twenty-twenty hindsight 3



奥の部屋で、ごそごそと。
何かを始め出したの事は敢えて考えずに、阿伏兎はようやく訪れた静かな時間を有効活用すべく動き出した。
まず片付けるべきは、目の前にうずたかく積み上げられた書類の山である。
……思わず、涙が出そうになった。
コレ、本来は団長がやるべき仕事じゃねェの?
今に始まった事ではないが、根本的な部分から悩んでしまう。
人生の不条理さと上司運の無さはさて置き、ぐちぐち文句を垂れていたのでは終わる仕事も終わらない。
普段は頼りになる副団長補佐の――まァ、触らぬ神に祟りなしって事でしばらく放置しておく事にする。
そう判断を下して、書類と格闘する事しばし。
蝶番の鈍い軋みと共に、ドアの開く音がした。
しかしそれどころではない阿伏兎は振り向かないまま、相変わらず机に視線を落したままである。
先程までのやり取りなどすっかり忘却の彼方へ消し飛ばして仕事をしていると、不意に影が落ちてきた。

「阿伏兎……」
「?!!」

鼻にかかった甘い声が、耳を掠める。
思わず手元に力が入ってしまい、持っていたペンが見事な具合にひしゃげた。
目をカッ開き、油の足りないロボットのようにぎこちなく顔を上げる。

「! お、おまっ……なっ、?!」

腰を抜かしかけた阿伏兎の声が、おかしな感じに裏返った。
いやいや、なんつー格好晒してんのよお前ェは!!
格好と言っても普段の服装そのままなのだが……如何せん、あられもなく着崩されたそれは破壊力抜群な代物へと成り果てていた。
下ろされた髪はしどけなく乱れて目は微かに潤み、赤く色づいた唇からは甘い吐息が漏れる。
そして胸元は――
ゴクリと生唾を飲み込んだ阿伏兎の視線は、柔らかな谷間に釘づけである。
着崩された上着から覗く、艶めかしい双丘。
ヤベッ、なんか――勃ちそうなんだけど。
阿伏兎が生理的現象で前かがみになっていると、がしな垂れかかるように抱きついてきた。
もちろん、胸は肩の辺りにぎゅっと押し付けて。
――上から覗きこむには、ちょうどいい角度だった。
あと一つボタンを外してくれりゃァ、いい具合の場所まで拝めるんだが……。
邪な欲念に、すっかり鼻の下が伸びきっている阿伏兎である。
上目づかいにうるうる目を向けてきたは、甘い掠れ声で囁いた。

「ねぇ、阿伏兎。私……女らしくない――?」
「ッ!」
「胸、ないかな?」
「そっ、そんな事は……」

言いながら、の手は阿伏兎の胸を滑って焦らすように腹へと降りていく。
――って腹ァ?!

ッ! それはさすがに――!」
「私の事……抱きたくない?」

阿伏兎の腹の辺りを撫で擦りながら更に身体を密着させてきたは、互いの唇が触れ合うギリギリの位置で熱っぽく囁く。
肩に感じる柔らかなふくらみに、阿伏兎の理性が悲鳴を上げた。

「ッ、っっ! これ以上は、マジでおじさんヤバイからぁぁぁぁっ!!」

土下座でも何でもしてやる!
だから、もう勘弁してくれぇぇぇぇ!!
理性と動物的本能の狭間で、最早パニック状態である。
襲って喰らいついてしまいたい気持ちはあれど、さすがにそれはマズイ。
大変に、よろしくない。
何せ相手はあのだ、自分の部下だ。
擬音語をつけるならダラダラと盛大に冷や汗を流した阿伏兎に懇願され、
は先程までの甘い囁きは何処へやら、あっさり身体を離すと勝ち誇った顔でニヤリと笑った。

「んふふ。阿伏兎も引っかかったとなると、バカ団長もこれでイチコロですね! 私の演技力、舐めてもらっちゃ困ります。
――見てらっしゃい、私を男呼ばわりしたツケは絶対に払わせてやるんだからっ」
「……いや、あの、さん?」
「じゃ、阿伏兎! そう言う事だから、私これからちょっとバカ団長誑し込んで来ますね!」
「誑し込んでって――! おぃぃぃぃぃっ?!!」

