「……」
妙なことになったなぁ、と。
とある部屋の扉を前に、ラビは考え込んでいた。
《時の破壊者》を導く守り手,《双黒の使徒》と予言された少女。
次期ブックマンたるラビにしても、彼女――は、貴重な記録対象だ。
ラビの祖父であるブックマンは彼女に何を見出したのか、彼女を「見極めろ」とラビに告げた。
その翌日には、特別にあつらえたかのようなこの任務だ。
ラビがに持った印象は、『変な奴』である。
悪い意味ではない。見ていて飽きないし、ノリが良いので気がつくと話が弾んでいる。
落ち着きがなく、いつも何かしら騒いでいる印象があるが、意外と頭も良い。
それ以上に、ラビは
に自分に近い何かを感じていた。
――彼女は、エクソシストでありながらエクソシストではない。
そんな雰囲気を、ラビはどこか漠然と感じていた。いや、そもそも世界からすら隔離されているように見える。
一見すれば、どこにでもいそうな普通の少女だ。
決して美形というわけではないし、なんらかのずば抜けた才能を持っているわけでもない。
だがどういうわけか、ラビも、そしてブックマンやコムイも、を『特殊な存在』として捉えていた。
ヘブラスカによる予言も大きいだろう。
だが、彼女の纏う雰囲気が、時折異質なものに見えるのも確かだ。
もっとも、それを見極めるのが、ラビの本来の目的ではあるのだが――。
ちなみに、この任務にラビのみならず神田が就けられたのは、恐らく仕事上での相性を見るためだろう。
そういう意味では、上の思惑など速攻で蹴飛ばす勢いで仲違いしていたが。
「…いや…あれは仲良い、に入るのか…?
ユウの言動に対して真っ向から食いつく奴、そうそういないもんなぁ」
見方を変えれば、仲良しではある。しかし相性は確実に悪い。
そんなふたりが、馬鹿げたきっかけで精神が入れ替わって、結局同じ部屋で一晩を過ごすことになったのだが…。
「……起きてこねぇんだよなぁ。ふたりして」
いつも早朝に起き出し、きっちりと団服まで着込んでいる神田すら、この部屋から出ていない。
朝から喧嘩でもして、ふたりで倒れているんじゃないかとふと思ったが、さすがにそこまで馬鹿じゃないだろう。
少し悩んでから、ラビは扉を叩いた。反応はない。
試しにドアノブを回す。…回った。
「……不用心さ……」
鍵も掛けずに熟睡しているであろう同僚達に、さすがのラビも頭痛を覚えた。
いったい、どういう感性をしているんだろうか。あのふたりは。
「おーい、ユウー、ー! いつまで寝てるん…だ、………」
思い切ってドアを開けて、ラビは硬直した。
呑気に寝息を立てて寝入っているふたり。これはとりあえず予想通りなので良いとする。
任務地という緊張感の欠片もないが、朝から喧嘩してるよりははるかに良いだろう。
――ふたりで同じベッドで寝ていなければ、の話だが。
「~ッ! 起きろ!! なんで同じベッドで寝てるんさおまえらはッ!!」
思わず怒鳴ったラビを、いったい誰が責められようか。
それから数分後。
食堂に行くのが面倒くさいので、無理言って部屋に食事を運んで貰った。
…いや、わたしも神田も疲れるからさ。なりきるの楽しいけど。
「この馬鹿が勝手に潜り込んできたんだよ」
「違うよ、神田が間違えて入って来たんだよ」
「…窓際って俺が寝てた方だよな」
「忘れた」
いいさ」
溜め息を吐きながら、ラビはカチャリと音を立ててフォークを置いた。
ところで、ドアの横に立ってるヴァルさんが気になってしょうがないんだけど。あのひと朝食食べないのかな。
「っていうか、なに? オレは仲間はずれ??」
「は? …一緒に寝たかったの?」
「そういうんじゃないけどもー」
歯切れも悪くそう返して、またラビは溜め息を吐く。
言いたいことがあるなら言えばいいのに。
「…神田の身体で良かったら添い寝してあげるけど」
「いやそれはホント勘弁してください」
「ひとの身体を勝手に使うな」
「ああ、そうか。アレか。修学旅行の醍醐味ね?
