わたしはごく平凡な普通の人間だから、痛いのも苦しいのも嫌だ。
誰かの為に体を張るなんて冗談じゃない。
例えば、そう――漫画やアニメでよく見る、刀傷とか。肩を槍で貫かれるとか。
そんなもの、漫画の主人公でもなければ、声も上げずに耐えるとか出来るわけない。
わたしだったら、そうだな…悲鳴を上げて転げ回るのが関の山か。
せめて気絶しちゃいたいね、そんな目に遭ったらさ。
それでも、誰かの為に何かがしたいと思った。
守られて、助けられて嬉しかったから。それを返したいと思った。
でも…誰かの為、なんて奇麗事だ。わたしはそれを崇高な正義なんて認めない。
それは結局、「誰かの為に何かをする自分」の為の行動なんだから。
だけど、この世界に来て思う。
ここではそういう行動を取る奴が身近にたくさんいて、わたしもそのひとりに括られている。
冗談でしょう? わたしに何が出来るっていうの。
わたしに出来ることなんて何もないじゃない?
《傍観者》のわたしに何が出来るの。
みんなが傷付くのを知って、むしろ怪我をするようにし向けるようなわたしに、何が。
血臭を感じる度に、気が狂いそうになる。
傷付いた彼らを見る度に、胸が切り裂かれそうな痛みを訴える。
ごめんなさい、と。謝れたらどれだけ気が楽になるだろう。
――早く、帰りたい。
ララの、長い、長い話が終わった。
グゾルと出逢い、心を得た彼女の《物語》。
500年の活動時間の中、それは彼女にとって最も尊い80年だっただろう。
「あの日から80年…グゾルはずっと私といてくれた。
グゾルはね、もうすぐ動かなくなるの…心臓の音がどんどん小さくなってるもの」
グゾルに寄り添いながら語るララの声には、悲痛な響きが孕まれていて。
聞いているわたしの方が、心が痛くなっていく。
「――最後まで一緒にいさせて」
硝子玉のような彼女の瞳が、真っ直ぐにわたし達を見ていた。
自身の胸元――恐らく核であるイノセンスのある場所に手を当てながら、必死な眼差しで。
「グゾルが死んだら、私はもうどうだっていい。
この500年で人形の私を受け入れてくれたのは、グゾルだけだった。
最後まで、人形として動かさせて! お願い…」
アレンの表情が、困惑に歪む。
迷っているのが見てとれた。
…彼の結論は知ってる。この子は優し過ぎるから。
「――ダメだ」
「!」
不意に、低い声が響いた。
アレンが弾かれたように振り返る。
わたしは、何も言わずにふたりのやり取りを見つめた。
――『知っている』と言うのは、どこかもどかしいな。止められないから。
「その老人が死ぬまで待てだと…? この状況でそんな願いは聞いてられない…ッ」
見ていたくないな、と思った。
だけど、わたしは目を逸らすわけにはいかないんだ。《傍観者》として。
「俺達はイノセンスを守るためにここに来たんだ!!
今すぐその人形の心臓を取れ!!」
「!?」
アレンの表情が、固まった。
当然の反応だろう。ララに感情がある以上、その行為は殺人にも等しいのだ。
だけどそれは、神田も理解していること。…顔を見ていればわかる。
「俺達は何の為にここに来た!?」
わたしはただ、口を噤むしかなかった。
感情は、ふたりを助けたいと思う。だけどそれが、偽善でないと言い切れるか?
答えは否だ。この《物語》の《結末》を知るわたしに、何が言える。
「と…取れません」
絞り出すように、血を吐くように重く、アレンが呟いた。
その声は、静寂を保つこの砂の空間で、確かな意思として響く。
「ごめん、僕は取りたくない」
その口調は、否定ではなく拒絶だった。
それがわかったのだろう、神田は射殺しそうな程鋭い視線をアレンに向けた。
そして、自分の頭の下に敷かれていたアレンの団服を掴み、力一杯投げつける。
「その団服は怪我人の枕にするもんじゃねぇんだよ…!!
