自分が間違ったことをしたとは思っていない。
自分に出来る最善を。
そして、自分の願いのままに行動を。
後悔したくないから、迷わず飛び出していた。
それは確かに、愚かな行為なのかもしれない。そう思う彼の言い分も間違いじゃない。
仕方ないことだと思う。それでも、僕はこういう生き方しか出来ないんだから。
「助けないぜ。感情で動いたお前が悪いんだからな。ひとりでなんとかしな」
恐らく、イノセンスを使って創られた人形であろうそれを抱え、神田は冷ややかに告げた。
その隣にはがいて、どこか無理に作ったような無表情で僕を見ている。
似合ってないな、と思った。
彼女はくるくると表情が良く変わる。無表情なんて似合わない。
馬鹿みたいにオーバーリアクションで、うるさいくらい良く喋る。
それが彼女に抱いた印象だから、無理に作った無表情はなんだか気持ち悪かった。
「――いいよ。置いてって」
返した瞬間、の手が震えたように、見えた。
気のせいかもしれない。だけど、何故かそう見えたような気がした。
「イノセンスがキミの元にあるなら安心です。僕はこのアクマを破壊してから行きます」
そう告げた時の神田の表情は、やっぱり感情がよく読めない。
だけど、その傍らにいた彼女の表情の方が、ずっと不可解だった。
僕は自分の感情に任せて飛び出した。
後悔なんてしていない。間違っていたとも思わない。
これは僕の意思であり、この状況は自分自身の行動の結果だ。
なのに、どうして。
――どうして彼女は、痛みを堪えるような表情をしていたんだろう。
「地下通路?」
立ち並ぶ廃虚の中。
グゾルとララを抱えた神田は、ララの言葉を聞き返した。
「この街には、強い日差しから逃れるための地下住居があるの。
迷路みたいに入り組んでて、知らずに入ると迷うけれど…
出口のひとつに谷を抜けて海岸線に出られるのがある」
対するララは、無理な体勢で抱えられているにも関わらず、平然と会話している。
「あのアクマという化物は空を飛ぶ…地下に隠れた方がいいよ」
「……」
ララの言葉を疑っているわけじゃないだろうけど、神田は沈黙を保った。
先行するわたしは、一旦下へ降りる。神田もそれに続いた。
「?」
「神田、無線が」
示すと、神田の無線ゴーレムが音を立てた。
「トマか。そっちはどうなった?」
『別の廃屋から伺っておりましたが、
先ほど激しい衝撃があって、ウォーカー殿の安否は不明です』
無線ゴーレムの向こうから、トマの声がする。
良く知る台詞だと言うのに、じくりと胸が痛んだ。
『あ。今、アクマだけ屋内から出てきました。ゴーレムを襲っています』
「わかった。今、俺のゴーレムを案内役に向かわせるから、ティムだけ連れてこっちへ来い。長居は危険だ」
そこで一旦言葉を切ると、神田はふとわたしの方を見る。
わたしは慌てて表情を引き締めた。
「今は、ティムキャンピーの特殊機能が必要だ」
『はい』
そこで無線を切ると、神田はグゾルとララに向き直る。
わたしも発動を一旦解いて、ふたりに視線を向けた。
「…さて。それじゃ地下に入るが、道は知ってるんだろうな?」
「知って…いる」
くぐもった声で返事をしたのは、グゾルの方だった。
気遣わしげに、ララがグゾルに寄り添う。
「グゾル…」
「私は…ここに500年居る。知らぬ道は無い」
そう言いながら、グゾルは被っていた帽子を取った。
下から現れたのは、酷く爛れた顔。
医学の知識なんてないから、よくわからないけれど…かなり酷い皮膚病なのだろう、神田すら絶句する程だ。
「くく…醜いだろう…」
「おまえが人形か? 話せるとは驚きだな」
「そうだ…お前達は、私の心臓を奪いに来たのだろう」
「出来れば今すぐ頂きたい」
率直な神田の言葉に、ララが顔色を変えた。
…まるで人間だな、と思う。
「デカイ人形のまま運ぶのは手間が掛かる」
「ち、地下への道はグゾルしか知らない! グゾルがいないと迷うだけだよ!!」
慌てたように、ララが神田とグゾルの間に割って入る。
先ほどから気になっていたんだろう、神田はララをじっと見据えた。
「お前は何なんだ?」
