――嫌な予感というものに限って当たるものだ。
虫の知らせとか第六感とか、そんな言葉で片づける以外に適切な表現がない。
ただ確かなことは、ひとつ。
昨夜遅く、《六幻》が何かに反応した。
否、あれは反応というよりは共鳴に近い。
あの瞬間から、妙な胸騒ぎが消えない――。
「神田」
ざくりと土を踏む重い足音に、振り返る。
相変わらず言葉少ない同僚は、どこか普段以上に重い口調で告げた。
「本部へ連絡を入れて来た」
「…コムイは何だって?」
「あまり好ましい事態ではないが、了承したと」
「そうか」
どこの元帥も我が儘なんだろう。
それに、相当な数のエクソシストが死んだと聞いた。
今はひとりでも多く、新たなエクソシストが必要だということだろう。
「…それと、伝言を預かった」
「元帥にか?」
「いや、おまえにだ」
「俺に?」
予想外の言葉に思わず目を瞠った。
この状況下で、俺個人に何の用だ。
「…中国へ向かったクロス部隊のことだ」
「………」
ざわりと、何かがざわめく。
嫌な予感がした。
「クロス部隊所属の、アレン=ウォーカーが殉職したと」
「…あいつが…」
一瞬、言葉が出てこなかった。
いつ死んでもおかしくないとは思っていた。
あいつは戦場に立つにはあまりにも考えが甘い。
――あいつは、目の前の『何か』に反応して、無意識に『護ろう』とするだけだ。
だから早死にするだろうと思ってはいたが――実感が湧かない。
「…まぁ、…保った方じゃねぇのか」
ようやく出た自分の言葉に、ふと気付く。
あいつの傍にはがいたはずだ。――あいつの死に、は耐え切れるだろうか。
「それともうひとつ」
「あ?」
「…同じクロス部隊の=が、戦線を離脱した」
「――ッ!」
思わず、反射的に立ち上がっていた。
よほど俺は酷い顔をしていたのか、マリの驚く顔なんて久しぶりに目にした気がする。
「……死んだのか」
「いや。意識不明の状態らしいが、生きてはいるそうだ。
ただ…イノセンスが、使い物にならない状態だと聞いた」
「…イノセンスが…」
「回復するかも危ういらしい」
――では、それはエクソシストとしての『死』だ。
「…そう、か」
イノセンスを扱えなくなったのなら、もうはエクソシストではない。
――だが、逆にこれで良かったのかもしれないとも、思う。
は戦いには向いていない。
誰かが傷付くことに過剰に反応するあの性格は、戦場でを追い込むだけだ。
「マリ、神田。そろそろ行くよ。…迎えが来た」
「はい、元帥」
「……」
促され、先行する師の背を追いながら、思う。
エクソシストではなくなったと会うことは、もうないかもしれない。
だが、それでも良いと思った。
――生きていてくれれば、それだけで。
アレンとの代わりとして、クロス部隊にミランダが合流して1時間程が経った。
出航準備が整った船は順調に海路を行き、怪我の治療を終えた彼らにも少しの落ち着きが戻っていた。
「『最新の団服です』って。みんなもうボロボロだろうから、渡すように頼まれたの」
「軽くて動きやすいさ!」
「でもとても丈夫なんですって」
ミランダが持ってきたトランクには、新しい団服が入っていた。
…その中に、アレンとのものはない。
それにどこかやるせなさを感じて、ラビは視線を動かす。
――その視線が、虚空をぼんやりと見つめるリナリーに、止まった。
「リナリーちゃん…」
「……」
新しい団服を差し出し、ミランダがおずおずと声を掛ける。
リナリーはまったく反応せず、ただ虚空を見つめるだけだった。
「…心の整理がつかんのだろう。
リナ嬢は昨夜、アレンと嬢の傍を離れたことを悔いておる。自分を責めているんだ」
ブックマンの声に重なるように、ガラスの割れる高い音が響いた。
ガラスを叩き割ったラビの手は微かに震えている。
「…いい加減にしろよ…」
低く呟くラビの声音には、複雑な感情が込められている。
