「…イノセンス…発動…!」
無意識に零れたわたしの声に呼応するように、それは形を成した。
バサリ、と鳥の羽音のような音が、背後で聞こえる。
重さはなかった。あれほどあった息苦しさも、痛みも熱も、今は無い。
ゆっくりと、瞳を開く。
視界の端に映り込むのは、輝くような漆黒の羽根。
手を伸ばし、指先で触れる。羽根の形状をしているけれど、触った感触は石に近い。
「…わたしの…イノセンス…」
思わず呟いた言葉の、現実味の無さ。
体内に納まったイノセンスが、音にならない声で教えてくれる。
宿ったイノセンスの使い方を。
「…指先に、…ちからを集中させて…触れれば、」
教えられたことを復唱していると、少し離れたところで、動く人影が見えた。
さっき暴風に吹き飛ばされた神田とラビだ。
「…どういうことだ。あいつは《適合者》なのか!?」
「ってことは、アクマじゃないってこと? おいおいコムイー、どうすんのさー」
恐らくモニター越しに見ているであろうコムイに向けて、ラビが首を傾げる。
しばらくの沈黙の後、戻ってきたのはなんとも軽い調子の一言。
「ん~…じゃ、とりあえず開門」
『そんなんで良いんですか室長ッ!?』
科学班の面々の声が、それはもう綺麗にハモった瞬間だった。
「――――」
『かっ、開門んん~~~?』
戸惑ったような門番の声と共に、重い扉は開かれた。
予想もしていなかった急展開に次ぐ急展開に、安堵するより戸惑いの方が強い。
「「「………」」」
刀持った人間と、槌持った人間、さらには羽根生えた人間の三人は、思わず顔を見合わせた。
吹き飛ばされた際に何があったのかわからないが、ふたりは何か所か裂傷を負っている。
…まあ、わたしのせい、か?
「…まぁ、アクマじゃなくて良かったさ?」
かくん、と首を傾げてへらへら笑うラビに、さすがに頭痛を覚えた。
おいおい、間違えて殺されかけたわたしへの最初の言葉がそれですか。
「…とっっっても、手荒い歓迎をアリガトウゴザイマシタ」
「あはは、ごめんごめん。でも怪しかったから仕方ないさー」
「だから勘違いで人殺して良いと思ってんのか君らはッ!! なんで話聞いてくれなかったの!!」
「いや、ほら、主に攻撃してたのユウだし!」
「イジメは止めなかった奴も共犯です!!」
ビシッと指を突きつけて説教していると、スッと横を静かにすり抜けていく気配。
神田だ。開門してからずっと黙り込んで仏頂面。顔に傷を作ったまま、薄情にも無言で通り過ぎようとしている。
思った以上に、これ実際やられると腹立つなァ、と思いながらわたしは彼の腕を掴んで口を開いた。
「待ちなさいよ」
「……」
酷く不機嫌そうな表情で、無言のままじろりと見下ろされる。
いや、不機嫌になっていいのはこの場合わたしの方だと思うのだけど。なんなのこいつ。
「…離せ」
「”癒せ、瞬癒結盾”」
先程イノセンスに教えられた通りに、指先にちからを集中させて、神田の傷口に触れた。
瞬間、彼の頬にはしる裂傷は跡形も無く消え、痕も残らない。
自分でやったとは言え予想以上の治癒力に目を瞠ると、同じような表情をして神田はわたしを見下ろしていた。
「…おまえ」
「いや、さすがに目の前で痛そうな怪我されてるとね、気になるから。ああでも、恩売ったつもりはないから気にしないで」
「……」
何か言いかけて、だけど神田はそのまま口を閉ざした。
…なんだろう。眉間に皺寄ってるけど、何か気に障ることをしただろうか。
彼の体質は知ってる。どうせすぐ治るのはわかっているし、本当に恩を売る気はない。好感度稼ぎの下心がまったく無いとも言わないが。
「あのー、神田? 神田くん? ユウちゃーん?」
「ッ、ファーストネームで呼ぶな変な敬称を付けるなッ!!」
「あ、良かった普通に反応した。何か気に障ることでもやっちゃったかと」
