不可思議な空気を漂わせたそこを、ひとりの少女が歩いていた。
少女の姿をしてはいるが、彼女は正確には「少女」ではない。
永い、永い時間を存在し続ける、守り神の欠片。

――黒の教団アジア支部の番人,フォー。それが、彼女の役目と名だ。

「(死人の臭いだ)」

薄暗い竹林の中、ざくざくと土を踏み締める音だけが響いた。
フォーの表情は、どこか複雑なものだった。
あまりにも、霧が濃い。悪しき意思は感じられないが、異常現象であることは否めなかった。

「(でも、なんも見えねーぞ。ちくしょー。何なんだよ、この霧)…りッ!?」

何かにつまづいて、フォーはその勢いのまま前のめりに転がった。
如何に人ではないとは言え、その構造は人のそれに近しい彼女である。
無論、痛覚はあるし反射神経というものもある。

「痛っ」

アジア支部を守る番人にしては、なんとも無様な転びっぷりだった。
勢い良く跳ね起きて、フォーは強かに打ちつけた鼻を抑える。

「(はっ、鼻! 鼻打った! はが!! 何なんだよ一体よ~っ!!)」

痛む鼻をさすりながら、フォーは足元に落ちていたそれを拾い上げた。
それは中国に住む彼女達には、あまり馴染みの無いものであり、彼女は首を傾げる。

「ん? 何だこりゃ? 西洋カルタ?」

まず、道端に落ちているものにしては不自然過ぎた。
他の国ではどうだか知らないが、この国では一般的な娯楽用品でもない。

「なんでこんなもん…」

フォーが視線を移すと、そこには子供がふたりいた。
十代半ばの少年と、それより年かさの少女。
少女の方は、浅いが規則正しい呼吸をしている。
しかし、少年の方は――

「あちゃぱー」

徐々に弱まっていく呼吸と、ぼんやりと虚空を見つめる瞳。
もはやそれは、死を目前に控えた死に体だ。

「こりゃ、手遅れだ」



File30 別離




ラビの槌に乗り、ラビとリナリーのふたりは上空を移動していた。
AKUMAの残党がいないとも限らない。
だが、疲弊しきった身体を引きずってまで戻って来たのは、湧き上がる不安を拭う為だった。

「大丈夫か、リナリー!?」

自力で立つことすらも危うい状態のリナリーを気遣い、ラビは彼女に声を掛ける。
リナリーはラビに寄りかかってなんとか立っているが、その顔色からして酷い状態だ。

「ヘロヘロさ! そんなんで…」
「大丈夫…それより早く…っ…早く三人を…っ」

悲痛な訴えは、徐々に悲鳴に近いものに変わっていく。
彼女を突き動かしているのは、今や気力と、悲痛な願いだけだ。

「空で強い光が見えた。どれだけ探しても、見つけられないの…!!」

リナリーの脳裏に浮かぶのは、大切な仲間達の姿だ。
約束をした。必ず戻るという約束。
それを信じたいのに、嫌な予感が消えてくれない。
傍を離れなければ良かった、と。自責の念が押し寄せて、リナリーの心を傷つけ続けている。

堪えきれずに泣き出すリナリーを見下ろして、ラビは強く唇を噛んだ。

「みつかるさ」

リナリーに告げたその言葉は、ラビ自身にも言い聞かせられた言葉だった。
自責の念、というのなら、ラビとて抱えている。
自分達は最善と思った選択をし、闘った。
だがそれでも、他に出来ることがあったのではないかと、思わずにはいられない。