夜寝る前に同性の友達同士で、布団の中で猥談とか好きな子の話とかしたかったんだ」
「「女が猥談とか朝っぱらから口にすんな」」
声を揃えて言われた。
別に下ネタ振ったわけじゃないのに、その反応はあんまりです。
「って、ユウとはそういう会話をしてたんだ?!」
「してねぇよ!」
「わたしに悪戯しないでね、とは言ったけどね!!」
「余計に話をこじらせるようなことを言うんじゃねぇこの馬鹿女ッ!!」
言い合うわたし達を眺めていたラビが、不意に妙な行動に出た。
…後ろ向きに椅子に座って、ぐったりしてる。
「いーんだいーんだ。男2人に女1人なんて、どうせ男1人があぶれるんさ」
なんだこいつ。拗ねてるだけか!
まるで子供みたいだな、と思いながら、わたしは微笑ましくなって笑った。
「ヴァルさんいるじゃん。男3人に女1人だよ」
「ヴァルは歳が全然上さ」
「…ヴァルさんって歳いくつ?」
急に話を振ったにも関わらず、ヴァルさんは速攻で返事を返してくれた。
それはもう、丁寧な口調と物腰で。
「28になります」
「マジで。コムイさんの一個下かぁ…見えない」
…コムイさんはね、アレだね。心は少年だからね…。
ビシッとしてれば真面目な科学者に見えるんだけどなぁ。
「…で。
はなんでユウと一緒に寝てたんだ?」
「一緒に寝てたら、朝起きたら元通りになってるかもしれないと思って」
「…………やっぱりおまえの方だろ、潜り込んできたのは」
「あ。…誘導尋問とは卑怯な! しかもラビを使うなんてッ」
「いやいや。オレ関係ねぇさ」
「おまえはどこまで馬鹿なんだ…」
神田に言われたくありません。
…言えばまた話が振り出しに戻りそうなので、とりあえずぐっと我慢しておいた。
ああ、わたしって大人だ。
「…話変わるけどさ。ホント、何事もなく一晩明けて良かったよね」
「あ?」
「だってこの状態でアクマが襲ってきたら、戦えるのラビだけだよ」
「「「………!!」」」
言った瞬間、3人の表情が固まった。
…うん? わたし、何か変なこと言った?
「え。もしかして気づいてなかったの?」
「あー…そっか、
は寄生型だし、ユウの武器は刀だもんなぁ。
うわー…ホント、何にもなくて良かった…」
「逆を言えば、アクマが出てくる前にこの事態をなんとかしなきゃいけねぇってことだな」
「そうだねぇ…」
わたしはともかく、神田がいるのといないのとでは戦力差は大きい。
レベル1のAKUMAなら、多少数が多くてもラビひとりでなんとかなるかもしれない。
だけど、そこに1体でもレベル2が混ざっていたら――
「無理だ。ラビだけじゃ無理だ」
「、それ地味に傷つくんだけど。おまえ、オレのことどう思ってるんさ」
「ラビはラビだよ。頭良くて結構腕っ節も強いのに確実にネジ一本飛んでる感じの」
「それ誉めてねぇさ!? つまりうっかりって言いたいのか! そうなんか!?」
「なんだ、わかってるんだ。良かったね、それならいつかきっと多分治るよ!」
「その慈愛に満ちた笑顔はなにーッ!?」
「あはははは!」
両肩掴まれて揺さぶられながら、あんまりにもラビの反応が面白かったのでわたしは笑い続けた。
…まずい、腹筋が痛い。涙も出てきた。
「泣くほど笑うことねぇだろー!?」
「ご、ごめ、…ッ…ラビ、…だ、大丈夫、ラビは格好良いよ…ふくく…ッ」
「お、おまえ最悪だ…」
がっくりと、ラビが肩を落とす。
やばい。苛め過ぎたか。
「…で、あの馬鹿共は放って置くとしてだ。ヴァル」
「はい」
「例の泉だが。あれだけ速攻で効果が出たんだ、既に被害に遭ってる者がいるんじゃないのか」
「いえ…地元の人間は、あそこには近づかないようです。
泉以外は何もありませんし、旅人が立ち寄ることもないと言う話で…」
「…奇怪でありながら、今まで放っておかれたのはそういうことか…」
ちょっとちょっと神田さん。
なんでわたしを無視して勝手に話進めてんの。
「ちょ、ユウ! なんでオレらを放ったらかしにして話進めてるさ!?」
「うるせぇ。おまえらの漫才に付き合う気はねぇんだよ」
「仲間はずれにされたからって嫉妬は醜いわよ、神田!」
「嫉妬じゃねぇし俺の顔でその口調はやめろ気色悪い!!」
「自分の顔じゃないッ」
「だから余計に気色悪いんだよ、もういいからしゃべるな馬鹿!」
ほとんど息継ぎ無しで怒鳴って酸欠にでもなったのか。
言い返した後、神田はくったりと椅子にもたれ掛かった。他愛もない。
「さて、話を戻しましょう?
