「…そうか…《時の破壊者》の予言を受ける者が、遂に現れたか…」
受話器越しの相手に重く呟き、小柄な老人は少し思案した。
彼に名はない。世界の裏歴史を記録する者として、ただ《ブックマン》と名乗っている。
ラビにとっては師であり、祖父だ。
「嬢に何か変化は」
『特には。派手にやらかしてましたけどね』
「彼女らしいことだ。…して、室長殿」
普段はそんな風には微塵も感じさせないが、ラビもまた、次期《ブックマン》として知っていた。
彼女――=と名乗るエクソシストの少女に課せられた運命。
そしてそれは、《ブックマン》の記録対象。
決して表に出ることはないだろう、しかし歴史に影響を及ぼす存在。
そして今、どうやら半年間沈黙を保っていた歯車が、動きだした。
「その少年、どうされるおつもりか」
『……』
ブックマンの問いに、受話器の向こうにいるコムイは、一瞬沈黙した。
だがそれは本当に一瞬のことで、次に彼が言った言葉は、ブックマンもラビも予想していたものだった。
『…彼女と組ませてみようかと』
「嬢を『外』へ出すと?」
『今が「その時」なのでしょう』
そう告げたコムイに、ブックマンは小さく頷く。
――いつか来ることだった。そんなことは、半年も前からわかっている。
《時の破壊者》の予言を受ける者が現れた今、彼女は教団の中に大切に保管される期間を終えた。
「《時の破壊者》と、その守り手たる《双黒の使徒》か…数奇な運命ですな」
『…ええ』
「近く、そのアレン=ウォーカーなる少年、見極めたいと思います」
ブックマンのその言葉で、電話は終わったようだ。
それをなんとなしに眺めるラビに、ブックマンは静かに向き直った。
「ラビよ、聞いていたな。《時の破壊者》の予言を受ける者が、現れた」
「……」
ブックマンの言葉に、ラビは小さく反応する。
脳裏に過ぎったのは、ラビが悪友と称して止まない、破天荒な少女の顔。
「嬢に成された予言が、動き出したようだな」
「…なぁ、ジジイ。は戦いには向いてないさ」
「ラビ。感情で物事を推し量るな。我らはブックマンだ」
「……」
言われ、ラビは「わかってるさ」、とどこか自嘲気味に返す。
――《ブックマン》になるのは、ラビ自身が望んだことだ。だから理解はしている。
だが、どうしても忘れられない。
自らの無力を嘆いた少女の、悲痛な声も。
自分のせいで他者が傷つくことが辛いと、悔しいと呟いた彼女の言葉を。
「…あいつ、普通の女の子なのにな」
いつも騒がしくて落ち着きがなくて、些細なことで馬鹿みたく騒いでるけど。
は、どこにでもいる普通の少女だった。
嬉しいときには笑うし、腹が立てば怒るし、悲しいときには泣く。
くるくるとよく変わる表情も、直情的な性格も、ラビにとって好ましいものだ。
と、リナリーと、神田と、そしてラビ。
歳の近しい4人の中心で、いつも馬鹿騒ぎを起こすの存在が、この半年でどれほど大きくなったか。
彼女が本当に普通の少女だったら。
せめて、大きな運命を背負わされていなかったら。
――役目とかそんなものは関係なく、傍で守ってやれたのに、と。
そう思うのは、エゴだろうか。
自身のイノセンスを見下ろしながら、ラビは小さくため息を吐いた。
――それから数時間後。
わたしはコムイさんによって、室長室へ招集された。
…何故もっと早く呼んでくれなかったのか、と。
全身痣だらけのわたしは思っていたけど、とりあえず言わないでおく。
「…どうしたの、…その痣…」
「…鬼教官にめった打ちにされマシタ」
室長室で待っていたのは、コムイさんだけじゃなかった。
リナリーと、何故かアレンの姿もある。
「鬼教官って…神田?」
「…そう、神田」
冷やしたタオルを持ってきてくれたリナリーに、わたしは小さく頷く。
あの前髪パッツン野郎、乙女の柔肌になんて仕打ちだ。
………痣だけで済んでるのは、それでも優しさなんだろうか。そんな中途半端な優しさは嬉しくない。
「許せませんね」
「そうでしょう!?」
「動物虐待なんて非道です」
「でしょでしょー…って、動物ってわたしかい!?」
なんで動物扱いされなきゃいけないんですか!
さらりと吐かれたアレンの暴言に、わたしは思わず絶句する。
「はいはい、ちょっと落ち着きなさい、ちゃん!