「…ああ、気に障ったな。今。物凄く。わかってて言ってんのかてめぇは!」
「うん、まぁ、割と? あ。怪我を治したこととは関係なく、とりあえず間違って殺しかけたわたしに全力で謝って」
「……」
理解出来ないものにでも遭遇したかのような表情で、今度こそ神田は絶句した。
なぜ。わたしは至極当然な要求を口にしただけだと思うのだけど。
「すげー…ユウを黙らせたさ…」
「彼女のイノセンスは、傷を癒すことが出来るのね」
感心したように呟いたラビの後ろから、そんな声が掛けられた。若い女性の声。いや、幼さを残すその声音は少女のものだろう。
視線を向けると、高い足音と共に、ひとりの少女が現れた。
長い緑掛かった黒髪をツインテールにした、細身の少女。身長は以外にも高めだ。
当然、わたしは彼女を知っていた。彼女は――、
「リナリー」
ラビが振り返り、少女の名前を呼んだ。
彼女――リナリー=リーは、それに対して小さく頷く。
「ラビ、神田。ふたりともお疲れ様。そしてはじめまして、私は室長助手のリナリー=リーよ」
「あ、うん。わたしは…ええと、こっち流で言うとメイ=アシワラ、かな?」
純正日本人名の西洋呼びは、物凄く違和感があった。
自分の口が発したとは思えないその違和感に、思わず唸ってしまう。
「東洋人…その名前の形式からすると、神田と同じ日本人ね。でも、イノセンスなしでどうやってここまで来たの?」
「気がついたらあっちの森に転がってました」
言った瞬間、痛いほどの沈黙が流れた。
リナリーとラビは困ったように首を傾げているし、神田に至っては胡散臭そうに顔をしかめている。
「…ふざけてるのか?」
「つくならもっとマシな嘘つくよ!」
胡乱げな神田の視線にもめげずに言い返すと、小さくため息を吐かれた。
どうしてわたしが、そんな頭弱い子みたいな扱いを受けなければいけないのか。
本当に、気が付いたら着の身着のまま薄暗い森に転がっていたのだ。さらには漫画の世界だった。
夢だと思いたかったけれど、痛みは本物だ。これが現実だと、否が応でも認めざるを得ない。
「神様が導いた…の、かもね。現に今、彼女はここにいて、イノセンスに選ばれたわ」
呟くように、リナリーがそうフォローしてくれた。
神様…神様ね…。この世界の設定では、《イノセンス》は神の力の結晶だ。その考え方もわからないではない。
だけど、それはあくまでこの世界の話。わたしは外側から来た異邦人。物語の神様が、現実の人間であるわたしに干渉出来るわけがない。
「…ッ」
ズキッ、と一瞬、頭痛がした。何か、大切なことを忘れているような気がする。
だけど記憶を手繰っても、何も思い出せなかった。ここに来る直前の、欠落した記憶だろうか。
「同世代の女の子が入団するのは久しぶり。仲良くしましょう、メイ。今日からはここがあなたの家(ホーム)よ」
「よろしく、リナリー。あと、ラビ。それに神田」
差し出されたリナリーの手を握り返し、そのまま視線をラビと神田にも向けた。
その反応は、まぁ、だいたい予想通りだ。片方は興味なさそうに一瞥をくれた後、顔ごと視線を逸らしやがったし。
もう片方は無駄にテンション高く、満面の笑顔でぐっと親指を立てて見せた
「おう! よろしくさー、…って。オレら自己紹介したっけ?」
首を傾げるラビに、わたしは思わず笑みを引きつらせた。
…しまった。うっかりやってしまった。
わたしは《物語》としてこの世界を知っている。だから《登場人物》の名前もわかる。
だけどそれって、この世界の人からすれば不思議なことなわけで。
「さ…、さっき、そう、呼ばれてた、から。な、名前、間違った?」
「大丈夫、合ってる合ってる。記憶力バツグンだね」
ああ、良かった! 細かいこと突っ込まない人達で本当に良かった!!