「私は…グゾルの…」
「人間に捨てられていた…子供だ!!」
ララの言葉を遮って、グゾルが声を上げる。
声を張り上げたせいか、グゾルは激しく咳き込んだ。
「グ、グゾル…!」
「ゲホ…私が…拾ったから、側に…置いていだ…!!」
「……」
軽く、わたしは神田の団服の裾を引いた。
わたしを振り返る神田に、わたしは緩く頭を振る。
それをどう受け取ったのか、神田は小さく息を吐いた。
「神田殿」
神田を呼ぶ声に、わたしは身を硬くした。
顔から血の気が引いていくのがわかる。
…違う。違う。あれはトマじゃない。
ああ、でもそれを告げてはいけないのだ。
「悪いがこちらも引き下がれん。あのアクマにお前の心臓を奪われるワケにはいかないんだ。
今は良いが、最後には必ず心臓をもらう。…巻き込んですまない」
短く告げた神田の言葉に、ふたりは不思議そうな顔をした。
それ以上ふたりには構わず、神田は現れたトマに歩み寄る。
逆に、わたしは距離を取った。コレは反射的な行動だ。
「ティムキャンピーです」
スッと、トマが粉々に砕けたそれを差し出す。
ティムキャンピーだ。だけどこの子は、この状態からでも蘇生する。
事実、ティムキャンピーは徐々に元の形を取り戻しつつあった。
「お前が見たアクマの情報を見せてくれ、ティム」
神田が促すと、ティムキャンピーはカパッと口を開けた。
ティムキャンピーの映像記録機能って、どういう原理になっているのか、よくわからないけど…
――そこにアレンの姿が映った瞬間、呼吸が止まりそうになった。
「…、どうした。顔色が悪いぞ」
「……え?」
弾かれたように、わたしは顔を上げた。
わたしを見下ろす神田の表情には、気遣うような色はない。
だけどなんとなく、気遣われているのを肌で感じる。本当、表に出せないだけで世話焼きだよ、こいつは。
「…後先見ずの馬鹿でも、あいつもエクソシストだ。
寄生型は装備型よりも身体が頑丈に出来てる、そうそう簡単にくたばりゃしねぇだろ」
「…そう、だね…」
死にはしない。そんなことは知ってる。
だけど怪我をする。わたしはそれを知っていた。
「置いてって」、と。そう言ったアレンの言葉は、わかっていたはずなのに胸を抉った。
「……」
じっと映像を見ていた神田が、不意に呟く。
その一言一句、わたしの記憶する台詞と変わらない。
「鏡のようだ…」
「はい?」
「逆さまなんだよ、このアクマ」
神田がAKUMAの映像から、その能力を解析している中。
視界の隅で、何かが動くのをわたしは感じた。
…グゾルとララだ。神田が目を離した隙に逃げるんだっけ、このふたり。
「……」
わたしの中に、卑怯な考えが浮かんだ。
見たくないなら、見なければ良いんだと。…逃げてしまえ、と。
わたしは物音を立てないように、逃げるグゾルとララを追いかけた。
逃げたふたりを追いかけたなら、後で言い訳にもなると、そう思って。
この後に起こることを知りながら…その場から、逃げ出した。
ごめんなさい、と。
――謝ることすら、偽善だ。
+++
ララが自身の腕を潰してまで、落下スピードを緩めながら地下へ落ちた。
それを上から眺めながら、わたしはふたりを追って砂の上に降り立つ。
「あ…ッ」
「!!」
身構えるふたりを前に、わたしは苦笑する。
悪者になった気分だ。…ああ、でも、わたしも充分悪者かな。
「…大丈夫。連れ戻したりなんてしない。今はここの方が安全だから」
「………」
警戒した面持ちで、ララが自分を盾にするようにグゾルの前に立つ。
人形が心を持つ――所有者を愛する――まるで、コッペリアのようだと、思った。
「ねぇ、ララ」
わたしが呼びかけると、ララは大きな硝子玉のような瞳を瞠る。
そんな彼女に、わたしは微笑った。多分、泣きそうになっていたと、思う。
「歌を、聴かせて?」
「え…」
「グゾルさんの為に歌ってくれるので良いわ。
わたしにも一緒に聴かせて? …ダメかな、グゾルさん?」
「…お前は…気づいて、いたのか…」
「――…ええ」
違うよ、グゾル。
気づいたんじゃない。知っていたんだ。
「…ララの心臓を…奪いに来たのだろう?
