「………こんなことしてる場合じゃないのに」
ひとりで暗い廊下を歩きながら、わたしは今日何度目かのため息を吐いた。
先程、物凄い爆発音が聞こえた。あれは多分、AKUMAを食べた食人花が暴発した音だろう。
アレンもラビも、順調に《物語》通りの道筋を辿っているようだ。
…わたしは、何をしに来たんだろう。
「…ダメだダメだ、暗くなるな。こんなんじゃあ、いつまで経っても合流出来ない」
ぶんっと頭を振ってから、わたしは顔を上げる。
だいたい、わたしが悩むのがおかしい。
あんなことをしておきながら、わたしを避けるアレンが悪い。
…あれ。なんか腹立ってきた。
「…ん? なにこれ、不自然な壁」
不意に、わたしは不自然に素材の違う壁の前で足を止めた。
しっかりとした造りの城なのに、ここだけ妙にレンガがガタついている。
「…あ。これ、例の隠しドア…?」
ふと、床を見る。
血痕だ。それも、まだ乾ききっていない。
「…アレン?」
――思い出せ。
ここはどこだ。
そして『今』は『いつ』?
外で破壊音が響いている。
多分、ラビとクロウリーだ。だったら。
「――ッ」
壁の一部、違和感を覚えた箇所に触れる。
微かな音を立てて、隠しドアが開いた。…やっぱり。
「…くっそ…間に合え…!」
重く開いたドアの先へ、わたしは足を踏み入れる。
この時のわたしの頭には、《物語》の改変とか、そんな考えは欠片も浮かばなかった。
バキバキッ――と、何かが軋む音がした。
物凄い力で押さえつけられて、胸を圧迫されている。
それを認識しているのに、目の前に居るのがいったい何者なのか、酷く朧気だった。
「どうしたの? さっきまではイキが良かったのに。
抵抗しないと、このまま胸、潰しちゃうわよ?」
声からすれば、若い女。
では、あのエリアーデと名乗った女性だ。
クロウリーを吸血鬼として退治しに来たと思われているなら、攻撃されるのは充分理解出来る。
だが、この力はなんだ。クロウリーの助手と名乗ったこの女性、一体何者だ…?
「(熱い…頭がボーッとする…)」
思考がまとまらない。
血を流し過ぎたのか。胸を圧迫されているせいで、呼吸器もおかしい。
「(体の全部が何かに力を吸われていくような、五感が鈍る…眠い…)」
骨はまだ折られていない。だが、恐らくこのままでは時間の問題だ。
目の前が霞み、視界がぼやける。
だから、女の力とは思えない程の力で殴られたのも、反応出来なかった。
「……」
「やだ、無反応? それともやる気ナシ?
アレイスターに相当ダメージ喰らったのかしら。ふーん…」
声音に、残虐な色が滲む。
相手は女性。だが、人を殺すことに躊躇いをまったく持っていない。
「(ダメだ…ダメだ、寝るな。
痛みも何も感じない…感覚がマヒしてる。眠ったらそのまま殺されるぞ)」
必死に、喉を震わせる。
行動を放棄すれば、全身が動くことを拒絶するだろう。
死ぬわけにはいかない。まだやるべきことが残っている。それに、この怪我もなんとかしないと。
――彼女は優しいから。
きっと、嫌っているはずの僕であっても、怪我をしたら泣くだろうから。
…死を間近に感じて、思い出すのはのことか。
どうして、こんなにも彼女の存在が大きくなるまで――気づかなかったんだろう。
「(…話せ。脳を動かすんだ)」
それは本能に抗う行動でもあり、逆に本能でもあった。
意識は朦朧としたまま、なんとか声を発する。
「…アレイスター=クロウリーを…退治する…気は、ありません…あなたと…戦う…理由がない…」
目の前の存在が、動きを止める。
その表情は認識出来ない。それでも意識を保つ為に、僕は言葉を続けた。
「彼…は、吸血鬼でも化け物でもない…僕達の…仲間かも、しれないんです…」
言葉にした、瞬間だった。
軋むような音が、響く。
――殴られたと認識したのは、その後だ。
「――アハッ! アハハハハハハハ!! アハハハハハ!!!」
狂ったように笑いながら、エリアーデは拳を振るい続けた。
その拳には、傷一つつかない。赤く腫れ上がったりもしない。
「仲間? バカじゃないの? あいつは吸血鬼よ!」
ぐいっと胸倉を掴まれ、ドンッと本棚に体を叩きつけられる。
ようやく戻って来た痛みに、目を眇めながら顔を持ち上げた。
「連れてなんて行かせるもんか…っ」
初めて、その表情を認識する。
――『何か』を守るために必死になる、一途な眼。
「だから、――お前らは殺す」
目を瞠る僕の眼前で、彼女の表情は変貌した。
――血走った眼に、禍々しい程の殺気を込めた、表情。
+++
――声が、聞こえた。
きょろきょろと、わたしは辺りを見回す。