それはリナリーへの苛立ちというよりは、自らへ向けた怒りだった。
「仕方ないことだったんさ…っ
オレらは昨日、必死に戦った。どうしても、助けらんなかったんだよ…っ」
血を吐くように呟かれた一言に、微かにリナリーが反応する。
護れなかった、という意味で言うなら、ラビとてリナリーと同じ思いを抱えている。
何故、あの時行かせてしまったのか。
どうして、一緒に行かなかったのか。
答えは単純だ。その場を離れれば、アニタ達が殺されていた。
結局行き着く言葉は「仕方なかった」。
誰が悪いわけでもない。誰かが責められるような、そんな単純なものじゃない。
だがそれを、言葉で伝えるには、まだラビも冷静さを取り戻しては、いなかった。
「戦争なんさ、しょうがねェだろ!! 諦めて立てよ!!!」
「……」
ラビの怒鳴り声が、静かな船内に響く。
虚空を見つめたままのリナリーの瞳から、不意に涙が零れた。
そのあまりに悲痛な表情に、はっとラビは目を瞠る。
「「「泣かした…」」」
「うっ…」
非難がましい三対の目で見られて、ラビは思わずたじろいだ。
「スマンな、リナ嬢。ほれ、きつくお仕置きしとくから」
「ぐげがぎごげぶぶっ」
ブックマンに身体を海老反りにさせられて首を絞められ、ラビは奇妙な悲鳴を上げながら藻掻く。
その耳に、ブックマンは固く口調で耳打ちした。
「…頭を冷やせバカ者が」
「!」
言われた言葉に反発して、ラビはキッとブックマンを睨む。
「何でさっ、パンダ! オレ別に間違ってなんか…痛っ」
言葉の途中で殴られ、痛みに顔をしかめるラビの襟をブックマンは強く掴んだ。
そして、厳しい表情でラビを見据えながら口を開く。
「神の使徒にでもなったつもりか」
「!?」
「お前はブックマンの継承者であり、それ以外の何者でもない。
いかなる事態にも傍観者であれと教えたはずだが?」
――歴史の裏には必ず戦争が在り、戦争が在るから歴史は動く。
ブックマンとはその内に身を置き、何にも属さず、何にも捕らわぬ目ですべての事柄を記録する存在。
幼い頃から叩き込まれたその言葉が、ラビの中に蘇る。
「戦争にハマるな。
我らは記録の為にたまたまこちら側にいるだけだ。…目的を忘れるな、ラビ」
「……」
しばらく呆然とその言葉を聞いていたラビは、何か言い返そうと、唇を空回らせた。
結局言葉が思いつかずに、俯きながら頷く。
「わかっ…たさ。悪い、パンダ…」
言った瞬間、思いっきり頭を叩かれた。
…ちくしょう、ポカポカ殴りやがってこのパンダジジイ…と、
口にしたら更に殴られるので、不承不承、ラビは口を噤んだ。
「まぁ、それに…私には、
《時の破壊者》とその導き手《双黒の使徒》と予言を受けたあのふたりが、死んだとはどうも信じられん」
割られた窓ガラスから外を見据えながら、ブックマンは静かに告げた。
「室長殿に頼み込んでクロス部隊に入れてもらったのは、あのふたりの行く末に興味があったからでな。
《時の破壊者》の『時』とは、ある人物を指しているのではないかと」
その言葉に、泣いていたリナリーが顔を上げた。
ラビの表情にも、微かな驚愕が滲む。
「『時』…『千年』…
――アレン=ウォーカーは、千年伯爵を破壊する者ではないだろうか」
そこで言葉を切ると、微かにブックマンは笑う。
まるでそれが、初めからわかっていたかのように。
「その為の導き手であり、守護者である者が《双黒の使徒》ならば…
――――彼らがこんな所で死ぬハズは無い」
+++
とある船室のドアを前に、リナリーは一瞬躊躇ってから、静かにノックをした。
――夜中に訪ねるのはどうかと自分でも思ったが、まだ彼女は起きていたようで、すぐに返事が返ってくる。
「はい、誰?」
「…夜遅くにごめんなさい、あの…髪縛るもの…貸してもらえませんか」
おずおずと告げたリナリーに、アニタは少し驚いた表情をしてから、優しく微笑んだ。
.
