「…イノセンス、第二解放――切り裂け、《黒金(クロガネ)》」
腕の感覚が無い。
足の感覚が無い。
自分の声が聞こえない。
だけど確かに、わたしは動いて喋っている。
「――敵影確認。破壊しろ、《時空斬盾(ジクウザンシュン)》」
腕を振り払う。
腕に集結していた羽根が、刃となってAKUMA達に降り注いだ。
ああ、でもまだ足りない。全然足りない。
――破壊するには、まだ全然、届かない。
「…やっべ。やり過ぎたぁ」
『ろ、ろーとタマ! あれ何レロ? 何レロ!?』
狼狽える声が聞こえた。
わたしはそれを認識する。
あれもAKUMAだろうか。ならば壊さなければ。
「黒の聖女《リリス》と白の聖女《エヴァ》の異なる属性を受け継いだ、《イヴの娘》が持つ力。
再生と破壊の力だよ。…まさかそれが、イノセンスだとはねェ。僕も予想してなかったな」
『どーするんレロ~ッ!? なんか危ない感じがするレロ! ろーとタマ!!』
「うっさいなぁ、傘ぁ」
ああ、本当に。煩いAKUMAだ。
破壊しよう。跡形もなく。塵も残さずに。
「…ちょっと追い詰め過ぎちゃったか。ま、あんだけ好き勝手に暴走してるし、そのうち力尽きて倒れるだろぉ」
わたしの横を、「何か」が通過した。
そして、その「何か」は、別の「何か」を掴んで引っ込んでいく。
見覚えがあったような気がした。ああ、でも今はもう、どうでもいいか。
――意識が闇に、堕ちた。
「リナリー!」
取り戻したリナリーの手首を取って、脈を診る。
確かな、鼓動を感じた。
「生きてる…!」
自然、安堵の息が漏れる。
これでもう、リナリーは大丈夫だ。
「アレンくん、リナリーちゃんは…?」
「…大丈夫。この中にいれば…」
心配そうにそわそわしているミランダさんに、僕は頷いて見せる。
その目の前で、リナリーから時間が吸われていった。
虚ろだったリナリーの瞳に、本来の光が戻っていく。
「あれ…私…?」
「リナリー!」
ふとリナリーが、握り締めていた手を開いた。
瞬間、飛び出してきた何かが顔にぶつかってくる。
…ティムキャンピーだった。
「ティムキャンピー! 何でそんなトコから…っ」
「あ。アレンくんが倒れた時一緒に砕けちゃって、ずっと欠片を持ってたの。
って、私どうしたの? ここ、どこ? あと、このカッコ、何??」
きょろきょろと辺りを見回すリナリーの手を、ミランダさんがきつく握り締めた。
安堵したのだろう。先程まで肩に入っていた力が、若干抜けているのが見て取れる。
「僕達、ミランダさんのイノセンスに助けられたんですよ」
「え? わ、私…? 私が…??」
「あなたが発動したこのイノセンスが、攻撃を受けた僕らの時間を吸い出してくれたんです。
…ありがとう、ミランダさん!」
そう告げて、微笑んで見せる。
ミランダさんの表情から翳りが消えた。恐らくは彼女本来のものであろう、優しげな色に変わる。
ミランダさんの瞳から零れた涙に、同じ事を思ったのだろう。リナリーも穏やかに微笑んでいた。
「…リナリー。まだ、が捕まっているんです」
「が…!?」
「拘束されていて、ヘタをするとが怪我をします。
の治癒能力は自身には使えない…なんとか、傷つけないように取り戻さないと…!」
「…わかったわ。AKUMAを壊して、を無傷で救出しましょう!」
頷き、リナリーは椅子から立ち上がる。
その両足に装備されたイノセンスが、発動の光を発した。
「このヤロぉ、出てきやがれぇっ」
ドームの外で、AKUMAの声と気配がする。
瞬間、リナリーが地を蹴った。
「円舞『霧風』!!!」
竜巻のような風が発生し、ドームを貫いてAKUMAを吹き飛ばす。
そこから、僕達も外へ飛び出した。
「この風はさっき戦ったエクソシストのメスの…」
「ちくしょう、何も見えねェ!!」
「どこだ、エクソシスト!!」
リナリーの風で、彼らの視界は遮られているんだろう
苛立ちを隠すこともしない彼らの気配は、すぐにわかる。