そんなに広くない部屋だ。見つけるのはそう難しいことじゃない。
「首落として、全身から血を抜いて城門に飾っといてやるわ。
もう、誰もこの城に近づけないように」
視界の端に、佇む華奢な背中を捉えた。
金の髪の、若い女性。――エリアーデ。『吸血鬼』を愛したAKUMA。
「こいつの命をクロウリーの代わりに差し出せば、面目も立つ」
エリアーデが、アレンに斧を振り下ろそうと持ち上げる。
この後の展開は知ってる。知っているけど。
――わたしは、飛び出していた。
「――そこまでよ、エリアーデ」
「!?」
スッと、わたしは羽根で作り上げた刃をエリアーデの首筋に当てた。
なるほど、あの時は半ば暴走気味でわからなかったけど、わたしの第二解放にはこういう応用が利くのか。
作り出した刃は、わたしの腕を覆うように発現している。
肉弾戦に向かないわたしには、普段は使い勝手の悪い武器。だけど今は、丁度良い。
「エクソシスト…!?」
「こんばんは、ミス・エリアーデ。うちの新人を回収しに来たよ」
このまま首を掻っ切ることは、多分出来た。
もし失敗しても、手傷を負わせることは出来ただろう。
だけどわたしは、それをしない。――彼女を壊すのは、クロウリーの役目だ。
「もうひとり居たの…?!」
「ちょっとこの城、防犯が甘いわね。
――自分を過信し過ぎたの? レベル2の自分に酔った?」
「…! …そう。気づいたの」
微かに、エリアーデが舌打ちした。
――違うよ、気づいたんじゃない。『知っていた』んだ。
そしてわたしは、自らに課した誓いを、破った。
「アレン! 起きて!!」
「…く…ッ」
叫ぶように呼ぶと、微かにアレンが身動ぎする。
本来なら、意識を失ったアレンの左腕が、勝手に発動するシーン。
――だけどわたしは、その《物語》を改変した。自分に禁じた禁忌を、犯した。
「起きなさい、アレン! ――エリアーデは、アクマよ!!」
わたしの声に呼応するように、それは起こった。
起き上がったアレンの左目から、闇色のソレはずるりと這い出てくる。
――多少の改変なんて、展開に影響を与えない。
それを、まざまざと見せつけられた気分だった。
「――アクマですね」
左腕を銃器型に転換させて、アレンが静かに問う。
スコープ状に変形した左目が、真っ直ぐにエリアーデを捉えた。
「前言撤回です。戦う理由が出来ました」
強い眼差しで、エリアーデ――AKUMAを見据える、銀灰色の瞳。
真っ直ぐにAKUMAを射るその眼差しに、心がざわめく。
――これは、『恐怖』だ。
何に抱いた恐怖なのか、わたしにもわからない。
ただわたしは、それを振り払うようにアレンの名前を呼んだ。
「アレンッ」
「…」
少し驚いた表情でわたしを見て、アレンはすぐに視線を逸らした。
それに気づかない振りをして、わたしはアレンに駆け寄る。
「大きい傷だけ治す。5秒だけ時間を頂戴」
「…後で、良いですよ」
「死ぬわよ」
「死にませんよ」
「アレン」
強い口調で名前を呼んで、わたしはアレンの服の裾を掴む。
その手は、やんわりと拒絶された。振り向きもせず。
「――今は、アクマを壊すことが最優先事項です」
「……」
この状態でなお、わたしを見ようともしないのか。
傷だらけのその背中を前に、わたしは俯いて唇を噛んだ。
――わたしは、何をしにここへ来たんだろう。
「…ったく。キズついちゃったじゃない。ホント、嫌なガキ共ね。あー服もボロボロ」
苛立たしげにそう言いながら、エリアーデは服を払った。
傷を負った箇所は皮膚が裂け、その下の機械が顔を覗かせている。
「ボディをコンバートしないんですか?」
「まー、ナマイキ! ブスになるから嫌なのよ。こっちのが好き」
そう言いながら、エリアーデは乱れた前髪を左右に流した。
その額には、くっきりとペンタクルが浮かび上がっている。
「でもまぁ、この状況じゃそんなことも言ってらんないか…」
呟いた瞬間、エリアーデの姿は美しい女性から、醜いAKUMAに変貌する。
「――そうですよ」
その姿を見据えながら、アレンの声は少しも揺らがない。
今はわたしの目にも映る、内包されたAKUMAの魂。
これがアレンが見ていた世界か、と思うと同時に、わたしは複雑な気分になる。
――わたしは、アレンの左眼が嫌いだ。
リナリーのような理由じゃない。もっと自己中心的で愚かな理由。
AKUMAしか映さない、AKUMAの為にのみ在るその左眼が、嫌いだ。
誰かに呪われるほどに愛された、その証。
ひとには理解出来ない、AKUMAへの深い愛情。
わたしからは逸らされる視線も、AKUMAへ向けたそれは常に真っ直ぐだ。