.
.
椅子に座らされたリナリーは、アニタに手ずから髪を結われていた。
さすがは妓楼の女主人。髪結いひとつとっても、見事な手腕だった。
「母の形見なんだけど、どうかしら?」
「え? いいんですか、そんな大事なもの…っ!?」
「いいよ」
笑いながら言われて、リナリーは困ったように考え込む。
そんな彼女に、アニタは苦笑しながら口を開いた。
「私が18になったら譲り受ける約束だったんだけど、
その前に母がアクマに殺されてしまって、なんだか付けられなくなっちゃったの」
だから代わりにあなたに付けて欲しい、と。
穏やかな微笑みと共に言われて、困惑しつつもリナリーは頷いた。
「アニタさんのお母さんも、教団の協力者だったんですよね…?」
「ええ。クロス元帥に一目惚れしてサポーターになったのよ。単純よねェ」
「そ、そうなんですか…」
思わず、リナリーはパッと頬を染める。
恋。リナリーにはまだ、命を懸けても良いと思えるほどのそれは、経験がない。
ある意味それは、リナリーにとってはなのかもしれない。
明確には恋ではないだろうが、リナリーが初めて兄以外で心から慕った相手だ。
「人のこと言えないんだけどね。
私もあの方のために何かしたくて、こうしてるワケだし」
「……」
どこか寂しげに告げられたその想いに、リナリーは思わず押し黙る。
彼女の脳裏に過ぎるのは、護れなかった仲間の顔。
――今、彼女と自分は同じ境遇に立っている。そう思ったリナリーは、呟くようにその問いを口にした。
「…クロス元帥が生きていると、信じてますか…?」
「――……信じてます。それだけが、私の力だから…」
穏やかな口調で返された言葉には、真っ直ぐな意志があった。
『信じること』も、アニタのクロスに対する愛情なのだろうか。
それを貫く覚悟を、彼女はどうやって手に入れたのだろうか、と。
そんなことを考えていたリナリーに、今度はアニタから問いかけが投げられる。
「…リナリーちゃんは、信じてないの?」
「え…」
「アレンくんと、ちゃんのこと」
思わず、リナリーは身を固くした。
俯き、唇を噛んで。それでもリナリーは呟くように返事を返す。
「…わかりません…でも…生きていて、欲しいです…」
「…仲間だから?」
頷き掛けて、リナリーは首を左右に振った。
「…ふたりが、大好きだから…ッ」
呟いた瞬間、ぼろぼろと涙が溢れ出した。
髪を結うその手が、優しく温かかったからかもしれない。
「…やだ…ふたりが居ない世界なんて要らない…そんなのやだ…ッ」
「リナリーちゃん…」
そっと、アニタの細い腕がリナリーを抱き締める。
その優しい腕が、あの日、悪夢にうなされていた自分を慰めてくれた少女のそれに重なった。
「…信じましょう。今は会えなくても、必ず会えるわ。
こんなに想ってくれるあなたを遺して、あの子達がいなくなってしまうはずがない」
抱き締められることに、リナリーは安堵する。
いつからこんなにも、甘やかされてしまったのか。
ふと考えて、それがのせいだと気付く。どんなに大事にしてくれていたかを、改めて実感する。
「信じることは『力』になる…私が保証します。
だから、信じましょう。私も一緒に頑張るから…」
優しく告げられた言葉に、リナリーは何度も頷いた。
+++
甲板で、ラビはぼんやりとそれを眺めていた。
拾ったトランプ。アレンが持っていたもの。
クロウリーと出逢い、彼が仲間に加わった頃。奇妙な4人組のうちのひとりから貰った物だった。
その後の道中でも娯楽を提供してくれたものである。
いつしか強過ぎるアレンに、皆で対抗するような構図が出来上がっていたな、とそんなことをラビは思い出した。
ほんの数日前のことが、酷く遠い昔のことのように、思えてくる。
「……」
先ほど言われた言葉が、ぐるぐると頭の中を巡る。
《ブックマン》は《傍観者》。
誰にも心を傾けず、何にも属さない存在。
――理解していたはずのそれを、ラビは改めて声に出した。
