「…イノセンス、第二解放――切り裂け、《黒金(クロガネ)》」

腕の感覚が無い。
足の感覚が無い。

自分の声が聞こえない。
だけど確かに、わたしは動いて喋っている。

――敵影確認。破壊しろ、《時空斬盾(ジクウザンシュン)》」

腕を振り払う。
腕に集結していた羽根が、刃となってAKUMA達に降り注いだ。
ああ、でもまだ足りない。全然足りない。

――破壊するには、まだ全然、届かない。

「…やっべ。やり過ぎたぁ」
『ろ、ろーとタマ! あれ何レロ? 何レロ!?』

狼狽える声が聞こえた。
わたしはそれを認識する。
あれもAKUMAだろうか。ならば壊さなければ。

「黒の聖女《リリス》と白の聖女《エヴァ》の異なる属性を受け継いだ、《イヴの娘》が持つ力。
 再生と破壊の力だよ。…まさかそれが、イノセンスだとはねェ。僕も予想してなかったな」
『どーするんレロ~ッ!? なんか危ない感じがするレロ! ろーとタマ!!』
「うっさいなぁ、傘ぁ」

ああ、本当に。煩いAKUMAだ。
破壊しよう。跡形もなく。塵も残さずに。

「…ちょっと追い詰め過ぎちゃったか。ま、あんだけ好き勝手に暴走してるし、そのうち力尽きて倒れるだろぉ」

わたしの横を、「何か」が通過した。
そして、その「何か」は、別の「何か」を掴んで引っ込んでいく。
見覚えがあったような気がした。ああ、でも今はもう、どうでもいいか。




――意識が闇に、堕ちた。



File19 《破壊》の覚醒




「リナリー!」

取り戻したリナリーの手首を取って、脈を診る。
確かな、鼓動を感じた。

「生きてる…!」

自然、安堵の息が漏れる。
これでもう、リナリーは大丈夫だ。

「アレンくん、リナリーちゃんは…?」
「…大丈夫。この中にいれば…」

心配そうにそわそわしているミランダさんに、僕は頷いて見せる。
その目の前で、リナリーから時間が吸われていった。
虚ろだったリナリーの瞳に、本来の光が戻っていく。

「あれ…私…?」
「リナリー!」

ふとリナリーが、握り締めていた手を開いた。
瞬間、飛び出してきた何かが顔にぶつかってくる。
…ティムキャンピーだった。

「ティムキャンピー! 何でそんなトコから…っ」
「あ。アレンくんが倒れた時一緒に砕けちゃって、ずっと欠片を持ってたの。
 って、私どうしたの? ここ、どこ? あと、このカッコ、何??」

きょろきょろと辺りを見回すリナリーの手を、ミランダさんがきつく握り締めた。
安堵したのだろう。先程まで肩に入っていた力が、若干抜けているのが見て取れる。

「僕達、ミランダさんのイノセンスに助けられたんですよ」
「え? わ、私…? 私が…??」
「あなたが発動したこのイノセンスが、攻撃を受けた僕らの時間を吸い出してくれたんです。
 …ありがとう、ミランダさん!」

そう告げて、微笑んで見せる。
ミランダさんの表情から翳りが消えた。恐らくは彼女本来のものであろう、優しげな色に変わる。
ミランダさんの瞳から零れた涙に、同じ事を思ったのだろう。リナリーも穏やかに微笑んでいた。

「…リナリー。まだ、が捕まっているんです」
が…!?」
「拘束されていて、ヘタをするとが怪我をします。
 の治癒能力は自身には使えない…なんとか、傷つけないように取り戻さないと…!」
「…わかったわ。AKUMAを壊して、を無傷で救出しましょう!」