「…、頼みがあります」
「なに」
「ラビを助けに行ってください」
「いや」
即答すると、驚いた表情でアレンが振り返った。
…なんだか久々に目が合ったような気がする。
「は?」
「目も合わせずに言われた『お願い』なんて聞きたくない」
「そ…そんなこと言ってる場合ですか!?」
「そんなこと?」
カチンときて、わたしはアレンの胸倉を掴んだ。
驚く銀灰色の瞳をきつく見据えて、わたしは口を開く。
「――計り間違えんなよ、アレン=ウォーカー。
わたしはわたしが思うように行動する。誰にもわたしを縛ることは出来ない。
…ここで重症のあんたを見捨てて、わたしが行けると思うの」
「………」
困惑の滲む表情で、アレンがわたしを見下ろした。
この一瞬は、AKUMAしか映さない左眼も、わたしの姿を映している。
「罪悪感とか自己嫌悪で、自分を切り売りするのはやめて。
わたしは何の為にここに居るの。…そんなに、わたしを怒らせたい!?」
「…」
「わたしは神の使徒。イノセンスに選ばれたエクソシスト。
あんたのパートナーよ。…そうでしょう!?」
「………」
その沈黙は、本当に一瞬のことだった。
だけど妙なほど、それが長く感じられる。
「…はい」
長いようで短い沈黙は、アレンの一言で破られた。
その表情は、どこか泣きそうな、笑顔。
――作り物ではないその表情に、ざわめいていた心が落ち着きを取り戻す。
AKUMAの姿を取ったエリアーデの巨体が、大きくうねった。
この小さな部屋では、彼女には不利。
そう考えたのだろう、そのまま壁を突き破ってエリアーデは外へ飛び出した。
「、巻き込まれないように距離を保って。
…あと、頭の傷だけ治してもらえますか?」
小さく頷き、わたしはスッと指先を傷口に触れさせる。
時間にしてほんの数秒。傷は塞がり、跡も残らない。失われた血は戻らないけれど。
「隙を見て、はラビと合流してください」
「あのね…あんた人の話聞いてた? そんなにわたしにラビの方へ行って欲しいの?」
「…ッ」
言った途端、いきなり手をガシッと掴まれた。
わたしが驚くより先に、アレンの方が驚いた表情で固まっている。
…いや、だからさ。先に驚かれたら、わたしはどう反応すれば良いのかわかんないでしょうが。
「ラビなら多分、大丈夫よ」
呟いた瞬間、響く破壊音。
暴力的なまでの勢いで、炎の柱が壁を破壊した。
エリアーデと交戦しながら進んできたわたし達は、いつの間にか大広間に到着していた。
立ち上る火柱が何かわからないアレンとエリアーデが、同時の下を見る。
「ちっ…」
恐らく、倒れたクロウリーを先に見つけたのはエリアーデだっただろう。
アレンとの交戦を中断し、エリアーデは人の姿を取って下へ降り立った。
「!?」
唖然とエリアーデの行動を見送るアレンの襟首が、いきなり上に引き上げられた。
窓ガラスを突き破って大広間へ侵入した、ラビだ。
「よう、アレン。も合流してたんか」
「ラビ! なんだ、元気そう」
ちょっとその言い方はどうかと思うよ…。
心配して損した、と言わんばかりだ。たまに出る発言が黒いんだよね、この子は…。
「あれ? お前、左目治ったんか。開いてんじゃん」
不意に視線を下に戻したラビが、ハッと目を瞠った。
その視線の先には――クロウリーを抱き起こす、エリアーデの姿。
「おい、アレン。あの女…!」
顔色を変えたラビを、アレンは不思議そうに見やる。
そして彼もまた、エリアーデに視線を移した。
「アレイスター様…」
「!?」
意識を覚醒させたクロウリーは、エリアーデを見て硬直した。
正しくは――彼女の背後を見て、だろう。
「エエ…エリアーデ…何であるか、それは…」
「え?」
「おおお前のその…体から出ているものは……何なのだ…!?」
「!!!」
――彼女には、見えているんだろう。
自らが人間であった頃の、その器に拘束された魂。
最も醜く変貌してしまった――自らの、本当の姿が。
一瞬。
そう、ほんの一瞬だった。
エリアーデは、悲しげに瞳を伏せた――ように、見えた。
「――冥界から呼び戻され、兵器のエネルギー源として拘束された〝アクマの魂〟…か?」
真っ青な顔色で、ラビが確認するように呟いた。
「そうなんか、アレン? すげぇぞ。なんで…オレにも見えるさ…?」
アレンもまさか、自分以外にAKUMAの魂が見えるなんて思っていなかっただろう。
ラビの奇妙な反応に、アレンは目を瞠る。
「お前のその左眼のせいか?」
「………」
ゆっくりと、アレンはエリアーデをもう一度見た。
そして、そっと自身の左眼を覆う。
「クロちゃん、その姉ちゃんはアクマさ!!
