顔から血の気が引くのを、感じた。

『 使徒のなりそこない 』

リナリーが呟いた不吉なその一言が、感情をざわめかせる。

「…咎落ちって言うのは…」

震えながら、リナリーが声を絞り出すように、語る。

「イノセンスとのシンクロ率が0以下の人間…
『不適合者』が無理にイノセンスとシンクロしようとすると起こるものなの…
 《咎》は使徒でない者が神と同調しようとする罪なんだって…」

リナリーの細い手が、縋るように僕の団服を掴んだ。
荒れ狂う白い巨体の、咆哮とも悲鳴とも取れる声が、空に響く。

「今はもう、禁止されてるけど…教団で行われてた実験を見たことがあるの。
 エクソシストをつくる実験…だから、あの姿は知ってる」

罪を告白するかのような、力無い声。
それは僕に話していると言うよりは、自分を保つ為に呟かれた独り言に近かった。

「でも、どうして…? スーマンは適合者なのに、どうして咎落ちに?」

リナリーの身体が、小さく震える。
恐怖に染まったその表情で、それでも彼女は言葉を紡いだ。

「彼に、何があったの…?」

リナリーの声が、頭の中で反芻する。
言葉を失くす僕達に構わず、AKUMA達は『それ』へと群がっていった。
その、瞬間。



――空気が、振動した。



File27 咎落ち




「ラビ! 無事!?」
「なんとかな! そっちは!?」
「全員無事! 負傷者は全部治したッ」
「上出来さ」

AKUMA達の数は、だいぶ減ってきた。
もともと、彼らの目的は陸の上だ。船に向かってくる者はそれほどの数じゃない。
…もっとも、元の数が半端無いんだから、決して少なくは無いのだけど。

「ラビ、怪我は? 治すよ」
「おまえ、ンな余裕ねぇだろ。大怪我なんかしてねぇし、オレは大丈夫さ」
「馬鹿言わないで」

船のマストを蹴って、わたしはラビの隣に降りる。
ラビと背中合わせに立って、わたしは大きく腕を振った。
漆黒の刃に貫かれ、周辺に居たAKUMAが壊れて墜ちる。

「…クロちゃんとじじいは?」
「無事。怪我は治してきた。あんたで最後」
「そっか。…悪ィ、左腕頼む」
「了解」

そんなに大きな傷ではないけれど、左腕にはしる裂傷。
痛みが無いわけがない。これで武器を振るい続けるには限界があっただろう。

「やせ我慢は良くないよ」
「美人が頑張ってると思うと見栄張ってみたくなるんさー」
「阿呆ですか。アニタさんに戦闘眺めてる余裕なんてないよ」
「おまえだよ」
「…は?」

笑い混じりに言われたそれは、冗談と受け取って良いんだよな…??
そもそも、わたしに美人なんて形容詞は似合わないし。
なんと答えて良いかわからず、とりあえず治療に専念することにした。

「…何がどうなってんさ、ったく…」
「うん…何か目的があって、ここに来たんだと、思う」
「そんな感じだな…でも、これだけの数は異常だろ…」

――それだけ、アレは危険な存在なんだよ。『咎落ち』は。

そんな言葉を、吐き出すわけにはいかない。
思わず俯いた、瞬間だった。

ドンッ…と。

AKUMAの襲撃音に混ざって、重い衝撃音が響いた。

「!?」
「あっちの空…なんて紅いんさ…!?」

ラビの声に、視線を空へ向けた。
――紅く、血のような色に染まった、彼方の空。

「あ…」

漂う気配は、何か酷く嫌な感じがした。
だけどそんな気配を感じなくても、あの紅い空の意味を、わたしは『知っている』。

「…そん、な…」

視界が揺らいだ。
ふらりと、体が傾ぐ。

!?」
「間に合わない…間に合わなくなっちゃう…ッ」

支えてくれたラビの腕にしがみ付いて、わたしは呟いた。
焦燥感が心を支配する。色々な光景が脳裏に過ぎる。
――そして行き着くのは、最悪の《未来》の幕開け。

「おい、! しっかりしろさ!!」
「ラ、ビ…ッ」

喉が渇く。言葉が上手く出てこない。
それでも必死に、わたしは感情のままに言葉を紡ぐ。

「…アレンが、死んじゃう…殺されちゃう…!」
「!?」

いったい、こんなことを言ってどうすると言うのか。
ラビが困惑するのは当然だ。わたしの言っていることは、まったく意味がわからない言葉の羅列。
《物語》を知る者でなければ、わからない。この言葉には何の確証も得てもらえない。
それでもわたしは、それしか言えなかった。