頷き、リナリーは椅子から立ち上がる。
その両足に装備されたイノセンスが、発動の光を発した。

「このヤロぉ、出てきやがれぇっ」

ドームの外で、AKUMAの声と気配がする。
瞬間、リナリーが地を蹴った。

「円舞『霧風』!!!」

竜巻のような風が発生し、ドームを貫いてAKUMAを吹き飛ばす。
そこから、僕達も外へ飛び出した。

「この風はさっき戦ったエクソシストのメスの…」
「ちくしょう、何も見えねェ!!」
「どこだ、エクソシスト!!」

リナリーの風で、彼らの視界は遮られているんだろう
苛立ちを隠すこともしない彼らの気配は、すぐにわかる。

音波系の能力を使うAKUMAの頭を、踏みつける。
そして銃器型の対アクマ武器の銃口を、突きつけた。

――ここだよ」
「!」

反応を返す暇は、与えない。
一気に砲弾して、その核を破壊する。

「へぇ~。エクソシストって面白いねェ」

上からそれを見物していたロードが、にやりと口角を持ち上げて嗤った。
追いついてきたリナリーと背中合わせに立ち、僕はロードを睨みつける。

「勝負だ、ロード!」
「…その前にぃ。そっちのを止めてあげた方が良いんじゃなぁい?」

ロードがそう言って嗤った瞬間、肌に刺さるような殺気を感じた。
僕とリナリーは同時に振り返り、そこに居た存在に目を瞠る。

「「!?」」

漆黒の翼をはためかせ、宙に浮く少女の姿。
細い腕から滴っているのは、血だろうか。
色を失った瞳が、無感情にAKUMAを見下ろしている。

信じられない程に冷たい、機械的な雰囲気を纏う少女。
――それは、だった。

!?」
「なに、あれ…! の対アクマ武器が…!」

の背にある羽根の形をしたイノセンスが、その細い両腕にまとわりついていた。
が無表情のまま、AKUMAに向かって腕を振る。
腕にまとわりつく羽根が、刃に姿を変えてAKUMAを襲った。

「目の前でさぁ。お前らが傷ついて、自分のせいだって思い込んじゃったみたぁい。
 可哀想だよねー。イノセンスの力に振り回されちゃってるもんねぇ?…あんなんで身体保つのかなぁ!?」

ロードの笑い声に、顔から血の気が引くのがわかった。
寄生型のエクソシストは、その感情でイノセンスを操る。
では、今のは、イノセンスを暴走させてしまっているのか。
――僕達の負った傷に、心を痛めて?

「アレンくん! ここは私に任せて。暫くなら保つわ!」

不意に、蒼白な顔色のまま、それでもリナリーは気丈に言い放った。
その瞳に浮かぶのは、決死の願い。

「お願い…を、助けてあげて…!」
――はいッ!」

頷いて、僕はのもとへ駆け出した。
リナリーなら大丈夫だ。AKUMAはのイノセンスから攻撃を受け、消耗している。
それは彼女にもわかっているはずだ。だから、僕に託した。

――この時の僕とリナリーの思いは、完全に同じだっただろう。
僕は、リナリーは、――あんなの姿を、見ていたくなかった。

ボロボロになった団服。
乱れた黒髪。
細い両腕は傷だらけで、今やその色は白と言うより赤だった。

焦点の合わない黒い瞳。
苦痛も悦楽もなにもない表情。
それはまるで、AKUMAを屠る為だけに動く、武器のようだ。

腕を振るい、羽根を刃に変えて撃ち出す。
今までが持たなかった、攻撃系の能力。

が闘う力を望んでいたのを、知っていた。
戦闘になった時、護ることしか出来ない自分を、無力だと嘆いていたのを知っていた。

――だけど、彼女が望んだ力は、こんなものではなかったはずだ。

――!」

ようやく、その腕を捕らえる。
細く華奢な腕。だけど今は、それすらも武器化している。
――血を、流しながら。

ッ!! お願いです、止まってください!」
――は、な、し、て、」

喋ることすらもどかしいのか、音になり切らない言葉が発せられた。
振り返ることすらしてくれない。
いつもこっちの居心地が悪くなるくらい、人の目を真っ直ぐに見て話すのに。

! これ以上は駄目です、怪我が!」
「……」
「アクマを壊す前に、の腕が壊れます!」
「…いいの」

応えた声は、酷く平坦だった。
何の感情もこもっていない、声。

「いいの。こわれていいの」
「な、」
「つぐなえるなら、うでくらいおしくないの。だから、いいの」

――何が、良いんだ。
償いってなんだ。が何をした。
普段は少しの怪我でも、大袈裟に騒ぐ――「腕くらい惜しくない」?