エクソシストが着るものだ!!」
「……」
投げつけられた団服を握り締め、アレンは唇を噛む。
その横を、団服を羽織った神田がゆっくりと横切った。
「犠牲があるから救いがあんだよ、新人」
その言葉は、とても、重い。
わたしに何が言えるだろう。
どちらの言い分もわかると、そう言えるのだろうか。
「お願い、奪わないで…」
「やめてくれ…」
突きつけられた六幻の刃に、ララとグゾルは互いに身を寄せ合う。
わたしは視線を逸らしたかった。だけど、そんなことは許されない。
――これは《傍観者》の義務だ。
「――じゃあ、僕がなりますよ」
硬く呟き、団服を纏ったアレンが、六幻の前に進み出た。
じっと真正面から神田を見据え、言い切る口調に迷いはない。
「僕がこのふたりの「犠牲」になれば良いですか?」
犠牲、と言う言葉に、胸を抉られるような感覚を覚えた。
真っ直ぐなアレンの感情は、今のわたしにはキツい。
「ふたりはただ、自分達の望む最期を迎えたがってるだけなんです。
それまでこの人形からイノセンスは取りません!
僕が…アクマを破壊すれば問題ないでしょう!?」
直情的だと、思う。
だけど多分、アレンは自分自身のことではここまで感情に流されない。
だからこそ、胸が痛いのだ。彼の持つ感情は、見ていて苦しい。
「犠牲ばかりで勝つ戦争なんて…虚しいだけですよ!!」
言った瞬間、神田が動いた。
思いっきり力を込めて、アレンを殴りつける。
アレンの小柄な体はバランスを崩して倒れ、血を多く失っている神田はその場に崩れ落ちた。
「神田殿!!」
駆け寄ろうとするトマを、わたしは手で制する。
わたしだって見ていたくないさ。早く、ふたりの怪我を治してやりたい。
だけど、だけど、これも《改変》を防ぐ為――。
「…とんだ甘さだな、おい…可哀想なら、他人の為に自分を切売りするってか…?」
膝を着きながら、それでも神田の声はしっかりと重い響きを持つ。
その言葉は、まるで叱りつけているようだな…と、わたしは思っていた。
「テメェに大事なものは無いのかよ!!!」
空気が、震えた。
誰も喋らない沈黙の中、ぽつりとアレンが呟く。
「…大事なものは…昔、失くした」
頬に掛かる髪で、表情はよく見えない。
ただ、そう呟く声音に混じるのは、自嘲の響きだ。
「可哀想とか、そんな綺麗な理由…あんま持ってないよ。
自分がただ、そういうトコ見たくないだけ。…それだけだ」
じくりと、胸が痛む。
大事なものを持たない、と。
そう言外に告げられたその言葉が、胸を抉る。
「僕はちっぽけな人間だから…大きい世界より、目の前のものに心が向く。
切り捨てられません。守れるなら守りたい!」
その瞬間だった。
――グゾルとララを、AKUMAの腕が貫いたのは。
+++
――ああ、これが、本気の殺気というものか。
目の前の戦いを前に、わたしはぼんやりとそう思っていた。
アレンの対アクマ武器は変化し、それを扱うアレンの表情も、大きく変化していた。
一見すれば、相手を滅することに悦びを見出しているようにさえ見える。
なんて禍々しい、殺気。
肌を刺すようなそれに、わたしは思う。
――この時から既に、彼は『特別』だったのだ、と。
徐々に追いつめられていくAKUMA。
この《結末》を知るわたしは、奴の行動に目を瞠った。
――待って。どうして?
『くぅぅッ…エクソシストめ、調子に乗ってぇぇぇぇっ』
違う。待って。どうして。
わたしは、顔から血の気が引いていくのを感じた。
だって、
――AKUMAが、瀕死の傷を負って倒れているグゾルに、向かっていったのだから。
『この死にかけでも盾くらいにはなるかな~?』
「なッ…!?」
AKUMAの言葉に、わたし達は目を瞠った。
それは、つまり、グゾルとララを盾にするってことか!?