神田は…ああ、あれはまったくもって興味無しって感じだ。それはそれで酷い。
「チッ…俺はもう行くぞ。くだらないことに駆り出しやがって」
不機嫌そうにそれだけ言うと、神田はさっさと踵を返して行ってしまった。
思いっきり逆方向に。
「舌打ちした。今思いっきり舌打ちした! しかもわざとらしく逆方向に歩いて行ったッ」
「あー、ごめんごめん。ユウはカルシウム不足で怒りっぽいんさ。許してやって」
「カルシウムの問題かなあれ…」
「短気だけど悪い奴じゃないからさ。…じゃ、オレもそろそろ戻るよ。帰ってきて早々にこの騒動だったからさ~」
「あ。ラビ、怪我は?」
「へいきへいき~」
ひらひらと手を振りながら立ち去るラビを見送ってから、リナリーはわたしを振り返った。
そして、にっこりと微笑む。あまりに可憐で、思わずドキドキしてしまう。なにこの美少女。
「じゃあ、早速だけど室長のところへ案内するわ。ついて来てね」
「はーい。…あ、そうだ。ごめん、リナリー。ちょっと待ってて」
「え?」
きょとんしながら立ち止まったリナリーを置いて、わたしは扉の方に戻る。
…開いてない。から、とりあえず中からでも良いか。
「門番さーん、門番のアレスティーナさーん。驚かしてごめんねー?」
『え、なんで名前知ってんの。いや良いけどよォ。俺も悪かったなー』
「いえいえ。今度仲良くお話ししよーねー」
手を振っても多分見えないだろうけど、まぁ、ここは気分だ。
ついでに言うと彼の名前、アレスティーナまでしか覚えてません。あと5号ってのだけ。
「はい、終わり。お待たせ、リナリー!」
「…メイって面白い人ね…」
「え、そう?」
今度は、わたしがきょとんとする番だった。
そんなわたしをまじまじと見ていたリナリーは、不意に相好崩す。
「わたし、あなたのこと好きになれそうだわ」
そう言ったリナリーの顔は、満面の笑顔。…ちょっと惚れそうです。眩しい。
世の中には、男女の垣根を越えて魅力的な笑顔というものがあるのを知りました。
…《物語》の世界って見事に美形ばっかだなぁ…! まさに目の保養。命の危機さえなければ素晴らしい世界。
「さぁ、行きましょう。広いからはぐれないようにね」
にこにこと微笑みながら手招きをしてくるリナリーを前に、わたしは小さく頷いて、彼女のあとに続く。
目の前を歩く少女は、わたしの現実にいるはずのない相手。大好きな《物語》のヒロイン。
不安はある。戸惑いだってある。
だけど心は、自然と高揚していた。
ここは《物語》の世界。
だったら、わたしはあらゆる世界の法則を無視して、存在しても良いだろう。
こんなチャンスは滅多に、というよりそれこそ何億分の一の確率よりなお低い。
楽しもうじゃありませんか。《現実》になった《物語》の世界を。
+++
「ようこそ、黒の教団へ。ボクは科学班室長のコムイ=リー。よろしくね」
満面笑顔の彼に、わたしはなんとも微妙な笑みを送った。
笑顔ではあるのだが、目の下の隈が濃い。大丈夫だろうか、このひと。
「ええと。はじめまして。…あー…っと、こっち流では=、ですね。うーん、やっぱり慣れないなぁ…違和感ある…」
顔をしかめるわたしに、コムイさんはパタパタと手を振った。
そういう反応をする人間に、慣れきった様子で。
「国籍が違うとね、どうしてもそうなるよねぇ。追々慣れていくと思うよ」
「そうですかねぇ…」
「大丈夫、ボク達もあらゆる面でサポートするからね」
さっきの門の件は申し訳なかったね、と。
本当に申し訳なさそうにそう言われてしまったら、許すしかない。
「同じ女の子同士だし、リナリーと仲良くしてやってね」
「もう、兄さんったら! あ、ごめんなさい。コムイ兄さんと私は兄妹なのよ」
大丈夫、知ってます。
…とは、さすがに言えないが。いやしかし、実際に並べると似てない兄妹だ…。
「ちゃん。君のイノセンスを見せてもらえるかい?」
「あ、はい。…でも体の中に入っちゃったんですけど…」
「寄生型か…ああ、発動してくれれば良いよ。イノセンスの結晶が見たいわけじゃないからね」
「はい。…イノセンス、発動…!」
意識を切り替えると、背に確かな気配が現れる。
そう。「生える」と言うよりは「現れる」、なのだ。このイノセンスの発動は。
