――人の気配がする。
よく知っている気配だ。

うっすらと、わたしは目を開ける。
…眩しい。

――ん。起きた?」
「うん…」

懐かしい声だな、と。
頷いてから、気付いて。それが誰なのかを、ようやく認識する。

「…ラビ?」
「おう」
「…おかえり…」
「ただいま、

そう応えて、ラビは笑った。
そしてわたしは、ラビがずっとわたしの手を握っていたことに気付く。

「…アレンと、リナリー、は?」
「…まだ意識が戻ってないって。おまえが最初さ。
 でもふたりとも、命に別状はない。心配要らないってさ」
「そっか…」

それを聞いて、ようやく張りつめていた気が緩んだ。
沸き上がってくる嗚咽の気配に、わたしは唇を噛む。

「…頑張ったなぁ、
「うん…」
「痛かっただろ?」
「…うん…」
「もう大丈夫だかんな?」
「…うん…ッ」

握り締められている手が、暖かい。
掛けられる声が暖かい。
――生きてる。わたしは、ここで、まだ存在してる。

「…ごめ…ラビ…ッ」
「うん。大丈夫。好きなだけ泣いとけ」

手を握っているのとは逆の手で、ラビはわたしの瞼を覆った。
涙は見ないから、とでも言う気か。こいつやっぱ行動と言動がクサいんだよ。

「気ィ張ってたんだろ? はお姉さんだもんな」
「…そんなんじゃ、ない、けどッ…い、痛くて!」
は自分が痛いくらいじゃ泣かないさ」

言い切るってどうよ。
わたしだって人間ですよ、痛かったら泣くよ。

そんな憎まれ口がいつもなら出てくるのに、今日に限って声にならない。
きっと怪我の治療に、何か変な薬使ったんだよ。だってコムイさんが来てるはずだもん。
その副作用で精神が安定しないんだ。そうだ、そうに違いない。

「傍に居てやれなくてごめんな」
「…なにそれ、恋人みたいな台詞だね」
「あれ? ときめかない??」
「…あははッ」

ラビなりの冗談だと、すぐにわかる。
だけどそれがどんなに、今のわたしを安堵させたか。きっと、彼はずっと知らないままだろう。
――帰ってきた。わたしは、あの闇の淵から。

「…ラビ。わたし、生きてるね」
「ああ」

抽象的な一言に、それでもラビはわたしの言いたいことを正確に理解してくれたのだろう。
わたしの手を握るラビの手に、僅かに力がこもる。





――おかえり、



File20 原罪のレクイエム




「入るよ、ちゃん――って。何してんの、ラビ」

先ほど目が覚めたと聞いて、の病室にコムイが足を踏み入れる。
そこには、ラビの腕にしがみつくようにして眠っている、の姿があった。

「何って。見たまんまさ」
「…まさかちゃんが弱っているのを良いことに、いかがわしいことを!」
「待って。俺がそういう男に見るんか。小一時間ほど問い詰めたいんだけどどうだよコムイ」

ラビは相変わらず笑顔だったが、その口元は引きつっていた。
いくら冗談でも、コムイのそれは笑い飛ばすには不名誉過ぎる。

「こんな正体無く眠ってる奴相手に、何かする気なんて起きねぇさ!」
「えーーほんとーにぃ…?」
「なにその疑いの眼差し。ムカつくんだけど」
「だってラビ、ちゃんのこと好きでしょ?」
「……」