今日はこれからもう一度あの泉に行き、イノセンスを捜索する。OK?」
「はい。お供いたします」
素直に返事をしたのは、ヴァルさんだけだった。
ちなみに、ラビと神田は何故かくったりしていた。朝から覇気のない奴らだなぁ…。
+++
パシャリ、と。
高い水音を立てて、わたしと神田は泉に足を踏み入れた。
泉はそんなに水位がない。だいたい、わたしの――というより神田の膝下くらいだろうか。
くるりと振り返ると、泉の畔にはラビとヴァルさんがいる。
二次災害を防ぐためだ。そして、何か起こったときに直ぐにフォローに入って貰うため。
「ラビー。何かあったら助けてねー」
「おー。ここで見てるから気をつけて行ってくるさー」
まるでおつかいに行く子供を見送るような、軽い口調だった。
…いや、いいけどね。わたしひとりで放り込まれたわけじゃないしね。
「……」
ふと、隣を歩く神田を見た。
正しくは、「わたし」を。泉に入ったのに、元に戻ってない。
「…元に戻らないね」
「…そうだな」
「やっぱり、イノセンスの奇怪を止めないと戻れないのかな…」
「かもな。…もっとも、イノセンスの奇怪なら良いんだが…」
…そうだ、イノセンスの奇怪だと言い切る証拠は、まだない。
一生戻れなかったら、どうしよう。
不安が、急に大きく膨れ上がる。イノセンスが見つかって、元に戻るのを祈るばかりだ。
「…ほら。手ェ出せ」
「へ?」
急に手を差し出されて、わたしはきょとんと目を瞠った。
……手? 手がどうしたって?
「歩きにくいんだろ、その格好。
俺の身体で情けねぇ姿晒されちゃ困るからな」
「あ…ありがと」
「行くぞ」
わたしの手を取って、神田は歩き出した。わたしも、それに遅れないように続く。
足下だけとはいえ、水の抵抗は思った以上に速度を落とさせた。それが自分の身体じゃないなら余計に。
それに気付いてたのか…と、なんだか神田の意外な一面を見た気がする。
見た目に反し、大雑把で気が利かないタイプだと思ってたけど。実は結構世話好きなんじゃない…?