説明したろ、さっき! あんたとオレらの敵さ!!」
ラビの言葉に、クロウリーは弾かれたように身を起こした。
そして、まじまじとエリアーデを見つめる。
「エリアーデ…? お前は、何か、知っているのか…?」
エリアーデは答えない。
どこかその表情は、楽しかった夢から無理矢理覚醒させられたような、そんな淋しさが浮かんでいた。
「私は…私は…?」
「…あーあ」
芝居掛かったため息を吐いて、エリアーデは立ち上がった。
その美しい顔から、表情が消える。
「――ブチ壊しよ、もう」
その姿が、AKUMAに変わった。
コンバートされた彼女の体の、脚とも尾とも取れる箇所が、クロウリーを弾き飛ばす。
「あっ…が…ッ」
壁に激突したクロウリーが、苦悶の声を上げた。
――この戦いの結末を知るわたしは、酷く複雑な気分に駆られる。
『うまく利用して飼い馴らして利用してやるつもりだったが、もういいわ!!
お前をエクソシストにするわけにはいかないんだ。殺してやる!!!』
その声が、痛みを訴える悲痛な叫びに聞こえるのは――わたしが、《物語》を知るからだろうか。
――この《世界》には、哀しみが多過ぎる。
「ハッ!? ヤベェさ! クロちゃん、さっきオレとバトってヘロヘロだった!!」
「クロちゃん!?」
「助けねェと…ッ」
ラビが、クロウリー達の方へ足を踏み出した。
――その、瞬間。
振動と共に、地面が割れた。
「…《黒曜》ッ」
ソレが出てくる前に、わたしは地を蹴った。
…あ、アレンとラビが捕まった。
「どぇえぇ!? 花が床をブチ破って来なさった!?」
「まだあったんかーーー!!! クソ花ーーー!!」
「ふたりとも落ち着いてッ」
…と、言ったところで無駄だろうなぁ。
わたしもなんとか第一陣はかわしたけど、後を考えると結構怖い。
…いや、だって。どう見ても触手プレイじゃんこれ…
「どんどん出てくる!!!」
「チクショー、何なんだお前ら!! クロちゃんとこに行けねェェ!!」
暴れるふたりに、ますます食人花は攻撃性を増していく。
…あ、そう言えば。愛情を持って接すると襲ってこないんだっけ。
「お花さーん、ふたりを離してー!?」
ふたりを捕まえている花に近づき、わたしはその花弁を撫でた。
そんなわたしを見て、ふたりはぎょっと目を瞠る。
「ちょっ…! 不用意に近づいちゃダメです!」
「お?」
アレンの言葉が終わるより先に。
何故か、わたしにも花のツタが巻き付いた。
「うぎゃーーーっ!?」
ひょいっと上まで持ち上げられ、わたしは悲鳴を上げる。
自分で飛ぶ分には良いんだ。自分で降りられるから。
だけど、外部からの力で上に持ち上げられるのは、正直怖い!!
「…なんて色気のない声出すんですか…」
「…せめてそこは「キャー」だろ…「うぎゃー」って何さ…」
「そんな意味不明なダメ出しされる謂われはないわーッ」
悪かったな、色気無くて!!
こんな状況で色気振りまく余裕なんかないっての!
「いだだだだっ!?」
「ラビが食われたー!?」
「大丈夫です、まだ足だけです!」
「足だけって! 足無くなったら困るだろーーーぉ!?」
…向こうはシリアスな愛憎劇なのに、なんでこっちはこんなに締まらないんだろう…。
それでも、ピンチに変わりはないわけですが。
美しくなくても、花には毒も棘もある。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。