「羽根…かな? 不思議だね…鳥の羽根のようにも見えるけど…」
「でも綺麗ね…こんな輝くような黒、初めて見るわ…」
リナリーも興味津々に、わたしの羽根をまじまじと見つめていた。
…見られると恥ずかしい気分になるのはなんでだろうか。
「なんだか石っぽいね。遠目から見ると羽根なんだけど、どこか硬質感がある」
「ああ、だから羽根が散らないんですね。黒曜石とかそういう類ですかね」
「黒曜石…なるほど、そんな感じも確かに…。うん、これは鑑定し甲斐がありそうだ」
そう言って、コムイさんは虫眼鏡のようなものを取り出して、じーっと羽根を観察する。
…なんですか。なんでこんな生き生きしてるんですか。怖いんですけど。
「あ、あのぅ…」
「え? あ、ごめんごめん。寄生型の適合者は珍しくてついね」
わたしは珍獣ですか。
恐る恐る声をかけたわたしに返されたのは、科学者らしい一言と満面の笑み。
気分は、研究者の前に連れて来られたモルモットだ。
「ちゃん」
「はっ、はひっ」
思わず身構えたわたしを綺麗にスルーして、コムイさんは笑った。
なぜか、物凄く良い笑顔で。
「さっきから引っ張りまわして悪いんだけど、ついて来てくれるかい? 君には僕達のボスに会ってもらわなきゃいけないんだ」
ボス。…ああ、大元帥達か。
と、いうことは次はヘブラスカとご対面。
ヘブラスカ初登場のシーンを思い出して、思わず顔を顰めた。…驚かないでいられる自信がまったくない。
「いってらっしゃい、。戻ってきたら教団内を案内するから、食堂に来てね」
「うん、って食堂はどこですかっ」
「大丈夫、戻るときにボクが連れて行ってあげるから」
室長自ら連れて行ってくれるとか、とても親切!!
にこやかなコムイさんに連れられて、笑顔のリナリーに見送られながらわたしはそのまま室長室を後にした。
+++
「わー…エレベーターだー…19世紀末のくせにハイテクだー…」
「え? なに、どうしたのちゃん?」
「ナンデモアリマセン!」
首を傾げるコムイさんに、わたしは思いっきり首を左右に振った。
…いけない。気を抜くとボロが出る。やりにくいことこの上ない。
不幸中の幸いというか、何の因果かわたしは《イノセンス》を手に入れた。この後は、勝手にエクソシストになるだろう。
そうすれば、多少やらかしても言い訳はいくらでも浮かぶ。今は耐えろ、何を見ても過剰な反応をしちゃいけない。
「…いや…無理だ。現物見たら絶対冷静じゃいられない自信がある…。ねー、もう、ホント、アレン出てきたらどうしよー…神田とラビでも心臓止まりそうだったのに…」
「ちゃん、ちゃん。独り言の最中に悪いんだけどね、もう着いたんだけど?」
「はっ?!」
突かれてようやく、わたしは我に返った。
しまった。声に出てた…!?
「…コムイさん…さっきの聞いてましたか…?」
「え? いや、聞き取れなかったけど。もしかしてボクに言ってたのかい?」
「いや、違います。聞いてないなら良いです大丈夫ですッ」
「具合悪いなら明日にする? たまにいるんだよねぇ、そういう適合者。特に君は寄生型だし…」
「ホント大丈夫ですからお気遣い無く…っ」
必死になって私は顔の前で手を振る。
もう、不審人物確定だ。困惑顔のコムイさんの視線が痛い。
『――それは神のイノセンス』
響く荘厳な声に、思わず弾かれたように顔を上げた。
カッ、と薄暗い部屋に鋭い灯が灯り、五つの椅子と、それに座る五人の人間が浮かび上がってくる。
『全知全能の力なり』
『またひとつ…我らは神を手に入れた…』
「……」
思わず、わたしはまじまじとその五人を見上げていた。
大元帥――黒の教団の、実質的なトップ。元帥の更に上の地位を持つ五人。
彼らもまたエクソシストなのか、そうではないのか――謎に包まれた存在。
こうして間近で見ても、顔はおろか性別もよくわからない。
「ボクらのボス、大元帥の方々だよ」
「…はぁ…ずっとあそこに座ってるんですか。痔になりそうですね…」
「………いや、あのね、ちゃん。ずっと座ってるわけじゃないし、そもそも女の子がそういうこと言っちゃダメだからね」
一瞬困ったように視線を泳がせてから、コムイさんはそう言って曖昧に笑った。
