――覚えてる。意識を失う直前に、落下を防いでくれた腕。
多分、神田かラビだと思う。ヴァルさんには空中で動くなんて真似は出来ない。
「…不味い…」
口の中に残る血を吐き出した。口の中が気持ち悪い。
頭がくらくらするし、腕も――怪我はないけど、動きが鈍い。
「…神経イッてないよなァ…怖いな、これ…」
呟いた声が、妙にはっきりと聞こえる。
何故だろうかと思うと、なんのことはない。周囲が静かになっていたのだ。
戦闘は終わっていた。
泉の周辺にはアクマの残骸が散乱している。
ぼんやりとその光景を眺めていたわたしは、ハッと我に返った。
――神田とラビは、どこだ。
「…もー…最悪さ…数多過ぎ…ユウ、何体壊した?」
「…知るか…誰が数えんだよ、そんなもん…」
「オレ、なんでも記録するのが癖なんさー…」
「暇人め…」
疲弊しきった声だったけれど、そんな軽口が聞こえてわたしは安堵する。
周囲を見回すと、ふたりの姿を見つけた。
少し離れた場所に、ふたりとも転がっている。
「神田! ラビ!!」
叫ぶように名前を呼んで、わたしは立ち上がった。
足も少しフラつくけれど、走れなくはない。そのまま、わたしはふたりの元へと駆け出す。
「おー、。お疲れさーん…」
「…怪我…は、してるじゃねぇか、しかも顔…」
「女の子が顔に傷なんか作っちゃダメさ~…」
近づいて来るわたしに気づいて、ふたりは身を起こしながらそんなことを言う。
怪我なんて、ふたりのそれに比べたら全然大したことはない。
なのに、気遣ってくれるふたりに、なんだかよくわからないけど、涙が出た。
生き残れたことへの安堵か、生き残ってくれたことへの安堵か。或いはその両方。
駆け寄り、わたしはふたりに抱きついた。
怪我に触らないようにしたつもりだけど、震える腕は上手く力加減が出来ない。
「おい、」
「…?」
「ごめ、…なさ…ッ」
返せたのは、嗚咽交じりのそんな言葉だった。
ふたりが押し黙る。戸惑っているような空気を感じる。
だけど、わたしは泣きながら謝るという行為を止められなかった。
「…ごめんなさい…ごめんなさい…ッ」
「…なんで謝るんさ? だって体張ったのに」
「でも、わたしがもっと強かったら…ふたりともこんな怪我しなくて済んだ…ッ」
――そう。わたしは、許せなかったんだ。
わかったようなことを偉そうに言いながら、結局何も出来ない無力な自分を。
どうしようもなく凡人で、何の役にも立たない自分を。
「…そうだな」
「お、おい、ユウ…」
「だが、」
そこで言葉を切ると、神田はわたしの頭を軽く撫でた。
子供をあやすような強さで。
「初陣にしちゃ上出来だ。足手まといってのは撤回してやる」
「神田…」
「初陣で死ぬ奴らも少なくねぇ。生き残ってイノセンスも護れたなら上出来だ。
…だからって調子に乗るなよ? おまえは無茶し過ぎだ」
「神田に言われたくないよ…」
そう返して、わたしは笑った。
ああ、でもまだ涙が止まらない。どうしてだろう。
「ユウってば格好付け過ぎさー」
「痛ッ?!」
「ちょ、ふたりともダメだよ! 今治すから…」
決して軽くはない怪我を負ってるふたりがじゃれ合うのを、わたしは必死に止める。
だけどリバウンドの影響か腕が上手く動かなくて、イノセンスが上手く発動出来ない。
焦るわたしを宥めるように、ラビが後ろを指差した。
振り返ると、応急手当用の道具を片手に、ヴァルさんが駆け寄って来るのが見える。
「気負うなよ。らしくないさ」
「言っただろ。おまえは太々しいくらいで丁度良い、って」
「…ありがとう。ふたりとも…」
もう一度、わたしはふたりに抱きつく。
今度は小さな悲鳴が上がったけど、わたしは聞こえない振りをした。
任務終了から、二日後。
体力が回復するのを待って、わたし達は教団に帰ってきた。
わたし達は、というかわたしと神田は、まぁまだ『仲良し』とは言えないけれど、最初の頃ほど険悪ではない。
間にラビが入るせいか、わたし達の間で会話が途絶えて困るというようなこともなかった。
つまりは、帰りは快適な旅だったのだ。これは快挙だと思う。
「ッ!!」
門をくぐると、出迎えてくれたのはリナリーだった。
リナリーはわたしに駆け寄って来て、いきなり悲痛な声で名前を呼んだかと思うと、そのまま抱きついてくる。
…ええと。あれ? なに、この状況。
「リ、リナリー…ただいま…?」
「入団して一週間、しかもまともに訓練も受けてないのに任務なんて…!