「…行け、!」
「え…」

不意に、強い口調でラビが告げる。
その言葉に、わたしは目を瞠った。

「ここはオレらに任せろ! おまえは陸に戻れ!」
「ラ、ビ」
「ひとりで残ってるリナリーが無茶してねぇか心配さ。
 連れて行かれたアレンも、多分あっちにいる。ふたりを頼むな、
「……ごめん……ッ」

小さく呟くように、謝るしかなかった。
ラビがわたしの言った言葉を、理解しているわけがない。
なのに、わたしの必死さだけを判断材料にして、わたしを送り出してくれるのだ。
――この状況で戦力が減ることが、どれほどの痛手になるかを、わかっていながら。

「ごめん、じゃねぇだろ?」

軽く頭を小突かれた。
驚いて見上げると、ラビが笑う。
その笑顔に、言葉に込められた意味に、思わず泣きそうになる。
…格好付け過ぎだ、ラビのくせに。

「…ありがとう!」
「よし!」

トンッと背中を押された。
その勢いのまま、わたしは羽根を羽ばたかせ、陸へ向かって飛び立つ。


わたしは、身勝手で我が儘だ。
だけど――感情を止めることが、出来なかった。
 
 
+++
 
 
――退けぇぇぇぇッ!!」


群がるAKUMAを蹴散らしながら、わたしはひたすら飛び続けた。
早く、早く、あそこに辿り着かなければ。


今は『いつ』で、ここは『どこ』だ。
アレンとリナリーは? スーマンはどうなった…!?


焦りに感情を支配される。
触れられないとイノセンスを感知出来ないなんて、なんて中途半端な能力だ。
その気配を完全に辿れるなら、すぐにふたりを見つけられるのに!!

――スーマン! 私だよ! リナリー! わかる!? 今助けるからッ」

不意に耳に届いた声に、わたしは我に返った。
…リナリーの、声だ。

「…ッ…リナリー! アレン!!」

声を張り上げる。
騒音が多過ぎて、届いていないかもしれない。

――《黒曜》。お願い、もっと速く! ふたりの元へわたしを運んで…ッ!

祈るような気分で、わたしは羽根を動かす。
まるでイノセンスが応えるように、その速度が上がった。
…間に合うかも、しれない。


加速し続ける速度のまま、わたしはそこに降り立った。
枝のようになっている――スーマンが囚われている、心臓部。

「リナリー!!」

そこには、小さな女の子を抱えたリナリーがいた。
その状況に、わたしは既にアレンが中へ引きずり込まれたのを理解する。

…?」

ゆるゆると顔を上げたリナリーの顔色は、真っ青だった。
わたしの顔を見た瞬間、彼女の瞳に大粒の涙が溢れ出す。

「…ッ……ッ…助けて、アレンくんを助けて…!!」
「……ッ」

足が震えた。
喉が引きつる。
鼓動が逸る。少しうるさい、黙ってて。

「…アレンは、この中ね」

リナリーを不安にさせないように、なんとか平静を保って呟いた。
嫌な感覚がする。これは触れてはいけないものだと、わたしの中のイノセンスが騒いでいる。

――リナリー。その子を連れて、下へ降りて」
「…ッ…でも、…ッ」
「大丈夫。…アレンは、わたしが連れて戻る」

そう告げたわたしの声は、自然と震えが止まっていた。
リナリーの表情が酷く頼りなくて、わたしは安心させるように微笑む。

「約束する。信じて」
「……」

AKUMAの攻撃は続いている。
ここに留まることは、リナリーの腕の中の少女が死ぬことを意味していた。
それがわからないリナリーじゃない。意を決して、彼女はわたしに頷いた。

「…絶対よ? 約束よ…?」
「うん。約束するよ、リナリー」
「…わかった。アレンくんを、お願いね――

悲痛な表情で離れていくリナリーに、わたしは微笑んで頷く。
高速を誇る《黒い靴》なら、AKUMAの攻撃を回避してあの子を助けるのは難しくない。
そして今、ここにはわたしが居る。あの最悪の《未来》を修正する為に。

「…問題は、どうやって助け出すか、だけど」

しばらくすれば、アレンはこの中から吐き出されてくるはずだ。
では、それまで待つか。それとも、わたしも中に入るか。

「ッ!?」

穴に踏み込もうとして、横を掠めた光弾にわたしは振り返った。
――無数のAKUMAが、スーマンを狙っている。

「…ごめん、アレン。そっちに行けそうにないわ…」

苦く呟いて、わたしは両腕を前に突き出した。
小さく深呼吸をして、キッと前方を睨み付ける。

――出力最大…ッ《天蓋黒盾》!!」

もう、ほとんど余裕なんてないんだけど。
それでもわたしの意志に応えて、イノセンスの力が最大まで放出される。

背に携えた羽根が、その大きさを増して。
漆黒の盾は、まるでスーマンを――『咎落ち』と化したその白い姿を覆うように展開する。

――この先は、通さない」

さあ、おいで。AKUMA共。
――全部、わたしが薙ぎ倒してあげる。
 
 
+++
 
 