「…だいたい、ここが泉の中央だね…泉にしちゃ、随分広いな…」
「湖よりは小せぇよ。…泉全体に浸透してるんだ、何かあるなら中央部のはず…」
そう言って、神田が目を留めた場所と、わたしが視線を向けた場所は一緒だった。
中央部だけ、水の色が濃い。その一部分だけ深いんだ。
「…おい、ちょっとここに手ェ突っ込んでみろ」
「えッ」
「俺の身体なら、多少の怪我くらいすぐ治る。だからおまえがやれ」
「…い、良いのかなぁ…」
でも何かあったとき、今痛いのはわたしだよね? 怖いなそれ…。
渋々、わたしはその深くなっている箇所に手を差し入れた。
だいたい、神田の腕一本分くらいの深さ。結構深い…。
「…?」
奥で指を彷徨わせていると、何かに掠った。
堅いものだ。なんだろう。
「…あ。何かあった…」
「何だ?」
「なんだろ…これ、…鎖? ううん、鎖の先に何か…」
思い切って、それを掴んで引き上げてみる。
掌から水が流れ落ちた。残ったのは、深い緑色の石であつらえられた、装飾品。
「…ペンダント? あれ? ハ、ハズレ?」
「待て。イノセンスは姿を変えているものも多い。少し調べた方が、」
神田が言った瞬間、ソレは脈動した。
《 ――ひとりは、嫌… 》
「…え?」
「どうした」
「待って。何か聞こえる…」
耳を澄ます。どこから聞こえたのはわからない。
《 ひとりは嫌…ひとりで死ぬのは嫌…! 》
それは、悲痛な声だった。
そして、何よりも強い『意思』だ。
強すぎる意思に、わたしは頭痛を覚えて顔をしかめた。
「…くッ…」
「おいッ」
「だ、大丈夫…多分、残留思念か何かだと、思う…」
――残留思念。我ながら上手いことを言ったと思う。
それはきっと、このペンダントの記憶。この持ち主の願い。祈り。声。
無意識に、涙が零れた。
哀しいのか、痛いのか、それとは別の何かなのか――わからない。
「…ずっと…護ってきたんだね。そのひとが死んでも。この場所だけは…」
「…わかるのか」
「わかる。これ、イノセンスだ…!」
呟いた瞬間だった。
古びたペンダントは弾け飛び、強烈な光を発するそれが現れた。
眩い光が周囲を包む。そしてそれは、一瞬のうちに霧散した。
「…イノセンス…」
「この奇怪の正体は、やはりイノセンスだったんだな…」
そこまで会話をして、わたし達はハッと我に返った。
イノセンスを持っていたのはわたしだったはずだ。だけど今、それは神田の手の中にある。
「「……」」
わたし達は、思わず顔を見合わせた。
そこには鏡で見慣れた自分の顔ではなく、驚いたような無防備な表情の神田がいる。
「…も、戻ってる!」
言って、わたしは自分の身体を見下ろした。
スリットの入ったスカートとか、袖口が少し広くなってるところとか、間違いなくわたしの団服だ。
思わず、わたしは目の前に呆然と立っている神田に飛びついた。
「元に戻ってる! 神田、元に戻ってるよっ」
「~~~ッ…わかった、わかったから落ち着けこの馬鹿…うわッ?!」
慌てる神田の声が、最後に途切れて高い水音が響いた。
ああ、また全身びしょ濡れだ。
「わー。ユウ、役得さー」
「はひ?」
泉の畔にいたラビの、からかうようなその言葉に、わたしは首を傾げた。
役得? 役得ってなに?
「……………あ」
ハッと、わたしは我に返った。
喜びのあまり、わたしは神田に抱きついたまま、彼に馬乗りになってたわけだ。
「…うわあああっ?! ご、ごめ…きゃーっ?!」
慌てて、わたしは後方に飛び退いた。…瞬間、滑って転んだ。
バシャーンッ、と水音を立てながら、頭まで水に浸かることになる。
「
って大胆さ」
「げほっ…げほげほっ…違う、違うから!
なにその慈愛に満ちた笑顔! 無性に腹立つんですけどッ」
微笑ましそうに笑っているラビに、わたしは必死になって怒鳴り返す。
く…ッ。覚えてろ!