ほら、アレンくんがびっくりしてるよ」
「どこをどう見たら「びっくり」になるんですか!
今の言動聞いてた?!」
「落ち着きなさいって。どうしたの、ちゃん」
どうした、じゃないよ!
なに。なんで。わたしが悪いの今の?!
「アレンくん、改めて紹介するよ。
彼女はちゃん。君と同じ、寄生型のイノセンスの適合者だ。
君より少しお姉さんになるね。…ちゃん、挨拶して」
「え? ああ、はい。
です…間違った、=です」
挨拶はこれが初めて、って妙な気分だ。
ついでに言うと、これが初対面じゃない。さらにはアレスちゃんの前で会ったのが2回目。
「…アレン=ウォーカーです。よろしく、」
「……」
一瞬の沈黙の後、アレンは穏やかにそう言って、右手を差し出してきた。
その表情は笑顔。非の打ち所のない程の、紳士然とした微笑み。
――なんだ、これ。
思わず、わたしは顔をしかめた。
別におかしくない。アレンはアレンらしい、英国紳士の名に相応しい対応をしている。
だけど、感じるのは違和感。そしてこれと近しいものを、わたしは知っていた。
「…あのさ、無理に仲良くしてくれなくて良いよ」
「え?」
「『この人苦手だなぁ』…ってオーラが出てる」
「……」
すとん、と。
アレンの表情が、落ちた。
あ、マズイな。
そう思いつつも、なんて言うか、うん。…譲れないものって、誰にでもあるじゃない。
――あれと同じ種類の笑顔を、いやというほど見てきたから。
「仲良くする気ないのに、形だけでよろしくとか言われても嬉しくないし」
「ちょ、ちょっと…」
「ねぇ。目の当たりにして思ったんだけど」
止めようと口を開いたリナリーを手で制して、わたしは言葉を続ける。
もう、ほとんどアレンを睨み付けている自覚があった。
「アレンの笑顔って、仮面みたいね」
…ああ、言われたこと、なかったんだろうな。
完全に表情の消えた顔を睨みながら、思う。
アレンの笑顔は完璧だ。だから余計に、わたしには違和感を感じさせた。
「気持ち悪いよ、そういうの」
「…気持ち悪い?」
「悪いことだとは言わない。それが必要な世界ってあるからね。
でも、わたしはそういうの、嫌なんだ。この世界に来てまで、そんなもの見たくない」
表面上は友好的に笑って、腹の中では何を考えてるかわからない。
ああ、そんなの、この世界にまで来て見たくない。
そんな煩わしい人間関係、現実だけで充分だ。
「……」
アレンは何も言わない。
まぁ、こんな無礼極まりないことを言われたことなんて、ないんだろうし。
もしわたしだったら、平手の一発でもかましてるところだ。
「…ごめんなさい、コムイさん。
疲れちゃったから、話は明日でも良いですか?」
「え? 構わないけど…」
「ホント、ごめんなさい。じゃ、部屋に戻ります」
頭を軽く下げて、わたしは逃げるように部屋を出た。
引き止めるリナリーの声が、ドア越しに聞こえたけど、聞こえないふりをして廊下を渡る。
…よっぽど酷い顔でもしてるんだろうか。
さっきから、すれ違うひとがみんな振り返るんだけど。
気が付けば、脚は自然と部屋とは別の方向へ向かっていた。
アレスちゃんの真上だ。変なところに出てしまった。
「……」
ぺたりと、その場に座り込んだ。
ああ、と息を吐く。なんかよくわからない涙が出てきた。なんだこれ。
「…《物語》の《登場人物》、って言っても、なぁ…」
今が《現実》である以上、彼らもまた、ひとりの人間でしかなく。
…わかっていたけど、なんか、きつい。
「…何やってんだろうね」
もっと鈍くて能天気だったら良かったのに、と。
今更どうしようもないことを考えながら、わたしは深くため息を吐いた。
+++
「どうしたのかしら、…」
言いたいことだけ言って、さっさと出ていった彼女の背を見送っていたリナリーが、呟く。
僕はと言えば、あまりの衝撃に表情は戻らないわ言葉は出てこないわで、気分も最悪だった。
…なんなんだ、あのひと。本当に。
「気を悪くしないであげてねー、アレンくん。
長く付き合ってみると、あの子の良さはよくわかるようになるからさ」
「…はぁ…」
良さ、と言われても困る。
確かに、悪い人ではないだろう。
だけど普通、初対面の人間相手に、ああいうことを言う人がいるだろうか。
「…あの子はね。優しいし、潔癖だし、とても真っ直ぐな子なんだ。
いつも明るいけど、本当はすごく不器用でね…どうしても、初対面の人間とは衝突しやすい」
そうだろうな、と大いに納得する。
直情的な物言いは、親しい間柄ならいざ知らず、つき合いの浅い人間には酷だ。
「でも、良い子なのはわかってもらえたと思う。
1ヶ月も経たないうちに神田くんとも仲良くなったしね!