――ッ…バカなことを言うな! そんなの許さない!!」

怒鳴りつけても、反応がない。
我を忘れて、イノセンスを暴走させてるんだろう。
だったら、正気に戻せば――

「…ッ!」

腕を伸ばして、後頭部に手を差し入れる。
引き寄せても、虚ろな瞳は僕を映さない。
…こんなの、じゃない。
いつだっては口が悪くて、人をからかって楽しんでて。
だけど、逆にからかうと反応が素直で面白くて、――本当は傷付きやすい、女の子で。

「…。今から僕は、君に酷いことをします。だから、いつものように怒鳴ってください」

まだイノセンスを振るおうとしている腕を押さえ込んで、動きを封じる。
きっと、正気に戻ったら物凄く怒るんだろう。さすがに、今回ばかりは泣かれるかもしれない。
だけど、それでも良かった。壊れたの姿をこれ以上見たくない。

「…ごめん…ッ」

謝罪の言葉を呟いて、僕は強引にの顔を引き寄せる。
そのままやや強引に、唇を重ねた。
それは重ねるというよりは、噛み付くという表現の方が、所作としては正しかったかもしれない。
血の気を失ったの唇は冷たく、微かに血の味がした。

「……ッ」

の瞳が、微かに瞠られる。
強張っていた四肢から、僅かに力が抜けていった。

どのくらいそうしていただろう。
呼吸が辛くなってきたのか、微かにが呻く。
唇を離すと、の瞳がしっかりと僕を見た。いつものように、真っ直ぐに。

「…ア…レ、ン…?」
…!」

焦点が定まり、しっかりと目の前にいる僕を、の黒い瞳が捉えた。
しばらくぼんやりしていた彼女は、不意にハッと目を見開く。

「…って! 何、今の!? 何してんのあんた!?」

頬が紅潮してるのは、見間違いじゃないだろう。
上手く言葉が出てこないのか何度も口を空回りさせている様子に、安堵すると同時にこっちも恥ずかしくなってきた。

「…その…謝罪も弁解も後でします! はミランダさんのところへ行ってください!」
「いやちょっと待てよ!?」
「良いから言うこと聞け!!」
「……」

怒鳴りつけると、一瞬目を瞠った後、はこくりと頷いた。
ただ、釈然としない表情だったけれど。

「…、腕。痛いでしょう? 僕もリナリーも、を心配してるんです。わかってください」
「…げッ…なにこれ、すっごい痛い…ッ」
「今気付いたんですか! いいから、ミランダさんのところへ…わかりました、連れて行きますッ」
「え、今何がわかったの?!」

目を白黒させるの問いを無視して、僕は彼女を抱え上げた。
と問答をしてると、時間がいくらあっても足りない。今はそんな暇はないのに。

ひとりで戦うリナリーが心配だったのも、もちろんある。
だけど、酷い傷を負った痛々しいの両腕を、これ以上見ていたくなかった。


+++


「アレンくん! ちゃんッ…ああ、なんて酷い怪我を…!」

ミランダさんのイノセンスが作り出した、ドームの中。
連れて来られたわたしを見て、ミランダさんが駆け寄って来た。
そして、泣きながら抱き締められる。ああ、随分と心配を掛けてしまったようだ。

「ミランダさん、をお願いします!」
「え、そこはわたしにミランダさんの護衛を頼むところじゃないの?!」
「怪我を治してから言ってください、そういうことはッ」

ぐぅの音も出ない。
ふと視線を自身の腕に落とすと、時間が吸い上げられていくのを感じた。
これがミランダさんのイノセンス――実体験してみると、なんだか不思議な感覚だった。

「…アレン!」

再び外へ向かうアレンを、わたしは呼び止める。
アレンはすぐに振り返ってくれて、僅かに首を傾げた。

「行くから。…わたしも、すぐに行くから。…待ってて」
「…はい。でも、早く来ないと終わっちゃいますよ? 急いでくださいね」
「うん、そうだね」

応えて、わたしは笑う。
相変わらずの減らず口だけど、今はそれが嬉しかった。

――生きてる」

生きてる。
ミランダさんも、リナリーも、アレンも。そしてわたしも。
それが、どれだけの幸福なのか――

「…馬鹿ね、わたし」

器用になんて、生きられるわけもないくせに。
心が壊れるくらいなら、納得の出来ない行動になんて出なければ良いのに。

「……」

自分の手を、わたしは見下ろす。
護る手。癒しの手。そして、破壊する手。
わたしの役目は、《物語》を正常に導くことだと、思っていた。だけど。
――もう一度、考えてみよう。この手に与えられた力の意味を。


 




 

傷の消えたわたしは、そっとドームから飛び出した。
AKUMAは残り2体。それも、あのアイスファイヤを吐く巨体はボロボロだ。

『レロロ~…あいつら、何がどうしてピンピンしてるレロ~!?』
「…ミランダって奴、適合者だったんじゃん?
 どうやったかは知んないけど、あの女があいつらを元気にしちゃったみたいィ」

