「………こんなことしてる場合じゃないのに」

ひとりで暗い廊下を歩きながら、わたしは今日何度目かのため息を吐いた。
先程、物凄い爆発音が聞こえた。あれは多分、AKUMAを食べた食人花が暴発した音だろう。
アレンもラビも、順調に《物語》通りの道筋を辿っているようだ。
…わたしは、何をしに来たんだろう。

「…ダメだダメだ、暗くなるな。こんなんじゃあ、いつまで経っても合流出来ない」

ぶんっと頭を振ってから、わたしは顔を上げる。
だいたい、わたしが悩むのがおかしい。
あんなことをしておきながら、わたしを避けるアレンが悪い。
…あれ。なんか腹立ってきた。

「…ん? なにこれ、不自然な壁」

不意に、わたしは不自然に素材の違う壁の前で足を止めた。
しっかりとした造りの城なのに、ここだけ妙にレンガがガタついている。

「…あ。これ、例の隠しドア…?」

ふと、床を見る。
血痕だ。それも、まだ乾ききっていない。

「…アレン?」

――思い出せ。
ここはどこだ。
そして『今』は『いつ』?

外で破壊音が響いている。
多分、ラビとクロウリーだ。だったら。

――ッ」

壁の一部、違和感を覚えた箇所に触れる。
微かな音を立てて、隠しドアが開いた。…やっぱり。

「…くっそ…間に合え…!」

重く開いたドアの先へ、わたしは足を踏み入れる。
この時のわたしの頭には、《物語》の改変とか、そんな考えは欠片も浮かばなかった。



File23 彼女が愛した吸血鬼 ~ The 1st Night




バキバキッ――と、何かが軋む音がした。
物凄い力で押さえつけられて、胸を圧迫されている。
それを認識しているのに、目の前に居るのがいったい何者なのか、酷く朧気だった。

「どうしたの? さっきまではイキが良かったのに。
 抵抗しないと、このまま胸、潰しちゃうわよ?」

声からすれば、若い女。
では、あのエリアーデと名乗った女性だ。
クロウリーを吸血鬼として退治しに来たと思われているなら、攻撃されるのは充分理解出来る。
だが、この力はなんだ。クロウリーの助手と名乗ったこの女性、一体何者だ…?

「(熱い…頭がボーッとする…)」

思考がまとまらない。
血を流し過ぎたのか。胸を圧迫されているせいで、呼吸器もおかしい。

「(体の全部が何かに力を吸われていくような、五感が鈍る…眠い…)」

骨はまだ折られていない。だが、恐らくこのままでは時間の問題だ。
目の前が霞み、視界がぼやける。
だから、女の力とは思えない程の力で殴られたのも、反応出来なかった。

「……」
「やだ、無反応? それともやる気ナシ?
 アレイスターに相当ダメージ喰らったのかしら。ふーん…」

声音に、残虐な色が滲む。
相手は女性。だが、人を殺すことに躊躇いをまったく持っていない。

「(ダメだ…ダメだ、寝るな。
  痛みも何も感じない…感覚がマヒしてる。眠ったらそのまま殺されるぞ)」

必死に、喉を震わせる。
行動を放棄すれば、全身が動くことを拒絶するだろう。
死ぬわけにはいかない。まだやるべきことが残っている。それに、この怪我もなんとかしないと。