大丈夫、アレンくんとならきっとすぐに仲良くなれるとも!」
「…仲良し…」
神田と、が。
……仲良し。仲良しなのか、アレ。
思わず、腕や脚に大量の痣を作ってきたの姿が浮かんだ。
あと、僕と一緒くたに切られそうになってた。
…………仲良し?
本気で首を傾げる僕の反応をどう受け取ったのか、コムイさんは苦笑した。
そして今度は、ひとり心配そうにドアの向こうを見ているリナリーに声を掛ける。
「リナリー」
「え?」
「ちゃんを追いかけてあげなさい」
穏やかな笑顔で言ったコムイさんに言葉に、一瞬、リナリーはきょとんと目を瞠る。
次の瞬間には、パッと嬉しそうな笑顔になった。
「うん、そうするわ」
「…待ってください」
思わず上げた声に、コムイさんとリナリーの視線が集まる。
コムイさんが意味深に笑ったような気がして、なんだか癪な気分になった。
「アレンくん?」
「僕が行きます」
「でも…」
「怒らせたのは、僕ですから」
コムイさんが「優しい子」だと言った。
リナリーも、こんなに気に掛けている。
よくよく考えれば、初対面の僕にすら、真っ向から思ったことをぶつけてくる人だ。
その前に踏み潰したことを謝るとか色々あるだろ、と思ったし。それに、
――それに、逆に興味を惹かれてしまった。不本意だ。
彼女が見ている世界は、なんだか他のひととは違う気がする。
それを見てみたいと思ったのは、単なる好奇心だと、思いたい。
+++
どのくらいの時間が経っただろう。
なんだか動くのも億劫になって、そのまま蹲っていた。
そこに、バサリとやや乱暴に上着が掛けられたのと、掛けられた言葉は予想外だった。
「そんなところで寝てると風邪ひきますよ」
のろのろと視線を上げる。
そこにいたのは、整った顔立ちの少年。
まさか追いかけてくるとは思っていなかったので、軽く驚いた。
「…寝てないよ。何しに来たの」
「……って本当に、思ったことを率直で言う人ですね」
「うっさい。これがわたしよ、放っといて」
一度辛辣な言葉を吐くと、ずっとその調子が続いてしまうのはわたしの悪い癖だ。
だけど多分、今はアレンと話していると余計に苛々しそうな気がする。
「…あの。こそ、僕と仲良くする気ないでしょ」
「あるけど、なんかアレンの顔見たらムカついた」
「顔…。…そろそろ本当に殴って良いですか…?」
アレンの表情は笑顔だったけど、握り締めた拳がぷるぷる震えていた。
…多分、怒りか何かで。
「なんで神田といいアレンといい、わたしを殴ろうとすんの?!
ドメスティック・バイオレンス!?
家庭内暴力なんて、お姉ちゃんはそんな子に育てた覚えないのにっ」
「………とりあえず何言ってるかわからないんで人類語を喋って下さい」
「いやちゃんと人間の言葉だから! なに、このエセ英国紳士!?」
物腰と口調だけは紳士的な、しかし結構酷い物言いに、わたしは嫌そうな顔をしたんだろう。
軽く肩をすくめて、アレンはわざとらしくため息を吐き出した。
「でもは、こっちの僕がお望みなんでしょう?」
「は?」
「仮面みたいな笑顔で悪かったですね」
ああ、さっきのあれか。
そりゃあ、完全無欠の笑顔を「仮面」と称されては、腹も立つだろうさ。
…でもじゃあなんで、追いかけてきたんだろ?