もう、本当に心配したのよ! どうして私に黙って出ていったの!!」
「え。えー…? リナリーは知ってると思ってたんだけどー…」
「兄さんはね、わたしに黙ってを任地に送ったの! だから私は知らなかったの!!」
「あ、そう…なん、だ…ご、ごめんなさい??」
なんでわたしが怒られるんだろう、とか。
…思っちゃいけないんだろうなぁ、多分。
「怪我は?」
「うん、大丈夫」
「…その顔どうしたの?」
「あ、うん、ちょっとアクマに…」
「…………」
言った瞬間、リナリーの顔色が悪くなった。
…な、なんだろう。リナリーが血が苦手、なんて設定はないはずだけど。
「あ、あの、リナリー? 大丈夫だよ? ほら、もう血乾いてるし。ぶ、無事だし?」
「…そう…そうよね、ちゃんと無事に帰って来たもの…」
ようやく、リナリーの表情に笑顔が戻る。
…ああ、なんだろう。怖かった。物凄く怖かった。
「しっかし、の能力って中途半端さ。自分の怪我は治せないなんて…」
…そうなのだ。わたしの傷だけ消えていないのは、わざとではなく不可抗力だった。
どうやらわたしの治癒能力というのは、イノセンスから流れる〝気〟を相手に分け与え、傷を治しているらしい。
…なので、自分の怪我は治せなかった。傷の治りは若干早いようだけれど。
「しょうがないよ。大丈夫、わたしは怪我しないように盾でガードするッ」
「その前に、その鈍くさい脚力をどうにかしろ」
「うっ…」
辛辣な一言に、結構本気で凹む。
…わかってます。わかってますとも。
どうせわたしの脚力は平均以下ですよ。100M走で19秒も掛かる鈍足ですとも!
…………自分で言ってて泣けてきた。
「神田! そういう言い方は良くないわよ、だって訓練を受ければ…」
「いやー、訓練に脚力関係ないんじゃないかなー…」
ここで言う訓練って、イノセンス関連だよね?
それとも筋力トレーニングとかするのだろうか。意外と教団って体育会系…?
「ま、まぁまぁ…帰ってきていきなり訓練とか、ちょっとしんどいだろ?
ほら、。コムイのとこに報告に行くさ。ずっとイノセンス握ってるわけにもいかないし」
ラビに言われて、わたしは小さく頷いた。
そうだった。報告して、イノセンスを提出してやっと、本当の意味で任務が終わる。
「じゃ、わたし行って来る」
「ひとりで?」
「うん。初任務だもん、わたしの手で締めさせて?」
笑って言うと、神田もラビも、小さく頷いてくれた。
+++
笑えることに、わたしは室長室の場所をすっかり忘れていた。
「仕方ないわね」と苦笑しながら、リナリーがここまで連れてきてくれなかったら、多分今頃迷子だ。
「兄さん、入るわよ。が帰って来たわ」
返事も待たずに入っていくリナリーの続いて、わたしも部屋に入る。
いつ見ても、雑多に紙が所狭しと置かれた、汚い部屋だった。
その部屋の主は、中央のデスクで穏やかに微笑んでいる。
「ちゃん」
「コムイさん!」
なんだか久々に会った気分で、わたしは笑顔を返した。
隣でリナリーが小さく笑う。微笑ましそうに。
「おかえりなさい」
「はい、ただいまです!」
「――良い顔になったね」
穏やかな微笑と共に言われた言葉に、わたしは一瞬、目を瞠る。
任務や任務地、派遣メンバーを決めているのはコムイさんだ。なら、多分今回の任務は――
「…気付いてたんですね、コムイさんは」
わたしが、《戦い》を甘くみていたことに。
言外にその言葉を含ませたわたしに、コムイさんはただ、微笑った。
「でも、もう大丈夫だね?」
「はい。――わたしは、エクソシストです」
「うん」
頷くと、コムイさんはわたしが差し出した報告書を受け取った。
その表情は先程までの慈愛に満ちた微笑ではなく、悪戯めいた笑み。
「覚悟しててね~。どんどんコキ使うよ?」
「あはは、お手柔らかにお願いします。その前に体力付けないと」
そう応えて、わたしは口を噤む。
体力だけじゃない。わたしにはあらゆる物が足りない。
一週間で何が出来た、と自分を納得させるのは簡単だ。
だけど、わたしは一週間という時間を、あまりにも無駄にし過ぎた。
知っているつもりだった。ここは戦場で、エクソシストは神に選ばれた戦士。
なのにわたしは、自分の特殊な境遇のせいでそれを軽視した。戦いをゲームと勘違いしていた。
「ちゃん?」
「…正直、帰りたいとか泣き言言いそうになりました。
怖いし痛いし、ホント、涙出そうで」
なんの覚悟もないまま、飛び込んで良い世界じゃなかったのに。
わたしはただ、成り行きに任せてエクソシストになることを受け入れた。
だから、今ならわかる。神田がわたしを「世間知らず」と言った真意も。