ドクン、と。
何かが脈打つ音が、した。

「…!!」

びりびりと、空気が振動している。
この感覚は知っている。先程感じたものと、まったく同じものだ。

「この感じ…!! またあのエネルギー波でアクマを破壊したんだ!!」

AKUMAを破壊すること自体は構わない。
だけどあれでは、あまりにも見境が無さ過ぎる。
敵も味方も何も無い――あれは、ただ目の前のモノを破壊しているだけなのだ。

リナリーは無事だろうか。
船に残った、達は――

焦る僕の耳に、劈くような《声》が届く。
恐怖を抱かせる程の、悲痛な叫び――悲鳴?

「!? これは…悲鳴…?」

その悲鳴が、何故か――スーマンのものだと、直感する。
理由はわからない。だけどこれは、スーマンの声だ。

「スーマンが悲鳴をあげてるのか…!? 苦しんでる…!?」

まさか、と。疑惑が生まれる。
スーマンのあの強大な破壊エネルギー。あれは尋常じゃない。
イノセンスが彼の命を蝕んで、打ち出してるとでもいうのか!?

「…イノセンスは…?」

イノセンスが…?
イノセンスが、彼を殺そうとしている!?


罪人を裁く――神のように…


「そんなこと…やめろ…」

信じられない。
違う、信じたくない。

イノセンスは神の欠片。
人々を護る為に現れた結晶。
それが、ヒトを殺す。罪人を裁くように、傲慢に。

「やめるんだ、イノセンス!!」

――イノセンス、発動!

左腕が、対アクマ武器の形を成した。
これがイノセンスの起こした事態なら、止める力を持つのもまた、イノセンスしかない。

――壊せ。破壊しろ、僕のイノセンス。
例え神であっても、こんなことは、許しちゃダメだ…!!

「仲間を…っ、殺すなぁあああぁあ――――っ!!」

悲鳴に近い怒号が、喉を衝いて出た。
瞬間、その《世界》が粉々に砕け散る。

眩い光が、《世界》を覆った。
その先に見える、あれは――スーマンの、イノセンス…?

ぼんやりと光の中に浮かぶのは、奇怪な姿をした誰かの右腕。
思わず目を瞠った瞬間、何かの衝撃が襲い掛かってきた。

「!!?」

急に、視界が開けた。
一瞬どこに居るのかわからず、目を瞠る。

「(外…!? 吐き出されたのか!!)」

かなりの勢いで吐き出されたのか、落下速度が速い。
左腕を使って落下を止めようとした瞬間、何かにぶつかった。
その衝撃で、落下が止まる。

「アレン!」
「なっ…」

耳元で聞こえた声に、思わず絶句した。
視界の端に映る、漆黒の羽根。見間違えるはずも無い。

「良かった…間に合った」
…?」

振り返ると、至近距離にの顔がある。
肥大化した羽根で宙に浮いたが、落ちる僕を受け止めてくれた…らしい。

「ごめんね、追いかけようとしたんだけど…スーマンを護るので精一杯で」
「…ひとりで…護っていたんですか…?」

よく見れば、の顔色はあまり良くないし、息切れしている。
その表情には疲労の色が濃く出ていて、腕や足にもあまり力が入らないようだった。

「わたしは平気」

まるで心を読むかのようなタイミングで言って、は微笑った。
そんな彼女に、頼むのは酷かもしれない。だけど、それでも告げるしかなかった。

「…。頼みがあります」
「…うん。わかってる」

小さく頷くと、が視線をスーマンに向けた。
ゆっくりと、漆黒の羽根が動く。

「一緒に、行くよ」

そう告げた彼女の声には、迷いもない。
ありがとう、と言うのも何か違う気がして、僕はただ頷いた。
 
 
+++
 
 
わたしは力の入らない身体を叱咤しながら、そこに辿り着いた。
そこに居るのは、穴に埋もれながら項垂れる、スーマン。
――それはもはや、『ヒト』と呼ぶには、あまりに凄惨な姿だった。