嘘、なんで!?
イノセンスを奪い取った後は、あのAKUMAはララにもグゾルにも興味はないはず。
あのAKUMAが狙うのは、エクソシストであるアレンだ。なのに、どうして!
「くッ…《黒曜》!!」
足場の砂を蹴って、わたしは低空をスピードを加速させながら飛行する。
目標地点までは大した距離じゃない。だけど、間に合うか…!?
「つ…ッ」
滑り込むように、わたしはAKUMAの前に躍り出る。
よし、間に合う。この距離なら。
「…ッ…護れ! 《天蓋黒盾》!!」
わたしは倒れ伏すグゾルとララの前に立ち、両腕を前に突き出した。
背の羽根が腕を伝って掌に集結し、漆黒の盾の形を成す。
AKUMAの槍のような腕が、わたしの盾に弾かれた。
「!」
「わたしは大丈夫だからそっちに集中してッ」
アレンの焦ったような声に、わたしは怒鳴り返す。
もう時間がない。そろそろ、アレンのイノセンスがリバウンドを起こす。
そのタイミングまでずれたら…それこそ、取り返しが付かない。
「…ふたりを頼みます、!」
「任せとけッ」
返してから、わたしは焦っていた。混乱していると言って良い。
どうして。どうして。どうして!
どうして《物語》が変わった!? わたしは何もしてない!
わたしというイレギュラーな存在がいるだけで、細部が変わるのか?
なら、わたしがアレン達の怪我を放置したのは何の為!?
「…わたしが…《物語》に、取り込まれてる…?」
自分で呟いた言葉に、愕然とする。
ぞっと、背筋に冷たいものがはしった。
ここは《物語》の世界だ。そしてわたしは《傍観者》だ。
わたしは《観客》。《舞台》の上には上がらない。上がらない、はずだった。
――いや、違う。そんなことがあって堪るか。
わたしは《傍観者》。
だってわたしは《物語》を『知って』いる者。
「ッ!」
視界の隅で、アレンが膝を着いたのが見えた。
リバウンドだ。イノセンスの発動が強制的に解かれて、元に戻ってしまっている。
呼吸が浅い。
心音がこっちにまで伝わって来そうだ。
猛攻が止んだのを好機と見たのか、AKUMAがアレンを狙う。
だけど、大丈夫。…ここで助けは入るのだから。
キィンッ、と。金属がぶつかり合うような音が響く。
《物語》の通りだ。神田が、六幻を片手にアレンとAKUMAの間に滑り込んだ。
「!? 神田!」
「ちっ」
じわりと、神田の胸の傷から血が滲む。
大きな傷だ。激しく動けば、止まっていた血もすぐに滲み出てしまう。
「この根性なしが…こんな土壇場でヘバってんじゃねェよ!!