――その時、ドンッと衝撃音が、響いた。


「!?」

槌の動きを停止させて、ラビは上空を仰ぐ。
――AKUMAの残党の姿が、目に映った。

今の爆発音は、彼らの攻撃か。
そう思って目を凝らすと、爆煙の中から金と銀の光が飛び出してくるのが、見えた。

『待てゴラ金のゴーレムー!!!』
『止まらんと撃つぞー!!』

風を切って飛ぶのは、金と銀のゴーレム。
ティムキャンピーと、それに追従するソルトレージュだ。
AKUMA達はその二色のゴーレムを追いかけていた。

『速っえーな、あんニャロ! レロと肩並べんじゃねェの?』
『だがオレの追尾型ミサイルからは逃れられーん!!』

AKUMAの言葉どおりに、ティムキャンピーとソルトレージュに弾丸が迫る。
その驚異的なスピードで回避し続けた攻撃も、追尾されては避けきれるものではない。

『当たれぇ!!!』

だが、それは寸でのところで届かない。
風が衝撃となって、弾丸を破壊する。

ハッと、二匹のゴーレムは振り返った。
弾丸を破壊した爆煙の中から、ふわりと重力を感じさせない軽さで現れたのは、リナリーだ。

「ティムキャンピー!! ソルトレージュ!」

ようやく見つけた手掛かりに、リナリーの表情に笑顔が戻る。
二匹もすぐにリナリーの傍に近寄っていった。

『あちゃー! エクソシストだ』
『惜しかったね』
『オレのミサイルゥゥー!!』

口々に騒ぐAKUMA達は、気づいていない。
足元に刻まれたそれに。

『!』
『何だ!?』
『ひ?』

カッ…と輝いたそれに、彼らが気づいた時にはもう遅い。
大地に刻まれたそれは、『火』という一音。

『ギャアアアアア!!!』

ラビの火判の炎に、一瞬にしてAKUMA達は燃え尽きた。
断末魔の声が、こだまする。









竹林の中を、ふたりは歩いていた。
その足取りは重い。
必死にここまで駆けてきた勢いは、既に無くなっていた。

――そこには、何も無い。

「ティムの映像記録だと、ここでアレン達と別れたみたいさ…」

疲弊しているのか、ティムキャンピーはくったりと羽根を下ろしている。
それを手に乗せて、ラビはどこか感情を抑えるように呟いた。

「ノアと遭遇して左腕を壊されたアレンと、もう戦う力が残って無かったは…」

ティムキャンピーが持ち帰った映像記録は、あまりにも凄惨な記録だった。
音声が記録されなかったのは、ある意味幸運だったのかもしれない。

「スーマンのイノセンスだけでも、守ろうとしたんだ」

アレンが左腕を破壊され、が既に形すら保てなくなったイノセンスを発動した辺りで、映像は終わる。
のソルトレージュはところどころ壊れてしまっていたし、
ティムキャンピーも無傷とは言えない状態で、それでも二匹は主の望みを叶えたのだ。

――それが、どれほど切羽詰った状況だったか、考えるまでも無い。

まだ乾き切っていない血の跡。
そこに膝を着いて、リナリーは穢れを厭わずそれに触れた。

「血の跡…ここにいたんだ…」

呟いたリナリーの瞳から、涙が溢れて落ちた。
そのまま耐えるように顔を覆い、俯く。

――でも、いない。どこにもふたりがいない…!」

抑え切れない悲痛な嗚咽が、閑散とした竹林に響く。
その声を聞きながら、ラビは落ちていた見覚えのあるものを拾い上げた。

――トランプ。アレンが持っていたものだと、ラビは記憶している。

それを黙って見下ろす彼の隣。
黒いゴーレムから、聞き慣れた声が聞こえた。

『聞こえるか、ラビ』
「…何?」

なんとか声だけは平静を保ち、ラビは相手に返事を返す。
彼自身が驚くほどに、平坦な声だった。

『港へ戻れ。使者が来た』
「使者?」

予想外の一言に、ラビは思わず目を瞠る。
彼はトランプを懐に押し込み、リナリーの手を引いて元来た道を引き返した。









――凄惨と言うなら、こちらも負けていないかもしれない。
破壊された船の前。
命に関わるものではないとはいえ、傷を負った面々は座り込んでいた。
そんな彼らの傍に、見慣れない初老の男性が立っている。

それが誰かは、リナリーもラビも知っていた。
黒の教団アジア支部の支部長補佐,サモ=ハン=ウォンだ。

「お久しぶりでございます、リナリー様」
「! あなたは、アジア支部員の…」

微かに、リナリーは目を瞠る。
アジア支部は、室長のコムイが中国出身ということもあってか、交流が多かった支部だ。
リナリーも幼い頃から、彼――ウォンをよく見知っている。