音波系の能力を使うAKUMAの頭を、踏みつける。
そして銃器型の対アクマ武器の銃口を、突きつけた。
「――ここだよ」
「!」
反応を返す暇は、与えない。
一気に砲弾して、その核を破壊する。
「へぇ~。エクソシストって面白いねェ」
上からそれを見物していたロードが、にやりと口角を持ち上げて嗤った。
追いついてきたリナリーと背中合わせに立ち、僕はロードを睨みつける。
「勝負だ、ロード!」
「…その前にぃ。そっちのを止めてあげた方が良いんじゃなぁい?」
ロードがそう言って嗤った瞬間、肌に刺さるような殺気を感じた。
僕とリナリーは同時に振り返り、そこに居た存在に目を瞠る。
「「!?」」
漆黒の翼をはためかせ、宙に浮く少女の姿。
細い腕から滴っているのは、血だろうか。
色を失った瞳が、無感情にAKUMAを見下ろしている。
信じられない程に冷たい、機械的な雰囲気を纏う少女。
――それは、だった。
「!?」
「なに、あれ…! の対アクマ武器が…!」
の背にある羽根の形をしたイノセンスが、その細い両腕にまとわりついていた。
が無表情のまま、AKUMAに向かって腕を振る。
腕にまとわりつく羽根が、刃に姿を変えてAKUMAを襲った。
「目の前でさぁ。お前らが傷ついて、自分のせいだって思い込んじゃったみたぁい。
可哀想だよねー。イノセンスの力に振り回されちゃってるもんねぇ?…あんなんで身体保つのかなぁ!?」
ロードの笑い声に、顔から血の気が引くのがわかった。
寄生型のエクソシストは、その感情でイノセンスを操る。
では、今のは、イノセンスを暴走させてしまっているのか。
――僕達の負った傷に、心を痛めて?
「アレンくん! ここは私に任せて。暫くなら保つわ!」
不意に、蒼白な顔色のまま、それでもリナリーは気丈に言い放った。
その瞳に浮かぶのは、決死の願い。
「お願い…を、助けてあげて…!」
「――はいッ!」
頷いて、僕はのもとへ駆け出した。
リナリーなら大丈夫だ。AKUMAはのイノセンスから攻撃を受け、消耗している。
それは彼女にもわかっているはずだ。だから、僕に託した。
――この時の僕とリナリーの思いは、完全に同じだっただろう。
僕は、リナリーは、――あんなの姿を、見ていたくなかった。
ボロボロになった団服。
乱れた黒髪。
細い両腕は傷だらけで、今やその色は白と言うより赤だった。
焦点の合わない黒い瞳。
苦痛も悦楽もなにもない表情。
それはまるで、AKUMAを屠る為だけに動く、武器のようだ。
腕を振るい、羽根を刃に変えて撃ち出す。
今までが持たなかった、攻撃系の能力。
が闘う力を望んでいたのを、知っていた。
戦闘になった時、護ることしか出来ない自分を、無力だと嘆いていたのを知っていた。
――だけど、彼女が望んだ力は、こんなものではなかったはずだ。
「――!」
ようやく、その腕を捕らえる。
細く華奢な腕。だけど今は、それすらも武器化している。
――血を、流しながら。
「! ッ!! お願いです、止まってください!」
「――は、な、し、て、」
喋ることすらもどかしいのか、音になり切らない言葉が発せられた。
振り返ることすらしてくれない。
いつもこっちの居心地が悪くなるくらい、人の目を真っ直ぐに見て話すのに。
「! これ以上は駄目です、怪我が!」
「……」
「アクマを壊す前に、の腕が壊れます!」
「…いいの」
応えた声は、酷く平坦だった。
何の感情もこもっていない、声。
「いいの。こわれていいの」
「な、」
「つぐなえるなら、うでくらいおしくないの。だから、いいの」
――何が、良いんだ。
償いってなんだ。が何をした。
普段は少しの怪我でも、大袈裟に騒ぐが――「腕くらい惜しくない」?
「――ッ…バカなことを言うな! そんなの許さない!!」
怒鳴りつけても、反応がない。
我を忘れて、イノセンスを暴走させてるんだろう。
だったら、正気に戻せば――!