あのふたりを守るとかほざいたのはテメェだろ!!」
ギッ、と神田がアレンを睨み付ける。
目を白黒させるアレンに、神田はAKUMAの腕を六幻で押し止めながら、言い放った。
「お前みたいな甘いやり方は大嫌いだが…口にしたことを守らない奴はもっと嫌いだ!」
「は…は、どっちにしろ…嫌いなんじゃないですか…」
苦笑して、アレンはぐいっと口元の血を拭う。
そして、僅かに口角を持ち上げて笑った。
「別にヘバってなんかいませんよ。ちょっと休憩しただけです」
「……いちいちムカつく奴だ」
神田の六幻が、AKUMAの腕を切り飛ばす。
アレンの腕が再び武器の形を成し、その銃口が光を放った。
「「消し飛べ!!」」
ふたりの声が重なり、イノセンスの眩い光がAKUMAを包み込む。
断末魔の悲鳴を上げながら、AKUMAは上空へと弾き飛ばされた。
光の柱が立ち上り、それは建物の天井を貫いていく――。
ドサリ、と。
空中に投げ出されたイノセンスが、砂の上に落ちた。
「…終わった…?」
倒れ込むふたりを、わたしは半ば安堵と共に見やる。
神田は完全に気を失っているし、アレンは辛うじて意識を保っている。
それでも彼は、ララに心臓――イノセンスを戻そうと、動かない身体で必死に手を伸ばしていた。
――良かった。多少の差異が出たけど、《物語》は正常に動いている。
「……」
わたしは発動を解いて、ふたりへ歩み寄った。
わたしがここに居る限りは、多少の差異は仕方ないことなのだろう。
《物語》に大きな影響が出ないなら、このくらいの改変は許されるだろうか。
「…アレン、ご苦労様」
「……?」
「わたしが、これをララに戻してくるわ」
そっと、わたしはイノセンスを持ち上げた。
イノセンスは必死に、戻りたいと訴えているように感じてしまう。
「だけどアレン。…もう、ララは戻ってこない」
「え…」
それは多分、自分自身に言い聞かせた言葉だったと、思う。
守れなかった命の重み。《運命》だと、割り切ろうとしたわたしの行動。
「グゾルを愛したララは、もう、戻ってこないわ――」
罪悪感がないわけじゃない。
だけど――――わたしにはこうするしかなかったんだと、言い聞かせた。
――わたしは、滑稽な道化だ。
+++
――あの後。
気を失った俺とあの新入りが、しばらくして目を覚ました時、人形は歌っていた。
ただ、それはグゾルを守ろうと必死に悲痛な叫びを上げていた人形では、なくなっていた。
俺とあいつの傍らにはがいて、青い顔をしながらイノセンスを発動していて。
体力のないあいつに、これ以上発動し続けるのは無理だと判断して、
治療をやめさせようとした頃には――グゾルは、既に息絶えていた。
――それでも人形は歌い続け、もう三日になる。
『いいねぇ、青い空。
エメラルドグリーンの海。
ベルファヴォーレイタリアン♪』
「だから何だ」
受話器の向こうの、妙に浮かれたコムイの声に、俺は冷ややかに返す。
『「なんだ」? フフン♪』
その返答を受けた相手は、一瞬沈黙し、何故か笑い出した。
…なんだ、気持ち悪い。
『羨ましいんだいちくしょーめッ!
アクマ退治の報告からもう三日! 何してんのさ!!
ボクなんかみんなにコキ使われて外にも出れないまるでお城に幽閉されたプリンセ…』
「わめくな、うるせーな」
なんで俺が、こんなよくわからない伝達を受けなきゃならねぇんだ。
それもこれも、あの新人のせいだ。そうだ、そうに違いない。
「文句はアイツに言えよ! つか、コムイ! 俺、アイツと合わねェ」
『神田くんは誰とも合わないじゃないの。で、アレンくんとちゃんは?』
「ちっ。…まだあの都市で人形と一緒にいる!!