「…おい」
「は、はい!」
反射的に返事を返すと、問答無用で腕を掴まれた。
今までの仕返しでもされるのかと身構えると、イノセンスがわたしの手に渡される。
「…これはおまえが見つけたもんだ。しっかり本部に届けろ」
「え。あ、はい…」
思わず、わたしは目を瞬かせた。
さっさと神田が立ち上がったので、慌ててそれに倣う。
そして、手の中のイノセンスの光に視線を落とす。
「…良かった。ちゃんと見つけられた…」
安堵の息を吐いて、わたしは手にしたイノセンスをそっと握り締めた。
掌にすっぽりと収まるその結晶は、どこか生きているような錯覚を覚える温かみがある。
鼓動。そう、鼓動が脈打つような音が、聞こえる――。
不思議に思って、手の中のイノセンスを見下ろす。
その瞬間、だった。
轟音。
突風。
――影。
「…え…?」
「ッ!!」
振り返るより先に、神田に腕を掴まれた。
引っ張られる痛みを感じる暇もなく、そのまま抱き込まれる。
「な、」
「喋るな、舌噛むぞ」
言われて、慌てて口を噤んだ。舌噛んだら死んでしまう。
そのまま神田は、跳躍でラビ達のもとへと戻ると、わたしをぽいっと草むらに捨てた。
…うん、これは「下ろした」じゃない。「捨てた」。絶対捨てた。
「怪我は」
「な、ない」
「イノセンスは!」
「も、持ってる」
「よし。…おまえはここでイノセンスを護れ。――アクマは俺が壊す」
そう言って、神田は六幻を引き抜いた。
AKUMA――と言われて、わたしは泉を見る。
「……ッ!!」
いつの間に、現れたのか。
そこには無数のAKUMAがいた。
ボール型のレベル1――その数は、両手でも足りない。
「――チッ。やはり、イノセンスが結界になっていて近づけなかったんだな」
六幻を握る神田の腕に、決して大きくはないが傷があった。
生々しい、つい先ほど出来たと思われる傷。
「神田ッ! 腕…ッ」
「直ぐ治る」
息を飲むわたしにそれだけ告げると、神田は駆け出した。
その視線は、意識は、今、目の前のAKUMAにしか向いていない。
「さって、オレも行きますか。
。
はオレらの生命線さ。…絶対倒れんなよ?」
「ラビ…ッ!」
止める間もなく、ラビもわたしの横をすり抜けていく。
ぞっと、背筋に冷たいものがはしった。
――ああ、ここは、《戦場》だ。命を懸けた《世界》だ。
座り込むわたしの腕を、誰かが掴んだ。
…ヴァルさんだ。
「様、こちらに!」
「ヴァルさん…待って、神田は怪我してた。わたしを庇ったから…。
大きい傷じゃなかったけど、利き腕に怪我なんてしてたら、まともに戦えない…!」
「様。あなたにはイノセンスを無事に本部へ送り届ける使命があります」
「でも、」
AKUMAの群に切り込んで行く神田とラビを、わたしは目で追う。
ほとんどがレベル1のボール型。だけどレベル2も2、3体紛れ込んでる。
前衛を張る神田は、利き腕に怪我をしてる。普段通りに戦えるかどうかはわからない。
ラビの技は、大技であるがゆえに、中距離支援型だ。でも今は、神田のフォローにまで回れる余裕はない。
だって、ふたりは。
後方にいるわたし達を、護るように戦っているんだから。
「もしもの時、あなたが倒れられたら…我々は全滅です。
あなたのイノセンスには、傷を癒す能力があるとお聞きしています。何がなんでも生き残らなくては!」
「…そんな…」
わたしのイノセンス。わたしの能力。癒す力。
…こんな力、傷ついたひとがいなければ役に立たない。
彼らがわたしを護る為に傷つくなら、それこそ無意味だ。
「さぁ、ここを離れましょう。我々を庇いながらでは、神田様もラビ様も思うように戦えません」
「…わたし…」
――怖いさ。怖いとも。
目の前の光景は、《戦い》だ。
偉そうな事を言って、自分が出来たことはなんだ。
後方で護られることか。庇われることか?