――彼女は優しいから。
きっと、嫌っているはずの僕であっても、怪我をしたら泣くだろうから。

…死を間近に感じて、思い出すのはのことか。
どうして、こんなにも彼女の存在が大きくなるまで――気づかなかったんだろう。

「(…話せ。脳を動かすんだ)」

それは本能に抗う行動でもあり、逆に本能でもあった。
意識は朦朧としたまま、なんとか声を発する。

「…アレイスター=クロウリーを…退治する…気は、ありません…あなたと…戦う…理由がない…」

目の前の存在が、動きを止める。
その表情は認識出来ない。それでも意識を保つ為に、僕は言葉を続けた。

「彼…は、吸血鬼でも化け物でもない…僕達の…仲間かも、しれないんです…」

言葉にした、瞬間だった。
軋むような音が、響く。
――殴られたと認識したのは、その後だ。

――アハッ! アハハハハハハハ!! アハハハハハ!!!」

狂ったように笑いながら、エリアーデは拳を振るい続けた。
その拳には、傷一つつかない。赤く腫れ上がったりもしない。

「仲間? バカじゃないの? あいつは吸血鬼よ!」

ぐいっと胸倉を掴まれ、ドンッと本棚に体を叩きつけられる。
ようやく戻って来た痛みに、目を眇めながら顔を持ち上げた。

「連れてなんて行かせるもんか…っ」

初めて、その表情を認識する。
――『何か』を守るために必死になる、一途な眼。

「だから、――お前らは殺す」

目を瞠る僕の眼前で、彼女の表情は変貌した。
――血走った眼に、禍々しい程の殺気を込めた、表情。


+++


――声が、聞こえた。
きょろきょろと、わたしは辺りを見回す。
そんなに広くない部屋だ。見つけるのはそう難しいことじゃない。

「首落として、全身から血を抜いて城門に飾っといてやるわ。
 もう、誰もこの城に近づけないように」

視界の端に、佇む華奢な背中を捉えた。
金の髪の、若い女性。――エリアーデ。『吸血鬼』を愛したAKUMA。

「こいつの命をクロウリーの代わりに差し出せば、面目も立つ」

エリアーデが、アレンに斧を振り下ろそうと持ち上げる。
この後の展開は知ってる。知っているけど。

――わたしは、飛び出していた。

――そこまでよ、エリアーデ」
「!?」

スッと、わたしは羽根で作り上げた刃をエリアーデの首筋に当てた。
なるほど、あの時は半ば暴走気味でわからなかったけど、わたしの第二解放にはこういう応用が利くのか。

作り出した刃は、わたしの腕を覆うように発現している。
肉弾戦に向かないわたしには、普段は使い勝手の悪い武器。だけど今は、丁度良い。

「エクソシスト…!?」
「こんばんは、ミス・エリアーデ。うちの新人を回収しに来たよ」

このまま首を掻っ切ることは、多分出来た。
もし失敗しても、手傷を負わせることは出来ただろう。
だけどわたしは、それをしない。――彼女を壊すのは、クロウリーの役目だ。

「もうひとり居たの…?!」
「ちょっとこの城、防犯が甘いわね。
 ――自分を過信し過ぎたの? レベル2の自分に酔った?」
「…! …そう。気づいたの」

微かに、エリアーデが舌打ちした。
――違うよ、気づいたんじゃない。『知っていた』んだ。
そしてわたしは、自らに課した誓いを、破った。

「アレン! 起きて!!」
「…く…ッ」

叫ぶように呼ぶと、微かにアレンが身動ぎする。
本来なら、意識を失ったアレンの左腕が、勝手に発動するシーン。
――だけどわたしは、その《物語》を改変した。自分に禁じた禁忌を、犯した。

「起きなさい、アレン! ――エリアーデは、アクマよ!!」

わたしの声に呼応するように、それは起こった。
起き上がったアレンの左目から、闇色のソレはずるりと這い出てくる。

――多少の改変なんて、展開に影響を与えない。
それを、まざまざと見せつけられた気分だった。

――アクマですね」

左腕を銃器型に転換させて、アレンが静かに問う。
スコープ状に変形した左目が、真っ直ぐにエリアーデを捉えた。

「前言撤回です。戦う理由が出来ました」

強い眼差しで、エリアーデ――AKUMAを見据える、銀灰色の瞳。
真っ直ぐにAKUMAを射るその眼差しに、心がざわめく。

――これは、『恐怖』だ。
何に抱いた恐怖なのか、わたしにもわからない。
ただわたしは、それを振り払うようにアレンの名前を呼んだ。

「アレンッ」
…」

少し驚いた表情でわたしを見て、アレンはすぐに視線を逸らした。
それに気づかない振りをして、わたしはアレンに駆け寄る。

「大きい傷だけ治す。5秒だけ時間を頂戴」
「…後で、良いですよ」
「死ぬわよ」
「死にませんよ」
「アレン」

強い口調で名前を呼んで、わたしはアレンの服の裾を掴む。
その手は、やんわりと拒絶された。振り向きもせず。

――今は、アクマを壊すことが最優先事項です」
「……」

この状態でなお、わたしを見ようともしないのか。
傷だらけのその背中を前に、わたしは俯いて唇を噛んだ。
――わたしは、何をしにここへ来たんだろう。

「…ったく。キズついちゃったじゃない。ホント、嫌なガキ共ね。あー服もボロボロ」

苛立たしげにそう言いながら、エリアーデは服を払った。
傷を負った箇所は皮膚が裂け、その下の機械が顔を覗かせている。

「ボディをコンバートしないんですか?」
「まー、ナマイキ! ブスになるから嫌なのよ。こっちのが好き」

そう言いながら、エリアーデは乱れた前髪を左右に流した。
その額には、くっきりとペンタクルが浮かび上がっている。

「でもまぁ、この状況じゃそんなことも言ってらんないか…」

呟いた瞬間、エリアーデの姿は美しい女性から、醜いAKUMAに変貌する。

――そうですよ」

その姿を見据えながら、アレンの声は少しも揺らがない。
今はわたしの目にも映る、内包されたAKUMAの魂。
これがアレンが見ていた世界か、と思うと同時に、わたしは複雑な気分になる。