はあの馬鹿の監視だッ」
怒鳴り返すと、一瞬、コムイが沈黙した。
そして、打って変わった神妙な声音で問いを投げてくる。
『そのララっていう人形…そろそろなのかい?』
「多分な。もうアレは500年動いてた時の人形じゃない。…じき、止まる」
そう言い終えた頃には、俺は点滴の管針を全部外し終えていた。
…片手が受話器を支えていると、思った以上に手間を取る。面倒くさい。
「ちょっとちょっと、何してんだい!?」
慌てた声と一緒に、医者と看護婦が病室に駆け込んでくる。
ああ、もう。これだから普通の医者は面倒くさいんだ。
ため息を吐きそうになって、なんとか思い止まる。そして、俺はトマに目で促した。
「帰る。金はそこに請求してくれ」
俺が言うのと同時に、トマがスッと名刺を医者に差し出した。
これで黒の教団に請求が出来るだろう。問題はない。
「え? ダメダメ! あなた、全治5ヶ月の重症患者!」
「治った」
「そんなワケないでしょ!!」
慌てる医者に、俺は使っていた包帯を外して押しつける。
受話器を耳に当てたまま、シャツを羽織った。
――そこには、傷跡すら残っていない。
「世話になった」
「そんな馬鹿な…傷が消えてる…」
そんな医者の声を背に、俺はそのまま病室を後にした。
――今はただ、時間が惜しい。
『今回の怪我は時間がかかったね、神田くん』
「でも治った。ほとんどが治したしな」
『でも時間がかかってきたってことは、ガタが来始めてるってことだ。
計り間違えちゃいけないよ。…キミの命の残量をね…』
静かなその言葉に、無意識に団服を握り締めた。
――間違えるわけがない。まだ、使い切るわけにはいかないのだ。この命は。
「…で。何の用だ。イタ電なら切るぞ、コラ」
『ギャーーーちょっとリーバーくん聞いた?!
今の辛辣な言葉!!』
電話の向こうで、ぎゃいぎゃい騒ぐコムイの声と、それに応える科学班の声が聞こえる。
まったく、科学者ってのは変人が多いってのは本当だな。
『違いますぅー。次の任務の…』
コムイが次の任務の指示を喋る。
それをなんとなしに聞きながら、思う。
――今日は、随分と風が強い。
+++
「…。何してる、あの馬鹿見張っとけって言っただろ」
木の上に登っていたわたしは、見上げてくる神田に苦笑した。
意地でもアレンの名前を呼ばないつもりか。
まぁ、初めがあれじゃあ、名前を呼ぶのも何かプライドが許さないのかも知れない。
「馬鹿、じゃなくてアレンだよ。
名前くらい呼んでやりなさいよ、命の恩人でしょ?」
ふわりと、わたしは神田の前に降り立つ。
ちなみに、木の上に居たのは、一応言われたとおりにアレンを見ていたからだ。
決して、重い空気に耐えきれずに避難していたわけじゃない。…決して。
「うるせぇ、モヤシで充分だ」
「やーね。ここは死線を潜り抜けた者同士、熱い男の友情が芽生えるところじゃないの」
「……何を期待してるんだ、おまえは」
嫌そうに顔をしかめて、吐き捨てるように神田が言う。
そんなに嫌がらなくても良いだろうに。でも多分、アレンも同じ反応をするんだろう。
「…おい。おまえ、なんで止めなかった」
唐突な問いだった。
一瞬、何を聞かれたのかわからなくて、目を瞬く。
だけど、それも一瞬だ。
聞かれたのは、あの時――ララの心臓を取るか取らないかで、問答した時のことだろう。
「誰を? 神田を? アレンを?」
「両方だ」
神田の声は、いつも真っ直ぐだ。決して揺れない。
だからわたしも、素直に感情をぶつけようと思った。
この半年、そうやってこいつと付き合ってきたんだから。
「…わたしが、公平じゃないから…かな」
「………」
返るのは沈黙。
だけどそれは、無視しているのではなく、続きを促しているのだと、わかる。
「わたしに、正義なんて崇高な感情がないから。
感情で動いたら、多分、取り返しのつかないことをすると思う」
言ってから、わたしは苦く笑った。