「…ッ!」
腕を伸ばして、後頭部に手を差し入れる。
引き寄せても、虚ろな瞳は僕を映さない。
…こんなの、じゃない。
いつだっては口が悪くて、人をからかって楽しんでて。
だけど、逆にからかうと反応が素直で面白くて、――本当は傷付きやすい、女の子で。
「…。今から僕は、君に酷いことをします。だから、いつものように怒鳴ってください」
まだイノセンスを振るおうとしている腕を押さえ込んで、動きを封じる。
きっと、正気に戻ったら物凄く怒るんだろう。さすがに、今回ばかりは泣かれるかもしれない。
だけど、それでも良かった。壊れたの姿をこれ以上見たくない。
「…ごめん…ッ」
謝罪の言葉を呟いて、僕は強引にの顔を引き寄せる。
そのままやや強引に、唇を重ねた。
それは重ねるというよりは、噛み付くという表現の方が、所作としては正しかったかもしれない。
血の気を失ったの唇は冷たく、微かに血の味がした。
「……ッ」
の瞳が、微かに瞠られる。
強張っていた四肢から、僅かに力が抜けていった。
どのくらいそうしていただろう。
呼吸が辛くなってきたのか、微かにが呻く。
唇を離すと、の瞳がしっかりと僕を見た。いつものように、真っ直ぐに。
「…ア…レ、ン…?」
「…!」
焦点が定まり、しっかりと目の前にいる僕を、の黒い瞳が捉えた。
しばらくぼんやりしていた彼女は、不意にハッと目を見開く。
「…って! 何、今の!? 何してんのあんた!?」
頬が紅潮してるのは、見間違いじゃないだろう。
上手く言葉が出てこないのか何度も口を空回りさせている様子に、安堵すると同時にこっちも恥ずかしくなってきた。
「…その…謝罪も弁解も後でします! はミランダさんのところへ行ってください!」
「いやちょっと待てよ!?」
「良いから言うこと聞け!!」
「……」
怒鳴りつけると、一瞬目を瞠った後、はこくりと頷いた。
ただ、釈然としない表情だったけれど。
「…、腕。痛いでしょう? 僕もリナリーも、を心配してるんです。わかってください」
「…げッ…なにこれ、すっごい痛い…ッ」
「今気付いたんですか! いいから、ミランダさんのところへ…わかりました、連れて行きますッ」
「え、今何がわかったの?!」
目を白黒させるの問いを無視して、僕は彼女を抱え上げた。
と問答をしてると、時間がいくらあっても足りない。今はそんな暇はないのに。
ひとりで戦うリナリーが心配だったのも、もちろんある。
だけど、酷い傷を負った痛々しいの両腕を、これ以上見ていたくなかった。
+++
「アレンくん! ちゃんッ…ああ、なんて酷い怪我を…!」
ミランダさんのイノセンスが作り出した、ドームの中。
連れて来られたわたしを見て、ミランダさんが駆け寄って来た。
そして、泣きながら抱き締められる。ああ、随分と心配を掛けてしまったようだ。
「ミランダさん、をお願いします!」
「え、そこはわたしにミランダさんの護衛を頼むところじゃないの?!」
「怪我を治してから言ってください、そういうことはッ」
ぐぅの音も出ない。
ふと視線を自身の腕に落とすと、時間が吸い上げられていくのを感じた。
これがミランダさんのイノセンス――実体験してみると、なんだか不思議な感覚だった。
「…アレン!」
再び外へ向かうアレンを、わたしは呼び止める。
アレンはすぐに振り返ってくれて、僅かに首を傾げた。
「行くから。…わたしも、すぐに行くから。…待ってて」
「…はい。でも、早く来ないと終わっちゃいますよ?
急いでくださいね」
「うん、そうだね」
応えて、わたしは笑う。
相変わらずの減らず口だけど、今はそれが嬉しかった。
「――生きてる」
生きてる。
ミランダさんも、リナリーも、アレンも。そしてわたしも。
それが、どれだけの幸福なのか――。
「…馬鹿ね、わたし」
器用になんて、生きられるわけもないくせに。
心が壊れるくらいなら、納得の出来ない行動になんて出なければ良いのに。
「……」
自分の手を、わたしは見下ろす。
護る手。癒しの手。そして、破壊する手。
わたしの役目は、《物語》を正常に導くことだと、思っていた。だけど。
――もう一度、考えてみよう。この手に与えられた力の意味を。
.
.
.
傷の消えたわたしは、そっとドームから飛び出した。
AKUMAは残り2体。それも、あのアイスファイヤを吐く巨体はボロボロだ。
『レロロ~…あいつら、何がどうしてピンピンしてるレロ~!?』
「…ミランダって奴、適合者だったんじゃん?