――わたしは、アレンの左眼が嫌いだ。
リナリーのような理由じゃない。もっと自己中心的で愚かな理由。
AKUMAしか映さない、AKUMAの為にのみ在るその左眼が、嫌いだ。

誰かに呪われるほどに愛された、その証。
ひとには理解出来ない、AKUMAへの深い愛情。
わたしからは逸らされる視線も、AKUMAへ向けたそれは常に真っ直ぐだ。

「…、頼みがあります」
「なに」
「ラビを助けに行ってください」
「いや」

即答すると、驚いた表情でアレンが振り返った。
…なんだか久々に目が合ったような気がする。

「は?」
「目も合わせずに言われた『お願い』なんて聞きたくない」
「そ…そんなこと言ってる場合ですか!?」
「そんなこと?」

カチンときて、わたしはアレンの胸倉を掴んだ。
驚く銀灰色の瞳をきつく見据えて、わたしは口を開く。

――計り間違えんなよ、アレン=ウォーカー。
 わたしはわたしが思うように行動する。誰にもわたしを縛ることは出来ない。
 …ここで重症のあんたを見捨てて、わたしが行けると思うの」
「………」

困惑の滲む表情で、アレンがわたしを見下ろした。
この一瞬は、AKUMAしか映さない左眼も、わたしの姿を映している。

「罪悪感とか自己嫌悪で、自分を切り売りするのはやめて。
 わたしは何の為にここに居るの。…そんなに、わたしを怒らせたい!?」
「…
「わたしは神の使徒。イノセンスに選ばれたエクソシスト。
 あんたのパートナーよ。…そうでしょう!?」
「………」

その沈黙は、本当に一瞬のことだった。
だけど妙なほど、それが長く感じられる。

「…はい」

長いようで短い沈黙は、アレンの一言で破られた。
その表情は、どこか泣きそうな、笑顔。
――作り物ではないその表情に、ざわめいていた心が落ち着きを取り戻す。

AKUMAの姿を取ったエリアーデの巨体が、大きくうねった。
この小さな部屋では、彼女には不利。
そう考えたのだろう、そのまま壁を突き破ってエリアーデは外へ飛び出した。

、巻き込まれないように距離を保って。
 …あと、頭の傷だけ治してもらえますか?」

小さく頷き、わたしはスッと指先を傷口に触れさせる。
時間にしてほんの数秒。傷は塞がり、跡も残らない。失われた血は戻らないけれど。

「隙を見て、はラビと合流してください」
「あのね…あんた人の話聞いてた? そんなにわたしにラビの方へ行って欲しいの?」
「…ッ」

言った途端、いきなり手をガシッと掴まれた。
わたしが驚くより先に、アレンの方が驚いた表情で固まっている。
…いや、だからさ。先に驚かれたら、わたしはどう反応すれば良いのかわかんないでしょうが。