上空の方に、かぼちゃ傘…もとい、レロとロードが居る。
アレン達とAKUMAの戦闘を見物していたのだろう。

『え~!? それじゃキリが無いレロ!』
「うっさいなぁ。…でもこれじゃを連れて帰るの、難しくなっちゃったねェ」

そう言えば、と。
わたしはロードの言葉を思い出す。
――ロードはわたしを連れ帰ると言った。ノアの一族のもとに。

「…アレンくん。あの子、何? 劇場で…見かけた子よね? …アクマ?」
「…いえ、…人間です」
「……そう」

アレンの返した言葉に、リナリーは何を思ったんだろう。
返したリナリーの声は静かで、何かを本能的に悟ったかのように見えた。

「A・L・L・E・N」

空中に、ロードがそのスペルを描く。
どういう力なのか、それは空中でありながら文字として浮かび上がった。

「アレン=ウォーカー。「アクマの魂が見える奴」」
「!」
「実は僕、お前のこと千年公から聴いて、ちょっと知ってるんだぁ。
 あんた、アクマの魂救うためにエクソシストやってんでしょぉ? 大好きな親に呪われちゃったから」

ぐっと、アレンは唇を引き結んだ。
その変化に、ロードは満足そうに微笑う。

「だから僕、ちょっかい出すならお前って決めてたんだぁ」

どこか慈愛すら孕む、その表情。
ハッと、わたしは表情を強張らせる。
…しまった。迂闊だった。まだ、この《展開》が残っていた――

――やめて、ロード!!」
「あれ? なんだ、。正気に戻っちゃったんだぁ?
 …でも遅かったよ? もう止められないんだから――!」

飛び出してきたわたしに、ロードは口角を持ち上げて笑う。
そして彼女は、足元にいるAKUMAへ声を掛けた。

「おい、オマエ」
『ハイ』
「自爆しろ」

その言葉は、まやかしの空間に無情に響き渡った。

『エ?』
「!?」

目を瞠る面々の中、ロードはレロの上に座った。
傍観体勢だ。そして彼女は、ピッとレロに指を突きつける。

「傘ぁ。10秒前、カウントォ」
『じゅ、10レロ』

始まったカウントダウンに、わたしは顔から血の気が引いた。
わたしからすれば、AKUMAなんてどうでもいい。だけど。

『ちょっ? ロ…ロード様、そんなぁ…やっとここまで進化したのに…』
『6レロ』

AKUMAが弱弱しい声を上げる。
ロードは一切応えず、笑みすら浮かべていた。

『…っ! ロード様?』

無情なカウントが響き渡る。
アレンの顔色が、変わった。

「おい!? 一体何を…」
「イノセンスに破壊されずに壊れるアクマってさぁ…」

ロードの表情に、笑みが昇る。
蔑むような、それでいて無知なる者を慈しむような、矛盾を孕んだ表情。

「たとえば自爆とか? そういう場合、アクマの魂ってダークマターごと消滅するって知ってたぁ?」
「!!!」
「そしたら救済できないね――――!!」

アレンの顔から、表情が消えた。
わたしはレロを見る。カウントは、あと幾つだ。

『2レロ』
「やめろ!!」

怒鳴り、アレンが飛び出す。
今にも爆発する、AKUMAに向かって。対アクマ武器を構えながら。

「アレンッ!!」
「アレンくん、ダメ!! 間に合わないわ!!」

わたし達の声が届いていないのか、アレンは止まる気配もない。
きつく唇を噛んで、リナリーがアレンを追いかけて飛び出す。

『1レロ』

無情に刻まれたカウントダウン。
最後の一音が、AKUMAの巨体を切り裂いていく。

『ウギャアアアアアアアアアアッ!』

断末魔の悲鳴を上げて、AKUMAは自爆した。
その爆発が起こる直前に、リナリーがアレンを連れてエンゲージを離脱する。

「キャハハハハハ!!」

ロードの笑い声が、酷く耳障りに感じる。
震える拳を、わたしは握り締めた。
消滅するAKUMAの魂が、どんな風にアレンの目に見えたのか。
――そんなこと、わたしにだってわからない。でも。

その左目の傷から、鮮血が滴る。
それが何を意味しているのかはわからない。
だけどアレンは、AKUMAが憎くて破壊しているんじゃない。
――救いたいと、願うから。なのに。…それなのに、こんな。