「だけど…わたしのせいで誰かが怪我したりすることの方が、辛かった。
何も出来ない、凡人過ぎる自分が悔しかった。許せなかったんです」
ぽつり、ぽつり、と話すわたしの話を、コムイさんもリナリーも、黙って聞いていてくれる。
その沈黙は心地よく、わたしは何故か涙が滲むのを感じた。
ああ、なんか泣いてばっかりだな、わたし。格好悪い。
「…誉められたんです、わたし」
それを言葉にした瞬間、もう耐えられなかった。
ぼろぼろと涙は零れるし、上手く喋れないし。嗚咽のせいで呼吸も辛い。
「何も出来ないと思ってた。悔しかった。だけど、誉めて貰ったんです。
よく生き残った、よく護った――って。誉めてくれたんです」
リナリーが、ぎゅっとわたしを抱き締めてくれた。
コムイさんも近づいて来て、頭を撫でてくれる。
恥ずかしいな。わたし、リナリーよりお姉さんなのに。
「…うん。うん、我慢しなくて良いよ。頑張ったね」
「…わたし、…わたし、まだ何も出来ないけど…でも、このちからは…」
ここは《物語》の世界。
だけど今、わたしにとっては《現実》。
だから、わたしは決めた。誓った。この世界にいる限り、エクソシストとして生きることを。
「――必ず、みんなの役に立ちます」
その「みんな」には、出逢った教団のみんなも、
そしてまだ逢えないアレンやミランダ、クロウリー達も含んでいる。
わたしは《物語》を、導く。
間違った方向に進まないように、護る。
きっとこのちからは、そのためのもの。
「コムイさん。リナリー。改めて、よろしくお願いします」
「ええ、…」
「こちらこそ、ちゃん」
改めて、わたしはふたりと握手を交わした。
…ここまで来て、本当に気が抜けたのかもしれない。
「…ところで、コムイさん」
「ん?」
「………なんか胸が気持ち悪いんですけど、これ、病気ですかね………」
「「え」」
コムイさんとリナリーが、同じ様な声を上げた。
瞬間、わたしの身体は重力に逆らえないかのように、その場に崩れ落ちる。
「うわー!? ちょ、ちゃん!?
誰かー! ちゃんがーーーっ!?」
「!? 、しっかりしてッ」
その後、わたしは疲労によって体調を崩し、三日間寝込んだ。
リナリーにはわんわん泣かれ、ラビには盛大に大笑いされ、
神田には「この軟弱者! 鍛え直してやるッ」と怒鳴られ、そのまま修練場に連れて行かれた。
怒ったリナリーが追いかけてきたり、面白がってラビがついてきたりと、随分賑やかな『修行』になったけれど。
だけどそれは、また別の話である――。
+++
それから半年が経った。
わたしの能力は単独での任務に向いていないので、あまり外の任務はない。
たまに他のエクソシストと組んでの仕事はあったけど、大抵は教団内でリナリーとコムイさんのサポートをしてる。
――予感が、していたのかもしれない。
普段は昼頃まで寝ているわたしが、ふいに早朝に目を覚ましたのは予感がしたから。
廊下に気配を感じて、寝ぼけ眼のままわたしはドアを引いた。
開けた瞬間、丁度通りかかったその人物は、驚いたように足を止める。
この朝っぱらから、きっちりと団服を纏った、長い黒髪の男は。
「…あれ、神田。どこ行くのーまだ夜よー?」
「時計見ろ。朝だ」
「………5時じゃん」
「朝だろうが」
「わたしまだ寝てる時間だもん」
「……わかった、もう一回寝ろ。そして起きてくるな」
「なんだそれは永眠しろってことかこの前髪パッツン女顔男児」
「その方が平和だろ、万年頭が春の脳天気馬鹿女」
「「…………」」
「…なんでこんな朝っぱらから神田と喧嘩しなきゃいけないのよ」
「それはこっちの台詞だ」
睨み合っていた視線を外して、わたしは溜め息を吐く。
まったく、半年の間で少しは仲良くなれたとは思うけど、やっぱり寄ると触ると喧嘩になるのは変わらない。
「で、なにしてんの」
「コムイに呼ばれた。任務だ」
――任務。早朝5時。
そのキーワードに、わたしの記憶のどこかが反応する。
予感は、これか。
「どこ?」
「ドイツ」
「………《帰らずの森》?」
「知ってるのか?」
軽く目を瞠る神田に、わたしは曖昧に頷いた。
…知っててもおかしくないよね。探索部隊が調査してる話なんだし。
「そっかー…あー…ええと…神田、ひとつ忠告が」
「あ?」
言ってから、我に返った。
…言ってどうする。もし仮に信じてくれたとしても、《物語》が変わってしまう。
「んー…あー…うん…女難の相が出てるので気をつけたまえ」
「……阿呆か、おまえは」
心底呆れたように言われて、ひくりと顔が引きつった。
いや、自分でも思うよ。阿呆だと。でも、他人に言われると腹が立つ!