「はっきり言います。君は僕の苦手なタイプです」
「…え、なに、そこ笑うところ?」
「笑っても良いですけど、多分自分で虚しいだけですよソレ。
…君の行動も言動も、意味が分からない。あとものすごく理不尽な気分になります」
そこで一旦言葉を切ると、アレンはそれはもう、嫌そうに顔をしかめた。
そして、吐き出すように、言う。
「…師匠にそっくりです」
「ちょっと待て」
何か信じられない言葉を聞いた気分で、わたしはアレンの言葉を遮った。
ちょっと待って。今なんて言った。誰に似てるって言った、今。
「師匠って! クロス元帥!? クロス元帥に似てるってのか、わたしが?!」
「もうちょっと言動が馬鹿っぽいですけどね」
「更に酷くなってる?!」
「別に、性格とか顔が似てるって言ってるわけじゃないですよ。僕が持つ印象が似てるだけです」
「それなんのフォローだよ!?」
「フォローなんて別にしてません」
それは余計に悪いんじゃないだろうか。
いけしゃあしゃあと言ってのけるアレンに、わたしは思わず顔を引きつらせた。
「馬鹿っぽい言動の割に妙に鋭いですよね、は。
どうやら、君には誤魔化しも嘘も通用しそうにない。
だから無理して付き合っていくより、もう素で良いかな、と。思い直しました」
そこまで言って、アレンは微笑んだ。にっこりと。
…ぞわりと寒気がはしったのは、なんでだろう。
「だから君にはもう、遠慮も配慮も必要最低限しかしませんから」
「は?」
「そもそも、最初がアレで何を遠慮する必要があったんでしょうね?
ええ、僕は割と根に持つタイプなんです。あの衝撃の出逢いは忘れられません」
なんだろう。
変わらない敬語だ。変わらない笑顔だ。
なのに、何か言い知れない怖さを感じるのは何故。
「まるで恋でもしてるかのようですね。
思い出しただけで腸が煮えくり返りそうですよ!」
「…いや、それ、恋って言うか…」
なに。なんなの、これ。
アレンってこういうキャラだっけ?
言葉を失うわたしに、アレンは小さく息を吐く。
そして、スッと右手を差し出してきた。
「改めてよろしく、。
お互い気に入らない部分は、まぁ折り合い付けていきましょう」
「………」
その表情は、飾り立てたあの笑顔じゃなかった。
笑顔は笑顔だけれど、もっとこう、含みがある。
よく言えば不遜、悪く言えば黒い。……あ、どっちも悪い言葉だ。
差し出された手を握り返して、わたしは苦笑する。
「…思った以上に性格悪い男だね」
「ありがとう。も相当なものですよ」
…むしろ、笑顔の腹黒というものを初めて目の当たりにしたよ、わたし。
わたしの無礼っぷりも相当だと、そりゃあ思うけど。アレンの黒さには負けます。
…ああ、だけど。
あの気持ち悪い笑顔より、こっちの方が良いな。
「ま、いいさ。おねーさんは寛容です、少年の暴言くらい聞き流してアゲマショウ」
「…泣いてたくせに?」
「ばっ、バカ言うない! 誰がいつ泣いた? 何に?!」
「わかりました、内緒にしておいてあげます。僕は寛容ですから」
慌てるわたしに、アレンは何がわかったのかそんなことを言った。
なにこれ。なにこれ! わたし、脅されてんのか?!
「この…ッ…猫被り!!」
「失礼な。相手によって態度を変えているだけです」
「うっわ最低! あんた最低!!」
「そう言うは最悪の部類ですよ。
初対面で踏み潰されて痴漢扱いされた上、散々態度をダメ出しされた僕に、何か言うことは?」
「~~~ッ!!」
涼しい顔で言ってのけるアレンに、わたしはもう言葉も出てこなかった。
何度か唇を空回りさせてから、諦めて溜め息を吐く。
…もう、いいや。なんかどうでも良くなった。
「…あー、はいはい。ゴメンナサイネ」
「…………なんでしょうね。無性に腹が立ってきましたよ?」
「それはアレンの心が素直じゃないからサ」
「…そうですか。の頭は都合の良い方向に物事を考えるように出来てるんですね、羨ましいですよ」
「あんたその、言葉にいちいち棘含むの、やめなさいよね。…ところで、アレン」
「はい?」
「…ごめん、眠い」
「は?」
アレンが怪訝そうに聞き返してきた瞬間、わたしの身体は大きく傾いだ。
慌てたように伸ばされた腕に抱きとめられて、地面とお友達になるのは免れる。
だけど、もう目蓋が限界です。目も開けていられない。
「ちょ…ッ…こんなところで寝ないで下さい!
僕、の部屋なんて知らないですよ!? ッ!
…このっ…起きろーーーッ!!」
物凄い揺すられてるけど、無理。もう動けない。
忘れてたけど、わたしって寄生型のイノセンスの適合者なんだよね。
で、いっぱいごはん食べないと、すぐ眠くなる…なんて、はた迷惑な体質になってしまっていて。
…そういや、夕飯まだ食べてない。
その後のことは、よく覚えていない。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。