腕が重い。
脚が、重い。
――もう無理だと、何度も思った。
「――早く逃げて! わたしが保っている間に!!」
声を張り上げて、わたしは文字通り村人達の盾となってイノセンスを発動し続ける。
手足の感覚がない。
目の前が霞む。
見境無しに降り注ぐスーマンの攻撃に、舌打ちする気力も無かった。
確かな予感が、躙り寄ってくる。
――このままだと、多分、わたしは死ぬ。
「ぎゃあああっ!!!!」
バリバリ…ッと、電撃にも似たそれが発生する。
それは確実にスーマンを蝕み、激痛を伴わせているのか。その口から迸る悲鳴が耳を劈く。
「やめろ…この、くそエクソシストめ! 死んじまえッ」
「ごめんなさい。でも、このままじゃあなたはあの村を破壊する…!!」
白い巨体は、村に向かって徐々に落下していっている。
落ちるだけならまだ良い。だけど、あのエネルギー波が直撃したら――
「そんなことダメだ。僕らは人を守るために戦ってきたんじゃないんですか!」
叫ぶように言った瞬間、その言葉を振り切るように右手に噛み付かれた。
はしる激痛に、思わず顔をしかめる。
「!!? 痛っ…」
「だまれ……」
「目を、覚ましてください!!」
スーマンは我を失っている。
彼の記憶の中で見た彼は、決してこんな破壊と殺戮を望む人ではなかった。
「スーマン! 僕が必ずあなたをイノセンスから助けます。
だから止まってくださいっ! 犠牲を出しちゃダメだ。頑張って!!」
「死ね」
「……っ」
返された怨嗟の声。
ビキ、と軋む骨。
「破壊すればする程、あなたの命は食い潰される…」
「死 ね」
ビキビキ、と軋み続ける骨の音に、意識が引きずられそうになる。
それでも必死に言葉を紡いだ。
「がんばってください、スーマン…っ」
ここで諦めて堪るか。
約束したんだ。
必ず助けると、約束――したんだ。
「死んじゃダメだ!!!」
ボキッ、と。
砕ける音がした。
「だまれぇえええええぇーーーーーーーーー!!」
怒号。
悲鳴。
異なるその音が、空気を振動させた。
白い巨体が、山を削りながら落下していく。
「!! ぐあ…っ」
あまりの勢いに、身体が宙に放り投げられた。
「スーマン!」
そのままの勢いで、近くの湖に落下する。
叩きつけられたのが水の中だったことを、幸運と思うべきか。
だけど今は、そんな幸運を神に感謝する気分にはなれない。
スーマンから、あのエネルギー波が無差別に放出されている。
このままでは、村が。
「…ッ」
左手を使って、湖から上がる。
行かせるものか。護らなければ。
――あそこには、が。
「発動最大限…」
――開放!!!
僕の感情に応えるように、左腕が形を変えた。
腕を伸ばす。…まだ足りない。あの白い巨体を捕らえるには、まだ!!
左腕が、広い光を放った。
肥大化した左腕が、白い巨体を捕らえる。
「くっ…」
それが動くたびに、ずるずると後ろへ下がってしまう。
まだだ。まだ足りない。
「くっそ…行かせるもんか…死なせるもんか!!!」
必ず助ける。
――助けるんだ。
彼女に約束をした。
自分に誓った。
――だから、絶対に、諦めない。
+++
――攻撃が、止んだ。
「…っ…は…ッ…はぁ…ッ」
息が切れる。
目の前が霞んで、よく見えない。
ズキズキと頭の奥が痛む。
喉が痛い。体中が痛い。
腕が上がらない。
羽根の一枚だって動かせない。
――ダメだ、もう、何も…出来ない…。
…思えば。
自分が《異世界》から来た人間だからと言って、《特別》ではないことを、失念していた。
《物語》の《未来》を変える?
《傍観者》に何が出来る。《舞台》を眺める《観客》に何が出来る。
例えば、何度も読んで結末を知っている本の結末を、変えることが出来るか?