…違う。違う。そうじゃない。
わたしはこの世界の《創造主》側の人間で、一般人代表みたいな身体能力しかなくて、だけど。
だけど、わたしだって――エクソシストなんだ。
「……」
わたしは握り締めていたイノセンスを、胸元に押し込んだ。
鎖にでも通せば良いのだろうけど、もう古びたペンダントの形状は崩れてしまっている。
…大丈夫。わたしが護る。護りきってみせる。きっと、出来るはず。
「――イノセンス発動! 舞え、《黒曜》!!」
わたしの声に呼応するように、背に熱が発生する。
…違う。わたしが気づかなかっただけだ。
わたしのイノセンスは『寄生型』。この羽根は現れるんじゃない。わたしの皮膚が姿を変えたもの。
そんなことにすら気づけなかった。だから、大切なことも見誤る。
――わたしのイノセンスは、傷を癒すだけじゃない。飛べるだけじゃない。
「様!」
「ごめんなさい、ヴァルさん。…隠れていてください」
軽く地を蹴る感覚で、わたしは空を蹴る。
加速するスピード。その勢いのまま、わたしは神田達とは逆方向に躍り出た。
材料にされた人間の顔が、その視線が、酷く居心地が悪い。
ぐっと、唇を引き結んだ。
怯えるな。
恐れるな。
自分に出来る最善を、成せ。
「…ッ…イノセンスはこっちよ、アクマ共ッ」
わたしは、そう怒鳴っていた。
…馬鹿だな、と。思わなくはない。
だけど、わたしに出来ることなんかたかが知れてるし。
羽根で飛べるんだから、囮役にはうってつけじゃないか。
「!?」
「あの馬鹿、なにやって…ッ」
ふたりの焦った声が聞こえる。
だけど、この位置から姿は見えない。怪我してなければ良いけど。
「…なーんて…言ってられないかぁ…」
一斉にわたしに向かってくるAKUMAの群、AKUMAの砲弾に、わたしは苦く笑う。
怖い。怖い。本当は逃げたい。家に帰りたいよ、でも――。
「…ッ護れ、《天蓋黒盾(テンガイコクシュン)》!」
両腕を前に突き出す。
背にある黒曜石の羽根が腕に集結し、漆黒の盾の形を成した。
――盾。そう、護るための力。
誰にも破らせない。この先へは踏み込ませない。
「…ッ」
盾を張ったまま、わたしは空を蹴る。
加速するスピード。
そのままAKUMAの群に突っ込み、蹴散らしていく。
一カ所に奴らを固めちゃダメだ。分散させないと、集中攻撃を喰らう。
「倒してるわけじゃない…弾いてるだけか…?」
「結界、って言うより盾だな、ありゃ…」
神田とラビの会話が聞こえる。
その声の調子なら、まだ全然余裕そうだ。…良かった。
「…どこ…雑魚に用はない、レベル2はどこ…ッ」
――見えた。残ったレベル2のAKUMA。
明確な意思を持つ存在。狡猾で残虐なAKUMA。こいつを仕留めれば、あとは雑魚だ。
突き出した腕に力を込める。そのまま、盾ごとわたしはAKUMAに突進した。
「…く…ッ」
破られない。わたしの盾は絶対。ああ、でも腕が限界だ。
空気が振動する。腕が痛い。内側から、何かが千切れては再生していくような異質な痛み。
わたしは盾を持って突っ込んで行っただけだ。だから、多分コレは――
「…リバウンド…ッ」
そう言えば最初にイノセンスの形態が変わった時、アレンも血を吐いてたっけ、と。
知っていたはずなのに抜け落ちていた記憶に、わたしは苦笑する。ああ、馬鹿だわたし。
「…ッ…ラビッ! 神田ァ!!」
吐血の気配を無理矢理飲み込んで、わたしは叫んだ。
…ごめん。わたしの身体じゃあ、これ以上は耐えられない。
「壊してッ!!」
それは、悲鳴に近い叫びだった。
言葉の途中で、ふたりが動く。
「大槌小槌…ッ」
「災厄招来…!」
それぞれの武器が、振り上げられる。
イノセンスの光の軌道が視えた。それに安堵したのかもしれない。
「…ッ…かはッ…」
鉄の味のするそれを、わたしは吐き出していた。
…ああ、吐血ってこういう感じか。思ったより痛くて苦しいんだな。
思考回路だけは余裕で、そんなことを思う。そのまま、わたしの身体は大きく傾いで、落ちた。
「「壊れろ、アクマ!!!」」
怒号に近いその声に、わたしは思わず笑った。
なんだ、仲良いじゃん。
真っ逆さまに落下しながら、わたしの気分はなぜか妙に落ち着いていた。
落ちている時間が長い。思った以上に高く飛んでいたのかもしれない。
――ああ、ダメだ。わたし、このイノセンスを本部に届けなきゃ…。
目を閉じる直前に感じたのは、そんな漠然とした思考と、誰かに腕を掴まれた感触。
そのまま、わたしの意識は予想通りに暗転した。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。