「ウォンにございます。
 取り急ぎ、我ら支部長の伝言をお伝えに参りました」
「伝言?」

もしや、教団からの伝達だろうか、と。
どこか不思議そうに首を傾げる面々に、ウォンは静かな口調で切り出した。

「こちらの部隊のアレン=ウォーカー、の両名は我らが発見し、引き取らせて頂きました」

――一瞬。

止まった時間が動き出したような錯覚を、覚えた。

力なく沈んでいたリナリーの瞳に、元来の力が戻る。
彼女はウォンに駆け寄り、その腕に縋りついた。

「本当に…!?」
「はい」
「ふたりは…アレンくんとは無事なの?
 お願い、ウォンさん。今すぐふたりに会わせて!」
「…あなた方は、今すぐ出航なさってください。彼らとは、ここでお別れです」

俯きながら告げられた言葉に、リナリーの表情が凍りついた。
それが意味することを、最悪な結果を、彼女の頭が弾き出す。

「辛いと存じますが、お察し下さい」

気遣うような、固い口調。
ふらりと、リナリーの身体が傾ぐ。

「…うそ、よ」

呆然と、彼女は呟いた。
その声には、まったくと言って良いほどに覇気がない。

「だって…が約束してくれたわ…アレンくんと一緒に、戻ってくるって…」

彼女の脳裏に浮かぶのは、優しく諭すように告げて、微笑んでくれた年上の少女の笑顔。

時間に換算するなら、彼女と過ごした時間は短い。
だけど、リナリーが兄以外で初めて、誰よりも頼り、信頼している少女だった。
誰よりも優しく、リナリーを大切にしてくれる、姉のような…かけがえのない仲間。
――彼女との約束が果たされない瞬間などないと、無邪気に信じていた。

「約束したもの…ッ…は、約束を破ったりしない…しないんだから…ッ!」

血を吐くように、リナリーは感情を吐露した。
握り締めた拳に爪が食い込み、肌を傷つける。
その痛みすら、今のリナリーには感じられない。
その胸に降りた喪失感と痛みに比べれば、他のどんな痛みだって感じられないだろうと、思った。

「そんなの…嘘よ…ッ」
「…」

…守れなかった。
大切な仲間を。
傍に、いたのに。

そんな自責の念が、悔しさが、渦巻いて平静さを奪い去る。
イノセンスを破壊されたアレンと、それを眼前で見せられた
ふたりがどれほど辛かっただろうかと、想像しただけで胸が引き裂かれそうだった。

「…リナリー」

崩れ落ちるように膝を着き、顔を覆うリナリーにラビは声を掛ける。
その声はどこか平坦で、必死に何かを抑えているかのような気配がした。

「お前もティムのメモリーを見ただろ。あいつは左腕を失ったんだ。
 あの時点でどのみち、アレンはエクソシストじゃなくなった」

抗いようの無い《事実》に、心が悲鳴を上げた。
涙が、止まらない。

「…だって、…イノセンスを自分の意志でコントロールすることも、出来てなかった」

その言葉を発するのに、ラビがどれほどの気力を使っているのか。
それを思い遣れるほど、今のリナリーには余裕などなかった。

「オレ達は、進まなきゃならないんだ」




――《世界》が欠ける音が、した。




+++


「…」

気配を感じて、わたしはうっすらと目を開けた。
視界の中に、小さな影が映り込む。

「お? 目が覚めたか?」
「…え…?」

聞き覚えの無い、声だった。
女性――いや、少女の声。
どこかその口調は少年のようだ。

「おーい、バク! 女の方が目ぇ覚ました!」

そう言いながら、彼女はパタパタと軽快な足音と共に走り去って行った。
ゆっくりと瞬きをしてから、わたしは身を起こす。
走り去っていく少女の、後姿が見えた。

「…いまのは…」

――黒の教団アジア支部の守り神『フォー』?

わたしの記憶違いじゃなければ、あの不思議な出で立ちの少女はフォーだ。
では、ここは――アジア支部?

「…わたし…?」

…どうして、わたしがここに居るんだろう?
ティキが見逃してくれた? あの状況で?
有り得ない。今度こそ連れて行かれると思っていた。

わたしがここに居るということは、アレンも無事保護されたんだろう。
どういう奇跡かわからないけど、わたしはアレンの傍を離れずに済んだらしい。

――目が覚めたか。
「あ、はい」

いきなり考え事の最中に声を掛けられて、反射的に返事を返した。
顔を上げた先にいたのは、ひとりの男性だ。
その顔にも見覚えがある。――アジア支部の支部長,バク=チャンで間違いないだろう。