何とも素晴らしい笑顔でいかがわしいセリフを吐いたは、軽い足取りで部屋を出て行った。
一人残された阿伏兎は、しばらく茫然と呆けた後で机に突っ伏し、呻くように一言。

「ありゃァ、反則じゃねェの?」

表情一つ、さらし一つ、仕草一つであそこまで変わっちまうたァ、女とは恐ろしい……。
マジで、堕とされかけた。
阿伏兎がもし自分の欲求に忠実であったのならば、まず間違いなくを押し倒していたに違いない。
……。

「あっ」

自分の欲求に忠実――
その代表格のような男の元へ行ったは、果たして無事に帰ってくる事ができるのか。
激しく、嫌な予感がした。


* * *


軽やかにスキップなんぞを踏みながら到着した先は、神威の居室の前。
すっかりやる気満々で一人ほくそ笑む姿は異様だが、
幸運にも神威の部屋へ不用意に近づこうというツワモノはいないらしく、通路はシンと静まり返っている。
それでもノックをする前にもう一度辺りを確認したのは、邪魔が入るという事態を避けたいからだ。
“あの”バカ団長を誑し込むのだから、ここは十分過ぎる程慎重に行きたい。
これは、壮大な復讐計画なのだから。
それに、ここぞという時に邪魔なんて入った日には、うっかりその愚か者を殺してしまいそうだ。
さすがにそんな事になったりしたら、寝覚めが悪いですもんね!
等々もっともらしい言い訳をくっつけてみるが、段々考え方が夜兎よりの過激なものになってきていたりする。
しかしその事実には露ほども気づかないまま、は気合を入れてドアをノックした。

――ダレ?」

中から聞こえてきた声は、眠そうな響きを帯びている。
阿伏兎は溜まりに溜まった仕事でてんてこ舞いだってのに、アンタは呑気にお寝んねですか。
貼り付けた笑みに亀裂が入ったが……ここは、グッと我慢!
鼻息荒く気合いを入れ直し、は作りこまれたよそ行きの声を出した。

です、団長。入ってもよろしいですか?」
――? ……――うーん……いいよ。カギ、開いてるから」

何だ、その間は。
そして、明らかに嫌そうな口調は。
適当な神威の物言いに、のこめかみがヒクリと動く。
が、素晴らしいまでの自制心を発揮して苛立ちを押さえ込み、胸元の開き具合を確認すると「失礼しまーす」と一声掛けて部屋に足を踏み入れた。

「……」
「……――すぅー」
「…………」

いえ、そんな事だろうとは思ってましたけどね?
ベッドにうつ伏せになってしつこく惰眠を貪っている神威に、一言物申したい。
わざわざ擬音語を付けて寝る意味、あるんですか?
……って、違うか。

――団長。客がいるんだから、せめて起き上がってはくれませんかね?」

すっかり布団に懐いてしまっている神威に進言してみるも、どこ吹く風。
枕に顔を押し付けたまま(いっそそのまま、窒息してしまえ)、くぐもった声で答えた。

「……眠いからムリー」
「……」

は諦めた。
コイツには、何を言っても無駄だと。
しかし復讐計画を中止する気はさらさらなかったから、
ちょっとばかり予定を変更してベッドに近づくと、阿伏兎もビックリな大胆さで神威が寝ているすぐ横に腰掛けた。
まるで添い寝をするように上体を傾け、耳元に唇を近づける。

「団長……ねぇ、起きて下さいよぉ」

普段は絶対に出さないような甘え声で囁くと、ようやく神威が反応した。
薄っすらと目を開け、鬱陶しそうに上体を起こす。
そうすると間近で顔を合わせる事になるわけで、は思わず意味もなく焦ってしまった。
が、ここも根性で何とか乗り切る。
神威は一瞬驚いた様子で目を瞬かせたが、この体勢については特にコメントせず眠そうに欠伸をするだけにとどめた。
……私の渾身の覚悟をスルーするとは、何て小癪な。
は、俄然張り切った。