むしろ可哀想な子を見る目になっている気がするのは気のせいだろうか。気のせいであって欲しい。
「さぁ、キミの価値をあの方々にお見せするんだ」
「…はァ…」
軽く背中を叩かれて、わたしは曖昧な返事を返す。
そろそろ、下からヘブラスカが現れる頃だろうか。出来れば普通に登場して欲しい。
「…!!」
音もなく、どこか水晶の様な色のソレが現れた。
なんの予兆もなく唐突なことで、本気で呼吸が止まりかける。
なんとか自分を落ち着かせるように、大きく息を吸う。
それを吐き出した時には、なんとか平静を取り戻した。まだ心臓はバクバクいってるけど。
改めて、わたしはソレを見上げる。
印象は女性的。体内にイノセンスを格納するその体は、水晶のように綺麗だ。
だけどやっぱり、注目すべき点はそこではない。
「…驚いた…思った以上に大きいんだね…へブラスカ」
『…私を知っているのか…=』
しまった。さっきあれだけ決意したのに、またやった。
微かに驚きを含むヘブラスカの声に、わたしはまたも顔を引きつらせることになる。
「…ええと…知っていると言えば知ってますが、間違いなく初対面です」
『…不思議な子だ…おまえのイノセンスも…私の体内で護られていた物から変質している…』
その言葉に、わたしは初めて、自分の体内に宿ったイノセンスの出所を知る。
地面から出てきたということは、地下から現れたということでもあるのか。なるほど。
ゆっくりと、へブラスカの顔が迫ってくる。
視界に広がるのは、へブラスカの額にある十字架。へブラスカの持つイノセンス。
それがわたしの額にやんわりと押し当てられ、へブラスカの手、と思われる部位が背に回った。羽根が生える辺りに。
『…5%…18%…31…58…86…100%!』
「!?」
シンクロ率を計測するヘブラスカの声に耳を傾けていたわたしは、飛び出した数値に愕然とする。
100%なんて高い数値、聞いたこともない。シンクロ率が低いと危険という認識だけど、高過ぎる場合はどうなんだろう。
『…おまえとイノセンスのシンクロ率は…最高で100%…元帥級だ…』
「マ、マジですか…?」
『怯えなくて良い…恐らく、今はまだ…最高値で発動し続けることは、おまえには出来ない…』
「あ、そうなの?」
逆に安心した。ほっと胸を撫で下ろす。
登場からして特殊だったのに、イノセンスまで特殊だったら主人公の立場が無い。
――主人公。そういえば、アレンはどこだろう。任務中? でも、リナリーもラビもここにいたし…。
『=…おまえのイノセンスは、いつか黒い未来を壊し、新たな未来を奏でる…。その力は偉大なる《時の破壊者》を護り、導き、その運命すらも切り開く《双黒の使徒》を呼ぶだろう…』
「…《時の破壊者》…《双黒の使徒》…?」
へブラスカから告げられた予言に、わたしはまだ見ぬ彼を思い浮かべていた。
――アレン=ウォーカー。この《物語》の《主人公》。
へブラスカに《時の破壊者》と予言された、左腕にイノセンスを宿す少年――。
「…ねぇ、へブラスカ? 聞いても良いかな」
『答えられることならば…』
「《時の破壊者》って、誰のこと?」
『…わからない。私は数多のエクソシストを見てきたが…それに該当する人物には出会ったことが無い…』
つまり、アレンはまだここに来てはいないと言うことか。
と、いうことは? ここはわたしの知る《物語》よりも前の時間軸にあるということか…?
「そっか。じゃあ、出会うのを気長に待つことにするわ」
『…本当に…不思議な子だ…、おまえに…神の加護があらんことを…』
静かな声で言われたそれが、妙に心地よく、どこか安堵した。
驚きの連続で、多分、わたしの精神は極限まで興奮していたんだろう。
「ありがとう、ヘブラスカ。よろしくね」
色んな意味でのお礼を込めて、わたしは笑う。
ヘブラスカの表情はよくわからなかったけれど、頷いてくれたのだけはわかった。
なんだか嬉しくなってにこにこしていると、背後から拍手が響く。
「なんだかよくわからないけどすごいね、ちゃん!」
「コムイさん」
「しかしヘブくんを見ても驚かないなんて、肝が据わってるねぇ。全然驚いてくれなくて、ボクはちょっぴりがっかりだけど」
「驚かすつもりだったんですかッ」
ホントに見た目通りの愉快犯だなこのひとは!!
