――その頃、黒の教団総本部。
馬車一台が軽く通れそうな程無駄に広い廊下を、リナリーが駆け回っていた。
パタパタと響く足音は軽快で、彼女の身のこなしの軽さを物語っている。
「どこ行っちゃったのかしら…」
きょろきょろと周囲を見回してから、リナリーは小さく息を吐いた。
彼女が探しているのは、つい一週間程前にこの教団に入ったエクソシストの少女。
――=と名乗る日本人の少女は、リナリーにとっては珍しい同世代の女友達である。
彼女は好奇心旺盛ではあるが、自分の立場をよく理解し、ふらふらと歩きまわるようなことはない。教団内にはいるはずなのだが。
「がひとりで行ける範囲なんて、たかが知れてると思ってたんだけど…。
さすがに、ひとりで街に出ることはないと思うし。談話室にもいないし…」
何度か食堂に足を運び、料理長であるジェリーにも伝言を頼んである。
だというのに、もうかれこれ3時間以上、は行方不明のままだ。
――そもそも、彼女の登場からして奇抜だったのだ。
知らぬ間に教団に現れ、人間でありながら門番の検査では『映らない』。
同性であるリナリーがくまなく身体検査をしたが、どこにもペンタクルはなかった。
AKUMAではない。単なる人間の、しかも体力・筋力共に平均以下の非力な女の子だ。
だが何故か、リナリーの直感はを「普通ではない」と告げている。
だから怖い。ふらりと現れた彼女が、また気がついたらいなくなっているような気がしてしまう。
「…どこに行っちゃったの…」
「がどうしたって?」
掛けられた声に、リナリーは弾かれたように顔を上げる。
向けた視線の先には、談話室でコーラを飲んでいるリーバーの姿があった。
「リーバー班長! 休憩中?」
「やっとな。で、がどうした?」
「あ、うん…がどこにもいないの…」
「そりゃそうだろ。任務中だし」
「……え?」
事も無げに言われて、リナリーは目を瞬かせた。
うまく頭が働かないのか、言われた言葉が理解出来ずに思わず首を傾げる。
「あれ? リナリー、知らなかったのか?
昼頃に神田とラビのふたりと出てったぜ。今日は帰ってこないと思うが」
「え…任務って、が!? 神田とラビと一緒に?!」
思わず、リナリーはリーバーに詰め寄った。
「まぁ落ち着け」と手で制しつつ、リーバーが応える。
「確かに昼頃出てったぞ。昼前に室長から呼び出し受けて、俺が呼びに行ったから」
「………」
サッと、リナリーの顔色が悪くなった。
その急激な変化に、さすがのリーバーもぎょっと目を剥く。
「うそ…はまだ訓練もろくに受けてないのに…。
まともにイノセンスを使えるかどうかも、まだわからないのに!」
確かに、のシンクロ率は「なりたて」にしては驚異的な数値だった。
しかし「不安定」のレッテルを貼られているだ、土壇場で上手く立ち回れるとも思えない。
いや、なにより、面子を聞いてリナリーは余計に心配になっていた。
神田とは、初対面がアレでそれ以降も、あまり仲が良いとは言えない。
性格的にも正反対で、そのくせ我の強さだけは似たもの同士。うまくやれるかどうか。
「ま、まぁまぁ…神田とラビが一緒だし、大丈夫だろ?」
「神田とはあんまり仲が良くないじゃないッ」
「…それを言うなら、神田は別段誰とも仲良くないんじゃあ…」
「ど、どうしよう…そうだ、私も後を追って…!」
「ちょ、ちょっと待てリナリー! 早まるなッ!!」
勢いのままに駆け出そうとするリナリーを、リーバーは慌てて止める。
じたばたと暴れるリナリーを見下ろしながら、彼は疲れ切った口調で呟いた。
「…誰かコムイ室長を起こしてくれ」
食事を終えたわたし達は、宿の一室に集まっていた。
ちなみに、ヴァルさんは本部と連絡を取るとかで、先に割り当てられた部屋に行っている。
なので、ここに集まったのはわたしと神田、そしてラビのエクソシスト三人組だ。
「…つーかーれーたー…」