「…出来、ないよ…」
苦しい。
痛い。
気が狂いそう。
指先ひとつ、満足に動かせない。
錆び付いた機械のように、イノセンスを繰ることが出来ない。
役立たず。
役立たずだ、わたしは。
非力で無力で、無能で、滑稽な――道化。
「…なにも、できない…ッ」
吐き捨てるように呟いた瞬間。
――何かが切れるような音が、聞こえた。
「…ッ!?」
―― 世 界 が 軋 む 音 が す る 。
「あ…あああぁああぁああああッ!?」
唐突にはしる激痛に、悲鳴が上がった。
どこが痛いのかもわからない。
ただ、響く激痛にわたしは蹲った。
再び、エネルギー波が無差別に村に降り注ぐ。
逃げ遅れた村人が、それに貫かれて絶命していく。
「…やめて…」
呟く声に、力が入らない。
「…もう、やめて…おねがい、やめて…!」
守れない。
わたしの力は届かない。
もう、叫ぶことしか、できない――!
「おとうさん」
妙に鮮明な音になって、その声が届いた。
霞む目で、無意識にその声を追う。
「おとうさん、おとうさん…」
視界の端に、小さな子供が映った。
まだ十歳にも満たないであろう、男の子。
「おとうさぁん…」
既に息絶えた父親の身体を、泣きながら揺すっている。
「やだよぅ…おとうさぁぁん…やだよぅぅ…っ」
泣き叫ぶ子供に、わたしは手を伸ばす。
この子だけでも、守らなきゃ――…
動かすたびに、腕が激痛を訴える。
だけどそれを無視して、わたしは泣き叫ぶ子供を腕に抱き込んだ。
「――発、動…ッ」
最後の力を振り絞って、わたしはイノセンスを発動させる。
エネルギー波が、わたしの盾に当たって、霧散した。
安堵の息が、洩れる。
…ああ、もう限界だ。
子供を抱いたまま、地面に倒れた。
――見上げた彼方の方で、『咎落ち』の白い巨体が崩れていくのが…見えた。
+++
意識を失っていたのは、どれくらいの間だっただろう。
そんなに長い時間では無かったのかも知れない。
気が付いたら、どこともわからない竹林の中に倒れていて。
傍でティムキャンピーが、心配そうに羽根を動かしている。
「……」
ゆっくりと起き上がって、視線を巡らせる。
座り込んで項垂れる、人影が見えた。
「スーマン…?」
「……」
返事はなかった。
だけど、確かにあれはスーマンだ。
「……! スーマン…!!」
まともに動かない体を引きずって、スーマンに近づく。
しっかりと目を開いてる。呼吸をしてる。――生きて、いる。
「生きてる…っ、良かった、助かったんだ。これで、もう…」
トン、と肩を叩いた。
途端に、ガクンとスーマンの身体が傾ぐ。
「スーマン…?」
スーマンの様子が、おかしい。
目は開いている。息をしている。
――なのに、ぴくりとも動かない。
「どうしたんですか…? 何か言ってください、スーマ…」
その表情に、愕然とした。
生気が無い。
言葉も反応も無い。
心が無い。
生きてるけど、心が死んでる。
これは、『ヒト』としての『死』だ。
呆然としながら、微かな音に気付いて左手を見た。
震える手を開く。
――その中で輝くのは、スーマンのイノセンスだ。
「…どうして…」
――どうして、イノセンスが。
何故、神の欠片が、ヒトを殺す。
「どうして!!!」
イノセンスを握り締めた手を、地面に叩きつけた。
麻痺した感覚が、痛みを訴えて戻ってくる。
だけど、それがなんだ。この心の痛みに比べれば。
「…ティムキャンピー」
静かに、ティムの名を呼ぶ。
微かにティムキャンピーが反応した。
「みんなを呼んできて。
彼は死んだわけじゃない。生きてるんだ」
無意識に浮かぶ涙を拭う力も、残っていない。
だけど、それでも。こんな結末は、許せなかった。
「この人を、ホームへ帰そう」
せめて、と。
きっと、暖かな声に迎えられれば、その心が戻ると。
諦めたくなくて、そう口にした、瞬間。
目の前で、スーマンの身体が弾けた。
まるで、空気を入れ過ぎて破裂した、風船のように。
「バイバイ、スーマン」
――背後で、《絶望》を告げる声がした。
+++
「おねえちゃん! おねえちゃん、しっかりして!