いきなり言われた一言に、ラビは一瞬、酷く無防備な表情になった。
一瞬、彼は自分の腕を掴むを見る。
その次に顔を上げたときには、普段と変わらない笑みだった。

「…コムイー。それ、前にユウにも言って斬られ掛けたの覚えてるさ?」
「いやぁ、あの時は本気で死ぬかと思ったねぇ」

その時のことを思い出したのか、遠い目をするコムイ。
そんな比較的平和な日常も、今では半年以上前か。何か感慨深いものを感じるラビだった。

「ユウはどうか知んねーけど…オレはのこと、もちろん好きさ。
 でも別に女としてとか、そういうのじゃない」

まるで自分に言い聞かせるかのような、その言葉。
コムイは口を閉ざし、どこかその表情は哀しげな微笑を湛えている。

「オレの好みは大人の女性よ、大人の女性。一応は年上だけど、ちょっとねー」
「少なくとも君らの中じゃあ一番大人だよー、ちゃんは」
「…嘘つけー」
「ホントホント」

笑い混じりにコムイが応えると、ラビは複雑そうな表情をする。
まるでコムイの言葉を、認めたくないかのような。

はノリが良くてバカで、ちょっと不器用で泣き虫な女の子さ」
「そうだね。それも、ちゃんの一面だよね」
「…なんかヤケに突っかかるさ? 何が言いたいんだ?」
「いやいや、別に? 若いって良いね!」

それはもう、輝かんばかりに生き生きしながら、コムイはそう言ってグッと親指を立てた。
他人の恋愛事は、最上の娯楽と言う。類に洩れず、コムイもそのひとりのようだ。

「まぁ、それは置いておいて…そろそろアレンくんの対アクマ武器を修理したいんだけどね」
「あー、傷も良い具合に塞がってきてるって言ってたもんな」
「で。ラビに門番代わりをしてもらおうと思って」
「…見張りかよ…」

確かに、あの修理と言う名の治療は、一般人の目には暴挙だ。
――仕方ないか。例の新入りにも興味あるしな。
そう思って立ち上がろうとしたラビだったが、腕を掴まれて動けないことに気付く。

「…それは良いんだけど、が離してくれねぇんさ」
「なにそれ、ノロケ? 神田くんが怒るよ多分」
「ノロケじゃないし! …っていうか、やっぱユウってのこと好きなんかな?」
「少なくとも僕の優秀な観察眼はそう見てるね!」

だから、なんでそんな生き生きしてるんだ。
ラビはよっぽど突っ込んでやろうかと思ったが、キリがないのでやめておく。

「あとはアレンくんも結構怪しいかなぁ…」
「え。マジで」
「最初はすっっっごく、仲悪くてね?」
「あー、それ、ユウに聞いた。一緒にしとくと喧嘩しかしないって」
「そうそう。寄ると触ると喧嘩三昧。普段は物静かなアレンくんも、別人のようでねー。
 ちゃんが攻撃系のイノセンスじゃなくて良かったよ、じゃなかったら本部壊滅してたかも」

コムリンなどという奇怪なロボットを作り、教団を壊滅しかけた奴が何を言う。
とはいえ、コムイの言い分にも納得してしまうラビだった。
…なにせ、半年ほど前までは、と神田の壮絶な喧嘩をしょっちゅう見てきた彼である。

「でも、お互いをものすごく正確に捉えてる」
「……」

その言葉に、ラビはムッと顔をしかめる。
それはまったくの無意識であり、何かを意図した変化ではなかった。

不意に、ラビの腕にしがみついていたが、動く。
その気配に、ハッとラビは我に返った。

「…ん…」
「あ。悪ィ、。起こしちゃったか?」
「うんー…」

まだ完治にはほど遠い腕で、は自分の目を眠たげに擦る。
その際に傷が痛んだのか、ムッと顔をしかめた。まるで仕草が子供だ。

「ごめんね、ちゃん。ちょっとラビを借りて行くよ」
「ほぇ? あー…コムイさーん…ん? ラビ、なにやってんのあんた…」
「おまえな…」

オレの腕を掴んで離さなかったのはおまえだろ、と。
呆れたように言って、ラビはまだ寝ぼけているの頭を撫でる。

「しっかり寝てろよ、怪我人。
 ゆっくり休んでいられんのは…多分、今だけだから」


+++


それから数日後。
さすがに完治とはいかないまでにも、わたしは普通に動けるようになっていた。
もともとわたしの怪我は、荊の拘束を無理に抜け出したせいと、イノセンスの第二解放の余波だ。
アレンとリナリーの怪我に比べれば、さほどの重症ではない。