「ラビなら多分、大丈夫よ」

呟いた瞬間、響く破壊音。
暴力的なまでの勢いで、炎の柱が壁を破壊した。

エリアーデと交戦しながら進んできたわたし達は、いつの間にか大広間に到着していた。
立ち上る火柱が何かわからないアレンとエリアーデが、同時の下を見る。

「ちっ…」

恐らく、倒れたクロウリーを先に見つけたのはエリアーデだっただろう。
アレンとの交戦を中断し、エリアーデは人の姿を取って下へ降り立った。

「!?」

唖然とエリアーデの行動を見送るアレンの襟首が、いきなり上に引き上げられた。
窓ガラスを突き破って大広間へ侵入した、ラビだ。

「よう、アレン。も合流してたんか」
「ラビ! なんだ、元気そう」

ちょっとその言い方はどうかと思うよ…。
心配して損した、と言わんばかりだ。たまに出る発言が黒いんだよね、この子は…。

「あれ? お前、左目治ったんか。開いてんじゃん」

不意に視線を下に戻したラビが、ハッと目を瞠った。
その視線の先には――クロウリーを抱き起こす、エリアーデの姿。

「おい、アレン。あの女…!」

顔色を変えたラビを、アレンは不思議そうに見やる。
そして彼もまた、エリアーデに視線を移した。

「アレイスター様…」
「!?」

意識を覚醒させたクロウリーは、エリアーデを見て硬直した。
正しくは――彼女の背後を見て、だろう。

「エエ…エリアーデ…何であるか、それは…」
「え?」
「おおお前のその…体から出ているものは……何なのだ…!?」
「!!!」

――彼女には、見えているんだろう。
自らが人間であった頃の、その器に拘束された魂。
最も醜く変貌してしまった――自らの、本当の姿が。

一瞬。
そう、ほんの一瞬だった。
エリアーデは、悲しげに瞳を伏せた――ように、見えた。

――冥界から呼び戻され、兵器のエネルギー源として拘束された〝アクマの魂〟…か?」

真っ青な顔色で、ラビが確認するように呟いた。

「そうなんか、アレン? すげぇぞ。なんで…オレにも見えるさ…?」

アレンもまさか、自分以外にAKUMAの魂が見えるなんて思っていなかっただろう。
ラビの奇妙な反応に、アレンは目を瞠る。

「お前のその左眼のせいか?」
「………」

ゆっくりと、アレンはエリアーデをもう一度見た。
そして、そっと自身の左眼を覆う。

「クロちゃん、その姉ちゃんはアクマさ!!
 説明したろ、さっき! あんたとオレらの敵さ!!」

ラビの言葉に、クロウリーは弾かれたように身を起こした。
そして、まじまじとエリアーデを見つめる。

「エリアーデ…? お前は、何か、知っているのか…?」

エリアーデは答えない。
どこかその表情は、楽しかった夢から無理矢理覚醒させられたような、そんな淋しさが浮かんでいた。

「私は…私は…?」
「…あーあ」

芝居掛かったため息を吐いて、エリアーデは立ち上がった。
その美しい顔から、表情が消える。

――ブチ壊しよ、もう」

その姿が、AKUMAに変わった。
コンバートされた彼女の体の、脚とも尾とも取れる箇所が、クロウリーを弾き飛ばす。

「あっ…が…ッ」

壁に激突したクロウリーが、苦悶の声を上げた。
――この戦いの結末を知るわたしは、酷く複雑な気分に駆られる。

『うまく利用して飼い馴らして利用してやるつもりだったが、もういいわ!!
 お前をエクソシストにするわけにはいかないんだ。殺してやる!!!』

その声が、痛みを訴える悲痛な叫びに聞こえるのは――わたしが、《物語》を知るからだろうか。
――この《世界》には、哀しみが多過ぎる。

「ハッ!? ヤベェさ! クロちゃん、さっきオレとバトってヘロヘロだった!!」
「クロちゃん!?」
「助けねェと…ッ」

ラビが、クロウリー達の方へ足を踏み出した。
――その、瞬間。
振動と共に、地面が割れた。

「…《黒曜》ッ」

ソレが出てくる前に、わたしは地を蹴った。
…あ、アレンとラビが捕まった。

「どぇえぇ!? 花が床をブチ破って来なさった!?」
「まだあったんかーーー!!! クソ花ーーー!!」
「ふたりとも落ち着いてッ」

…と、言ったところで無駄だろうなぁ。
わたしもなんとか第一陣はかわしたけど、後を考えると結構怖い。
…いや、だって。どう見ても触手プレイじゃんこれ…

「どんどん出てくる!!!」
「チクショー、何なんだお前ら!! クロちゃんとこに行けねェェ!!」

暴れるふたりに、ますます食人花は攻撃性を増していく。
…あ、そう言えば。愛情を持って接すると襲ってこないんだっけ。

「お花さーん、ふたりを離してー!?」

ふたりを捕まえている花に近づき、わたしはその花弁を撫でた。
そんなわたしを見て、ふたりはぎょっと目を瞠る。

「ちょっ…! 不用意に近づいちゃダメです!」
「お?」

アレンの言葉が終わるより先に。
何故か、わたしにも花のツタが巻き付いた。

「うぎゃーーーっ!?」

ひょいっと上まで持ち上げられ、わたしは悲鳴を上げる。
自分で飛ぶ分には良いんだ。自分で降りられるから。
だけど、外部からの力で上に持ち上げられるのは、正直怖い!!

「…なんて色気のない声出すんですか…」
「…せめてそこは「キャー」だろ…「うぎゃー」って何さ…」
「そんな意味不明なダメ出しされる謂われはないわーッ」

悪かったな、色気無くて!!
こんな状況で色気振りまく余裕なんかないっての!

「いだだだだっ!?」
「ラビが食われたー!?」
「大丈夫です、まだ足だけです!」
「足だけって! 足無くなったら困るだろーーーぉ!?」

…向こうはシリアスな愛憎劇なのに、なんでこっちはこんなに締まらないんだろう…。
それでも、ピンチに変わりはないわけですが。






美しくなくても、花には毒も棘もある。



To be continued?

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