どうやったかは知んないけど、あの女があいつらを元気にしちゃったみたいィ」
上空の方に、かぼちゃ傘…もとい、レロとロードが居る。
アレン達とAKUMAの戦闘を見物していたのだろう。
『え~!? それじゃキリが無いレロ!』
「うっさいなぁ。…でもこれじゃを連れて帰るの、難しくなっちゃったねェ」
そう言えば、と。
わたしはロードの言葉を思い出す。
――ロードはわたしを連れ帰ると言った。ノアの一族のもとに。
「…アレンくん。あの子、何? 劇場で…見かけた子よね? …アクマ?」
「…いえ、…人間です」
「……そう」
アレンの返した言葉に、リナリーは何を思ったんだろう。
返したリナリーの声は静かで、何かを本能的に悟ったかのように見えた。
「A・L・L・E・N」
空中に、ロードがそのスペルを描く。
どういう力なのか、それは空中でありながら文字として浮かび上がった。
「アレン=ウォーカー。「アクマの魂が見える奴」」
「!」
「実は僕、お前のこと千年公から聴いて、ちょっと知ってるんだぁ。
あんた、アクマの魂救うためにエクソシストやってんでしょぉ? 大好きな親に呪われちゃったから」
ぐっと、アレンは唇を引き結んだ。
その変化に、ロードは満足そうに微笑う。
「だから僕、ちょっかい出すならお前って決めてたんだぁ」
どこか慈愛すら孕む、その表情。
ハッと、わたしは表情を強張らせる。
…しまった。迂闊だった。まだ、この《展開》が残っていた――!
「――やめて、ロード!!」
「あれ? なんだ、。正気に戻っちゃったんだぁ?
…でも遅かったよ? もう止められないんだから――!」
飛び出してきたわたしに、ロードは口角を持ち上げて笑う。
そして彼女は、足元にいるAKUMAへ声を掛けた。
「おい、オマエ」
『ハイ』
「自爆しろ」
その言葉は、まやかしの空間に無情に響き渡った。
『エ?』
「!?」
目を瞠る面々の中、ロードはレロの上に座った。
傍観体勢だ。そして彼女は、ピッとレロに指を突きつける。
「傘ぁ。10秒前、カウントォ」
『じゅ、10レロ』
始まったカウントダウンに、わたしは顔から血の気が引いた。
わたしからすれば、AKUMAなんてどうでもいい。だけど。
『ちょっ? ロ…ロード様、そんなぁ…やっとここまで進化したのに…』
『6レロ』
AKUMAが弱弱しい声を上げる。
ロードは一切応えず、笑みすら浮かべていた。
『…っ! ロード様?』
無情なカウントが響き渡る。
アレンの顔色が、変わった。
「おい!? 一体何を…」
「イノセンスに破壊されずに壊れるアクマってさぁ…」
ロードの表情に、笑みが昇る。
蔑むような、それでいて無知なる者を慈しむような、矛盾を孕んだ表情。
「たとえば自爆とか? そういう場合、アクマの魂ってダークマターごと消滅するって知ってたぁ?」
「!!!」
「そしたら救済できないね――――!!」
アレンの顔から、表情が消えた。
わたしはレロを見る。カウントは、あと幾つだ。
『2レロ』
「やめろ!!」
怒鳴り、アレンが飛び出す。
今にも爆発する、AKUMAに向かって。対アクマ武器を構えながら。
「アレンッ!!」
「アレンくん、ダメ!! 間に合わないわ!!」
わたし達の声が届いていないのか、アレンは止まる気配もない。
きつく唇を噛んで、リナリーがアレンを追いかけて飛び出す。
『1レロ』
無情に刻まれたカウントダウン。
最後の一音が、AKUMAの巨体を切り裂いていく。
『ウギャアアアアアアアアアアッ!』
断末魔の悲鳴を上げて、AKUMAは自爆した。
その爆発が起こる直前に、リナリーがアレンを連れてエンゲージを離脱する。
「キャハハハハハ!!」
ロードの笑い声が、酷く耳障りに感じる。
震える拳を、わたしは握り締めた。
消滅するAKUMAの魂が、どんな風にアレンの目に見えたのか。
――そんなこと、わたしにだってわからない。でも。
その左目の傷から、鮮血が滴る。
それが何を意味しているのかはわからない。
だけどアレンは、AKUMAが憎くて破壊しているんじゃない。
――救いたいと、願うから。なのに。…それなのに、こんな。
「…ああっ…」
「!? アレンくん…」
「くっそ…何で止めた!!!」
左目の傷から滴る血を拭い、アレンはキッとリナリーを睨む。
その表情にあるのは、ぶつける場所を見失った怒りだ。
その怒りに、応えたのはリナリーの平手だった。