「え? アレン、また寝ちゃったの?」

覗き込むと、確かにアレンは眠っていた。
こんなに無防備に寝てる姿を見るのは初めてだ。そもそも、わたしがアレンより先に起きた試しはない。

「多分、左手の修理の時に使った薬の副作用さ。
 しばらくすれば起きると思うけど。ほれ、見ての通りさ」
「うわー、熟睡してるアレン見るの初めてー。いつもわたしより先に起きてるから」

寝顔はやっぱりあどけないなー、と。
包帯だらけで痛々しい姿ながら、年相応の可愛らしい寝顔に思わず頬が弛む。
そんなわたしの肩を、ラビががしっと掴んだ。

「…ちゃんや。今の発言はお兄ちゃん聞き捨てなりません」
「誰がお兄ちゃんですか、18歳。なんだよ、早寝早起きしろってか」
「そうでなくて。まるでいつも一緒に寝てるみたいじゃんソレ」
「いつもじゃないよ、任務の時だけ」
「なに当然みたいな言い方してるんさ、おまえは!! あー、ユウの気苦労が目に浮かぶさ…」
「なんでそこで神田の名前が出てくるのよ」

頭を抱えて唸るラビに、わたしはため息を吐いた。
そう言えば、これから始まる任務はかなりの長丁場。
神田に会うのは相当先になるはずだ。後で無線ゴーレムで連絡してみようか。

「君達ねー。重傷の怪我人を前にしてなんて会話してんのー」
「大丈夫ですよ、起きないし」
「キスでもしたらビックリして起きるんじゃね? 、やってみれば?」
「キ…ッ?!」

冗談めかしたラビの言葉に、わたしは言葉を失って絶句した。
…思い出した。思い出してしまった。思い出さないようにしてたのに。
そう言えば、わたし。あの時、アレンと――

「~~~ッ!!」

思わず、わたしは自分の口元を手で覆う。
やばい。顔が熱い。絶対、真っ赤になってる。

「…ええと。? 顔が茹でタコのようなんですけど…?」
「ッ…ご、ごめん! わたし、リ、リナ、リナリーの様子見てくる!!」

明らかに挙動不審だろ、わたし。
だけどわたしは、上手く取り繕えるほど器用な性格でもなかった。

慌てて病室を飛び出して、後ろ手にドアを閉める。
自分の鼓動が酷くうるさい。

「…あれは何かあったね、絶対」
「……なんでそんな楽しそうなんさ、コムイ……」
「いやいや! 若いって良いなぁ!」

そんな会話を背に、わたしは乱暴な足取りで病院の廊下を歩く。
リナリーの病室ってどこだっけ? ああ、もう、頭が混乱してきた!

嬢。何をしているのかな、斯様なところで」
「え? あ、ブックマン」

声を掛けられて振り返れば、そこには小柄な老人がいた。
ブックマン。世界の裏歴史を記録する者。ラビのお師匠様。
ラビは祖父でもある、と言ったけれどわたしは疑っている。
祖父と孫がイノセンスの適合者、なんて出来過ぎだ。