何を偉そうに。怖くて何も出来ない、卑怯な臆病者め。
「ごめん。また偉そうなこと言った」
「ふん。おまえが説教垂れるのはいつものことだろ。慣れた」
「あはは、酷いなぁ。説教じゃないよー」
そう、説教なんか出来る立場じゃないさ。
決して揺れない神田やアレンが、羨ましいくないと言えば嘘になる。
だけど、ふたりのような生き方なんて出来ないのも、事実だ。
ほどなくして、ララとグゾルが待つ建物の眼前まで到着した。
階段の上の方には、座り込んで顔を伏せているアレンが居る。
「何寝てんだ。しっかり見張ってろ」
「!」
遠慮もなにもなく声を掛けた神田に、ぴくりとアレンは反応を返す。
だけど、顔を上げることはなかった。
「あれ…? 全治5ヶ月の人が、なんでこんな所にいるんですか?」
「治った」
「ウソでしょ…」
「うるせェ」
切って捨てるように返すと、神田も少し下の段に腰掛けた。
わたしもそれに倣って、ふたりのちょうど中間付近に座る。
「コムイからの伝達だ。俺はこのまま次の任務に行く。
お前はと一緒に、本部にイノセンスを届けろ」
「…わかりました」
「………」
覇気のないアレンの返事に、神田はゆっくりと視線を巡らせた。
蹲るアレンの姿は、彼が小柄な少年であることも手伝って、酷く痛々しい。
「辛いなら人形止めて来い。あれはもう、「ララ」じゃないんだろ」
「ふたりの約束なんですよ。ララを壊すのはグゾルさんじゃなとダメなんです」
「甘いな、お前は」
呟き、神田は六幻を抱き込むように持ち直す。
その表情は、どこか痛みを孕んでいて――ああ、やっぱりこいつは優しいな、とわたしは思った。
不器用で、優しい。アレンと似た者同士なはずだ。
「俺達は「破壊者」だ。「救済者」じゃないんだぜ」
「……わかってますよ」
そう応えた時、アレンはようやく顔を上げた。
その幼い容に浮かぶのは、濃い自嘲の色。
「でも、僕は…」
アレンが言いかけた瞬間、大きく風が凪ぐ。
そしてその時――――音が、止んだ。
「歌が止まった…」
呟いたのは、誰だっただろう。
アレンは、ゆっくりと室内に入った。わたしも少し遅れて、それに続く。
――そこに居たのは、全ての刻を止めた人形だ。
静かに、アレンはララの傍らに膝を着いた。
わたしの位置からは、彼の表情は見えない。
『――ありがとう、壊れるまで歌わせてくれて。これで約束が守れたわ…』
だけど、確かに聞こえたのだ。
それは確かに、ララの声だった。アレンに向けられた、お礼の言葉。
「おい? どうした」
座り込むアレンに、神田が声を掛けた。
その口調には珍しく棘がない。多分、神田なりにアレンを気遣っているんだろう。
「…神田…それでも僕は、誰かを救える破壊者になりたいです」
そう呟いたアレンは、多分、泣いていた。
さすがに神田も、それに関しては何も言わない。
その後ろではトマが、静かに瞑目する。
わたしは、ゆっくりとアレンに近づいて行った。
「…おやすみなさい、グゾル、ララ…」
そっと、わたしは瞑目して呟く。
そして、ララを抱き留めたまま、俯いているアレンの傍らに膝を着いた。
「…アレン。イノセンスを外すよ」
「…はい…」
俯いたまま頷くアレンからララの体を受け取り、わたしは彼女から核であるイノセンスを外した。
ケースに入ったイノセンスは、それでもなお、何かを訴えるように輝いている。
それは、まるで泣いているようで――――。
「…人の愛に応え、心を持った人形…綺麗だけど、残酷な《物語》ね…」
触れたイノセンスから溢れるのは、残酷なほどに優しい旋律。
そのあまりに純粋な《声》に、わたしは無意識に涙を零す。
「……」
ララが歌い続けた歌を、わたしは口ずさんだ。
彼女のように歌えるわけじゃないけど、イノセンスから伝わる想いが、流れ込んでくる。
「…? どうして、その歌…」
困惑したような表情でわたしを見るアレンに、わたしは応える代わりに歌う。
それは本能的なもので、わたしの意志かどうかはよくわからない。