「仲間だからに、決まってるでしょ…!!」
殴った方の手だって、殴られた方の頬と同じ――それ以上に、痛いんだ。
目に涙を溜めたリナリーを見て、また何も出来なかった自分に、わたしは無力感を抱く。
「スゴイスゴイ。爆発に飛び込もうとすんなんて、アンタ予想以上の反応!」
「お前…ッ」
アレンの表情が険しさを増した。
禍々しいほどの殺気に、わたしは思わず息を呑む。
「でもいいのかなぁ? あっちの女の方は」
ロードが、ミランダさんの居るドームを指差す。
――ドームに迫る、あの風の刃を持つAKUMAの姿が、あった。
「いかせるか!!」
アレンが、銃器型のイノセンスを構えた。
弾丸が打ち出される。だけど、僅かに進路を阻むくらいしか効果はない。
「。私が行くわ!」
「お願い、リナリーッ」
わたしが行くよりも、リナリーが行く方が早いだろう。
アレンの撃ち出した砲弾を迎え撃つAKUMAの背後に、一瞬でリナリーは回り込む。
煌く光を発するイノセンス――《黒い靴》が、AKUMAの体を引き裂いた。
それを見て、わたしとアレンは安堵する。
ミランダさんは大丈夫だ。リナリーに任せておけば問題ない。
「壊られちゃったか! 今回はここまででいいやぁ。まぁ、思った以上に楽しかったよ。じゃねェ」
軽い調子で言うと、ロードはわたし達に背を向ける。
その後頭部に、アレンはガチッと銃口を突きつけた。
「優しいなぁ、アレンは。僕のこと憎いんだね。…撃ちなよ。アレンのその手も、兵器なんだからさぁ」
傷を抉るような言葉を、ロードは笑みすら浮かべて吐き出す。
怒りの形相のまま、アレンの左目から涙が一筋、零れた。
「でもアクマが消えて、エクソシストが泣いちゃダメっしょー。
そんなんじゃ、いつか孤立しちゃうよぉ?」
平然とした様子で、ロードは扉に向かって歩き出す。
まるで、アレンが撃たないことを知っているかのように。
「はしばらく預けておいてあげる。大事に大事にしてねぇ?
また遊ぼぉ、アレン。――今度は、千年公のシナリオの中でね」
いっそ穏やかにも聞こえる声音でそう告げて、ロードは扉をくぐる。
その姿が完全に消えた瞬間、扉は消失した。
「…くそ…ッ」
吐き捨てるように呟いて、アレンは武器を下ろした。
震える拳がきつく握り締められ、色を失っている。
「…アレン…」
「…はい」
そっと声を掛ける。
返事は返ってきたけれど、振り向いてはくれない。
だからわたしは、後ろから腕を伸ばした。
力は込めない。ただ、精一杯の優しさで、わたしはアレンを抱き締める。
「…なんで抱きつくんですか」
「抱き締めてんのよ」
「…どうして、ですか」
アレンが泣いてるからだよ、と。
わたしは声には出さずに思ってから、別の言葉を口にする。
「…さぁ、どうしてかな…」
「なんですか、それ…」
いつもの憎まれ口に、力が無い。
…ごめんね、と。わたしは心の中で謝罪する。
間に合わなかった。だけど、間に合っていたところで、きっとわたしは動かなかった。
卑怯でごめん。
だけどわたしは、生きていることが嬉しい。
…例えこの後、あの傷を再び負うことになっても。
その時間は、ほんの数秒のことだったのかもしれない。
だけど酷く長く感じたそれに、終わりがやってくる。
空間が振動を始めた。
床が、壁が、徐々に崩壊していく。
「!! 何だ!?」
「…空間が、崩れてく…」
ロードが作り出したまやかしの空間。
彼女の支配が断ち切られて、元に戻ろうとしているのだ。
――ああ、終わるな。と。
崩れていく空間の中にいながら、わたしは心底安堵していた。
+++
「あれ?」
気がつくと、そこはあの異空間ではなかった。
わたしは終わったことに少しだけ安堵して、小さく息を吐く。
だけど、事態が飲み込めないアレンは目を白黒させていた。
「ここは…? ミランダさんのアパート…どうして…。
さっきまでいた場所は、どこだったんだ…?」
「――あれは、ロードの能力よ」
ぽつりと、わたしは呟く。
不思議そうにわたしを見て、アレンが首を傾げた。
「?」
「ロードは多分、あらゆる空間を操れる。
異空間を創り出したり、別の空間に干渉したりする力…」
「じゃあ…」
「さっきまでの場所は、このアパートの空間を反転させていたんだと、思う」
スッと、わたしは壁に書かれた文字を指差した。
そこには明らかに、ロードかその配下のAKUMAが書いたであろう、文字がある。
「アレンくん! !