「私、どうしても団長に会いたくて――

自分でもようやるわと呆れる掠れ声とうるうる目で訴え、阿伏兎の時と同じように露に晒した胸を神威の腹よりやや上辺りに押し付ける。
つまり、神威の腰に軽く抱きついているような状態だ。
見よ、この男心をくすぐるチラリズムを!
心の中で、得意げにふんぞり返る。
――しかし、敵はしぶとかった。
寄せて上げて頑張って作った谷間をチラ見すると、あとは感情の読めない目をに向けただけで特にこれといった反応はなかった。

「うん。で、何の用なの? ――俺、そろそろ限界なんだけど」

欠伸混じりに言い、眠そうに目まで擦っている。
は、口元を引きつらせた。
もしや団長ってば……不能――
それとも、女には興味がないソッチ系の人だったり?
まさか、病気とか……。
思わず、いらぬ事まで心配してしまう。
反応の薄さに怯んだだったが、女は度胸とばかりに気を取り直すと上目遣いに神威を見上げた。

「私……ちゃんと女だって事、団長に分かってもらいたいんです」
――――もちろん、分かってるけど」

不審そうな顔で、神威が眉をひそめる。
うぅっ、心が折れそう……。

「分かってるって……。――団長、この前私の事女じゃないって言ったじゃないですか」
「アリ。俺、そんな事言ったっけ」
「言いました!」

自分の言葉には、ちゃんと責任持ちましょうよ!
余程言ってやろうかと思った言葉は、口から飛び出す前に無理やり飲み込んでおく。
代わりには、神威の手を掴んで自分の胸に持っていくという荒業的手段に出た。
こうなったら、恥も外聞もかなぐり捨ててやりますとも!
意気込みだけは十分に、団長誑かし作戦を続行させる。

「理由は胸がないからだって、言ってたんですよね? 全部、阿伏兎から聞きました。
 私、団長からそんな事言われてすごくショックだったんですよ?
 さらしを巻いているだけなのに、団長ったら確かめもしないで決め付けるんですもん」
「へェ、絶壁だったのはさらし効果だったんだ。
 でも、よくコレを絶壁になるまで押し潰せたね。それとも、今は寄せて上げる仕様なの?」
「ぐぅっ」

あっけらかんとした神威がデリカシーの欠片もない事を言い放ち、は言葉を詰まらせた。
対する神威は、随分と楽しそうである。
いつの間にか眠気も吹き飛んだようで、顔には笑みが浮かび手は興味津々――
……。
興味津々――

「ちょっ、団長?!」
「でもこれはこれで、柔らかくて揉み心地がいいかも」

慌てふためくの事などお構いなしに、神威は臆面もなく言い放つ。
その手は、遠慮なしとばかりにの胸のふくらみを無遠慮に撫でたり押してみたり摘んでみたり……要は、揉みしだくように動かしていた。
っ、そ……そりゃぁ、胸に手を置かせたのは私ですけどね?!
でもこれは、さすがにシャレにならないのではないだろうか。
は、ここに来てようやく身の危険を感じた。
しゃにむに身を捩じらせて、いつの間にやらを囲い込むように回されていた神威の魔の手から逃れようとする。
突然暴れ出したをケラケラ笑いながら押さえ付ける神威は、余裕しゃくしゃくの笑顔。
憎たらしいくらい、ご機嫌だった。

「あはは、こうやって見るとでもなかなか扇情的に見えるね」

でもって、どういう意味だ!
と食って掛かる余裕すら、すでに残されてはいなかった。
抵抗も空しく気づけば立場は逆転、ベッドに寝ているのはでその上に覆いかぶさっているのは神威という大変危険な体勢である。
は手をつっぱらせたり足を蹴り上げたりと無茶苦茶に暴れるが、必死の抵抗はものの数分ともたなかった。
足の間を神威が陣取ってしまえば蹴る事はできないし、両手を頭上で一まとめに拘束されれば殴ることもできない。
――って、この体勢絶対にヤバイですって!!
何する気ですかっ!!