「リナ嬢の見舞いか」
「あ、はい。そんなところです。でも道に迷いました」
「…ふむ。ついて参れ。私もこれから治療に向かうところだ」

促され、わたしは頷いてその後に続く。
後ろをついていくと、ブックマンはわたしの方に顔を向けた。

「腕の調子は如何かな」
「もう大分良いですよ。ほとんど痛くないですし」
「しかし、痕は残るかもしれん。…女子が無理をする」
「……」

言われた言葉に、わたしは笑う。
女のエクソシストはわたしだけじゃない。
探索部隊にも、数は少ないながら女性もいる。
――今更だ、そんなこと。

「わたしは、エクソシストですから」
「……そうだな」

そこで会話は、一旦途切れる。
ちょうど、リナリーの病室に着いたようだ。

「……」
「どうした、入らぬのか」
「いや、でも、治療の邪魔では」
嬢の腕も看るつもりだ。構わん」

そう言って、ブックマンはリナリーの病室に入って行った。
少し迷ってから、わたしはその後に続く。


+++


「……」

ゆっくりと、目を開けた。
この数日で見慣れた、病室の白い天井。
そして、鼻孔を衝く消毒液の臭い。

「起きたかい、アレンくん」
「…コムイさん」

まだ、頭は覚醒しきっていない。
だから多分、呟いた言葉は、何かを意図したものじゃなかったはずだ。

「…さっき、がここにいませんでした…?」
「……」

一瞬、きょとんと目を瞠ってから、コムイさんは声を上げて笑い出した。
その笑い声に、ハッと我に返る。今、僕は何を言った?

「な、なんで笑うんですかッ?!」
「い、いやいや…ちゃんなら、リナリーの様子を看に行ったよ」
「…そう、ですか」

そう言えば、とは1週間近く会ってない。
毎日のように顔を合わせていたから、違和感を覚えて当然なのかもしれない。

「そっかそっか、ちゃんとはもう1週間会ってないもんねぇ」
「…あの、コムイさん。なんでそんな楽しそうなんですか」
「うんうん、若いって良いね!」
「僕の話聞いてください」

…頭が痛い。
楽しそうに笑うコムイさんにため息を吐いてから、僕は身を起こした。
まだ若干、気怠さは残っているけど、日常生活には支障なさそうだ。

「…コムイさん。あの、伝えなきゃいけないことがあるんです」
「うん?」
のことなんですけど…」

口にした瞬間、コムイさんの表情が引き締まる。
真剣な視線を受け止めて、僕は小さく頷き、口を開いた。

「ロード…ノアの少女が、を連れて帰ると言っていました。まさか、」
「…ちゃんの能力が、既に伯爵の目に留まっていたのか…」

眉間に皺を寄せ、コムイさんは考え込む。
コムイさんの様子から見ると、はまだ、このことを伝えていないようだ。

は、そのことは…?」
「何も。…もしかしたら、ちゃん自身には、他にも心当たりがあるのかもしれない」
「…が…ノア、だとでも…?」

僕の声は、思った以上に低くなった。
多分、表情もそれに見合った険の含まれたものになっているんだろう。
コムイさんが、苦笑した。

「いや、その可能性は限りなくゼロに近いだろうね。
 ちゃんはイノセンスに選ばれた使徒。そのイノセンスもヘブラスカが護っていたものだ」

だから細工のしようもないし、がエクソシストである事実も変わらない。
そう言われて、心底安堵した。どうしてかは、自分でもよくわからない。

「そもそも、ちゃんが人を騙せるような子に見える?」
「…見えません」
「最初から疑ってないよね、アレンくんは」
「…はい」
「ボクが疑ってる、って言ったらどうするつもりだったの?」
「殴ろうと思ってました」
「うわー、目が本気だー。
 なんだかんだで仲良いよねぇ、アレンくんとちゃん」
「…そんなことないです」
「またまた」
「本当に」

応えて、憂鬱な気分になった。
…ああ、口に出すと気が滅入る。

「…僕は多分、に嫌われてますから」

嫌われているかどうかは、本当はよくわからない。
ただ、好かれてはいないだろうな、と思う。
よくよく考えれば、本当に純粋な笑顔を、は一度も僕には向けていない。

は結局、誰に対しても優しいから、明確な意志を出さないだけで。
いつだって感じてる。彼女から発せられる、僅かな拒絶の空気を。



――思えば、漠然と感じ取っては、いた。
は落ち着きもなくて口も悪いし馬鹿だし、何を考えてるかもよくわからない。
言動も行動も直情的で、居心地が悪くなるほど真っ直ぐに人の目を見て話す。

だけど、違和感は最初からあったのだ。
世界に溶け込まない存在であるかのように、時々、異質な空気を纏っていて。

彼女はアクマじゃない。ノアじゃない。イノセンスに選ばれたエクソシスト。
だけど、多分それだけじゃない。本能的な何かがそれを告げている。





彼女は、いったい、『何だ』?






意識するほどに、開く距離。



To be continued?

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