ミランダの様子がおかしいの!」
聞こえてきたのは、リナリーの声。
焦ったようなその響きに、わたし達は慌てて隣の部屋へ移動する。
「ミランダさん…!?」
そこには、憔悴し切ったミランダさんと、彼女を支えるリナリーがいた。
ミランダさんの顔色は蒼白で、呼吸は酷く荒い。
彼女の背後にある時計の盤も、まるで狂ったように針を回し続けていた。
「発動を停めて! これ以上はあなたの体力が限界だ」
「…ダメよ…停めようとしたら…」
ミランダさんが呟いた瞬間、時計の盤の形を取った『時間』が、わたし達に寄って来る。
それを押し止めるように、ミランダさんは歯を食いしばった。
「吸出した時間も、もとに戻るみたいなの。また…あの傷を負ってしまうわ…」
わたし達は、顔を見合わせた。
そして再び、衰弱し切ったミランダさんへと視線を戻す。
「いやよぉ…初めて、ありがとう、って言ってもらえたのに…これじゃ意味ないじゃない…」
悲痛な声を上げながら、ミランダさんは俯いた。
床に落ちた涙の雫が、木目に染み込んで消えていく。
「――発動を停めて」
そう告げて、アレンは俯くミランダさんの両肩を掴んだ。
ハッと、ミランダさんが顔を上げる。
「停めましょう、ミランダさん。あなたがいたから、今、僕らはここに居られる。それだけで充分ですよ」
その言葉に、リナリーも、そしてわたしも、穏やかに微笑んだ。
あの傷が一瞬で消えてしまうことの方が、本来はおかしいんだ。
どうしてそれ以上を、望む必要があるだろう。
「自分の傷は自分で負います。生きてれば傷は癒えるんですし」
「そうよ、ミランダ。お願い、停めて…」
穏やかなふたりの言葉に、ミランダさんの瞳からは、止め処なく涙が零れる。
握り締められたその手を取って、わたしは、安心させるように微笑んだ。
「…大丈夫だよ、ミランダさん。わたしさ…万能じゃないけど、傷を治すことが出来るんだよね」
「え…」
「全部の傷は治せない。だけど、大丈夫。ミランダさんのおかげで繋がった命だもの、今度は私が繋げてみせるよ」
わたしの言葉を最後に受け止めて、ミランダさんは発動を停止した。
傷が戻ってくる。痛みが、そしてその傷を負った際に生まれた感情が。
痛い、と思ったけれど。
――それが今、生きていることを自覚させてくれた。
12時の鐘の音が、響いた。
この日、街の時間は戻り、延々と繰り返された10月9日は終わる。
ミランダさんは、ここには居ない。
医者を呼びに、飛び出して行ったのだ。
よろりと、わたしは身を起こす。
腕は痛い。こんな怪我、普通に生活していたら絶対負わないものだ。
だけど、でも。決してわたしは、この《世界》を嫌だとは思わない。
腕を伸ばす。
リナリーの受けたダメージは神経の方だ、わたしには治せない。
ならせめて、アレンの傷だけでも治さないと。
気を失っているふたりの顔色は蒼白。
だけど生きている。確かに呼吸している。だから。
「…助ける、から。わたしが…」
失血で震える指が、小さな黒曜石の盾を作り出す。
ああ、多分、わたしも途中で気を失うだろう。この怪我でイノセンスを発動し続けるのは無理だ。
生み出した盾を、アレンの負った傷に触れさせる。
治りが少し、遅い。わたしの方が万全じゃないからだろう。
必死に腕を動かして、傷を塞いでいく。
だけど、やっぱり、すべてを治すのは無理だった。
急に腕が動かなくなって、わたしは倒れ込む。
怪我なんてしてないはずの脚まで、まともに力が入らない。
「…まだ、終わってない、のに…」
呟いて、わたしは無意識に目を閉じる。
――遠くでミランダさんの声と、複数の足音が、聞こえた。
生きていれば、傷は癒える。傷痕は残るけれど。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。