「…味方じゃない…」
呟くと、酷くその一言が重い。
それはしこりのように胸に残り、思考を苛んだ。
「記録の為に、紛れ込んでるだけ」
。第一記録、『変な奴』。
アレン=ウォーカー。第一記録、『線の細い美少年』。
…全然第一印象通りじゃなかったな、と思う。ああ、でもは割とそのままか。
――そう。単なる記録対象のはずだった。
《時の破壊者》と、その守り手たる《双黒の使徒》。
記録の為に傍に居て、記録の為に守る。それだけの存在のはずだった。
だけど、いつからかそれを忘れてしまっていた。
今までたくさんの死を見てきたのに、ふたりの死に激しく動揺した自分がいる。
――それは失って初めて気付く、狂おしいほどの執着心だった。
…ああ、いつかのアレンの言う通りだ、と。
トランプを握り締めながら、ラビは自分自身を嘲笑う。
――確かに、に惹かれていた。
彼女に自分と同じ匂いを感じていた。
世界から隔離された存在。どこか一歩引いたところから物事を見る目。
だから、なら。
どこまでも共に堕ちてくれるのではないかと――思ってしまった。
――こんなことは、次期ブックマンとして『あってはならないこと』だ。
「…ブックマンに、心はいらねェんさ」
呟いたラビの背後で、微かな足音がした。
.
.
.
「劫火灰燼――直火判!!」
自らに襲いかかってきたモノに、ラビは火判を叩き込んだ。
ミランダのイノセンスが発動していなければ、恐らくあのまま殺されていただろう。
「クソッ、無駄な怪我した」
思わず舌打ちした。
いくら不意打ちとは言え、思考に没頭して後れをとるとはなんてザマだ。
『題名…』
「!!」
火判を直に喰らっていながら、その今まで見たこともない形状のAKUMAは呟いた。
『「なぜ回復する…?」』
まるでダメージを受けていないのか、AKUMAは不思議そうに腕を組む。
そのボディがまったく傷付いていないのを見て、ラビは目を瞠った。
「(火判の直接攻撃を喰らって破壊できてない…っ!?)」
油断が生じたのか。
AKUMAが槌を叩くと、槌は大きく回った。
当然、柄を握るラビもその勢いのままに振り回される。
「うっ…わっ」
勢いを殺しきれず、ラビはマストに突撃した。
甲板へ出てきたマホジャが丁度その光景を目にして、ラビの名を呼ぶ。
「ラビ!」
「痛…っ」
すぐにミランダのイノセンスで再生されるとは言え、痛いものは痛い。
痛みに顔をしかめていると、信じられないスピードでAKUMAが目の前に現れる。
『題名…「頭部粉砕」』
眼前に迫る、AKUMAの拳。
「(ヤバ…ッ)」
目を瞠るが、ラビは動けなかった。
槌を弾き飛ばすほどの力だ。殴られれば確実に死ぬ。
「ラビィーーーー!!」
目を見開くラビの耳に、自分を呼ぶ悲鳴が聞こえた。
.
.
.
――凄惨な光景だった。
ブックマンのイノセンスで九死に一生を得たラビは、上空から落とされたブックマンを抱えて唇を噛む。
強い、のだ。異様に。
今まで会ったどのタイプのAKUMAとも違う。
もしや、こいつは――
「――船に戻って、ラビ」
「リナリー!」
最悪の可能性を頭が弾き出した瞬間、ふわりと風のように彼の横をリナリーが通り過ぎていく。
止めようと名前を呼んだ瞬間、はしった激痛にラビは顔を歪めた。
「!? 痛…っ、う…っ」
つ…っ、と。
額から、鮮血が滴る。
「(傷が体に戻りだした。船から離れたせいか…くそっ!)」
この傷では、あのAKUMAと戦うのは無理だった。
だからと言って、リナリーひとりを戦わせるわけにはいかない。
ラビの考えが正しければ、あのAKUMAは――、
『題名…』
AKUMAの言葉を遮るように、リナリーは凛とした口調で言い放つ。
「――お前は、私が破壊する」
誰にも理解されない、わたし達の悲劇。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。