「…ああっ…」
「!? アレンくん…」
「くっそ…何で止めた!!!」

左目の傷から滴る血を拭い、アレンはキッとリナリーを睨む。
その表情にあるのは、ぶつける場所を見失った怒りだ。
その怒りに、応えたのはリナリーの平手だった。

「仲間だからに、決まってるでしょ…!!」

殴った方の手だって、殴られた方の頬と同じ――それ以上に、痛いんだ。
目に涙を溜めたリナリーを見て、また何も出来なかった自分に、わたしは無力感を抱く。

「スゴイスゴイ。爆発に飛び込もうとすんなんて、アンタ予想以上の反応!」
「お前…ッ」

アレンの表情が険しさを増した。
禍々しいほどの殺気に、わたしは思わず息を呑む。

「でもいいのかなぁ? あっちの女の方は」

ロードが、ミランダさんの居るドームを指差す。
――ドームに迫る、あの風の刃を持つAKUMAの姿が、あった。

「いかせるか!!」

アレンが、銃器型のイノセンスを構えた。
弾丸が打ち出される。だけど、僅かに進路を阻むくらいしか効果はない。

。私が行くわ!」
「お願い、リナリーッ」

わたしが行くよりも、リナリーが行く方が早いだろう。
アレンの撃ち出した砲弾を迎え撃つAKUMAの背後に、一瞬でリナリーは回り込む。
煌く光を発するイノセンス――《黒い靴》が、AKUMAの体を引き裂いた。

それを見て、わたしとアレンは安堵する。
ミランダさんは大丈夫だ。リナリーに任せておけば問題ない。

「壊られちゃったか! 今回はここまででいいやぁ。まぁ、思った以上に楽しかったよ。じゃねェ」

軽い調子で言うと、ロードはわたし達に背を向ける。
その後頭部に、アレンはガチッと銃口を突きつけた。

「優しいなぁ、アレンは。僕のこと憎いんだね。…撃ちなよ。アレンのその手も、兵器なんだからさぁ」

傷を抉るような言葉を、ロードは笑みすら浮かべて吐き出す。
怒りの形相のまま、アレンの左目から涙が一筋、零れた。

「でもアクマが消えて、エクソシストが泣いちゃダメっしょー。
 そんなんじゃ、いつか孤立しちゃうよぉ?」

平然とした様子で、ロードは扉に向かって歩き出す。
まるで、アレンが撃たないことを知っているかのように。

はしばらく預けておいてあげる。大事に大事にしてねぇ?
 また遊ぼぉ、アレン。――今度は、千年公のシナリオの中でね」

いっそ穏やかにも聞こえる声音でそう告げて、ロードは扉をくぐる。
その姿が完全に消えた瞬間、扉は消失した。

「…くそ…ッ」

吐き捨てるように呟いて、アレンは武器を下ろした。
震える拳がきつく握り締められ、色を失っている。

「…アレン…」
「…はい」

そっと声を掛ける。
返事は返ってきたけれど、振り向いてはくれない。
だからわたしは、後ろから腕を伸ばした。
力は込めない。ただ、精一杯の優しさで、わたしはアレンを抱き締める。

「…なんで抱きつくんですか」
「抱き締めてんのよ」
「…どうして、ですか」

アレンが泣いてるからだよ、と。
わたしは声には出さずに思ってから、別の言葉を口にする。

「…さぁ、どうしてかな…」
「なんですか、それ…」

いつもの憎まれ口に、力が無い。
…ごめんね、と。わたしは心の中で謝罪する。
間に合わなかった。だけど、間に合っていたところで、きっとわたしは動かなかった。

卑怯でごめん。
だけどわたしは、生きていることが嬉しい。
…例えこの後、あの傷を再び負うことになっても。

その時間は、ほんの数秒のことだったのかもしれない。
だけど酷く長く感じたそれに、終わりがやってくる。

空間が振動を始めた。
床が、壁が、徐々に崩壊していく。

「!! 何だ!?」
「…空間が、崩れてく…」

ロードが作り出したまやかしの空間。
彼女の支配が断ち切られて、元に戻ろうとしているのだ。

――ああ、終わるな。と。

崩れていく空間の中にいながら、わたしは心底安堵していた。





+++


「あれ?」

気がつくと、そこはあの異空間ではなかった。
わたしは終わったことに少しだけ安堵して、小さく息を吐く。
だけど、事態が飲み込めないアレンは目を白黒させていた。

「ここは…? ミランダさんのアパート…どうして…。
 さっきまでいた場所は、どこだったんだ…?」
――あれは、ロードの能力よ」

ぽつりと、わたしは呟く。
不思議そうにわたしを見て、アレンが首を傾げた。

?」
「ロードは多分、あらゆる空間を操れる。
 異空間を創り出したり、別の空間に干渉したりする力…」
「じゃあ…」
「さっきまでの場所は、このアパートの空間を反転させていたんだと、思う」