「スーマン!」

アレンが、右手でスーマンの肩を揺する。
反応はまったくない。聞こえていないのか、動けないのか。あるいは両方か。

「死んじゃダメだ、がんばって!! 今、そこから出しますから…」

アレンが強引に、スーマンを引きずり出そうと腕に力を込める。
電流のようなものが、スーマンを襲った。

「ぎゃぁああッ」
「!?」

悲鳴を上げるスーマンに、わたし達は息を呑む。
吐き出された血が、アレンの顔を濡らした。

「だれだ…」

明確な言葉が、初めてスーマンの口から零れた。

「そこにいるのは、だれだ…」
「スーマン…!!」
「呪われろ…」

呟かれた言葉に、わたしとアレンは目を瞠った。
あまりにも強い、それは、確か過ぎる怨嗟の声。

「呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ…!」

思考を凍りつかせるような、怨嗟の、声。
人として残された自我が、怒りと、哀しみと、怨嗟を吐き出す。

「神も使徒も何もかも、呪われてしまえ…!!」

――その言葉は、イノセンスに取り込まれた彼自身を殺す言葉だった。
顔から血の気が引いていく。指先も冷たくなる。息が出来ない。
…なんて強い、呪いの言葉。

「すべて…壊れてしまえ」

呪いの言葉の最後の一音が、刻まれた。

白い巨体が、滑空を始める。
その向かった先には――小さな、村が。

「!!」
「…アレン…!」

あの村には、まだ人がいる。
向かい来る脅威など気付きもせずに、ただ普通に生活している。

「…ッ」

腕を、伸ばした。
だけど、もう、わたしにだって力は残ってない。
――無理だ。ここからじゃ間に合わない。護れない。
あのすべてを屠る『咎落ち』のエネルギー波を、防ぐ力なんて残ってない!

「止まるんだ、スーマン!!!」

アレンの必死の声にも、それは止まらない。
もう、スーマンの意思なんてほとんど関係ないのだ。
――ただこれは、目の前のモノに反応して、破壊していくだけ。

「…!」

アレンに呼ばれて、わたしはのろのろと視線を向けた。
――アレンの目は、まだ、諦めを孕んでいない。

「僕がスーマンを止めます! は、村を…ッ」
「で、でも、アレン…」

わたしの中の何かが、警告する。
ここでアレンから離れて良いのか。これでは結局、同じことなんじゃないのか…?

――スーマンに人を殺させるわけには、いかないでしょう!?」
「……ッ」

強い口調で言われて、わたしは唇を噛む。
わかってる。アレンの言っていることは間違っていない。
だけど、でも、この心を支配する焦燥感を、どうしたら良い。

「僕を信じて、
「…アレン」
「必ずスーマンを助ける。だから、は村を護ってください」

――わたしは、さっきリナリーに同じことを言った。
信じて、と。約束すると。
…ああ、きっと、こんな気持ちでリナリーは、わたしの言葉を聞いていたんだろうな。

――わかった。無茶しないでね」
「はい。も」

――わたしは、選択する。
すべてを助ける為に、確率の高い方を。

だけど、本当は怖い。
《物語》通りに進む確証は、もうわたしには無い。
だから、もし、わたしの選択がアレンを失う結果になったら――

「…ねぇ」

必死に笑顔を浮かべて、わたしはアレンに左手の小指を差し出した。

「約束してよ。死なないって」
「……」

苦笑して、アレンが指を絡めて指きりに応じてくれる。
…子供っぽいって思うかもしれないね。
だけど気休めでも良いから、今は支えが欲しい。ざわめく感情を抑える支えが。

「当たり前でしょう? 死ねません、まだ」

そう答えた時のアレンの表情が、あまりにも優しく穏やかで。
その時のわたしは、酷く感情的だったと、後になって思う。

何故か泣きそうになって。
掠めるように、触れるだけの口付けを、初めて自分からした。

「……!?」
「餞別よ」

驚いて目を瞠るアレンを見て、わたしは微笑う。
返した言葉が、我ながら可愛くないなと思いながら。

「…言っておくけど、わたし、自分の命を大事にしない奴は大嫌いだからね!」

わたしの場違いな言葉に、一瞬、アレンはきょとんと目を瞬かせた。
そして、それに対する答えは笑いながら返される。

「…じゃあ、僕は大丈夫ですね」
「ばぁか、言ってろ!」

こんな場面でそんな台詞を吐く奴がいるか、とわたしは笑い飛ばす。
そしてわたしは、振り返ることはせずに、村に向かって飛んだ。



この時のわたしには、まだ、楽観的な見方が残っていたんだろう。
《物語》の《運命律》に、守られていると。どこかでまだ安心していた。

《物語》を知る、自らの選択が間違いであるわけがないと。
先を『知っている』からこその傲慢さで、思い込んでいた。







そして後に、わたしはこの自らの選択を後悔することになる。






その少女、最弱にして最強の使徒。



To be continued?

気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。