何故…仲間に何も言わなかった…」
「必要なかったから」
呟いたわたしの声は、自分でも驚くほど硬い。
必要なかった。むしろ言えなかった。…言えたらどれほど、楽だっただろう。
「…《運命》はもう、決められているから。
今更…あなた達のどっちが人形かなんて、些細なことでしかないのよ」
そう。どっちが人形だってわたしにはどうでも良かった。
だって、わたしは「知っていた」んだから。
「……」
「…お願い、歌って。歌を聴かせて」
わたしの声が、悲痛な響きを含む。
自分でも、無意識だった。卑怯なくせに、救いを求めるなんて馬鹿だ、わたしは。
ララが、じっとわたしを見つめてから、グゾルの方へ視線を向ける。
「…歌ってくれ、ララ…」
「はい、グゾル」
ララは素直に頷き、旋律を奏で始めた。
それは、酷く温かく心に染み込む声で――わたしは、倒れた石柱の上に座り込む。
「…優しい歌ね、グゾルさん」
「…ああ…」
そう頷いたグゾルの声は、とても穏やかだった。
…もう少し。あとほんの数日。
それまでAKUMAに見つからなければ、彼らは望む最期を迎えられたのに…。
そう思うと、あまりに哀しかった。
「…あなたは、これを護りたかったのよね」
「…そうじゃない…私は…もっと醜い人間だ…。…ララを…他人に、壊されたくなかった…」
「――その感情は、決して醜くなんかないわ」
誰かを愛する感情が、醜いわけがない。
愚かでも、それはきっと、純粋で綺麗なものだ。
「…わたしの方が…ずっと、醜い…」
呟いた声は、きっとグゾル達には届かなかっただろう。
わたしのそれは、ララの綺麗な歌声に掻き消されていった。
零れ落ちた涙の一滴すら、今のわたしは醜い。
+++
――あそこで合流出来たのは、ある意味不幸中の幸いだっただろう。
「痛ッ…」
「ウォーカー殿…私は置いていってください。あなたも怪我を負っているのでしょう…」
「なんてこと無いですよ!」
傷だらけの神田とトマを背負いながら、僕はただ歩いた。
自分がどこにいるかわからない。ただ、どこかで手当てをしなければ。
――そういえば、はどこへ行ったんだろう。
『――わたしには、単独でアクマを破壊するちからはないから』
「…ッ!」
脳裏に浮かんだ言葉に、思わず呼吸が止まりそうになった。
呟いた言葉は、ほとんど無意識だ。
「…どう、しよう…」
ひとりにしちゃいけなかったんだ。
神田だって言っていたじゃないか。彼女には戦うちからがないと。
「…ティム、を――」
探して、と。
言いかけて、聞こえてきた声に動きを止めた。
そんなに遠くじゃない。どこかからか聞こえる、これは――
「…歌…?」
そう、歌だ。
どこか温かく、物悲しい旋律。
「歌が、聴こえる…」
歌声に導かれるように、僕は再び歩き出す。
不思議な感覚がした。
この歌声は彼女のものじゃない。
だけど、この声を辿れば、逢えるような気がして。
砂にまみれたその部屋に、足を踏み入れた。
――そこには、歌う少女が居た。
ひとりの老人の傍で、どこか物悲しい旋律を奏でる少女。
その傍らに、彼女が居た。
歌に聴き入っているのだろうか。
静かに瞳を閉じた姿は、普段の彼女よりも大人びて見えた。
「…」
スッと、瞳が開く。
双黒の瞳が、こっちを見た。
確かに目が合った。
なのに彼女は、傷だらけの僕達を見ても、別に驚きはしていなかった。
ただ、どこか哀しそうに表情を歪ませて。
――確かにその唇は、音のない言葉を発していた。
ご め ん な さ い 。
それは、そんな謝罪の言葉。
+++
――覚悟していたことだった。
彼らが傷を負うのは、決められた《物語》の《運命》。
わたしは、それを《改変》しないように慎重に、《物語》を進めて行けば良かった。
それは決して難しいことじゃない。だって、『何もしなければ』良かったんだから。
だけど。
意識を失っている神田を、
上手く動けないほど衰弱しているトマを、
そのふたりを抱えて、怪我を負った身体を引きずるアレンを見て、
――泣きたくなるほど胸が痛んだのは、わたしの我が侭だ。
「!!」
グゾルとララが、ハッと息を呑んだ。
アレンに気づいたんだろう。
――《物語》が動き出す。もう、わたしの出る幕は無い。
「あ、ごめんなさい。立ち聞きするつもりはなかったんですけど…
…キミが、人形だったんですね」
「……」
ララが確かな敵意を持って、立ち上がった。
そして彼女は、そのたおやかな容姿からは想像も出来ない暴挙に出る。
――身の丈以上の石柱を、持ち上げたのだ。
「……………」
さすがに、アレンが目を点にしている。
そりゃそうだろう。こんなショッキング映像はそうそうないよ。
ついでに、もう投げつける気満々だ。
「…アレン、危ない」
「どわたっ?!!」
あんたなんて声出すのよ…。
急に気が抜けて、わたしはもう一度腰を下ろした。
「ままま待って待って!!