「思ったよりも落ち着いているな…」
「いいえ。混乱し過ぎて、冷静に見えるだけですよ」

逆に困惑しながら言われて、わたしは苦笑した。
謙遜でもなんでもなく、もう頭の中はぐちゃぐちゃだ。

「…そうか。まぁ、いい。
 ここは教団アジア支部。ボクは支部長のバク=チャンだ」
「はい…はじめまして。そちらは?」

一応、そう訊ねてみる。
わたしが彼女の名前を知っていたらおかしいだろうし、会話の流れ的にも不自然さはない。

「ん? ああ…そうだったな。
 彼女はフォー。この支部の番人だ。本部の門番みたいなものだと思えば良い」

アレスちゃんか。なんだか懐かしいな。
ほんの少し前のことのはずなのに、本部でみんなと過ごした時間が懐かしい。

最初にこの世界に来た時、アレスちゃんに門前払いされて神田に斬られかけたっけ。
アレンと初めて会った時のことは、語り草になるほど悲惨だった。衝撃的な出会い方したよなぁ。
…ああ、ダメだ。なんか泣きそう。

「…アレンは、無事ですよね?」

ここがアジア支部である以上、それは《物語》の《決定事項》だ。
だけど、無事だと聞かないと、…顔を見ないと、落ち着かない。

「ああ。酷い怪我だが、生きている」
「…会わせて、ください…ッ」

もう、ダメだな。と
自分の中の感情が暴走するのを、止めるのは諦めた。
わたしは寝かされていた寝台から降りようと、床に足を下ろした。
途端に痛みでバランスを崩して、わたしはその場に崩れ落ちる。

「お、おい! 無茶すんなよ!」
「お願い…ッ」

駆け寄ってきたフォーの手を借りて、わたしは半身を起こす。
自分の声とは思えないほどに掠れて、聞き取りにくい声。
そんなわたしの前に膝を着いて、バクさんは諭すように言った。

「…落ち着くんだ、
「…ごめんなさい。ごめんなさい…ッ
 わかってるの、わかってるけど、ダメなの! 会えないと不安なの…ッ」

自分でも何を言っているのかわからない。
ただ、わたしは必死だった。
『知っている』ことなんて、何も役に立たない。
だって、こんなにも不安だ。心がざわめいて、胸が痛い。

「…今はまだ駄目だ。彼はまだ、意識が戻っていない」
「顔を見るだけでも良いの。お願い。お願いします…ッ」
「駄目だ」

はっきりと、拒否された。
その声はとても静かで、そして絶対の意思を感じさせる。

「辛いとは思うが、今は耐えてくれ。彼もキミも、まともに動かせる状態ではない」
「……ッ」

ギリ…ッ、と唇を強く噛んだ。
――ここまできてなお、わたしは、無力だ。

「フォー」
「ん?」
「アレン=ウォーカーの様子を看てきてくれ」
「そいつの次はあっちかよ。人使いが荒いなァ」

深くため息を吐き出して、フォーはわたしを寝台の上に戻してから、ドアに向かって行った。
不意に、ドアに手を掛けた状態で、彼女は足を止める。

「…おい、
「え…」
「心配すんな。あたしがわざわざ運んできてやったんだ、死なせねぇよ」
「……」

振り向かずに言われた、言葉。
ゆっくりと目を瞬かせてから、わたしは微笑った。

「…ありがとう、フォー。助けてくれて」
「……ゆっくり休めよ」

それだけ言って、フォーは部屋を出ていった。
…照れてたんだろうか。
足早に去っていく背を見送って、わたしは首を傾げた。


+++


それから3日が経った。
わたしは怪我こそ完治してはいないものの、普通に生活が送れるくらいには回復している。
もともと、わたしの怪我自体は大したことはなかったのだ。
…アレンの意識は未だ戻らず、怪我の具合もわからないままだったけれど。



「…随分、無茶な発動の仕方をしていたみたいだな」

並べられた資料を前に、バクさんはそう言ってため息を吐いた。
わたしの容態が回復して即、行われたのは身体検査。
…で、イノセンスの状態に思いっきりダメ出しされていた。