呼吸が苦しい。泣きながら歌っているんだから当然だ。
「…もう良いです、やめてください、…ッ」
強く肩を掴まれた。目の前には、泣きそうな表情のアレンがいる。
まるで壊れたララのように歌い続けるわたしを、痛みを堪えるように見ていた。
「…いい加減にしろ、」
いつの間に近づいて来たのか、そう言って、神田がわたしからイノセンスを取り上げた。
途端、わたしを支配していた《声》が途切れ、わたしは歌うのを止める。
目の前がチカチカして、くらりと身体が傾いだ。
「!?」
「だ、大丈夫…」
アレンの腕に支えられて、わたしはなんとか身を起こした。
頭の奥で、まだ何か音が響いてる。だけどさっきまでのような、明確な《声》じゃない。
「…引きずられたな。よほど強い想いが残っていたのか…」
「ごめん、神田」
「おまえのせいじゃねぇだろ」
ため息混じり返されて、わたしは苦笑した。
神田って、普段は結構ぞんざいにひとのこと扱うくせに、こうやってたまに優しくなるんだよね。
今はそれが、なんだか嬉しいような、だけど哀しいような、そんな複雑な気分だ。
「……おい。おまえ、メシ食ったか。ちゃんと寝たか」
「ごめ…」
「もういい。寝てろ」
ぺちっ、と額を叩かれた。
痛ェなちくしょう。後で覚えてろ。
だけど、もう空腹と睡魔に抗う気力も残っていない。
わたしの意識は、そのまま眠りの淵に沈んでいく。
――ああ、恨めしきは寄生型の体質。最後まで締まらないなぁ、わたし。
+++
気を失うように、はそのまま爆睡モードに入った。
こうなるともう、絶対起きないだろう。満足するまでは。
「おい、モヤシ」
「アレンです」
「どっちでもいい」
「いや、良くないですよどう考えても!」
なんで神田の方が不機嫌そうにしてるんですか、ちょっと。
殴りつけたい衝動に駆られて、思わず握り締めた拳が震えた。
だけど、を片手に抱えている状態ではそれも無理な話だ。
「そいつ連れて行け。あと、おまえも休め」
「……」
予想外の一言に、思わず握り締めた拳を解く。
なんですか。なんでいきなりまともなこと言ってんですかこの人。
「俺はこのまま行く。トマ、こいつらを頼むぞ」
「はい。お任せください」
トマが神妙に頷く。
それを確認して、神田はイノセンスを僕の手に押しつけた。
そのまま立ち去ろうとする背に、思わず声を掛ける。
「…良いんですか」
「あ?」
「を僕に預けて良いんですか」
「…何言ってやがる。寝言は寝てから言え」
一瞬目を瞬かせてから、神田は不機嫌そうに顔をしかめた。
そして、とんでもない爆弾発言を投下する。
「てめぇにそのじゃじゃ馬が飼い慣らせるわけねぇだろ、モヤシ」
目を眇めて言われた言葉に、今度は僕が目を瞬いた。
あまりのことに言葉を失う僕を一瞥して、神田は団服の裾を翻しながら立ち去っていく。
「…あのひと、確実に不愉快な勘違いしてますよ。ねぇ、?」
肩をすくめて、僕は小さく息を吐く。
まったく、神田は確実に何か勘違いをしている。
自分が惚れた女は誰もが惚れる良い女だなんて、思わない方が良いと思う。
僕がに? 冗談じゃない。悪寒がしますよ。…だけど、
「……」
腕の中で疲れ切ったように眠る彼女を見下ろして、その穏やかな寝顔に安堵したのは事実だ。
確かに、何を考えているのかよくわからない人だと、思う。
感情の起伏が激しく、単純そうでいて、どこか異質な空気を持っていて。
ただそれでも、コムイさんが言った彼女の良さというもの――なんとなく、わかったような気はした。
「…お疲れ様でした、。
あと…ありがとう。君が救いようのない馬鹿で良かった」
これを聞いていたら、きっと「誰が馬鹿だ!」って、物凄く怒るんだろうな、と。
容易に想像がついて、思わず笑った。
賢しいよりも愚かな方が、ずっと純粋で優しい。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。