…まぁ、うん、わたしだってヘブラスカを知らなかったら暴れたかもしれない。
喋ってると、穏やかで温かい感じがしたけどね。やっぱ大きいし、人間の範疇超えた姿をしているし。
『輝く黒の翼を持つ使徒よ』
『戦え』
『それが、神に選ばれし者の宿命だ――』
戦え、と――。
荘厳な声は、そう告げて気配を断った。
はたして本当にそこに居たのか、それとも映像だったのか…謎の多い存在だ。
「…神に選ばれた、か…」
「まぁ、君の詳しい素性は追々聞くとして…。改めてよろしくね、ちゃん。世界のために一緒に頑張りましょう」
「はい。よろしくお願いします!」
差し出されたコムイさんの手を握り返し、わたしは空いている左手をぐっと握り締めた。
その間にエレベーターは上昇し、最初の階に止まる。
そう言えばイノセンスについての説明を受けてないけど良いのだろうか。いや、私は知っているから良いのだけれど。
「…ごめん、ちゃん。ボクはヘブくんとちょっと話があるから先に戻ってて。食堂まではこのゴーレムに道案内を頼むと良いよ」
「え、この子もらっていいんですか??」
「ダーメ。ちゃんには後で専用のを用意するからねー」
「了解です室長様! ボディは銀で尻尾付き希望です!」
厚かましいことを叫んでから、わたしは預かったゴーレムと一緒にエレベーターから飛び降りる。
黒いボディの小さなゴーレムは、大きな羽根をぱたぱたさせながら飛ぶ。
このまま付いていけば、食堂に連れていってくれるんだろう。あとはリナリーに聞けばいいか。
「あとでちゃんの部屋とかも用意するから、とりあえずはリナリーにくっついててねー!」
「はーいっ、了解しましたーっ!」
ふたたび地下へと降りていくコムイさんに、そう返事を返すわたしの声は、自分でもわかるほど浮かれていた。
確かな《現実》と成った《物語》。
約束された自分の立場。手段。そして能力。
心が躍る。逸る気持ちが抑えられない。
この時のわたしは、あまり深く考えてはいなかったのだ。
――《非現実》が、《現実》にすり替わることの、その本当の意味を。
+++
バタバタと、落ち着きのない足音を立てながら走り去って行くを見送り、コムイは苦笑を漏らした。
「…元気な子だなぁ…リナリーより年上だとは思うんだけど、割と年齢不詳だよね。君もそう思わないかい、ヘブラスカ?」
『…そうだな…とても不思議な子だ…背負う宿命すらも…』
「………」
ヘブラスカの返答に、コムイは難しい顔をして考え込む。
ヘブラスカはただ、静かに次の言葉を待つのみだ。
やがて、コムイはゆっくりと顔を上げ、ヘブラスカを見上げる。
「――ヘブラスカ。さっきのシンクロ率は…間違いではないのかい?」
『事実だ…だが、酷く不安定…80%から100%の間を、振り子のように揺れ、定まっていない…』
「……不安定な《臨界者》、か……」
《臨界者》、と。
もう一度口の中で呟いて、コムイは僅かに顔をしかめる。
イノセンスとのシンクロ率が100%を超える者を、《臨界者》と呼ぶ。
それは、エクソシストとしては最強の存在と言っても過言ではない。
現に、五人の元帥は皆、イノセンスとの100%以上のシンクロ率の保持者だ。
「…元帥は五人と決まっているはず…なのに何故、今、《臨界者》が現れた…? どうなっているんだ…彼女は、いったい…彼女のイノセンスは、普通じゃない…?」
彼女――が特殊なのか、それとも彼女を選んだイノセンスが特殊なのか。
どちらにしても、の存在は黒の教団にとって新風となることに違いはないだろう。
「彼女はいったい、何者なんだろうね…」
『…わからない…だが、悪いものではなかった。彼女は使徒だ…』
「うん…わかっているよ」
ヘブラスカの言葉に、コムイは小さく頷く。
素性もはっきりしない。どうやってここまで来たのかもわからない。確かに不思議な少女だ。
しかし、あの仕草のひとつをとっても、悪しきものは感じられないのはコムイも同じだった。
「もしかしたらあの子は、永く続く戦いに終止符を打つ存在なのかも、しれない――」
そう呟き、コムイは瞠目する。
奇しくもそれは、後に《時の破壊者》と予言されるアレン=ウォーカーの入団の、ちょうど半年前のことだった。
初っ端から特殊人物に認定されました。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。