ベッドの縁に寄りかかりながら、わたしは吐き出すように呟いた。
慣れない身体で颯爽と歩き、慣れない口調で周囲の人間と話すのは、予想以上に疲れる。
ちなみに、わたしの姿をした神田はだんまりを決め込み、必要最低限しか喋らなかった。始終不機嫌だったが。
「切り替え早いなぁ、…」
「神田語疲れるんだもん。極力変なこと言わないように頑張ったんだから誉めて欲しい」
憮然とそう返しながら、わたしは微妙に痛む頭を軽く押さえる。
引っ詰めたポニーテールのせいだろうか。神田はよくずっとこの髪型していられるな…。
「…余計なこと言って、村のお嬢さん方の目をハートにしてたのはドコの誰さ?」
「そりゃアレだ。神田の綺麗な顔とわたしの愛想の良さが融合すれば、誰もが惚れる完璧な男ってことだよ。いやホント、ツラだけは良いよね…腹立つな…」
「ツラって」
「……………余計なことしてんじゃねぇよこの馬鹿女」
今まで黙っていてストレスが溜まっていたのか、低い声で言いながら、神田はげしっ、とラビを踏みつけた。
こんな酷い八つ当たりは初めて見た。あとわたしの足がそこまで高く上がるとは知りませんでした、スカートなのでやめて欲しいです。
「いだだっ!? なんでオレを踏むんさ、ユウ!?」
「うるせぇ、ファーストネームで呼ぶな。仕方ねぇだろ、そっち俺の身体なんだから」
「ちょっと神田ァ。スカートでそんな格好しないでよ、パンツ見えるでしょ」
「な…ッ!」
高い位置で結んである髪を解きながら、気のない調子でわたしが言うと、なぜか神田の動きが止まった。
心なしか顔が赤いのは、わたしの気のせいじゃないだろう。多分。
「…それはわたしの体に残ったわたしの羞恥心か何かでしょうか?」
「………なんでそれを俺に聞くんだよ………」
「他に誰に聞くのよ。…ところで、神田」
「なんだよ…」
「わたしね、すごく大事なことを忘れてたの」
「大事なこと?」
胡乱げに見てくる神田に、対するわたしはどこまでも真剣だった。
そう。すっかり忘れていたけど、ひとつの死活問題にわたし達は直面しているのです。
「風呂とかトイレはどうしたら良いの?」
「「……………………」」
言った瞬間、またも周囲の空気が凍りついた。
ふたりとも、なんとも言えない微妙な表情でこっちを見ている。なんで。わたしは何もおかしなことは言っていない。
「…おい…嫁入り前云々とか言ってた奴が言う台詞か、それ…」
「なによ、死活問題じゃない! 走ったり飛んだりもう汗だくよ?
おまけに整備されてない泉にダイブよ? 風呂入らなきゃ気持ち悪いじゃない!!」
「一晩ぐらい耐えろ! 戻ってから入ればいいだろ!?」
「イヤだッ! じゃ、神田だけ入ってよ。あ、目隠ししててね。身体はわたしが洗うから」
「おまえそれは端から見たら俺がただの変態だろうが!?」
「大丈夫、わたし被害者だから!」
「おまえなぁ!?」
勢いだけの言葉の応酬に、わたしも神田も、肩で大きく息をする。
ダメだ。神田に喋ってても堂々巡りで埒が明かない。
「ええい、うるさい! 黙って言うこと聞きなさいッ」
「痛ッ?! こらやめろ、のし掛かってくるな!」
ぼふっ、と。
投げつけられたクッションが側頭部に当たって、わたしは反射的に飛んできた方に顔を向けた。
そこには、クッションを投げた体制のままのラビの姿が。
「……そろそろ頭冷やしてくれねぇとオレも困るんだけど」
「「あ」」
視線を微妙に逸らしながら言われて、わたしと神田はハッと我に返った。
確かにこの体制、端から見れば大変よろしくない。さすがに止めに入ったラビの気持ちもわかる。
「いやー…これが本部で起こったことじゃなくて良かったさ…。ユウが名を襲ってるようにしか見えんもん、リナリーが怒りそう」
「…超不名誉だねぇ、ソレ」
「それは俺の台詞だッ!!」
そう言い切るのもどうだよ。
…まあ、いい。ストイックなサムライボーイに女の影はご法度だろう。ここはわたしが大人にならなければ。
