっと年上の誰かと、会話をしているような感覚。
「戦うために戦うのではありません。戦うために生きているのではありません。
――大切なものがあるから、だから人は戦おうと思うのです!」
大切な…もの。
譲れない、願いとか。想いとか。
一番最初にあった――「何か」とか。
「……キミは……」
柔らかく微笑む彼女に、奇妙な感覚を抱く。
それは違和感であり、懐かしさのようなものでもあり、酷く不思議な…。
「何それーーーーーーーーー!!?」
いきなり、目の前にいる人と同じ声が響き渡った。
…背後から。
驚いて振り返ると、そこにいた人物に僕は目を瞠った。
…蝋花さんが、ふたりいる!?
「あたっ、あたっ、あたしがウォーカーさんとイチャイチャしてるぅーーー!?」
明らかに動揺しているが、その声や容姿は寸分違わず蝋花さんだ。
でも、目の前にいるもうひとりも、間違いなく蝋花さんで…?
…あれ?
「ドッペルゲンガー!?」
「え? えっ?」
「なんだっ、どうした蝋花!? ん?」
「あれ!?」
「…チッ」
続々と集まってきた科学班見習いの面々に、目の前に居た蝋花さんが舌打ちした。
…え。違う。これは蝋花さんじゃない。
混乱する僕達の前で、彼女の姿がまるで映像のようにブレた。
「あーあ、ブチ壊しだぜ!」
「フォ…フォお!!?」
不機嫌そうに言い捨てたその姿は、一瞬ブレた後にフォーの姿になった。
…待って。何コレ。意味がわからない。
「ああ、知ってる。フォーさんって擬態できるんだよ。
先輩が言ってた。それでよく支部長をからかってるって」
「でもなんでまた蝋花の姿に…?」
擬態って。
…ああ、でも腕を武器に変形させたり出来るんだから、おかしくもないか…。
妙に納得すると、フォーは勢いよく立ち上がった。
「カン違いすんなよ、ウォーカー」
「え?」
「べっ、別にテメェを励ましにきたんじゃねーぞっ!
あたしはまだムカついてんだ!!
で、でもな! が泣きそうな顔で「自分のせいだ」とかなんとか言ってるし、その…ッ」
そう言えば、何故かフォーはと仲が良い。
だけどの為だと言うだけなら、の姿に擬態すれば良かったんじゃないだろうか。
…見破る自信はあるけど。なら。
「~~~ッ…いー気になんじゃねーぞ! あー、眠!
ムカついたら疲れたー! 小僧のせいでとんだ迷惑だぜ!ったくよー」
「………」
照れ隠しのように怒鳴って、フォーは僕に背を向けて歩き出す。
気遣ってくれたのがわかったから、僕はその不器用さと優しさに微笑って、の分もお礼を言う。
「ありがとう、フォー」
ピタリと、フォーが足を止めた。
彼女のプライドを傷つけない為にも、僕はもうひとつ言葉を付け加える。
「灯り」
「…少し休んだらまた始めるぞ。あと、あんまを泣かすな」
「うん」
もちろん、肝に銘じておきますとも。
は優しいから、他者のことで傷つきやすい。
表に出さないように気をつけていたのに、フォーに八つ当たりしてしまって、気づかれたんだろう。
…泣かせてばっかりだな。これは男として情けない。
の様子も見て来ようかと、フォーに彼女の居場所を聞くために顔を上げる。
フォーはまだそこにいた。
僅かに上を向いた、不自然な体勢で。
「!?」
「フォーさんってばーーーっ!
もう勝手に私に化けないでくださいねー!
聞いてるんですか、もぉー!」
駆け寄ってきた蝋花さんが、後ろで必死に叫んでいる。
だけど、フォーはまったく反応しない。
「フォーさんってばーーーーっ!」
更に声を張り上げる蝋花さんの声にはまったく反応せず、
上を向いたまま、譫言の様に呟いたのは――バクさんの名前だ。
「…バク…ッ」
その声音に、先程までの強気な響きは無い。
搾り出すようなその音に、何か異常事態を感じさせる。
「バク…バク…ッ」
思わず、身を乗り出した。
――その、瞬間。
「ウォーカーとを隠せ、バクゥーーーーーーッ!!!」
悲鳴に近い叫びと同時に、フォーの身体から何かが飛び出してくる。
――左眼が、疼いた。
+++
ズキリ、と頭が軋んだ。
なんだ、これ…。
ズキズキと頭が痛む。
廊下の壁に手を着いて、なんとか崩れそうな身体を支えた。
目の奥がチカチカする。これはなんだ。
「さん! どうされました!?」
「…行かなきゃ…」
――どこに?