落ち着いて話しま…わっ!!!」
再び投げつけられた石柱を避けて、アレンは必死に逃げ回る。
神田とトマを抱えたまま、ってところが凄い。アレン、怪我してなかったっけ?
「…アレーン。神田達を下ろしなさいよ、とりあえず」
「なに冷静に見てんですか、助けてくださいよ!?」
「とりあえず、あんたが下ろしたら神田達を助けるわ」
「僕はッ?!」
目を瞠るアレンに、わたしはにっこり微笑んで手を振った。
「頑張れ?」
「鬼ッ!!」
酷いことを言う。
…うーん、でも、鬼とか悪魔とか言われても仕方ないかなぁ…。
――さて、どうしよう?
「…ッ…聞いてくれそうにないな」
サッと、アレンは神田とトマを少し離れた場所に下ろした。
そして走りざまに左手の手袋を外し、イノセンスを発動させた。
「!」
アレンの左腕に捕らえられた石柱を見て、ララが目を瞠る。
それに対して、アレンは小さく笑った。…あ、悪い笑顔だ、あれ。
「それっ!!」
ぶんっ、と大きく空を切り、石柱がブーメランのように宙を舞った。
迫り来る衝撃を覚悟して、ララがぎゅっと目を瞑る。
――だけど、破壊されたのはララではなく。この場にある石柱だ。
「え!? 石柱を…っ」
自分ではなく石柱を狙った攻撃に、ララは不思議そうに周囲を見回した。
…どうでも良いけど、アレン。わたしやグゾルを殺す気か。
周辺に転がる石柱を見下ろしながら、わたしは思わず顔を引きつらせた。…わかってたけど、あいつ怖い。
「もう投げるものは無いですよ。
お願いです、何か事情があるなら教えてください」
座り込んだララの前に進み出て、アレンは掴んでいた石柱を砂の上に置く。
「可愛い子相手に戦えませんよ」
「…………」
困ったように微笑むアレンに、ララはきょとんと目を瞬かせた。
…その優しさはどっから出てくるんでしょう。わたしはついぞお目に掛かったことがありませんが。
「…………タラシ」
「は?! なんですかいきなり失礼な!?」
「別に? 英国紳士は女の子をたらし込むのが上手ね、って話だヨ」
肩を竦めて息だけで笑ってやると、明らかにアレンの機嫌が悪くなった。
女の子みたいに可愛らしい顔が、大変よろしくない目つきになる。
「なんなんですか藪から棒にッ! だいたい、は今まで何してたんですか?!」
「…ごめん」
反射的に、わたしは謝っていた。途端に、アレンがたじろぐ。
…しまった。相当酷い顔してる、わたし。
「え? い、いえ…別に責めているわけじゃ…」
「…うん、大怪我してても女の子口説けるアレンだもんね!
わたしを責めたりしないよねッ」
「…………すみません殴って良いですか左手で」
石柱を握る左手に力が入ったのが見て取れた。あと目が据わってた。
…うんうん、それでこそアレンですよ。
変な気なんか遣うな、わたしにそんな気遣いを受ける資格はない。
「さて、ララ。アレンはこの通り、可愛い女の子には優しい英国紳士です。
とりあえずお話聞かせてあげてくれる?」
わたしはしゃがみこんで、ララに視線を合わせた。
ララは一瞬アレンを見て、グゾルを見てから、こくりと小さく頷く。
「…グゾルは、もうじき死んでしまうの」
ぽつりと、ララは呟いた。
手元の砂を握りしめる小さな手が、震えている。
「それまで私を彼から離さないで。
この心臓を、あなた達にあげていいから…!」
悲痛なララの叫びに、わたしとアレンは言葉を失う。
ララの瞳は、必死だった。一縷の望みを託すような、真っ直ぐな瞳。
それは愛するひとを護ろうとする、女の強い目だった。
――どうして、と。呟かずにはいられない。
人形である彼女の方が、わたしよりよっぽど人間らしい。
To be continued?
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