「なんですかッ! ひとが心配してやってんのにッ」
「わかりにくい心配の仕方してるんじゃねぇよ」
「きーッ! 何様だ貴様そこへ直れぇぇぇぇっ!」
「やかましい。俺は忙しいんだよ」
軽く手を振って踵を返す神田の団服の裾を、わたしは反射的に掴んでいた。
さすがに予想外だったのか、振り返った神田の表情には驚愕が滲んでいる。
…普段ならその意外な表情をからかうところだけど、今はそんな余裕、わたしにもない。
「怪我…しないでね」
「…死にはしねぇよ」
「それ当たり前だから。怪我すんなって言ってんの」
死なないことはわかってる。
だけど、怪我をすることも知っていた。
知っていても、どうにも出来ない。
ほんの些細などこかが変わるだけで、《物語》が変わってしまうかもしれないから。
わたしというイレギュラーな存在で、多少なりとも《物語》は変わってしまっただろう。
《物語》にないこの半年で、わたしはこの後の《物語》を変えてしまっているかもしれない。
ダメだ。勝手に《物語》を変えちゃいけない。
例えば、だ。直接関係ないように見えて、もし、この任務で神田が怪我を負わなかったとする。
それが理由で、アレンと神田が出逢うタイミングがズレたら?
――《物語》が、大きく変化しないと、言い切れるわけがない。
「…」
「チッ。なに深刻な顔してんだ、おまえらしくもない。
おまえとは違うんだ、そう簡単にくたばったりしねぇよ」
溜め息混じりにそんなことを言いながら、神田は小さく微笑った。
その表情に、わたしは思わず目を瞬かせる。
「…それに、怪我してもおまえが治してくれるんだろ?」
「…………………」
「じゃあな。昼まで寝てるなんて自堕落な生活してんじゃねぇぞ、」
それだけ言うと、硬直しているわたしを置き去りにして、神田は普段と変わらない足取りで廊下を渡って行く。
置いていかれたわたしは、くたりと壁に身を凭れて呟いた。
「……不意打ちだ……」
あそこで微笑うか。しかも嘲笑じゃないよ、微笑だよ。
本当に一瞬だったけど、あれは確かに、微笑ってた。あり得ない。
「…神田のくせに。なんですかちょっと」
失礼なことを呟いて、わたしは壁から身を離した。
外はまだ薄暗い。建物の造りのせいか、空気が冷たくて寒い。
そこまで考えて、ああ、小説でこういう描写があったな、と思い出す。
――《帰らずの森》。魔女の住む村。アレンが入団する直前に神田が就いた任務。
「…そっか、《帰らずの森》か…。
神田が帰ってくる頃には、《物語》が始まるんだ…」
思えば、随分と時間が掛かったものだ。
未だにわたしが何故、この世界に来てしまったのかわからない。
わからないけれど、きっかけを作ったのは、間違いなくあの時計台。
だとしたら――何かの意思によって、わたしがここに連れて来られたとしたら。
――そう。この半年と言う時間にも、意味があったはず。
「…やっと会えるね、アレン=ウォーカー」
おそらくそう時間は掛かるまい。
――黒の教団の目と鼻の先に、千年伯爵が現れるのも。
斯くして《物語》の開幕ベルは鳴り響く。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。