「何って……ナニ?」
「ひぃッ!!」

いかがわしい含みを持たせて、神威が上機嫌に答える。
サァッと血の気が引いていく音を、は確かに聞いた。
そうこうしている間にも、神威は器用に片手での上着を脱がしにかかっている。
肌が露になった部分を這う唇(と、舌。……し、ししし舌っ?!)の濡れた感触が、やけに生々しくリアルだ。
の目に、涙が盛り上がった。
それを見た神威が、熱の篭った目を細めて嗤う。

「そろそろ限界だって教えたのに、それを無視したが悪い」
「……! あ、あれってそういう意味だったんですか?!」
「何だと思ってたの?」
「っ、てっきり……眠いのかと」

泣きべそをかいたは、心の底から悔やんだ。
って事は何ですか、私は夏の虫だったの?!
ごきぶりホイホイですか?!!
ミイラ取りがミイラになるとは確か地球産のことわざだったと思うが、まさか身を持って思い知る事になろうとは予想だにしなかった。
しかも、貞操の危機というおまけ付き。

「いーやぁぁぁぁぁぁっっ!!」
「あっはは、は男の事を知らなすぎだよ」

朝勃ちって知ってる? と耳元で囁かれて、は危うく気を失いかけた。

「い、いいいいい今は朝じゃないですよ、団長!」
「それ以前に、宇宙には朝も夜もないけどね。そんな事も分からないなんて、バカだなァは」

ケラケラと笑った神威は、欲望けぶる目をに向けた。
正確には、完全に晒され素肌が露になった胸元に獰猛な眼差しを向けている。
は、その視線に耐え切れず顔を横に背けた。
から掬うように揉み込まれる感覚は未知のもので、敏感な神経の集まった末端部分を嬲られるとの口からは殺し切れない声が幾つも上がる。
その様子に目を細めた神威は、不意に手を止めると事も無げな口調で言った。

「どっちにしても、勃っちゃったものは仕方ないよね。生理現象に加えてに誘われたもんだから、もう腰が重いの何のって。
昂ぶった熱はに鎮めてもらわなきゃ収まらないから、しっかり俺の相手をするんだよ?」
「さ、誘ってません! 相手もしませんっ!!」
「素直じゃないなァ。だったら勝手にヤらせてもらうから、は適当に抵抗していればいいよ。
――嫌がる女を無理矢理押さえつけて犯すってのも、趣向が変わって面白そうだし」
「……いえ、あの、それは犯罪――

が顔を引きつらせる様を愉快げに見やった神威は、露な胸元に唇を滑らせながら手の動きを再開させた。

「大丈夫。の事も、ちゃんと気持ち良くしてあげるから。――とりあえず、一回抜いてからね」
「んっ……く、な、何ですか、その一回抜い、てから……って――!」
「アリ、まさか一度で済むとでも思った? そんなわけないじゃん、俺の体力バカにしてるの?
 春雨から特に何の指令も入ってないと思うから、時間はたっぷりある。焦らされた分、ちゃんと俺を満足さてもらわないと」

……。
これはアレですか? ヤリ殺されるパターン?
化け物じみた夜兎の体力について行く自信なんて、到底持ち合わせていないわけで。
そうなると必然的に浮かんでしまう答えに、は気が遠くなっていくのを感じた。
が、軽く頬を叩かれて現実に引き戻される。

「俺に女だって事を分かってもらいたいんだったら、気絶しないで頑張ってネ」
「……――いえ、もう結構デス」

最初から、勝ち目のない戦いを挑んでいたのだ。
いくら女じゃない発言でブチ切れたとは言え、神威が相手では何をしてもムダだと諦めるべきだった。
結局、いいようにあしらわれて窮地に陥るのは自分なのだから。
うっぅっ、私の……バカぁぁぁぁぁぁっっ!!
牙を剥いて襲い掛かる獣に組み敷かれていては、どんなに悔やんでも後の祭りでしかなかったけれど。