「イノセンスが…騒いでる…」
わたしのものじゃない。
アレンのイノセンスの、《声》。
「…アクマが…来た…?」
呟いた瞬間、既に霞み始めている記憶が動く。
ティキ=ミックの遣い――レベル3のAKUMA。
「――ッ!」
一瞬、呼吸が止まるかのような錯覚を覚えた。
アレンの傍に、行かなければ。
「…ウォンさん…フォーがいるのは、どこだかわかりますか…」
「え? 確か北地区へ…」
「北地区…っ」
――ああ、まただ。
『知っていた』のに、またわたしは何も出来ないのか。
「…ウォンさん。北地区にアクマが侵入しました」
「なんと!?」
「バクさんも恐らく気づいているはずです…わたし、行きます」
ウォンさんの制止の声が聞こえる。だけど振り返らない。
わたしは、そのまま走り出した。
+++
「フォー――!!」
そこに辿り着いた瞬間に聞こえた声に、わたしは自分が辛うじて間に合ったのを理解した。
だけど、状況は変わらず最悪だ。
フォーの小さな身体から、奇妙なものが出ていた。
薄くて平べったい、奇妙なもの――《ノア方舟》。
そして――レベル3の、AKUMA。
『フフ…お前がこの結界の『入口』か…』
「どうして…アクマなんぞの力で結界を破られるなんて…」
『別に? アタシは何もしてないさ。通してくれたのはノアの方舟だよ』
苦しげに呟いたフォーに、AKUMAは嗤った。
そしてその視線が、アレンに向けられる。
『迎えにきたよ、アレン=ウォーカー。そして、』
…やっぱり、わたしも――か。
あの時あっさり見逃したのは、後でもすぐに回収出来るから。
…まずいな…《物語》通りに運べばアレンのイノセンスが復活するけど、その確証は今現在はない。
下手にわたしが引っ掻き回したせいで、もうこの世界はわたしの知る《物語》とはズレてきている。
『『白髪』『奇怪な左眼』。おまえが『アレン=ウォーカー』だね?』
「!!」
身構えるアレンの後ろで、科学班見習い三人組が声を上げた。
…しまった。あの三人まだ居たんだ…。
「わーーーっ!? フォーさんの中からなんか出てきたぁーーー!!」
「多分…アクマじゃないかな」
「バカ! どー見てもアクマだろっ!」
ああ、混乱してる…。
エクソシストだって初めて見ると言っていたんだ、アクマを目にしたことなんてないだろう。
しかもそれがレベル3とは…。イノセンスが使えれば、この場に居る全員を護ることも難しくはないのに…!!
「でもここは結界で百年守られてきた場所だぞ!? こんなあっさり破られるなんて――!?
だいたい、どうしてウォーカーとがここにいることがバレたんだよ!?」
李佳の言葉に、アレンがAKUMAの手に止まったそれを見た。
――ティーズ。ティキ=ミックの、道具。
あれは恐らく、アレンの心臓に穴を空けた奴だ。だから…。
『もうひとり…『黒髪』『若い娘』――そこの女が『』?』
「え…?」
次にAKUMAが視線を向けたのは、蝋花だった。
…いけない。間違われてる。
わたしは思わず舌打ちした。
ティキめ…顔写真くらい渡しとけ。いや、あったらあったで怖いけど。
わたしはその場に飛び出し、AKUMAと蝋花の前に滑り込む。
「――そっちは無関係よ、レベル3。はわたし」
「!?」
驚いたように目を瞠って、アレンがわたしを見た。
「なんで来たんだ」、とでも言いたそうな目で。
……そりゃ、イノセンスの使えないわたしなんてある意味一般人以下だけど。
そんな顔しなくても良いじゃないか。…人をなんだと思ってるんだ。
小さく息を吐いてから、わたしはAKUMAに向き直る。
『ほう!? お前がノア様の言っていた《姫君》か!』
「なんだよ姫って。説明しろ」
『それはノア様に直接お訊きするが良いよ』
「ノアに会いたくないからあんたに訊いてんのに」
気の利かない奴だ。
わたしは一歩、前に出る。
イノセンスはいつでも発動できるように。
――ああ、でも、まだシンクロ率が正常値に戻ってない。
この土壇場に来てもなお、駄目か。「追い込んで活路」作戦、全然ダメじゃん。
「ウォ…カ…逃げ…ろ…」
緊張がはしる中、フォーが掠れた声でアレンに言った。
「!?」
「こいつはお前を殺しに来たんだ。
今のお前じゃ勝ち目はねェ…を連れてすぐに逃げるんだ…」
「そんなこと……っ!!」
『そんなことさせないよ』
笑みを含んだAKUMAの声が、アレンの声に重なる。
アレンの腕を引こうとして、手を伸ばした。
――ああ。
また、間に合わない。
手が届く寸前で、アレンの胸にソレが突き立てられた。
身体を貫通し、燐光を放つソレは――ダークマターが姿を変えたもの。
「!! ウォ…」
フォーの悲鳴に近い声が途切れる。
わたしの目の前から、色が消えた。
「ウォーカー!」
「ウォーカーさんッ」
李佳がアレンを抱きとめ、蝋花が駆け寄る。
それが、まるでスローモーションのように、わたしの目には映っていた。
「しっかりしろ、ウォーカー!