スッと、わたしは壁に書かれた文字を指差した。
そこには明らかに、ロードかその配下のAKUMAが書いたであろう、文字がある。

「アレンくん!
 ミランダの様子がおかしいの!」

聞こえてきたのは、リナリーの声。
焦ったようなその響きに、わたし達は慌てて隣の部屋へ移動する。

「ミランダさん…!?」

そこには、憔悴し切ったミランダさんと、彼女を支えるリナリーがいた。
ミランダさんの顔色は蒼白で、呼吸は酷く荒い。
彼女の背後にある時計の盤も、まるで狂ったように針を回し続けていた。

「発動を停めて! これ以上はあなたの体力が限界だ」
「…ダメよ…停めようとしたら…」

ミランダさんが呟いた瞬間、時計の盤の形を取った『時間』が、わたし達に寄って来る。
それを押し止めるように、ミランダさんは歯を食いしばった。

「吸出した時間も、もとに戻るみたいなの。また…あの傷を負ってしまうわ…」

わたし達は、顔を見合わせた。
そして再び、衰弱し切ったミランダさんへと視線を戻す。

「いやよぉ…初めて、ありがとう、って言ってもらえたのに…これじゃ意味ないじゃない…」

悲痛な声を上げながら、ミランダさんは俯いた。
床に落ちた涙の雫が、木目に染み込んで消えていく。

――発動を停めて」

そう告げて、アレンは俯くミランダさんの両肩を掴んだ。
ハッと、ミランダさんが顔を上げる。

「停めましょう、ミランダさん。あなたがいたから、今、僕らはここに居られる。それだけで充分ですよ」

その言葉に、リナリーも、そしてわたしも、穏やかに微笑んだ。
あの傷が一瞬で消えてしまうことの方が、本来はおかしいんだ。
どうしてそれ以上を、望む必要があるだろう。

「自分の傷は自分で負います。生きてれば傷は癒えるんですし」
「そうよ、ミランダ。お願い、停めて…」

穏やかなふたりの言葉に、ミランダさんの瞳からは、止め処なく涙が零れる。
握り締められたその手を取って、わたしは、安心させるように微笑んだ。

「…大丈夫だよ、ミランダさん。わたしさ…万能じゃないけど、傷を治すことが出来るんだよね」
「え…」
「全部の傷は治せない。だけど、大丈夫。ミランダさんのおかげで繋がった命だもの、今度は私が繋げてみせるよ」

わたしの言葉を最後に受け止めて、ミランダさんは発動を停止した。
傷が戻ってくる。痛みが、そしてその傷を負った際に生まれた感情が。
痛い、と思ったけれど。
――それが今、生きていることを自覚させてくれた。







12時の鐘の音が、響いた。
この日、街の時間は戻り、延々と繰り返された10月9日は終わる。

ミランダさんは、ここには居ない。
医者を呼びに、飛び出して行ったのだ。

よろりと、わたしは身を起こす。
腕は痛い。こんな怪我、普通に生活していたら絶対負わないものだ。
だけど、でも。決してわたしは、この《世界》を嫌だとは思わない。

腕を伸ばす。
リナリーの受けたダメージは神経の方だ、わたしには治せない。
ならせめて、アレンの傷だけでも治さないと。

気を失っているふたりの顔色は蒼白。
だけど生きている。確かに呼吸している。だから。

「…助ける、から。わたしが…」

失血で震える指が、小さな黒曜石の盾を作り出す。
ああ、多分、わたしも途中で気を失うだろう。この怪我でイノセンスを発動し続けるのは無理だ。

生み出した盾を、アレンの負った傷に触れさせる。
治りが少し、遅い。わたしの方が万全じゃないからだろう。

必死に腕を動かして、傷を塞いでいく。
だけど、やっぱり、すべてを治すのは無理だった。

急に腕が動かなくなって、わたしは倒れ込む。
怪我なんてしてないはずの脚まで、まともに力が入らない。

「…まだ、終わってない、のに…」

呟いて、わたしは無意識に目を閉じる。



――遠くでミランダさんの声と、複数の足音が、聞こえた。






生きていれば、傷は癒える。傷痕は残るけれど。



To be continued?

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