「…はぁ…そんなに無茶やったでしょうか、わたし…」
「こういうのは、無自覚なのが恐ろしいんだ」

苦い口調で言われて、わたしは苦笑する。
もしかしなくても説教されてますか、わたし。

「過去のデータと示し合わせた結果、キミのシンクロ率の平均値は88%。
 これはなかなか素晴らしい数値なんだが…どうにも、ムラがある」

スッと、指で書類の一部が示された。
数値の羅列に、ちょっと眩暈がする。…数学か、苦手だったなぁ…。

「酷く不安定なんだ。
 落ち込むときは一気に落ち込み、跳ね上がるときは一気に跳ね上がる」
「はぁ…浮き沈みの激しい性格だとは良く言われます…」
「いや、性格の話ではなくてだな…まぁ、難しい話はやめておこう。
 つまりだ。…結論から言うが、しばらくイノセンスの発動を禁止する」
「えっ」

予想外の一言に、思わず椅子を蹴って立ち上がった。
途端、全身にはしった鈍い痛みに呻く。…つ、辛い…。
そんなわたしを呆れたように見やってから、バクさんは重々しく口を開いた。

「…最後に発動した際のシンクロ率を聞いたら、多分卒倒すると思うが、聞くか?」
「…………え、遠慮します」
「なんと18%だ」
「遠慮するって言ったのに!!」

なんていうか、この世界の人って基本的に人の話聞かないよな!?
訊いておきながら、その意見を全く考慮しないってどういうことだ!
だけど、わたしの主張はあっさり無視された。

「それこそ、命を落としてもおかしくない数値だぞ! ことの重大さがわかっているのか!」
「ごめんなさいごめんなさい! よくわかんないけどごめんなさい!」

怒鳴られて、反射的に謝った。
だって、今まであんまり気にしたこともなかったんだよ、シンクロ率なんて!!
そういえば、ヘブラスカが言ってたっけ…わたしのシンクロ率が不安定だ、って。

「…そんなわけだ。わかったな?」
「ハイ…」

返事を返して、椅子に座り直す。
要約すると、危ないから安定するまでイノセンスを発動するな、ってことだよね。
もちろん、何事もなければ使うこともないだろうけど…。

「バクーー」

不意に掛けられた声に、バクさんとわたしは声の方を振り返った。
この支部の中で、これほど気軽にバクさんを呼び捨てるのはひとりしか居ない。

「フォーか」
「アレン=ウォーカーな。まだ意識は戻ってないけど、だいぶ容態は安定したぜ。
 ……顔見るくらいなら、もう良いんじゃねーか?」

そう言って、フォーがちらりとわたしに視線を向ける。
思わず、わたしは立ち上がっていた。
そんなわたしを見て、バクさんが苦笑を洩らす。

「…そうだな。も、ここ3日間ずっと落ち込んでるし」
「う…顔に出てました…?」
「「思いっきりな」」

…声を合わせて言われた…。
恥ずかしながら、相当顔に出ていたらしい。

「…え、ええと…フォー、連れてってくれる?」
「おう。ついてきな」

手招きされて、わたしは素直に彼女に続いた。
小さなその背を追いかけるわたしに、不意にバクさんが声を掛けてきた。

「…ああ、そうだ。
「はい?」

わたしは足を止めて、バクさんを振り返る。
フォーも合わせて立ち止まってくれた。

「ウォーカーのイノセンスの話はしたな?」
「え? あ、はい…聞きましたけど…」

思わず、わたしは首を傾げた。
アレンのイノセンスが、砕かれて粒子になってなお、宿主を生かそうとしたこと。
死は免れない穴が空いた心臓を、再生させたのがアレンのイノセンスだ、という話だろう。

「彼のイノセンスが護っていたのは、宿主であるウォーカーだけではない」
「…?」

首を傾げるわたしに、バクさんは笑った。
その笑顔は優しく、まるで微笑ましいものでも見るかのようだ。

「キミだよ、
 彼のイノセンスは、形を失ってなお…キミのことを護ろうとしていたんだ」

その、言葉に。
呆然とそれを聞いていた私の目から、涙が零れた。
その涙の意味なんて、わたし自身にもわからない。
ただ、哀しかったからではないと、なんとなく思った。

「おーい、泣き虫。早く来い」
「な!? 泣き虫じゃないやいッ」
「あー、はいはい」
「フォーッ!!」

笑いながら歩いていくフォーを追って、わたしは置いて行かれまいと駆け出す。





――わたしは、身勝手で我が儘だ。
たくさんの人が傷付いて、命を落として、守れなくて。








だけど、今、生きていることが嬉しい。






仲間との別れと盟友との出会い。



To be continued?

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