貫かれてる…!! これは…っ、ひも…!?」
『私のダークマターは物質分解能力。
その糸があらゆる物質の構造を分子まで分解・吸収して存在を消滅させるよ』
楽しそうに語るAKUMAを、わたしは睨む。
どうする。どうすれば良い。わたしに出来ることはなんだ。
『さぁ、消えて失くなるがいい。ボウヤ!!』
バチッ、と。
静電気のような音がした。
糸に貫かれたアレンが目を見開き、悲鳴を上げる。
「う、ぁ、ぁ、あ、あ、わぁああああああッ!!」
「ウォーカー!?」
「…っ!」
震えが止まらない。
声が出せない。名前すら呼べない。
何をしているんだ、わたしは。
動け。足掻け。
出来うる限りの最善を――!
「ウォーカーッ」
『ノア様には生きていたら連れてこいと言われているが、
生きたまま連れてこいとは言われてないのでね…分子になったお前を連れていくよ…』
足が震える。
腕が震える。
発動の予兆を見せただけで、身体の中で何かがざわめきだす。
「ああ…っ、ウォーカーが」
「消えていく…!」
「くそ…この糸切れねぇ!! どうしたら…」
「やだ…」
本能が囁く。
止めろ。発動するな。
ほんの少し耐えれば、《物語》が動くのだから――と。
「ウォーカーさん、消えちゃやだ――!!」
蝋花の悲痛な声が、響いた。
――今出来る最善を尽くさずに…わたしがここに居る意味なんて、ない。
「――発、動…ッ」
お願い、イノセンス。
お願いだから動いて。守る力をわたしに頂戴。
ビキビキッ、と異音が背後から響く。
『壊れる』。
でも、だからなんだと言うんだ。
――この手は! この力は!! 何のためにあるの!!
「…や、めろ……! 発動、するな…!」
わかってる。
ごめんね、フォー。ありがとう。
…でも、良いの。
無駄でも良い。何もしないで後悔するのは、もう嫌だ。
「くっ…ぅ…ぁ…あぁあああッ!?」
「さんッ!?」
痛い。
痛い。痛い。痛い。痛い。
全身の骨が軋んでる。
力が入らない。痛みに意識を持って行かれそう。
ダメだ、耐えろ。発動は一瞬でも良い。それまで…ッ!
「――発動を止めろ、!」
「!」
背後から聞こえた声に、はっとわたしは目を瞠る。
膝を着いたわたしの横を、横切っていく影。
――バクさんだ。
「〝封神〟」
力在る声に応えるように、空気が振動する。
わたしは発動を停止して、ゆっくりと息を吐いた。
「〝招喚〟」
ひとまずは安心しても――良いはずだ。
…ああ。わたしが居ようが居まいが、《物語》は動き出す。
「〝我 血ノモトニ許可スル〟!!」
『!』
バクさんの声と同時に、周囲の石柱に刻まれた紋様が光を放った。
それは凝縮されて一カ所に固まり、部屋の中央にいたAKUMAを捕らえた。
――倒したわけじゃない。AKUMAを倒せるのはエクソシストだけだ。
「しっ」
「支部長ぉー」
「フォー、今のうちだ!」
バクさんの声に応えるように、フォーが動いた。
結界を破られて消耗したその身体で、彼女はアレンに繋がれたダークマターを引き千切る。
「遅せぇよ!! バカバク」
口角を持ち上げて笑い、フォーがわたしの傍に着地する。
「…フォー…」
「この馬鹿…おまえ、無茶し過ぎだよ…」
フォーに言われたくないよ、と。
そう言おうとして、わたしは言葉を飲み込んだ。
自分が無茶してる自覚はありますとも。
「やった、糸が切れた!!」
「早くこっちへ! 今の攻撃程度じゃ数秒動きを止めるくらいしかできん!」
バクさんの指示に従って、李佳がアレンを背負う。
アレンは完全に気を失っていて、色素も薄いままだ。
「! 走れるか!?」
「は、はい…っ」
バクさんに腕を掴まれて、わたしは立ち上がった。
ふらつくフォーをわたしが支えて立たせると、すぐにバクさんが彼女を背負う。
「まったく! 発動するなとあれほど言っただろう!」
「ご、ごめんなさい。でも」
「自分の命を軽く見るな。どれほどの人間が悲しむかを考えろ」
「……ごめんなさい」
そう返事を返して、でも、とわたしは思う。
わたしがどんなに《未来》を変えようとしても、さして《物語》は変化もなく続く。
逆に、わたしは伯爵側に狙われていて――正常な《物語》以上に、周囲に危険が降りかかっている気がする。
――じゃあ、わたしという存在は、この《世界》の中で、どんな意味を持つと言うの?
壊された、箱庭の中の平穏。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。