「…で、それはまぁ良いとして、風呂どうすんのよ」
「じゃ、三人で一緒に入るか!」
「なんでラビまで数に入ってんの。あんたは部屋にお帰り」
「酷ぇな!? ふたりが喧嘩しないように見張りをしてやろうと思って」
「寝言は寝てから言うもんですよー、ラビさーん?」
「…ごめん、ユウの顔でその笑顔は本当に怖いですさん勘弁して」
そう言いながら、ラビはまた視線をわたしから逸らした。
今日は随分と目を逸らされる日だ。なにこの腹立たしさ。
「…もういい…俺は寝る…」
「あーっ! だから汗かいたまま寝ないでってば、ちょっと神田ーっ!」
「うるさい。もういい。もう知らん。っていうか黙れ馬鹿女」
「誰が馬鹿だッ! もーーっ…起・き・な・さ・いッ」
ぺふぺふっ、と布団を叩くと、中から伸びてきた手にべちんっと額を叩かれた。
…痛い。いま、容赦なく叩いた。自分の顔なのに。
「…おまえ、さっき疲れたとか言ってなかったか? おまえこそ早く寝ろ」
「それとこれとは話が別でーす。よし、ラビも手伝え、特別に触ることを許してあげよう」
「は?」
「ー。どこまで触って良いですかー」
「腕」
「それ少なくない!?」
何を期待してるんだ、このひとは。
思わず呆れて目を眇めてしまった。まぁ、彼なりの冗談だろう。多分。
「…この馬鹿の尻に敷かれてどうすんだ、おまえ」
「女の子には逆らえないのが男ってもんさ、ユウ」
ラビの返答に、神田は掴まれていない手の方を額に押し当て、それはもう盛大に溜め息を吐いた。
…律儀に腕しか触ってないのは誉めるけど、押さえると言うより手を繋いでるだけだろそれは。
「ねぇ、神田。せめて服着替えようよ」
「…着替え、つってもおまえ…」
「だから神田が目隠ししてわたしが着替えさせるから」
「………だからそれは端から見たら俺が変態以外の何者にも見えねぇよ」
「ラビ。神田が恥ずかしいから出てけだって」
「えー」
「いや、ちょっと待て。何か論点ズレてる気がするのは俺の気のせいか?」
「気のせい。あ、こっちの着替えは神田がやってね。目隠ししててあげるから」
「良いのかそれで…」
「良いんです」
笑顔で念を押してやってから、わたしはラビに顔を向けた。
神田の手を捕まえてくれていた手を取って、にっこりと微笑んでやる。身体は神田のだけど。
「はい、着替えるからラビは退場! また明日ね」
「はーい。は横暴さー。ある意味ユウと良い勝負だよ。
じゃ、おやすみー。また明日~。…変なコトすんなよ?」
「変なことってなんだッ!」
投げつけられた枕をひらりと避けて、ラビは笑いながら部屋を出て行った。
残された神田は、精根尽き果てたとでも言わんばかりにぐったりしている。
そんなにわたしとふたりきりは不満ですかコノヤロウ。
「はい、目隠し」
「……ホントにやるのか?」
「そんなにわたしの裸が見たいかムッツリスケベ」
「違う! 目隠しの話じゃなくて着替えの話だ!」
いや、わかってて言ってるんだけどね。なんでこうも反応が面白いかな、このひと。
普段だと下手なこと言えば六幻の餌食だけど、この状態だと本当に害がない。
「風呂入れないならせめて着替え! もうこれ以上譲りません!」
「…ホント、馬鹿な。おまえ…」
馬鹿とはなんだ失敬な。女の子として当然の思考だと思う。
諦めたのか、小さく息を吐いてから、神田は緩慢な動きで目隠しを目に当てた。
…目隠ししてる自分の顔を見るって、なんかレアじゃない? わたしにそんな趣味はないけどね。
「目隠しの何が不満だサムライボーイ。普段目隠ししながら訓練してんだろ」
「…………なんで知ってんだよ」
しまったヤブヘビだ。
思わず、引きつった笑みが浮かんだ。相手は見えてないけど。
「さんはなんでも知ってるんです」
「阿呆か」
一言で切って捨てられました。
間違えた。「かま掛けただけよ」とでも言っておくべきだったか…!