おねえちゃん、死んじゃヤダよ!」
子供の声が、する。
小さな手に揺すられて、わたしはうっすらと目を開けた。
「…わたし…?」
視線を腕の中に落とせば、そこには泣きじゃくる小さな子供がいる。
辺りは静かになっていて、負傷した人達を、無事だった人達が助けている光景が見えた。
「ああ、君、無事だったんだね…」
腕の中の小さな男の子に、わたしは微笑う。
父親を失ったばかりのこの子にとって、護ってくれる腕は、唯一の拠り所。
こんなの偽善だ。
ずっと傍に居てあげることなんて、出来ないくせに。
だけど、護りたかったんだ。
ひとりでも良い。
誰かを、護りたかった。
ただの自己満足だと、充分理解していたけれど。
「……」
全身が気怠い。
瞼が重い。
このまま眠ってしまえたら、どんなに楽だろう。
痛いのは、嫌。
苦しいのも、嫌い。
だけど、でも、何も出来ないのも――嫌だ。
両手を地に着いて、身を起こす。
力が入らない。自分で認識している以上に、身体にガタがきてる。
「…ッ?!」
ぞわりと、悪寒がした。
気のせいだと思うには、あまりにも明確な予感だった。
「…アレ…ン…?」
ゆっくりと、わたしは目を瞬かせる。
唐突に胸に去来したこの喪失感は、なんだ。
い ま 、 ど こ か で 命 の 終 わ る 音 が し た 。
「…スーマン…?」
今の音はスーマン?
じゃあ、…『今』は、『いつ』?
背筋に、冷たいものがはしった。
脚に力を込める。
今は呼吸をすることすら痛みを伴う。だけど、行かなくては。
「…おねえちゃん…」
心配そうに、不安そうにわたしを見上げる子供に、わたしは無理に微笑って見せた。
「大丈夫…心配ないよ。
ごめんね、おねえちゃん…大事な人を、助けに行かなきゃいけないんだ…」
――大事な、人。
仲間ではなく。
友達でもなく。
今まで目を逸らし続けた感情が、悲鳴をあげている。
いつだって、後悔ばかりしてきた。
余計なことを言って怒らせたり。
伝える言葉を間違って、すれ違ったり。
どこかで思い込もうとしていた。
ここは《物語の世界》で、彼らは《登場人物》なのだから、と。
馬鹿だ、わたしは。
答えなんて、ずっと前に出ていたのに。
傷付くのが怖くて、逃げ続けていた。
誰を護ろうとして、わたしは《未来》を変えようとなんてしたの?
みんなを護る為だと、その気持ちに嘘なんてない。だけど。
――本当に護りたかったのは、誰?
「…ッ…《黒曜》…ッ」
まともに動かせない羽根を、無理に動かした。
ここに来たばかりのわたしだったら、こんな痛みには耐えられなかっただろう。
痛いのは嫌で、苦しいのも嫌で、すべて《物語》のせいにして、逃げていたに違いない。
だけど、自覚してしまった。
この《世界》で生きている自分。
この《世界》に心を傾ける自分。
藻掻いて足掻いて、それでも必死に掴んだ『何か』に、みんなと笑い合える自分。
――こんなつもりじゃなかった。
こんな《世界》、こんな《物語》を望んでいたわけじゃなかった。
浅ましい身勝手さと傲慢さで、《未来》を変えようとした。
みんなが悲しまない《世界》を望んだ。
『わたし』が望む《世界》を、『創ろう』とした。
――ああ、どうして、
どうしてわたしは、アレンの手を離してしまったんだろう。
誤った選択。
To be continued?
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