「…遠目からうっかり目撃してシマイマシタ」
「…そうか」
納得してくれたらしい。マジでか。
…神田に気配を悟られずに近づくなんて真似、わたしはおろかリナリーでも出来ないような気もするけど。
「はい、その話はおしまい。じゃ、腕上げてー。袖通すよー。
…ホント、神田に着替えさせられると思うと嫌だなコレ」
「……俺だって嫌だ」
「まぁそう言うなよ、これもなにかの縁だよ」
「おまえが言ったんだろ、おまえがッ」
「神田、わたしこっち。そっち壁だから。なんでわかってて違う方向に向かって喋るの」
あらぬ方向を向いて怒鳴る神田の頭を掴んで、ぐいっと元の位置に戻す。
だいたい、目隠ししてるのになんで顔逸らしてたのこのひと。
「…ねぇ、神田」
「あ?」
「これ、元に戻らなかったらあんた責任持って嫁に貰ってよ」
言った瞬間、神田が一切の動きを止めた。
予想通りの反応に、わたしはにやりと笑う。もちろん、神田には見えていないだろうけど。
「………いや、ちょっと待て。なんだその唐突で意味のわからない台詞は」
「…ん? この場合はわたしが嫁に貰う方…?」
「だからちょっと待て。ひとの話を聞け」
慌ててる。ものすごく慌ててる。
耐え切れずに、わたしは吹き出した。ああ、笑いが止まらない。
「冗談、冗談。大丈夫だって。元に戻らないとかナイ、ナイ。――はい、終わり。目隠し取って良いよ」
「……」
憮然としながら目隠しを外した神田に、わたしはまた笑ってしまう。
ああ、意外な一面を見た気分だ。なにこのマイナス方向に素直なひと。
「じゃ、次こっちね。身長的に届かない気もするなぁ…しゃがむ?」
「しゃがんだら着替え出来ねぇだろ」
「あ、そっか」
じゃあどうしよう、と考え込むわたしに、神田は深々と息を吐く。
そして、面倒くさそうに言い捨てた。
「俺はいい。コートだけ脱いどけ」
「えー」
「いい。面倒くさい。寝る」
本当に面倒くさそうに言って、さっさとベッドに入ってしまった。
そんなにわたしと会話したくないのか、と思ってふと我に返る。
…ああ、そうか。誰だって、自分の顔して中身は別人の人間と、平常を保って会話するのは難しい。
「…神田ぁ」
「……なんだよ……」
「わたしの身体に悪戯しないでねッ」
「するかッ!! おまえもさっさと寝ろッ!!」
怒鳴り声と一緒に、枕が飛んできた。
なんとか受け止めて、ぽいっと投げ返す。ほら、枕ないと寝るとき辛いし。
「…ねぇ、神田」
「今度はなんだ…」
「…ごめん」
「……」
言った瞬間、神田は黙り込んだ。
…なんだよ。何も言われないと逆に困るじゃない。
「…ホントに、ごめん。わたしのせいだよね、これ」
「…謝るな。気持ち悪い」
「は!? あ、あんたねぇ…!」
言うに事欠いて気持ち悪いってなんだ!!
さすがにムッとして言い返そうと開き掛けた口は、次の言葉で音を失くした。
「おまえは、太々しいくらいで丁度良い」
「……」
「いきなりしおらしくなるな。鳥肌立つから」
「………やっぱ喧嘩売ってるよねソレ? 殴って良い? ねぇ、殴って良い?!」
思わず拳を握りしめるわたしに、もそりと布団から顔だけ出して神田は口を開いた。
それはもう、さっきまでの仕返しと言わんばかりに、小馬鹿にしたような口調で。
「コレ、おまえの身体だぞ」
「くッ…元に戻ったら覚えてらっしゃい!」
「なんだその三下みたいな捨て台詞は」
「うっさい馬鹿! もういい、寝ろッ!!」
「言われなくても寝る」
良いからおまえもさっさと寝ろ、と。
ぶっきらぼうに告げて、それっきり神田は口を閉ざした。
…まさか、この一瞬で眠ったわけじゃないだろう。
まったく、そんな励まし方があるかよ。不器用な奴。
「…ありがと」
不器用な彼に、わたしは小さく笑いながらそう呟いた。
意外な一面を見ると、そのひとへの印象が大きく変わる場合がある。
To be continued?
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